2014年6月8日日曜日

『福島と生きる』メールマガジン特別号No.6 佐藤 緑さん(シャプラニール=市民による海外協力の会 いわき事務所)インタビュー

『福島と生きる』メールマガジン 特別号No.6
――息長く〈福島〉とつながり続けるために――
2014年6月7日発行(不定期刊)
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インタビュー
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佐藤 緑さん(シャプラニール=市民による海外協力の会 いわき事務所)
――いわきでこそ生きる交流の場の重要性   ~地元の人たちが担う支援活動に向けて


<目次>
I 震災から3年 いわき市の避難者・被災者の状況
II 交流サロン「ぶらっと」の意義と他団体との協働
III 「風化」にどう対抗していくか
IV 「よそもの」としてのNGOが果たす役割


I 震災から3年 いわき市の避難者・被災者の状況

Q  いわき市は津波と地震で被災しながら、同時に多くの原発避難者を受け入れてきました。そのために、市民と避難者の間の軋轢が生じ、行政上も難しい課題を抱えています。そのいわき市で、シャプラニールは交流サロンの運営や民間借り上げ住宅入居者への支援などをこられました。
 まず、震災から3年以上が経過したいま、避難者・被災者の抱える問題はどう変化してきましたか? 現在の最大の問題は何でしょうか?

佐藤  交流サロン「ぶらっと」を立ち上げたときに比べると、精神的に落ち込む人は少なくなったと思います。行政や各町の社協からさまざまなサポートを受けて精神状態が安定し、「ぶらっと」のような交流サロンに自分の居場所を見つけたという人が多いように感じます。
 私がいわきに来た2年ほど前は、眠れないので精神安定剤を飲んでいるという話もよくききました。ただ、「つらい」と言っていた人が「ぶらっと」に来なくなった例もかなりあります。そういうときの対応には苦慮しています。電話番号を知っている場合は、電話をして様子を聞く場合もありますが、全員に対してそれができるわけではありません。そこは課題です。

 震災から3年以上が経ち、抱える問題は個別具体化しています。例えば住まいの問題一つ取り上げても、借上げ住宅にいつまでいられるか不安に思っている方、公営住宅入居について不安のある方、住宅購入を検討し迷っている方、県外に住まいを求めようかと迷っている方など、100人いれば100通りの不安があります。
 他の被災県と違い原発問題を抱える福島は、「したいけれどできない」ことが多く(住み慣れた自宅に帰りたいが帰れない、家族一緒に住みたいが住めない、など)、そのことが人々の精神的な負担を重くしていると思います。

住宅問題と交流の場の必要性

Q  仮設住宅入居者に比べ、民間借り上げ住宅に入居している避難者・被災者に対してなかなか支援が届かないという問題が指摘されてきましたが、現状はどうですか?

佐藤  やはりその問題は残っています。借り上げ住宅に入居している人たちは「仮設の入居者はたくさんの支援を受けられるが、自分たちには支援が届かない」と感じています。逆に仮設住宅の入居者の中には「借り上げ住宅はプライバシーがあってうらやましい」と思う人もいます。
 仮設住宅には集会所がありますが、各地に点在する民間の借り上げ住宅の入居者にはそういう場がない。「ぶらっと」はそういう人たちにとって交流と、支援に関する情報を得る場としての役割を果たしてきたと思います。

 同時に、「3・11被災者を支援するいわき連絡協議会(通称・みんぷく)」内でこの問題を話し合う「借り上げ住宅入居者支援部会」の立ち上げを提起して、以来、他団体と協力して支援にとりくんできました。そこで出てきたアイデアが、市内のお店をだれもが気軽に立ち寄れる交流の場として提供する「まざり~な」です。
 当初の4店舗からいまでは16店舗に増え、利用者も徐々に増えています。いわきの商店主の方々も何かしたいという思いを持っていたので、交流の場がほしいという被災者の思いと商店主の思いがうまくマッチングできました。

Q  シャプラニールの活動報告ビデオに「被災者の間でも前に進める人とそうでない人のギャップが生じている」というコメントが出てきますが、それはどういうギャップですか?

