2011年10月27日木曜日

原発推進派のコスト論のコスト

 原発推進派のコスト論のコスト


 「原発のコスト」をめぐる原子力ムラの面々が編み出してゆく、様々な原発推進を前提とした言説(それは、「科学的データ」に基づく「解析」の結果を踏まえたもの、として吹聴されるのが常なのだが)を考えていて、ふとリビアに対する武力による「人道的介入」(=「保護する責任」の実行}に関するヒューマンライツ・ウォッチ(HRW)の弁明が重なった。それはこういうことである。

 「保護する責任」を推進するHRWは、次のように言う。
 HRWは、リビア民衆の人権保護のために、国連安保理が「保護する責任」の履行に向け、武力行使を含めた必要なあらゆる措置を取ることを定めた安保理決議を支持するが、実際に行われた武力攻撃に対しては支持も反対もしない、と。 つまり、「立場を取らない、という立場」である。

 11月20日(日)、法政大学の国際文化学部との共催で行うシンポジウムでは、HRW(ニューヨークの本部)に対して私たちが送った計4問の質問に関するHRWの回答が明らかにされる予定になっているが、その第一問目がこのことに関する質問である。ごく率直に言って、私(たち)には、そういう「スタンスの取り方」がよく分からないのである。
 
 一般的に言えば、ある政治的事象に対し、賛成もしなければ反対もしない、立場を取らない、ということはありえるだろう。しかし、自らが推進し、国連安保理が決議をあげるよう提言してきたにもかかわらず、実際に行われた武力攻撃に対して「賛成も反対もしない」という「立場」は、どのような論理によって成り立つのか?

 私個人は、「保護する責任」に関し、HRWとは異なる立場を取る者であるが、立場の違いそのものよりも、どのような論理を伴った回答が寄せられるのか、今はそちらの方が関心がある。
 一部の武力による人道的介入論者が、実際に行われた武力攻撃に対して「立場を取らない、という立場」を取るのは今回が初めてではない。旧ユーゴ内戦に対するNATOの空爆、武力介入の時も、HRWや一部の介入論者は同様の立場を取ったことがある。「あの時」も、私にはその論理が理解できなかった。

 では、なぜ上に述べたHRWのスタンスの取り方と「原発のコスト」をめぐる原子力ムラの面々の言説のあり方が重なるのか。
 一言で言えば、自らが推進・唱導する事柄が招きうる結果に対し、私の眼から見れば、立場を取ろうとせず、それゆえ当然なことに責任も取ろうとしないからだ。
 表現を変えると、起こりうるかもしれない結果に対して、組織としてまた個人として、責任を取る意思を持たないにもかかわらず、また実際に取れるはずもないことを、推進したり唱導したりしているからである。しかも、反対論者の見解を、事実上、黙殺する形で。
 
 原発推進派の「原発コスト」論に引き付けて、その問題点を具体的にみてみよう。

 2
 一昨日(10/25)、内閣府原子力委員会の専門部会が、今後の原発の発電コストに対する福島第1原発災害の影響は「限定的」との見解を打ち出した。(毎日新聞の記事、「原発事故コスト:「上乗せ1.2円」…他燃料より「割安」」その他を参照)。

 報道によれば、この「限定的」なる原子力委員会の「試算」が、同じ内閣府の「エネルギー・環境会議」に設置された「コスト等検証委員会」などに「報告」され、「電源別の発電コストの見直し作業に反映される」ことになっている。

 「原発のコスト論」に関する本質論議から言えば、毎日新聞の記事が紹介している「NPO原子力資料情報室や環境保護団体でつくるグループは「原発を費用だけで検討すること自体、検証される必要がある」」という点は、私も同意見である。
 しかし、この本質論議以前にはっきりさせておかねばならないのは、原子力委員会の「試算」の仕方そのものに問題点が多すぎることである。

① 「過酷事故の被害額」の算定
 毎日新聞によれば、「原子力委は、政府の「経営・財務調査委員会」が試算した廃炉費用と損害賠償額を合わせた今回の事故の被害額(5兆5045億円)を参考に、出力120万キロワットの新設炉が過酷事故を起こした場合の被害額を3兆8878億円と仮定。過酷事故の発生頻度を掛け合わせて事故コストを算出した」。

 ここで問題にしたいのは、「今回の事故の被害額(5兆5045億円)」が、未だ暫定的な額であって、一兆数千億にのぼるとされている除染費用などが含まれていないことではない。そうではなくて、「出力120万キロワットの新設炉が過酷事故を起こした場合の被害額を3兆8878億円」とする「仮定」にマヤカシがあることである。

 私は原子力委員会の「報告」を読んでいない。が、読まなくともその「試算」の仕方そのものが誤っていることは確信を持って言える。
 原子力委員会は、「原発のコスト」を算出する際の「仮定」の時点ですでに間違っている。
 なぜなら、第一に、
 現存する日本の原発、また今後「新設」が計画されている原発の中で、福島第一と同等の「過酷事故」を起こした際に、その被害総額が今回のそれより上回ることが想定できる原発が多数存在するからである。断定してよいと思えるものを列挙するなら、北から泊、女川、柏崎刈羽、浜岡、玄海原発・・・などである。(「美浜はどうした? ××原発はどうなんだ?」とか、いろいろ意見はあるだろう。要するに、想定しうる原発のリストはまだまだ続きうる、ということを確認することが重要である。)

