2011年10月31日月曜日

福島第一原発は「止まった」か?

福島第一原発は「止まった」か?


 「原子力発電の安全性」「核燃料サイクルコスト」「事故リスクコスト」などを議論した原子力委員会の「新大綱策定会議」(第8回)の議事録に目を通していた。
 しかし、これから書くのは第8回会議ではない。第6回会議(9月27日)についてである

 その中でも、最も強い違和感を覚えたのが――原子力委員会や安全委員会の議事録に違和感を覚えるのは、何も今に始まったことではないのだが――相澤東電副社長(原子力立地本部長)による、「東京電力福島原子力発電所事故以降の原子力を取り巻く状況について」なる「報告」である。
 福島第一原発のメルトダウン→メルトスルー過程を、相澤副社長は次のようにまとめている。

・・
 通常時、原子力発電所では、「止める、冷やす、閉じ込める」の三つの安全機能を確保しておりますが、福島第一原子力発電所においては、全号機で地震発生と同時に全制御棒が自動的に挿入され、原子炉の核反応が止まり、「止める」機能は確保されました
 しかしながら、地震により送電線等が損傷し、非常用発電機が起動しました。

 その後、津波の浸水によりこの非常用電源が使用できない状態となり、全ての交流電源が失われた結果、最終的に原子炉と使用済燃料プールの「冷やす」機能を失うことになりました。
 更に、1から3号で、炉心が損傷し、建屋や圧力容器、圧力抑制室の損傷もあり、タービン建屋内に高レベル汚染水を確認しており、「閉じ込める」機能も失われたということになるわけでございます。
 (中略)
 次の14ページでございます。事故の概要は、以上ご説明のとおりでございますが、これからご説明いたします収束への取組みも含め、その結果として福島第一原子力発電所の最新状況はこの表のようになっておりま
す。
 「止める」は止まっておりますが、「冷やす」、これにつきましても原子炉、プールともそれぞれ安定的な冷却はできており、2号機の原子炉以外は安定的な冷却の状態になっており・・・・
・・

 福島第一原発は、東電が言うように、また原子力ムラの面々がそのように言い、ほぼすべてのメディアがそのように報道してきたように、本当に「止まった」のだろうか?
 (たとえば、3月13日の毎日新聞の記事、「東日本大震災:福島第1原発 東電「想定外」に批判の声も」も、「原発の安全対策の至上命令は「止める」(緊急停止)「冷やす」(炉心の過熱を抑える) 「閉じ込める」(放射性物質が漏れ出さないようにする)の三つ。今回、1号機が実行できたのは、最初の「止める」だけだった」と書いている。)

 原発が「事故」を起こした際に、「止まる」とは何を意味するのか?
 それは、具体的に、どのような状態において、何が「止まる」ことなのか?  
 私は、福島第一原発は「止まらなかった」と考えている。このブログでも、そのように書いた。
 福島第一原発大災害を経て、これまで「常識」とされてきた原発の「「止める、冷やす、閉じ込める」の三つの安全機能」の定義そのものを抜本的に再検討する必要がある。このことはストレステスト→再稼働の動きが具体化し始めた今、きわめて重要な課題になっている、と思うのだ。
 原発が自然災害や人為的過失によって「止まる」とはどういうことか。とりあえずは冒頭の第6回会議の議事録に目を通し、(再度)考えてみてほしい。


 しかし、その説明に入る前に、なぜ福島第一原発が「止まった」かどうかが重要な問題なのか、裏返して言えば、なぜ東電が「止まった」ことにこだわり、それを強調するのかについて簡単に触れておきたい。
 実は、それを解く鍵も議事録の中に隠されている。たとえば、相澤副社長の次のような発言である。

・・
 総じて申し上げますと、これまで原子力発電所は安全規制をクリアすることはもちろん(!)でございますし、国際的な最新の知見を随時反映する努力、あるいは定期安全レビュー、アクシデントマネージメント等のリスク低減の活動を講じてまいりました(!)。福島第一でも、重要免震棟の設置、あるいは消防車の配置等ということは中越沖地震の経験を踏まえて対応したものでございます。 こういったものがあったからこそベント、あるいは注水作業などを一生懸命継続してやることができた(!)わけでございます。

 しかし、今回、襲来いたしました津波はこうした取組みをはるかに凌駕するものであったため結果としては多重に設置している安全系設備の機能をほぼ喪失する事態に陥り、懸命の復旧努力にもかかわらず連鎖的に被害が拡大いたしました。今回の事故を真摯に返り見ますと、発生頻度が少ないとは言え、巨大津波という自然現象の前では人知の及ばない想定外のことが起こり得るということを謙虚に受け止めるべきと考えております。
 このような事態を再び招かないためにも多重の安全機能を同時喪失した場合でも、炉心の損傷を防止できる柔軟な対応力(?)というものを備えていかなくてはいけないというふうに考えている次第でございます。
・・

 従来の東電の発言との関係で言えば、ここで相澤氏が言っていることに特に何か新しい内容があるわけではない。問題は、なぜ東電がこういう発言を、何度も何度も、くり返すのか、また私たちがこうした発言から何を読み取るのかにある。その上で、話は「3・11」直後のブログの内容に戻るのだが、「で、東電をどうするのか?」ということに。 問題を整理しよう。

「止まった」という言説と東電(原発企業)の賠償・補償責任

  内閣官房原子力経済被害対応室、北川室長。

・・
 まずは、原子力損害、これは事故が起こりまして、大変な被害が発生してございます。この被害額、まだ全容が分かってございませんが、何兆円という規模になると考えてございます。一方で、避難者、被害者が多数出てございますので、迅速かつ適切な賠償を進めていくことが必要だと考えてございますので、早急に対応していくということでやってまいりました。
 これまで、事故前でございますけれども、我が国には原子力損害の賠償に関する法律がございまして、これは昭和36年に制定されているものでございます。後ほど申し上げます様々な施策はこれを基盤にいたしまして組まれてございますので、まずこの説明からいたします。

 この法律におきましては、原子力事故がございますと、原子力事業者、電力会社でございますけれども、無過失・無限の責任を集中して負うということになってございまして、この事故に伴いまして、誰が悪いとか、どれぐらいしか払わないとか、そういうことを考えずに、ともかく迅速に賠償を進めるという発想から、このような組立てになってございます。
 ただし、異常に巨大な天災地変等により原子力事故が生じた場合には、原子力事業者は免責となってございますが、その際は、賠償責任を負う者が不存在になってしまうということになってございます。これは非常に例外的なケースでございまして、今回の場合には、それには当たらないという整理で議論を開始してございます。

 その場合、現在のところでは、原子力事業者と政府との補償契約によりまして、1,200億円を原子力事業者に補償するということになります。しかし、今回の事故のように巨大でございますとそれを超えるのは明らかでございますが、この原子力損害賠償におきましては、それを超える場合には政府は必要な援助を行うこととされてございます。この具体策は特に規定されてございませんので、それを今回考えてきたということでございます。
 一方、この法律の中には、具体的に損害の範囲というのは何かということを考えるために、原子力損害賠償紛争審査会、これは文科省の審議会になりますけれども、これを規定してございます。この審査会において、どの範囲であれば原子力損害であり、賠償となるかどうかということを決めていくと、こういう構造になってございます。
・・

 ここには、政府(内閣官房)と東電(電力業界)との間の、原発災害時における賠償・補償責任をめぐる銭勘定・感情上のある種の緊張関係と同時に、原発災害の共同正犯としての両者の間の、ある種の馴れ合いの構造が見事に表現されている。 その「構造」とは、言うまでもなく、「国民」、納税者に賠償・補償責任を転嫁しようとする、そのような「国策・民営」の原子力行政における政官財"boys'club"の馴れ合い構造を指している。

【参考資料】
●「原子力損害の賠償制度について」(文科省 2003年4月)
1.我が国の原子力損害賠償制度(「原子力損害の賠償に関する法律」及び「原子力損害賠償補償契約に関する法律」)の概要
[法律の目的]
被害者の保護及び原子力事業の健全な発達
[法律の主な内容]
・原子炉の運転等による原子力損害につき、無過失・無限の賠償責任を原子力事業者に集中
*異常に巨大な天災地変及び社会的動乱によるものは免責。)
・原子炉の運転等につき責任が集中されている原子力事業者に、損害賠償をするための措置
(責任保険等)を講じることを義務付け(原子力発電所の場合は600億円)。
・賠償措置額を超えた原子力損害が発生した場合は、国会の議決により政府に属せられた権限の範囲内で政府が必要な援助。
・・・・・
 
 11/2
 前後して申し訳ないが、「「冷温停止」状態にある福島第一1、2、3号機で核分裂、キセノン検出?」の続きとして読んでほしい。

 ここまでの説明によって、次の二つのことが理解できたと思う。

 一つは、東電が「無過失・無限の賠償責任」を回避するために、福島第一原発「事故」は「異常に巨大な天災地変」によるものであり、自社の「安全対策」は機能していた、すなわち地震発生当時において原子炉はすべて「止まった」のだと主張し、政府・経産省・文科省、原子力ムラも、当初的な発言のブレはありつつも、基本的には同じ論理によって東電を、原子力事業を温存させたまま、救済しようとしてきたことである。

 ここで着目すべきは、「この事故に伴いまして、誰が悪いとか、どれぐらいしか払わないとか、そういうことを考えずに、ともかく迅速に賠償を進める」という内閣官房原子力経済被害対応室、北川室長の発言である。要するに、東電も政府も「悪く」はなかったのだ、それは問わないのだ、「迅速」な賠償支払いのために税金を投入する、という発言である。

 もう一つは、福島第一が地震に耐えることができた、という上の解釈が、現在稼働中の原発の、実際には対策になっていない「緊急安全対策」の根拠およびその前提になっていることである。
 では、福島第一原発がもたらした大災害、メルトダウン→メルトスルーと地震はいかなる関係にあるのか?

福島第一原発災害と地震

 第6回会議(9月27日)に出席した、原子力資料情報室の伴氏。
・・
 今回の事故の原因というのは津波という点に集約していいのかどうかということですね。 予想を超える想定外の地震や津波というふうに言われているわけですけれども、よくよく見ていけば、本当に想定外だったのかどうなのか
 また、地震について、岩波の科学の9月号に、第一原子力発電所の1号機について東京電力が発表しているさまざまなデータをもとに分析した結果、そもそも地震が決定的な事故の引き金になっている可能性が高いと、こういうふうな論文が出ていますし、2号機の爆発についても原因は地震以外考えられない。

 先ほど、機器は十分に揺れに耐えたと計算をした結果として言われていますけれども、これについては非常に詳しい結果、あるいはどういう前提のもとにされたのか知りたいところはあります。少なくとも130秒から150秒でもう地震の記録がないわけですから、そういうことを考えていくと、まず耐震バックチェック、今行われているわけなんですけれども、その見直しから始めないといけないというふうに今考えるのです。津波対策さえすればよいで終わってしまっています。

 今日の話ですと、ベントのことも出てきていますが、ではベントにフィルターをつけるということは一言も書いていない。こういうことで本当に進めていって、あるいはその定期検査を終わったやつから順番に運転を再開していっていいんでしょうか。極めて深い疑問がありますし、ひょっとしたらそんなことをやっていたら間に合わないことだってあるわけですよね。
 ちょうど前の策定会議のとき、2004年ですか、関西電力の美浜原発で蒸気管が破断でして11名が死傷した事故がありました。それも一、二週間で定期検査に入る予定だったが、間に合わなかったわけですよね。そうしてこういう事故が起きたわけです。

 そういうことを考えると、いろいろなことをされると思いますけれども、運転を継続したまま耐震のバックチェックをやり直すとか、今、安全委員会は指針の見直しということをやろうとしていますし、そういったことはもちろん、やるべきではあるんですが、運転を継続したままやっていて本当に事故を防げるのか。そこはもっときちっと受けとめて反省をしていただきたいというふうに思います。

 電力が足らないというのも大変なことだとは思いますけれども、今回の事故でも原子力委員会に出されている報告、試算見積もりでは最大20兆円、これはさらに超えるかもしれません。それぐらいの損害が出るということです。それは国民一人当たりにしたら17万円ですよね。1カ月1,000円、電気代が上がるのと比べてははるかに高い金額を―1年で17万円ということではありませんけれども―払わないといけない。これで次の事故が起きたらどうなるのかということはもっと深刻に考えて、まず耐震安全性はどうだったのか、地震はどうだったのかというところの見直しから始めていかなければならない。こういうふうに今思います。
・・

 私も、 「こういうふうに今思います」。
 しかし、「馬耳東風」と言うべきか、伴氏のこうした提言は、原子力ムラの"boys' club"には届かない。その結果が、玄海原発4号機の再稼働強行だったわけである。

 福島第一「事故」と地震との関係について、もう一点、紹介しておきたいものがある。 それは、今では忘れ去られた観のある、新聞メディアが5月に報じた冷却配管の破損問題である。毎日新聞の記事より
・・
 福島第1原発3号機で、緊急停止した原子炉を冷やすのに必要な装置の配管が破損した可能性があることが、東電の解析で(5月)25日分かった。
 配管は津波の影響を受けにくい原子炉建屋内にあり、地震の揺れが原因の可能性が強い全国の原発で耐震設計を見直す事態に発展する恐れもある

 この冷却装置は「高圧注水系(HPCI)」と呼ばれる。原子炉圧力容器から出る高温の蒸気でタービンを回し、それを動力として建屋外の復水貯蔵タンクからポンプで水をくみ上げ、圧力容器内に強制的に注水する仕組み。
 解析によるとHPCIは圧力容器内の水位が低下した3月12日午後0時35分に起動し、13日午前2時42分に停止した。しかしこの間に、圧力容器内の圧力が約75気圧から約10気圧まで急減。HPCIの配管が破損して蒸気が漏れたと仮定して計算した結果と、圧力減少のデータがほぼ一致したことから、破損の可能性があるとした。【河内敏康、岡田英】
・・
 
 高圧注水系(HPCI)とは、原子炉の水位を保つための緊急炉心冷却システム(ECCS)の一つのことだが、記事にもあるように、配管は安全上最も重要な設備に区分され、津波の被害を直接受けない建屋の中にある。
 しかし、東電は7月28日になって、奇妙なことに、そしておそらくはHPCI破損と地震との関係を否定するために(これは私の憶測に過ぎず、実証されたわけではないが)、「破損はなかった」と前言を翻してしまう。私たちが確認しようのない、そして東電が具体的な事実関係を明らかにしていない、「当時、配管付近で作業していた者がいた」ということを根拠に。
 同じく、毎日新聞の記事(毎日新聞電子版からは抹消)。
・・
 東京電力は28日、福島第1原発3号機で、緊急停止した原子炉を冷やすのに必要な「高圧注水系(HPCI)」の配管は破損していなかったとする新たな解析結果を公表した。東電はこれまで、3月11日の地震の揺れなどによってHPCIの蒸気が通る配管が破損した可能性があるとの見方を示していた。
 3号機では3月12日、HPCIが起動後の約6時間で圧力容器内の圧力が約65気圧下がった。HPCIの配管が破損して蒸気が漏れたと仮定すると圧力減少の説明が付く計算結果が得られたことから、東電は5月に破損の可能性を公にした。

 しかし、その後の調査でHPCI停止直後、配管付近に運転員が立ち入ったことや、流量調整をしていたことが判明。蒸気が漏れれば人が入れないほど高温になることなどから「配管が破断し大量の蒸気が漏えいしたとは考えられない」と結論付けた。
 また、東電は28日、東日本大震災の揺れが福島第1原発1、3号機の機器に与えた影響についての解析結果をまとめ、経済産業省原子力安全・保安院に報告した。圧力容器や燃料集合体などで設計時に想定した最大の負荷を超えたが、「余裕を持たせた設計の範囲内」(?)とした。【八田浩輔】
・・

 けれども、それではなぜ、格納容器の急激な圧力減少があったのか? 「余裕を持たせた設計の範囲内」は何の解答にもならない。
 私たちは、東電からも政府対策本部からも、未だこのことに関する納得できる説明を受けてはいない。

で、福島第一原発は「止まった」か?

 止まらなかった。
 「止まった」(「自動停止」した)、と政府・東電、原子力ムラの面々は言うが、止まらなかったのである。
 たとえば、ここに日本原子力学会が3月18日に発表した「国民の皆様へ 東北地方太平洋沖地震における原子力災害について」と題された声明がある。
 これが「3・11」から1週間も経た後の声明であることを念頭に置きつつ、太字強調部に注意しながら読んでみよう。

・・
 この激甚災害の中で、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所ではマグニチュード9.0という巨大なエネルギーの地震による揺れと津波の被害を受けました。
 これらの発電所では運転中の原子炉は設計どおり自動停止したものの、福島第一発電所では、非常用ディーゼル発電機が起動したにもかかわらず、すぐに停止し、外部電源を含めた全電源が喪失する事態に陥りました。その後の炉心冷却過程に於いて必死の機能回復操作にもかかわらず多量の放射性物質が環境に放出され、一般住民や関係者の放射線被ばくを招く結果となっています。 (中略)

 今回の地震の規模は当初の想定を超えており、また津波についても、近隣の相馬市で観測された津波の高さは7.3mを超えていることから、福島第一発電所においても想定をはるかに上回る津波が押し寄せたと考えられます。
 この結果、非常用ディーゼル発電機が機能せず、冷却用海水系統も使用不能となりました。すなわち「止める」「冷やす」「閉じ込める」の安全機能の一部が破綻し特に「冷やす」機能の喪失が燃料の破損を伴う深刻な事態を招いています。さらに炉心にある燃料はもちろんのこと、燃料保管プールに取り出されていた燃料も、冷却機能が失われた結果、燃料が破損する事態を招いています。
 また、格納容器内の圧力低減操作も行われていますが、放射性物質や放射線を「閉じ込める」機能についても懸念される事態となっています・・・・
・・

 「3・11」以後1週間の間に生起したすべての事態を直視した上で書かれた上の一文、日本原子力ムラの中枢たる日本原子力学会のこの「声明」は、「結果は結果としてそれなりに受け止めざるをえないが、ぼくたちは間違っていなかった。正しかったし、今でも正しい。反省なんかするもんか」という全国民に向けた、殊勝な開き直り宣言である。
 運転中の原子炉は「設計どおり自動停止した」し、非常用ディーゼル発電機も、計画どおり「起動した」。「にもかかわらず」、今回の地震と津波の規模が「当初の想定を超えて」いたから、放射性物質や放射線を「閉じ込める」機能について、「懸念される事態」となっている・・・。
 あくまでも、学会にも東電にも責任はない、すべては「マグニチュード9.0という巨大なエネルギーの地震による揺れと津波」のせい、と言っているのである。
 そして悲しいかな、「日本の原子力研究の最高権威、日本原子力学会が会長名でそう言うのだから」と、疑うことを知らない一般人やマスコミの記者たちは、学会の見解や声明を鵜呑みにし、垂れ流してしまう・・・。

「成就された結果は前提を廃棄する」
 では、このような「止まった」=「自動停止」論のどこに問題があり、何が間違っているのか?
 それは、①「止める」、②「冷やす」、③「閉じ込める」を、それぞれが独立した、あるいは時系列的に段階化された、別々の「安全対策」装置であるかのように論じているところにある。
 たとえば、「三重の安全対策」といった表現、また「②「冷やす」、③「閉じ込める」は失敗したが、①は成功した」という「事故分析」をめぐる言説も、そうした把握に基づいている(そうした把握を助長する)と言ってよい。(ここで安全・保安院が、津波に襲撃されるまでは①、②、③すべてが機能していた、と言っていることに注意しよう}。

