2012年3月3日土曜日

脱原発の「教育学」

脱原発の「教育学」


 ポスト「3・11」の、「隠喩としての被曝」に呪縛される社会は、原発問題が「放射能/放射線問題」に突然変異する社会である。 そして、「原発を考えるべき教育」が、原発を「横に置いて」、「放射線教育」となって子どもたちに行われる社会である。
⇒「放射線等に関する副読本の作成について」(文部科学省)
⇒「大学教員が「放射線」を指導 ~都内4大学と港区教委の連携事業で~」(日本教育新聞、2/21,「らでぃ」より)
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 「・・・[子どもたちは]放射線の飛跡が現れると、「すごい」「見えた」と歓声を上げた
 まとめとして森田氏は、「この実験のように、測ったり見たりできるものと知ったうえで、放射線と向き合ってほしい」とメッセージ。生徒からは、「いままで目を向けていなかったが、今後は放射線に関するニュースを注意して見たい」といった感想が出ていた。
 4大学と港区教育委員会では今後の連携について検討している。来年度は、「大学教員の指導で放射線の指導を含む質の高い授業づくりの研修も考えたい」
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 これはいったい何だろう?

 一方、「放射線教育」に反対する教師たちもいる。
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「放射線教育」に関する福島県教組の見解
福島県教職員組合
中央執行委員長
竹中柳一

 2012年度中学校学習指導要領の完全実施と福島第1原発事故を受け、文部科学省は2011年10月、小学校から高等学校の児童・生徒を対象とした放射線副読本を公表しました。また福島県教育委員会も文科省副読本に「準拠」した「平成23年度放射線等に関する指導資料」を11月に公表しました。
 これら「副読本」および「資料」は、原発事故によって苦しむ「フクシマ」の人々の現状や思いについて全くと言っていいほど触れておらず、学習指導要領に記されている学習のねらいである「エネルギー資源の利用や科学技術の発展と人間生活とのかかわりについて認識を深め」るための教材としては、あまりに一面的すぎると言わざるを得ません。

 3・11福島第1原発事故以降、「フクシマ」の苦しみの元凶「放射能」を生成する「原子力エネルギー」は、「エネルギー資源」として最低・最悪なものであることが明らかになりました。 さらにICRP(国際放射線防護委員会)とわが国の主な原子力関係者の基本理念である「リスク・ベネフィット論」(※後述)は、ぼう大な「フクシマ」への賠償・復興経費からも破綻しています。

 破綻した「エネルギー資源」の総括なしに、細分化された「放射線」「放射線利用」にのみ視点をあて、教材化することは、「フクシマ」の苦しみを無視しながら、従来からの原子力施策を正当化し擁護し、推進するための教育を継続することに他なりません。さらに文科省副読本の作製が電力会社の経営陣らが役員を務める財団法人「日本原子力文化振興財団」であることを見れば(毎日新聞2011・12・9福島版)、この副読本に準拠した「放射線教育」は、3・11以前と同様の理念に基づく原子力施策擁護・推進にあることは疑う余地がありません。

 最近、福島県内で教育行政が教職員に対し行う研修会の中で「原発には触れない」「原発に関しては中立的立場をとる」等の教育行政関係者からの「指導」がありました。これは、「中立」を装いながら、従来どおりの核利用施策の黙認を教職員に強いるものです。原発事故に今なお苦しみ、脱原発を願う県民からすれば、許し難い「政治的」立場です。原発事故で拡散した放射能が、子どもたちに全く心身への影響を及ぼさないという、科学的な「安全の証明」があるのでしょうか。

 福島県教職員組合は、原子力発電を含む核利用を、現社会の差別と抑圧のもとに成立する象徴的事象であるととらえ、3・11以前から一切の核利用廃絶を主張してきました
 私たちは「フクシマ」県民の苦しみに直面し、まさに「フクシマ」の未来そのものである子どもたちに対し、その苦しみの元凶である従来同様の「核利用教育」を推進することはできません。
 今後、11月に発足した福島県教組放射線教育対策委員会での分析・検討にもとづき、文科省副読本準拠の放射線教育に対する問題を明らかにしながら、望ましい「フクシマ」の子どもたちの「学び」を追求・検討し、発信していきます。

