2011年10月12日水曜日

村上東海村村長が東海第2原発の廃炉を要望

 村上東海村村長が、国に対し東海第2原発の廃炉を要望した。
 これは、村の経済と財政、雇用が原発に大きく依存してきた自治体の首長として、かなりの覚悟を必要とした決断であったことは間違いない。
⇒「電源三法交付金について」(東海村)

 しかし、同時にこれは住民の生命・財産と、生活の安全・安心を守るべき原発立地自体の首長としての当然の行為である。村上村長は首長として、ごく常識的な、当然の事を行ったに過ぎない。けれども実際には、とりわけ財政上の理由から、その決断を下せない政治家や首長があまりにも多いのが現実だ。だからこそ私は、村長の決断を高く評価し、支持し、激励したいと思う。
 他の原発立地自治体の首長も、村上村長に続いてほしいものである。

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村長が東海第2原発の廃炉要望 細野原発相に
 運転開始から30年以上たつ日本原子力発電東海第2原発(茨城県東海村、沸騰水型、110万キロワット)について、地元東海村の村上達也村長は11日、都内で細野豪志原発事故担当相に対し、廃炉を求める考えを伝えた。
 村上村長は、第2原発から30キロ圏内の人口は100万人に上り「立地条件として不適切」と強調。老朽化や、東京から近いことも踏まえ「廃炉にすべきではないか」と指摘した。 村長によると、細野氏は「貴重な具体的な提言をいただいた。考えさせていただく」と答えたという。
 東海第2原発は、1978年に運転を開始。3月11日の地震では、原子炉が自動停止した。(共同通信)
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 今後、東海村内外から、村上村長を「潰し」にかかるような、かなりの圧力が予想される。国が、茨城県が、商工会議所が、村の議会がどう動くか。そして村長自身がこの「要望」の実現に向け、どう動くか。
 しっかり、見極めよう。

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東海村議会 “廃炉”巡り議論
 茨城県東海村の村上達也村長が東海第二原子力発電所を廃炉にすべきだという考えを国に伝えたことを受けて、14日、村議会の特別委員会が開かれ、村上村長は原発に依存しない村の在り方を考える必要があると改めて強調しました。
 14日の特別委員会は、今月11日、村上村長が細野原発事故担当大臣に東海第二原発を廃炉にすべきだという考えを伝えたことを受け、発言の真意をただそうと開かれました。この席で、議員からは「議会に事前に説明することなく国に廃炉を要望するのは問題ではないか」という意見が相次ぎました。

 これに対して村上村長は「『廃炉』というのは政策でも議案でもなく私の意見として伝えた。『要望』という形はとっていない。東京電力福島第一原発の事故が起きた以上、原発に依存するのではなく、これまでとは違う村の在り方を考えなくてはいけないと思う」と述べ、原発に依存しない村の在り方を考える必要があると改めて強調しました。
 議員の中には、村長の意見に賛成する声もありましたが、「原発が東海村の財政を支えている側面もあり、感情的な発言をするのは思慮に欠けるのではないか」などとして、原発を受け入れてきたこれまでの行政を転換することについては慎重な意見が多く出されました。村議会は、今後12月の定例議会でも原発に対する今後の村の姿勢などについて議論していくということです。(NHK 10/14)

東海第2原発定期検査、来夏まで延長 タービン修繕や変圧器交換
 日本原子力発電(原電)は12日、東海第2原発で実施中の定期検査の期間を来年8月上旬まで延長すると発表した。当初終了予定の来月中旬から約9カ月の大幅な延長となる。東日本大震災の地震で損傷したタービンの修繕に時間がかかるためで、新たに変圧器1台も交換する計画。原電は定期検査後に住民説明を行う意向を示しており、同原発の再稼動に向けた本格的な議論は来年夏以降に先送りされることになった。
 原電によると、追加で必要となったのは、低圧タービン1基の翼の交換と高圧タービンの中間軸受け台の修繕。地震によるずれやボルトの緩みが見つかった中間軸受け台は、専用の装置でつり上げる大掛かりな作業が必要で、修繕に約5カ月かかる見通しという。