 しかし、少し考えて見れば誰にでも理解できるように、メルトダウン→メルトスルーを起こした原子炉が、「②「冷やす」、③「閉じ込める」は失敗したが、①は成功した」と言うこと自体、まったくのナンセンスであるばかりでなく、自己欺瞞と他者欺瞞もはなはだしい。
 「冷温停止」をめぐる私の議論を知る読者は、すでに理解されたと思うが、それはこういうことである。

1、相澤東電副社長は、このように言った。「福島第一原子力発電所においては、全号機で地震発生と同時に全制御棒が自動的に挿入され、原子炉の核反応が止まり、「止める」機能は確保されました」。

 まず、この説明からしてがデタラメである。なぜなら、仮に「地震発生と同時に全制御棒が自動的に挿入され」たとしても、そのこと=制御棒の挿入は「原子炉の核反応」の停止を意味するのではないからだ。
 原子炉(=「核分裂→核爆発炉」)の「停止」を、何かパソコンや冷蔵庫の電源を切る→作動停止と同様のものであるかのように表現することは、単にそれが事実と違うということばかりでなく、原発の基本的メカニズムの誤った知識を流布するという意味において犯罪的である。

2、原発とは、核兵器とは違う意味において、制御された核分裂→核爆発が生み出す「エネルギー」を「電気エネルギー」に置換する、きわめて特殊な「発電装置」である。原発が稼働中=操業中であるということは、原子炉内が臨界状態にあるということであり、原子炉を停止するということはこの臨界状態を停止することである。
 緊急事態時における制御棒の強制挿入は、その最初の動作に過ぎず、原子炉の安定的停止(=「止まる」)に向けたプロセスはその瞬間から始まると言ってよい。 

3、ここで 稼働中(=原子炉が臨界状態にある)原発を緊急停止するということは、核燃料そのものは「使用中」状態にあることに注意する必要がる。つまり、臨界状態で核爆発を繰り返していた使用中核燃料に、制御棒を挿入することによって放出中性子を吸収・コントロールし、再臨界状態を起こさないようにするわけである。
 このプロセスにおいて絶対不可欠なのが、「冷やす」という作業である。つまり、①「止める」、②「冷やす」は、互いを分離できるような作動ではなく、一体化したもの、この二つが同時的に進行しなければ原子炉は「止まらない」のである。
 当然、「閉じ込める」にも失敗する。核爆発の破壊エネルギーを吸収し、それにも耐えられるような格納容器が設置されているのでなければ。たいていは、「最後の最後の手段」としてのベントによって格納容器、と言うよりも原発施設の破壊を防ごうとする。東電は、そのベントにも失敗したのだけれども・・・・・。

 おそらく、政府の「事故調査」の「最終報告」も、福島第一原発は「止まった」ものとして、「安全対策のさらなる
強化」を「提言」するものなるだろう。
 私は、今回の原発大災害において福島第一が止まらなかったのは、「想定外」の地震と津波に原因があったのではなく、それ以前的な、遵守すべき様々な「安全対策」を東電が怠り、それを安全・保安院と原子力安全委員会が黙過し、放置してきたことにあると考えている。

 この問題は、いずれまた機会があれば整理したいと思うが、それを考えるためにも、稼働中原発の「安全対策」なるものが、実態においてはもちろん、考え方においても方東日本大震災を前提したものには、まったくなっていないことを理解しておかねばならない、と思うのだ。

 どれを取り上げてもよいのだが、ここでは福井県が発行したものを紹介しておこう。「3・11」を経た今日、「安全対策」の理念と現実との乖離に気絶しそうになるが、それがリアリティであるということも含めて私たちは現実を受け止めざるをえないだろう。 廃棄されるべきは、
第一に、以下に書かれているような「安全対策」論であり、
第二に、「合理的に達成可能な」「安全対策」でやむなしとする原発建設のあり方であり、そして
第三に、ポスト「3・11」状況において「安全対策」なき原発が稼働している現実なのである。 

【参考文献】
●「原子力発電所の安全確保対策」(「福井県の原子力」別冊「第四章」)
1.安全確保対策
(1)安全確保の基本的考え方
(2)原子炉の自己制御性
(3)原子力発電所の地震対策
(4)高経年化対策
(5)安全性確保の高度化に向けた取り組み
2.原子力発電所の事故・故障と対策
(1)事故・故障件数の推移
(2)事業者における事故・故障防止対策

「批評する工房のパレット」内関連ページ
⇒「で、私たちは原発をどうするのか?--原発の「合理的に達成可能な安全水準」は安全を保証しない 」(3/30)

・・・
原発安全対策の妥当性議論 保安院、専門家の意見聴取会
 枝野幸男経済産業相は17日、福島第一原発の事故で得た技術的な課題を取りまとめて、全国の原発に反映させるため、専門家から聞く意見聴取会を原子力安全・保安院に設置すると発表した。(10月)24日に初会合を開き、来年1月にも中間報告をまとめる。
 意見聴取会は田中知・東京大教授ら専門家8人で構成。これまでに判明した原発事故の経過を整理し、技術課題を体系的に取りまとめ、政府の原発事故調査・検証委員会が年内にまとめる中間報告を踏まえ、来年3月までに最終報告を出す。(朝日)
 ↓
 こんな「意見聴取会」を新たに設置するのは、「科学的」には何の意味もないし、経済的にはただの税金の無駄使いに過ぎず、政治的には経産省の巻き返しと政策決定の遅延化をもたらすだけである。
 また田中氏も「止まった」論者の一人で、原子力ムラの総本山、東大の原発推進論者の一人
・・
 今回の原子力災害は、冷却機能の喪失によって被害が拡大いたしました。原子力エネルギーの安全利用の前提条件となる「止める」「冷やす」「閉じ込める」のうち、「冷やす」能力が欠如したことにより「閉じ込める」機能までもが不完全な状況に陥ってしまったことは、安全システムの基本にかかわる大きな一石を投じることになったと考えます。
 (中略)
 地震による津波被害は甚大なものでありました。しかしながら、そもそもの安全確保の考え方が適切ではなかった可能性があることを真摯に受け止めなくてはなりません。原子力エネルギーが人類のために役立つためには今後はあらゆる事態に直面してもなお対応が可能な、頑健なシステムを持つことこそが求められております。
・・

 「あらゆる事態に直面してもなお対応が可能な、頑健なシステムを持つこと」は不可能だということを前提に、私たちは東電をどうするかとともに、原発をどうするかを考えざるをえない。
 しかし、 田中氏が「拠点リーダー」を務める、グローバルCEOプログラム、「世界を先導する原子力教育研究イニシアチブ」は、そういう前提には立たず、プロメテウス的意思をもって、世界の原子力産業を「先導」しようとする。

日本の原子力産業と研究開発は海外進出・国際化という歴史的転回点にあります
 社会の中の原子力問題の解決をはかり、原子力新世紀に対応できる人材を育成する必要があります。原子力社会学を含む体系的原子力教育の基礎の上に原子力社会学、原子力エネルギー、放射線応用3つのイニシアチブを一体的に推進し、豊かで安心な社会の実現に貢献します。
・原子力社会学教育研究イニシアチブでは学内外との連携により原子力法工学、核不拡散、(核)技術と社会の調和(?)を教育研究します。
・原子力エネルギーイニシアチブは未来型エネルギー・放射性廃棄物と核燃料リサイクル・原子力プラント保全工学を分野複合・統合の教育研究により展開します。
・放射線応用は医学・生物のみならず原子力エネルギーへ放射線技術の応用を展開します。
・本プログラムは日本原子力界の中核を担う人材を供給し、基礎研究において優れた成果を挙げてきた東京大学原子力グループの教員を中心に、文理の学際複合領域である原子力の特徴を世界に先駆けて教育研究に取り入れ、世界第1級の教育研究拠点形成を図るとともに、未来の原子力の展開を担う人材の育成を目指します・・・。

 結構な話だが、少なくとも私が生きる社会は「東大原子力グループ」に「先導」されることは御免蒙りたい。 
 果たして、どのような中間報告と最終報告が出てくるか。楽しみにしていよう。 

セシウム放出量「政府推計の3倍」 欧米の研究者ら
 東京電力福島第一原発の事故で大気中に放出された放射性セシウムは、内閣府の原子力安全委員会が公表した推定値の3倍になるとの試算を、ノルウェーなど欧米の研究チームが発表した。チェルノブイリ原発事故の放出量の4割にあたるという。大気物理化学の専門誌に掲載された。
 研究チームは国内の測定データのほか、核実験探知のために設置された北米や欧州などの測定器のデータを使い、事故が起きた3月11日から4月20日までのセシウムやキセノンの放出量を分析した。  セシウムの放出量は約3万5800テラベクレル(テラは1兆)で、原子力安全委の試算値1万1千テラベクレルの約3倍。降下物は大部分が海に落ちたが、19%は日本列島に、2%は日本以外の土地に落ちた。

 キセノンの放出は地震で原子炉が緊急停止した直後に始まったとみられ、原発が地震で損傷した可能性があるという。  

 4号機の使用済み核燃料プールへ注水を開始した直後から放出量が激減したといい、プール内の核燃料が損傷して放出された可能性を挙げた。ただ、燃料の外観が保たれていることは東電の調査で確認されている。
 研究チームは、これらの分析結果は、測定データが不足し、放射能汚染で信頼性の高いデータが得られないことなどから、不確かさを伴うとしている。
 今年5月にも、核実験の監視システムなどのデータをもとに、福島第一原発で原子炉の停止後に連鎖的な核反応が再び起きた「再臨界」の可能性が指摘されたが、その後、データが訂正されたことがある。 (朝日)

2011年10月30日日曜日

原発災害・復興支援・NGO~現場の活動を通してみえてきたもの、その成果と課題

シンポジウム「原発災害・復興支援・NGO~現場の活動を通してみえてきたもの、その成果と課題」

 「3・11」から7カ月以上が経過した今、福島第一原発の事故がもたらした被害は拡大するばかりです。
 避難、除染、放射性廃棄物の処理、農業・漁業をはじめとする生業・産業への影響、補償・・・そのどれもが切迫した課題であるにもかかわらず、解決に向かう動きはなかなか見えてきません。
 首都圏でも放射能汚染に対しては、市民も自分たちの問題として敏感に反応しています。
 しかし、福島の現状や抱えている問題の深刻さ、複雑さが広く認識されているわけではありません。

 本シンポジウムでは、福島で脱原発運動にとりくんで来られた方、被災/被曝者支援に携わってきたNGOや脱原発市民組織の代表をパネリストに招き、「3・11」以後の活動の成果と今後に向けた課題を、具体的な活動の報告をまじえながら提起していただきます。

 原発事故の被害は簡単に「収束」することはありません。
 福島の人々とつながり、支援し、連帯する活動も、これから先に長い道のりが待っています。今後予想される困難を見据えながら、それを乗り越えていくために、まずは現状認識と互いの考えを共有し、具体的なアクションにつなげていきたいと思います。

日時: 12月17日(土)午後1時半―5時半
場所: 明治学院大学白金校舎本館2301教室
東京都港区白金台1-2-37(地下鉄白金台・白金高輪駅下車徒歩約7分)
地図⇒http://www.meijigakuin.ac.jp/access/
参加費: 500円(明治学院大学学生は無料)
共催: 〈NGOと社会〉の会/明治学院大学国際平和研究所(PRIME)
■協力:  FoE Japan/子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島)

プログラム
■パネリストからの報告・提起
●「放射能汚染対策と脱原発のとりくみ」
満田 夏花(FoE Japan)
●「福島の現状と行動の訴え」
吉野 裕之(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島))【避難・疎開・保養班】
●「いわき市での復興支援活動から見えてきたもの」
小松 豊明(シャプラニール震災救援活動担当)
●「JVCの福島支援活動と震災後復興支援について」
谷山 博史(日本国際ボランティアセンター=JVC代表理事)

コメント
猪瀬 浩平(明治学院大学国際平和研究所所員)
原田 麻以(明治学院大学国際平和研究所研究員/ココルーム東北ひとり出張所)

■質疑応答・討論

■コーディネータ
藤岡美恵子(<NGOと社会>の会/法政大学非常勤講師)

【お申込み・お問合せ】
 準備のため、できるだけ事前にお申込み下さい。当日参加も可能です。メールまたはFAXにて、件名に「12/17原発シンポ申込み」とご記入の上、お名前、ご所属(または学籍番号)、連絡先をお伝え下さい。
明治学院大学国際平和研究所
E-mail: prime@prime.meijigakuin.ac.jp
TEL:03-5421-5652 FAX: 03-5421-5653

2011年10月27日木曜日

パレスチナと沖縄を結ぶ――民族自決権と開発

シンポジウム「パレスチナと沖縄を結ぶ――民族自決権と開発」

 パレスチナと沖縄――。一見かけ離れたこの二つの地域と人々には、共通点があります。
 ともに、占領や植民地化によって、自らの運命を自ら決定する自己決定権が人々から奪われ、この何十年もの間、占領や米軍基地によって生活の破壊や人権の侵害に苦しみ続けています。占領の終結や米軍基地の撤去を求める人々の声が、無視されています。

 日本政府はパレスチナの国づくりに協力するとして、「平和と繁栄の回廊」構想などの開発援助を行っています。沖縄に対しては、米軍基地を押し付ける代わりに沖縄振興という名の開発資金を大規模に投下してきました。しかし、こうした開発はパレスチナや沖縄の人々の平和や自己決定につながっているのでしょうか?

 民族自決権と開発をキーワードに、パレスチナと沖縄を結ぶものを考えます。 (なお、本シンポジムは『脱「国際協力」——開発と平和構築を超えて』(新評論)の出版記念を兼ねています。)

日時:2011年12月3日(土)午後2時~5時
場所:龍谷大学深草キャンパス 21号館501教室
京都市伏見区深草塚本町67 (地下鉄「くいな橋」駅下車、徒歩7分/JR奈良線「稲荷」駅下車、徒歩8分/京阪「深草」駅下車、徒歩3分 )→ アクセスマップ: http://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/traffic/t_fukakusa.html
参加費:500円(龍谷大学学生は無料)

プログラム
第一部
パレスチナ/イスラエルの脱植民地化と日本:アパルトヘイト政策と開発政策の共謀
役重善洋(パレスチナの平和を考える会)
イスラーム社会における市民運動:その特徴とパレスチナ問題への影響」(英語、通訳あり)
イヤース・サリーム(パレスチナ・ガザ地区出身、元国際援助ワーカー、現同志社大大学院生)

第二部
琉球の自己決定権――開発による米軍基地押し付け政策からの解放を目指して
松島泰勝(龍谷大学済学部国際経済学科教授、ゆいまーる琉球の自治代表)

■質疑応答・討論

コーディネータ: 中野憲志
通訳: 藤岡美恵子

共催: 〈NGOと社会〉の会、パレスチナの平和を考える会、NPO法人ゆいまーる琉球の自治、龍谷大学民際学研究会、国際開発学会島嶼部会
お問い合わせ(予約不要)
(株)新評論編集部内 〈NGO と社会〉の会:
TEL 03-3202-7391/FAX 03-3202-5832

原発推進派のコスト論のコスト

 原発推進派のコスト論のコスト


 「原発のコスト」をめぐる原子力ムラの面々が編み出してゆく、様々な原発推進を前提とした言説(それは、「科学的データ」に基づく「解析」の結果を踏まえたもの、として吹聴されるのが常なのだが)を考えていて、ふとリビアに対する武力による「人道的介入」(=「保護する責任」の実行}に関するヒューマンライツ・ウォッチ(HRW)の弁明が重なった。それはこういうことである。

 「保護する責任」を推進するHRWは、次のように言う。
 HRWは、リビア民衆の人権保護のために、国連安保理が「保護する責任」の履行に向け、武力行使を含めた必要なあらゆる措置を取ることを定めた安保理決議を支持するが、実際に行われた武力攻撃に対しては支持も反対もしない、と。 つまり、「立場を取らない、という立場」である。

 11月20日(日)、法政大学の国際文化学部との共催で行うシンポジウムでは、HRW(ニューヨークの本部)に対して私たちが送った計4問の質問に関するHRWの回答が明らかにされる予定になっているが、その第一問目がこのことに関する質問である。ごく率直に言って、私(たち)には、そういう「スタンスの取り方」がよく分からないのである。
 
 一般的に言えば、ある政治的事象に対し、賛成もしなければ反対もしない、立場を取らない、ということはありえるだろう。しかし、自らが推進し、国連安保理が決議をあげるよう提言してきたにもかかわらず、実際に行われた武力攻撃に対して「賛成も反対もしない」という「立場」は、どのような論理によって成り立つのか?

