2011年2月21日月曜日

サハラ砂漠の蜃気楼に浮かぶのは社会主義ではない

サハラ砂漠の蜃気楼に浮かぶのは社会主義ではない


〈ボクらの資本主義〉と〈少しはマトモなデモクラシー〉

 アフリカ、中東の反独裁のたたかいは、どこに向かうのか?

 「ボクら」は非常に困難な時代に生きている。というのは、今の〈体制〉にとって代わるべき〈体制〉のビジョンが思い描けないからだ。「自由経済」に代わる「計画経済」、「民営化」に代わる「国有化」、「私的所有の廃絶」など、「民衆蜂起」によって「権力奪取」をめざす「古い革命」のヴァリエーションでは問題解決に何もつながらない。

 資本主義社会の「自由と民主主義」は権力を独占する「ブルジョアジー」のものであって、これを「真の自由と民主主義」にするためには「プロレタリアート」や「プレカリアート」が「権力」を握る「革命」が必要だ、「権力を打倒せよ!」・・・・。世界的にみれば、こういう言説・イデオロギーが今でも「民衆のパワー」を突き動かす原動力の一つになっている。

 しかし、それは「オルタナティブ」にはなりえない。ボリビアをはじめとするアメリカ大陸の「先住民族・民衆のパワー」が表現してきたのは、そういうことなのだと私は考えてきた。

 今から20年ほど前、冷戦崩壊直後の数年間、米国はテキサスの片田舎に引きこもっていたことがある。
 湾岸危機から湾岸戦争の勃発、ソマリアの「人道危機」と国連と米国の「人道的介入」、ロサンジェルスの「黒人暴動」と日本では報道されたNo Justice, No Peace!ムーブメント、旧ソ連の崩壊・レーニン像の倒壊、「ユーゴ内戦」と「民族浄化」が日本よりもはるかに先駆けて「人権問題」として米国の主要メディアで報道され、メキシコのマヤ先住民族、「サパチスタ」の武装蜂起が起こり、南アの「革命」があった直後までの数年間である。

 いろんなことをハショッテ言えば、当時の「ボク」が体験したのは、1989年の「天安門事件」や「ベルリンの壁の崩壊」など、それまで「ありえない」と思っていたことが次から次に現実に起こり、「時代は変わっている」と強烈に印象付けられたことが、1990年代の最初の数年間を通して、逆の方向へと急激に変化していったことである。
 それは、今後の数年間において、また現実のものになりえるのである。「ほんの少しでもマシ」になるのでなく、「もっとヒドク」なる方向に向かって。

 この20年、いろんなことが言われてきた。「持続可能な開発」「フェアー・トレード」「マイクロ・クレジット」「連帯経済」「地域通貨」「債務削減・帳消し」「人間の安全保障」「国際金融取引・投機市場における規制強化・腐敗防止」、アチラコチラの「非核地帯構想」「独裁政権への武器援助規制」と非合法の「小型武器密輸規制」等々、等々、もう一つ等々・・・。
 毎年のように国連諸機関、G8、WTO、G20、NATO、世界社会フォーラム等々等々の会議があり、抗議行動が展開され、フォーラムが開かれ、「民衆」の共同宣言文が発せられてきた。

 たとえば、上に列挙した「オルタナティブ」のすべては、リベラル資本主義経済システムの下でもいくらでも可能なことだ。「少しはマトモな資本主義」のための政策提言を超えるものでは、まったくない。にもかかわらず、世界の現実はこの20年、「ほんの少しでもマシ」になるのではなく「もっとヒドク」なる方向に向かって進んできた。
 つまり、「可能」なはずの「もう一つの世界」が「不可能」になってきた原因を、体制やシステムを責め続けながらそれらに求め続けていたのでは、これからも何も変わらない、変えようがないということである。それでは永遠に不可能な「もう一つの世界」を叫び続ける、ただのパフォーマーでしかなくなってしまう。

 「世界の何が問題か」を分析することは比較的容易なことだ。それをどう変えるかを「提言」し、その「提言」が実現されなかったなら、「なぜ実現されない/できないのか」、その分析が必要になる。そしてそれに基づき、同じ結果を招かないように次の「提言」をまとめる。デッド・ロックに乗り上げたなら、どこで、何がそうさせたのかを考え、シェアする。その「デッド・ロック」は決して「体制」とか「システム」という抽象的なものではないはずだ。国際法・国内法・協定の文言であったり、そもそも国連・政府・官僚機構・政党に意思がなかったり、もともとの「提言」自体が実現可能性ゼロのものであったり、いろいろである。

