2010年10月31日日曜日

日米安保と琉球の自治

日米安保と琉球の自治

 「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」を主宰する松島泰勝(まつしま・やすかつ)さんが、ブログで拙著を紹介してくださった。
 松島さんには、私が編集に携わった『グローバル時代の先住民族--「先住民族の10年」とは何だったか」(2004、法律文化社)に「太平洋諸島・先住民族の自決・自治・自律の試み」という論文を寄せていただいたことがある。そして現在構想中の本にも、エッセイを寄せていただく計画がある。

 今回の『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の中でも、もちろん沖縄のことは触れている。しかし、独立した章や節で取り上げることはできなかった。それは松島さんをはじめとして、沖縄・琉球問題については実の多くの人々が論じており、私などが改めて論じることはない、という思いがあったからだが、普天間問題をはじめ、日米安保に関するこの一年の本土、「ヤマト」のメディアの扱い方をみるにつけ、いくつかの点をはっきりさせておく必要がある、と思わざるをえなくなる。
 しかしその前に、まずは「ゆいまーる琉球の自治」にしっかり目を通しておくことにしよう。

〈で、私たちは、永遠の安保と米軍基地をどうするのか?〉
 民主、国民新、社民三党は、14日(2010年12月)、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に関する予算計上や、法人税減税で折り合わず、合意取りまとめを断念した、という。
 これに先立ち、仙谷由人官房長官が、13日、移設を「日米同盟の深化と日韓連携の強化という観点から、誠に申し訳ないが甘受していただくというか、お願いしたい」と述べ、これに対し、仲井真沖縄県知事から「他人に言われる筋合いはない」と反発されるや発言を「撤回」した。仙谷は、「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない。沖縄の皆さんに(基地受け入れを)お願いしなければならないという趣旨で述べた」と釈明したという(東京新聞)。仙谷は発言を何も「撤回」など、していない。

 その一方で、菅政権は、14日、来年度以降の在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)の総額について、今後五年間にわたり現行水準を維持することで、米国側と正式に合意したという。その理由を、同じく東京新聞の記者は、「朝鮮半島情勢の緊迫化の中、米軍普天間飛行場問題をめぐり傷ついた日米同盟関係を修復するためには米側に配慮せざるを得ないとの判断があった」と解説している。

 「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」・・・。 『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の中にも登場してもらった仙谷由人、われらが内閣官房長官は、米国政府・在日米軍のスポースクマンなのだろうか?
 沖縄に、全国各地に「戦後」65年にもわたり、外国の軍隊たる米軍が駐留している。65年。日本が「主権」を回復し、「独立」し、沖縄を切り捨てた「サンフランシスコ条約」の締結から来年60年周年を迎えるが、この国の政府は「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」とずっと繰り返し、米軍の無期限駐留を容認し続けてきたのである。
 これまで日本政府は、米軍をいつか「全面的に撤退」させる交渉を米国政府としたことが一度でもあっただろうか? ない。そして今後もその意思などないのに、仙谷は「直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」と言う。 

 「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」。で、民主党は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?
 一方、無方針の民主党に対し、社民党は普天間基地の辺野古への移設に関する予算計上阻止に「全力を尽くす」と言ってきた。しかし社民党は、これでその展望を喪失することになった。で、社民党は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?

 「沖縄の人々に土下座をしても、米軍再編の理解を請え」と菅民主党にプレシャをかけ続けてきた自民と公明、「安保廃棄」「基地撤去」を唱え続けてきた共産党、「民・自大連立」を「政権末期現象」と揶揄することしかできない「みんなの党」は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?
 北朝鮮と中国、ロシアの「脅威」、「日本をとりまく安全保障環境の不安定」をキャンペーンしてきたマスメディアは、安保条約と米軍基地の無期限状態、戦後65年以上にも及ぶ沖縄への基地の押し付け、沖縄の切捨てをどうするのか? 具体的提案、論評として何を主張するのか? 「朝鮮半島情勢の緊迫化の中、米軍普天間飛行場問題をめぐり傷ついた日米同盟関係を修復するためには米側に配慮せざるを得ない」などとくり返す以上に? 