 私個人は、「保護する責任」に関し、HRWとは異なる立場を取る者であるが、立場の違いそのものよりも、どのような論理を伴った回答が寄せられるのか、今はそちらの方が関心がある。
 一部の武力による人道的介入論者が、実際に行われた武力攻撃に対して「立場を取らない、という立場」を取るのは今回が初めてではない。旧ユーゴ内戦に対するNATOの空爆、武力介入の時も、HRWや一部の介入論者は同様の立場を取ったことがある。「あの時」も、私にはその論理が理解できなかった。

 では、なぜ上に述べたHRWのスタンスの取り方と「原発のコスト」をめぐる原子力ムラの面々の言説のあり方が重なるのか。
 一言で言えば、自らが推進・唱導する事柄が招きうる結果に対し、私の眼から見れば、立場を取ろうとせず、それゆえ当然なことに責任も取ろうとしないからだ。
 表現を変えると、起こりうるかもしれない結果に対して、組織としてまた個人として、責任を取る意思を持たないにもかかわらず、また実際に取れるはずもないことを、推進したり唱導したりしているからである。しかも、反対論者の見解を、事実上、黙殺する形で。
 
 原発推進派の「原発コスト」論に引き付けて、その問題点を具体的にみてみよう。

 2
 一昨日(10/25)、内閣府原子力委員会の専門部会が、今後の原発の発電コストに対する福島第1原発災害の影響は「限定的」との見解を打ち出した。(毎日新聞の記事、「原発事故コスト:「上乗せ1.2円」…他燃料より「割安」」その他を参照)。

 報道によれば、この「限定的」なる原子力委員会の「試算」が、同じ内閣府の「エネルギー・環境会議」に設置された「コスト等検証委員会」などに「報告」され、「電源別の発電コストの見直し作業に反映される」ことになっている。

 「原発のコスト論」に関する本質論議から言えば、毎日新聞の記事が紹介している「NPO原子力資料情報室や環境保護団体でつくるグループは「原発を費用だけで検討すること自体、検証される必要がある」」という点は、私も同意見である。
 しかし、この本質論議以前にはっきりさせておかねばならないのは、原子力委員会の「試算」の仕方そのものに問題点が多すぎることである。

① 「過酷事故の被害額」の算定
 毎日新聞によれば、「原子力委は、政府の「経営・財務調査委員会」が試算した廃炉費用と損害賠償額を合わせた今回の事故の被害額(5兆5045億円)を参考に、出力120万キロワットの新設炉が過酷事故を起こした場合の被害額を3兆8878億円と仮定。過酷事故の発生頻度を掛け合わせて事故コストを算出した」。

 ここで問題にしたいのは、「今回の事故の被害額(5兆5045億円)」が、未だ暫定的な額であって、一兆数千億にのぼるとされている除染費用などが含まれていないことではない。そうではなくて、「出力120万キロワットの新設炉が過酷事故を起こした場合の被害額を3兆8878億円」とする「仮定」にマヤカシがあることである。

 私は原子力委員会の「報告」を読んでいない。が、読まなくともその「試算」の仕方そのものが誤っていることは確信を持って言える。
 原子力委員会は、「原発のコスト」を算出する際の「仮定」の時点ですでに間違っている。
 なぜなら、第一に、
 現存する日本の原発、また今後「新設」が計画されている原発の中で、福島第一と同等の「過酷事故」を起こした際に、その被害総額が今回のそれより上回ることが想定できる原発が多数存在するからである。断定してよいと思えるものを列挙するなら、北から泊、女川、柏崎刈羽、浜岡、玄海原発・・・などである。(「美浜はどうした? ××原発はどうなんだ?」とか、いろいろ意見はあるだろう。要するに、想定しうる原発のリストはまだまだ続きうる、ということを確認することが重要である。)

②「過酷事故の発生頻度」と「稼働率」の数値設定の誤り
第二に、「福島原発事故を含めた国内実績に基づき、事故の発生頻度を500年に1回とする」ことも、「稼働率60%」という仮定も根拠がないこと、それと同様に、
第三に、「新設炉は過酷事故の発生頻度を10万年に1回以下とする国際原子力機関(IAEA)の安全目標を満たしている」という仮定も、「稼働率80%」という仮定も、ともに仮定の設定自体が誤っていることが指摘できる。

 「事故の発生頻度」の誤りに関しては、次の朝日新聞の記事を参照するだけで十分だろう。
・・
「従来の考え方はリセットを」 地震学会が反省のシンポ
 日本地震学会は、東日本大震災の想定や被害軽減への貢献が不十分だったという反省から、研究者と社会のかかわりかたを考える特別シンポジウムを15日、静岡市で開いた。参加者は、研究や予測の問題を率直に語り、討論した。
 地震の予知・予測研究に長年批判を続けてきた東京大のロバート・ゲラー教授が特別講演で「現在の地震学の考え方である、大きな地震は周期的に繰り返し、発生前に前兆現象があるという前提は成り立たない」と批判。「従来の地震発生の考え方はリセットするべきだ」と呼びかけた。

 「結果的に、私自身は間違っていた」。東北大の松沢暢教授は自身の発表でこう述べた。宮城県沖ではマグニチュード(M)7級の地震が数十年おきに繰り返すと予測され、防災対策が進んできたが、発生した地震はM9だった。シンポジウムでは、なぜM9が想定できなかったのか、地震学の常識がじゃまをしたことなどを分析した。これまでの考え方を見直し、今後は、今回よりさらに大きいM10の巨大地震の可能性も検討する必要があるとした。
・・

 「結果的に」、原子力委員会も安全委員会も「間違っていた」。
 にもかかわらず、これまで地震研究の知見を黙殺してきたことさえ省みられることなく、この期に及んでまた同じ過ちがくり返されようとしている。原子力委員会、また「エネルギー・環境会議」の「コスト等検証委員会」には、地質学会に見習い、まずは反省することを覚えてもらわねばならないだろう。そして、「これまでの考え方を見直し、今後は、今回よりさらに大きいM10の巨大地震の可能性も検討」すること。その上で、「過酷事故の発生頻度」を算定し直す「必要がある」。

 また、「稼働率」については、2011年10月現在の稼働率が約20%に過ぎないことを前提に算定すべきだろう。「60%」「80%」を「仮定」するなんて「お話にもならない」と言うべきである。

 結論的に言えば、原子力委員会の「試算」なるものは、福島第一原発災害を経てもなお「反省」することを知らない原発推進派が、原発の「コスト安」を偽装することによって再稼働、あわよくば「新規」建設に弾みをつけようとする、きわめて政治的な代物である。その「仮定」なるものは、現実と実証的データに裏打ちされない、原子力ムラの願望をただ表現したものに過ぎないのである。

 野田政権は、こうした原子力ムラの「報告」や「提言」を基に、来年8月までに国の「エネルギー・環境」政策を取りまとめるのだという。
 しかし、来年8月を待たずして、これから出てくるであろう「報告」「提言」などの結論は、すでに見えている。いろんな「科学的データ」や「解析」結果を例証した上で、「やっぱり原発が一番割安、クリーン」という「3・11」以前に原発正当化論に活用された主張の二番煎じである。

 「原発のコスト」を論じながら原発推進を唱える者たちは、そうした主張によって失うことになる「原発コスト論のコスト」をこそ算定すべきではないだろうか? 一般市民の信頼を回復できないという「コスト」ほど原発推進派にとって高くつくものはないと私には思えるのだが、どうだろう。

...
「原発止めたい」 福島の女性ら経産省前で座り込み
 東京電力福島第1原発事故を受け、福島県の女性らが27日、「立地県の住民として、今こそ日本中の原発を止めたい」などと訴え、東京・霞が関の経済産業省前で3日間の座り込みを始めた。
 福島県の女性約50人や首都圏など県外からも数百人の女性が集まった。「脱原発」「怒」など思い思いのメッセージを込めた旗や紙を掲げた。

 福島県川俣町から山形県米沢市へ子供2人と避難しているNPO法人理事長の佐藤幸子さん(53)は「このままでは、命を未来へつないでゆく母性が許さない。その思いを込めて座り込みをする」と力強く訴えた。
 福島市から福岡県福津市へ4歳の娘と避難している宇野朗子さん(40)は「世界が原発や核と決別するよう、祈るような気持ちだ」と話した。(産経)

2011年10月20日木曜日

日本の「国際協力」と人道的介入-- 『脱「国際協力」——開発と平和構築を超えて』出版記念シンポジウム

日本の「国際協力」と人道的介入-- 『脱「国際協力」——開発と平和構築を超えて』出版記念シンポジウム

 「国際社会への脅威」であるテロリストを掃討するとの名目でアフガニスタン戦争が始まって10年。
 しかし、米軍とタリバンとの戦闘はむしろ激化し、カルザイ政権に対するアフガニスタンの人々の不信・不満も強まっています。この10年は一体何だったのかと疑問に思わざるを得ません。
 一方、今年3月、英仏米とNATO軍は、カダフィ政権による虐殺から市民を保護するためとして軍事介入を行いました。私たちはこの介入をどう考えるべきなのでしょうか。

 ここ数年、人権侵害や大量殺害から市民を保護するという理由で、外国の紛争や内戦に介入する例が増えています。国連も、自国民を保護する意思や能力のない国家に代わって、国際社会が市民を「保護する責任」という考え方を推進しています。

 しかし、大量殺害を防ぐためなら軍事介入もやむなしという考え方は正当化できるのでしょうか?
 軍事的手段以外に人権侵害や大量殺害をやめさせる方途はないのでしょうか?
 軍事介入で本当に民主化や平和を導けるのでしょうか?
 こうした根本的な疑問が存在する一方で、人権を守るために国際社会の介入が必要だという考え方もあり、人権・人道団体の間でも意見は分かれています。

 本シンポジウムでは、リビアとアフガニスタンの事例を通じて、人権や民主化を理由にした軍事介入がどのような問題をはらむのかを考え、そうした事態に日本の「国際協力」がどう対応すべきかを話し合います。
 リビアへの早期の介入を支持してきた国際人権団体、ヒューマンライツ・ウォッチ(本部)に対してシンポジウム主催者が送った、「保護する責任」に関する公開質問状の回答も紹介します。
 ぜひご参加ください。

■日時 11月20日(日)午後2時~5時
■場所 法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー6階0610教室
東京都千代田区富士見2-17-1(JR/地下鉄 飯田橋・市ヶ谷駅各徒歩約10分)
地図 http://www.hosei.ac.jp/hosei/campus/annai/ichigaya/access.html
■参加費 500円

■プログラム
●「「国際協力」誕生の背景とその意味」
北野収(獨協大学教員)
●「これからのアフガニスタン支援をどうするか」
長谷部貴俊(日本国際ボランティアセンター・アフガニスタン現地代表)

●「保護する責任」に関する公開質問状に対するヒューマンライツ・ウォッチの回答
(文書と口頭による紹介)
●「「保護する責任」にNO!という責任」」
中野憲志(先住民族・第四世界研究)
●「国際法におけるオリエンタリズム」
阿部浩己(神奈川大学法科大学院教員)

●質疑応答・討論

■主催 〈NGOと社会〉の会・法政大学国際文化学部
■お問い合わせ(予約不要)
(株)新評論編集部内 〈NGO と社会〉の会
TEL 03-3202-7391/FAX 03-3202-5832

2011年10月18日火曜日

政府・東電は、なぜ「冷温停止」を急ぐのか?

政府・東電は、なぜ「冷温停止」を急ぐのか?


 昨日(10/17)、政府と東電は、福島第一原発の「事故収束」に向けた「工程表」の改訂版を発表した。その中で、原子炉の「冷温停止」の達成時期を「年内」と初めて明記したことが報道されている。 「冷温停止」の前倒しの理由について、朝日新聞は「細野豪志原発担当相が9月の国際原子力機関(IAEA)総会で年内達成を宣言した」こと、そして「原子炉がすでに冷温停止に近い状態にあるため」と報じている。

 原発担当大臣がIAEAで宣言したなんてことは、「冷温停止」と何の関係もない。また、「原子炉がすでに冷温停止に近い状態にある」と朝日新聞は断定的に書いているが、これは政府・東電がそう言っているだけであって「科学的根拠」があるわけではない。唯一指摘できるのは、先月28日に、1~3号機すべての格納容器内の水温が初めて100度を切った、ただそれだけである。

 朝日新聞は、「冷温停止の主な条件」を、「(1)原子炉圧力容器底部の温度が100度以下(2)放射性物質が新たに発電所の外に放出されない――の二つ」と書いている。しかし、これは子ども騙しも同然だ。(1)は(2)という現象が起こらないための絶対必要条件、つまり(2)は(1)の結果であって、原子炉の「冷温停止」とは無関係であるからだ。

 そもそも「100度以下」とは、反応による圧力容器内の水温上昇→沸騰→水素発生・圧力上昇→爆発を起こさない最低限の数字である。もちろん、原子力工学の専門家がこの数字を「冷温停止」の指標にしていることを知らないわけではないが、メルトダウン→メルトスルーを起こした原子炉・圧力容器の安定的冷却の判断基準にこれを適用するのは甘すぎるだろう。

 損壊していない使用済み核燃料を保管している「プール」の水温に限りなく近い、ある一定範囲内の水温(たとえば、50度から60度とか)から一定温度以上(たとえば70度とか80度とか)には二度と上昇しないと判断しうること、これを「格納容器が安定的に冷却されている状態」とし、「次の廃炉作業へと進む絶対条件」というのなら、私たち一般人にも理解しやすいし、少しは安心できるかもしれない。その数字を決定するのは原子力ムラの専門家以外には存在せず、その数字を確定し、自ら確定した数字にムラ全体として責任を取るべきなのである。

 いずれにしても、脱原発を社として宣言した朝日新聞は、もう少し国・東電が発表する内容にクリティカルであるべきだ。これでは、ただの「大本営発表」の垂れ流しに過ぎない。

 一方、毎日新聞は「冷温停止前倒し」宣言に対し、次のように分析している
・「溶融燃料が圧力容器から格納容器へ落ちているとみられ、圧力容器底部の温度だけで炉心内の状況を判断するのは困難」
・「放射性物質の放出量評価についても「暫定値」だけで、「達成」を明言するにはより精度の高いデータが求められる」
 当然のコメントだと思う。その上で毎日新聞は、「政府の国会答弁によると」と断わった上で、「第1原発の「冷温停止状態」の定義は主に」、
(1)圧力容器底部温度が100度未満
(2)原子炉からの放射性物質の管理・抑制
(3)放射性汚染水を原子炉の冷却水に再利用する「循環注水冷却システム」の安定運転の維持
の3点を再度、列挙する。

 しかし、この(3)、今後のあらゆる作業にとって絶対必要条件である(3)も、上に述べた「ある一定範囲内の水温から一定温度以上には二度と上昇しない」ことと、(2)を発生させないための条件になる。逆に言えば、(1)や(2)は、(3)が達成されることによってもたらされる結果(現象)なのだ。

 つまり東電は、とにかくできるだけ早く「原子力緊急事態はこれで収束した」という宣言を国内外に発するために(補償をケチり、補償総額を減らすために?)、互いが互いの条件でありその結果(現象)と理解すべきものを「冷温停止」の「条件」と定義し、それを国が一緒になって政治的に追認しているだけなのだ。補償をケチり、補償総額を減らすために? 一刻も早く「収束宣言」を出さないと、来年度の「原子力関連」の予算編成に間に合わない?

 「冷温停止」の政治的定義とその政治的宣言。そして「原子力緊急事態」の終息宣言。
 毎日新聞は、「測定が遅れている3号機の[放射性物質の]放出量について、保安院は「暫定値に過ぎない」としており、年内までに再測定したうえで、敷地境界の年間被ばく線量が法令基準(年1ミリシーベルト未満)を達成しているか判断する方針」と報じている。しかし、であるなら、なぜその「再測定」と「判断」を待った上で、「前倒し」を検討しようとしないのか?

 どのような政治が、この「前倒し」に隠されているのか。私たちはそれをこそ見抜く必要がある。


 NHKは今日のニュースで、「炉心が再び損傷する確率を試算することによってどこに弱点があるか[東電が]解析したところ、配管などの設備が屋外にあることで、注水システムが破損して注水が止まるリスクが高いことが分かり」、東電が「対策を強化する」ことにしていると報じた。

 東電の「解析」によって何が判明したか?
 「大津波で注水システムが流されて注水できなくなるリスクが最も高く、次いで、注水システムが壊れて注水の再開に失敗するケースのリスクが高い」ことだそうだ。

 また、読売新聞によれば、東電は「1~3号機で再び炉心が損傷する確率は、約5000年に1回とする試算結果」をまとめたらしい。「大津波そのものの頻度は700年に1回と見積もっている」云々・・・。

 しかし、よく考えてみてほしい。
①配管設備が屋外にあるのだから、現行の注水システムがかかえる「リスク」は、津波などによって流されてしまうこと、あるいは、
②直下型地震などにより、配管そのものが何か他の物体によって破壊されたり、あるいは配管結合部分が破壊されることであろうことは、素人にだって分かることだ。 さらに、
③この間の国内外の地震研究の専門家によって、「大津波そのものの頻度は700年に1回」という東電の「見積もり」に根拠がないことが明らかになっている。
 よって、私たちは小難しい「解析」などせずとも、
④東電の「約5000年に1回とする試算結果」に何の信憑性もないことも理解することができるわけである。

 NHKは、「このため東京電力は、緊急時の措置として作った注水システムの補強対策や、大津波の際に注水を継続するための対策の検討を急ぎ、冷温停止状態を安定的に維持することにつなげることにしています」と報じた。
 しかし、東電が言う「冷温停止状態」の「安定性」とは、実はこれらの「対策」が施されてはじめて言えることなのだ。(私が、「3・11」後初の東電の防災訓練に触れて「能天気」と書いたのは、まさにこのことを指している。機会があれば、後日また述べることにしよう)


 ところで。
 毎日新聞によれば、「冷温停止前倒し」に関し、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「上部からの注水で十分冷却できており問題ない」と説明したという。

 この発言に触れて、私は改めて「なぜ東電の技術屋は、自分たちが過去何度も判断を誤り、前言を翻し、「訂正」を繰り返し、そうすることで日本中を恐怖と不安に叩き込んできたことを顧みようとせず、かくも断定的に物が言えるのか?」と考え込んでしまったものだ。自分たちの判断はまた誤ってしまうかもしれない、慎重には慎重をきす、という姿勢が、どうしても感じられないのである。
 横柄とか傲慢という言葉では形容できない、何かが根本的に欠落しているとしか私には思えない、そんな人間の姿を垣間みてしまうのである。

 私たちは、「3・11」直後に東電経営陣が、事態の深刻さに怯え、「事態収束」作業から社として逃亡しようとしたことを忘れない。その報道に初めて接したときの、あの脱力感、怒りとかそういう感情を突き抜けたような徒労感を私は忘れない。 その直後だったか、「東電という企業を日本社会がなぜ生み出してしまったのか、私たちは真剣に総括する必要がある」といったような事を、このブログで書いた記憶がある。

 私個人に関して言えば、「3・11」のはるか前から東電という企業は「アウト!」だった。しかし「あの瞬間」において、それはもはや何物によっても変わりようがないものになった。
 「あぁ、この国は原発という「持ってはいけない物」「持てるはずがなかった物」を持ってしまったんだな、そしてまだ持ってしまっている・・・」という、「実感としての恐怖感」とでも言えばよいのか、そんな思いに襲われたのである。

 ここで私が言いたいのは、東電が何を言っても、また言ってることが仮に正しくとも、もう日本人の大半は東電という企業そのものを信用しなくなった、ということだ。東電が私たちをして、そうせしめてしまったのである。
 それと同じことが、国についても言える。そして、「3・11」直後から4月初旬ごろまでメディアを席巻した原子力ムラの面々に対しても言えるだろう。

 「原発の安全神話」とともに崩壊したのは、それを体現してきた者たちの人間性そのものに対する信頼性の崩壊なのだ。このことを現政権、東電、その他の電力企業、原子力ムラの面々は、どうも未だに理解しない/できないでいる、と思えてならないのである。

 一般の私たちの目線から言えば、ポスト「3・11」における原発の「安全性」の基準は、パソコンによって「解析」するような「工学的耐性」にあるのではない。原発というきわめて特殊な発電装置を管理・運営・経営・研究開発している者たちに対する人間性の信頼が、どこまで回復できるかにある。私自身はその可能性に対して、きわめて悲観的だ。
 このことは、「原発の工学的耐性と社会的耐性」をまた論じるときに再考したいと思うが、それが完全に崩壊したこと、地に落ちてしまったことを私たちは「これから原発をどうするか?」を考えるにあたり、認識の出発点に据える必要があるだろう。

 それは、「科学」的知見で解明したり、説得したりすることはできない。
 圧倒的多数の日本人が、もう感じ取ってしまったもの、そして信念化されてしまったようなものだ。
 それは、人間の集合的観念の問題である。それはもちろん、とても不合理であり、不条理なものだ。
 しかし、だからこそ決定的なものなのだ。

 「冷温停止」と「事故収束」を政治的に宣言することは自由である。
 だが、それをほとんどの日本人は信用しないだろうということ、少なくともこのことだけは理解できるようになってほしい。 私は、日本に多く存在するであろう、そう切に願う者の一人である。

・・・
「冷温停止状態、発表出来る状況」…平野復興相
 平野復興相は18日、福島県二本松市で開かれた民主党の会合で、東京電力福島第一原子力発電所事故の収束に向けた工程表に関連し、「ステップ2」の柱である原子炉の冷温停止状態は事実上、達成済み(?)との認識を示した。
 平野氏は「明日にでも冷温停止状態を発表しようと思えばできるが、警戒区域(の縮小など)をどうするか、セットで出すべきだということで、発表を差し控えている状況だ」と説明した。政府と東電は17日に改訂した工程表で、冷温停止状態の達成時期を「年内」と明記している。(読売)

2011年10月17日月曜日

国連PKOのハイチからの即時撤退を求める国際署名


 10月14日、国連安全保障理事会は、ハイチに駐留する国連PKO(MINUSTAH)の駐留期限を一年延長した。と同時に、その規模を現行の約1万3300人から約1万600人に縮小する決議案を全会一致で採択した。「治安情勢の改善」などがその理由とされている。

 国連ハイチPKOについては、昨年2月から陸上自衛隊約330人が参加し、「がれき除去」や「道路補修」などを行っていることは周知の通りだが、国連からの「要請」を受け、すでに野田政権は来年1月末に自衛隊の現地駐留をさらに一年延長すべく、調整に入っている。

 しかし、安保理の駐留延長決定を前に、ハイチ国内はもちろん、全世界から国連PKOの即時撤退を求める声が上がった。ハイチの上院議会は満場一致でこれを採択し、アルゼンチンのノーベル平和賞の受賞者、ペレス・エキスヴェルをはじめ、世界各地の市民団体、NGO、作家、ジャーナリストなどが、PKO即時撤退を求める署名運動に賛同し、これを全世界に回覧しているのである。(Nobel Prize Winners from Latin America Demand Withdrawl of all UN Troops in Haitiを参照)。

 この運動の中心になっているのは、「南」の国々の債務返還の撤回を求めるジュビリー・サウスをはじめ、ラテンアメリカの団体・個人だが、サイト下部の賛同団体・個人一覧を見ると、その世界的広がりと、ハイチへの復興人道支援活動に取り組んできた団体・NGOも多数存在することがわかるはずである。
 日本におけるハイチや国連PKOをめぐる「報道」は、ほとんど何もこうした取り組みや現地の本当の声を伝えない。現地で活動している「緊急人道支援」を行っているNGOも同じである。少なくとも、事実を事実としてまず認識することが、とてもたいせつである。


 私は8ヶ月前、「人道的帝国主義とは何か---「保護する責任」と二一世紀の新世界秩序」のなかで、次のように書いた。
・・
NGO共和国
 ハイチがNGO共和国になったという国際人道・開発NGOに対する批判がある。
 たとえば、アルジャジーラが報道した、Haiti 'a republic of NGOs' を観てほしい。記事にはこのようなことが書かれている。A report from Oxfam, one of the major NGOs working in Haiti admitted that international groups often exclude the state in their plans and should do more to work with the government.

