ソマリアと「海賊」---新介入主義の破産
「海賊新法」が3月13日に閣議決定され、自衛隊法82条に基づく「海上警備行動」の発令後、海上自衛隊の護衛艦2隻が翌14日にソマリア沖へ向けて出航することが決まった。
以下は、「海賊新法」(案)の概要が明らかにされて以降、この問題をめぐり書き綴ってきた記録である。(上の地図は十九世紀末期のヨーロッパ列強によって植民地されたアフリカ。Global Issuesより。)
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政府与党の「海賊対策プロジェクトチーム(PT)」がまとめた「海賊対策新法案」の骨子が明らかになった(東京新聞の記事を参照)。ソマリアの「海賊」問題を、国内政治との関係で分かりやすく解説している文章として「海ゆかば~海上自衛隊「ソマリア沖海賊退治」派遣の裏表」(松尾信之)を紹介しておこう。
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海賊新法案 接近船への攻撃容認
与党PT 任務遂行目的を追加
2009年2月26日 東京新聞(朝刊)
政府は二十五日の与党海賊対策プロジェクトチーム(PT)で、海賊対策新法案の骨子を提示し、大筋で了承された。従来、海外での自衛隊活動では困難だった任務遂行のための武器使用を容認したことが柱。政府は三月四日のPTに最終案を示し、十日の国会提出を目指す。
骨子によると、海賊対策を警察活動と位置づけた上で、海上保安庁が対処できない場合、首相の承認を得て海上自衛隊が行動するとした。焦点の武器使用基準は、警察活動について定めた「警察官職務執行法」を準用しながら、別の規定も追加。これにより、自衛隊法に基づく海上警備行動で認められている(1)正当防衛(2)緊急避難-の場合に加え、任務遂行のための武器使用を可能にした。
具体的には、海賊船の接近自体を海賊行為と定義し、海賊が攻撃を始める前に停船目的で船体射撃できる。一方、保護対象については、すべての国籍の船舶を対象にすることを規定。国会の関与については、海自が出動する場合に限って基本計画を国会に報告するとした。(⇒「ソマリアの「海賊」問題の資料ブログを参照)
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「海賊新法」(案)は、憲法九条が死文化していることを、改めてぼくらに突きつけている。これまでの解釈改憲の積み上げの上にたてば、自衛隊が「海賊」に攻撃を受ける前に「船体射撃」=武力行使することが憲法違反にはならない、という「解釈」が成り立つからである。もちろん、日本政府の解釈によれば「船体射撃」をしても武力行使に該当しない。「武力行使」と「武器使用」という概念を使い分け、武力行使を、きわめて限定的かつ狭義に解釈しているからである。
「海賊新法」は、憲法九条が禁じている武力行使や集団的自衛権の行使に「つながる」のではない。そうではなくて、法的にはそれらを「新たな段階へと高める」ものである。護憲派の人々やこの法律に反対する立場に立つぼくらは、もう一度このことをよく考えてみる必要がある。つまり、この新法が「憲法違反」だとするような論法では、とてもたたかえないのだ。政府解釈によれば、憲法九条と「海賊新法」は何らの矛盾なく、共存しているからである。
まして、「自衛隊はダメだが海上保安庁なら良い」といった議論では、「世界の中の日米同盟」戦略と「資源・エネルギー危機」時代の日本のアフリカ開発戦略という二つの文脈の中で、この問題を捉えることができなくなってしまう。こうしてズルズルとまた、新しい解釈改憲の既成事実が積み上げられることになるだろう。
ともあれ、「海賊新法」と憲法九条および解釈改憲との関係については⇒「鎖を解かれた安保体制--「軍事同盟」への軌跡」を更新するときに、もう一度整理するつもりでいる。ここではソマリアの「海賊」問題を、「新介入主義」とその破産という観点から、もう少し視野を広げて考えてみることにしたい。
1 「海賊」は「人類共通の敵」か
昨年一二月一六日に開催された、国連安全保障理事会の⇒「ソマリア沖海賊対策に関する閣僚級会合」。これに出席した西村外務大臣政務官(自民党)は、日本政府の声明として「海賊」を「人類共通の敵」と定義した。
一部の新聞では報道されたが、意外とこの事実は知られていない。「人類共通の敵」。かなり、グロテスクな言葉である。
