2011年6月21日火曜日

脱原発派の試練

 脱原発派の試練


 今週末から、国(経産大臣)の「停止中原発の再稼働行脚」が始まる。その第一弾は、立地自治体の首長が再稼働を容認している玄海原発をかかえる佐賀県になりそうだ。
 国が、つまり県ではなく、県民に対する再稼働にむけた「説明会」を開き、その「結果」を受けて、知事が再稼働承認・不承認の判断を下すというのである。
⇒「軽水炉原発、特に玄海原発1号機の照射脆化・脆性破壊に関する検討」(原子力資料情報室)

 しかし、下の佐賀新聞の記事を読むと、再稼働をめぐる地元自治体としての意思決定のための手続きを、佐賀県が国に丸投げしていることがわかるはずだ。県として、県民の意思を十分に汲み取る方法を考えもせず、国が選んだ「4、5人」の「県民」へのヒアリングをもって「県民向け説明会」とし、その様子を知事が傍聴し、最終決定の判断材料とする、というのだから。
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原発 国の佐賀県民向け説明会が26日に (佐賀新聞
 停止中の玄海原発2、3号機の再稼働問題に絡み、古川康佐賀県知事は20日の県議会一般質問で、国に要請していた原発の安全性についての県民向け説明会が26日午前に開かれることを明らかにした。古川知事は議会後、記者団に「直接説明を受けて住民がどう反応するか、非常に関心がある」と述べ、再稼働の判断材料にする考えも示した。 国主催の県民説明会は、古川知事が「県民の気持ちに応えるには、国として分かりやすい説明を行う必要がある」として経産省に要請していた。 
 説明会の方式は国が調整中だが、混乱を避ける(???)ため、県民4、5人が経産省原子力安全・保安院と資源エネルギー庁の担当者から説明を受け、疑問点や不安に思う点などを質疑する予定。やり取りはケーブルテレビとインターネットで生中継し、視聴者からの質問もファクスや電子メールで同時に受け付ける。 
 質問する県民の人選は国が行う(!!!)が、古川知事は「早く再稼働しろという人たちを集めてやっても仕方ない。素朴に疑問に思っている人やよく分からないと感じている普通の人が一番いい」と述べた。説明会について「一定の理解(???)を得られるのか、それとも逆になるのか非常に関心がある。感覚的に見てみたい」と語り、「県民理解」を判断する際に重視する構えだ。 
 立地自治体に再稼働を要請すると表明した海江田万里経産相の来県については、福島第1原発事故の地震の影響や、過酷事故対策を保安院に確認した上で「浜岡原発の停止理由を含め、国の考え方を大臣に会ってきちんと聞きたい」と述べた。時期については明言せず、記者団にも「国が説明会をした上で、その反応も見ながらになる」と答えるにとどめた。  また、自民県議が経済のために早期の再稼働決断を求めたことに対し、古川知事は「電力需給も全く無関心でいいことではない。九州や日本全体の経済、社会の中で今回の再稼働をどう考えるかが求められている」と答弁した。 
 一方、県議会原子力安全対策等特別委員会は理事会を開き、定例議会閉会後の同委員会に、内閣府の原子力安全委員会を参考人招致することを決めた。国際原子力機関(IAEA)に政府が報告した28項目の事故の教訓とその対応策などについて質疑する予定。日程は1日の委員会終了後の理事会で決める。 経産相の来県日程が判明次第、緊急理事会を開いて対応を協議することも確認。木原奉文委員長は、経産相の再稼働要請について「政府が腹を固めた感じ(???)を受けた。大臣がIAEAから帰ってきてどういう動きをするか注目したい」と話した。
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 佐賀県を皮切りに強行される、アリバイ的な国の再稼働全国行脚。しかし、この行脚にも莫大な税金が浪費されることを忘れてはならない。そんな金があるなら、例えば佐賀新聞なら佐賀新聞に、広域的世論調査を国なり県なりが依頼し、再稼働の是非、稼働中原子炉の稼働継続/段階的停止の是非を問えばよい。国民投票なんて国(官僚)はやる意思など毛頭ないし、民主党にも自民党にもない。ゆえに、現状不可能である。また、広域的住民投票の実施についても、時間的に間に合う/合わない以前に、それをやる意思さえ自治体にはない(だからこそ、国民投票以前にこの議論を今しっかりやっておく必要があるのである)。