佐藤  同じ町の出身でも、たとえば家を建てたとか、いわきに住む、あるいは県外に住むと決めて住まいを確定した人と、決断したいがさまざまな理由から決断できない人がいます。同じ町出身の仲のいい人同士でも「自分は住まいを確定した」と言いづらい雰囲気があるようです。
 住まいを確定できない理由は、住みたい場所が見つからない、資金がない、高齢なのでいまさら住宅ローンを組めない、子どもの家族に迷惑をかけたくないといった家族間の問題など、さまざまです。また、仮設住宅に3年住んできてやっとコミュニティができたのに、またバラバラになりたくという声も聞こえてきます。

 住宅問題を解決するための鍵を握るのが公営住宅への入居です。いわき市の津波及び地震被災者のための災害公営住宅は3月に入居が始まり、順次入居が進んでいます。また、避難指示を受けているみなさんのためのいわき市内の復興公営住宅は、2015年3月末入居の第一期の募集がすでに始まりました(復興公営住宅整備状況)。
 住んでいた場所に帰れないことは分かっていても、それを他人に言われたくない、という複雑な思いを抱えている人がたくさんいます。そういう場面では私たちが下手な励ましをしたところで解決できないので、傾聴することしかできず、そこは悩みです。

避難者といわき市民との軋轢


Q  原発事故でいわきに避難してきた相双地区の人たちといわき市民の間で、さまざまな軋轢が起きているといわれています(注1)。シャプラニールの活動を通じて、軋轢を感じることはありますか? それに対してどう対応していますか?
注1: たとえば2013年4月26日のNHKニュース「おはよう日本」で「避難者への“いらだち” なぜ?」と題して報道された。

佐藤  避難者に対してよくない感情を抱いている人はごく少数だと思います。ただ現実は、いわき市民として避難者に対して何ができるのか分からないというのが正直なところではないでしょうか。「軋轢解消」と口で言うのは簡単ですが、実際は難しい。法制度が整ったからと言ってすぐに感情的なわだかまりが消えるわけではありません。

 私たちは、サークル活動などを通じて、避難者といわき市民が互いのコミュニケーションを密にすることで、仲間意識が生まれていることをあちこちにアピールすることを心がけています。避難者に対して誤解を持っている人がいれば、こうした交流の場で正確な情報をお伝えするようにし、具体的には避難者を受け入れている行政区としていわき市も財政支援を受けている、といった話を地道にするようにしています。

 避難している人たちは「いわき市にお世話になっている。肩身が狭い」という気持ちが強く、何かあっても我慢してしまう。できるだけそうならないようにしたいので「同じいわきという町に住む仲間だ」というメッセージを発信していきたいと思っています。この交流サロンは、誤解を持っているいわき市民に正しい情報を伝え、避難者が傷ついた経験を話せる場としても機能しています。


II 交流サロン「ぶらっと」の意義と他団体との協働

利用者が自ら運営する交流の場へ

佐藤  「ぶらっと」はいろいろな教室やイベントを開いてきましたが、「カルチャーセンター化」しないように、利用者のみなさんに自分たちでサークルとして活動してはどうかと地道に働きかけをしてきました。2013年の終わりごろから意図的に教室やイベントを減らし、サークル化への移行を促しました。

 現在、初めて利用する人の受け入れ窓口として二つの教室を残していますが、カラオケ、手芸、絵手紙、押し花、健康のサークルができています。手芸のサークルは講師が引っ越しのためにいなくなったのを契機に始まりました。
 参加者の出身もさまざまで、いわきの津波・地震の被災者もいます。まさに「ぶらっと」を象徴するようなサークルです。健康運動サークルは、現在の場所への移転(2014年4月)を機に、参加者が話し合って、いままでボランティアでやっていただいていた講師に謝礼を払えるようにしようと会費制になりました。

 こうした交流の場に出てくるのは大多数が女性で、男性が出てこないことが問題となっていますが、「ぶらっと」でも利用者の8割は女性です。そこで「ぶらっと」では将棋の日を作り、社会福祉協議会(社協)や他の交流サロンでも宣伝したところ、口コミで情報が広がり、いまではたくさんの男性が来てくれるようになりました。