 オクスファムは、まだこの事実を認めているだけマシだと私は考えている。圧倒的多数の欧米のNGOは、そして一部の日本のNGOも、NGOというよりは「サービス・デリバリー団体」化し、援助対象国の中央・地方の政府・行政機構、また現地の住民組織(NGOではない)や民衆運動体をバイパスして、一方的な「援助の押し売り」をしている現実がある。なぜか。「人道緊急援助」というのは、今日において、それ自体が巨大なグローバル産業になっているからである。こういう援助産業が、欧米の植民地支配の遺制と遺産を清算し、「自立」しようとしているその最中に海外から「ベイシック・ニーズ」の供給者として次から次に入ってきたらどうなるか? 

 ジャパン・プラットフォームなどは、活動展開の規模で言えば、チッポケな存在でしかない。しかし、やっていること、その結果がもたらしていることは、「NGO共和国」を世界各地につくっている欧米の巨大開発・人道NGOと同じである。しかも問題なのはサイトを見ても、そのことを捉え返そうとする気配が感じられないことだ。捉え返すどころか、年末まで募金とプロジェクトを延長するという。

 「震災からの復旧が遅れているハイチでは、ユニセフが水衛生分野で2011年末まで、IFRCがシェルターで2011年半ばから2011年末まで活動の継続を表明するなど、国際機関は緊急段階の支援が長期に必要なことで一致している。かかる状況下、JPFとして緊急対応期間を2011年末まで延長することが適切だと判断した」?

 まったくのデタラメである。復旧が遅れているのは、国連機関も国際NGOも、互いに競合しあうだけで、全世界から集めた寄付・税金・物品を、効率的・合理的に、現地の「ニーズ」に合わせて配分することをしないからだ。NGO間の何のコーディネーションもない。いわばすべてがバラバラで、「クライアント」の争奪戦・陣地戦を展開し、ハイチの人々を国連機関とNGOの管理・統制下に置き、実態的に支配/統治してしまっているのである。
 60ヶ国以上の国から、1万組織以上の「NGO」が、カリブの「最貧国」ハイチにハエのように群がり、「卵」を産み、寄生することによって実効支配している。ハイチにおいて、国際人道・開発NGOは脱植民地化の阻害物にしかなっていない。現代世界の最もマージナルな国々の、最もマージナルな人々にとって、今では「アラブの王国」を含む「援助大国」・国連・国際NGOは、文字通り「エイリアン」な存在なのである。
・・

 この間の分析では、全世界から集められたハイチ復興支援募金総額の、3分の2近くの金が実際にはハイチの人々のために使われていないことが明らかになっている。国連機関もそうだが、中でもひどいのは米国の赤十字や緊急支援型の「NGO」集団である。スタッフの超高額な給与、豪華なホテルに滞在しながら展開する「現地駐在費」、募金を募る広告料、ハイチ以外で活動するための資金ストック、などに消えてゆくからだ。
 そこでは、世界の「最貧国」の一つに数えられているハイチで起こる災害を、「人道的」な国連機関やNGOの一部が、文字通り「食い物」にしている構図が浮かび上がってくる。

 国連PKOは、ハイチの議会からも、人々からも求められていない。誰も一年延期してくれなど、言ってない。「速やかに撤退してくれ、米軍もフランス軍もイギリス軍も出て行ってくれ!」 これがハイチの多数派の要求であり、望みなのだ。 もちろん、自衛隊も望まれていない

 私たちが、さしあたり考えなければならないのは、自衛隊330人を輸送し、現地に一年間駐留させる費用によって、いったいどれだけのハイチの人々、子どもたちが救えるのか、ということだ。南スーダンも、まったく同じである。1万人、2万人、それとも10万人?
 自衛隊員一人の「特別派遣手当」は、一日2000円だそうだ。しかし、この額は軽くハイチ人10人分の平均日給を超えるだろう。まるで強制収容所のような、移動の自由さえままならない「キャンプ」に収容され、働くことができない=現金収入がまったくない、というのが今でもキャンプに残らざるをえない多くのハイチ民衆の現実なのだから。 「外敵」の侵略や武力攻撃(いったい誰からの?)から国を守るはずの自衛隊は、海外では土建・土方専門部隊に豹変するが、自衛隊が行う作業を現地の人々を雇って行うなら、いったいどれだけの雇用を創出できることか!

 その具体的数字を考えながら、次の記事に目を通してみてほしい。現地の人々に望まれてもいない国連PKOと自衛隊の駐留を、いかに中満泉(国連PKO局)が自画自賛しているかが分かるだろう。⇒「PKO:南スーダンへの派遣検討 国連平和維持活動局政策部長・中満泉さんに聞く」(毎日)
・・
 「ハイチでの自衛隊の働きぶりは国連で高く評価されています。能力が高く、規律もよく、何でも完璧にこなす。国連内の会議でも私は鼻が高いのですが、加えて日本だからこそのものがある。政府開発援助(ODA)と国際協力機構(JICA)のノウハウと自衛隊を組み合わせる(!)ことで、さまざまな仕事ができることです。
 例えばハイチで日本は自衛隊と無償援助を組み合わせ孤児院をつくるなどしていますが、これは他の部隊には不可能です。なぜかというとPKO予算はほとんど部隊の人件費と施設費。基地を整備しヘリポートをつくるといったもので、開発支援をする余裕はない」(⇒これが国連PKOの実態である。) 
・・

 この中満何某という人は、自衛隊の存在意義を強調したいあまり、その自衛隊が属する本体たる国連PKOの存在意義を、いかに自分が貶めているか、気がついていないようだ。ハイチの人々のために、復興のためにと全世界から集められた寄付や税金が、こうした国連官僚を養うために流用されていることも、私たちはあわせて理解しておいた方がよいだろう。

 自衛隊は、ハイチの人々の声に耳を傾け、国連PKOとともに直ちにハイチから撤退すべきである。
 駐留延長を認めるべきではない。

「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「自衛隊は何をしに南スーダンに行くのか?
脱「国際協力」 ~開発と平和構築を超えて~』(藤岡美恵子・越田清和・中野憲志編、新評論)のご案内

 以下、ハイチ駐留軍隊の即時撤退を求める全世界署名運動の主意文(英語)をそのまま転載しておきたい。
 太字で強調している部分に留意しながら、その趣旨を掴み取ってほしい。これがハイチと、国連PKOの現実、実態である。そしてこれを読めば、なぜ私たちが「脱国際協力」を主張し、「開発と平和構築を超えて」と語るのか、その理由の一端も理解していただけると思う。取り急ぎ、要点のみ、ざっと翻訳し、紹介してこう。

・・・
To the Secretary General of the UN, Dr. Ban Ki-moon;
To the Governments of States members of the Security Council and the MINUSTAH;
To the Secretary General of the OAS, Dr. José Miguel Insulza
To the international community and public at large

Receive our greetings.
It is surprising and humiliating to certify that "Haiti is a threat to world peace and security", as the UN Security Council does, year after year, in order to ratify the presence there of a military-police mission said to be for the purposes of stabilization: the MINUSTAH.

 国連PKOの駐留延長を正当化するために、安保理はハイチへの駐留が「国際の平和と安全」のために必要、つまりは国連が介入を続けなければハイチがこれの「脅威」になる、だからハイチの「安定化」のために駐留を継続する、という言い方をする。

It is a statement that hides the impunity of the major powers and the hypocrisy that allows them to intervene militarily, politically, and economically in Haiti, drawing as well on the services of others. The real threat is that intervention itself, a laboratory as well for new forms of domination and popular control.

 しかし、こうした言説は、軍事的・政治的・経済的にハイチに介入する世界の主要国の犯罪的行為を免罪し、その偽善を覆い隠してしまう。ハイチの民衆にとって、本当の「脅威」とは、国際的介入そのものなのだ。ハイチはこれら主要国による新たな形態の支配と民衆統制の実験場と化している。

The intervention of foreign troops over years, whether from the United States, France, other powers, or now the MINUSTAH, has not improved the lives of the Haitian people. Rather, their presence undermines the sovereignty and dignity of that people and ensures the process of economic recolonization that is directed now by a virtual parallel government - the Interim Commission for the Reconstruction of Haiti - whose plans are more responsive to the lenders and entrepreneurs than to the rights of Haitians. The Haitian Senate recently voted unanimously for the withdrawal of this occupation force.

 米仏などの主要国の軍隊、現在では国連PKOなど、長年に及ぶ外国軍の存在は、ハイチ民衆の生活の向上に寄与していない。むしろ、民衆の主権と尊厳を損ない、経済的再植民地化のプロセスを確たるものにするものである。それは、事実上のもう一つの政府、すなわちハイチ人の権利よりも海外の投資機関や企業家に機敏に反応する「ハイチ復興暫定委員会」によって指揮されている。
 こうした中、議会上院が満場一致で占領軍の撤退を議決した。

As if this were not enough, the MINUSTAH directly usurps some USD 800 million per year (equivalent to nearly half of Haiti's annual budget) of resources needed by the people for their health, education, housing, water and sanitation, food sovereignty and job creation. Worse still, the MINUSTAH troops have built-up a real criminal record: they abuse and rape women and youth, and they kill. They kill with bullets when people stand up to hunger and low wages, and they kill with cholera: some 6,000 Haitian women and men have been killed by the disease introduced by the MINUSTAH. Enough!

 国連PKO(MINUSTAH)は、ハイチの国家予算の半額にのぼる8億ドルを横領している。 そればかりか、国連PKOはハイチの女性、青年を虐待し、レイプしている。そして連中は民衆が、飢餓と低賃金に抗して立ち上がると銃口を向け、殺す。さらには、6000人のハイチ人がPKOがもたらしたコレラによって殺されたのだ。もう、たくたんだ!

We demand the immediate withdrawal of troops and non-renewal of the MINUSTAH mandate. The Security Council will vote on the renewal of the MINUSTAH before October 15, and some governments have begun to pose the need for changes. According to the Haitian organizations with which we are in permanent contact, the defense of Haitian people, of world peace and security, demands an indepth, structural decision in this regard. In addition to the MINUSTAH withdrawal, the non-intervention of any foreign military or police presence must be ensured, including in particular the total rejection of the permanence there of any U.S. troops. It is also vital that the crimes committed be sanctioned and reparations made.

 私たちは、外国軍と国連PKOの即時撤退。外国軍と警察の非介入の保障、とりわけ米軍の恒久的駐留の完全なる拒絶、そして駐留外国軍による犯罪が罰せられ、補償されることことを要求する。
 国連加盟国の中には、ハイチへの国際的介入に関し、変革の時期が来ていると考え始めている国も存在する。この点に関し、ハイチの民衆組織は、ハイチの防衛と「国際平和と安全」は、国連自身によるより深く、構造的な意思決定が求めらる、としている。
 
We further urge the States and organisms involved to urgently review their policies of regional and international cooperation with Haiti. It is not a question of responding to the problems that do affect the social peace and security of that people with short-term, assistencialist measures that sharpen their dependency. The country needs changes whereby the Haitian people are the protagonists of their own life and builder of their own history. The Cuban medical presence is irrefutable proof that another cooperation is possible.

 私たちはさらに、国連加盟国および関連機関に対し、ハイチ人が援助主義的施策から自立し、自らが主人公となれるよう、ハイチとの地域また国際協力政策の見直しに緊急に着手することを促したい。
 キューバの医療チームの存在は、もう一つの国際協力が可能であることの、論駁しようのない証である。

Haiti, predecessor and benefactor of antislavery and anticolonial struggles throughout the region, renowned for the creativity of its artists and the organizational strength of his people, has endured throughout its life enormous depredation and calamities. But the Haitian people have also demonstrated their persistence and solidarity in the struggle to build alternatives in the face of injustice and adversity.

It is essential that their right to sovereignty and self-determination be respected: ridding them of occupations and illegitimate debts; supporting them in their struggle against impunity; acknowledging their abilities; and restoring to them the resources that have unjustly been taken from them - the historical, social, ecological, and financial debt due to the Haitian people - and that they need for life and dignity.

 ハイチの主権と民族自決権を尊重すること、占領と違法な債務を取り除くこと、不処罰に対するたたかいを支援すること、ハイチ人の能力を認めること、歴史、社会、生態系、そして財政的にハイチ人が負わされている債務、すなわちハイチから不法に奪われた国の富/資源を回復すること、これらが本質的なことなのである。

October 2011

(注)
 「6000人のハイチ人がPKOがもたらしたコレラによって殺された」について。
 これは風評ではなく、事実である。当初国連ハイチミッションの現地スポークスマンは、これを否定していたが、後に正式に認めた。原因は、駐留パキスタン軍が、被災したハイチ人が飲用水を汲んでいた川に、それを知りながら下水を垂れ流していたことによる。
 なぜ、川の水を飲まねばならなかったか? 国連および援助NGOが、被災者に水を配布しなかったからである。私が知る限り、結局状況は改善されず、コレラ感染は二派にわたり広がり、被害者が増えた。

 この他、避難民キャンプの撤去→強制収用所のような遠隔地キャンプへの強制移動など、問題はさまざまあるが、しかし食料だけでなく、最も死活的な水が配給されないこと、金はあるはずなのに国連や一部の援助NGOが使い惜しみしてきたこと、このことが国連と援助NGOに対するハイチの人々の根深い不信の根底にある。国連や国際NGOが問題解決のアクターになるのではなく、問題そのものになるという最悪のケースである。

 本当にPKOや国際援助NGOは、ハイチの人々の最も基本的な「ニーズ」を満たしているのか?
 海外では、ハイチ支援に取り組んできたNGOや研究者自身によって総括作業が進行している。自衛隊、ピースウィンズを始めとしたハイチに入った日本のNGOの活動の、厳しい総括が求められている。
 非常にシリアスかつシビアな問題だ。

2011年10月14日金曜日

野田政権の原子力政策をどうみるか

野田政権の原子力政策をどうみるか

 野田政権の原発政策をめぐる各紙の社説や記事を地球の裏側から読んでいて、論説委員や記者の分析の浅さと言おうか、そのナイーブさがとても気になった。これは、これからの停止中原発の再稼働の動きをどう評価するか、またその是非をめぐる広域的住民投票をめぐる議論とも密接に関係することなので、少し考えておきたい。 
 (後に明らかにするが、私が主に論じたいのは、このページの後半部で説明することになる、政府内のさまざまな「会議」や「委員会」で議論されている「原発のコスト」問題についてである。より正確には、今後の国の原子力政策を確定するにあたり、「原子力ムラ」の面々が「原発のコスト」を議論している、その議論のあり方である。)


 二つの記事を取り上げてみよう。一つは、日経ビジネスの「記者の眼」、「野田首相の「脱原発依存」は本気かーー「原発推進」と「脱原発」の狭間にあるもの」(10/14)、もう一つは河北新報の社説、「東日本大震災 エネ政策見直し/白紙状態から大胆な議論を」(10/14)である。
 まず、、日経ビジネスの「記者の眼」について。
 記者の基本的主張は、以下のようなものであり、日本がグロスレベルで「経済成長持続」路線を取るべきかどうかという問題を除いては、とりたてて異論があるわけではない。
・・
 「東日本大震災を経て、日本が今、世界に求められているものは何だろうか。福島原発事故を早期に収束させることはもちろんだが、事故を経て、原発への依存度を下げながらでも経済成長を持続させるため、次世代のエネルギー戦略をどう描き直すかが問われている。 これは各国共通の課題であり、野田政権に必要不可欠なのは、決断力と実行力だ。ここ数年の政権に欠けていたものは、いつも同じではなかったか。」
・・

 「ここ数年の政権に欠けていたもの」が「決断力と実行力」である、という点も私は同意する。
 問題は、まさにこの記事のタイトルに示されているように、野田政権の当初の原発政策を「脱原発依存」路線だったとこの記者、論説委員が捉えていること、さらに現在の野田政権が「原発推進」と「脱原発」とのはざ間で揺れているかのように分析しているところにある。私はこれらの分析は誤っている、と考えている。

 記事には、9月以降の原発をめぐる野田首相の「路線修正」の軌跡が記録されている。野田首相が選択している言葉と表現に注意しながら、読んでみたい。
・・
①9月2日の野田首相就任会見
 「新規の建設予定、14基あると思いますが、私は新たに作るということはこれはもう現実的には困難だというふうに思います。そしてそれぞれの炉の寿命が来る、廃炉にしていくということになると思います。寿命がきたものを更新をするということはない。廃炉にしていきたいというふうに思います」

 「再稼働できるものについては、しっかりとチェックをしたうえでですよ、安易ではありません、安全性をしっかりチェックしたうえで、再稼働に向けての環境整備、特に地元のご理解を頂くということを当面はやっていくことが必要だろうというふうに思っています」

②9月12日の所信表明演説
 「原子力発電について、『脱原発』と『推進』という2項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指すべきです。
 同時に、安全性を徹底的に検証・確認された原発については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます」

③9月22日の「原子力安全及び核セキュリティに関する国連ハイレベル会合」での演説
 「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます。(中略)原子力利用を模索する国々の関心に応えます。
 数年来、エネルギー安全保障や地球温暖化防止のため、新興諸国を始め、世界の多くの国々が原子力の利用を真剣に模索し、我が国は原子力安全の向上を含めた支援をしてきました。今後とも、これらの国々の我が国の取組への高い関心に、しっかりと応えていきます」。
 「日本は、事故の教訓を世界に発信します」。
・・
 
