NGOは誰のために活動するのか。
「開発援助」による貧困と、「平和構築」による暴力から脱け出すために。
『脱「国際協力」 ~開発と平和構築を超えて~』の序章から
NGOは政府とのパートナーシップを追求するあまりに独立性を失ってはいまいか、そして社会変革への志向も薄らぎつつあるのではないか。
本書の編者らが『国家・社会変革・NGO-政治への視線/NGO運動はどこへ向かうべきか』(新評論、2006年)を出版したのはそんな危機意識からであった。
国際協力の分野においてその危機は今、さらに深まりつつある。国益実現のツールとしての政府開発援助(ODA)の戦略的活用路線がますます明確になり、対テロ戦争と並行共存する平和構築が日本の国際協力政策の中核の一つに位置づけられるようになっているからだ。
本書はこの危機の深まりを捉えるために、国際協力政策の背景やその依拠する考え方、そして国際協力という言説そのものの見直しに主眼をおいている。
本書の第一の特色は、非国家の視点から国際協力を論じている点にある。例えばODAを“援助する側”の論理ではなく“援助を受ける側”の視点で見れば、「開発援助」の思想と実態の“貧しさ”が見えてくる。
本書のもう一つの特色は、問題提起と批判的省察の姿勢をもって主流の国際協力のあり方を検討している点にある。「平和構築」と呼ばれる一連の活動も、アフガニスタンなどの現場で起きていることを直視すれば、それが本当に平和を創出しているのか疑問に思わない方が難しい。むしろ“人道的帝国主義”と呼べるような事態が進行しつつあるといえる。
福島第一原発事故によって原発推進における産官学政一体の癒着構造が明らかになった今、主流から外れることを恐れず、国家におもねることなく、被害に遭い切り捨てられる人々の立場に立って物を考え行動し続けることの重要性を、今ほど痛感することはない。
NGOの出発点もそこにおくべきではないか。(編者 藤岡恵美子)
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【目次】
序章
第一章 政官財ODAから地球市民による民際協力へ(村井吉敬)
Essay1 「国際協力」誕生の背景とその意味(北野 収)
第二章 日本の軍事援助(越田清和)
Essay2 差別を強化する琉球の開発(松島泰勝)
第三章 イスラエル占領下の「開発援助」は公正な平和に貢献するか?――パレスチナ・ヨルダン渓谷における民族浄化と「平和と繁栄の回廊」構想(役重善洋)
第四章 人道支援における「オール・ジャパン」とNGOの独立(藤岡美恵子)
Essay3 アフガニスタンにおける民軍連携とNGO(長谷部貴俊)
第 五章 日本の国際協力NGOは持続可能な社会を夢見るか?――自発性からの考察(高橋清貴)
Essay4 NGOによる平和促進活動とは?――バングラデシュ、チッタゴン丘陵の事例から(下澤 嶽)
Essay5 先住民族と「平和構築・開発」(木村真希子)
第六章 「保護する責任」にNO!という責任――21世紀の新世界秩序と国際人権・開発NGOの役割の再考(中野憲志)
【著者紹介】
-北野収-獨協大教員
-木村真希子-立教大非常勤講師
-越田清和-ほっかいどうピーストレード事務局長
-下澤嶽-ジュマ・ネット代表
-高橋清貴-日本国際ボランティアセンター(JVC)調査研究員
-中野憲志-先住民族・第四世界研究
-長谷部貴俊-JVCアフガニスタン現地代表
-藤岡美恵子-法政大他講師
-松島泰勝-龍谷大教員
-村井吉敬-早稲田大教員
-役重善洋-パレスチナの平和を考える会メンバー
★お問い合わせ sales@shinhyoron.co.jp
★カバー写真(表):アッサム(インド)の先住民族(ボド民族)の親子/ナガランド(インド・ビルマ国境)の女性たち。村への歓迎の歌を歌うため集まった/沖縄を象徴する熱帯植物ハイビスカス/アフガニスタン・ナンガルハル県の子どもたち(提供:JVC)/チャモロネーション(グアム)の自決を訴えるバナー(提供:山口響)
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「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「ポスト「3・11」の世界と平和構築」(6/19)
「保護する責任」関連
⇒「「保護する責任」にNO!という責任--人道的介入と「人道的帝国主義」」(2010, 10/28)
⇒「人道的帝国主義とは何か---「保護する責任」と二一世紀の新世界秩序」(2/11)
⇒「「保護する責任」を推進するNGOの何が問題なのか?」(3/4)
⇒「ヒューマンライツ・ウォッチ(HRW)とオクスファム(Oxfam)が理解できていないこと」(2/24)