 このほか、発電所構内の港湾復旧を受け、海上輸送が必要な主要変圧器1台も交換する計画で、継続的な中性子照射などの影響でひび割れが見つかった制御棒8本も交換する。地震・津波を想定した安全向上対策にも引き続き取り組む。
 東海第2原発は震災発生直後に自動停止し、以降は一度も運転を再開しないまま、5月21日に約半年間の予定で定期検査に入った。再稼動の見通しが立たない中、期間延長により原子炉停止は最低でも約1年半の長期に及ぶことになった。(茨城新聞)
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〈ちなみに〉
 村上村長は4月、村民に向けたメッセージの中で次のように語っている
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 「福島第一原発事故の成り行きも全く楽観できる状況ではありません。ここから出てくる放射能が早くなんとかならないものか、一日千秋の思いでみております。健康面はもちろん、経済産業面での被害はおそらく前代未聞の規模になるのではと、危惧しております。願いはただただ一刻も早い収束であります。
 本村にある日本原電第二発電所もまた非常用発電機用海水ポンプ3台の内1台は津波にやられました。しかし幸いにも残り2台は無事であったため、冷却機能は維持され、現在冷温停止状態を安定的に保っております。この件まずはご安心下さいますよう」
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 村長がここで使っている「冷温停止」。これが「科学的に正しい」、「常識的な」冷温停止という概念の使い方である。
 私は、冷温停止を理解するのに「原子力科学」や物理・工学的知識など必要ない、と書いた。要するに、冷温停止とは、稼働中(発電中)原発が、原子炉の「安定性」を保ったまま、稼動(発電)を停止することなのだと。「自動」=強制停止であれ、手動停止であれ。原発の冷温停止を語るときに、これ以外の定義など存在しないのだと。

 メルトスルーを起こした原子炉が「安定化」するのどうのこうの、水の温度が「100度以下」(!)になればどうのこうの(99度なら「冷温停止」?」というのは、国と東電、「原子力ムラ」が私たち市民を騙すために捏造した「政治的定義」である。
 今、すべてのメディアが使っている「冷温停止」とは、ただ単に廃炉作業に入るにあたり、作業がよりしやすくなる、その一階梯の状態を表現するもに過ぎない。言わば、「そこを通過しなければその先に進めない/進みようがない、ただの目標/指標」みたいなものである。 くれぐれも勘違いしないようにしよう。
 これでもまだ懐疑的な人は、東電がなぜ未だに「爆発の可能性」を云々しているのか、よく考えてみることである。

東海村の原子力ムラ、いや原子力関連事業所
(1)日本原電 東海発電所・東海第2発電所
(2)核物質管理センター 東海保障措置センター
(3)東京大学大学院工学系研究科原子力専攻
(4)日本原子力研究開発機構東海研究開発センター原子力科学研究所
(5)同核燃料サイクル工学研究所
(6)原子燃料工業東海事業所
(7)積水メディカル薬物動態研究所
(8)三菱原子燃料
(9)ニュークリア・デベロップメント
(10)住友金属鉱山 エネルギー・触媒・建材事業部技術センター
(11)ジェー・シー・オー 東海事業所
(12)日本照射サービス 東海センター
(毎日新聞・「特集ワイド:JCO事故から12年、脱原発村長の茨城・東海村を行く」より)

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「批評する工房のパレット」内の関連ページ
「「内省に欠ける国」の避難準備区域解除」
⇒「東海第2原発の再稼働中止と廃炉を求める署名 」
⇒「脱原発の〈思想〉と〈科学〉が試される時
⇒「「冷温停止」の政治と科学:  研究者のモラルが試される時

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福島の県外避難者、帰郷のメド立たず
 福島第1原子力発電所事故の影響で故郷を追われた福島県の被災者約2300人は、首都圏など県外の公民館や校舎、宿泊施設で今も避難生活を続ける。徐々に受け入れ施設の閉鎖が進む一方、多くは帰郷の見通しが立たずにいる。
 東京都は旅館・ホテルなど約40カ所の2次避難所を設け、福島県などからの被災者を受け入れてきたが、10月末に全て閉鎖する予定。避難者約340人は都営住宅や借り上げ住宅に移る。

 足が不自由な長女(41)と都内のホテルに避難している福島県南相馬市の無職、安藤公子さん(60)は、16日に葛飾区の借り上げ住宅に入居する予定という。4月に避難先の福島県いわき市の知人宅を出て、都内の避難所を転々。「全額の家賃補助が切れる2年後には、自腹で家を借りないといけない」と顔を曇らせる。

 県外で暮らし続ける覚悟だが、年齢に加え、避難生活で体調を崩したこともあり就職は難しい。40年前に亡くなった夫の遺族年金があるものの、車のローンの返済などで手元に残るのは月5万円程度。そこから2人分の生活費を工面しなければならない。安藤さんは「交通費も物価も高い東京でこれから暮らしていけるのだろうか」と不安は尽きない。
 一方、福島県内の避難所も閉鎖が相次ぐ。南相馬市の石神第一小学校の避難所は月末に閉鎖予定。長男(33)と共に身を寄せる時田一郎さん(67)の自宅は、福島第1原発から20キロメートル圏内。「長男も仕事がなく、行き先が決まらない。どうすればいいのか」。住まいと仕事に展望が開けない現状を嘆いた。(10/12 日経

県外避難者の支援状況(10月7日更新版) (東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN))
⇒「横浜でストロンチウム検出 100キロ圏外では初」(朝日)