2011年6月19日日曜日

ポスト「3・11」の世界と平和構築

ポスト「3・11」の世界と平和構築

 いろいろ先に説明をきちんとしなければいけないのだけれど、その余裕がない。なので、紹介だけ先にしておこうと思った。

①昨年10月来、このブログでも何度か紹介してきたジャン・ブリクモンの『人道的帝国主義』が翻訳出版(菊池昌実訳)される。
②私も編集に関わった『脱「国際協力」: 開発と平和構築を超えて』が近々、出版される。7月末から8月頃、配本になる予定である。(版元のサイトで公表される前に、一部の「ネット書店」で宣伝が開始されているようだ。)

 以下の文章は、私が担当した『脱「国際協力」: 開発と平和構築を超えて』の序章の一節である。まだ草稿段階だけれども、本が完成すれば序章は全文を公開したいと考えている。(2011/6/21)
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 【ポスト「3・11」の世界と平和構築】

 貧しい国の開発を援助し、戦争や紛争の絶えない世界に平和を構築する・・・。
 これまでずっと、これが繁栄を謳歌し、自由と平和を享受する欧米や日本などの先進諸国の使命であり、責任なのだと語られてきた。先に進んだ者が、後からやってくる者を助けてやる、という理屈である。
 「先進」と「後進」の定義や指標、「低開発」や「開発途上」という表現に隠れた西洋中心主義など、問題は古くからさまざま指摘されてきた。しかし平たく言えば、要するにそういうことになる。

 五年前に出版した『国家・社会変革・NGO』は、このような開発や平和構築に潜んでいる政策上の矛盾と理念上の偽善を批判した。先に進んだ者は、自分たちが常に先に進み、自分たちだけが自由、繁栄、平和を享受できるようにルールを決め、それを後からやってくる者に強い、歩む力を奪ってきたからこそ先に進むことができたのではないか?
 同書は、それまで多くの人が論じてきたそうした認識を継承しつつ、対テロ戦争と同時進行する開発や平和構築を国家や国連機関と「パートナーシップ」を組みながら行うNGOの具体的な活動やプロジェクトの問題性や限界を論じた。戦争に対する立場を明確にせず、戦時下の「国際協力」「平和構築」「軍民協力」「NGO」論を主張するNGOや研究者が国際的に台頭する中で、そうした時代的趨勢を〈市民社会とNGOの危機〉と捉え、一石を投じようとしたのである。

 あれから5年。状況はさほど変わっていない。というのも、「リーマンショック」とその余震が世界中に広がる一方で、その影響が今度は逆津波となり、まだショックから立ち直っていない欧米諸国や日本に押し寄せ、第二派のショックとなってG8やG20と呼ばれる世界の主要国の土台、社会基盤を大きく揺さぶり始めているからである。
 中東・アラブ・イスラーム社会の「民主化」のうねり、「民主化支援」の名によるまた再びの軍事介入、そして日本を襲った「3・11」の大激震――。
 米国にせよEUや日本にせよ、世界や他国の貧困をなくし、平和を構築する前に、私たちは自分の国の貧困をなくし、税金を食う軍隊の海外派兵をやめさせ、平和を守らねばならない、そのような現実に直面するようになったのである。

 財政緊縮と社会保障制度の解体的危機に瀕する中で、援助大国は軍事予算の削減を渋りながら、真っ先にODA予算を切り捨てようとする。ODAの「戦略」化は、これまでのODAがはらんでいた問題をますます増幅させるだけになると思えるが、NGOはただ「予算を減らすな」と言うだけで良いのか。それではNGOが「援助ビジネス」や「人道支援ビジネス」の肩棒を担ぐだけではないか・・・。
 『国家・社会変革・NGO』から五年、グローバル経済・社会・政治すべてにわたる状況変化の中で、〈市民社会とNGOの危機〉は思いもよらぬ形で深まってしまったのである。

〈対テロ戦争時代の開発と平和構築を超える〉
 対テロ戦争の勃発から11年目を迎える今日、私たちは目的(「テロ対策」)は手段(武力行使)を正当化しないこと、また目的そのものが妥当性を喪失していることを、改めて議論する必要に迫られている。なぜなら、和解と和平なき目的の絶対化と、文字通りの国家テロまでを行うという手段を選ばない戦争の永続化が、これに抵抗する武装闘争の永続化をもたらしているからである。
 さらに、本来、粘り強い当事者間の努力と意思、そして同じく粘り強い国際社会の原則的関与がありさえすれば、解決できるはずのその他の紛争をも、対テロ戦争の永続化がその解決をより困難にしているからである。