「リスク・ベネフィット論」
 すなわち、核兵器・原子力開発から得られる利益を受けようとすると、その開発に伴うなんらかの放射線被曝による生物学的リスクを受け入れることが求められる。許容線量値を、その利益とリスクとのバランスがとれるように定めることが必要である。
 社会的・経済的な利益と生物学的な放射線のリスクとのバランスをとることは、目下のところ限られた知識からは正確にはできないが、しかし欠陥は欠陥として認めるなら、現時点で最良の評価を下すことは可能である。そのような意味で低線量被曝のリスクを評価するなら、このリスクの大きさを決める要因である公衆の許容線量を、人類が歴史を通じて曝され続けてきた自然放射線のレベルと関係づけて考えるべきである。
 リスクと利益(ベネフィット)のバランスをとった公衆の許容線量は、自然放射線の年間100ミリレム(1ミリシーベルト)をあまり大きく超えないようにすべきである。(中川保雄「増補放射線被曝の歴史」明石書店2011)
※高校版副読本P20「コラム」には、「リスクとベネフィット」という題名で趣旨が掲載されている。
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 「放射線教育」が「一面的すぎる」から、また「リスク・ベネフィット論」が「破綻した」から、「放射線教育」に反対するのだろうか?
 福教組、というより日教組は、本当に、あるいはどれだけ「原子力発電を含む核利用を、現社会の差別と抑圧のもとに成立する象徴的事象であるととらえ、3・11以前から一切の核利用廃絶を主張してき」たのだろうか? 私は小・中・高、すべて公立の学校を出たが、学校現場で「一切の核利用」を「廃絶」すべきという「教育」を受けた記憶がない。そういう「教育」がなされたのだとしたら、きっと私が高校を卒業してからの話に違いない。
 

 福島市の子どもたち3万4千人が、昨年9月から「被ばくした積算放射線量を計測する小型線量計」を持たされることが決まった6月半ば、こんなことを書いた
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 「・・・「線量計」を子どもに持たせたとして、「基準値」を上回ったとして、どういう「健康管理」を市が子どもにするのかが、私にはイメージできない。そのことが違和感を増幅させるのである。
 もう一つは、福島の「大人たち」(教育行政)が、原発問題を子どもたちにどのように説明しているのか、という問題である。何のために毎日マスクをするのか、教室の窓を閉め切るのか、校庭で遊べないのか、寄り道してはいけないのか、「線量計」を持ち歩かねばならないのか。 「原発のせい」ということは、子どもだって分かっている。で、そこから何を「大人」は子どもに語るのか? 「線量計」を持たせることより、持たせるからこそ、もっと大切なこと。
 福島の学校教育は、教師たちは、これまで原発をどう子どもに教えてきたのか、これからどう教えてゆくのか。教科書はどうする? 補助教材は? 国の方針が決まってから? 日本はこれから原発について、子どもに何をどう〈教育〉するのか? 
 子どもたちは、これから決まるであろう(何も決まっていない)福島第一原発の5、6号機の廃炉問題、7、8号機建設計画問題、第二原発の廃炉問題について、何の決定権も持たない。それを決めるのは子どもに「線量計」を持たせる大人たちだ。福島の大人たち、県・市町村、学校/高校/大学教師たちは、この問題をきちんと子どもに説明し、考えさせる義務がある。大人が何を決めるにせよ、その決定を一生背負っていかねばならないのは子どもたちだからである」
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 上の「?」に対する国(文部科学省)と県、自治体の回答、それが「放射線教育」である。
 「脱原発宣言」を発した福島県、市町村は、「脱原発宣言を発した福島の人間」を育てるために、どのような「教育」をこれからするのだろう。それが少なくとも「放射線教育」(のみ)ではないことは、誰の目にも明らかではないか。
 ところが。自治体や教育委員会にとっては「明らか」ではなかった。 だから、福教組が声明を発したのである。
 〈現場〉の教師と子どもたちの「たたかい」が始まっている。

 「隠喩としての被曝」に呪縛される社会の、脱原発の「教育学」のカリキュラムとそのコンテンツとは何か?
 私たちが未来に背負ってしまった、重い、重い宿題だ。
 改めて、脱原発の〈思想〉と〈科学〉が、(国際)NGOどころではない、大学という制度と大学研究者の役割や責任が問われている、と痛感する。
 