 で、私たちは、永遠の安保と米軍基地の無期限状態をどうするのか?
 「ヤマト問題」としての「琉球問題」をどうするのか?

〈民主党政権による新たな「琉球処分」を許さないために---あるいは、〈歴史〉を消去されないために〉
 1990年代の最後の数年間、つまり第二期クリントン(民主党)政権の途中から、ブッシュとゴアの大統領選の予備選が本格化しようとしていた頃まで、理由があって私はワシントンD.C.南の「黒人居留区」に引きこもっていたことがある。 その時に知った、二人とも外科医、女性の方は脳外科医のあるカップルの話である。
 二人は、「売れっ子」の超多忙な医者である。
 私がびっくり仰天したのは、その二人が当時の米大統領、自分の国の大統領、クリントンの名前を知らなかった/言えなかったことである。当然、「コソボ紛争」に対する米国の介入、NATOの空爆のことも知らない。自分の国が戦争状態にあること、いや世界で何が問題になっているのかはもとより、共和党と民主党との間で何が次の大統領選に向けた攻防のアジェンダとなり、米国社会の主なイシューとなっているのかなど、何も知らなかったのである。

 さらに彼と彼女は、選挙登録はしていても30代の頃から大統領選や中間選挙はもちろん、およそ選挙に行って投票したことがない。こうしたことを、二人は笑いながら話していた。「こういう人たちがいるんだ!」と、呆れるというより私は深く感嘆し、二人の超過労状況を逆に気の毒に思ったことを覚えている。
 専門の仕事や研究に忙殺され、労働以外の自分の「余暇」もその専門に関わることに追われ、しかも日常生活で会話をする相手も同じ専門同士の、同じような労働・生活環境に置かれた者たちであるなら、程度の差こそあれ、私たちも実はこの二人と同じような存在であることは、自覚しておく必要がある。

 自分の国の大統領の名前を知らない超多忙の米国人外科医の話をしたのは、それを思い出させた人(たち)と、一昨日、私が忘年会をしたからだ。
 その人は、首都圏のとある大学の薬学部を卒業し、とある企業で働く「アラフォー」の人である。
 もちろん、その人は、今現在の日本の内閣総理大臣が誰であるかは知っている。しかし、その人は「サンフランシスコ平和条約」が何年に締結されたか、今の安保条約が「改定」される前に「旧い安保条約」があり、それが「平和条約」と一緒に結ばれたこと、また日本が国連にいつ加盟したのか、さらに昔、中華民国(台湾)が安保理常任理事国であったこと、それがいつ中華人民共和国(中国)に代わったのか、自分が生まれた頃に「日中国交回復」がなされたこと、等々等々を知らなかったのである。

 つまり、「戦後」日本(「戦前」は言わずもがな)の「正史」、自分が生まれた時の時代状況、自分が生きてきた歴史について、知らないことがあまりに多いのだ。まして、現行の安保条約が、日本政府にその意思さえあれば、いつでも米国に対し、一方的に「終了」通告ができる国際条約であることなど、知るよしもない。岸内閣や佐藤内閣の時代に、いったいどんな「核密約」「沖縄密約」が交わされていたかなど、自分が生き、働くにあたって、関心の領域外である。「そんなこと」より、自分には知っておかねばならないこと、フォロー・アップしておかねばならない、山のような専門領域の知識・情報がゴマンとあるからだ。自分の「精神衛生」を保つための「趣味」の時間も取っておかねばならない。とてもこうした事柄をフォローする、そのためにその筋の「専門」の本を読む時間なんて実際問題としてない、ということだろう。

 私は、先日更新した「最近、考えさせられたこと」の中で、「知識障害者」という表現をした。私たちは、ある分野の知識はものすごくあるが、別の分野のことは何も知らない/知ろうとしない/知らなくて何の不自由もないし、そのことを何とも思わない人間として私たちが在ること、これがどの専門分野であれ避けられないような働くマシーンになっていることを自覚する必要がある。脳から〈歴史〉や何かを消去された働くマシーン、「ヒューマノイド」のような存在に。
 脳から〈歴史〉が消去されると、私たちは自分が何者であるかを同定できず、他者に対するエンパシーという、人間が人間であるために最も重要と思える能力が欠如した「人間もどき」の存在になる。私自身、そのことを『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の構想、下調べ、執筆過程において痛感させられた。
 私は、「戦後」日本(「戦前」は言わずもがな)の「正史」、自分が生まれた時の時代状況、自分が生きてきた歴史について知らないことがあまりに多い。つくづくそのことを思い知らされたのである。

