「軍事介入はまだ早い」?---日本の新聞メディアの蒙昧
毎日新聞の「社説:リビア情勢 軍事介入はまだ早い」を知らせてくれた人がいる。その結論部分はこうだ。
「軍事介入の可能性を頭から否定することはできない。このままではリビア情勢はきな臭さを増すばかりだろう。しかし、まずは欧米やアラブ・アフリカ諸国などが協力してリビアとのチャンネルを探り、カダフィ氏の退陣を根回しすることが大切だ。40年以上リビアに君臨してきたカダフィ氏も、国民全体の幸せのために身の振り方を考えるべきだ」
「まずは(?)欧米やアラブ・アフリカ諸国などが協力してリビアとのチャンネルを探り、カダフィ氏の退陣を根回しすることが大切」・・・。
いろんなアレヤコレヤを書いてはいるが、毎日新聞は海外の武力紛争(内戦)の解決のために、「軍事介入の可能性を頭から否定」しないと公言し、「まずは・・・」論を展開するようになった。
「カダフィ氏も、国民全体の幸せのために身の振り方を考えるべき」?
毎日新聞は、相当カダフィに対する思い入れと、思いやりがある会社らしい。
一方、朝日新聞。「リビア争乱―民主化勢力への支援を今」(すぐにネットで読めなくなるから注意)。こちらもいろんなことが書いてある。
・「追い詰められた権力者の凶行をやめさせ、国民の流血を止めるために、国際社会は何ができるだろうか。一部で外国軍の介入を求める声が出ている。しかし、問題は簡単ではない」。その通りだ。
・「紛争地や強権体制に対する国連や欧米による軍事介入は、1990年代にソマリアやセルビアに対して前例がある。しかしソマリアでは失敗し、セルビアでも多くの民間人が巻き添えになった」。これもその通り。
・「「独裁からの国民の解放」を掲げて米英が行ったイラク戦争がどれほど大きな混乱を生んだかは記憶に新しい」。Indeed.
・「国際社会による直接の軍事介入は禍根を残すことになりかねない。カダフィ体制との戦いはリビア国民の手にゆだねるしかない」。exacto!
で? で、どうするのか。
・「国際社会はリビアの再出発を助けるために、医療や食糧をはじめとする緊急の人道支援と民生援助を始めるべきである。特に民主化の支援は重要だ」・・・。 緊急人道支援・民生援助・民主化支援を一体化して進める? 内戦状況の中で、誰が、どのように、どのような「民主化支援」を行うのか。武装し、反政府勢力と一緒に戦うのだろうか。
・「大佐が「人民主権の直接民主主義」としてつくりあげた「ジャマヒリヤ」体制は憲法も、議会も政党もなく、大佐の個人独裁になった。カダフィ体制は清算しなければならない。しかし、体制が崩壊したために生じる秩序や治安の混乱を修復するために、軍や部族が各地で支配する状況になれば、国は分裂し、本来の民主化の動きとも逆行する」・・・。 そんなことは、みんなわかっている。だから、どうすればよいのか。
・「民主派が押さえた地域に展開し、警察活動と人道、民主化支援をする国連平和維持活動(PKO)を、国際社会は今後検討することになるだろう。体制崩壊を待つのではなく、今から支援と準備を始める必要がある」・・・。
「体制崩壊を待つのではなく」、「支援と準備を始める」? 誰が、何の「準備」するのだろう。朝日新聞社が、何をするのかは知らないが、社を挙げて何かの「準備」をするのだろうか。
内戦状態のまま、「警察活動と人道、民主化支援をする国連平和維持活動(PKO)」が介入できる「支援と準備」・・・。 この人物はいったい何を書いているのか。まず、すべての武力紛争当事者による戦闘行為の中止の呼びかけが第一に来なければならないのではないのか? チャベスでも誰でもよいから仲介に入り、国連で使節団なり委員会を作るなどして、粘り強く調停の努力をすることが先決ではないのか。
今のところ、反政府勢力の代表と思しき連中は、カダフィとの対話を拒否している。つまり、内戦が調停によって停止する見込みは、今のところない。しかし、その努力を続けない限り、一般市民、非戦闘員の犠牲は増えるだけになる。ゆえに、国連PKOを云々できる/すべき状況ではまったくない。
一見、軍事介入を否定しているかのように読めるこの社説。朝日は、紛争当事者間の和平合意の成立を前提する国連PKOの介入を、その条件がない状況の中で論じ、しかも「体制崩壊」以前にそれを前提にした「支援と準備」を読者に呼びかけている。 無茶苦茶、と言うより他はない。無知蒙昧もはなはだしい。
さらに、2月24日付の読売の社説「リビア騒乱 産油国に及んだ独裁打倒の波」。
・「リビアの混乱が長期化すれば、国際経済への悪影響は避けられない。日本も打撃を免れない」・・・。読売新聞が心配するのはリビアの「混乱」? 石油高騰による「経済への悪影響」、その日本への「打撃」? それだけ?
で。読売新聞は、何をどうすべきだと言うのか。
・「独裁体制が倒れたアラブの国々で新たな秩序は樹立できるのか。真の試練はこれからである」・・・。 誰の、どういう「試練」だろう。「独裁体制」を支えてきたのは誰なのか、読売新聞は「アラブの国々」の「独裁体制」を一度でも批判したことがあっただろうか?
これらが「豊かな国際感覚」を自画自賛する、日本の新聞「ジャーナリズム」の「言論」の現実である。もう少し、マトモなことが書けないものか。