オバマの対テロ戦争と日本---アフガン「包括的新戦略」を検証する
1 「包括的新戦略」は失敗する
去年の十一月下旬、「アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章」の中でぼくは次のように書いた。
「米国が共和党ブッシュ政権から民主党オバマ政権に変わろうとも、イラクからアフガニスタンへと対テロ戦争の主戦場をシフトすることに変わりはない。今日(11/26/2008)のニュースで、オバマはゲーツ国防長官の、少なくとも一年間の留任を決定したときいた。アフガニスタンの「復興」プロセスにおける米軍の大量部隊の投入、全面的軍事介入の開始は、党派を超えた米国の「国益」をかけた国家戦略として位置づけられているということだろう。
今まで以上の戦争分担金の負担、そして自衛隊の「貢献」をめぐる米国からの対日要求が高まることは必至である。自衛隊の海外派兵「恒久法(一般法)」制定の論議を再燃させながら、早ければ2009年中にも、イラクの時と同じように、時限立法の制定を含めた派兵に向けた具体的な動きがでてくるだろう」(引用終わり)
あれから四ヶ月が経ち、オバマの「包括的新戦略」が発表された。特徴は四点ある。
①対テロ戦争の前線をただ単にイラクからアフガニスタンに移しただけでなく、
②パキスタン(のアフガニスタンとの国境地帯)をも主戦場化し、
③さらにこれにNATO諸国はもちろん、イランの参加を目玉にしながら、国連機関をも全面的に巻き込もうとしていることにある。そして、
④日本がその最大のドナー(資金提供国)の一つとして予め位置づけられていたことはいうまでもない。
アフガニスタンのいまを知るための予備的知識として、まずは下に示した三つの地図と図表、そして関連サイトをみてほしい。
最初に下の地図。これは「安全保障と開発に関する国際会議」(ICOS)が作成した、昨年十一月段階のアフガニスタンにおけるタリバーンの勢力分布図である。色の濃淡と数字が、タリバーンの地域的な制圧度合いを示している。
すでにタリバーンは首都カブールの軍事境界線を突破したという情報もあるが、この地図をみれば、タリバーンが一部の山岳地帯の洞窟を拠点に展開しているのではなく、明らかにアフガニスタン全土にわたってその勢力を伸張させていることがわかるだろう。
二〇〇一年十月のブッシュのカブール空爆に始まったアフガニスタン戦争は、ブッシュが権力の座から降りた時点で敗北していたのである。オバマはその敗北を敗北として認めず、タリバーン「強硬派」との全面戦争を準備し、それに「国際社会」を引き入れようとしているのである。
次に、上の地図を日本政府が国際協力機構(JICA)を中心にしてアフガニスタンで行ってきたプロジェクトの位置関係の地図と、さらにその下の日本の「アフガニスタン復興支援」なるものの内容と対照してほしい。これらはいずれも外務省のサイトに掲載されているものである。
地図にある日本が「連携」しているPRTとは、「地域復興チーム」というもので、米軍やドイツ軍その他の国の軍隊と「民間セクター」が共同して「復興」活動を行う、「軍」と「民」が一体化したプロジェクトのことである。外国軍がタリバーンと戦闘し、武力行使しているPRTに日本が「連携」しているのだから、これは明らかに「武力行使との一体化」となり憲法違反であると思えるが、日本政府の解釈では「憲法九条に基づいた活動」ということになる。
それにしても、このブログを訪れてきてくれた人は、上の地図と表をみて何を思うだろうか。
日本政府は、二〇〇〇億円以上にのぼる納税者の血税を使い、アフガニスタンの何を「復興」してきたのか。「平和構築」の名において、どのような「平和」を「構築」してきたといえるのか。戦争と破壊、破壊と「復興」、そしてまた戦争。終わりが見えない殺戮と止むことのない人々の阿鼻叫喚・・・。
「日本の得意分野」と長年宣伝されてきた「武装解除」をはじめ、何もかもが失敗に終わったことを、ぼくらはいま、確認できる。DDRもクソもない。タリバーンは、日本がDDRを終了した、まさに二〇〇六年には地方部で勢力を回復しはじめていたのである。「治安」も「インフラ」も、アフガニスタンの人々の「基礎生活」も何もかもが滅茶苦茶な状況にある。それが二〇〇二年からはじまった、日本のアフガニスタンにおける対テロ戦争「後方支援」の政策的かつプロジェクト的総括でなければならないだろう。一言でいえば、⇒いかなる意味においても、アフガニスタンに平和は「定着」しなかったのである。