 この記事の筆者や一部メディアの野田首相および政権の評価と私のそれがズレる根拠は、前者が上の①を、菅首相を引き継ぐ野田首相の「脱原発依存」宣言と捉えたところにある。
 「原発の新規増設は困難だから、今ある原子炉の寿命が来たら廃炉にする、という発言は、菅直人前首相の路線をほぼ踏襲する、いわゆる「脱原発」、あるいは「脱原発依存」路線と受け止められた」云々・・・。

 しかし、本当にそう言えるのだろうか?
 問題は前首相の「脱原発依存社会」宣言なるものの問題性、それをどのように捉えるかにまでさかのぼることになるが、今その議論を省いたとしても、上の野田発言はとても「脱原発依存」路線とは言いがたい。
 なぜなら、「原発の新規増設は困難だから、今ある原子炉の寿命が来たら廃炉にする、という発言」は、
①客観的状況を踏まえた認識={原発の新規増設は困難)と、
②当然のことを当然のこととして述べたステートメント=(今ある原子炉の寿命が来たら廃炉にする)に過ぎないからだ。
 しかも、
③現実の政権運営に携わる前の記者会見の発言など、政治家にとっては後でどうとでも「修正」できる、きわめて軽いものだということをこの記者たちは弁えていない。

 その意味で、②と③、施政方針演説と国連での発言が野田首相および政権の「基本方針」(と、もしも言えるとしたら)なのである。なぜなら、公的文書として残るからだ。前者は「国民」への、後者は「国際社会」への公的なコミットメント=「公約」として。
 首相および閣僚は、この①から②、②と③の間に何の矛盾・齟齬も存在しない、「路線修正」など何もない、と言うだろう。 
 こうした野田政権の下では、
論理的には、すべての停止中原発の再稼動を承認することがありえること(そうならない根拠が存在しないこと)、
②一政治家、首相としてまた政権与党として、それがいつになるのであれ政策方針としての既存の原発の廃炉を言明する、つまり法案化する意思を持っていないこと、
 この二点において私は野田政権を、「脱原発依存社会宣言の幕引き政権」「原発推進政権」と分析したわけである。
 読者は現在の野田政権を、その原子力政策をどのように分析するだろうか。


 二点目の問題は、首相官邸、内閣府、各省庁、そして国会と各系列直属の、同一テーマ(=これからの日本の原子力政策)を議論する「有識者会議」や「委員会」の乱立そのものに対するメディアの批判的論調がきわめて弱く、こうした傾向を追認する結果になっていることである。

 つまり、どの「会議」や「委員会」の結論的報告をもって国(内閣)が政策を決定するのか、何も明確にされないまま、いたずらにこれらが林立し、そのために税金が浪費され、しかも国としての早急な意思決定を阻害していること、このことに対するマスメディアとしての批判的言論が希薄だということである。

 正論を正論として述べているように一見思える、河北新報の社説はその典型の一つであるように私には読める。「政府内に三つの組織が併存することになったが、当面の共通の課題は原発コストの検証だ」云々・・・。
 日経ビジネスの「記者の眼」も同じである。「従来とは異なり、単なるガス抜きとはならない議論が期待されている」云々・・・。 
 しかし、本質的にこれらは①時間稼ぎと、②新たな「ガス抜き」として利用されるだけではないのだろうか。
 国の常設機関としての原子力委員会と原子力安全委員会の存在理由とは、いったい何なのか?
 (実態として、政策決定における「存在理由」があるとは、とても思えない!)

 この最も原則的な問いから発想し、「会議」「委員会」乱立という政治的作為の本質を捉える必要があるのではないだろうか。来年4月に発足するという「原子力安全庁」なるものが、いかなる機能と責任を負う機関となるか/すべきかを考えるにあたっても、この「原則」に律し、思考することが問われていると思うのである。 新聞メディアにも、私たちにも。
 先を急いで、「原発のコスト」問題に移ろう。


 「内閣府の国家戦略室を事務局、エネルギー・環境会議と並行して進める」、「コスト等検討委員会」の初会合の様子を伝える「記者の眼」の記事の核心的部分。

・・
 今回の会合で最も議論が白熱したのは、原子力委員会に原発のコストのうち、核燃料サイクルと、将来のリスク対応費用について試算への協力を依頼するにあたり、大島教授が投げかけた提案を巡る賛否だった。
 大島教授はこれまでの原発のコスト試算が「現実から離れた理想的な形」で、実態よりも低く見積もられていたとし、「実績のない長期運転を前提にしたり、40年も運転していないのに40年間運転しているかのように想定したり、非常に高い設備利用率を前提にしたり」と、作為的な試算がまかり通っていたと指摘した。

 さらには、福島原発事故のような重大事故は起きないという、安全神話を前提とした計算になっていた点が問題だとし、事故の収束、損害賠償、除染、廃炉、原状回復にかかる費用を算入すべきだとした。また、こうした事故のコストを保険市場で評価した場合、どの程度の保険料率になるのかもドイツなどでの試算などを参考に提示するよう求めた。事故に備えて、原子炉の多重防護だけでなく、周辺の防災などにかかる追加的な安全対策のコストも織り込むべきだと主張した。

 大島教授の提案は、「絶対に今後起こしてはいけない事故をコスト計算に入れるのでは、原子力をオプションから外しているのと同じこと」(秋元氏)、「福島の事象にあまりにも感情的に反応して、それをコスト計算に入れるのは適切ではない」(山名元・京都大学原子炉実験所教授)といった批判を浴びた。

 そこで松村敏弘・東京大学社会科学研究所教授が行司役を買って出た。
 大島教授の提案は「納得できるところと、できないところがある」と前置きしたうえで、「このままだとまるで原子力のコスト、サイクルのコストをできるだけ上げて不利にしようという要素が全部入っているように見えてしまう。多くの説得力のある論点が入っているのに、到底納得できないところだけ取られて、ほかのところが採用されないと大変まずい」と指摘。
 「私としては、大島さんが『ここのところだけは絶対譲れない』という類の整理をされ、妙な誤解を与えない要望が良かったのでは」とまとめて会場の笑いを誘い、事務局が議論を引き取る方向へと流れをつくった。
・・

 ある事象をめぐり、相容れない見解を持つ者同士が集い、議論をしても、全体で承認できるような「報告書」や「提言」をまとめることは不可能である。両論併記になるか、少数派の見解が多数派のそれの記述に続いて補足的に追記される程度である。

 ここで問題になっているのは、原発の「将来のリスク対応費用」に「事故の収束、損害賠償、除染、廃炉、原状回復にかかる費用を算入すべき」という少数派の意見と、「入れるべきではない」という多数派の意見の対立である。この両者の見解の相違は、どれだけ議論を重ねようが埋まるとは、とても思えない。
 この対立は、今後の「国策・民営」の原子力行政(→停止中原発の再稼働問題を含む)を考えるにあたり、福島第一原発災害とその被害者・被曝者の救済・補償を勘案しながら考えようとする人々と、それを除外して考える人々との対立である。
 私は、「3・11」直後からこのブログで述べてきたように、前者の立場にたつ者である。 読者は、どちらの立場に立つだろうか? 

 ここで、読者の注意を促しておきたいことが四つある。
 その一つは、原発の「将来のリスク対応費用」に「事故の収束、損害賠償、除染、廃炉、原状回復にかかる費用を算入すべき」かどうかという問題は、原子力工学によって解ける問題ではなく、政治が、つまり時の政権が判断し、決断すべき性格のことであること。
 二つ目は、にもかかわらず、野田政権はその判断・決断を先送りし、内閣府の国家戦略室が組織する一委員会に「議論」させる(=丸投げする)ことによって、時間稼ぎをしていること。
 三つ目は、その委員会では、原発推進=「福島除外派」が多数派を占めていること。つまり、河北新報の社説が言うところの「白紙からの議論」など何も行われておらず、日経ビジネスの「記者の眼」が言うところの「期待」は、すでに裏切られていること。
 そして最後に、「福島」を考慮に入れるか否か、これが実は、再稼働を含む今後の原子力政策の最大の要(カナメ)になっていること。
 以上の四点である。


 次に、、「絶対に今後起こしてはいけない事故をコスト計算に入れるのでは、原子力をオプションから外しているのと同じこと」(秋元氏)、「福島の事象にあまりにも感情的に反応して、それをコスト計算に入れるのは適切ではない」(山名元・京都大学原子炉実験所教授)に代表されるような論理、論調をどのように考えるか、という問題。

 これを考える一つの手がかりとして、少し前になるが、福島民報の論説者が原子力学会について述べた「あぶくま抄」を読んでみよう。
・・
あぶくま抄」(9/21)
 「過信していた。大きく反省することだ」。
 原発事故後初めて開かれている日本原子力学会で「原子力村」にいた研究者から自己批判が相次いだ。半年過ぎても避難、放射線、偏見の渦中にある県人にとっては、どんな反省の弁も空々しく感じられる

 学会が7月、原発の事故調査・検証委員会に向けて出した声明には驚かされた。
 「個人の責任追及を目的とすべきでない」というのだ。国や電力会社の関係者から正確な証言が得られないことを避けるためという理由だった。調査の前に言うべきことだろうか。原発にお墨付きを与えてきた専門家が、この期に及んで何かを恐れているように見えた

 批判があったのだろう。1カ月後には「誤解解消のための補足説明」を発表した。委員会の調査結果について何の予見もなく、関係者の協力によって事故の真相が明らかになることを願っている-という言い訳だった。

 専門家が事故後に口にした「想定外」が、実は「想定内」だったことが次第に分かってきた。イタリアでは大地震の兆候を見過ごした学者の刑事裁判が始まった。日本なら学者以外にも責任を取るべき人が多すぎて、被告席は窮屈になりそうだ。」
・・

⇒「原発推進派のコスト論のコスト」につづく

⇒「村上東海村村長が東海第2原発の廃炉を要望 」を更新 

・・・
10/17
原発の技術的課題を調査へ、保安院に専門家会議
 枝野経済産業相は17日、東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、国内原発の格納容器の構造や外部電源・冷却機能について技術的な課題の有無を調べる専門家会議を原子力安全・保安院に設置すると発表した。今月24日に初会合を開き、年明けをめどに中間報告をまとめる。
 事故原因については政府の事故調査・検証委員会が調査を進めているが、経産省は今回、技術面に限って原子炉工学などの専門家8人に事故の経緯を再整理してもらう方針。会議では事故後に国内原発で講じた緊急安全対策の有効性や、施設・資機材についても見直すべき点がないかどうか調べる。(読売)

2011年10月13日木曜日

原発再稼動の広域的住民投票を考える前に、考えなければならないこと

原発再稼動の広域的住民投票を考える前に、考えなければならないこと

 停止中原発の再稼動については、すでに浜岡原発(静岡県御前崎市)の「永久停止」を決議し、廃炉を求めている牧之原市(浜岡原発から半径10キロ圏内)の西原茂樹市長が、住民投票でその賛否を問う考えを明らかにしている。
 これに対し、藤村修官房長官が先月29日の記者会見で、「住民投票は地元の意思を表明する1つの指標だ。当然、十分に斟酌(しんしゃく)されないといけない」(?)と述べたことが各紙で報道された。

 既存の原発の「安全性」を世界「最高水準」のものにし、その「安全性」が確認された原発から順に再稼動を承認するという政権の官房長官が語る「斟酌する」という言葉。
 この何とも日本語特有の曖昧さを含んだ「斟酌」という言葉を、政治用語に翻訳すると、どういう意味になるのか。私には分からない。いや、語った本人さえ理解していないのではないだろうか。
 なぜなら、浜岡原発やマークⅠ型原子炉のみならず、野田政権が原子力政策全般に関して何をどうしたいのか、私たちは何も知らないからだ。どのようにでも解釈できる「斟酌」という言葉は、そのようなどのようにでも解釈できる現政権の、政策なきまま再稼動だけは承認するという原発への姿勢をそのまま表現するものではないだろうか。 少なくとも私自身はそのように受け止めている。

 だから、牧之原の人々は十分以上にこのことをふまえておいた方がよいと思う。
 小さな一地方自治体の住民の意思など、「斟酌したが、国の方針としては再稼動を承認する」という一言で、簡単に、踏みにじられてしまう。この国が安保=国策の名において、県レベルの沖縄の多数派の意思さえ、簡単に、踏みにじり続けてきたことを忘れるべきではないと思うのだ。
 東海村のような、文字通りの原発立地自治体ならともかく、「周辺」自治体の住民投票の「再稼動NO!」の声は、現行の住民投票制度国策に対して法的拘束力を行使できない問題を含め、それ自体は何ら国の再稼動方針を阻むものにはならない。住民投票の結果は、住民に対して何も保障/保証するものではないのである。


 私が、みんなの党の住民投票法案提出の方針に注目する理由の一つが、ここにある。
 つまり、みんな党の案とは、ある個別の事案(国策)=停止中原発の再稼動に対して、一定地域の住民(市民)の集団的意思が、一定度の法的拘束力を持ちうるようにすることを意図したものなのだ。 国会で法案化するということは、要するにそういうことなのである。
 
 これは、実は、とても画期的なことなのだ。
 というより、このブログで私自身が提起してきたことでもあり、昨年出版した日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構(中野憲志、新評論)の最終章と「あとがき」の中でも提起している論点の一つである。

 ある個別の事案(国策)=安保条約の無期限延長、米軍の無期限駐留に対して、、一定地域の住民(市民)の集団的意思が、一定度の法的拘束力を持ちうるようにすること、そういう議論を始めるべきだ、と私は提起してきたのである。安保と米軍基地の賛否如何にかかわらず。これを「安保の国民投票」の可能性の問題を併せて、もっと議論すべきだと。

 本来であれば、このような案は民主党が政権をとった二年前から、民主党自身によって提案されるべき性格のことだった。すくなくとも、「3.11」後の現状に大きな責任を負う、菅政権期において。また、個別事案をめぐる国民投票制度の導入に関して言えば、もともとこれに最も積極的だったのが野党時代の民主党だったのであるから。

 けれども、民主党は市民の総意をまったく反映しない現行の間接民主制の構造的欠陥を補完しうる、直接民生制(国民投票の導入および住民投票制度の改革)の可能性について、これだけの事態を招いてしまったというのに、党として(=個別議員レベルではなく、という意味)、完全に蓋を閉じてしまったのである。その意味でも、みんな党がまとめるであろう法案をたたき台としながら、この問題をめぐる議論を広め、深めることがとても重要だと私は考えている。
 日本が「民主主義国家」という政治的概念に適合するようになる、そのための政治制度上の発展の方向性は、この間接民主制の制度的欠陥を乗り越える直接民主制の導入、その試行錯誤にしかありえないからである。


 ただ。その問題に入る前にと言うか、その前提として、実は考えなければならないことが(山のように)ある。
 一つは、「一定の地域」という場合、住民投票がどこまでの地域をカバーするのか、という問題。
 公表されている限りでは、みんなの党の案はこうなっている
 「住民投票を行うのは、対象となる原発を立地している道や県の住民と、周辺の県で原発から一定の範囲内にある市町村の住民」

 これをどのように考えるべきか? 
 そしてこれを考えるためにも、私たちは以下のことを、事前に、考慮する必要がある。
 順不同で列挙してみよう。 理由と説明は、追って行うことにしたい。

・・・
① 「新潟、県境・北部に高いセシウム蓄積 汚染マップ公表」(朝日)
 すでに見た人は、もう一度「汚染マップ」を見ながら、じっくり考えてほしい。
 
廃炉に向けた作業工程(※は研究開発が難航すると原子力委員会が判断した項目)
<使用済み核燃料の処理>
 (1)燃料の長期健全性を確保する方法の開発
 (2)燃料の再処理の可否を判断する方法の開発
 (3)損傷燃料の処理技術の開発

<冠水(水棺)に向けて>
 (4)原子炉建屋内の遠隔除染技術の開発
 (5)圧力容器・格納容器の健全性評価技術の開発
 (6)放射性汚染水処理で出る廃棄物処理技術の開発
 (7)格納容器の損傷部分を特定する技術開発

※(8)冠水技術の開発
※(9)格納容器の内部調査技術の開発
※(10)圧力容器の内部調査技術の開発


<溶融燃料の取り出しに向けて>
※(11)取り出し技術の工法・装置開発
 (12)再臨界を防ぐための技術開発
 (13)模擬燃料を使った内部の状況把握
 (14)予備的な取り出し・内容分析
※(15)本格的な取り出し・専用容器への収納
 (16)回収した溶融燃料の処理技術の開発
 (17)溶融燃料の本格的な内容分析

<その他>
 (18)放射性廃棄物の処分技術の開発
 (19)原子炉内の事故解析技術の高度化

1、 「廃炉」にこれから何年かかりそうか(少なくとも私が生きている間は無理そうだ。読者はどうだろう?)、
2、そもそも「廃炉」なんてできるのかどうか(東電と原子力産業がこれから「開発」しなければならないものがあまりに多い、ということだけは鮮明になった)
3、福島第一1~4号機の「廃炉」プロセスと停止中原発の再稼動承認問題との関係、その時期の目安、
などを、上の東電が提出し、安全委が承認した「廃炉工程」(⇒課題一覧表)をじっくり見ながら、考えてほしい。
 おそらく、それを考えるにあたっても「原子力工学」なるものの専門的知識など必要としないだろう。

③ 福島第一原発で防災訓練 東電が震災後初
 東京電力は12日午前、福島第一原発で防災訓練を実施した。福島県沖でマグニチュード8の地震が発生してポンプが故障し、原子炉への注水が止まる事態を想定した。事故収束の条件となる原子炉を冷却するための安定した注水が、大規模な余震が起きてもできることを確認するのが目的。福島第一原発での訓練は震災後初めて。
 訓練には40人が参加。発電所内に待機している消防車を配備し、約300メートルのホースをつなぎこみ、原子炉への注水に使う海水をくみ上げる訓練をした。  福島第二原発でも、13日に90人が参加して訓練する予定。

原発:「代替電源」指針に…安全設計審査で安全委
 原発の安全対策を議論している内閣府原子力安全委員会の小委員会は5日、全電源喪失時に非常用電源に代わる「代替電源」の配備を安全設計審査指針に盛り込み、義務づけることで大筋合意した。代替電源は、外部電源と非常用電源がともに失われる全電源喪失状態になった際、炉心冷却に必要な電源を供給する。具体的には、電源車やガスタービン車などの配備とみられ、詳細は今後議論する。
 東京電力福島第1原発では、東日本大震災で外部電源が途絶え、非常用電源も水につかって使用不能となり、原子炉が冷却できず炉心溶融(メルトダウン)した。現行指針では、原発事故を深刻化させた長期間の全電源喪失を「考慮しなくてよい」と規定。非常用電源の設置までは定めておらず、代替電源について記載はなかった
 小委員会では、「代替電源の配備を指針に明記すべきだ」とする意見が大勢を占めた一方で、明文化への消極意見もあった。次回会合で意見をとりまとめる方針。【毎日・岡田英】
・・

 「代替電源の配備を指針に明記」することに「消極意見」があり、結論持ち越しになる原子力安全委員会?
 東電と安全委の絶望的な能天気さ加減をじっくり洞察しつつ、「ストレステスト」とは何かを思い起こしながら、ゆっくり考えてほしい。安全委の「絶望的な能天気」は未来の「安全庁」のそれを暗示しているかのようだ。

 いったいどのような条件が整えば、私たちはこの人たちに自分自身、家族・子どもたち、かけがえのない人々、この国の未来を委ねることができるのか? 時間を十分かけて、じっくり考えるに値する問いだと私は思う。

