2012年3月14日水曜日

脱原発と「人間のための医療」

脱原発と「人間のための医療」

 先週の土曜から二泊三日で福島をまわった。いわき、郡山、二本松、南相馬、三春に行き、いろんな人びとの話をきいた。 告白をすれば、かなり頭の中が混乱してもいるのだが、今回の小さな旅で考えたことを何回かに分けて書こうと思った。その第一弾である。


 「脱原発・福島県民大集会」が開かれた11日の午前中、「福島での診療所づくりー今、なぜ?どんな?」と題した「テーブルトーク」に参加した。
 参加したのには理由がある。私自身、去年のクリスマスに相馬と南相馬の仮設住宅を回り、「福島での診療所づくり」が必要ではないかと考えていたからである。 「資格社会と専門家の資質--相馬と南相馬で考えたこと(3)」の中で、次のようなことを書いた。

  「[仮設住宅」を回って]わかったことの一つは、こうした諸々の[地域医療の]制度化された「壁」が、いざ今回のような大規模な惨事、しかも「原子力緊急事態」までが併発した大災害の発生時の救援活動や、その後、必然的に長期化する支援活動において、おそろしいほど被災者や被ばく者への〈支援〉を阻害し、人々の「二次被災」「三次被災」を招いている側面がある、ということである」。

 昨秋以降、福島に診療所を作ろうという動きがあることは、脱原発情報に詳しい人なら知っているだろう。
 福島における「地域医療の制度化された壁」が、福島の人々、とりわけ子どもや女性たちへの診療活動を「阻害」してきた現実を含めて、私たちは耳にしてきた。
 しかし、私たちが「耳にしてきたこと」は、私にとっては「にわかには信じがたいこと」でもあった。
 「そんなことは現実にはありえない/あってはならないこと」と、どこかで思い込んでいたところがあったのだ。自分の目や耳で直接確認するまでは、不用意に公言することはできないと考えてきた。
 結論的に言えば、今でも「にわかには信じがたい」ことが、福島では「現に起こってきたこと」だと認めざるをえななくなった。今ではそう考えるようになった。

 しかし、そう考えるようになって頭の中がかなり混乱していることも事実である。それはこういうことである。
 昨日、原子力安全委は、大飯原発3、4号機の「ストレステストなるもの」の結果を「問題なし」と追認する見込みだという報道が流れた。再稼働に向け、あとは野田政権の「地元合意」?を前提にした「政治判断」?を残すのみ、という状況がある。
 こうした現状において、停止中原発の再稼働問題を改めて考えるにあたり、原発災害時におけるこの「地域医療の制度化された壁」を考慮に入れることがとても重要ではないかと私は思う。それ自体が虚構の「原発の工学的耐性」のみによっては保障も保証もされえない、「市民の安全・安心」の制度的保障と保証を含む「原発の社会的耐性」を考える論点の一つとして。

 けれども、もしも福島において「にわかには信じがたい」ことが、「現に起こってきたこと」なのだとしたら、ただの市民、住民たる私たちにどのような「希望」があるだろう? 私は今でも、混乱している。
 以下では、私の「混乱」を述べる前に、まず論点整理をしておきたいと思う。読者自身も自分が生活している自治体や現場に引きつけて考えて頂きたい。


 福島診療所建設委員会はこのように言う。
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今、福島で切実に求められているのは、心と健康の拠り所となる診療所建設です。
 福島の子どもたちは放射能汚染による被ばくに日々さらされ、心身ともに息苦しい状況を半年以上も強いられています。お母さんたちの心配も、除染で取り除かれるわけではありませんし、子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません。
 今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう。
 チェルノブイリの子どもたちには、甲状腺肥大とホルモン異常、貧血、頭痛、心肺機能の低下、免疫低下、加齢化の加速的進行、そしてガンの発症など、放射能被ばくによる様々な疾病が報告されています。

