2010年11月16日火曜日

国家(戦略)とNGOの「利益相反」--JPFという「プラットフォーム」がいったん解体されねばならない理由

国家(戦略)とNGOの「利益相反」--JPFという「プラットフォーム」がいったん解体されねばならない理由

⇒「大学とNGOの「社会ダーウィニズム」について」より

「オール・ジャパン」という虚構の言説

 「9.11」(2001年)後の米国の「自衛権」の発動と、NATOの「集団的自衛権」の発動によるアフガニスタン空爆に始まる対テロ戦争勃発とタリバーン政権の転覆に伴って、その後の対テロ戦争の遂行と平行した日本の「人道復興支援」のために「ジャパン・プラットフォーム(JPF)」が結成された。 コソボにおいて1999年4月に始まったNATOの空爆をきっかけにその設立が構想されたJPFは、アフガニスタンにおける対テロ戦争の開始によって誕生したのである。

 JPFとは何か? JPFによれば、それは、
①「NGO、経済界、政府(注・外務省のこと)が対等なパートナーシップの下、三者一体となり、それぞれの特性・資源を生かし協力・連携して、難民発生時・自然災害時の緊急援助をより効率的かつ迅速におこなうためのシステム」であり、
②「メディア、民間財団、学識経験者らの参加・協力も呼びかけ、関係アクターが一体となり国際緊急援助に取り組むシステム」であり、
③「21世紀にむけて日本の「シビル・ソサエティ(市民社会)」の発展を促進する具体的な試み」であるという。
 実際、「経済界も日本経団連1%クラブが中心となり、「ジャパン・プラットフォーム」を支援することを表明」した。この「プラットフォーム」はこのような人々によって運営され、このようなNGOが参加している。

 上のことから確認できるのは、第一にJPFとは、「産官学連携」と同じく、日本の国家(外交)戦略を担い、「国益」を体現する「NGO」(「市民社会」)を育成するために、官(=外務省)主導でその「プラットフォーム」が形成されたことである。そして第二に、これも「産官学連携」と同様に、その資金フローの「恩恵」を受けるのは、日本のNGOの中のごくごく一部、極めて少数の政官財によって承認されたNGOに過ぎないことである。

 JPFの「NGOユニット」を一瞥してわかるのは、JPFが欧米に拠点を持つ巨大な国際開発・人道・チャリティNGOの日本支部によって、その3分の1以上(半数近く)が占められていることだ。巨大な国際NGOの日本支部以外にも、「これってNGO?」と思うような「NGO」もいくつか見当たるが、これら国際NGOの日本支部の代表たちは、JPFを通じて得た資金を含めた日本国内の収益によって、日本の平均的NGOスタッフの年収の三倍以上の1200万円前後の年収を得ている(また、国際NGO内部のフタッフ間の年収格差の問題もある)。
 もっと言えば--あまり一般には知られていないが--日本の血税と寄付がJPFを通じて「10万ドル、20万ドルは当たり前!」の国際NGOの本部スタッフの給与の一部にも「活用」されるという「資金フロー」がそこにはある。(一般に「チャリティ系」の「国際NGO」の場合、寄付総額の一割(以上)が「日本支部」の人件・維持費に消え、さらに一割(以上)が本部に「上納」される「システム」になっている。「一割」ですめば、まだ「良心的」な方だろうか。)

 JPFは、「外務省ODA資金による基金の設置や、民間寄付の募集を通じて、財政的な基盤の弱い日本のNGOを資金的にサポートすることも目指しています」などと、まるで日本のNGOの救世主のようなカッコ良いことを、その「設立の背景」の中で述べている。しかし、設立後10年近くも経つというのに、実際にはそのような役割と機能をJPFは果していない。
 
 例えば、日本には1987年に結成された国際協力分野で活動するNGO主体のネットワーク組織である「国際協力NGOセンター(JANIC)」がある。しかし、ピースウィンズを始めとするJPF構成団体も加盟しているこのJANICに集まる寄付総額は、「ハイチ復興緊急支援」において日本赤十字とほぼ同額の資金を集めた、すなわち、それだけ「資本フロー」があったJPFと比して雲泥の差がある。さらにJANIC自体が組織財政上、非常に厳しい状況に直面しているといった現実がある。

 こうした日本的には規模の大きいNGOとそれ以外の「中小」のNGO間の「格差」はなぜ起こるのか。JANIC事務局長によれば、その背景には、
①「従来、政府や行政など「官」が税金を徴収し、その税を使って教育や福祉、ODAによる海外協力などを実施してき」たこと、
②「NPO法人は全国で40,947法人ありますが(2010年9月30日現在)、そのうち税額控除を受けられる認定NPO法人はわずか186法人(2010年11月1日現在、同)しか」ない、という現実がある。
 つまり、JPFは①の構造に乗っかりながら、そのすべてが②の「税額控除を受けられる認定NPO法人」であるという、官と財の「認定」を受け、しかもその官財の国家・国際戦略を支持するベンチャー企業その他の中小企業からの寄付=「資金フロー」が形成されるという仕組みによって成立する「プラットフォーム」なのである。この「仕組み」を自明の理とし、NGOの「適者生存」を主張する人間のエリート主義とその差別主義の問題性は、もはや説明を要しないだろう。