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福島2号機温度計また異常値 第1原発、監視対象外に
 東京電力は3日、福島第1原発2号機の原子炉圧力容器底部で、温度計の一つの値が異常に上昇し、正しい値を示していない可能性があるとして監視対象から外したと発表した。 東電によると、原子炉内の湿度が高く故障したのではないかといい、参考値(???⇒何と「参考」するのか?)として監視を続ける。
 2号機では、2月に圧力容器の別の温度計の値が上昇、燃料を冷却できなくなったのではないかと懸念されたが、東電は故障と判断。その後も故障などが相次いで判明し、現在使用できるのは15個。(共同)
⇒「数値に翻弄される社会」(2/13)

放射線教育 福島の実践に学びたい
 子どもたちに放射線をどう教えるか。
 学習指導要領が改訂され、来春から中学の理科に放射線教育が約30年ぶりに復活する。東京電力福島第1原発事故を受けての授業となるだけに、教師たちの間には戸惑いも広がっている。  いち早く取り組みを始めた福島県郡山市の明健中学校の公開授業を取材し、放射線教育の在り方を考えてみた。

<屋外活動は3時間に>
 公開授業を行ったのは、理科を教える佐々木清教諭と1年5組の生徒たちだ。  学習指導要領では放射線は3年理科で学ぶことになっている。1年生から始めたのは、放射線のことを知りたいという生徒たちの強い声があったためだ。  佐々木教諭は毎年、新聞記事を材料に環境をテーマにしたリポートを課してきた。身の回りの環境問題に関心を持ってほしいとの願いからである。  今年は1年生145人のうち、6割強が放射線を選んだ。
 3月11日。郡山市も強い揺れに襲われ、部活などをしていた生徒が校庭に避難した。原発事故後は放射性物質により校庭が汚染され、除染作業が行われた。  生徒たちは積算線量計を常に身につけ、屋外活動は1日3時間に限られる。放射線リポートは、こうした日常を反映したものだ。
 佐々木教諭は事故直後から独自のネットワークを使って、事故の実態や影響を調べていた。何度も東京に足を運んで専門家のシンポジウムや研究会に参加し、授業案を練っていたところだった。生徒たちの関心の高さに驚き、1年生の授業を決めたという。  伊藤幸夫校長や市教委とも相談し、今月18日の公開授業に踏み切った。県内外から約30人が訪れ、関心の高さをうかがわせた。
<自分で判断する力を>
 佐々木教諭の授業の特徴の一つは、データを示し何が読み取れるかを考えさせる点にある。
 例えば、除染後の校庭の放射線量を数カ所で測ってグラフにし、一カ所だけ高くなっている理由を生徒たちに聞く。グループで話し合った結果、除染後の土が一カ所にまとめられているから、との推論が導かれるといった具合だ。
 特徴の二つ目は、生徒が自身の調査を発表し、それに基づいて考えを述べることにある。  山川莉沙さんは、郡山、南相馬、二本松、いわき市の放射線量の変化を1カ月ごとに調べてグラフにした。「4月から少しずつ減少しているが、大幅な減少は見られない」「このままでは私たちは長い間、放射線と向き合わなければならなくなる」。これが山川さんの判断だ。  そのうえで「福島県から離れることを考えている人もいると思います。でも、福島県はとてもいいところです。福島を復興させるのは私たちです」と訴えた。
 戸上拓人君は、市内の11河川の放射線量を川底、河原に分けて測定した。そのデータをもとに「11河川の川底の放射線量の値はあまり大きくない。今後も安心して継続して水質調査を行っていきたい」と報告した。  授業終了後に話を聞くと、こんな答えが返ってきた。「僕は自分の生まれた土地から離れるつもりはありません。将来は医者になって、限りある命を救っていきたいと思います」
 福島の生徒たちにとって、放射線を学ぶことは切実な課題なのだと痛感させられた。  佐々木教諭は、内部被ばくと外部被ばくや原発の仕組み、福島第1原発の事故などについても授業を進めていくという。「データを読み取り、自分で判断し、考え、活用する力をつけさせたい。それが、3・11以後を生き抜く力になると思っている」