2011年10月12日水曜日

村上東海村村長が東海第2原発の廃炉を要望

 村上東海村村長が、国に対し東海第2原発の廃炉を要望した。
 これは、村の経済と財政、雇用が原発に大きく依存してきた自治体の首長として、かなりの覚悟を必要とした決断であったことは間違いない。
⇒「電源三法交付金について」(東海村)

 しかし、同時にこれは住民の生命・財産と、生活の安全・安心を守るべき原発立地自体の首長としての当然の行為である。村上村長は首長として、ごく常識的な、当然の事を行ったに過ぎない。けれども実際には、とりわけ財政上の理由から、その決断を下せない政治家や首長があまりにも多いのが現実だ。だからこそ私は、村長の決断を高く評価し、支持し、激励したいと思う。
 他の原発立地自治体の首長も、村上村長に続いてほしいものである。

・・
村長が東海第2原発の廃炉要望 細野原発相に
 運転開始から30年以上たつ日本原子力発電東海第2原発(茨城県東海村、沸騰水型、110万キロワット)について、地元東海村の村上達也村長は11日、都内で細野豪志原発事故担当相に対し、廃炉を求める考えを伝えた。
 村上村長は、第2原発から30キロ圏内の人口は100万人に上り「立地条件として不適切」と強調。老朽化や、東京から近いことも踏まえ「廃炉にすべきではないか」と指摘した。 村長によると、細野氏は「貴重な具体的な提言をいただいた。考えさせていただく」と答えたという。
 東海第2原発は、1978年に運転を開始。3月11日の地震では、原子炉が自動停止した。(共同通信)
・・

 今後、東海村内外から、村上村長を「潰し」にかかるような、かなりの圧力が予想される。国が、茨城県が、商工会議所が、村の議会がどう動くか。そして村長自身がこの「要望」の実現に向け、どう動くか。
 しっかり、見極めよう。

・・
東海村議会 “廃炉”巡り議論
 茨城県東海村の村上達也村長が東海第二原子力発電所を廃炉にすべきだという考えを国に伝えたことを受けて、14日、村議会の特別委員会が開かれ、村上村長は原発に依存しない村の在り方を考える必要があると改めて強調しました。
 14日の特別委員会は、今月11日、村上村長が細野原発事故担当大臣に東海第二原発を廃炉にすべきだという考えを伝えたことを受け、発言の真意をただそうと開かれました。この席で、議員からは「議会に事前に説明することなく国に廃炉を要望するのは問題ではないか」という意見が相次ぎました。

 これに対して村上村長は「『廃炉』というのは政策でも議案でもなく私の意見として伝えた。『要望』という形はとっていない。東京電力福島第一原発の事故が起きた以上、原発に依存するのではなく、これまでとは違う村の在り方を考えなくてはいけないと思う」と述べ、原発に依存しない村の在り方を考える必要があると改めて強調しました。
 議員の中には、村長の意見に賛成する声もありましたが、「原発が東海村の財政を支えている側面もあり、感情的な発言をするのは思慮に欠けるのではないか」などとして、原発を受け入れてきたこれまでの行政を転換することについては慎重な意見が多く出されました。村議会は、今後12月の定例議会でも原発に対する今後の村の姿勢などについて議論していくということです。(NHK 10/14)

東海第2原発定期検査、来夏まで延長 タービン修繕や変圧器交換
 日本原子力発電(原電)は12日、東海第2原発で実施中の定期検査の期間を来年8月上旬まで延長すると発表した。当初終了予定の来月中旬から約9カ月の大幅な延長となる。東日本大震災の地震で損傷したタービンの修繕に時間がかかるためで、新たに変圧器1台も交換する計画。原電は定期検査後に住民説明を行う意向を示しており、同原発の再稼動に向けた本格的な議論は来年夏以降に先送りされることになった。
 原電によると、追加で必要となったのは、低圧タービン1基の翼の交換と高圧タービンの中間軸受け台の修繕。地震によるずれやボルトの緩みが見つかった中間軸受け台は、専用の装置でつり上げる大掛かりな作業が必要で、修繕に約5カ月かかる見通しという。

 このほか、発電所構内の港湾復旧を受け、海上輸送が必要な主要変圧器1台も交換する計画で、継続的な中性子照射などの影響でひび割れが見つかった制御棒8本も交換する。地震・津波を想定した安全向上対策にも引き続き取り組む。
 東海第2原発は震災発生直後に自動停止し、以降は一度も運転を再開しないまま、5月21日に約半年間の予定で定期検査に入った。再稼動の見通しが立たない中、期間延長により原子炉停止は最低でも約1年半の長期に及ぶことになった。(茨城新聞)
・・ 

〈ちなみに〉
 村上村長は4月、村民に向けたメッセージの中で次のように語っている
・・
 「福島第一原発事故の成り行きも全く楽観できる状況ではありません。ここから出てくる放射能が早くなんとかならないものか、一日千秋の思いでみております。健康面はもちろん、経済産業面での被害はおそらく前代未聞の規模になるのではと、危惧しております。願いはただただ一刻も早い収束であります。
 本村にある日本原電第二発電所もまた非常用発電機用海水ポンプ3台の内1台は津波にやられました。しかし幸いにも残り2台は無事であったため、冷却機能は維持され、現在冷温停止状態を安定的に保っております。この件まずはご安心下さいますよう」
・・

 村長がここで使っている「冷温停止」。これが「科学的に正しい」、「常識的な」冷温停止という概念の使い方である。
 私は、冷温停止を理解するのに「原子力科学」や物理・工学的知識など必要ない、と書いた。要するに、冷温停止とは、稼働中(発電中)原発が、原子炉の「安定性」を保ったまま、稼動(発電)を停止することなのだと。「自動」=強制停止であれ、手動停止であれ。原発の冷温停止を語るときに、これ以外の定義など存在しないのだと。

 メルトスルーを起こした原子炉が「安定化」するのどうのこうの、水の温度が「100度以下」(!)になればどうのこうの(99度なら「冷温停止」?」というのは、国と東電、「原子力ムラ」が私たち市民を騙すために捏造した「政治的定義」である。
 今、すべてのメディアが使っている「冷温停止」とは、ただ単に廃炉作業に入るにあたり、作業がよりしやすくなる、その一階梯の状態を表現するもに過ぎない。言わば、「そこを通過しなければその先に進めない/進みようがない、ただの目標/指標」みたいなものである。 くれぐれも勘違いしないようにしよう。
 これでもまだ懐疑的な人は、東電がなぜ未だに「爆発の可能性」を云々しているのか、よく考えてみることである。

東海村の原子力ムラ、いや原子力関連事業所
(1)日本原電 東海発電所・東海第2発電所
(2)核物質管理センター 東海保障措置センター
(3)東京大学大学院工学系研究科原子力専攻
(4)日本原子力研究開発機構東海研究開発センター原子力科学研究所
(5)同核燃料サイクル工学研究所
(6)原子燃料工業東海事業所
(7)積水メディカル薬物動態研究所
(8)三菱原子燃料
(9)ニュークリア・デベロップメント
(10)住友金属鉱山 エネルギー・触媒・建材事業部技術センター
(11)ジェー・シー・オー 東海事業所
(12)日本照射サービス 東海センター
(毎日新聞・「特集ワイド:JCO事故から12年、脱原発村長の茨城・東海村を行く」より)

・・
「批評する工房のパレット」内の関連ページ
「「内省に欠ける国」の避難準備区域解除」
⇒「東海第2原発の再稼働中止と廃炉を求める署名 」
⇒「脱原発の〈思想〉と〈科学〉が試される時
⇒「「冷温停止」の政治と科学:  研究者のモラルが試される時

・・・
福島の県外避難者、帰郷のメド立たず
 福島第1原子力発電所事故の影響で故郷を追われた福島県の被災者約2300人は、首都圏など県外の公民館や校舎、宿泊施設で今も避難生活を続ける。徐々に受け入れ施設の閉鎖が進む一方、多くは帰郷の見通しが立たずにいる。
 東京都は旅館・ホテルなど約40カ所の2次避難所を設け、福島県などからの被災者を受け入れてきたが、10月末に全て閉鎖する予定。避難者約340人は都営住宅や借り上げ住宅に移る。

 足が不自由な長女(41)と都内のホテルに避難している福島県南相馬市の無職、安藤公子さん(60)は、16日に葛飾区の借り上げ住宅に入居する予定という。4月に避難先の福島県いわき市の知人宅を出て、都内の避難所を転々。「全額の家賃補助が切れる2年後には、自腹で家を借りないといけない」と顔を曇らせる。

 県外で暮らし続ける覚悟だが、年齢に加え、避難生活で体調を崩したこともあり就職は難しい。40年前に亡くなった夫の遺族年金があるものの、車のローンの返済などで手元に残るのは月5万円程度。そこから2人分の生活費を工面しなければならない。安藤さんは「交通費も物価も高い東京でこれから暮らしていけるのだろうか」と不安は尽きない。
 一方、福島県内の避難所も閉鎖が相次ぐ。南相馬市の石神第一小学校の避難所は月末に閉鎖予定。長男(33)と共に身を寄せる時田一郎さん(67)の自宅は、福島第1原発から20キロメートル圏内。「長男も仕事がなく、行き先が決まらない。どうすればいいのか」。住まいと仕事に展望が開けない現状を嘆いた。(10/12 日経

県外避難者の支援状況(10月7日更新版) (東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN))
⇒「横浜でストロンチウム検出 100キロ圏外では初」(朝日)

2011年10月10日月曜日

原発再稼動の是非は広域的住民投票によって決めよう!


 〈NGOと社会〉の会は、11月下旬から12月にかけて三つの公開シンポジウムの開催を企画している。
 一つは、国家主導の「国際協力」と「人道的介入」を問うもの、もう一つは「民族自決(self-determination)をテーマにパレスチナと琉球を考える」というもの、そして最後が「福島原発災害とNGOの役割」を考える、というものである。
 いずれも日時・場所・パネリストなど詳細が確定次第、このブログでも紹介したいと考えているが、最初に、三つ目のシンポジウムへの参加を、とある福島の市民団体に要請した際、以下のようなメッセージを頂いたので紹介しておきたい。
・・
 「「3・11」後、福島では、住民にヒバクを強いる安全キャンペーン、そして最近では避難なき除染ブームによって、汚染地域からの避難がますます難しい状況になってきています。子どもたちにこれ以上のヒバクを強いることは、本当に許されないことです。
 避難の権利を確立し、子どもたちを汚染地域から疎開させるためのあらゆる活動を、県内外の市民がやってきました。そうした闘いを、多くの方に知っていただく、とてもよい機会と思います。応援しています」
・・
 
 上の三つのシンポジウムは、いずれも新刊脱「国際協力」~開発と平和構築を超えて(藤岡美恵子・越田清和・中野憲志編 新評論)の出版記念企画的な性格を持つものである。

 これらの中で (脱)原発問題は、一見、この書のテーマとは無縁のようにも思えるかも知れないが、しかし私たちには、ポスト「3・11」の日本の「国際協力」・「開発援助」・「平和構築」活動は、福島を含めた「3・11」からの復興と被災・被爆者支援をやりきる事を抜きには語ることができない、という思いがある。  「3・11」からできうる限り早期に、日本を、東日本を、東北を、福島を復興させること、それさえできないで日本という国家が、民主党政権が、そして私たちが「国際協力」や海外の「開発援助」「平和構築」など、できるはずがないからである。

 この間の復興支援・被災者支援活動で得た成果、見えてきた限界、これから乗り越えるべき「壁」とは何か? 今準備しているシンポジウムが、そうした、かなり突っ込んだ議論と情報の共有スペースになることが私たちの希望である。


 次に昨日、目にとまった二つの記事を紹介しておきたい。その一つはこれである。
・・
みんな “原発再稼働で住民投票を”
 みんなの党は、定期検査で運転を停止した原子力発電所の再稼働にあたっては、地元住民の同意が欠かせないとして、住民投票による賛成を再稼働の条件とすることを盛り込んだ法案を、次の臨時国会に提出することにしています。

 みんなの党は、東京電力福島第一原発の事故以降、原発の安全性に対する国民の不安が高まり、定期検査で運転を停止した原発の再稼働にあたっては地元住民の同意が欠かせないとして、現在、必要とされている「知事の同意」に代わって、「住民投票による賛成」を再稼働の条件とすべきだとしています。

 住民投票を行うのは、対象となる原発を立地している道や県の住民と、周辺の県で原発から一定の範囲内にある市町村の住民で、投票にあたっては、政府と電力会社に対し、定期検査の結果など住民の判断に必要な情報の開示を義務づけるとしています。

 みんなの党は、およそ13か月ごとの定期検査のたびに住民投票を実施するのかといった点について、さらに検討を進めたうえで、こうした内容の法案を次の臨時国会に提出することにしています。7日現在、全国に54基ある原子力発電所のうち、44基が定期検査などで運転を停止していますが、野田総理大臣は、原発の安全性を十分確認したうえで再稼働を容認する考えを示しています。(10/9 NHK)
・・

 説明とコメントは、後日追って補足したいが、みんなの党を党として支持している者ではない私も、この案には全面的に賛同する。
 問題は、「どうやって?」の一言に尽きる。それを読者もともに考えてほしいと思う。
 もう一つはこれ。
・・
原発と天下り]官と業の癒着断ち切れ
東京電力福島第1原子力発電所の事故以来、電力・原子力事業をめぐる「官」と「業」の癒着が次々に明らかになっている。
 避難を強いられ、今なお自宅に帰れないでいる人々。津波によって機械設備や商品をことごとく破壊され、深刻な打撃を受けた企業。事故後の風評被害で売り上げが急激に減少した事業者。放射性物質の汚染問題に悩む若い母親。山積みされたがれき。事務手続きが煩雑で、進まない東電の損害賠償…。原発事故の爪痕は、あまりにも深い。
 その一方で、これまで見えにくかった「官」と「業」の持ちつ持たれつの利権構造が、事故発生で、白日の下にさらされることになった。
 マスコミ報道や国会追及によって浮かび上がった原子力ムラの実態と、被災者が置かれた現実とのコントラストは、めまいがするほどだ

 経済産業省は5月、経産省から全国の電力会社に再就職した元職員は過去50年間で68人に上る、との調査結果を公表した。このうち11社13人(5月の発表時点)は顧問、役員などの肩書きで現役として働いている。
 石田徹・前資源エネルギー庁長官は1月に東電顧問に就任したが、事故発生で周りの目が厳しくなり、4月末に辞任した。
 事故がなければ顧問を続け、副社長まで上り詰めたかもしれない。経産省キャリアOBが東電に迎えられ、役員を経験した後、最終的に副社長に上り詰める人事が、慣例になっていたからだ。
 総務省によると、同じ中央省庁の出身者が3代以上連続で天下りしている公益法人や独立行政法人などの役員ポストは2010年4月現在、1285法人1594ポストだった。
 電力・原子力関連の法人は多い。その中には財団法人「電源地域振興センター」の理事長や、社団法人「海外電力調査会」の専務理事のように、経産省OBの事実上の「指定席」になっているところもある。
 これらの法人は中央省庁から天下りを受け入れる代わりに、国発注の事業を独占的に受注する。電力会社は、これらの法人に毎年、多額の会費を納めている。まさに、持ちつ持たれつの関係である。

 枝野幸男官房長官(当時)は4月、衆院内閣委員会で「指導監督する行政の側と、指導監督を受ける側との間に、いささかも、癒着が生じているという疑義があってはならない」と答弁した。当然だ。
 電力会社は地域の独占企業である。電力会社を中心に、原子力ムラと呼ばれる利益共同体が形成されると、外部からの監視は働きにくい。
 原発を推進する立場の経産省の中に、監視役の原子力安全・保安院が設置されていることも、チェック機能を著しく弱めている。
 原発推進のための「官」と「業」の癒着は、「やらせ」という名の民意偽装を常態化させた。
 ずぶずぶの利益共同体を解体し、癒着を断ち切ることが重要だ。 (10/9 沖縄タイムス)
・・

 私もまた、「原子力ムラの実態と、被災者が置かれた現実とのコントラスト」に「めまい」がしjっぱなしの7ヶ月間を過ごしてきた者のひとりである。また、「ずぶずぶの利益共同体を解体し、癒着を断ち切る」ために自分に何をできるかを考え、「国策・民営」のこの国の原子力行政が負うべき責任問題にこだわりながら文章を書いてきた。今のこのような現状になるのは、「3・11」直後から透けて見えていたからだ。

 おそらく読者の多くは、上の論説を至極まっとうな、正論だと考ええいるだろう。 しかし、ここでも問題は「どうやって?」という一言に尽きる。論説の執筆者が書いていることは、実は私が学生だった30年以上前から、1970年代後半期の伊方原発訴訟や「原子力船むつ」に反対する運動がたたかわれていた頃から、ずっと言われてきたことなのだ。

 その意味で、論説執筆者には、この「どうやって?」という問いにこそ踏み込み、私見を大胆に提示してほしかった。「3・11」は、「ずぶずぶの利益共同体」=原子力ムラの一般的解体論から、具体論としてのそれへの移行、その理論的かつ実践的な移行を私たちに提起しているからである。

 「ストレステスト」→「公聴会」→再稼動の動きが、否応なく加速するであろう秋から冬。
 この二つの「どうやって?」をめぐる議論を深め、全国的な認識と情報の共有の深化をはかることが、〈私たち〉に問われている。

⇒「原発再稼動の広域的住民投票を考える前に、考えなければならないこと」につづく

2011年10月8日土曜日

渡利周辺の特定避難勧奨指定及び賠償に関する署名

 大至急のお願いです!
 国が特定避難勧奨地点の検討を行っている福島市・渡利地区での新しい動きです。
 10月5日、住民有志が、国および市に対して要望書を提出しました。2日間のみのよびかけにも関わらず渡利・小倉寺・南向寺の113名の住民の署名が集まりました。
 10月8日の19時から、渡利小学校で、特定避難勧奨地点指定に関する国・市の説明会が開かれます。説明会は渡利の一部の住民にしか知らされず、ここで国・市から一方的に「勧奨地点に指定せず」の説明が行われる可能性もあります。
 要望書の署名のさらに輪を広げます。全国から、署名に参加してください!
 締め切りは10月8日(土)朝9:00です。 渡利の子どもたちを守りましょう!!

