政府「事故調」の「調査」に疑義あり!(2)--「中間報告書」はどこまで信用できるか
1
政府「事故調」の「中間報告書」が公表された。
毎日新聞は、「中間報告書」について、「炉心溶融を防ぐための冷却装置への東電の対応に問題があったと認定し、「極めて遺憾」と指摘。政府の対策本部が機能不全に陥っていたことにも言及した。深刻な被害にいたった背景として、自然災害と原発事故の複合災害という視点がなく、政府や東電の備えの欠如があったと分析した」とまとめている。
しかし、「事故」の原因は「冷却装置への東電の対応」、「政府の対策本部」の「機能不全」、「政府や東電の備えの欠如」のみにあったのだろうか?
「中間報告書」の問題点を簡潔に述べたうえで、「冷却装置への東電の対応」から考えてみよう。
2
「中間報告書」の問題点
1) 最初に指摘できることは、「報告書」が、「地震による影響はなかった」「原子炉は止まった」とする東電関係者からの「証言」と東電が公表してきた「データ」を元に作成されていること、そして結論については来夏の「最終報告書」を待たねばならないとしながらも、基本的には東電の主張に沿う形でまとめられていることである。
「報告書」は、地震は原子炉建屋・タービン建屋内部には影響を与えておらず、あくまでも打撃は建屋外の敷地の施設に限定されるという総論的見解を示している。
たしかに、「報告書」は、地震の影響について東電関係者の「証言」や「データ」に全面的に依拠するのではなく、独自の分析を加えたような体裁をとっている。「報告書」によれば、問題は、建屋内の高い放射線量によって実態が調査できないことにあるのであって、東電の主張を追認するものではないことが示唆されている。
2) しかし、1~4号機が「冷温停止状態」宣言から廃炉工程に突入した現状にあって、「最終報告書」がまとめられる向こう半年間の過程において、地震による建屋内の損壊状態をめぐるさらなる調査が行われる現実的可能性は極めて低いと言わねばならない。建屋内の高い放射線量が今後数カ月で低下する見込みはなく、「事故調」が「ロボット」を動員し、独自かつ戦略的に地震の影響の有無を調査しないかぎり、「廃炉工程」の過程において、存在するかもしれない物的証拠は「現場検証」さえ行われることなく、次から次に「処分=証拠隠滅」されてゆくことになるからである。 「中間報告書」の第一の問題点として私たちはこのことを踏まえておく必要がある。
3) ニ点目の問題は、米、仏、韓といった原発大国・推進国の「専門家」が委員となっていること。つまり、「事故調」の「調査」と「検証」の公正さ・中立性・客観性の問題である。
米国からは、2003年まで原子力規制委員会の議長を務め、IAEAの国際原子力安全諮問グループのメンバー、リチャード・A ・メザーブが、フランスからは原子力安全庁の長官で、IAEAの原子力安全基準委員会委員長のアンドレ・クロード・ラコステが、韓国からは韓国科学技術院教授、韓国原子力協会会長、チャン・スンフンが委員となった。
このような面々から原発の構造的・工学的脆弱性を指摘するようなレポートが作成されることは、まずありえない。
4) 私は読者に、マスコミが報じる「中間報告書」の概要ではなく、ざっとでも全文に目を通してみることをすすめたい。 そうすれば、読者がどういう立場の人であれ、今回の「事故」を招いた「こんな東電、こんな国と官僚機構、こんな原子力ムラの「科学者」たちが、何ら法的・政治的・社会的責任を問われぬまま不処罰になるのは、どう考えてもおかしい/許せない」と考えるに違いない。
「事故調」の「報告書」を受け、国は少なくとも、今回の〈事態〉に決定的役割を果たした者たちからのヒアリングを、国会などの公的場において再度行うと同時に、その者たちの〈責任〉を問うことができる法の制定の検討を開始すべきである。