 対テロ戦争の国際的承認は、正当な要求を掲げて闘う民衆の運動に対して、国家が「テロ対策」の名の下に軍や武装警察を動員し、武力弾圧することを放置し、黙認する国際的環境を生み出してきた。何でもかんでも「テロリスト」や「イスラーム原理主義」のせいにすれば、どれだけ腐敗した抑圧的国家や軍隊が何をやっても許されるかのように。イスラエルのパレスチナに対する占領・入植政策・ガザへの武力攻撃にせよ、ロシアや中国の「テロ対策」による少数民族の運動に対する弾圧にせよ、開発や土地収奪に対する先住民族の抵抗運動に対する国家の弾圧にせよ。
 私たちは何を誤ってきたのか? 対テロ戦争時代の「平和の構築」を語る外務省の主張を見ながら考えてみよう。

〈外務省の「平和の定着」「復興開発」論〉
 「平和の構築」を「ODA重点政策」の一つとして位置付ける外務省は、「紛争と開発」のページの冒頭、確信に満ちた様子でこう述べている。

 平和と安定の持続(平和構築と読め)は開発の前提条件であり、国際社会の更なる繁栄及び国際的な開発目標の達成には不可欠です。

 私たちが「超え」なければならないと考えるのは、このような開発の目的であると同時にその手段でもあるような平和構築観である。平和構築を開発の「前提条件」と捉え、その開発によって世界の「繁栄」を実現することが平和構築につながるという、その開発中心主義的発想である。
 外務省は続けて言う。

 「開発途上国における国内・地域紛争では、政治的対立に加え貧困が紛争の終結とその後の平和の定着を困難にしています。すなわち、腐敗や統治能力のない政府に対する不満が反対勢力の台頭を生み、また、十分な社会サービスを受けられず、収入も乏しい貧困層が反対勢力の兵員として取り込まれ、国内紛争を助長する傾向があります。したがって、政治的和解だけでなく、ODAにより元兵員を含む多くの人々の生活を改善し、平和の恩恵を実感させることが、平和構築の進展のために重要な意義があります。

 こうした事情を踏まえて、予防や紛争下の緊急人道支援とともに、紛争の終結を促進するための支援から、日本は「平和の定着」と「国づくり」のための支援まで紛争終結のための政治的プロセスとともに復興開発への支援に対して積極的に継ぎ目のない支援に取り組んできました。」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/bunya/conflict/index.html 強調は引用者による)

 それとして意識しなければ、読み流してしまうような文章だが、ここに外務省的(ということは「国連的」でもあるのだが)な平和構築を超えなければ、今後何10年たっても世界に平和は定着しない理由が潜んでいる。

〈紛争解決なき「復興開発」?〉
 引用した「紛争と開発」の末尾にある「継ぎ目のない支援」という言葉に注目しよう。外務省はここで、「紛争予防」「緊急人道支援」「和解」「紛争終結(解決)」「復興開発」など、それぞれが固有の定義と課題を持ち、とても困難で長いプロセスを伴う概念をすべて一緒くたにして語っている。
 とりわけ問題なのは、「緊急人道支援」という、きわめて時限的かつ限定的であるべき活動から「継ぎ目」なく「復興開発」へと移行できるかのように論じている点である。

 ある国・地域が「紛争下」にあるなら、「復興開発」のプロセスは、あくまでその紛争を終結させてから始めるべきである。外務省が意識しているのはイラクやアフガニスタンなどでの「復興開発」「人道支援」であるが、「テロとの戦い」も紛争の一形態であるのに変わりはなく、その例外であってはならないはずである。

 一国に対する多国籍軍の武力攻撃が政権転覆と新政権樹立を目的として行われ、暫定政権の樹立と同時に武装勢力との内戦状況に突入したにもかかわらず、これを「国際社会」が内戦とも紛争とも捉えず、新政権を支えながら「テロリスト」集団を殲滅するという構図がつくられてきた。

 つまり「国際社会」全体が軍事・非軍事両面にわたって一国の内戦に介入し続け、紛争の当事者になるという錯綜した事態を招いてしまったのである。もちろん、戦争当事国をかかえる国連安保理をはじめ、戦争に協力してきた国連機関も日本政府もこのようには考えない。このような対テロ戦争の総括は、そもそもの初めからこの戦争は間違っていたという正論を立証することになるからである。