 問題は、「義務教育」以降の今の教育制度のサバイバーとして、私たちが「知識障害者」であることの自覚症状がどの程度あるか、そして「いったい誰が、私たちの脳から〈歴史〉を消去しているのか?」というところにある。

〈「戦後」の「琉球処分」と「普天間問題」〉
 「日中国交回復」が自分が生まれた頃になされたことを知らなかったその人は、「沖縄返還」のことは知っていた。しかし、「沖縄返還」の「正史」には「外史」があり、その「外史」には日本への「復帰」に反対し、「琉球独立」を主張していた人々の存在が含まれることは知らなかった。
 しかしこれは、何もその人に限ったことではない。むしろ問題は、「復帰」後の38年間を通じ、さらには民主連立政権への政権交代を通じ、「日本=ヤマトへの「復帰」は、本当に正しい選択だったのだろうか?」と公言するようになった人々、公言はしないがそう考えるようになった人々が増えていることを、私たちの多くが知らない/知ろうとしないところにあるように思う。そして私たちは、その事実や「沖縄密約」の史実を知りながら、しかし38年前に遡って「どうすべきだったのか/これからどうすべきなのか」を考え、それを視聴者や読者に問題提起しようとしない巨大メディアの沖縄「報道」もまた、私たちから〈歴史〉を消去するエージェントとなっていることを知っておくべきだと思うのである。

 今日、県知事と会談し、「移設」への「理解」を要請した菅首相、民主党、日本政府に対する沖縄の多くの人々の怒り、怒りを通り越した白けきった反応を理解するためには、前々世紀に遡る「琉球処分」以後の琉球の歴史、せめてその大まかな流れくらいは押さえておかねばならないだろう。「普天間」がどうしたこうした、そういう問題だけで済まされることではないからだ。

 このような「琉球の今」を知る手がかりとして、読者に「薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会」のサイトに掲載されている記事や文章を、まず読んでみることを推奨したい。
 もちろん、基地問題をはじめ沖縄/琉球に関する専門・参考文献は限りない。しかし、この「問う会」の「呼びかけ人」に名を連ねている人々(そこには拙著をブログで紹介していただいた松島泰勝さんもいる)を見れば、いかに広範な人々がヤマトによる「琉球支配」の歴史を、いま問うているか、そしてそれが政権交代後のこの一年余りを経て、沖縄の若い世代、一般の人々の間にも広がってきていることは、容易に想像できることだと思う。

 「問う会」の運動を報じたメディア、また報じなかったメディアが、「普天間問題」の今後を行方をどのように「報道」し、どのような内容を発信してゆくか。そのことをも含めて私たちは注目し、金をばら撒くことしか知らない菅政権の「琉球政策」「基地対策」が、二一世紀の第一次「琉球処分」としてあることを見抜いておかねばならないと思う。
 消去して/されてしまった〈歴史〉を、自分の脳に埋め込む作業を怠らないなら、決して困難なことではないはずである。

2011/4/12
深夜・早朝騒音5.7倍 普天間合意きょう15年
 米軍普天間飛行場の全面返還に日米両政府が合意してから12日で15年を迎えた。当初は7年以内の返還を目指したが、県内移設条件が付く日米と沖縄間の協議は曲折を重ねた。県内移設を拒む沖縄の民意が高まり、実現のめどは立っていない。騒音などの被害は深刻化。宜野湾市によると、午後10時から翌午前7時までの深夜・早朝の騒音発生回数は、上大謝名で1997年度の177回と比べ、2010年度(2月現在速報値)は1001回と5・7倍に。97年度から増加し02年度は約6倍の1047回。減少傾向にあったが10年度に再び増えた。