見方と読み方によっては、「「報告書」はかなり切り込んだ内容になっている」と言うこともできるかもしれない。 しかし、そうであるなら/そうであるからこそ余計に、「組織と個人の責任を問わない」という政府「事故調」の結成当初よりの姿勢と、匿名に始まり匿名で終わる「報告書」の在り方が改めて問われるべきだと私は思う。 「これだけの事態」を招いた当事者たちが、何の組織的・個人的責任を問われずに済まされるという考え方そのものが間違っている。国も東電も「事故調」も、考えが甘すぎるのだ。
国と東電を同じ被告席に立つ当事者として裁く法の不在。
私たちはこの現実から変えてゆくしかないのである。
3
3号機の注水停止・HPCI(高圧炉心注水系)問題
次に、「冷却装置への東電の対応」に関し、このブログでも問題にしてきた3号機の注水停止・HPCI(高圧炉心注水系)問題を、「中間報告書」を精査・検証する〈ケース・スタディ〉の一つとして、考えてみよう。
中日新聞は、このようにまとめている。
「12日午前11時36分に3号機のRCIC[原子炉隔離時冷却系]が停止した後、午後0時35分に高圧注水系(HPCI)が起動。低い回転数で、設備が壊れることを恐れた運転員は、13日午前2時42分、手動で停止した。代替注水はできず、HPCIも再起動できず7時間近く経過、炉心損傷が進んだ」・・・。
しかし、事はそんなに単純ではない。
私が問題にしたのは、まずHPCIが「自動起動」したか否か、「手動停止」が所長以下の現場の「原発幹部」と本部が関知しないところでなされたこと(とされていることの異様さ・異常さ)であるが、下に引用した「中間報告書」の該当箇所を、次の三点に留意しながら読んでほしい。
①「何らかの原因でRCIC が停止した」状態、しかも「中央制御室においてRCIC の再起動を試みたがうまくいかなかった」状態において、HPCIが「自動起動」する可能性/確率について。
②「当直」が、「HPCI による注水からD/DFP による注水に切り替えた方が安定した注水ができると考え」たことに不自然さがないかどうか。また、その判断の妥当性/誤りについて。
③メルトダウン直前のHPCIの「手動停止」→代替給水の失敗を本部・現場の「原発幹部」が関知していなかったとする「証言」の信憑性について。そんなことが許されるのかということをも含めて。
③に関し「中間報告書」は、このように書いている。
ア) 「発電班の一部の者は、現場対応に注意を払う余り、情報伝達が疎かになり、当直が抱いたHPCI の作動状態に関する問題意識やHPCIの手動停止に関する情報が、発電所対策本部発電班全体で共有されることもなかった。そのため、発電班長も、かかる情報を把握しておらず、低圧状態下で回転数が落ちた状態ではあるもののHPCIが作動しているという認識を有しているにすぎなかった。その結果、吉田所長を含む発電所対策本部幹部や本店対策本部も、3 号機の当直がHPCI を手動で停止しようとしていることを知らなかった」
イ) 「発電班の中で、その報告を受けた者や、その者から状況を伝え聞いた者は、いずれも3/4 号中央制御室の交代要員として控えていた当直長らであり、発電班長に報告していなかったため、発電所対策本部や本店対策本部は、この時点になってもなお、SR 弁の開操作に失敗したことはもとより、HPCIを手動で停止させていたことすら把握していなかった」
この記述に不自然さはないか。また仮に「ない」としたら、非常用復水器(IC)の作動「誤認」問題と併せて考えるなら、とても東電の「原発幹部」に「国策・民営」の事業を任せることはできない、国は直ちに第一原発5、6号機と第二原発の廃炉→事業所の解体、柏崎刈羽の全号機稼働停止→廃炉→事業所解体を決定すべき、という結論しか出てきようがないのではないか?