ソマリアの「海賊」は「人類共通」の、つまりはあなたの「敵」であり、ぼくの「敵」でもあるのだろうか? ぼくに関していえば、少なくとも「海賊」行為と国連が定義する行為をした人々を「敵」と定義する感性は持ちあわせていない。
「海賊」を「人類共通の敵」と定義する感性は、与党公明党も共有しているようだ(⇒公明党の「海賊対策の論点 Q&A」を参照)。しかしこの定義は、もともとはブッシュ政権時代の米国が国際会議の場でくり返し使っていた表現である。
西村政務官は、自身のウェブサイトで当日の会合のことをふり返り、「ライス米国国務長官を見つけて、海賊対策についての日本における検討状況や、給油法の成立などを説明。ライス長官からは給油法成立について「Excellent!」と感激され、さらに、ソマリアにおいても日本の活動への高い期待が表明された」と書いている。
ライス元長官に褒められたことが、西村政務官には余程嬉しいことだったのかもしれないが、そう、「人類共通の敵」たる「海賊」撲滅と称して海上自衛隊をソマリア沖に派兵することは、ブッシュ政権からの強い要請があってのことだった。安保と米軍の存在抜きに、日本が「シーレーン防衛」を掲げて自衛隊をソマリア沖に派兵することなど、ありえないことだったのである。
自衛隊派兵が、米国からの強い要請に基づいたものであることは、日本記者クラブにおけるシーファー元駐日大使の「お別れ講演」(一月一四日)の内容にも示されている。
この講演の中で元駐日大使は語っている。
「アフガニスタンやアフリカの角などの紛争地域で、国際社会がなすべきことは、まだたくさんあります。そして日本はそれを実行することができます。罪のない人々を犠牲にするという点で国際犯罪者の定義に当てはまる海賊から世界のシーレーンを守ることであろうと、アフガニスタンの紛争現場で貢献することであろうと、日本は実行することができます。
日本は憲法によりこの種の行動を禁止されている、と主張する人たちもいるでしょうが、私は、日本はこうした行動を取ることによって憲法の約束を果たすことができる、と主張したいと思います」。
「海賊」にタリバーンにアルカーイダ・・・。
シナリオは、とっくの昔に書かれていたのである。
「海賊」たちの顔と名前
「ソマリアの海賊」は、「カリビアンの海賊」ではない。ジョニー・デップのような、イカした兄ちゃんはいないかもしれない。それでも、当たり前のことであるが、「海賊」には一人ひとり固有の名前がある。この当たり前の事実が「海賊」を一括りに犯罪集団とする政府のキャンペーンとマスコミ報道では見えなくなってしまう。とても危険なことである。
「海賊」のほとんどは、イスラム教徒としての名前を持っている。統計によって数にバラツキはあるが、ちょうど大阪府の人口と同じくらい(九〇〇万人程度)の「ソマリア」と呼ばれている大地の、統一政府なき国に生きる人々の圧倒的多数(九割程度)はイスラム教徒だからである。
「海賊」問題を考える前に、彼らがどんな人々なのかを見てみよう。
写真家のジェハド・ンガは、「ソマリアの海賊」たちを取材し、ニューヨーク・タイムズに掲載した(The Pirates of Somalia)。
「海賊」の一人は、名をAbdi Rashid Ismael Abdullahiという。収監されて15年が経つ。それまで長年、漁師として働いていたことを想像させる。顔に皺が刻み込まれ、とても疲れた顔をしているが、ぼくにはこの人が「人類共通の敵」、ましてぼくの「敵」だとは、どうしても思えない。
「敵とは、形をとったわれわれ自身の問いである」
カール・シュミットの『パルチザンの理論』のなかの一節である。シュミットは続けていう。
「敵は、何らかの理由で除去され、その無価値ゆえに抹殺されねばならないところのものではない。敵は、わたし自身と同じ平面に立っている。
この理由から、わたしは自己の尺度、自己の境界、自己の形態をうるために、敵と闘争しつつ対決しなければならない」
シュミット学者の中では、このくだりをどのように解釈するか、いろいろ論争はあるようだ。
しかし、このシュミットの言葉を「ジョージ・ブッシュⅡとビン・ラディン」、「国家と「テロリスト」」、「イスラエルとパレスチナ」、「日本と北朝鮮」などの二項関係を挿入して読み直してみると、「海賊」を「人類共通の敵」と定義し、彼らを「除去」「抹殺」しようとする者たちと「海賊」との関係が浮かびあがってくる。シュミット流に理解すれば、艦隊を派遣し、ソマリアの「海賊」と「闘争」「対決」している国家群は、新しい「自己の尺度、自己の境界、自己の形態」をうるためにそうしている、ということになるだろうか。
