2009年3月16日月曜日

「海賊対策」における憲法解釈の権力学---海外派兵と海外派遣、武力行使と武器使用をめぐって(1)

「海賊対策」における憲法解釈の権力学---海外派兵と海外派遣、武力行使と武器使用をめぐって

 三月十四日、海上自衛隊が「海賊対策」と称して、新たに制定された法律ではなく、自衛隊法82条を根拠に日本の領域外に「派遣」された。
 日経新聞の記事によると、麻生首相は訓示の中で、「(海賊は人類共通の敵。貿易に依存する日本にとって国家存立の生命線を脅かすものだ」と「海賊対策」の意義を強調したという。

 これに先立つ三月十二日。政府はソマリア周辺国が実施する「海賊対策」を政府開発援助(ODA)で支援する方針を決めている。この決定に伴い、四月以降、国際協力機構(JICA)がイエメンに調査団を派遣するという。ODAによる周辺諸国に対する「海賊対策」の「能力向上」に向けた取り組みはすでに始まっているが、日本の「安全保障」政策と一体化した、いわゆる「ODAの戦略的活用」論のさらなる具体化である。

 自衛隊法の拡大解釈による自衛隊の海外「派遣」という意味では、ちょうど十八年前にも同じようなことがあった。湾岸戦争(一九九一年)直後の海上自衛隊の掃海艇のペルシャ湾への「派遣」である。その時は、海上自衛隊の「機雷等の除去」の任務を規定した自衛隊法九九条を適用しての「派遣」だった。
 当時のことを振り返るために、『永遠の安保、テロルな平和」の「Ⅲ 鎖を解かれた安保体制---「軍事同盟」への軌跡」の「1湾岸戦争と自衛隊の海外「派遣」」から引用しておこう。

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 「憲法も自衛隊法も改定せず、時限立法も制定せずにペルシャ湾への自衛隊派兵をどうやって正当化したのか。最初に、掃海艇が日本の領海のみならず「公海」で機雷除去できるという新解釈を出す。次に、「公海」概念から地理的制限を解除する。これで完了である。安保であればその対象領域は「日本区域」や「極東」という制限があるが、その縛りを解くのである。

 「自衛隊法九九条に基づく海上自衛隊の機雷等の除去の権限につきましては公海にも及び得るが、具体的にどの範囲にまで及ぶかについては、そのときどきの状況等を勘案して判断されるべきであり、一概には言えない」(九一年三月一五日衆議院外務委員会における政府答弁)。

 自衛隊はペルシャ湾であろうがどこであろうが、「そのときどきの状況等を勘案」すれば地球の裏側にまで「派遣」できるという画期的な新解釈が飛び出した。日本は、一九九一年段階において、自衛隊法の新たな「解釈」と内閣(外務・防衛官僚)の意志次第でそれができる国になっていたのである。

 ただし、法の解釈を変えるだけでは政治的には不十分である。日本の戦争「協力」に対する「国民の理解」を得るために「本土防衛」を超えた自衛隊の海外派兵を正当化する「大義」がなければならない。そこで出された論理が、「カネとモノだけでなくヒト=自衛隊を出すことがポスト冷戦時代の日本の国際的責任」という国際平和貢献論だったのである」(引用終わり)
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 十八年前は「国際平和貢献」論で、今回は「人類共通の敵」たる「海賊対処」論。
 思い起こすに、当時はまだ「五五年体制」の崩壊以前の時代だった。いかにも、時代は大きく変わってしまったようだ。その証拠に、掃海艇の「派遣」に「断固反対」を唱えていた「平和の公明党」は、政府与党となり自民党と一緒に「海賊新法」を国会で通す側に回るようになった。公明党は湾岸戦争以降、「そのときどきの状況等を勘案」し、こんなにも変わってしまった、ということだろうか。

 マスコミの対応の変化にも、時代の変化を痛感させられる。
 朝日新聞から「海賊新法」に反対する主張は何も聴こえてこないし、毎日新聞は今更ながらに、「自衛隊の海外活動全体になし崩し的に武器使用基準が緩和される事態は避けなければならない。そのための歯止めが必要である」などという社説でお茶を濁している。湾岸戦争以降、いや憲法九条が死文化した半世紀以上も前から「歯止め」など何もなかったし、かけられようもなかったにもかかわらずに、である。

 朝日新聞や毎日新聞は、過去の歴史と現在生起している事態を故意にみようとせず、「海賊対策」=「国益」論に押され、批判されること(=購読者の減少)を恐れて自らの主張を自主規制しているとしか思えない。
 なぜなら、これまで何度も繰りかえされてきた解釈改憲の手法を分析するなら、「海賊新法」が「武器使用の国際標準」に基づく自衛隊の海外派兵に向けた地ならしであること、つまりは「自衛隊の海外活動全体になし崩し的に武器使用基準を緩和」することを目的としたものであることは明らかだからである。