<原発をどう教えるか>
 授業後に県内外の参加者たちが論議を交わすなかで、さまざまな課題も浮かんできた。  とくに問題なのは、原発をどう取りあげるかである。
 「原発関連の仕事をしている人も多く、扱い方が難しい」といった悩みが出された。一方、社会科の教師からは「歴史、地理など幅広い教科のなかで、原発を推進してきた歴史やエネルギー問題などを取りあげていく必要がある」との提案があった。 難しさはあるにしても、原発に踏み込まない限り、説得力ある授業は展開できないだろう。
 文部科学省は10月に小、中、高校生向けの放射線の副読本を公表したが、原発事故についての記述は極めて薄い。教師たちが文科省の副読本を中心に授業を進めるとすれば、福島県が置かれている重い現実が抜け落ち、通り一遍の知識に終わる心配がある。
 長野県教委によると、放射線教育はこれからだ。教師向けの講習会なども準備しているという。
 現実を踏まえた授業が必要だ。福島発の教師や子どもたちの実践から学ぶ—。そんな姿勢を大切にしたいと思う。(信濃毎日 2011/11/24)
 ↓
 「東京の子どもたち」と「福島の子どもたち」の反応、また「授業」に取り組む側の姿勢の「落差」は何を物語っているのだろう?

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〈「原発いらない 地球(いのち)のつどい」参加企画>
【被曝労働の実態 切り捨てられる下請労働者】
--映画『原発はいま』上映と斉藤征二さん講演会 
・日時:2012年3月10日(土) 10:00開場
・場所:郡山市労働福祉会館 第4会議室
〒963-8014 福島県郡山市虎丸町7-7
http://www.bunka-manabi.or.jp/kaikan/
・参加費:無料
■プログラム
10:30 映画上映:『原発はいま』
11:30 質疑と情報交換
(12:00-13:00 昼休み)
13:00 講演:斉藤征二さん(元・原発下請労組分会長)
     「被曝労働の実態 切り捨てられる下請労働者」
14:00 質疑・討論(これからの取り組みについて)(15:00 終了予定)
■講師・上映内容紹介
斉藤征二さん
 元・原発下請労組「全日本運輸一般労働組合原子力発電所分会」分会長。81年、敦賀原発で汚染水の漏洩事故隠しが発覚し問題となったことがきっかけで、やはり自分たち原発下請労働者のおかれた労働環境は異常なのだと認識し、20項目の要求を掲げて労働組合を結成。200人弱の下請労働者を組織して運動を展開した。3.11以降、全国各地で原発下請労働の実態を伝える取り組みを精力的に続けている。
記録映画『原発はいま』 1982年/49分/カラー
企画・制作:運輸一般関西地区生コン支部、映像集団8の会
 「第三の火」と呼ばれた原子力。そのエネルギー源としての未来はバラ色であろうか。原子力発電の安全神話は原発事故によって脆くも崩れた。その原発を支えている「被曝要員」と呼ばれる下請け労働者たち…。匿名の証言、極秘資料、隠し撮りなどによって、彼らの恐るべき労働実態を明らかにしてゆく。
 日本で唯一結成された原発下請労働者の労働組合の取り組みと地域社会の姿から、原発の実態を告発し私たちのあり方を問う。
主催:被ばく労働を考えるネットワーク(準)・自治労郡山市職員労働組合・全国一般いわき自由労働組合・全国一般ふくしま連帯ユニオン連絡先: tel 024-973-6794  fax 024-973-7529
※詳細は以下のサイトをご参照ください。
http://2011shinsai.info/node/1820
http://onna100nin.seesaa.net/article/251821076.html

★★★ 震災とジェンダー ★★★
3月10日(土)13~17時 郡山市労働福祉会館
◆映画上映「Labor Women」
性別や人種などに対する差別、長時間で重労働・低賃金などの悪条件に対し、その改善をめざして労働者たちが連帯し、たたかう姿、労働運動を描く。2003年/監督:レニー・タジマ/アメリカ/36分/字幕:日本語
◆避難母子支援活動報告 
しんぐるまざあず・ふぉーらむ 理事 大矢さよ子さん
◆震災と女性労働
ペイ・エクイティ・コンサルティング・オフィス(PECO) 屋嘉比ふみ子さん
◆福島での取組みと今後の展望    
女性の自立を応援する会
◆脱原発の運動と女性たち
原発いらない福島の女たち 黒田節子
◆全員参加型で自由に意見交換をしましょう!
共催:全国女性シェルターネット、しんぐるまざあず・ふぉーらむ、女性の自立を応援する会
連絡先:024-983-9558  E-mail peco-08@ares.eonet.ne.jp