2011年10月14日金曜日

野田政権の原子力政策をどうみるか

野田政権の原子力政策をどうみるか

 野田政権の原発政策をめぐる各紙の社説や記事を地球の裏側から読んでいて、論説委員や記者の分析の浅さと言おうか、そのナイーブさがとても気になった。これは、これからの停止中原発の再稼働の動きをどう評価するか、またその是非をめぐる広域的住民投票をめぐる議論とも密接に関係することなので、少し考えておきたい。 
 (後に明らかにするが、私が主に論じたいのは、このページの後半部で説明することになる、政府内のさまざまな「会議」や「委員会」で議論されている「原発のコスト」問題についてである。より正確には、今後の国の原子力政策を確定するにあたり、「原子力ムラ」の面々が「原発のコスト」を議論している、その議論のあり方である。)


 二つの記事を取り上げてみよう。一つは、日経ビジネスの「記者の眼」、「野田首相の「脱原発依存」は本気かーー「原発推進」と「脱原発」の狭間にあるもの」(10/14)、もう一つは河北新報の社説、「東日本大震災 エネ政策見直し/白紙状態から大胆な議論を」(10/14)である。
 まず、、日経ビジネスの「記者の眼」について。
 記者の基本的主張は、以下のようなものであり、日本がグロスレベルで「経済成長持続」路線を取るべきかどうかという問題を除いては、とりたてて異論があるわけではない。
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 「東日本大震災を経て、日本が今、世界に求められているものは何だろうか。福島原発事故を早期に収束させることはもちろんだが、事故を経て、原発への依存度を下げながらでも経済成長を持続させるため、次世代のエネルギー戦略をどう描き直すかが問われている。 これは各国共通の課題であり、野田政権に必要不可欠なのは、決断力と実行力だ。ここ数年の政権に欠けていたものは、いつも同じではなかったか。」
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 「ここ数年の政権に欠けていたもの」が「決断力と実行力」である、という点も私は同意する。
 問題は、まさにこの記事のタイトルに示されているように、野田政権の当初の原発政策を「脱原発依存」路線だったとこの記者、論説委員が捉えていること、さらに現在の野田政権が「原発推進」と「脱原発」とのはざ間で揺れているかのように分析しているところにある。私はこれらの分析は誤っている、と考えている。

 記事には、9月以降の原発をめぐる野田首相の「路線修正」の軌跡が記録されている。野田首相が選択している言葉と表現に注意しながら、読んでみたい。
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①9月2日の野田首相就任会見
 「新規の建設予定、14基あると思いますが、私は新たに作るということはこれはもう現実的には困難だというふうに思います。そしてそれぞれの炉の寿命が来る、廃炉にしていくということになると思います。寿命がきたものを更新をするということはない。廃炉にしていきたいというふうに思います」

 「再稼働できるものについては、しっかりとチェックをしたうえでですよ、安易ではありません、安全性をしっかりチェックしたうえで、再稼働に向けての環境整備、特に地元のご理解を頂くということを当面はやっていくことが必要だろうというふうに思っています」

②9月12日の所信表明演説
 「原子力発電について、『脱原発』と『推進』という2項対立で捉えるのは不毛です。中長期的には、原発への依存度を可能な限り引き下げていく、という方向性を目指すべきです。
 同時に、安全性を徹底的に検証・確認された原発については、地元自治体との信頼関係を構築することを大前提として、定期検査後の再稼働を進めます」

③9月22日の「原子力安全及び核セキュリティに関する国連ハイレベル会合」での演説
 「日本は、原子力発電の安全性を世界最高水準に高めます。(中略)原子力利用を模索する国々の関心に応えます。
 数年来、エネルギー安全保障や地球温暖化防止のため、新興諸国を始め、世界の多くの国々が原子力の利用を真剣に模索し、我が国は原子力安全の向上を含めた支援をしてきました。今後とも、これらの国々の我が国の取組への高い関心に、しっかりと応えていきます」。
 「日本は、事故の教訓を世界に発信します」。
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 この記事の筆者や一部メディアの野田首相および政権の評価と私のそれがズレる根拠は、前者が上の①を、菅首相を引き継ぐ野田首相の「脱原発依存」宣言と捉えたところにある。
 「原発の新規増設は困難だから、今ある原子炉の寿命が来たら廃炉にする、という発言は、菅直人前首相の路線をほぼ踏襲する、いわゆる「脱原発」、あるいは「脱原発依存」路線と受け止められた」云々・・・。

 しかし、本当にそう言えるのだろうか?
 問題は前首相の「脱原発依存社会」宣言なるものの問題性、それをどのように捉えるかにまでさかのぼることになるが、今その議論を省いたとしても、上の野田発言はとても「脱原発依存」路線とは言いがたい。
 なぜなら、「原発の新規増設は困難だから、今ある原子炉の寿命が来たら廃炉にする、という発言」は、
①客観的状況を踏まえた認識={原発の新規増設は困難)と、
②当然のことを当然のこととして述べたステートメント=(今ある原子炉の寿命が来たら廃炉にする)に過ぎないからだ。
 しかも、
③現実の政権運営に携わる前の記者会見の発言など、政治家にとっては後でどうとでも「修正」できる、きわめて軽いものだということをこの記者たちは弁えていない。