 私が1990年代にもっとも「マシ」だと考え、その主張からも学んできたいくつかの国際NGO、今世紀に入って以降の「もう一つの世界」に集う組織や活動家たちに欠落していると思えるのは、多くの場合そういう具体的な分析、自分たちの活動・主張に対する反省、失敗や誤りを認め、明らかにしようとしない体質、一言で言えば自分たち自身の活動自体の「フォローアップ」を積み重ねようとしないあり方、等々である。それはワンパターン化されてゆく「声明」や「提言」にもっともよく示されている。
 
 だから「ボクら」は、冷戦崩壊後「新しい世界」をつくるための「オルタナティブ」としてさまざまプロモートされてきた理論・言説の数々が、「オルタナティブ」にならなかった、「新しい世界」をつくらなかった事実から出発する必要がある。この作業はネオコン・ネオリベ・権力者・独裁者を批判してそれですむようなことではない。それらを批判してきた者たちの理論・言説をも批判的に再検証し、何が誤ってきたのかを問い直す作業につながらなければ、同じことをくり返すだけになるからだ。だから、とても困難な作業にならざるをえないのである。
 とくに、冷戦崩壊後に生まれた人々、そして世界の「新左翼」運動、「アナキズム」運動、「解放闘争」が悲惨な遺産を残していった時代の只中以降に生まれた人々は、このことを真剣に考えてほしい。

 〈ボクらの資本主義〉が少しも〈マトモなデモクラシー〉にならないのはなぜか?
 にもかかわらず/であるからこそ、みんなfreedomやliberty, democracy now!と叫び続けてきたし、今も叫び続けている。そしてこれからも間違いなく、叫び続けることになる。
 いったいなぜ日給1ドル、2ドルで働かされ、生きている「民衆」がdemocracy now!と叫び、銃撃戦を戦ったり、死を賭してデモをしなければならないのか。〈ボクらの資本主義〉はいったいどんな資本主義なのか?


facebookとtwitterは「オマカセ民主主義」を越えられるか

 すべての国の政府・官僚機構、議会政党にメディア、もっと言えば市民・社会運動やNGOもサイバー空間で起こる〈革命〉についてゆけない。これが〈今〉の情況である。というより、誰もがそうなのだ。「政治」という特殊な世界において、それがもっとも醜悪な形で表出しているだけの話である。

 冷戦崩壊後に生まれた人々はもちろん、ちょうど30年前にレーガン政権が登場し「レーガノミックス」やイギリスの「サッチャー主義」が席巻し、いわゆる「新自由主義」経済政策が「新保守主義」の政治と合体したころに生まれた人々は、冷戦崩壊⇒バブル崩壊⇒「失われた10年」となった1990年代の「政局」の大混乱⇒政界の再編に次ぐ再編の過程を体験していない世代になる。
 この二つの世代がこの1月半ば以降のアラブ・イスラム社会の「革命」の担い手だ。「ボク」と同世代の人々は、若い世代がセッティングしたステージ(広場)にかけつけ「積年の恨み」を晴らそうとした、そんな感じだろうか。

 で。これからの数年、2010年代の半ば・あるいは後半期まで、あの頃ほど悲惨ではなくともまた同じような日本の議会政治の大混乱・「政界再編」を私たちは体験することになるかもしれない。政権与党をめざす政党のプラットフォームが定まらず、しかもどの政党も変わり映えのしない「マニフェスト」しか出せず、「争点」なるものがきわめてテクニカルな「やりかた」の違いでしかないような、そんな「政策論争」が延々とくり返される時代である。

 もうすでに始まっているが、それは政治的ニヒリズムというか、「日本の(議会)政治が変わることによって何かがもしかしたら変わるかもしれない」、そんな風にはとても思えない何とも鬱屈した気分が社会的に蔓延する時代である。無党派層が有権者の5割から6割(6割から7割?)になる時代。「国政選挙」の投票率が5割を割り、4割を割り、それでも「政治」や国が「回っている」時代。

 そのとき、上昇・安定志向を持たない/持てないタブレット・カルチャー第一世代の人々が、どういうムーブメントを起こすか/起こせるか。それが10年後/20年後に〈少しはマトモなデモクラシー〉に日本がなっているかどうかを決めることになる。そうしてセッティングされたステージ(広場)に「ボク」もかけつけ、「積年の恨み」を晴らすことができるだろうか。日本における戦後政治の終焉、ポスト冷戦時代のほんとうの幕開けは、そのときはじめてやってくるのかもしれない。

Talkin Bout A Revolution, Tracy Chapman

2011/2/23

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