そして、いま「包括的新戦略」という新しい名前の対テロ戦争がはじまろうとしている。日本は、自公連立政権は、「復興支援」の何の総括もなさぬまま、これから全面的にこれに「協力」しようとしている。破壊しては再建し、再建しては破壊する・・・。その財源の一切合財は、米国でも日本でも、これからも永遠に、ぼくら主権者の懐の中から出てゆくのである。
この七年半に及ぶ対テロ戦争の敗北を、軍事技術的な側面と外部からの開発援助の規模の問題に矮小化する限り、「包括的新戦略」の敗北も目に見えている。その敗北の政治責任のすべてを、タリバーン「強硬派」とアルカーイダのみに転嫁することは許されない。
2 「ブッシュの戦争」を継承する「オバマの戦争」に試される日本
米国という世界のスーパーパワーが、
①イギリスやフランスとの密接な打ち合わせの上で---もっと言えば、ロシアや中国の了承も取りつけた上で、
②ソマリアやアフガニスタンなど、内戦状態にある国の政府を前面に押したて、
③安保理内外の国々を巻き込み、「コンタクト・グループ」(ソマリア、アフガニスタン)や「支援国(friends)グル-プ」(パキスタン)をなどを結成し、
④米国自身の「安全保障」と「国益」に基づいた「包括的戦略」に沿った「決議」を、国連安保理や将来的には国連人権理事会などであげ、
⑤それに「国連開発計画」、「国連食糧計画」、「国連環境計画」などの主だった国連機関を総動員しようとしたらどうなるか?
いまの国連システムの下では、どうすることもできない。ブッシュの対テロ戦争の破綻がそうであったように、世界は米国政府が犯す失政の道連れになるしかない。それがいま再び、アフガニスタンでくり返されようとしている。
自公連立政権の十年をふり返ってみると、「主体的な外交」を語りながら、その中身はひたすら対米追随路線をひた走ってきただけであることがよくわかる。「世界の中の日米同盟」宣言以降は、この傾向が特に著しい。事が外交と安保に関わる限り、共和党政権であろうが民主党政権であろうが、結局は同じことなのである。
外務官僚の頭の中には、毎年度確保した予算を粛々と執行し、次年度の予算規模と省益を拡大し、外務省系列の独立行政法人、公益法人や財団法人、国際機関、大学教授など、将来の天下り先を確保することしか念頭にないのではないか、そもそも膨大な血税を使い(浪費し)行われる外交・安保政策を抜本的に見直し、「総括する」という言葉は外務省の辞書にはないのではないかと思えてくる。
客観的情勢が「違う方向に進むべし」と命じているにもかかわらず、軌道修正もままならない。その結果、ぼくらの税金はドブに捨てられるように、失敗することが運命付けられた「プロジェクト」なるものに浪費され続けるのである。丸七年に及ぶ、日本のアフガニスタン「復興支援」なるものは、まさにこの典型である。
すでに米国国内でも批判があがり、G20内でも微妙な「温度差」が露わになっているオバマのアンガニスタンとパキスタンを串刺しにした「包括的新戦略」。当面、四月十七日に東京で「パキスタン支援国会合」が開催されることになっている。例によって、何もかもがすべてお膳立て済みであるが、マスメディアはもちろんのこと、日本の国際協力NGO、開発NGOをはじめ、「平和構築」「人間の安全保障」「紛争予防」やアジア・中東・アフリカ地域を専門とする大学研究者がこの会合にどのようなスタンスが取るかが試されている。それをこれから考える準備作業として、この間日本政府・外務省がどういう「主体性」を発揮し、何をしてきたのか、まずは外務省の公式文書を通じて理解を深めておこう。
⇒「オバマの対テロ戦争と日本---アフガン「包括的新戦略」を検証するNo.2」へ
参考記事
国連人権理、米国が初の理事国入り オバマ協調路線反映
2009年5月13日【ニューヨーク=松下佳世】朝日新聞
国連総会は12日、国連人権理事会(47カ国)の改選を行い、6月に任期満了を迎える18カ国に代わる理事国(任期3年)を選出した。「イスラエル非難ばかりしている」などと同理事会を批判し、参加を拒んできた米国が初めて立候補し、06年の発足以来初めて理事会入りを果たした。
当選には国連加盟国(192カ国)の過半数に当たる97カ国の賛成が必要で、米国は167票を得た。「西欧その他」枠では、立候補を予定していたニュージーランドが米国に譲る形で辞退したため、改選数3に候補が3カ国しかいない信任投票となった。
米国の理事会入りは、国際社会との協調や人権を重視するオバマ政権の誕生による「変化」を印象づけるとともに、内側から組織改革を促す狙いがある。
同理事会は、人権問題を専門に扱う国連の常設機関。前身の人権委員会を格上げする形で06年6月に発足した。