————————————————————–
渡利の子どもたちを放射能から守るために
渡利周辺の特定避難勧奨指定及び賠償に関する署名

http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-6036.html
第一次締め切り:10月8日(土)朝9:00
第二次締め切り:10月末日
————————————————————–

 私たちは、渡利周辺の住民、とりわけ子どもたちを放射能から守るために以下を要望いたします。

1.渡利周辺の特定避難勧奨地点について、世帯ごとではなく、地区全体として指定すること

2.特定避難勧奨地点の指定に際して行う詳細調査について、山際の一部地域だけでなく、地区全域において再度実施すること、1cmの高さでの線量や屋内、側溝や用水路を含め、測定ポイントを増やすこと、土壌汚染についても調査すること

3.子ども・妊婦のいる世帯について、伊達市や南相馬市の例にあるように、一般の基準よりも厳しい特別の基準を設けること

4.積算線量の推定及び避難勧奨指定に際しては、原子力安全委員会の通知に従い、全ての経路の内部被ばくと土壌汚染の程度を考慮に入れること

5.避難区域外からの「自主」避難者への補償、残った者への補償が確実に行われるようにすること、国及び市による立替払いを実施すること

6.指定に際しての説明会は、決定を通知する場ではなく、住民の意見を聴取する場とし、その結果を指定の検討に反映させること

以上

署名フォームはこちら
https://pro.form-mailer.jp/fms/e5e429dd22617
紙のフォームはこちら
https://pro.form-mailer.jp/fms/e5e429dd22617

呼びかけ団体/問い合わせ先:
・渡利の子どもたちを守る会(SAVE WATARI KIDS)
・子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク
・福島老朽原発を考える会 阪上/090-8116-7155
・国際環境NGO FoE Japan 満田(みつた)/090-6142-1807
———————————————————————–

<要請の理由>
 渡利周辺(渡利・小倉寺・南向台)は、線量の高い状況が続いており、側溝や用水路などでは、驚くほどの値が計測されています。周囲を山林で囲まれた地形の特性から、雨により放射能が拡散する効果は期待できず、逆に周囲の山林から、常に放射能を含む土壌が供給される状況にあります。

 国や福島市は、除染を計画的に行うとしています。しかし、福島市の計画でも、2年かけて1μSv/時にしかならず、山林は目処が立っていません。除染モデル事業も効果は限定的です。長期的な除染の間に子どもや妊婦を優先的に避難させること、すなわち除染と避難の両立が求られています。
特定避難勧奨地点に指定されると、避難するか否かを選択することができ、免税措置や東電による賠償を確実に受けることができます。コミュニティの分断を避けるためにも、地点ではなく地区全体の指定が求められています。
 また、国が定めた避難区域外からの「自主」避難者への補償、線量の高いこの地区に残った者への賠償が確実に実行される必要があると考えます。

1.渡利周辺の特定避難勧奨地点について、世帯ごとではなく、地区全体として指定すること
(理由)渡利周辺は地区全体の線量が高く、山林から放射能を含む土壌が常に供給されるという特性があります。また、世帯ごとの指定は、伊達市で問題になったようにどうしてもコミュニティを分断してしまいます。

2.特定避難勧奨地点の指定に際して行う詳細調査について、山際の一部地域だけでなく、地区全域において再度実施すること、1cmの高さでの線量や屋内、側溝や用水路を含め、測定ポイントを増やすこと、土壌汚染についても調査すること
(理由)国が詳細調査を行った地点ではないところで、指定基準に近い値が計測されています。また1cmの高さでの線量が異常に高い地点や屋内でも線量が高いケースがあります。そのような状況も考慮すべきです。

3.子ども・妊婦のいる世帯について、伊達市や南相馬市の例にあるように、一般の基準よりも厳しい特別の基準を設けること
(理由)全域の除染にはどうしても時間がかかります。その間に、子どもたちや妊婦が優先的に避難できるよう、環境をつくる必要があります。子ども・妊婦のいる世帯については、南相馬市では、50cm高で2.0μSv/時が、伊達市では2.7μSv/時といった基準が適用されました。

4.積算線量の推定及び避難勧奨指定に際しては、原子力安全委員会の通知に従い、全ての経路の内部被ばくと土壌汚染の程度を考慮に入れること
(理由)原子力安全委員会7月19日付通知は積算線量に内部被ばくを考慮するよう求めていますが、外部被ばく線量だけで決められている状況が続いています。

5.避難区域外からの「自主」避難者への補償、残った者への補償が確実に行われるようにすること、国及び市による立替払いを実施すること
(理由)現在、「自主」避難についての賠償範囲の指針作りが、政府の原子力損害賠償紛争審査会で議論されています。4月22日以降の避難に対する補償は、盛り込まれないおそれが高まっています。これにより、線量が高い地域に残らざるを得なかった住民への精神的損害に対する慰謝料についても、十分に認められない可能性があります。

6.指定に際しての説明会は、決定を通知する場ではなく、住民の意見を聴取する場とし、その結果を指定の検討に反映させること
(理由)大波地区の説明会では、住民から特定避難勧奨地点の指定についてさまざまな疑問が出されましたが、これに対して十分答えることなく、指定なしの一方的な通知の場に終わってしまいました。住民の意見や疑問をきちんと聞いたうえで、それを指定の検討に反映させるべきです。

・・・

独自調査で高濃度セシウム 福島市渡利で最大30万ベクレル
 市民団体「福島老朽原発を考える会」(阪上武(さかがみ・たけし)代表)などは5日、都内で記者会見し、東京電力福島第1原発事故の影響で部分的に放射線量が高いとされる福島市渡利地区で独自に土壌を調査した結果、最大で1キログラム当たり30万ベクレルを超える高濃度の放射性セシウムを検出したと発表した。
 政府は10万ベクレルを超える汚泥についてはコンクリートなどで遮蔽(しゃへい)して保管することを求めており、それを上回るレベル

 渡利地区は、放射線量が局所的に高いホットスポットとして政府が避難を支援する「特定避難勧奨地点」に指定されておらず、市民団体は「チェルノブイリ事故で避難を要する地域とされた『特別規制ゾーン』に相当する高い数値。一帯を特定避難勧奨の地区として指定するべきだ」と指摘している。

 同団体などは神戸大の山内知也(やまうち・ともや)教授(放射線計測学)に依頼し、9月14日に同地区や周辺の側溝や通学路脇、民家の庭など5カ所の土壌を測定した。その結果、1キログラム当たり約3万8千~30万7千ベクレルのセシウムを検出し、6月に調査した時より数値が高い場所もあったという。
 調査地点の中には既に除染が行われた地域もあるといい、山内教授は「事故前の水準まで戻れば『除染』と言えるが、そのレベルには下がっていない」と話した。 (共同通信)

原発事故の内部被ばく 神戸の医師が警鐘本 
 原爆被爆者の治療を続ける東神戸診療所(神戸市中央区)の医師、郷地(ごうち)秀夫さん(63)が「被爆者医療から見た原発事故‐被爆者2000人を診察した医師の警鐘」を出版した。
 著書の中で郷地さんは「国は原爆の放射線被害を過小評価し、病気との因果関係を否定してきた。福島の原発事故でも内部被ばくを軽視し、同じ過ちを繰り返そうとしている」と危惧する。

 原爆のような熱線や爆風のない原発事故は、見えない放射能との闘いだ。広島、長崎では、原爆投下後に被爆地に入った救護者らが残留放射線で被ばくし、数年後に白血病、30~40年後にがんなどを発病する人が相次いだ。
 しかし、国が「原爆症」として被爆と病気の因果関係を認めたのは被爆者手帳を持つ約22万人の3%ほど。全国の被爆者が原爆症の認定を求めた集団訴訟でも、国は「内部被ばくの影響は無視しうるというのが確立した科学的知見」とする主張を繰り返した。

 今年7月、東京地裁は、放射線の健康被害に関する専門家の意見が分かれていることを踏まえ、「(内部被ばくや残留放射線の)影響が小さいと断ずべき根拠はない」と判断。一連の訴訟では各地裁、高裁で原告側の勝訴が相次ぐが、国は従来の主張を変えていない
 同訴訟を支援している郷地さんは「国は一貫し、原爆の放射線被ばくを過小評価してきた。福島の事故での対応の悪さは原爆の場合と重なっていることを伝えたい」として、6月に執筆準備に取りかかった。

 著書では原爆と原発事故の共通点、内部被ばくと外部被ばくの違いなどを8章に分けて詳述。安全対策の具体策や内部被ばくを防ぐための対応についても詳しく記す。
 「福島第1原発の建屋内にあった核燃料、放射性物質は広島原爆リトルボーイの1万倍以上」と郷地さん。内部被ばくについて「影響がないと言いながら、食品に暫定規制値を設ける。国は主張と政策が矛盾している」と訴える。
 A5判111ページ。かもがわ出版、千円。問い合わせは同出版TEL075・432・2868(木村信行) (10/11 神戸新聞)

2011年10月6日木曜日

年間被曝線量の「緩和」に、なぜ反対しなければならないか

年間被曝線量の「緩和」に、なぜ反対しなければならないか


 国連で自分が演説した言葉に責任を取ろうとせず、早くもブレ始めた野田政権から、またしても原発災害の被害者を愚弄する動きが出始めている。 政府・文科省の放射線審議会が、 「一般住民の年間被ばく線量の限度について、原発事故などからの復旧期は、年1~20ミリシーベルトの間に設定することを許容する考え方を提言する方針」だというのである。

 毎日新聞によると、その理由はこういうことらしい。「放射性物質の汚染が広がる現段階では、年1ミリシーベルトを目指すと必ずしも経済性や社会的側面から合理的な対応が取れない」・・・。
 「原子力緊急事態宣言」も解除されず、政府が言う意味不明の「冷温停止」がいつになるのかさえも覚束ない状況の中で、「国民」を放射能汚染と被曝から守る観点から、むしろ規制を強化すべき立場にある(はず)の「放射線審議会」が、原発災害被害者の声を無視し、国と東電、そして自治体の都合に合わせて規制を緩和するという。
 まず、事実関係を押さえておこう。 
・・
被ばく限度:原発復旧期「年1~20ミリシーベルト」
 国内の被ばく線量基準を検討する文部科学省の放射線審議会(会長・丹羽太貫京都大名誉教授)の基本部会は、東京電力福島第1原発事故を受け、一般住民の年間被ばく線量の限度について、原発事故などからの復旧期は、年1~20ミリシーベルトの間に設定することを許容する考え方を提言する方針であることが明らかになった。平常時の一般住民の限度は、国の告示などで年1ミリシーベルトと定められている。6日に開く部会で議論する。
 国際放射線防護委員会(ICRP)は、原発事故などの緊急時は年20~100ミリシーベルトの被ばくに抑えることを目指し、緊急事態からの復旧期は、「現存被ばく状況」と位置づけ、地域住民の健康などを考慮して年1~20ミリシーベルトの間のできるだけ低い値を目指すべきだと勧告している。

 同部会は、放射性物質の汚染が広がる現段階では、年1ミリシーベルトを目指すと必ずしも経済性や社会的側面から合理的な対応が取れない可能性がある(?)ため、ICRPが示す「現存被ばく状況(年1~20ミリシーベルト)」の国内制度への適用を検討することにした。
 内閣府原子力安全委員会は7月、原発事故で政府が出した避難指示の解除に向け、ICRPの勧告に従い、住民などの年間被ばく量を1~20ミリシーベルトの範囲で決めることを暫定的に認めていた。

 基本部会は、緊急時が収束した後も長期間汚染が続く現状を受け、年1ミリシーベルトを長期的な目標に据えつつ、当面の目標(参考レベル)を設定することについても議論する。その際、子どもや妊婦ら放射線の影響を受けやすい人については、特別な配慮を求めるとみられる。
 ICRPは「参考レベルは安全と危険の境界を表すものではなく、1~20ミリシーベルトの低い値を選ぶべきだ」との考え方を示している。【毎日・久野華代】
・・


 規制緩和に反対する5つの理由
 ポイントのみ、記しておこう。
① 大前提として、市民の生命・健康、生活と労働の安全・安心の向上に背反する、いかなる規制緩和に対しても反対すべきであること。これは被曝線量の規制緩和にとどまらない。

② 「復旧期」とは何年間のことか。10年、20年、それとも30年? 一度規制緩和されたなら、それが「前例」となり、永久化すること必死。

③ これから行われる除染活動の規制緩和(除染達成の基準値の緩和)になること。それによって福島県内における国・東電、そして自治体の行政責任と補償責任をも軽減することを意図したものであること。
 これと同様に、福島県外の「ホットスポット」地域の除染活動の国・東電、自治体の行政責任と補償責任の軽減にもつながること。

④ 今後も起こりえる原発災害に対する悪しき前例となること。

⑤ 今となっては、原発推進国家連合によって定められた過去の遺物、ICRP基準を元に発想し、議論することから脱却する必要があること。
 レヴェル7の原発事故を起こした当事国として、日本は原発災害において市民救済・補償の観点に立った国際的規範となる使命を負っていること。少なくとも、国際的な悪しき見本とならないこと。

 もちろん、上に挙げた理由以外にも、まだまだ指摘できることはあるかもしれない。いずれにしても、結論的に言えば、どの角度から見ても、年間被ばく線量の規制緩和は、「粉砕の対象」でしかありえない、と私は思う。
 読者はどう考えるだろうか。 


 それにしても、「原子力ムラ」の住人たる「放射線審議会」の面々は、放射能汚染や被曝に対する一般的恐怖というものを理解できない人たちなのだと、つくづく感じさせられる。そして、福島県民全般、立地自治体の住民が、何に怒り、嘆き、声をからして国や東電に抗議してきたのかも、基本的にこれら「科学者」や「専門家」と呼ばれている人々は理解できない人たちなのだと。文部官僚は言わずもがな、のこと。 そのことは原子力安全委員会が、「7月、原発事故で政府が出した避難指示の解除に向け、ICRPの勧告に従い、住民などの年間被ばく量を1~20ミリシーベルトの範囲で決めることを暫定的に認めていた」にも、はっきり示されている。

 どういう言葉、表現が適切なのかも分からないが、とにかくこれらの人々は、ダメ、何を言っても通じない、そのことがはっきりしたように思う。この人たちは国と自分の「専門」を背負いながら、生きた、具体的な人間、たとえばあなたや私を、切り捨てる人々である。本質的なところで「内省に欠ける人々」とでも言えばよいだろうか。このことは肝に銘じておいたほうがよい。

 ただ、以下に書こうと思うのは、原子力ムラの「科学者」や「専門家」のことではない。この間、個人的にずっと引っかかったままの状態にある「自治体の責任」についてである。

〈原発災害における自治体と市民の関係〉
 たとえば、上の年間被曝量規制緩和問題に関して言えば、福島県や県内市町村の首長や議会が、国に対して「NO!」を突きつけるなら、市民が動くまでもなく、この問題はケリがつくはずである。それが市民の生命・健康、生活と労働の安全と安心を守るべき「自治体の責任」だと私は思う。

 これと同じことが、「原子力緊急事態宣言」解除以前の、政府が言う「冷温停止」以前の、避難準備区域の解除問題にも言える。しかし福島県は、関係自治体は「NO!」と言わなかった。なぜなのか? 

 原発災害においては、地元自治体自体が被害者となる。だから事故後において、国と東電の責任を不明確にしたまま「自治体の責任」を問うことはアンフェアである。しかし、もしも自治体が、自治体機能や財政の復元、行政活動の復活を第一義的に発想するのだとしたら、それは明らかに誤っている。なぜなら、私たちにとっての「コミュニティ」とは、今そこで生活している自然的環境であったり、職場や学校を含めた人間的関係であったとしても、行政機関としての自治体、「地方公共団体」ではないからだ。

 私たちが一般的に呼んでいる「自治体」と私たち市民、住民との間には、実際にはきわめてシリアスな緊張関係がある。どこか、そして常に、この点が曖昧にされているのではないだろうか?

 福島第一原発大災害を通して明らかになったことは、立地自治体はもとより、道府県レベルで完全に財政が破綻してしまうことである。その責任は国と東電が負うべきであり、市民・住民が負わされるべきいわれはない。まして、今以上の被曝の危険を冒してまで。少なくとも、私はそう思うのである。

 問題の根っこには、国の原子力行政なるもの、それを受け入れてきた自治体のあり方、そして机上の空論で構築されてきた「防災対策」なるもの、これらすべてのデタラメさがあるだろう。だから、根はとても深い。立地自治体に関しては、首長、職員、議員も被災・被曝しているので、とてもデリケートな問題でもある。だからこそ、もっと議論すべきだと思うのである。

 原発災害時において、市民にとって自治体とは何か?
 誰もが一度、じっくり考えてみることが必要だと思う。
 当事者として。

...
.原発汚染廃棄物は発生地で処理 事故で政府が基本方針案
 東京電力福島第1原発から放出された放射性物質で高濃度に汚染された土壌やがれきなどの廃棄物は、原則として排出された都道府県内で処理することなどを定める政府の基本方針案が6日、判明した除染は2年以内に放射線量の半減を目指すとした。汚染廃棄物の移動を最小限に抑えて処理を円滑に進めるのが狙い。住民の不安を背景に行き場のない廃棄物が増えており、安全性に対する説明責任を国が果たすよう求められる。
 来年1月に全面施行する放射性物質汚染対処特別措置法に基づき策定。政府のこれまでの処理方針をほぼ引き継ぐ内容で、政府内や地元との調整を経て、11月上旬にも閣議決定する。(共同)
 ↓
 2年以内に放射線量の半減を「目指す」という表現は、達成できなかったとしても国は責任を取りませんよ、という霞ヶ関文学特有の表現の一つ。そのこともさることながら、問題は、高濃度汚染物質の放射線量が「半減」できたとして、それによって核廃棄物のいかなる「安全性」が担保できるのか、というところにある。国に「説明責任」など果たせるのだろうか、国はその意思を本当に持っているだろうか?
 そして、福島県は、この「原則」から、どの程度「例外」が適用されることになるか・・・。

⇒「福島の除染土、進まぬ仮置き場確保 2町村どまり」(朝日新聞)

 この、あらゆることが異様で異常な季節は、いったいいつまで続くのだろう?

・・
「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「子どもと妊婦に「バッジ式線量計」を配布するのは正しいか?」
⇒「子どもたちが「積算被曝量計測器」を持たされる日
⇒「「父母たちの要請にYesを!」~20ミリシーベルト撤回

・・・
2号機炉内、センサーで調査=作業員死亡、3人目―福島第1
 東京電力福島第1原発事故で、東電は6日、2号機原子炉内の損傷状況を詳細に確認するため、通常は運転中の出力確認に使う計124個の中性子センサーに電気信号を送り、反応があるセンサーがどれだけ残っているか調べると発表した。3号機でも来週行う。
 1~3号機原子炉は冷却機能喪失で炉心が溶融し、燃料の大半が底部に落下したとみられている。中性子センサーは炉内の上から下まで4カ所に設置され、1カ所につき31個。大半が燃料と一緒に落下したと考えられるが、信号に反応があれば残っている可能性がある。
 また東電は3、2号機に続き、1号機でも原子炉への注水ルートを複数にして安定化させるため、圧力容器上部のヘッドスプレー系を使えるか調べる。

 一方東電は、同原発で放射能汚染水の貯蔵タンク関連の作業をしていた50代の男性作業員が5日に体調不良を訴え、6日に死亡したと発表した。男性は8月から働いており、累積被ばく量は約2ミリシーベルト。東電は、被ばくと死因との因果関係は考えにくいが、死亡診断書で確認するとしている。作業員の死者は計3人となった。 (時事通信)

2011年10月4日火曜日

「原子力緊急事態宣言」解除前の「緊急避難準備区域」の解除?

「原子力緊急事態宣言」解除前の「緊急避難準備区域」の解除?