②「過酷事故の発生頻度」と「稼働率」の数値設定の誤り
第二に、「福島原発事故を含めた国内実績に基づき、事故の発生頻度を500年に1回とする」ことも、「稼働率60%」という仮定も根拠がないこと、それと同様に、
第三に、「新設炉は過酷事故の発生頻度を10万年に1回以下とする国際原子力機関(IAEA)の安全目標を満たしている」という仮定も、「稼働率80%」という仮定も、ともに仮定の設定自体が誤っていることが指摘できる。

 「事故の発生頻度」の誤りに関しては、次の朝日新聞の記事を参照するだけで十分だろう。
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「従来の考え方はリセットを」 地震学会が反省のシンポ
 日本地震学会は、東日本大震災の想定や被害軽減への貢献が不十分だったという反省から、研究者と社会のかかわりかたを考える特別シンポジウムを15日、静岡市で開いた。参加者は、研究や予測の問題を率直に語り、討論した。
 地震の予知・予測研究に長年批判を続けてきた東京大のロバート・ゲラー教授が特別講演で「現在の地震学の考え方である、大きな地震は周期的に繰り返し、発生前に前兆現象があるという前提は成り立たない」と批判。「従来の地震発生の考え方はリセットするべきだ」と呼びかけた。

 「結果的に、私自身は間違っていた」。東北大の松沢暢教授は自身の発表でこう述べた。宮城県沖ではマグニチュード(M)7級の地震が数十年おきに繰り返すと予測され、防災対策が進んできたが、発生した地震はM9だった。シンポジウムでは、なぜM9が想定できなかったのか、地震学の常識がじゃまをしたことなどを分析した。これまでの考え方を見直し、今後は、今回よりさらに大きいM10の巨大地震の可能性も検討する必要があるとした。
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 「結果的に」、原子力委員会も安全委員会も「間違っていた」。
 にもかかわらず、これまで地震研究の知見を黙殺してきたことさえ省みられることなく、この期に及んでまた同じ過ちがくり返されようとしている。原子力委員会、また「エネルギー・環境会議」の「コスト等検証委員会」には、地質学会に見習い、まずは反省することを覚えてもらわねばならないだろう。そして、「これまでの考え方を見直し、今後は、今回よりさらに大きいM10の巨大地震の可能性も検討」すること。その上で、「過酷事故の発生頻度」を算定し直す「必要がある」。

 また、「稼働率」については、2011年10月現在の稼働率が約20%に過ぎないことを前提に算定すべきだろう。「60%」「80%」を「仮定」するなんて「お話にもならない」と言うべきである。

 結論的に言えば、原子力委員会の「試算」なるものは、福島第一原発災害を経てもなお「反省」することを知らない原発推進派が、原発の「コスト安」を偽装することによって再稼働、あわよくば「新規」建設に弾みをつけようとする、きわめて政治的な代物である。その「仮定」なるものは、現実と実証的データに裏打ちされない、原子力ムラの願望をただ表現したものに過ぎないのである。

 野田政権は、こうした原子力ムラの「報告」や「提言」を基に、来年8月までに国の「エネルギー・環境」政策を取りまとめるのだという。
 しかし、来年8月を待たずして、これから出てくるであろう「報告」「提言」などの結論は、すでに見えている。いろんな「科学的データ」や「解析」結果を例証した上で、「やっぱり原発が一番割安、クリーン」という「3・11」以前に原発正当化論に活用された主張の二番煎じである。

 「原発のコスト」を論じながら原発推進を唱える者たちは、そうした主張によって失うことになる「原発コスト論のコスト」をこそ算定すべきではないだろうか? 一般市民の信頼を回復できないという「コスト」ほど原発推進派にとって高くつくものはないと私には思えるのだが、どうだろう。

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「原発止めたい」 福島の女性ら経産省前で座り込み
 東京電力福島第1原発事故を受け、福島県の女性らが27日、「立地県の住民として、今こそ日本中の原発を止めたい」などと訴え、東京・霞が関の経済産業省前で3日間の座り込みを始めた。
 福島県の女性約50人や首都圏など県外からも数百人の女性が集まった。「脱原発」「怒」など思い思いのメッセージを込めた旗や紙を掲げた。

 福島県川俣町から山形県米沢市へ子供2人と避難しているNPO法人理事長の佐藤幸子さん(53)は「このままでは、命を未来へつないでゆく母性が許さない。その思いを込めて座り込みをする」と力強く訴えた。
 福島市から福岡県福津市へ4歳の娘と避難している宇野朗子さん(40)は「世界が原発や核と決別するよう、祈るような気持ちだ」と話した。(産経)