 次に待ち受けているのは、「復興支援」に名を借りた自衛隊のアフガニスタン「派遣」、また「平和維持」「人道的危機」を根拠とするスーダン、あるいはもしかしたらソマリアにおける国連PKOへの部隊としての派兵である。こんなことは、朝日新聞や毎日新聞の編集委員がもっともよく知るところだろう。
 日本の新聞ジャーナリズムは、「海賊対策」を突破口に常態化するであろう今後の自衛隊の海外派兵に対し、どのような立場で何を主張するかが、いま、問われているのである。

 「海賊新法」の分析に関しては、新聞ジャーナリズムとは違う意味ではあるが、日本共産党や社会民主党の主張も問題なしとしない。これから始まるであろう国会審議を見る目を養うためにも、次にそのことを検討しておきたいと思う。

1 「護憲主義」ではたたかえない---「海賊新法」の何に反対するか

 明文改憲がされておらず、政府解釈によって憲法九条の規範原理が限りなく相対化され、憲法九条が死文化している状況においては、法律を通すことによって政策の合法性と合憲性を担保しようとしても、政府のやることはそのすべてが憲法違反になる。しかしもちろん、このような主張を政府は受け入れない。憲法九条は改定されておらず、「憲法九条を守りながらやっている」と政府はいえるからだ。

 過去の「イラク特措法」や「対テロ特措法」の時と同じように、「海賊新法」に関する今後の国会論議においても、「憲法違反だ、いやそうではない」といった形式的(アリバイ的)な「論戦」がくり広げられ、「海賊新法」は遅くても四月中には国会を通過し、施行されることになるかもしれない。

 三月十六日現在、民主党が「小沢問題」で打撃を受け、「海賊新法」に対する党内の足並みが揃っておらず、しかも社民党や国民新党との議会内共闘にも暗雲が垂れ込めている状況においては、何か余程のことが無い限り、「海賊新法」が廃案に追い込まれることを想定するのは、とても困難である。蓋を開けてみると、日本共産党と社民党のみが儀礼的な反対票を投じ、それですべてが終わってしまう可能性も十分にありうるだろう。

 それでもぼくらは、憲法論と政策論、その両方の意味において「海賊新法」に反対する。
 ①憲法論的にいえば、ぼくらは「海賊新法」が憲法九条に「違反」しているから反対するのではない。「武力行使」や「武器使用」をめぐる解釈において、自衛隊の海外活動に関する現行の法体系は、とっくの昔に憲法違反になっている。

 ぼくらが反対するのは、自衛隊の外国軍に対する「後方支援」を超えた「前方展開」、つまりは多国籍軍への「協力」を超えた「参加」や外国軍の武力行使との一体化など、これまでの政府解釈によれば「改憲抜きにはできない」とされてきたことを麻生-自公連立政権が、、「海賊対策」という名の下に主権者にその信を問うことなく、権力を濫用し、勝手な解釈によってやろうとしているからである。
 自公連立政権・外務-防衛官僚機構による主権者の選択権を奪った、主権者蔑視の政治手法に反対しているのである。一言でいえば、やり方が汚いのだ。

 ②政策論的にいえば、ソマリア沖への自衛隊派兵は財政的には無駄の極み、非効率・非合理であり、外交・安全保障政策的には「ソマリア問題」の解決には何もつながらないばかりか、それに逆行する政治環境を、米国を中心とする国連安保理常任理事国と一緒になってつくろうとするものであることが指摘できる。

 日本政府はいうにおよばず、日本のマスメディアも、一月から二月にかけて、ソマリア国内では暫定政府とイスラム武装勢力との間で和平合意を結び、連邦統一政府ができるかできないかといった、きわめて重要かつ予断を許さない局面を迎えようとしていることを、何も報道しようとしない。「ソマリアは破綻国家」「無政府状態」という表現が、具体的な分析なしにくり返されるのみである。

 「海賊対策は絶対に必要」という共通認識の下で、「海賊新法」をめぐる議論は、自衛隊の果たす役割と憲法論議の中にのみ閉じ込めてきたのである。その意味では、ソマリアの事で自衛隊を「派遣」しようとしているのに、当のソマリアで具体的に何が起こっているかをまったく見ようとしない、ソマリアの人々から見れば、自国の都合しか考えない、きわめて手前勝手な「議論」をくり返してきたというしかない。

 はっきりしていることは、日本や米国などソマリア沖に艦隊を派遣した十カ国以上の国々で使われる軍事費の総額を充当するだけで、食糧危機・洪水・難民など、ソマリアの「人道的危機」を解決する費用は十分にまかなえる、ということだ。中央集権的ではない地方的自治を認めた連邦的なソマリアの統一政府が、イスラム武装勢力との和平を通して実現されるなら、そもそもソマリアの人々にとっては自国の国家主権を侵犯して行われている米国を中心とする有志連合艦隊の「海賊対処」を口実にした派遣など、ありえないことなのである。
 日本は、そしてぼくらはソマリアの和平のために何をすべきか、何ができるか。これこそがもっと議論されるべきテーマなのである。

 以上のことを押さえた上で、次に「海賊新法」がはらむ、憲法論と政策論両方にわたる問題点を具体的にみてみよう。
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