 「緊急・人道」プロジェクトに特化する国際NGOの「資金フロー」の問題、また国家(行政機構)による「NGOの認証」制度の問題性については、機会を改めて考えることにしたい。しかしJPFの問題点は、それらのみにあるのではない。問題は、「資金フロー」に強く規定される形で、この10年近く、JPFを構成するNGOが「人道復興支援」の名の下に米軍・NATO軍による対テロ戦争を「民」のレベルから「協力」=後方支援してきたJPFとしての活動を、NGOとして内部から変えてゆく力を発揮しなかった/できなかったばかりでなく、今後さらにその傾向を強めようとしていることにある。

 例えば、ここに東京財団が、新米国安全保障センター(米国の軍産学複合体のシンクタンク。プロジェクト・メンバーに米軍の司令官が入っていることに注意)と行った「日米同盟の在り方に関する共同研究プロジェクト」の「報告書」、「「従来の約束」の刷新と「新しいフロンティア」の開拓:日米同盟と「自由で開かれた国際秩序」」がある(2010年10月27日)。
 この「プロジェクト」は、プロジェクト・リーダーを船橋洋一(朝日新聞主筆)が務め、メンバーには、
添谷芳秀(慶応義塾大学教授、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」メンバー)、
秋山信将(一橋大学大学院法学研究科および国際・公共政策大学院准教授)、
神保謙(慶応義塾大学総合政策学部准教授)、
中山俊宏(青山学院大学国際政治経済学部教授)等々の「東京財団学派」を中心とした人文・社会科学系の大学人が参加し、そのブレインとなっている。これに日本における「グローバル・シビリアン・パワー」を「代表」する者として大西健丞(ジャパン・プラットフォーム理事、ピースウィンズ・ジャパンおよびシヴィック・フォース・ジャパン代表理事)その他が参加した。

 「「従来の約束」の刷新と「新しいフロンティア」の開拓:日米同盟と「自由で開かれた国際秩序」」は、菅民主党政権に対し、日本のNGOの育成のめぐって、次のような「提言」を行っている。
 
同盟の「新たなフロンティア」
・・・日米同盟の新たなフロンティアには、日本が「グローバル・シビリアン・パ ワー」としての強みを最大限に発揮しつつ日米同盟を活用すべき諸課題が広が っている。
 まず、人道支援と災害救助である。2004年12月のスマトラ島 沖大地震の際には、米軍と自衛隊による災害および人道的危機への即時対応能力が示された。今後も、日米両国は相互運用性を高め、継続的な共同訓練や交流を進めるべきである。

その際、日米両国は民間セクターとの協力を拡大し、米軍と自衛隊はそれぞれ市民社会との対話を深めるべきである。とりわけ日本は、政府開発援助(ODA)との連携や市民セクターのノウハウを活用する「オール・ジャパン」体制での取り組みを図るべきである。

日米両国は、開発および援助においても世界で重要な役割を担っている。両国は、ODAや貿易・投資を通じて、経済成長だけではなく社会的安定に貢献し、破綻国家が化学・生物兵器や放射性および核物質の拡散や、国際テロ・犯罪組織の温床とならないよう貢献している。日米両国は、そのような協力と役割分担を調整するために、外交、防衛、開発援助の3省庁からなる「2+2+2」の創設を検討すべきである・・・。

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 つまり、この「共同提言」において、これからのJPFは、日米安保軍が「災害および人道的危機」に対する「即時対応能力」と「相互運用性」を高めるのを、「市民社会」レベルでサポートする日本における「グローバル・シビリアン・パワー」として位置付けられているのである。

 日本の「産官学連携」が軍産学複合体に発展することなどありえない、まして人文・社会科学系はいっさい無関係だと考えている人々は、自分のナイーブさ加減を、この日米「軍産学NGO複合体」の「共同提言」を読み、しっかり確認してもらいたい。
 はたして、「日米同盟の新たなフロンティア」の開拓に「貢献」・奉仕するJPFの「NGOユニット」のような「NGO」の集合体を、私たちは〈NGO〉という名称によって定義することができる/すべきなのだろうか?