 ともあれ。再稼働をめぐる住民/市民の意思を、まともに聞こうともしない、そういう国と県、また立地自治体とは何なのか、市民の「安全・安心」を本気で考えているのか(→現状、「考えている」とはとても思えない)、と市民/住民は不安を募らせる一方になる。

 国が打ち出した3月末の「緊急安全対策」と今月初旬の「過酷事故対策」。これらはいずれもメルトダウン→メルトスルーを想定した原発「事故」の対策になっていない/なりようがない(補足的説明は後日)。ここに根本的な問題がある。しかしそれ以上に、国の「対策」に基づいた「安全」措置さえ完了していないというのに、再稼働要請を国がし、一部自治体が場合によっては受け入れるかのような曖昧な姿勢を示していることが地域住民の不安を、いっそうかきたてているのである。


「緊急安全対策」と「苛酷事故対策」をめぐる混乱

 そこで、マスコミ報道や人の話を聞いて、ひとつはっきりさせておく必要がある、と思ったことがある。それはなぜ自治体が、一様に国の浜岡原発停止要請問題を持ち出すのか、についてである。
 原発を抱える道県、市町村の立地自治体は、再稼働を「拒否」しているのではない。自治体は、自治体として再稼働を承諾/拒否する「条件」が整っていないと言っているのである。

 浜岡のように国が正式に停止要請し、静岡県や御前崎市のように額が減ったとしても「原発マネー」が道県・立地自治体に流れることを国が確約すれば(→現状では、国はしない)、できれば停止する方向で考えたい、という思いが自治体にないわけではない。しかし、国が浜岡とそれ以外の原発を区別/差別するから、態度を明確に打ち出せないでいる、ただそれだけのことなのだ。裏返して言えば、「万が一」が起こったときに、自治体の力を超える行財政責任において国が全面的に責任を負い、保障/補償する、その言質が欲しいのである。だから、停止中原発の再稼働問題について言えば、自治体の判断基準になっているのは、「緊急安全対策」と「過酷事故対策」が市民の「安心」を保障するか否かではなく、承諾/拒否した場合に国がどうでるかにある。国からの「原発マネー」がどうなるか、雇用減少分をカバーする対策を国が打ち出してくれるか否か、その展望を示してくれるか否か、にある。 

 自治体の行政マインドとしては、税収と財源の安定化をはかり、一定の市民に対する福利厚生をはかることができれば、それでよい。「法令」に則ったことをやっていれば、それでよい。私たちが何を何と言おうが、国が法令改正などで動くのでなければ、基本的に自治体は聞く耳を持たない。なぜなら、そういう自治体(「地方自治」)を国(霞が関)がつくってきたからである。国と自治体との慣習的関係から言えば、こうした「お国まかせ」的な自治体の在り方は、至極当然の姿勢である。佐賀県と県知事の、またその他自治体の無責任極まりないとしか思えない態度にも、それなりの根拠と理由があるということだ。


 考えてもみてほしい。もしも「3・11」が佐賀県や福井県、あるいは愛媛県で起こったとしたらどうなっていたか。九電、関電、四国電力に「レベル7」の「原子力緊急事態」に対処する技術的・財政的・人材的能力があるかどうか、国との「統合対策本部」が機能していたかどうか・・・。「事態」が、今以上にひどくなっていたであろうことは、誰にだって予測できることではないだろうか。

 だから本来、稼働中原子炉を冷温停止せず、停止中原子炉の再稼働を国が要請したり、それを自治体が受け入れるなんてこと自体があってはならない、信じられないことである。
 けれども、現実はそれと真逆の方向に向って進んできた。原発は「3・11」以後も、現に動いているし、立地自治体では、市民の生命の「安心」以上(?)に、原発を止めれば自治体財政の「安心」が危機に陥ってしまうからである。つまり、原発立地自治体は、「原発マネー」と「原発雇用」に代わる、財源と雇用政策上の対案が存在しない現実にあっては、再稼働を受け入れる以外の選択肢を持たないのである。この状況を脱原発を主張する〈私たち〉がどうするか/できるか。とても一筋縄ではいかない問題である。エネルギー消費において原発なしでもやれる/やれない、とは次元の違う問題であるからだ。