 その意味で、②と③、施政方針演説と国連での発言が野田首相および政権の「基本方針」(と、もしも言えるとしたら)なのである。なぜなら、公的文書として残るからだ。前者は「国民」への、後者は「国際社会」への公的なコミットメント=「公約」として。
 首相および閣僚は、この①から②、②と③の間に何の矛盾・齟齬も存在しない、「路線修正」など何もない、と言うだろう。 
 こうした野田政権の下では、
論理的には、すべての停止中原発の再稼動を承認することがありえること(そうならない根拠が存在しないこと)、
②一政治家、首相としてまた政権与党として、それがいつになるのであれ政策方針としての既存の原発の廃炉を言明する、つまり法案化する意思を持っていないこと、
 この二点において私は野田政権を、「脱原発依存社会宣言の幕引き政権」「原発推進政権」と分析したわけである。
 読者は現在の野田政権を、その原子力政策をどのように分析するだろうか。


 二点目の問題は、首相官邸、内閣府、各省庁、そして国会と各系列直属の、同一テーマ(=これからの日本の原子力政策)を議論する「有識者会議」や「委員会」の乱立そのものに対するメディアの批判的論調がきわめて弱く、こうした傾向を追認する結果になっていることである。

 つまり、どの「会議」や「委員会」の結論的報告をもって国(内閣)が政策を決定するのか、何も明確にされないまま、いたずらにこれらが林立し、そのために税金が浪費され、しかも国としての早急な意思決定を阻害していること、このことに対するマスメディアとしての批判的言論が希薄だということである。

 正論を正論として述べているように一見思える、河北新報の社説はその典型の一つであるように私には読める。「政府内に三つの組織が併存することになったが、当面の共通の課題は原発コストの検証だ」云々・・・。
 日経ビジネスの「記者の眼」も同じである。「従来とは異なり、単なるガス抜きとはならない議論が期待されている」云々・・・。 
 しかし、本質的にこれらは①時間稼ぎと、②新たな「ガス抜き」として利用されるだけではないのだろうか。
 国の常設機関としての原子力委員会と原子力安全委員会の存在理由とは、いったい何なのか?
 (実態として、政策決定における「存在理由」があるとは、とても思えない!)

 この最も原則的な問いから発想し、「会議」「委員会」乱立という政治的作為の本質を捉える必要があるのではないだろうか。来年4月に発足するという「原子力安全庁」なるものが、いかなる機能と責任を負う機関となるか/すべきかを考えるにあたっても、この「原則」に律し、思考することが問われていると思うのである。 新聞メディアにも、私たちにも。
 先を急いで、「原発のコスト」問題に移ろう。


 「内閣府の国家戦略室を事務局、エネルギー・環境会議と並行して進める」、「コスト等検討委員会」の初会合の様子を伝える「記者の眼」の記事の核心的部分。

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 今回の会合で最も議論が白熱したのは、原子力委員会に原発のコストのうち、核燃料サイクルと、将来のリスク対応費用について試算への協力を依頼するにあたり、大島教授が投げかけた提案を巡る賛否だった。
 大島教授はこれまでの原発のコスト試算が「現実から離れた理想的な形」で、実態よりも低く見積もられていたとし、「実績のない長期運転を前提にしたり、40年も運転していないのに40年間運転しているかのように想定したり、非常に高い設備利用率を前提にしたり」と、作為的な試算がまかり通っていたと指摘した。

 さらには、福島原発事故のような重大事故は起きないという、安全神話を前提とした計算になっていた点が問題だとし、事故の収束、損害賠償、除染、廃炉、原状回復にかかる費用を算入すべきだとした。また、こうした事故のコストを保険市場で評価した場合、どの程度の保険料率になるのかもドイツなどでの試算などを参考に提示するよう求めた。事故に備えて、原子炉の多重防護だけでなく、周辺の防災などにかかる追加的な安全対策のコストも織り込むべきだと主張した。

 大島教授の提案は、「絶対に今後起こしてはいけない事故をコスト計算に入れるのでは、原子力をオプションから外しているのと同じこと」(秋元氏)、「福島の事象にあまりにも感情的に反応して、それをコスト計算に入れるのは適切ではない」(山名元・京都大学原子炉実験所教授)といった批判を浴びた。