米国は、アフリカにおける新しい「自己の尺度、自己の境界、自己の形態をうるために」、昨年、米軍の「アフリカ軍司令部」を創設した。そして「アフリカの角」をイラク、アフガニスタンと並ぶグローバル対テロ戦争の前線地帯と化し、ソマリアの「イスラム原理主義化」を阻むと称してソマリア内戦に介入し続けてきた(詳しくは後述する)。「海賊対策」の軍事化はその延長線上にあるといってよい。米国とNATO諸国は、「海賊」の中に武装した「イスラム原理主義」と「テロリスト」の姿をみているのである。
そしてその米国のグローバル対テロ戦争に、日本は小泉政権以降、米軍へのグローバルな「後方支援」体制を築きながら「協力」(=加担)してきた。麻生政権は、これからさらにそれを強化しようとしているのである。米国の「不安定の弧」に対応する麻生版「自由と繁栄の弧」の構築のために。
つまり、海上自衛隊と「海賊」は同じ海面に立っている。まさに、「海賊」とは「形をとった、ぼくら自身の問い」でもある。「海賊」を論じるとき、ぼくらはこのことを忘れないようにしなければならない。
2 帝国主義の亡霊と植民地支配の遺制
ソマリアの海岸(近海ではない。海岸である)へのドラム缶にコンクリ詰にされた核廃棄物や産業廃棄物の直接投棄、またそれらのソマリア沖への海洋投棄、そしてグリーン・ピースいうところのpirate fishingがソマリア近海でくり返されてきたことについては、少しずつではあるが情報は広まりつつある。犯人は誰か。「海賊」撲滅のために艦隊を派遣した国連安保理常任理事国を中心とする国々である。
これらの問題については、後でまた触れることにする。ここではとりあえず、「資料ブログ」の赤字のところ、国連環境計画のレポート(11頁目の写真に注目)、そして「資料ブログ」の冒頭の記事を読んだ世界各地の読者の書き込みを記録したアルジャジーラの記事のfeedbackをみてほしい。
アルジャジーラの記事への書き込みの一つに、"Josh, United States 19/11/2008"がある。
"Well maybe if those idiots down in Somalia would stop killing each other they would have a stable government that would be able to stand up for itself. The US under UN mandate tried helping them in the earlier 90's and im sure youre all familiar with the "black hawk down" incident. When you shoot at the people who are trying to give you food and restore peace your not going to get any sympathy from the world."
「海賊」問題を考えるにあたり、さしあたりぼくらはこのような無知、つまりソマリアで起こってきたことをソマリア人のせいのみにするような思考からぼくら自身を解放することを目的としたい。考えてもみたい。三年連続で「世界最悪の破綻国家」という汚名を浴びせられ、「世界の最貧国」とされているソマリアの「海賊」たちが持っている武器は、いったいどこの国からやってきたものなのか。なぜ、飢餓が蔓延するソマリアには、かつてないほどの武器が溢れているのか。
これらの問いに対する答えを出すためには、ソマリアの植民地支配の歴史と、ソマリア「独立」後の日本とソマリアの関係、日本にとってソマリアとは何であったのかについて、基本的な事実を押さえておく必要がある。
①「戦後」日本とソマリアの関係史
ポスト冷戦時代に生まれた人の中では、ソマリアという国を強く意識したのが今回の「海賊」問題が初めてという人がいるかもしれない。しかし、多くの人にとっては、一九九〇年代前半期のソマリアの内戦と難民問題、その後の国連と米軍の軍事介入とその失敗、そして撤退と続いた一連の出来事だったのではないだろうか。
実は、それよりはるか以前にソマリアは何度か日本の政治シーンに登場している。その最初は、一九六〇年代末期から七〇年代の初期にかけてのことだった。
1)日本の核(原子力)開発とソマリア
