2008年11月25日火曜日

アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章

アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章(1)

 イラクの次はアフガニスタンだ。
 「復興支援」や「平和構築」に名をかりた自衛隊のアフガニスタンにおける地上での作戦展開の開始が日程にのぼりつつある。

 米国が共和党ブッシュ政権から民主党オバマ政権に変わろうとも、イラクからアフガニスタンへと対テロ戦争の主戦場をシフトすることに変わりはない。今日(11/26/2008)のニュースで、オバマはゲーツ国防長官の、少なくとも一年間の留任を決定したときいた。アフガニスタンの「復興」プロセスにおける米軍の大量部隊の投入、全面的軍事介入の開始は、党派を超えた米国の「国益」をかけた国家戦略として位置づけられているということだろう。

 今まで以上の戦争分担金の負担、そして自衛隊の「貢献」をめぐる米国からの対日要求が高まることは必至である。自衛隊の海外派兵「恒久法(一般法)」制定の論議を再燃させながら、早ければ2009年中にも、イラクの時と同じように、時限立法の制定を含めた派兵に向けた具体的な動きがでてくるだろう。

 日本の政治的文脈の中でアフガニスタンのことを語ろうとすると、
①、日本の「開発途上」国に対する政府としての、あるいはNGOや「市民社会」としての「国際協力」の在り方の問題(ODAの使途の問題を含む)、
②、①における自衛隊が果たす役割、
③、②との関係における憲法(九条)問題、が中心になりがちである。

 けれども、ぼくらは政治家でも官僚でも自衛隊員でもないし、政府(税金)から金をもらってアフガニスタンで活動したり、アフガニスタンのことを「研究」している団体・個人でもない。また、これからもらおうとも思っていない。そういう「アフガニスタン問題」に対する利害のない人間(団体)として、アフガニスタンの「いま」と「これから」を考えるときに大切なことは何だろう?

 やはりそれは、「九・一一」以降、アフガニスタンで展開されてきた「対テロ戦争」の被害者の人々の目線で、外国軍、外国政府や国際機関、あるいはこれらと一緒にやってくる国際NGOなどを「観る」ことを忘れないようにする、ということだとぼくは考えている。もちろん、ぼくらはアフガニスタン人ではない。日々消費する情報以上にアフガニスタンの日常をぼくらは知らない。だから、彼/彼女たちと同じ目線に立つことはできない。

 しかし、ぼくらは国の歴史として、外国軍に占領された経験と、その占領が人々の日常や自国の政治・経済・社会・文化に何をもたらしたのかを克明に検証した、数えきれないテキストを持っている。どれでもいい、まずそれらのひとつを手にとって読んでみよう。そうすれば、当時の日本人(「右翼」であれ「左翼」であれ、「保守」であれ「リベラル」であれ)が外国勢力による占領や間接統治をどのように捉えていたか、その一端を理解することができる。あるいは、すでに公表されているイラクやアフガニスタンなどでの対テロ戦争の現地ルポルタージュでもよい。それで、想像力をたくましくし、まず自らをその場に置いてみる擬似体験を試みるべきだと思う。

 ぼくはこのことを、とりわけ「日米同盟」の強化や、日本の「国際平和協力」論の観点から、米軍やNATO傘下の国々の軍隊を中心にして組織されている「国際治安維持軍」(ISAF)の「地域復興チーム」(PRT)への自衛隊の参画を主張する、たとえば、民主党やその他の人々に対して提案したい。いずれにしても、事実上の内戦と「復興支援」という名の下で外国軍・国際機関の間接統治的状況が継続するアフガニスタンのことを語る時には、少なくともそうした状況に自分が置かれた時に、「自分ならどのように行動するか/しないか」、そのことを考えた上で語るのが原則ではないか、とぼくは考えている。