 武力紛争が難民や紛争の犠牲者を生みだすのは避けられない。だから、紛争当事者から独立した組織や機関による「緊急人道支援」は必要だと言えるかもしれない。しかし紛争下にある国や地域において、「緊急」の人道支援と同時平行的に「復興開発」を行うことや、人道支援の延長線上で「継ぎ目」なく活動を「復興開発」に切り替える、という考え方は間違っている。このことが確認できるなら、紛争をまず当事者間で政治的に解決し、和解すること、そして戦闘行為の中止と「復興開発」に向かう合意を、紛争の犠牲者をも交えてはかることが平和構築の大原則でなければならないという理解も共有できるはずである。

 外務省が言う「開発途上国」の「紛争地域」で活動する国連機関やNGOは、この大原則に立とうとしない。これを忘れてしまえば、すべてが無原則状態まま、紛争がいたずらに長期化し、「緊急人道支援」が慢性化してしまう。対テロ戦争の勃発以前から活動していたのではなく、勃発後に初めて「現地」に入り、「緊急人道支援」を行ってきたNGOは、この「慢性化症候群」に陥ってきた。いつ果てるとも知れない破壊と殺りく、再建と人道支援のくり返し。この「悪魔のサイクル」をいつか、どこかで断ち切らねばならない。国家がその意思を持たないなら、持たせるようにできるのは市民・社会運動とNGOだけではないだろうか。

〈NGOの責任〉
 かつて国境なき医師団は、イラク戦争後の「復興人道支援」活動に触れ、国際法に則り米軍を占領軍規定し、「イラクにおける人道支援の第一の責任主体は米国にある」と主張したことがある。内戦/紛争下のNGOの責任に照らして言えば、この国境なき医師団のスタンスの取り方はとても示唆深い。医師団はこのように主張することによって、また国家と国連機関からの資金フローに依存せず「自前」のプロジェクトを展開することによって国家・国際機関からの独立性と自律性を内外にアピールしようとしたのである。

 とりわけても国家財政や国連財政から資金供与を受け内戦/紛争下で活動するNGOは、現場の被災者・難民ばかりでなく、自国の納税者や国際社会に対しても自らの活動およびその報告に責任を負うという自覚が必要である。紛争解決の具体的進展や展望が何も確認できない国々での「復興開発」や「人道支援」に税金を投入し続けることは、文字通り税金のムダであり、納税者への背徳行為であるからだ。

 国家、国連、武装勢力を問わず、中立的立場からあらゆる形態の武力行使・戦闘行為に反対し、あくまでも調停・交渉を通じた「紛争」=内戦的事態の政治的解決をはかる「アクター」の一翼を担うこと、そして恒久和平の実現を第一の目的とすること。無論、異論はさまざまあるだろうし、議論はもっと必要だろう。しかしこのことが「テロとの戦い」を含むどのような「紛争」に対しても、活動分野を問わず、NGOが採用すべき行動原則であり規範であるべきだと私たちは考えている。

 内戦/紛争の責任当時諸国、武装勢力、国連機関の紛争解決策が妥当かどうか、自組織の分析に基づき評価を下し、状況の改善・打開に向けて関係諸国や国連機関に提言し、その内容を公開する。これはいわゆる活動の「インパクト」評価や財政報告などとは別のものであり、NGOの政治的独立性や中立性を担保する重要な活動である。たとえば、オックスファムはこうした観点に基づき比較的定期的に「レポート」を公表している国際NGOの一つであるが、ピース・ウィンズを始めとした「ジャパン・プラットフォーム」を含め、日本のNGOはこの点における責任意識が全体的に希薄であると言わざるをえない。復興開発・人道支援を担うNGOの責任とは何か、その定義が問われている。

〈結語として
――「NGO共和国」をつくらないために〉

 誰が最初に言い出したのかは分からないが、「NGO共和国」という言葉がある。世界の「貧しい」国々に自然大災害や紛争が起こったときに、世界中からNGOが国連PKOや多国籍軍と一緒にやってきて、国家や地方の行政機構をバイパスし、直接その国の人々のケアやサービスデリバリーを行うようになる様子をさした言葉である。

 人々は自分たちが国に統治されているのか、それともブルーヘルメットを被った外国人の軍隊やNGOに統治されているのか、分からなくなってしまうのである。だから「NGO共和国」では、人々の不満や鬱憤はたいてい外国軍や国連やNGOに向うという特徴がある。「共和国」とまでは行かなくとも、「NGO村」や「キャンプ」なら世界にゴマンとある。

