「学校に行かなくてもいい社会」のために
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もう8年も前になるが、『学校のない社会への招待 -〈教育という制度〉から自由になるために-』という本を翻訳し、出版した。
著者の二人は、『脱学校の社会』を書いたイヴァン・イリッチの思想に深く共鳴した人たちである。
一人は文字通りの教え子で、もう一人は同じ志をもつようになった元メキシコ政府の役人で国連にも関わったことのある、在野の、上昇志向を捨てた、「土俵から降りた知識人」である。
『学校のない社会への招待』の原題は、Escaping Education、「教育から逃れて」である。
ボリビア、グァテマラ、メキシコ、米国、モ―リタリア(アフリカ)など、学校による「囲い込み」の被害に合い、自分たちの文化・アイデンティティをはく奪された先住民族や少数民族が、コミュニティレベルで「学校のない社会」を創造している・・・、そんな様子を記した、言わばルポルタージュである。
一方、イリッチの『脱学校の社会』は、De-schooling Society. 社会を脱学校化すること。
先週来、大津の中学校の「いじめ」問題でマスコミもネットもヒートアップしている。
あれやこれや、いろんな情報に触れるにつけ、これら二つの本の思想を少しでも日本に広げるにはどうしたらよいのか、そんなことばかりが頭によぎる。
そこで、私の知人・友人の中にも多くいる学校教師や大学教師、受験・教育産業関係者に提案がある。
せめて、日本を「学校に行かなくてもいい社会」にしようではないか。
私は大学解体論者で「学校なんていらない」論者なのだけれども、そこまでは要求しない。
せめてせめて、とりあえずは、日本を「学校に行かなくてもいい社会」にすることで手を打ちたい、譲歩したいと思う。
「学校に行かなくてもいい社会」になれば、当然、「大学に行かなくてもよい社会」になる。
どうだろう、意見は一致するだろうか?
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・高等教育修了者を95%に…民主次期公約へ
民主党の「大学改革ワーキングチーム」(座長=鈴木寛・元文部科学副大臣)は12日、高校生の学力を等級で示す「高校教育検定」(!)の創設や、大学や短大などの修了者を同学年人口の95%に増やす高等教育の量的拡大(ついに、出た!)を柱とした大学改革の報告書をまとめた。 新たに4兆円を投入する内容で、今月中にも党内の機関決定を行い、次期総選挙のマニフェストに盛り込む方針だ。
「高校教育検定」は、高校生の学力を教科ごとに「1~5級」で示し、級取得者に大学受験を認める仕組み。取得者には、各大学が論文や英検などで思考力や語学力を問うことで、2段階の選抜方法に転換する考えだ。
また、全国約800の大学を「学修大学」と「研究大学」に分けて機能を強化し国際競争力を高める。さらに、同学年の約70%にとどまる高等教育修了者を増やすことで、若年失業者を現在の約10%から3%へ減らす目標(!)を掲げた。(読売)
・国立大学の再編が本格的に始まる?
大学の国際競争力の向上などを目指して文部科学省が「大学改革実行プラン」(2012~2017<平成24~29>年)を策定しましたが、このうち国立大学改革の大きな柱とされているのが「一法人複数大学方式」(アンブレラ方式)による国立大学の再編です。具体化されれば、国立大学の姿はこれまでとは大きく変わることが予想されます。
国立大学は2004(平成16)年度から、行政改革の一環として法人化されました。現在は、「一法人一大学」の形を取っており、一つの国立大学法人が一つの大学を運営しています。文科省直轄だったころに比べて、各大学の自主性・自律性が高まり、大学の裁量権が拡大したのが特徴です。また、各大学の実績に応じた予算配分も進んでいます。
これに対して一つの国立大学法人が複数の国立大学を運営できるようにするのが、アンブレラ方式です。導入されれば、大学や学部の枠にとらわれない国立大学の再編が可能になります。
たとえば、一つの国立大学法人が所在都道府県の異なる三つの大学を運営する場合、A大学は社会科学系中心、B大学は理工系中心、C大学は教員養成系中心……といったように再編し、全体として効率的な運営が可能になるというわけです。これによって文科省は、国立大学の国際競争力などを向上させることができると説明しています。
ただ、文科省がアンブレラ方式を打ち出した背景には、国立大学の統廃合を阻止したいという狙いもあるようです。法人化前に国立大学は100校以上ありましたが、現在は86校(大学院大学を含む)に統廃合されました。ところが、統廃合の内容を見ると、同一県内にある国立大学と国立医科大学などの統合が中心で、総合大学同士の統合はありません。
これに対して財務省などは、国立大学の数が多すぎるとして統廃合の推進を強く求めています。アンブレラ方式によって国立大学を再編すれば、国立大学に対する予算の効率化が図れる一方、実質的に国立大学の数を減らさずに済むというのが文科省の考え方のようです。文科省は2013(平成25)年夏ごろまでに「国立大学改革プラン」を策定し、アンブレラ方式に向けた制度改正を検討する方針です。
しかし、独立した法人である国立大学がアンブレラ方式による再編を実施するかどうかは、各大学の判断に任されることになるため、どの程度の大学が導入するは不透明な部分があります。各国立大学はそれぞれの都道府県の中で中核的な役割を担っているだけでなく、都道府県のほうも地元大学の学部などが他県に移転することについて反発することは必至だからです。
とはいえ、国立大学同士の再編・連携がこれからの大きな流れになることは間違いないでしょう。一部の科目を在籍校とは違う大学で学んだり、1年間や半年間だけ違う大学に移ったりすることが当たり前になるかもしれません。また、学部再編では、都道府県ごとにある教員養成系学部を複数の県で一つにまとめることなども課題となりそうです。(Benesse教育情報サイト)
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日本は「学校に行かなくともいい社会」ではなく、子どもを「無理やりにでも学校に行かせる社会」である。
文科省が、中教審が、無理やりにでも、子どもを学校に、大学に行かせようとする。
既成政党のすべてが、無理やりにでも、子どもを学校に、大学に行かせようとする。
自治体が、教育委員会が、学校が、大学が、教師が、親が、無理やりにでも、子どもを学校に、大学に行かせようとする。
そして子どもが無理にでも学校、大学に行かないと、人生が開けないと思いこまされる社会である。
いったい「大卒者が95%の社会」なんて、どんな社会なのか。えげつないほど、キモイ社会ではないか? そのために新たに4兆円?
その次に待ち受けるのは、「大学院修士卒が95%の社会」である。『大学を解体せよ』でも書いたように、連中は本気も本気、真剣にそう考えている。
原発再稼働、オスプレイ、大増税、TPP、「尖閣諸島の国有化」と「大卒者が95%の社会」。
私たちはそういう日本社会の未来像を、そのためにこれだけの額の税金の拠出を、本当に望んでいるのだろうか?
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・東北電社員が原発推進発言 「やらせでは」会場騒然 仙台で第2回意見聴取会(河北新報)
「9人しかいない発言者の1人として東北電力の幹部社員が原発を推進する意見を述べたため、会場から不満の声が上がり一時騒然となった。発言者には首都圏在住者も3人選ばれており、被災地の反発を招きかねない運営方法に批判が強まりそうだ。