 国の再稼働要請を受け入れても地獄、拒否しても地獄。承諾して、万が一にも「第二の3・11」が襲来すれば、文字通りの地獄になるし、拒否すれば少子高齢化がもっとも進行し、多数の「限界集落」を抱えている「地方」は、今以上の地獄をみることになる。「3・11」以前に、地域経済・医療・社会保障制度の崩壊、「夕張市問題」などで私たちが何を議論していたか、思い出してほしい。「原発マネー」の減少に直面した御前崎市が最初にやったことが市民に対する行政サービスのカットであったことを、忘れてはならないだろう。

 「緊急安全対策」と「苛酷事故対策」をめぐる混乱は、この「どっちにころんでも地獄」を理解しないところで生まれているように私には思える。再稼働問題が工学的というか技術的な問題(のみ)に焦点があてられ、論じられる傾向が強いからである。問題の所在が「対策」が対策になっているか否かにあるかのように言う自治体と、一部マスコミの報道が、一般市民/住民の混乱を広げているのである。 

 「どっちにころんでも地獄」を何とかするためには、何をどうすればよいのか? ただ「原発止めろ!」と言うだけではどうにもならないし、どうにもできない。例えば札幌、例えば博多というように、電気やエネルギーを地域において一番消費している「大都市圏と地元をつなぐ議論」をもっと行う必要がある、と私が主張する理由はそこにある。
⇒「脱原発への道筋: 大都市圏と「地元」をつなぐ議論を(2)」より


〈大都市圏の責任: 大阪と東京の対応を考える〉 

 「第二の3・11」が、もしも起こったとしても、この国は私たちを守らないし、守れない。
 もうこのことは、議論の余地がないほど、はっきりしたと思う。

 であるなら、稼働中原発が全国各地に存在し、しかも国が明確に停止中原発の再稼働の意思を示している今、私たちは自治体が「地域主権」を国に対して行使し、段階的廃炉に向けた自治体としての意思を示すよう、要求せざるをえない。つまり自治体が、「市民参加」の下で、自治体としての「段階的脱原発の青写真」を示すよう、要求するのである。何年、何10年、かかってもよい。早ければ早いに越したことはないが、せめて2050年くらいまでには、日本のすべての自治体が完璧に「原発フリー」になれば、素晴らしいと思う。

 その第一歩として、「非核都市宣言」を数多くの自治体が発してきたように、まず自治体としての「脱原発都市宣言」を発するよう働きかける/運動を起こすことも妙案の一つかもしれない。
 世界の〈核廃絶〉運動の「大本山」とも言うべきHiroshimaとNagasakiは、「脱原発都市宣言」を発するべき第一の都市だと思えるが、広島市・長崎市はどのように言うだろうか。「核兵器はNOだが、原発はOK」と言うだろうか? 今年の「8・6」と「8・9」に、両市はどんな宣言や声明を発するだろう。そこでFukushimaと原発問題はどのように言及されるだろう・・・。

 いずれにしても、憲法上何の根拠もない「エネルギー政策は国の専管事項」という官僚機構の恫喝的独断専行を「地方主権」と「自治」の観点から突き崩してゆかないと、再稼働問題も段階的廃炉問題も、何も進まず、解決しない。この点から考えてみると、この間の再稼働をめぐる議論の中で、一番見過ごされてきたのは、原発を抱えていない自治体の原発問題と再稼働問題の両方に対する「様子見」の姿勢であることが、より際立ってくるのではないだろうか。

 圧倒的多数の自治体(都府県、市町村)は、これらに対する明確な態度表明をしていない。つまり、どこか原発を抱える自治体の「苦悩」を、他人事のように捉えているフシがある。マスコミも私たちも、それを問題にしようとしてこなかった。なぜだろう。

 その中でも、東京に次ぐ人口を抱える大阪については、府に続き大阪市も「脱原発」を打ち出した。⇒「特集ワイド:橋下・大阪府知事、脱原発の本気度」(6/21 毎日) しかし問題がないわけではない。

6/22
 「問題」は二つある。一つは、政策の欠如である。府なら府、市なら市として、「脱原発」宣言を具体的な「公共政策」の中に織り込むのでなければ、単なる首長のパフォーマンスに終わってしまうからである。
 「脱原発予算」を付け、プロジェクトチームを立ち上げ、短・中・長期の行動計画を策定し、また必要に応じて条例化する、そうした府・市としての政策的意思を、府民・市民に対して示すことが重要だ。それが、自治体サイドからの、原発事業を基軸とする関電の経営方針の抜本的転換を迫るアクションや、「地域独占」の経営形態の段階的解体を仕掛けるモーションと結合してはじめて、「脱原発」宣言は現実性を持ちうるのだから。