 ところが、いまの日本ではその「原則」が通らない。日本の「国益」や「安全保障」政策との関係でアフガニスタンへの関与を語ることが一般的だ。議会政党、マスコミ、「平和のリアリズム」的なことを論じる大学研究者の論考にしても。そこでは、総論・各論の中で、どういう「任務」を自衛隊に負わせるのであれ、自衛隊の陸上での作戦展開の実現を自己目的化したような主張がまかり通っている。対テロ戦争の現実を主体的に分析することを放棄した思考、「大国主義」で「自国中心主義的」としか言いようがないような論理・論法でアフガニスタンへの「介入」のあり方を云々する言説が支配的になっているといわなければならない。つまりは、自分たちが設定した「アジェンダ」を世に流通させるために、アフガニスタンの「状況」が政治利用されているのである。ぼくが〈問題〉にしたいことは「国際平和協力」や「平和構築」が語られる時の、そうした日本の「言論」状況についてである。

 アフガニスタンのことについては、実は一年前に小さな集まりをもって話し合ったことがある。ぼくはその集まりに、伊勢崎賢治という人のとなりに座り、「コメンテータ」として参加した。「アフガニスタン問題」には、いろんな問題がからみ合っていて、とてもぼくの力では解きほぐすことはできないが、話のとっかかりとして、その集まりでぼくが話したことを紹介しておきたい。以下が、当日ぼくが出したレジュメである。

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〈NGOと社会〉第二回シンポジウム
「人道支援の今とNGOのこれから」(12/09/2007)
(←詳細はタイトルをクリック)

Ⅰ アフガニスタンの国内情勢をめぐって

A)「復興支援」から内戦的状況へ
・ タリバーンの政治的復活とタリバーン支配地域の拡大(2006年)
・ 領土の半分以上が「危険地域」へ(2007年12月)⇒英文資料参照
・ プロジェクトの継続困難→国際NGOの撤退・避難

B)タリバーン・アルカーイダ再生の原因
・国家再建に向けた社会的プロジェクトよりも、対テロ戦争の軍事的勝利が「復興支援」の戦略目標になってきた点→ODA支援を数十倍上回る軍事支援(英文資料参照)
・カルザイ政権の統治における正統性の喪失(国民的支持基盤の弱体化、構造的政治腐敗)
・「外国人の侵略軍と戦うタリバーン」への民衆レベルの支持拡大

C)内戦状況から「和平合意」に向けた政治プロセスの開始をめぐって
・現行の対テロ戦争の継続からは「最悪のシナリオ」(民間人の戦争犠牲者の拡大、国内外避難民・難民の増大など)しか想定できない
・アフガニスタン国内外のNGOとして、停戦交渉の開始から和平合意の締結までを射程に入れた、具体的な「政策提言」を国際的・各国的に提起する必要があるのではないか? 
・国内での公式の停戦交渉の開始→それと連動した国連の「アフガニスタン停戦決議」→和平合意締結・国家再建大綱の再度の取りまとめ→現有志連合軍・ISAFの撤退・改組に伴う国連停戦監視団の結成→本来の〈復興支援〉活動の開始

・以上の観点から連合軍、ISAFの作戦展開、また日本政府の「対アフガニスタン政策」(if any)を検証し、政策提言(批判)するスタンスをNGOはどこまで取れるか

Ⅱ ポスト9.11における日本の政治状況の変化とNGOの「軍民協力」への参加をめぐって

A)「平和構築」をめぐる日本の政治状況の変化
・防衛庁の省への「昇格」に伴い、「国際平和協力活動」が自衛隊の「本来任務」に
・国家安全保障の一環としての「安定化 stabilization」戦略に組み込まれた、軍を主体にした「平和構築」「紛争予防」「人間の安全保障」戦略の登場→日本の現段階は、これに向けた過渡期
・「国際貢献」の名による自衛隊派兵「恒久法」制定論の浮上⇒新聞記事参照

B)「軍民協力」とNGO
・「軍民協力」へのNGOの参加(不参加)の基準・条件は何か→原理的問題として
・自衛隊の「平和協力活動」へのNGOの参加(不参加)の条件は何か→日本的状況に照らして
・自衛隊以外の海外の軍隊(米軍やISAF指揮下の「地域復興チーム(PRT)」など)に日本のNGOが参加する基準・条件とは何か→個別的な事例に即して
・日本の国際NGOは今後の「恒久法」制定の動きに対してどのような立場を取るか→「恒久法」と「NGOの政治的中立性」
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⇒この集りの報告は、〈NGOと社会〉第3号の4頁に掲載されている報告記事を参照してほしい。

(「テロルな平和~アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章(2)」に続く)