「中間報告書」には、「3号機注水停止・HPCI(高圧炉心注水系)問題」をはじめ、「常識では考えられない証言」、「非常時とは言え、とても信じられない証言」が随所に散らばっている。そのことを読者に理解してもらうために、少し長くなるが、「報告書」の該当箇所を下に引いておこう。 上に述べた諸点を念頭に置きながら、読者それぞれの〈眼〉で判断してほしい。
「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「政府「事故調」の「調査」に疑義あり!--3号機の「高圧注水系(HPCI)」は「自動起動」したか?」
・・・
「Ⅳ 東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」(p170)
(2)3号機への代替注水の状況 a) 3号機の当時のプラント状況と当直の対応
① 3号機については、3月12日11時36分頃、何らかの原因でRCIC が停止した。
このため、当直が3号機T/B 地下1 階にあるRCIC 室に行き、その作動状態を確認の上、3/4 号中央制御室においてRCIC の再起動を試みたがうまくいかなかった。3号機のRCICが停止した後である同日12時6分頃、当直はD/DFPライン(ディーゼル駆動消火ポンプ)を起動し、その後、S/Cスプレイを実施した。そのうちに3号機の原子炉水位が低下していったため、同日12 時35 分頃、HPCIが自動起動した。
HPCIについては、その流量が大きいため、流量を調節しなければ、原子炉水位が急上昇してすぐに停止してしまう。そして、再起動には多くの電気を必要とすることから、バッテリーの消耗が大きくなる。そのため、当直は、あらかじめ、HPCIのテスト配管の電動弁を開操作して、原子炉に注入するラインと水源である復水貯蔵タンクに戻るラインを作り、HPCIの流量を調節して作動できるようにしていた。
その後、3号機原子炉は、HPCIの作動によって減圧が顕著となり、同日19時以降、3号機の原子炉圧力は、原子炉圧力計によれば、0.8MPa gage から1.0MPa gage までの数値を示すようになった。
② 3月12日20時36分頃、3/4号中央制御室では、3号機の原子炉水位計の電源(24V直流電源)が枯渇し、原子炉水位の監視ができなくなった。そこで、発電所対策本部復旧班は、同日未明に広野火力発電所から調達した2Vバッテリー合計50個のうち13個(予備用バッテリー1 個を含む。)を順次3/4号中
央制御室に運び込み、3号機の原子炉水位計の電源復旧作業を行った。その間、3/4号中央制御室の当直は、3号機の原子炉水位を監視できなくなったため、原子炉内への注水量を十分確保できるようにHPCIの流量の設定値をやや引き上げた上、原子炉圧力やHPCIの吐出圧力などを監視することにより、HPCIの
運転状態を確認していた。
HPCI は、本来、原子炉圧力が1.03MPa gage から7.75MPa gage 程度の高圧状態にある場合に短時間に大量に原子炉注水をするために用いることが予定された注水システムであった。しかし、3号機のHPCI については、原子炉圧力が0.8MPa gage から0.9MPagage を推移している中で、流量調整をしながら、手順で定められた運転範囲を下回る回転数で長時間作動させ続けていた。
さらに、次第に、HPCIの吐出圧力が低下傾向を示し、原子炉圧力と拮抗するようになっていった。そのため、当直は、原子炉水位が不明な中で、HPCI によって原子炉注水が十分なされているのか判然とせず、かつ、通常と異なる運転方法によってHPCIの設備が壊れるおそれがあるとも考え、HPCIを作動させ続けることに不安を抱くようになった。