 報道されている内容から判断するかぎり、橋本知事の脱原発宣言は、「節電による再稼働ストップ」(これ自体、非常に重要ではあるのだが)の域を超えるものではない。また平松市長のそれも、脱原発の確固たるビジョンに基くと言うより、自然・再生可能エネルギーの比率を高めるという菅内閣的なものにとどまっている。今後、知事と市長からこれら以上のものが出てくるのどうか、それとも秋の市長選をにらんだ集票パフォーマンスに終わるかどうか、現状では判断することができないが、問題は「政策の欠如」にとどまらない。「西の原発銀座、福井」の最大の恩恵を受けてきた自治体の首長の発言として、福井県民や立地自治体の市民/住民に対する「視線の欠如」に、私は強い違和感を持った。これが二点目の問題である。

「2011年6月23日を記憶する---OkinawaとFukushima、安保と原発」へ 
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「照射脆化・脆性破壊」
 原子炉運転中に高速中性子の照射を受け、圧力容器鋼材が破壊に対する抵抗力が低下する(「中性子照射脆化」)という指摘や懸念に対し、東電を含む電力会社は、「脆化」や「脆性破壊」を防止するため、「監視試験片」を予め炉心の近くに装荷し、定期的に点検しているので、圧力容器の「健全性」は常に保たれている、としてきた。柏崎刈羽原発のこの問題に関する、昨年6月の東電の回答がその一例である。
⇒「「冷温停止」の政治と科学:  研究者のモラルが試される時
⇒「脱原発の〈思想〉と〈科学〉が試される時(1)

ザ・るぽ 原子力施設密集・下北半島を歩く 覚悟と恐れの間で」(毎日)
滋賀県知事「将来は原発卒業を」 もんじゅと美浜原発視察
 滋賀県の嘉田由紀子知事は22日、関西電力美浜原発と日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を視察した。東京電力福島第1原発事故を受けた安全対策に関し、老朽化の影響などは「すぐには評価できない」とする一方、将来的には原発から「卒業」して代替エネルギーによる安定的な電力供給を考えるべきだという「卒原発」の考えを示した。 滋賀県知事の原発視察は初めて。美浜原発から同県境までは十数キロ、琵琶湖までは二十数キロしか離れておらず、滋賀県地域防災計画見直しの参考にしようと現場を訪れた。
 関電美浜原子力PRセンターで知事は冒頭「滋賀県は福井県に隣接。琵琶湖は関西の水源で、1400万人の命の水源を預かっている。最悪のことを考え、万一の事態に備えてほしい」と述べた。その後、美浜3号機の使用済み燃料プールや、津波対策として海抜32メートルに配備した電源車などを確認した。 視察後、嘉田知事は記者団に対し「原発は強大で複雑なシステムの中で電気を生み出している」と作業員らに謝意を表した上で「地震や津波などをどう想定するか。安全の仕組み(が有効か)はすぐには証明できない」と述べ、停止中の原発の再稼働に懸念を示した。
 ただ、数十年間続いてきた原発からのエネルギー転換は「そう簡単には答えは出ない」とも言及。関電に定期的な協議の場を提案し「もっと情報を出してもらい、議論を盛り上げていきたい」と語った。 もんじゅでは、原子炉容器に落下した炉内中継装置の回収作業などを確認した。(福井新聞
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 知事は「懸念」を持つのに、再稼働停止を要請しないのだろうか。それは滋賀県民のみならず福井県民に対しても無責任ではないのか。「そう簡単には答えは出ない」なら、いつ、どのような「情報」が出揃ったら「答え」を滋賀県として出すのか、それを明確にすべきではないだろうか。「美浜原発から同県境までは十数キロ、琵琶湖までは二十数キロ」の自治体の首長として。