交流スペース同士の協働

佐藤  「ぶらっと」はいわきで初めての交流スペースだったので、他団体や他の市町村に私たちの経験を伝え、交流サロン運営の参考にしてもらうという役割を果たせたと思います。特に富岡町の交流サロンの立ち上げでは、手芸教室や体操教室の講師紹介も含め、経験共有も行ってきました。
 交流スペース同士のネットワークもあります。交流サロンを運営している「みんぷく」加盟団体が共同で情報誌『一歩一報』(発行部数18000)を発行しています。その編集会議(月1回)が、お互いの活動について情報を交換したり、困ったことを相談し合ったりする場になっています。

 各団体は独自の情報紙(シャプラニールの場合は『ぶらっと通信』)を発行していましたが、誌面を埋めるのは結構大変な作業で、資金的な負担もあります。そこでシャプラニールが合同情報誌を提案して始まったのです。幸い、ファンも多くて毎号楽しみにしているという読者の感想が届いています。各町の広報誌に同封していただき、より多くの方にサロンを利用していただけるような工
夫もしてきました。

 来月号(6月号)からは「読者が作るページ」を設ける予定です。たとえばお店の移転や再開のお知らせ、サークルで作った自分たちの作品などを載せれば、震災後、誰がどこに住んでいる、元気にしているなどが分かる近況報告ページのような役割が果たせるのでは、と思っています。

 この合同情報誌は、いわきに住む被災者を対象に活動するNPOならではの特色をもっています。たとえば、災害公営住宅と復興公営住宅の情報を同時に載せていますが、行政の広報紙にはその二つが同時に載ることはありません。災害公営住宅はいわき市の住宅で津波被災者向け、復興公営住宅は福島県の事業で原発避難者向けのものだからです。
 原発被災者に注目が集まりがちですが、私たちNPOはいわきの津波・地震の被災者も含めて、「同じいわきに住む人たち」という視点で支援することを大切にしています。

いわきと他の地域をつなぐ

Q  シャプラニールは「ぶらっと」の運営の他に、いわき訪問ツアーを実施していますが、これまでどんな成果がありましたか?

佐藤  「みんなでいわき!」という訪問ツアーを年2回(3月と夏)実施していますが、毎回定員に達し、リピーターもいらっしゃいます。参加者の年齢層もさまざまです。ときにはボランティア活動にも参加しながら、いわきの現状を知るという趣旨で行っています。前回、2014年3月のツアーでは富岡町を訪問しました。勝手に訪問するのではなく、地元の人たちとのつながりを大事にしたいので、広域自治会の人に案内をお願いして、その人の言葉で語っていただきました。

 
 参加者は「防護服を着ないといけないのでは」というイメージを持っていたようですが、実際はそうではないことを知って報道と現実のギャップを感じたりしたようです。
 実際に自分で訪ねると、それまでは「浜通り」というぼんやりとしたイメージだったものが、四ッ倉、久ノ浜といった具体的な場所として記憶されるようになり、一種の「当事者意識」のようなものが生まれます。すると、その後の報道にも継続して関心をもってもらえるのではないかと思います。自分の感想を周辺の人たちに話してくださいとお願いしています。

 また、いわきでの活動の報告会をこれまでに数回開催しています。前回、1月に東京で開催した報告会では現地採用のスタッフの報告に加え、いわきに避難されている方にもお話をしていただきました。

地元の人たちが中心となる活動へ向けて

Q  「ぶらっと」の運営をはじめ、多くの成果が上がっているようですが、逆に難しい点、困っている点はどんなことでしょうか?

佐藤  災害公営住宅・復興公営住宅に関するサポートはまさにこれからの課題ですが、なんとか地元住民と入居されるみなさんのコミュニティ形成が進み、誰もが不安なく生活再建できるように全力で取り組んでいるところです。 

 苦労しているのは、人手不足で個別訪問が十分にできていないことです。一人暮らしの高齢者、障がい者、一人親、男性の一人暮らしの約200世帯を「要注意世帯」として個別訪問の対象にしています。「ぶらっと」のような交流スペースではなかなか自分の話をできないという人もいますので、私たちの訪問を楽しみにして下さって、話が止まらない人もいます。二人一組で訪問するので
すが、少ないスタッフで「ぶらっと」の運営もしながら個別訪問を継続することはとても難しい状況です。

  
 今後は、私たちの訪問で得た情報を社協に提供して引き継ぎ、「ぶらっと」の運営や公営住宅関連のサポートに重点を置いていきたいと考えています。同時に、スタッフが個別訪問や他団体との会議や「まざり~な」の活動で「ぶらっと」を空けるときに、利用者のみなさんに留守番をしていただく、つまり、スタッフがいなくても「ぶらっと」が運営できるという体制を作りたいと考えています。

 
Q  今後、シャプラニールとしてはしばらく支援活動を続けていく計画ですか?