また、この頃、3/4号中央制御室の制御盤上、SR弁の状態表示灯が全閉を示す緑色ランプを示していたため、当直は、依然として制御盤上の遠隔手動操作によりSR弁を開けることができると考えていた(資料Ⅳ-6 参照)。そして、原子炉圧力が0.8MPa gage から0.9MPa gage 程度といった低い状態であったため、当直は、制御盤上の遠隔手動操作によりSR 弁を開けて原子炉を更に減圧すれば、作動中のD/DFPの吐出圧力でも注水可能であり、D/DFPの接続先をS/C スプレイラインから原子炉注水ラインに変更すれば、D/DFPで原子炉に注水できると考えた。そこで、当直は、HPCIによる注水からD/DFPによる注水に切り替えた方が安定した注水ができると考え、同月13 日2 時42 分頃、HPCIを手動で停止することにした。
③ 3号機のHPCI を手動停止する前、当直は、発電所対策本部発電班の一部(緊急時対策室の発電班ブースに控えていた3/4号中央制御室担当の当直長ら)に対し、HPCIの作動状態に関する問題意識を示した上、HPCI を手動停止し、SR 弁で減圧操作してD/DFPを用いた原子炉注水を実施したい旨相談した。
当直から相談を受けた発電班の一部の者は、3号機のHPCIの作動状態に関する問題点やHPCIの手動停止の是非等に関して話し合った。その結果、これらの者は、運転許容範囲を下回る回転数でHPCI を作動させ続ければHPCIの設備破損等の危険があるのに対し、制御盤上の操作でSR を開けてD/DFPによる原子炉注水が可能なのであれば、HPCIを停止するのもやむを得ないと考え、当直にも、その旨伝えた。
しかし、これらの発電班の一部の者は、現場対応に注意を払う余り、情報伝達が疎かになり、当直が抱いたHPCI の作動状態に関する問題意識やHPCIの手動停止に関する情報が、発電所対策本部発電班全体で共有されることもなかった。そのため、発電班長も、かかる情報を把握しておらず、低圧状態下で回転数が落ちた状態ではあるもののHPCIが作動しているという認識を有しているにすぎなかった。その結果、吉田所長を含む発電所対策本部幹部や本店対策本部も、3 号機の当直がHPCI を手動で停止しようとしていることを知らなかった。
④ 3 月13 日2 時42 分頃に3号機のHPCIを手動停止する前、当直は、D/DFPの運転確認及び原子炉格納容器スプレイから原子炉注水に切り替えるため、3号機R/B内に立ち入った。しかし、この頃、現場と3/4 号中央制御室の通信手段が確保されておらず、現場で原子炉注水に切り替える作業に従事していた当
直が3/4 号中央制御室に戻ったのは同日3 時5 分頃であり、既にHPCI を手動停止した後であった。そのため、HPCI 手動停止と原子炉注水切替の前後関係については不明である。いずれにせよ、これらの操作は近接した時間帯に相前後してなされた。
同日2時42分頃、当直は、3/4号中央制御室において、制御盤上のHPCIの停止ボタンを押し、さらに、タービン蒸気入口弁の全閉操作をして、HPCIを手動で停止した。そして、同日2時45分頃及び同日2時55分頃、当直は、3/4 号中央制御室において、制御盤上の遠隔手動操作によりSR 弁の開操作を実施した。しかし、いずれの場合も、制御盤上の SR 弁の状態表示ランプは、「全閉」を示す緑色ランプから「全開」を示す赤色ランプに変わらなかった。そのため、当直は、制御盤上の遠隔手動操作によってSR弁を開くことができず、減圧操作に失敗したと判断した。
3号機制御盤上の状態表示灯が点灯していたにもかかわらず、SR弁の開操作に失敗した原因については、その後同日9時頃、電源復旧してSR弁の開操作に成功していることから、物理的な障害ではなく、開操作に必要なバッテリー容量が不足していた可能性がある。そして、このことは、SR弁開操作に必要なバッテリー容量が、状態表示灯を点灯させるバッテリー容量よりも大きいことを意味し、状況次第では、制御盤上の状態表示灯が点灯しているからといって、必ずしもSR弁の遠隔手動開操作が可能であると断定できないことを示すことになり、今後、運転操作上、留意しておく必要があると思われる。
