人道的帝国主義とは何か---「保護する責任」と二一世紀の新世界秩序
⇒「保護する責任」にNO!という責任--人道的介入と「人道的帝国主義」より
1月のハイチ大地震の1周年にあたり、ハイチや「低開発国」「重債務国」と呼ばれている国々の〈脱植民地化〉のプロセスに対して、巨大な国際人道・開発NGOが果している役割を書こうと考えていた。いわゆるポスト・コロニアル状況と国際NGOとの関係性の問題である。
非常に大きなテーマなのだが、この問題を考えるヒントを与えてくれる言葉がある。「NGO共和国」という表現がそれである。
1
NGO共和国
ハイチがNGO共和国になったという国際人道・開発NGOに対する批判がある。
たとえば、アルジャジーラが報道した、Haiti 'a republic of NGOs' を観てほしい。記事にはこのようなことが書かれている。A report from Oxfam, one of the major NGOs working in Haiti admitted that international groups often exclude the state in their plans and should do more to work with the government.
オクスファムは、まだこの事実を認めているだけマシだと私は考えている。圧倒的多数の欧米のNGOは、そして一部の日本のNGOも、NGOというよりは「サービス・デリバリー団体」化し、援助対象国の中央・地方の政府・行政機構、また現地の住民組織(NGOではない)や民衆運動体をバイパスして、一方的な「援助の押し売り」をしている現実がある。なぜか。「人道緊急援助」というのは、今日において、それ自体が巨大なグローバル産業になっているからである。こういう援助産業が、欧米の植民地支配の遺制と遺産を清算し、「自立」しようとしているその最中に海外から「ベイシック・ニーズ」の供給者として次から次に入ってきたらどうなるか?
ジャパン・プラットフォームなどは、活動展開の規模で言えば、チッポケな存在でしかない。しかし、やっていること、その結果がもたらしていることは、「NGO共和国」を世界各地につくっている欧米の巨大開発・人道NGOと同じである。しかも問題なのはサイトを見ても、そのことを捉え返そうとする気配が感じられないことだ。捉え返すどころか、年末まで募金とプロジェクトを延長するという。
「震災からの復旧が遅れているハイチでは、ユニセフが水衛生分野で2011年末まで、IFRCがシェルターで2011年半ばから2011年末まで活動の継続を表明するなど、国際機関は緊急段階の支援が長期に必要なことで一致している。かかる状況下、JPFとして緊急対応期間を2011年末まで延長することが適切だと判断した」?
まったくのデタラメである。復旧が遅れているのは、国連機関も国際NGOも、互いに競合しあうだけで、全世界から集めた寄付・税金・物品を、効率的・合理的に、現地の「ニーズ」に合わせて配分することをしないからだ。NGO間の何のコーディネーションもない。いわばすべてがバラバラで、「クライアント」の争奪戦・陣地戦を展開し、ハイチの人々を国連機関とNGOの管理・統制下に置き、実態的に支配/統治してしまっているのである。
60ヶ国以上の国から、1万組織以上の「NGO」が、カリブの「最貧国」ハイチにハエのように群がり、「卵」を産み、寄生することによって実効支配している。ハイチにおいて、国際人道・開発NGOは脱植民地化の阻害物にしかなっていない。現代世界の最もマージナルな国々の、最もマージナルな人々にとって、今では「アラブの王国」を含む「援助大国」・国連・国際NGOは、文字通り「エイリアン」な存在なのである。
税金を使っている組織体として、JPFを構成するNGOユニットは、たとえばハイチ、あるいはアフガニスタンやイラクにおいて自らが果している、果たしてしまっている役割を、一度きちんと総括し、レポートを公表すべきである。
2
「紛争予防」「人間の安全保障」「平和構築」の三位一体神話の解体
どんなに「貧しい」国だとしても、人々がそこで生きている限り、さまざまな社会的組織体がある。NGOの役割はそれらの社会的組織体を現地の「カウンターパート」としてNGO化することではない。またその社会固有の活動や運動を「プロジェクト」化することもでもない。これらは、NGOとして絶対にしてはならない禁止則である。
戦後という時間幅で見ると、欧米の「チャリティ」系NGOが、旧植民地宗主国が軍事独裁国家を構築するのを横目でやり過ごしながら、世界各地でこの禁止則を犯してきたことに気づかされる。援助国が軍事独裁を支え、武器輸出のマーケットとし、NGOがその国の内部から社会的組織体の成長を阻害してしまうハイチのような国が「破綻国家」「脆弱国家」として構造的に「自立」できなくなってしまうのは必然である。国家として、また社会として自立する条件を、援助する側が奪ってきたのであるから。
次から次に「ホットスポット」を目指して組織と財政基盤の拡大をはかるNGOは、目的が手段化し、本来の主役が隷属化し、黒子(くろこ)が主役になってしまっていることを反省しようとしない。活動そのものがビジネス化するにつれて、その傾向はひどくなる一方になる。