 思い出してほしいのだが、日本はいまでも「原子力緊急事態宣言」下にある。少なくとも私が知る限り、日本政府はこの「宣言」を未だ公式に解除していない。みんな、覚えているだろうか。

 「原子力緊急事態宣言」 が解除されていないというのに、なぜ「緊急避難準備区域」が解除されるのか?
 この矛盾、このデタラメさを主要メディアは問わない。なぜなのか? 国の、そして時にして自治体の行政の矛盾やデタラメ、勝手な都合に振り回されるのは、いつも私たち市民だというのに。
 日本経済新聞の昨日付の記事。
・・
冷温停止は早計、安定カギ 福島第1の1~3号機100度切る
 東京電力福島第1原子力発電所では先週、事故後初めて1~3号機すべての原子炉圧力容器底部の温度が100度を下回った。年内を目標とする冷温停止に一歩前進したが、達成には原子炉の安定性(?)を今後どう維持していくかがカギとなる。経済産業省原子力安全・保安院は安定維持の判断基準「中期的な安全確保の考え方」をまとめ、週内にも発表する。この基準を満たすことが冷温停止とする最終条件にする考え。
 政府、東電は7月、冷温停止の定義として
(1)圧力容器底部の温度が100度以下
(2)放射性物質の追加放出による原発敷地境界での放射線量が年間1ミリシーベルト以下――を挙げた。
 炉心溶融(メルトダウン)した1~3号機だが、圧力容器内の温度が100度以下になれば冷却水が沸騰しなくなり、蒸気とともに外へ漏れる放射性物質の量が大幅に減ると判断したからだ。

 これまで最も高温だった2号機も、燃料の上からシャワーのように注水する方法に切り替え、水の量も毎時約10トンに増やすことで温度が低下し、9月28日に初めて(!)100度を下回った。現時点で各号機の圧力容器の温度は78~99度だ。正門付近の追加放射線量も年0.4ミリシーベルトとなり、先週、数値的には冷温停止の条件を満たした。
 ただ、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「冷温停止したと判断するには少し早い」と説明する。温度は下がったが、まだ、安定した状態とは言い切れないためだ。原子炉格納容器が損傷しているほか、冷却や水処理の装置も万全ではない
 福島県では今も規模の大きな余震が続く。29日にはいわき市で震度5強を記録した。福島第1では注水が止まるなどの影響は出なかったが、二ノ方寿・東京工業大教授は福島第1原発の現状について「自然災害への耐性が弱いと言わざるを得ない」と指摘する。

 保安院は新たに定める基準で、現在の状況を安定維持していくための条件を明示する。核燃料の発熱を十分に冷やせる冷却能力を保っていることを確認したうえで、大きな地震や津波に再び見舞われても、冷却や水処理が停止しないよう、複数の装置を準備してすぐ交換できる「多重化」を整えることなどを求める。
 東電は保安院が示す基準を満たすための施設運営計画を作る。津波などで注水が止まった場合、水素が大量発生する1200度に達するのは18~19時間後、燃料の再溶融は約38時間後と推定する。ただ、予備の消防車やポンプなどを高台に配備してあり、最大でも約3時間で注水を再開できるとみている。
 ↓
(ほとんど論じられていないが、問題は、「予備の消防車やポンプ」が「3・11」的事態に際し現実的に機能するのかどうか、そして「注水」を何時間、何日持続できる能力があるか、ということである。もちろん、これは数ある問題のほんのひとつに過ぎない)

 保安院は東電の計画を評価し、原子力安全委員会や有識者の意見聴取会に諮る。最終的には政府の原子力災害対策本部(本部長・野田佳彦首相)が、冷温停止したかどうかを決める予定だ。
・・


 政府が定義する「冷温停止」。何度も言わねばならないが、未だに私には理解不能の定義である。
 格納容器と圧力容器が破損し、メルトスルーを起こした原子炉が「安定化」することなど、ありえないからだ。

 しかし、今そのことを置いても、政府自身が「原子力緊急事態宣言」の解除の条件としていた「冷温停止」(4月26日、細野首相補佐官(当時)の記者会見)以前に、避難準備区域を解除するのは無謀であり、住民を引き回すだけだと言わねばならないだろう。

 野田政権によれば、避難準備区域を解除した根拠は、「原発の状況が改善した」からだという。これは妥当な判断かどうか。原子力安全委員会の委員長に聞いてみよう。 
 「内閣府原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は(9月)30日の記者会見で
 「原子炉の安定、除染、インフラのめどが付き、解除の条件が満たされた」(?)と述べ、政府の解除方針を了承したことを明らかにした。 班目氏は住民の帰還に向け「除染が最大の課題」と指摘。
(1)解除後も放射線量のモニタリングと除染を適切に実施
(2)除染効果について十分に情報を共有
(3)住民の被ばく低減と安全確保--などを政府に求めた」(毎日新聞

 「住民の被ばく低減」・・・。住民は「被曝」した。これかも「被曝」する。それを「低減」するのが、「課題」なのだと原子力安全委員会の委員長が言う・・・。この表現がいかにグロテスクなものか、この人物、いや日本政府はいまだに理解することさえできないのである。
 住民の「安全」はいかにして「確保」されるのか? 再度の「有事」の際には、国の指示を待たずに、住民が自主的に避難できるようにする「区域」の指定によってだろうか?

 福島第一原発のメルトダウン→メルトスルーは、起こるべくして起こった災厄である。が、決して最悪のものではない。これよりももっと凄惨な結果を招く「事故」は、今後も起こりうるのである。私たちはそのことを念頭に置きながら、国と自治体、電力業界が住民の生命をどのように扱い、その安全と安心をどのように保障/補償/保証するかをしっかり見極める必要があるだろう。


 私の主張が野田政権や東電に対して批判的過ぎる、政府を信用しなさ過ぎる、と感じる人は、2ヶ月半前に東電と政府が何を言っていたかを、思い出してほしい。
 6月18日の朝日新聞の記事、「原子炉冷却「予定通り7月までに」 東電工程表改訂版」。
・・
・東日本大震災に被災して爆発事故を起こした福島第一原子力発電所について、東京電力は(6月)17日、4月に示した事故収束に向けた工程表の2回目の改訂版を示した。復旧作業の現場の環境を改善するため、放射線管理と医療体制の充実という項目を盛り込んだほかは、微修正にとどまった。工程表の最大のカギを握る原子炉の安定的な冷却は、予定通り7月までにできるとの見通しを示した

 福島第一原発では、事故直後に国が定めた被曝(ひばく)線量を超える作業員が相次いで出たことから、今後、復旧作業現場の労働安全を徹底させながら人員を確保することにする。
 具体的には、内部被曝を測る測定器を増設し、個々の作業員の被曝線量を正確かつ、迅速に把握できるようにした。さらに、5月末から福島第一原発に医師を24時間常駐させ、作業員の健康管理の徹底を図った
・・

 甘すぎた当時の菅政権と東電の「見通し」・・・。その「見通し」に騙され、翻弄されてきた地元住民、私たち。
 あれから東電は「労働安全を徹底」させてきたか、「作業員の健康管理の徹底」を図ってきたか?

 政府と東電の「見通し」がはずれ続けてきたのには根拠がある。それは、そもそも東電の「見通し」なるものに科学的根拠がなかったからだ。が、今となっては何を書いても虚しさが残るだけである。根拠のない、実現しえない「見通し」をいくら語っても、政府に東電、原子力委員会に安全委員会、誰も何も責任を取らないからである。(注。原子炉の「安定的な冷却」は「冷温停止」と同義ではないことに注意。くれぐれも誤解しないようにしよう。)

 で。この6ヶ月半近くの経験から、私たちは何を教訓化すべきだろう?
 まずは、東電がまとめ、政府が承認するであろう「冷温停止」から廃炉までの「安定化方針」を徹底して疑ってみることだ。
・・
福島第1原発:廃炉までの安定化方針、東電に指示 保安院
 経済産業省原子力安全・保安院は3日、東京電力福島第1原発事故について、収束に向け工程表の「ステップ2」終了から、廃炉を始めるまでの3年間の新たな原子炉安定化の基本方針をまとめ、東電に実施計画を提出するよう指示した。 基本方針は
(1)放射性物質放出の管理・抑制
(2)原子炉の崩壊熱の適切な除去
(3)臨界防止
(4)水素爆発防止--の4項目。
 具体的には、汚染水の発生量を上回る処理能力の確立や、原子炉注水システムのバックアップ態勢の充実などを求めている。
 政府と東電は、福島第1原発での「冷温停止状態」を、「原子炉温度が100度未満」「放射性物質の放出抑制」と定義し、年内の実現を目指しているが、ステップ2終了後はこの4項目が新たな安定化の指標になる。

 保安院は、汚染水を浄化して冷却水に再利用する「循環注水冷却システム」については今月17日までに、それ以外については早期に報告するよう東電に指示した。 細野豪志原発事故担当相は会見で、「考え得るリスクを網羅した。今後東電が提出する回答で、国民が本当に安心できるのかどうか判断する」と述べた。【毎日新聞・中西拓司】
・・

 「冷温停止」したとしても、
①放射性物質の「放出」を「管理・抑制」し、
②原子炉の「崩壊熱」を「適切」に「除去」しなければならず、これらによって
③「臨界」を「防止」し、
④「水素爆発」を「防止」する?
 何度も何度も書いてきたが、いったい「冷温停止」とは何が「停止」することなのか?

 アリバイ的な「ストレステスト」(→これも私には未だに意味不明なのだが)と、結論があらかじめ仕組まれた「公聴会」→再稼動を阻むために、もう一度私たちは一から理論武装し、態勢を整えた方がよさそうだ。
 おそらくは、NHKや新聞メディアの記者たちを含めて。

・・
九電の玄海原発4号機が自動停止 復水器トラブル
 4日午後1時40分ごろ、佐賀県玄海町の九州電力玄海原発4号機(加圧水型軽水炉、118万キロワット)の復水器で異常が検知され、自動停止した。九電によると、外部への放射性物質の影響はないとみられ、けが人もいないという。同社が詳しい原因を調べている。 復水器は、タービンを回した後の蒸気を冷やして水に戻す2次系設備。
 玄海原発は4基ある原子炉のうち、東日本大震災前に定期検査に入った2、3号機が、福島第1原発事故の影響で4月の予定だった再稼働を延期中。1、4号機も12月には定期検査入りを予定している。(共同通信)
・・

・・・
〈ヨルダンへの原発輸出問題〉ミーダーン〈パレスチナ・平和のための広場〉の「提言」より抜粋)
○ヨルダンとの原子力協定の現状
 8月26日、衆議院外務委員会で採決される方針だったヨルダンとの原子力協定の承認が、参考人の強い反対意見によって見送られました。これは昨年9月にすでに署名され、福島原発事故後の今年3月31日、参議院本会議で可決されていたものです。
 同協定は、原子力の「平和的目的に限った利用」における協力における法的枠組みを定めたもので、IAEA(国際原子力機関)による審査等の枠組みのもとで行われること、原子力安全関連条約に基づく措置が取られること、核物質の第三国移転の規制およびヨルダンにおける核物質の濃縮・再処理の禁止、などがそこには含まれています。

 ヨルダンの原発受注は、三菱重工とフランスのアレバ社の企業連合、ロシアのアトムストロイエクスポート社、カナダのAECLの三者が入札し、11月までに選定されるという予定で進んでいるため、政府は早期の承認を目指していました。衆議院での今回の通過は免れたものの、閉会中審査(継続審査)の扱いが可決されたので、今後の野田現政権の姿勢をなお注視する必要があります。

○ヨルダンにおける原発建設の問題
 ヨルダンにおける原子力発電所の建設予定地アル=マジダルは、首都アンマンから北東に40キロ程度しか離れていない内陸部にあります。仮に100キロで円周を取れば、シリア南部だけでなく、パレスチナのヨルダン川西岸地区は、ほぼ全域が収まります。ヨルダン国内とはいえ、この圏内に暮らすパレスチナ人の総数は、ヨルダン国籍取得者も含め、600万人ほどにもなるはずです。(中略)

 ヨルダンに対する原発輸出の問題について、8月24日の衆議院外務委員会参考人質疑のなかで田辺有輝氏(「環境・持続社会」研究センター理事)は、首都アンマンと工業地帯ザルカーに近いことによる「甚大な事故影響」のほか、立地上の問題としては冷却水確保が困難なこと、およびシリア・アフリカ断層上に位置するヨルダンの地震リスクを挙げました。
 他方で服部拓也氏(日本原子力産業協会理事長)は原発輸出推進の立場から、ヨルダンが日本の耐震設計に関心を示していることを指摘し、澤昭裕氏(国際環境経済研究所所長)も同じく推進の立場から、仮に日本がヨルダンに原発を供給しなくとも他国が供給することになるので、高い安全基準をもつ日本の原発によって世界の安全に寄与した方が良い、と述べています。
 また澤氏は、ヨルダンでの原発建設のリスクに対する指摘を受けてなお「途上国が原発を進めるなか、日本が安全な方法での推進策を提示しなければ、途上国は選択肢を失う」「安全対策は各国が自分で行うべきこと」だと述べています。
 日本国内の原発に対し、これだけの欠陥や問題が指摘されているなかで、あたかも相手国の安全に貢献することを目的としているかのような原発輸出推進の主張の疑わしさには、十分に注意する必要があります。
・・
原発輸出で日本政府に「化石賞」 環境保護団体
 中米パナマで開催中の気候変動枠組み条約の特別作業部会会場で、各国の環境保護団体でつくる「気候行動ネットワーク」が3日(日本時間4日)、福島第1原発事故にもかかわらず、地球温暖化対策を理由に原発を輸出しやすい仕組みづくりを求めたとして、日本政府に、交渉で後ろ向きな発言をした国を対象とする「化石賞」を贈った。
 京都議定書には、先進国側が発展途上国で行った事業に伴う温室効果ガスの削減分を、排出枠として獲得できる「クリーン開発メカニズム(CDM)」という仕組みがある。作業部会で日本は、途上国で原発を造った場合もCDMの対象とするよう求めたという。(共同)
・・・

「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「国際シンポジウム: 『海を越える原発問題~アジアの原発輸出を考える』
⇒「モンゴルに「国際的核処分場」を建設する?
⇒「〈脱原発-核兵器International Peoples' Network〉を

2011年10月3日月曜日

「内省に欠ける国」の避難準備区域解除

「内省に欠ける国」の避難準備区域解除

 10月1日付の茨城新聞の記事、「原発を考えるインタビュー 村上東海村長 極めて内省に欠ける国」は一読に値する。
 JCO臨界事故と今回の福島第一原発の大災厄に触れて、村上村長は実に率直、虚心坦懐にこう語っている。

 「JCO臨界事故も慢心が招いたもので、この国はいつまでも反省しないという印象だ。利益を追求するあまり、原発推進を「国策だ」と言い続け、安全神話を作るなど、極めて内省に欠ける国だということ。
 JCO臨界事故の時も思ったが、今回も案の定だ。何にも学んでいない。福島第1原発事故の初期対応を見ても、何という国だと思った」。

 私も、そう思った。読者の多くもそう思っただろう。「この国はいつまでも反省しない」「極めて内省に欠ける国」「何にも学んでいない」「何という国だと思った」・・・。
 日本のエネルギー政策、電力供給の問題点を問われ、村長はこうも語っている。

 「日本は地震多発地帯で、1900年からの100年間でM8以上の地震回数は世界一という報告がある。そんな国に54基も原発を置いていいのか。正気の沙汰とは思えない
 「日本は原子力推進そのものがエネルギー政策で、自然・再生可能エネルギーの発展を封じていた面がある。原発は炭酸ガスを出さないから環境にいいと言い、放射能・放射線の問題にはふたをして、原発の後処理も後世に先送りしてきた。それはまさに、哲学なきエネルギー政策だという気がする」。

 私もまったく同感だ。読者の多くも同感するに違いない。しかし、私が村長にもっとも共感するのは、次のくだりである。「「脱原発」は可能か。日本における再生可能エネルギーの可能性は?」と問われ、村長が返答したくだり。
 「福島第1原発事故を起こした以上、日本は脱原発について真剣に考える義務がある。脱原発を追求しなければならず、できるできないはその次でいい」。

 私自身を含む脱原発派は、往々にして結論=原発廃棄から問題を立てがちになる。結論が先にあって、演繹的に「運動」なるものを、その「戦術」なるものを考えがちになる。 しかし、ある意味では、そうした発想、そうした思考、そうした「哲学」の積み重ねが「3・11」を招いてしまった、それを止める事ができなかった、という事も事実なのではないか。 内省が問われているのは、政府・民主党、官僚機構ばかりではない。 私たち自身にも、問われているのではないだろうか。

・「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「東海第2原発の再稼働中止と廃炉を求める署名 」

緊急時避難準備区域の解除は正しいか?
 反省しない人間は同じ失敗や誤りをくり返し、内省しない人間はなぜ同じ失敗や誤りをくり返すのかが分からない。
 しかし、その失敗や誤りが、あくまでも個人的なものですんでいる間は、まだよい。これが私たちの生存や生活に深刻な影響を与える政治家や官僚の話となると、とんだ災難になる。
 「内省に欠ける」この国は、そのことをどこまで理解しているだろう。

 先月末、国によって指定された避難準備区域が解除された。というより、国が勝手に解除したのである。 この措置をどう考えるべきだろう。読者は賛成するだろうか、それとも反対だろうか。

 賛否以前に、私には解除の根拠が理解できない。国が言う「冷温停止」を達成した上で解除するなら、まだ国としての論理の辻褄は合うだろう。「冷温停止」以前に、除染作業もまだろくに進んでいない状況において、なぜ解除するのか、なぜ待てないのか、なぜ国は解除をそれほどまでに急ぐのか? 

 「福島第1原発:避難準備区域を解除…除染など課題」(毎日新聞)やその他の新聞記事を読んで、気になることがあった。それは、毎日新聞を含め、日本の新聞メディアが解除の事実や「課題」を指摘するだけで、解除そのものに反対していないことである。
 
・・
⇒「学校再開、避難区域解除でも見通せず 根強い放射能不安」(朝日、10/3)
 ↓
 当然のことではないだろうか? にもかかわらず、解除を急いだ国、それを要求した自治体関係者の方がどうかしているのである。
 記事の中にこういうくだりがある。
 「避難準備区域内では、保護者たちが車で元の学校まで子どもたちを送迎し、その先はバスで往復している。青木紀男(としお)市教育長は「母校に帰れば子どもや親、先生の負担解消とともに、落ち着きを取り戻せる効果がある」と期待する」
 
 「期待する」のは、自治体の教育長や教育委員会、もっと言えば教師たちの自由であり、勝手なのだが、実際には期待通りに事は運ばない。なぜか? 「冷温停止」どころか、「事態」は未だに収拾しておらず、除染もこれから始めようかという段階で、放射能廃棄物の処理問題についても何も解決しておらず、どれもこれもが「解除尚早!」を告げているからだ。子どもたちの親たちが、一番敏感にそのことを察知しているだろう。

 もしかしたら、6ヶ月半を過ぎてなお、私たちはまだ「内省」が足りないのかもしれない。

⇒「福島第1原発:増え続ける廃棄物 循環注水3カ月」(毎日)
・・・
ウォール・ストリートは燃えている
 ウォール・ストリートが「燃えている」。ちょっと古いが「ロンドン・コーリング」ならぬ、ニューヨーク・コーリングだ。
 とりいそぎ、記事を三つ、紹介しておこう。占拠の模様、逮捕の瞬間などの映像、写真が見れる。
Hundreds Arrested, Including AlterNet Reporter, as Occupy Wall Street Keeps Growing(AlterNet)
Police Arrest More Than 700 Protesters on Brooklyn Bridge(NY.Times)
ガーディアン紙のOccupy Wall Streetのページ

 「 [占拠している]ぼくらが若いっていうのは、何も行動しなければ、ぼくらが一番損をするからだよ。ただそれだけのこと」。
 確かに。しかしこれは、おそらく米国よりも日本の方が言えることだと思うのだけれど、どうだろう。
 
 右の写真は、Alternetの記事、How Killer Student Debt and Unemployment Made Young People the Leaders at Occupy Wall Street より。