佐藤  当初は3年間をめどに考えていましたが、まだ再建・復興の途上にあることは明らかなので、活動を継続することにしました。
 一番大切なのは、「ぶらっと」を利用されているみなさんに、“自分たちの交流スペース”として関わってもらうことだと思います。情報紙の発送作業も、手伝いを呼びかけたらすぐに人が集まりました。
 この4月に「ぶらっと」を移転するときも、サークルや教室に参加されてきたみなさんから「「ぶらっと」の運営にもお金がかかるだろうから、自分たちでバザーでもして資金を集めようか」という声が出ました。引っ越しの際の掃除や片づけも買って出てくれました。利用者のみなさんが移転をきっかけに、「ぶらっと」は自分たちの居場所だと再確認できたのではないかと思います。私たちもそうした自発的な動きを見ることができて嬉しかったです。

 外部者としてのシャプラニールはいずれいわきを去ります。だから地元の人たちが中心となった活動を作っていかなくてはなりません。「まざり~な」や「みんぷく」の「借り上げ住宅入居者支援部会」はそういう活動として位置付けています。


III 「風化」にどう対抗していくか

Q  原発事故と震災のインパクトが「風化」していると、かなり早い段階から指摘されてきました。佐藤さん自身はどの程度「風化」が進んでいると感じていますか?

佐藤  私は東京といわきを行ったり来たりしていますが、かなり「風化」が進んでいると実感します。今年の3・11の前も、テレビで一斉に3・11関連の報道が行われましたが、「ぶらっと」の利用者は「これ、あと何回続くんだろうね」という冷めた目で見ています。3月のこの時期だけ集中的に報道されるけれど、私たちにとっては毎日のことなのだ、と。

 3月に入るとテレビは見ないという人もいます。見たくない映像も流れるし、「大変ですね」と特別な目で見られるのも嫌だと言います。それに対して私は、福島県以外の人たちが忘れないためにそういう報道も必要だから、3・11前後はテレビは見ないで「ぶらっと」においでよ、と話しました。

 一方で、公営住宅の建設も進んでいるけど、それは報道されません。オリンピックで世間は盛り上がっているけれど、ただでさえ建設業の人手不足で福島では問題が起きているのに、オリンピック関係の建設に人が流れていってしまう、といった心配の声も上がっています。

 東京の人たちは、あの日自分たちが帰宅困難になったことさえ忘れているように見えますが、いわきにいる被災者・避難者はいまもなお避難中なんです。終わったことのようにされてしまうことに、みなさん心を痛めて、それがやり場のない思いやストレスにつながっていると感じます。だからこそ、私たちはいわきの状況を外に伝えていかなければ、と思います。

Q  風化させないためには何が必要だと思いますか?

佐藤  シャプラニールとしてはいわき訪問ツアーを継続したいと思いますし、いろいろな機会を作って人に伝えていく活動が重要だと思います。映像の活動報告を作ったのもそのためです。シャプラニールが活動しているバングラデシュでも、原発事故が起きるとこういう事態になる、ということを伝えていきたいです。

 いわき訪問ツアー参加者が集まって経験をふり返る場も作りたいです。今度シャプラニールが行う「海外協力のつどい」というイベントでも、いわきのことを考える場を設けます。私が駐在員として活動を報告するだけでなく、相双地区の方のお話を直接聞ける場も必要だと思います。実際に避難されている人と会って話すことで、その後も双葉町や大熊町のニュースを身近に感じてもら
えますから。
 6月以降、私は東京の事務所に移り、広報および震災対応タスクフォースを担当します。引き続きいわきの活動に関わりながら、外への発信活動もしていきたいと思います。


IV 「よそもの」としてのNGOが果たす役割


Q  佐藤さん個人としてこの3年間で一番苦労したことは何ですか?