 東日本大震災とその後の遅々として進まない復旧・復興支援に引き付けて考えると、「NGO共和国」がなぜつくられてしまうのか、理由の一端が浮かび上げってくる。
 大震災では、自治体の市庁舎や役場が被災し、自治体行政が機能不全に陥り、被災した住民を十分にケアし、必要な行政サービスを提供できなくなるという事態が随所にみられた。状況をさらに悪化させたのが、「官僚主導」「前例主義」「縦割り行政」の病に冒された国の対応の遅れだった。この時、本来国や自治体が責任をもって担うべき被災者支援や復旧・復興作業を、国が動かず自治体が動けない状況の中で担ったのが国内外のNGOとボランティアだった。

 しかし私たちは、NGOが国や自治体に取って代わることはできないし、そうなるべきではないと、ごく当然のこととして考えている。国や自治体は、自然災害が起きたときに、まず被災者がでないようにする事前の災害対策をする行政責任があり、それでも被災者が出た場合には国と自治体が共同で被災者支援と復興活動にあたる行政責任があると私たちが考えているからだ。なぜなら、そのために私たちは税金を国と自治体に対して払っているのだから。

 「NGO共和国」では、そうはいかない。国ははるか昔、白人がやってきてからずっと貧しい。白人の次には日本人が来て、近頃では韓国人や中国人の顔も見える。人々は国が頼りにならないことを知っているし、自治体なんてあって無きが如くのようで、何をしているのかも分からない。人々に言わせれば、国はここ10年や20年で破綻したのではなく、それ以前からずっとそうなのだ。白人がやってきた頃の名残が今もあちらこちらに確認できる。

 「紛争予防から復興開発」まで、日本政府は白人の政府や軍隊と一緒になって「平和の構築」を掲げながら「継ぎ目のない」支援を行うのだという。「文民」の「緊急人道支援」部隊がその核となり、できるだけ多くのNGOが「軍民協力」の「民」を担うことが期待されている。英語ではこの部隊をcivic forceと呼ぶらしい。

 けれども、それでいま以上に「NGO共和国」や「NGO村」が世界に構築されたとして、人々の暮らしが良くなり、幸せになるのだろうか? 「NGO共和国」から、人々が自らを治める共和国や村をつくるにはどうすれば良いのか?

 本書を読みながら、読者も一緒に考えていただければ幸いである。

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7月
「南スーダン」9日に誕生 石油収入の分配課題
 南部独立が九日に迫ったスーダンの南北境界線の周辺で、中央政府軍と南部の武装勢力との戦闘が依然続いている。アフリカで五十四番目となる新国家「南スーダン」は南北対立を抱えたまま緊迫した雰囲気の中で分離独立を迎えることになりそうだ。
 最大の原油生産地アビエイ地区に隣接する地域には、二〇〇五年までの南北内戦で、南部側と共闘した山岳民族ヌバ人の約四万人の武装勢力が残存。南北は国連などの仲介で山岳地域に非武装地帯を設けることでいったん合意したが、スーダンのバシル大統領(67)は今月一日、「武装勢力を一掃するまで軍事作戦をやめない」と表明。中央政府軍はこの地域で空爆に踏み切り、六万人以上が避難する事態になっている。 国境線上のアビエイ地区は五月に戦闘が発生し、南北は同地区を非武装地帯にすることで合意。国連安全保障理事会は六月、アビエイに平和維持活動(PKO)部隊を派遣することを決めた。
 一方、独立後の南スーダンは国民の大半が一日一ドル以下で暮らす世界で最も貧しい国の一つだ。南部にはスーダンの油田の四分の三が集中。ただ、石油精製施設や輸出のためのパイプラインは北部が所有し、南部が石油収入を得るには、北部との経済交渉を急ぐ必要があり、今後はどう分配するかが課題だ。 それでも悲願の独立を選んだ南スーダンの首都になるジュバでは住民の期待は高まる。東アフリカ専門の民間研究所リフト・バレイのアリ・ベリジー主任研究員は本紙の取材に「住民は独立で生活が一変すると思っている。すぐには何も変わらないと分かった後の半年、一年後に国民の不満をどう抑えるかが重要になる」と語った。

<南スーダン> 1983年にスーダンのヌメイリ政権(当時)がスーダン全土にイスラム法を導入し、反発した同国南部のキリスト教徒を主体とするスーダン人民解放軍(SPLA)との戦闘が激化し内戦状態に陥った。2005年の包括和平合意までに200万人以上が死亡したとされる。
 和平合意に基づき、今年1月に南部独立を問う住民投票が実施され、98%以上の賛成で分離・独立が決定。南スーダンの初代大統領には、和平合意後に発足した南部自治政府の大統領キール氏が就任する。【東京新聞・ロンドン=松井学