「数年前から動力炉開発事業団で海外ウラン探鉱という項目を設けまして、鋭意いま海外に出ておるわけでございます。そうして、いま比較的精密な調査をしていますのが、カナダとオーストラリアとございます。なお、その中間で、フランスが日本と共同でアフリカのニジェールの開発をしたらどうかという話で、共同で現在ニジェールの開発のための海外ウラン開発株式会社というものを去年設置いたしまして、そこは鋭意進んでおります。
あと、ソマリアにも手を出す予定にしております。しかし、これではまだ足りませんので、昭和六十年になりますと十二万トンぐらいのウランが必要になりますが、現在民間が長期契約等で獲得しておりますのは三万八千トンぐらいでございます。
したがって、まだ三分の一ぐらいの獲得でございますから、もっともっとやはり海外に、たとえば探鉱を進めて日本自身の権利も持って、それで開発していくべきじゃないかということで、もう間もなく始まりますが、原子力委員会にウラン資源開発懇談会を設けまして、この六月までにはその対策を出すという形にしております」
(科学技術庁・研究調整局長梅澤邦臣。一九七一年二月二六日、衆議院・科学技術振興対策特別委員会における発言)
「最近はだいぶ海外探鉱ということに目を向けておりますけれども、これを政府は指導しない。電力会社は技術者なしに、金さえ出せば外国でやってくれるのだということで、あなたまかせのかっこうになっている。こういうことではきわめて不安定だ・・・。
コンゴがあり、オーストラリアがあり、それからソマリア、あるいはまたニュージーランドあたりも有望な鉱区がたくさんあるわけなんで、何としても目標最低三分の一ということにして、それは絶対に確保しなければならない」
(石川次夫(日本社会党)。一九七〇年七月三一日。同じく衆議院・科学技術振興対策特別委員会における発言)。
「ソマリアにも手を出す予定にしております」・・・。
戦後の日本の政治シーンにソマリアが初めて登場するのは、中曽根康弘を初代長官とする科学技術庁の下で始まった、国策としての核(原子力)開発のための燃料資源(ウラン)を「絶対に確保」する、その戦略的対象国としてだった。それは当時の野党第一党だった日本社会党も党として推進した、まさに国家的プロジェクトとしてあったのである。
他のアフリカ諸国との二国間関係と同じように、潜在的資源開発国としてのソマリアのウランを「確保」すべく、ソマリアに対する開発援助の供与がこうして議論され始めるようになった。つまり、アフリカに対する日本のODAや「技術援助」は、当初から「人道的観点」から始まったのではなかったのだ。それは、日本の「国益」に基づく「国策事業」として明確な国家戦略の中に位置づけられたものだったのである。
麻生自民党は、今回「海賊対策」任務につく自衛隊員の安全を確保するために、「ソマリア周辺国が実施する対策を政府開発援助(ODA)で支援する方針を決めた」(読売新聞。3月13日)ように、「ODAの戦略的活用」はODAの歴史とともに始まっていたのである。
2)安保戦略と一体化するソマリアへの「人道援助」
けれども、このような「戦略的資源の安定的供給」を第一目的に据えたアジア・アフリカにおける日本の開発援助戦略は、一九七〇年代を通じて、やがて安保戦略に沿ったものへと変質をきたすことになる。その最大の理由は、アジア・中東・アフリカ地域において、米ソの覇権抗争に構造的な変化が起こったことである。
ソマリアを例にあげてみると、日本がまさにソマリアのウラン開発を国会でしきりに議論していた一九六九年に軍事クーデターが起こり、軍事政権は「社会主義」路線の下で旧ソ連との軍事的・経済的関係を強化するようになる。
ところが、一九七七年、ソマリアはソ連との関係を絶ち、ソ連圏からの離脱をはかった。ソ連の支援を受けていたエチオピアとの領土問題が引き金になったものである。そしてこの時期から、米国(民主党カーター政権)によるソマリアを含む「アフリカの角」と中東を網羅した地域への本格的な介入と軍事独裁政権へのテコ入れが始まる。日本の対アジア、対アフリカ、対ソマリア政策は、そうした米国のアフリカ・中東戦略を「経済援助」の側面からバックアップするものへと変質していくわけである。
少し長くなるが次の四つの引用に目を通すなら、問題の所在がかなりはっきりするだろう。
「我々の勧告にこたえてソ連のアフガニスタン侵攻後、日本はエジプト、ソマリア、トルコ、パキスタンに対してそれぞれ一億ドル以上に経済援助を増額した」