佐藤  私自身、会津の出身なので分かるのですが、活動をオープンに一緒にやることに躊躇するような県民性があるんです。「一緒にやりましょう」と呼びかけてもなかなか首を縦に振ってくれない(笑)。多分、県外から来られた人たちはその点でやりづらさを感じたのではないでしょうか。

 いわき市は非常に広いので物理的にも大変です。沿岸部、いわき市中心部、山間部で、考え方も震災に対する思いも異なるので、なかなか「オールいわき」になりづらい。いわき市内の被災というと津波被害ばかりに注目が集まりますが、実は中心部の市街地で家が地震の被害を受けたにもかかわらず罹災証明がもらえなかった、といったケースもあります。3・11後の4月11日にいわきを襲った地震による被害もあります。いわき自体も、さまざまに異なる被災を抱えてきたのです。だからこそ、「ぶらっと」のような場が役に立てば嬉しいです。

Q  逆にこの仕事をやっていて一番良かったことは何ですか?

佐藤  「みんぷく」に集まっている団体はもともと本来事業をもっていて、その上に被災者支援活動を始めたので、本当に大変だったろうと思います。その中でシャプラニールも一緒に活動させてもらえて、協働の活動を提案することができてよかったと思います。シャプラニールをともに活動する仲間として見てもらえるようになったことが嬉しいですね。

 実は今年3月、福島県社会福祉協議会から感謝状をいただきました。「ぶらっと」は知っているけど、シャプラニールの名前は知らないという人が多い中で(笑)いわき市の社協さんの推薦でこうして活動が認められたことは、私たちの活動が市民権を得たということですから嬉しいです。

Q  前任者の小松さんは『福島と生きる』の中で、外部から支援に入った団体として勝手に動くことは難しく、行政との信頼関係づくりに労力を必要とし、最初の数カ月は人生で一番胃の痛くなるような思いをした、と書いています。

佐藤  そうした地ならしを経たうえで、ようやくここまで地元の団体との関係を築くことができました。シャプラニールは国際協力NGOですが、日本の各地にシャプラニール連絡会を作っています。
 その一つ、シャプラニールいわき連絡会の吉田さんのネットワークに助けられました。さまざまな地域活動をしてこられた方なので、シャプラニールの名前は知らなくても、「吉田さんのところね」とすぐ認知してもらえました。それは、シャプラニールが全国に地域連絡会をもち、熱心に国際協力やシャプラニールを支持してくださるみなさんに支えられていることが大きいと思います。

 「みんぷく」では、私は「うるさい存在」と見られているんですよ(笑)。地元のNPOのスタッフのみなさんは、これまで行政や社協が同席する場では発言しにくいと感じていたようですが、私が遠慮なく発言するのを見て(笑)、「発言していいんだ」と思うようになったと言われました。それはシャプラニールという「よそもの」だからこそできたことだと思います。私たちはそういう役割を果たそうと意
識してきました。

 また、私自身がたまたま会津出身で、いわき出身でも相双地区出身でもない、かといってまったくの部外者ではなく同じ福島県人なので、利用者のみなさんも、なんとなく話がしやすいという側面もあったのではないかと思います。そういう意味で完全な「よそもの」でもない、という点もよかったのかもしれません。

 4年目の活動に入っていますが、時間の経過がそのまま自然と復興につながるわけではありません。被災されたみなさんの、それぞれの状況や思いにきちんと向き合い、丁寧に対話を重ねることで、今必要なことを「みんぷく」と一緒に着実に進めていけるように、いわきのチーム一丸となって取り組んでいきたいと思っています。


(2014年5月16日のインタビューをもとに構成。 インタビュアー/文責:『福島と生きるメールマガジン』)

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『福島と生きる』メールマガジン 特別号No.6 (2014年6月7日発行)
※『福島と生きる』メールマガジンは、『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』の共同執筆者の団体や活動の関連情報を発信していきます。

発行人=中野憲志・藤岡美恵子(『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』共編者)