 そこで松村敏弘・東京大学社会科学研究所教授が行司役を買って出た。
 大島教授の提案は「納得できるところと、できないところがある」と前置きしたうえで、「このままだとまるで原子力のコスト、サイクルのコストをできるだけ上げて不利にしようという要素が全部入っているように見えてしまう。多くの説得力のある論点が入っているのに、到底納得できないところだけ取られて、ほかのところが採用されないと大変まずい」と指摘。
 「私としては、大島さんが『ここのところだけは絶対譲れない』という類の整理をされ、妙な誤解を与えない要望が良かったのでは」とまとめて会場の笑いを誘い、事務局が議論を引き取る方向へと流れをつくった。
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 ある事象をめぐり、相容れない見解を持つ者同士が集い、議論をしても、全体で承認できるような「報告書」や「提言」をまとめることは不可能である。両論併記になるか、少数派の見解が多数派のそれの記述に続いて補足的に追記される程度である。

 ここで問題になっているのは、原発の「将来のリスク対応費用」に「事故の収束、損害賠償、除染、廃炉、原状回復にかかる費用を算入すべき」という少数派の意見と、「入れるべきではない」という多数派の意見の対立である。この両者の見解の相違は、どれだけ議論を重ねようが埋まるとは、とても思えない。
 この対立は、今後の「国策・民営」の原子力行政(→停止中原発の再稼働問題を含む)を考えるにあたり、福島第一原発災害とその被害者・被曝者の救済・補償を勘案しながら考えようとする人々と、それを除外して考える人々との対立である。
 私は、「3・11」直後からこのブログで述べてきたように、前者の立場にたつ者である。 読者は、どちらの立場に立つだろうか? 

 ここで、読者の注意を促しておきたいことが四つある。
 その一つは、原発の「将来のリスク対応費用」に「事故の収束、損害賠償、除染、廃炉、原状回復にかかる費用を算入すべき」かどうかという問題は、原子力工学によって解ける問題ではなく、政治が、つまり時の政権が判断し、決断すべき性格のことであること。
 二つ目は、にもかかわらず、野田政権はその判断・決断を先送りし、内閣府の国家戦略室が組織する一委員会に「議論」させる(=丸投げする)ことによって、時間稼ぎをしていること。
 三つ目は、その委員会では、原発推進=「福島除外派」が多数派を占めていること。つまり、河北新報の社説が言うところの「白紙からの議論」など何も行われておらず、日経ビジネスの「記者の眼」が言うところの「期待」は、すでに裏切られていること。
 そして最後に、「福島」を考慮に入れるか否か、これが実は、再稼働を含む今後の原子力政策の最大の要(カナメ)になっていること。
 以上の四点である。


 次に、、「絶対に今後起こしてはいけない事故をコスト計算に入れるのでは、原子力をオプションから外しているのと同じこと」(秋元氏)、「福島の事象にあまりにも感情的に反応して、それをコスト計算に入れるのは適切ではない」(山名元・京都大学原子炉実験所教授)に代表されるような論理、論調をどのように考えるか、という問題。

 これを考える一つの手がかりとして、少し前になるが、福島民報の論説者が原子力学会について述べた「あぶくま抄」を読んでみよう。
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あぶくま抄」(9/21)
 「過信していた。大きく反省することだ」。
 原発事故後初めて開かれている日本原子力学会で「原子力村」にいた研究者から自己批判が相次いだ。半年過ぎても避難、放射線、偏見の渦中にある県人にとっては、どんな反省の弁も空々しく感じられる

 学会が7月、原発の事故調査・検証委員会に向けて出した声明には驚かされた。
 「個人の責任追及を目的とすべきでない」というのだ。国や電力会社の関係者から正確な証言が得られないことを避けるためという理由だった。調査の前に言うべきことだろうか。原発にお墨付きを与えてきた専門家が、この期に及んで何かを恐れているように見えた

 批判があったのだろう。1カ月後には「誤解解消のための補足説明」を発表した。委員会の調査結果について何の予見もなく、関係者の協力によって事故の真相が明らかになることを願っている-という言い訳だった。

 専門家が事故後に口にした「想定外」が、実は「想定内」だったことが次第に分かってきた。イタリアでは大地震の兆候を見過ごした学者の刑事裁判が始まった。日本なら学者以外にも責任を取るべき人が多すぎて、被告席は窮屈になりそうだ。」
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⇒「原発推進派のコスト論のコスト」につづく

⇒「村上東海村村長が東海第2原発の廃炉を要望 」を更新 

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10/17
原発の技術的課題を調査へ、保安院に専門家会議
 枝野経済産業相は17日、東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、国内原発の格納容器の構造や外部電源・冷却機能について技術的な課題の有無を調べる専門家会議を原子力安全・保安院に設置すると発表した。今月24日に初会合を開き、年明けをめどに中間報告をまとめる。
 事故原因については政府の事故調査・検証委員会が調査を進めているが、経産省は今回、技術面に限って原子炉工学などの専門家8人に事故の経緯を再整理してもらう方針。会議では事故後に国内原発で講じた緊急安全対策の有効性や、施設・資機材についても見直すべき点がないかどうか調べる。(読売)