⑤ 3月13日2時45分頃及び同日2時55分頃、当直は、合計2度にわたり、遠隔手動によるSR弁の開操作に失敗したが、当直長は、その都度、その状況を発電所対策本部発電班に報告していた。しかし、発電班の中で、その報告を受けた者や、その者から状況を伝え聞いた者は、いずれも3/4 号中央制御室の交代要員として控えていた当直長らであり、発電班長に報告していなかったため、発電所対策本部や本店対策本部は、この時点になってもなお、SR 弁の開操作に失敗したことはもとより、HPCIを手動で停止させていたことすら把握していなかった。
3号機の原子炉圧力は、原子炉圧力計によれば、HPCI停止直後の同日2時44 分頃に0.580MPa gage まで落ち込んでいたものの、SR 弁の開操作失敗後の同日3時頃には0.770MPa gage を、同日3 時44 分頃には4.100MPa gageを示し、上昇傾向に転じた。その間、当直は、3号機のD/DFP を起動させて原子炉注水をしようと試みていたが、同日3時5分頃、D/DFP の吐出圧力は0.61MPa gage まで上昇していたものの、3号機の原子炉圧力を上回ることはなく、原子炉に注水することは物理的に不可能であった。
⑥ 3月13日3時35分頃、当直は、3/4 号中央制御室において、HPCIの再起動を試みたが再起動できなかった。再起動できなかった要因は、HPCI 起動時のバッテリー消費が大きいため、再起動に必要なバッテリー残量がなかった可能性が高い。
当直員引継日誌及びプラントパラメータによれば、D/DFPは、3 月12 日14 時頃の時点で吐出圧力0.35MPa gage、吸込圧力0.02MPa gage、同月13日1時45分頃の時点で吐出圧力0.42MPa gage、吸込圧力0MPa gage であった。これに対し、3号機の原子炉圧力は、原子炉圧力計によれば、同月12 日13 時58 分頃に3.630MPa gage、同日14 時25 分頃に3.560MPa gage、同月13 日2 時に0.850MPagage、同日2 時44 分頃に0.580MPa gage をそれぞれ示していた。
そうすると、これらを前提とする限り、原子炉圧力がD/DFPの吐出圧力を下回ることはなかったと考えられ、仮に、この頃、D/DFP が作動状態にあり、S/C スプレイラインから切り替えてFP 系ラインから3 号機原子炉内に注水を試みたとしても、注水可能な状況にはなかったと認められる。
(当直員引継日誌によれば、3 月13 日2 時55 分頃の欄には、SR 弁の開操作を失敗したことのほかに、D/DFP の吐出圧力をはるかに上回る「炉圧1.3MPa」という記載がある。)
そして、このバッテリーは、人力で持ち運び困難であり、仮に新たなバッテリーを調達したとしても、3号機R/B 内に持ち運んで取替作業を行うことは事実上不可能であった。
また、同日3 時37 分頃以降、同日5 時8 分頃までの間、当直は、3号機R/B内のHPCI室を経由してRCIC 室に向かい、RCIC の機械・機構部の状態を確認するなどして、RCIC による原子炉注水を試みようとしたが、RCIC が再起動することはなかった。また、当直は、HPCI室で、HPCIが運転停止状態にあることを確認した。なお、当時のHPCI室は、大量の蒸気で満たされ、又は水浸しになっているような状況にはなく、HPCIの配管が破断していた形跡はうかがえなかった。
そして、当直は、減圧操作に失敗してFP系から注水することができず、RCICもHPCIも再起動できなかったが、随時、発電所対策本部発電班に報告や相談をしていた。しかし、当直から報告、相談を受けた発電班の人間や、これを伝え聞いた周囲の人間は、現場の緊迫した事態に気を取られる余り、誰からも発電班長への報告がなされず、その結果、発電所対策本部や本店対策本部は、HPCI の手動停止や、停止後の当直の対応について把握できなかった。そして、HPCI 停止及びその後の当直の対応を把握していた発電班の人間は、同日3時55分頃になってようやく、発電班長に報告することに思いを致し、発電班長に対し、「3号機のHPCI が停止し、D/DFPによる注水を試みたが、注水できなかった。原子炉圧力が4MPa gage 程度まで上昇した。」旨報告し、発電班長を通じて、吉田所長を含む発電所対策本部幹部も、3号機のHPCI が停止したことを把握した。