『国際貢献のウソ』
 
 伊勢崎賢治は、『国際貢献のウソ』(ちくまプリマー新書、2010)の中で「できない」「すべきではない」と断言している。私は、伊勢崎氏とは考え方が異なるところが多々あるが、この点についてはまったく同意見である。その理由を国家戦略(「軍民一体」)とNGOの「利益相反」という観点から考えてみよう。

 三年前になるが、私は〈NGOと社会〉の会が主催した公開シンポジウムで、伊勢崎賢治氏やJPF代表理事と同席したことがある。
 アフガニスタンにおける「軍民一体」(「民軍協力」?)の「人道復興支援」を問うたこのシンポジウムでのJPF代表理事の発言は、非常に歯切れが悪かった。また、もう一人参加した、ある国際NGOの人の発言は、正直言って何を話しているのか、何が言いたいのか、最後までさっぱり要領を得なかった。

 JPF代表理事に関して言えば、どうしたことか、その後発表されたこのテーマをめぐる代表理事の論文を読む限り、未だに「歯切れ」が悪い。また、今春出版された『新しい国際協力論』(明石書店)という、学部教科書用に編集された本に収録された、ピースウィンズの海外事業部長、JPFの「事業統括」の経歴を持つ女性の「緊急人道支援から開発支援へ」という論文も、「イラク復興人道支援」や「アフガン復興人道支援」に対するJPFとしての総括的視点を何も述べていないという点において、強い違和感が残る作文になっている。
 この女性は、「9.11テロ事件以降は、安全保障上の動機が強まり、緊急人道支援の軍事化、政治化の傾向も見られる」と、まるで他人事のように語っている。彼女が論じるべきは、米国、NATO諸国、そして日本政府による「緊急人道支援の軍事化、政治化」に対して、「非政府組織」=NGOとしてどのようなスタンスを取るべきか、その考察にあったのではなかったか。

 「緊急人道支援から開発支援へ」と言うとき、「緊急人道支援」が「軍事化、政治化」しているのであるから、「開発支援」も当然、「軍事化、政治化」することになる。この人は、その現実を直視しようとしない。対テロ戦争の継続がイラク、アフガニスタン、パキスタンなどにおいて、数え切れない一般市民の虐殺と大量の難民を生み出してきた(いる)現実の只中において、JPFの「資金フロー」と「パトロン」の仕組みの中で自分(たち)の活動と生活が成り立っていた(いる)ことに頬かむりを決め込んでしまうのである。

 国際NGOを「キャリア・ディベロプメント」の階梯の中に位置づけ、それを「ステップ」に大学に職場を求めてゆく人々が増えている。そうした人たちの上の世代には、「国際平和協力」の名の下に、米国で開発された「民軍協力」を日本に「応用」し、日本版「民軍協力」(自衛隊への協力)に日本の国際NGOを巻き込もうとする上杉勇司や山田満を始めとした一群の「平和構築」学者の存在がある(「実務派」上がりの伊勢崎賢治も、大きく言えば、そうした一群の大学人の中に入るのだが)。
 産官学連携路線の下で、このような「スクール」を大学(院)に育成し、外務省・防衛省の「平和構築」戦略を担う「人材」養成が文科省の既定の方針としてあり、「国際協力」「開発」「NGO」論などの世界では、この方針に沿った「研究」以外には「助成」が下りず、科研費も取れない「仕組み」ができあがりつつある。この「仕組み」によって「鎖につながれた大学」がつくられ、、「見ざる、聞かざる、言わざる」の研究者が育成されることになる。

 けれども、大学研究において本当に〈研究〉されるべきは、国家と国家連合による武力行使を正面から批判せず、むしろそれらを側面から支援し、一体化するような「平和構築」「開発」「NGO」論がこの10年あまりの間に、なぜかくも急激に大学の現場で台頭してきたのか、その生態進化学ではないだろうか。
 戦争する国家、それを後方支援する国家、国際機関と「協働」し、国、経団連、巨大財団からの「資金フロー」と「パトロン」制度の形成によってプロジェクト展開費とスタッフの相対的高額所得を確保しようとする起業家的「NGO」論が大学研究・教育現場に蔓延したとして、それで日本の「市民社会」の成熟や、国家・官僚機構からの自立/自律にプラスになるようなことがあるとはとても思えない。  

 JPF代表理事やもう一人の国際NGOの人とは対照的に、伊勢崎氏の発言は単純明快だった。そして、今でも明快である。NGOは軍と「一体化」「協働」してはならない/できないと氏は明言したし、今でも明言しているからである(氏の主張に内包する矛盾については別の箇所で検討する)。

 論点を明確にするために、国家とNGOの「利益相反」とは何かを先に定義しておこう。そのためには、「最先端融合科学」領域において産官学連携路線の最先端を突っ走る大阪大学の定義を参照するのが便利である。
 「大阪大学利益相反管理委員会」によれば、「利益相反」の定義とはこうである。
 「産学官連携の推進に伴い生ずる利益相反とは,大学の教職員等や大学自身が外部から得る経済的利益と大学における教育・研究上の責任が衝突する状況のこと」。


 ではなぜ、このような「利益相反」が起こるのか? 阪大は次のように説明する。
 「真理の探究を目的とした研究を行い,高等教育を行う大学と,営利の追求を目的とした活動を行う企業とは,その基本的な性格・役割を異にする」からである。
 大学のことは後に述べるとして、この「利益相反」の概念をNGOに「応用」したらどうなるか?

⇒「惨事と軍隊(Disaster Militarism)」につづく