経済危機のベラルーシ、「無言の抗議」広がる
 経済危機が続くベラルーシで、ルカシェンコ政権に反発する市民が黙って町を歩く「無言の抗議」活動が広がっている。 インターネットのソーシャル・ネットワークを通じて組織された非暴力運動だ。「アラブの春」のような反政府運動への発展を恐れる当局は徹底弾圧する構えで、地元報道によると、6日夜に全国各地で行われた抗議運動では約380人が拘束された。
 5月末ごろに始まった抗議運動は、「ソーシャル・ネットワークによる革命」を名乗る組織が、「フェイスブック」に似たロシアのネット・サービスを通じて参加を呼びかけているもの。最近は毎週水曜日に首都ミンスクなどで自然発生的に実施されており、参加者も増えているという。【読売・モスクワ=貞広貴志】

テロ援助の組織や個人、リスト公表…露政府系紙
 ロシアの政府系ロシア新聞は6日、テロ活動への資金援助や資金洗浄に関与する国内外の組織や個人のリストを公表した。 同紙によると、リスト公開は初。露外務省と司法省が情報提供したもので、国際テロ組織アル・カーイダや、北カフカスを拠点とするイスラム武装勢力のドク・ウマロフ指導者など150団体、約1900人の拠点や生年月日を明記した。【読売・モスクワ=寺口亮一】

6月
国連、陸自の派遣打診 南部スーダンPKO
 スーダン南部が7月に分離独立し新国家を樹立するのを受け、再編成される国連平和維持活動(PKO)部隊に関して、国連が日本政府に対し、陸上自衛隊施設部隊の派遣ができないか非公式に打診していることが18日、分かった。国連外交筋が明らかにした。
 しかし、東日本大震災の復旧・復興への対応や、派遣先のスーダン南部の治安状況が十分確保されていないことなどから、日本政府関係者は「かなり難しい」と否定的な考えを示している。 潘基文事務総長の提案では、市民保護を担う部隊インフラ整備のための施設部隊など約7千人に、警察約900人を加えた8千人規模。

潘氏、陸自スーダン派遣に期待 原発の安全強化も
 国連の潘基文事務総長は22日、来年1月からの続投が正式に決まったことを受け、共同通信など主要な国際通信社と会見した。潘氏はスーダン南部が7月に分離・独立するのに合わせ、再編成される国連平和維持活動(PKO)部隊に関し「日本を含め、加盟国が施設部隊や後方支援を提供してくれれば歓迎する」と述べ、陸上自衛隊施設部隊の派遣に期待感を示した。 潘氏は福島第1原発事故を受けた原発安全基準の強化の必要性について「フクシマの悲劇的な結果を見れば、世界は団結するべきだ」と強調。国際原子力機関(IAEA)はそうした作業の「中心であるべきだ」と述べた。【ニューヨーク共同】

陸自部隊は「能力高い」 PKO打診で国連当局者
 スーダン南部が7月に分離・独立するのに合わせ再編成される予定の国連平和維持活動(PKO)部隊に関し、国連が日本に陸上自衛隊施設部隊の派遣を非公式に打診したことについて、国連PKO局当局者は28日「日本はハイチ大地震後に部隊を派遣し、極めて高い能力を示した」と理由を説明した。 国連は日本のほか、韓国やノルウェーにも派遣を打診しているという。 また、別の当局者は、施設部隊による「道路などのインフラ整備」が独立後のスーダン南部の復興に非常に重要だと強調。支援物資輸送のための空港施設拡張工事も需要が高いという。
 一方、現地の治安状況については「比較的安定している都市部を除き、多くの武装勢力が活発に活動しており、多くの問題を抱えている」と指摘。日本が施設部隊を派遣する場合には「原則として、自らの安全は自分で守ってもらう」と説明した。(共同)

仏、リビア反体制派に武器供与 NATO加盟国で初
 フランス国防省報道官は29日、同国がリビアの反体制派に対し、上空からパラシュートを使って武器を供与していることを認めた。リビアへ軍事介入している北大西洋条約機構(NATO)加盟国で武器供与を公に認めたのはフランスが初めて。
 報道官によると、武器を供与している相手は首都トリポリ南方の山中に展開する反体制派部隊。カダフィ政権部隊に包囲されていたため、当初は食料など人道援助物資をパラシュートで投下していたが、6月以降「さらに戦況が悪化したため」対戦車ミサイルや小銃、機関銃、弾薬などの投下も始めたという。 29日付フランス紙フィガロは、武器供与により、反体制派側が徐々に首都に向けて進攻、トリポリ南方約60キロの戦略上の重要拠点ガリヤンの町に迫っていると報じた。(共同)