それまで、吉田所長を含む発電所対策本部幹部は、3号機の当直がHPCI を手動で停止する予定であるという報告も、手動で停止したとの報告も受けておらず、3号機のHPCI が正常に作動しているものと考えていた。
このとき、本店対策本部も、テレビ会議システムを通じて、3 号機のHPCIが停止したことを初めて把握し、発電所対策本部に対し、自動停止だったのか、手動停止だったのかを確認するように指示した。そこで、発電班長は、発電班に HPCIの停止原因を確認したが、緊急時対策室が騒然とする中で、発電班から「手動停止」と報告を受けたのに、「自動停止」と聞き違え、メインテーブルにおいて、マイクで「自動停止」と発話した。その際、緊急時対策室が騒然としていたため、報告をした発電班の人間も、発電班長の誤解に基づく発話に気付かず、訂正できなかった。そのため、発電所対策本部及び本店対策本部は、同日2 時42 分頃に3 号機のHPCI が自動停止したものと誤解した。
b 3 号機注水に関する吉田所長の判断
① 3 月13 日3 時55 分頃、吉田所長は、発電班長からの報告を受け、3 号機のHPCI が同日2 時42 分頃に停止していたことを知った。ただし、発電所対策本部及び本店対策本部では、当直がHPCIを手動停止したとは認識しておらず、自動停止したものと誤解していた。同時に、吉田所長は、3 号機のD/DFP による注水のためSR 弁を開けて減圧操作することを試みたが失敗した旨の報告も受けたが、元々、D/DFP の吐出圧力が弱く、水源であるろ過水タンクの水量にも疑義がある上、FP 系ラインにつながる建屋外配管も地震の影響により破断している可能性があるので、信頼を置くことはできないと考えていた。
また、同月12 日夜以降、発電所対策本部復旧班は、3号機の電源を復旧させて、3号機のSLC による注水、RCIC の駆動、SR 弁の開操作を可能にするべく、電源復旧作業の再開に向けた準備・検討を開始していた。しかし、同月13日3 時55 分頃、発電所対策本部が当直からHPCI 作動停止の報告を受けた時点では、かかる電源復旧の見込みは立っていなかった。
吉田所長は、3 号機のHPCI が停止したとの報告を受け、3号機について、他号機よりも優先して、可能な限り早期に水を確保し、SR 弁による原子炉減圧と消防車を用いた注水を実施する必要があると判断した。そこで、吉田所長は、3 号機T/B 前の逆洗弁ピット内の海水を3 号機原子炉に注水するラインを構成するとともに、SR 弁の開操作に必要なバッテリーを調達するように指示した。本店対策本部やオフサイトセンターの武藤副社長らも、吉田所長の前記判断に異論はなかった。
② 3月13日5 時頃、3号機の原子炉圧力は、原子炉圧力計によれば、7.380MPa gage を示し、以後、減圧操作を実施するまで、7MPa gage 台を推移した。同日 5 時8 分頃、当直は、原子炉格納容器の圧力上昇を抑えるため、原子炉注入ラインのRHR 注入弁を手動で閉操作し、トーラス室にあるS/C スプレイ弁を手動で開操作して、S/C スプレイを開始した。
このとき、S/C スプレイ手動操作用ハンドルが異常に熱くなっていた。さらに、同日5 時8 分頃まで、当直は、RCIC の手動起動を試みたがうまくいかず、同日5 時10 分頃、発電所対策本部にその旨報告した。この報告を受け、吉田所長は、原災法第15 条第1 項の規定に基づく特定事象(原子炉冷却機能喪失)に発生したと判断し、同日5 時58 分頃、官庁等に報告した。
③ 3月13日6時19分頃、3号機につき、同日4時15分頃にはTAF に到達していたものと考えられたため、吉田所長は、官庁等に、その旨報告した。
・・