(一九八三年三月二十二日、米国下院歳出委員会の軍事建設小委員会における米陸軍ケヴイン・マホー二ー少佐の証言)。
「一九八一年五月の日米共同声明で、世界の平和と安定の維持のための重要な地域に対して我が国が援助を強化していく旨述べましたのは、世界の平和と安定の維持のためには開発途上国の安定が不可欠であり、したがって、援助を通じ開発途上国の経済社会関発を支援し、民生の安定、福祉の向上に貢献することがこれら諸国の安定をもたらすとともに、広く国際間の緊張を緩和することに貢献することになるという基本認識に基づくものでありまして、我が国は南北問題の根底にある相互依存と人道的考慮という立場から、開発途上国の経済社会開発を支援し、民生の安定、福祉の向上に貢献をするため援助を実施しておるわけでございます・・・。
具体的にどの地域が世界の平和と安定の維持のために重要な地域に該当するかにつきましては、そのときどきの国際情勢に応じて我が国が自主的に判断することといたしておりますが、我が国が従来よりASEAN諸国、中国、韓国を初めとするアジア地域に重点的に援助を行ってきていること、及び近年、例えばパキスタン、エジプト、ケニア、スーダン、ソマリア、ジャマイカという諸国に対する援助を強化してきたことはそのあらわれでもあることをひとつ御理解をいただきたいと思います」
(参議院の外交・総合安全保障に関する小委員会における安倍晋太郎(外務大臣)の発言。一九八四年七月四日)
「最近になってみられるエジプト、パキスタン、トルコ、スーダン、ソマリア、およびアラブ湾岸諸国の一部、さらにカリブ海地域などに対する援助の拡大は、戦略的に重要な地域に対する援助の政治的重要性を日本が認識していることと、より広範囲にわたって日本が世界において政治的イニシアティブを発揮していく決意の表われとして大いに評価すべきものである」
(「日米諮問委員会報告書」一九八四年)
「一つは、日本の援助量の拡大というのを非常に評価しております。それからもう一つは、ODAが日本の総合安全保障政策にとって極めて重要な役割を占めてきているということが第二点かと思います。
それから第三点が、日本のODAが六〇%、七〇%アジアに向けてきたが、最近になってエジプト、パキスタン、トルコ、スーダン、ソマリア及びアラブ湾岸諸国の一部、さらにカリブ海地域などに対する援助の拡大は、戦略的に重要な地域に対する援助の政治的重要性を日本が認識していることと、より広範囲にわたって日本が世界において政治的イニシアチブを発揮していく決意のあらわれとして大いに評価するということであります」
(一九八五年四月一六日、衆議院大蔵委員会における政府(外務省)答弁)
3 新介入主義とは何か
新介入主義(new interventionalism)とは、冷戦体制崩壊後の旧植民地宗主国による旧植民地諸国に対する「新しい」形態の「介入」を正当化するイデオロギーの総称である。「介入」は軍事的なものから、政治、経済、文化全般におよぶ。
新介入主義は、
①主権国家が国家としての統一的統治能力を喪失し、その結果、国内の「民族紛争」や「人道的危機」が起こり、
②そのまま放置すればそれらが地域のみならず「国際の平和と安定」の阻害要因となる、だから、
③国連あるいは国際的な「介入」によって「秩序」を回復し、「国際の平和と安定」を維持する必要がある、 といった三段論法によって自らの政策を正当化する。
「東アフリカのアフガニスタン」とも呼ばれているソマリアにおいても、一九九〇年代以降、米国を中心とする国連(安保理)によって新介入主義に基づく介入が繰り返されてきた。そしていまソマリアで起こっていることは、まさにその新介入主義が政策的に破産した結果だとみることができる。「海賊問題」とは、ソマリアに対する新介入主義の破産の氷山の一角にすぎないのである。
問題を複雑にするのは、多くの場合、新介入主義を正当化する論拠の中には、否定することができない事実があるということだ。ジェノサイド的様相を帯びた民族「紛争」、女性へのレイプ、子どもの虐殺、目を覆いたくなるような人権侵害・・・。
どれだけ欧米帝国主義による植民地支配の歴史、あるいは戦後、アフリカ大陸を舞台にして展開された米ソの覇権政治、さらには欧米諸国の「新植民地主義」政策の実態を暴き、それらの矛盾を指摘しようとも、「人道的危機」がアフリカや世界各地で起こっている現実は無視できないできないからである。「海賊対策」のためとされている大国の艦隊のソマリア沖派遣の意味を考えるときにも、ぼくらはこの事実を踏まえておく必要があるだろう。