2011年7月15日金曜日

〈脱原発〉新党と新しい政治のネットワーキングは可能か

〈脱原発〉新党と新しい政治のネットワーキングは可能か


 昨日の時事通信の世論調査の結果は、かなり衝撃的だった。
 日本という国が、支持率10%の政党を与党とする、支持率12.5%の内閣によって運営されていることが明白になったからだ。10%と12.5%。どうやらこれが日本の「民主主義」のリアリティであるらしい。

 考えてみれば、「3.11」から4ヶ月余り、日本の政治的現実は、福島第一原発災害の収束が見えないのと同じような、ほとんど収束不能の危機に陥ってしまったのではないだろうか。
 菅直人という一国会議員が、いつまで首相の座に居座ろうとしているのかは分からない。しかしとにかく、この人物が辞めるまで、日本は有権者10人の内、わずか1人にしかに支持されない内閣によって国の政治が運営されるのである。しかも首相の顔が変わったとしても、支持率10%の民主党が政権の座にある限り、政治の危機が「冷温停止」するなどということもありえないだろう。10年前の森内閣の時より、危機はかなり深刻である。

 こうした日本の政治の危機という観点からみれば、一昨日の菅首相の「脱原発依存社会」宣言を、上のような政治的現実から切り離して「絶賛」(社民党党首)したり、肯定的に評価する(一部の知事、朝日、毎日その他の新聞の社説など)ことがありえないことも、はっきりするのではないか。
 首相が何を言おうと、圧倒的大多数の有権者、「国民」は聞く耳を持たないのだ。とにかく早く辞めてくれ、you go out!と叫んでいるのだから。「「脱原発依存社会」宣言をどう評価するか?」もクソもない、ということになる。
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閣僚から脱原発批判 首相「私的な思い」
 中野寛成国家公安委員長は15日午前の閣僚懇談会で、菅直人首相が「脱原発」を打ち出したことについて「首相の発言が混乱を招いている。閣僚はそういう話を聞いたことがない」と批判、原発問題に関する閣僚懇の開催を求めた。首相は「私的な思いを述べた」(!!!)と釈明。枝野幸男官房長官は、来週前半に閣僚懇を開く考えを示した。 これに関連し、野田佳彦財務相は記者会見で「短兵急に進める話ではない。政府としてこれから丁寧に議論しなければならない」と述べ、脱原発は政府方針ではないとの考えを強調した。(共同)
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 まったく、お話にもならない。
 政治の危機は、菅内閣の不人気も大きな要因であるが、そればかりではない。議会政党、政党政治に対する不信が、「3.11」以後、いっそう深まっている。時事通信の世論調査によれば、民主の支持率10%に対し、自民15.0%、公明3.3%、共産とみんなの党1.1%、社民党0.3%、たちあがれ日本0.2%。国民新党0.1%。 そして、支持政党なしが67.4%である。


 無党派67.4%という数字をどう読むか。この数字に触れて、「3.11」の三週間前に書いた文章を思い出した。「サハラ砂漠の蜃気楼に浮かぶのは社会主義ではない」の中の、「facebookとtwitterは「オマカセ民主主義」を越えられるか」である。

 「すべての国の政府・官僚機構、議会政党にメディア、もっと言えば市民・社会運動やNGOもサイバー空間で起こる〈革命〉についてゆけない。これが〈今〉の情況である。というより、誰もがそうなのだ。「政治」という特殊な世界において、それがもっとも醜悪な形で表出しているだけの話である。

 冷戦崩壊後に生まれた人々はもちろん、ちょうど30年前にレーガン政権が登場し「レーガノミックス」やイギリスの「サッチャー主義」が席巻し、いわゆる「新自由主義」経済政策が「新保守主義」の政治と合体したころに生まれた人々は、冷戦崩壊⇒バブル崩壊⇒「失われた10年」となった1990年代の「政局」の大混乱⇒政界の再編に次ぐ再編の過程を体験していない世代になる。
 この二つの世代がこの1月半ば以降のアラブ・イスラム社会の「革命」の担い手だ。「ボク」と同世代の人々は、若い世代がセッティングしたステージ(広場)にかけつけ「積年の恨み」を晴らそうとした、そんな感じだろうか。

 で。これからの数年、2010年代の半ば・あるいは後半期まで、あの頃ほど悲惨ではなくともまた同じような日本の議会政治の大混乱・「政界再編」を私たちは体験することになるかもしれない。政権与党をめざす政党のプラットフォームが定まらず、しかもどの政党も変わり映えのしない「マニフェスト」しか出せず、「争点」なるものがきわめてテクニカルな「やりかた」の違いでしかないような、そんな「政策論争」が延々とくり返される時代である。

 もうすでに始まっているが、それは政治的ニヒリズムというか、「日本の(議会)政治が変わることによって何かがもしかしたら変わるかもしれない」、そんな風にはとても思えない何とも鬱屈した気分が社会的に蔓延する時代である。無党派層が有権者の5割から6割(6割から7割?)になる時代。「国政選挙」の投票率が5割を割り、4割を割り、それでも「政治」や国が「回っている」時代。

 そのとき、上昇・安定志向を持たない/持てないタブレット・カルチャー第一世代の人々が、どういうムーブメントを起こすか/起こせるか。それが10年後/20年後に〈少しはマトモなデモクラシー〉に日本がなっているかどうかを決めることになる。そうしてセッティングされたステージ(広場)に「ボク」もかけつけ、「積年の恨み」を晴らすことができるだろうか。日本における戦後政治の終焉、ポスト冷戦時代のほんとうの幕開けは、そのときはじめてやってくるのかもしれない」・・・・。

 無党派層が有権者の5割から6割(6割から7割?)になる時代。
「国政選挙」の投票率が5割を割り、4割を割り、それでも「政治」や国が「回っている」時代・・・。 
 それがまさに、菅政権下の日本の現実なのである。



(つづく)