7月10日の原発再稼働困難も 愛媛知事、伊方3号機で
 愛媛県の中村時広知事は22日、四国電力の千葉昭社長と県庁で会談し、定期検査中の伊方原発(同県伊方町)3号機の再稼働への同意について、定期検査を終え、再稼働が可能になる7月10日に合わせた判断にはこだわらない考えを示した。7月10日の再稼働は困難となる可能性が出てきた。
 伊方原発の耐震性強化を求めてきた中村知事は四電の安全対策に一定の評価をしながらも「国の新しい安全基準、地元の意向と合わせ、トータルに判断する現時点では白紙だ」と強調した。 その上で「原発はそれぞれ違うのだから、全国まとめてではなく、海江田万里経済産業相に自らの言葉で地元に語ってもらうのが最低条件。7月10日に縛られることはない」と、判断が先送りになることを示唆した。
 会談では、千葉社長が原子炉の耐震性を国の基準より大幅に高くするなどの安全対策について報告。プルサーマル発電をしている伊方3号機のプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料16本を「安全に推移してきた」として24日から再装荷すると表明。ただ、再稼働時に新たに5本を追加する予定だったが見送りにした。 千葉社長は会談終了後、記者団に「(予定通りの)再稼働に向け最大限努力したい」と話した。(共同)

福井知事「海江田経産相の安全と経済の二者択一論おかしい」 再稼働拒否
 全国最多の原発14基が立地する福井県の西川一誠知事は20日の定例記者会見で、海江田万里経産相が停止中の原発は震災の追加対策で安全が担保され、再稼働に問題はないとしたことに関連し、「ざっと見た限りだが、県が要請したことへの答えになっていないように思う。状況は変わっていない」と述べ、現段階で再稼働を認めない考えを改めて示した。 また、海江田経産相が再稼働要請の理由として、電力不足や経済面での懸念をあげたことには「(安全と経済の)二者択一で論じる問題ではない。安全が損なわれたのでは、元も子もない」とした。 西川知事は東京電力福島第1原発事故を踏まえた新しい安全基準や、中部電力浜岡原発のみを停止させ、他の原発は安全としている理由の提示を国へ求めている。

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〈原子力委員会と安全委員会の責任→解体的改組〉問題の補足

 法を改正したからといって、すべてが変わるわけではないし、市民の「安全・安心」が保障/保証されるわけでもない。しかし現行法体系ではどうしようもない。私たちが理解しなければならないのは、国と自治体の「行政」は、すべて官僚による法(の解釈)を根拠にしているという意味で、法を改正しなければ何も変わらない、ということである。

 「私は何だったのか?」発言で、一躍「国民的名声」を得た斑目原子力安全委員長。当初、この人と委員会に対して「国民」が抱いていた怒りは、この人の「原子力安全委員会には権限がない」発言によって、ある種の「憐憫」に変わってしまったと言ってよいだろう。結局、原子力安全委員会なんて単なる官僚機構の「飾りもの」に過ぎず、何もすることはできないのだ、そういうそれ自体は正しい分析と認識が、この委員会/委員長以下各委員の責任問題を不問にし、免罪する空気をつくってしまったのである。

(つづく)
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安全対策「有効性検証を」 原子力安全委員長
 原子力安全委員会の班目春樹委員長は20日の記者会見で、東京電力福島第1原発事故を受けて電力各社などがまとめた緊急安全対策について「どれぐらい有効か、時間がかかるかもしれないが原子力安全・保安院に評価を求めたい」と述べ、長期的視野に立った検証が必要との認識を示した。
 班目委員長は「従来の安全対策には大きな穴が開いていた」と指摘。事故を受け保安院が要請した対策は評価できるとした上で「穴をふさぐのにどれくらい有効だったかという観点からのまとめも必要だ」とした。 海江田万里経済産業相が、停止中の原発の再稼働を急ぐ意向を表明したことについては「運転管理段階にある原子炉の規制は、規制行政庁がすべきことで、何か言うつもりはない(???)」と明言を避けた。

保安院、来年にも独立 / 経産相が意向表明
 海江田万里経済産業相は20日、国際原子力機関(IAEA)閣僚級会合の会場で記者団に対し、原子力安全・保安院の経済産業省からの分離、独立について「2012年は一つのめど」と語り、来年を念頭に組織改革をする意向を明らかにした。 IAEAの天野之弥事務局長が会合の冒頭演説で、規制当局の機能などを評価するチームを日本に来年派遣すると述べたことを受け、質問に答えた。【ウィーン共同】⇒「分離、独立」とは、経産省所管の「独立」行政法人化のこと?

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