これまでの近代医学の概念を越えた幅広い総合的な取り組みが必要となります。
 予防医学の原則に立ち、人間本来の自然治癒力を促す代替医療をも視野に入れた総合医療と、防護を念頭においた食卓、暮らしの見直しなど、いわば「生活革命」をも提案できる開かれた場が不可欠でしょう。
 診療所建設は決して簡単なことではありませんが、全国のみなさんの力をひとつにできれば絶対に実現できます。
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 「今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう」・・・。
 しかし、「すぐに相談できる診療所」の建設は、何も市民が行うべき性格のことではない。福島県は県として、その医療行政において、こうした診療所の建設を県民に対して保障する行政責任があるからだ。
 県の医療行政を「医学」の側面から担うのが、福島県立医大である。まさにそのために福島県立医大には、「地域・家庭医療学」という名の「講座」が設置されている。福島県民は、その事実を知っているだろうか。
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福島県立医大・地域・家庭医療学講座
 2011年3月11日より、大きな使命が福島県立医科大学には課せられました。このような状況だからこそ、家庭医療の力が必要とされており、強い志を持ったメンバーが、福島の復興に少しでも役に立てるように真摯に医療に取り組んでいます。福島で家庭医療が大きく羽ばたくことを願いながら・・・。

 ・・・「家庭医療」とは、どのような問題にもすぐに対応し、家族と地域の広がりの中で、疾患の背景にある問題を重視しながら、病気を持つひとを人間として理解し、からだとこころをバランスよくケアし、利用者との継続したパートナーシップを築き、そのケアに関わる多くの人と協力して、地域の健康ネットワークを創り、十分な説明と情報の提供を行うことに責任を持つ、家庭医によって提供される、医療サービスです。
 よくトレーニングされた「家庭医」は、健康問題や病気の約8割を占める「日常よく遭遇する状態」を適切にケアすることができ、各科専門医やケアに関わる人々と連携し、患者の気持ち、家族の事情、地域の特性を考慮した、エビデンスに基づく「患者中心の医療」を実践できる専門医です。
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 「どのような問題にもすぐに対応し、家族と地域の広がりの中で、疾患の背景にある問題を重視しながら・・・」。「患者の気持ち、家族の事情、地域の特性を考慮した、エビデンスに基づく「患者中心の医療」を実践・・・」。
 スタッフが20人以上もいる、しかも「各科専門医やケアに関わる人々と連携」しているはずのこのような「講座」が存在するというのに、福島の人びとはなぜ「子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません」と言わねばならないのか?
 その理由は、以下のようなことであるらしい。「にわかには信じられないこと」ではあるのだが。
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福島県の横暴、福島県立医大の悲劇(小松秀樹)
3.被ばく者健康管理
福島県・福島県立医大は浜通りの被災者から信頼されていません。この状況で無理に健康管理を県民に押し付けても、さらなる離反を招くだけではないでしょうか。理由を思いつくままに箇条書きにします。 
1)福島県立医大は、原発事故後、浜通りの医療機関から一斉に医師を引き上げた
2)福島県立医大は、被災地で本格的な救援活動をしなかった
3)福島県は、南相馬市の緊急時避難準備区域に住民が戻った後も、法的権限なしに、入院病床を再開するのを拒否し続けた
4)福島県立医大副学長に就任した山下俊一氏は、原発事故後早い段階で、過度に、安全・安心をふりまいた。子供の被曝を助長した可能性があると親たちから恨まれた。被災地の住民の中でリコール運動が起きている。

5)福島県・福島県立医大は、放射線被ばくについての被災者の不安が強かったにも関わらず、健康診断や健康相談を実施しようとしなかった。しびれを切らした市町村が、県外の医師たちに依頼して健診を始めたところ、県はやめるよう圧力をかけた。急がないといけない場所についても、県は除染を開始しようとしなかった。このため、市町村が外部の専門家と一緒に除染を開始した。
6)福島県は、健診に一切寄与しなかったにもかかわらず、地元の市町村が独自に行った健診結果を県に報告せよ、ついては、個人情報を出すことについての了 解を地元で取れと指示した
 県や福島県立医大の職員は、健診場所に来ていない。常識外れの傲慢な行動と言わざるを得ない。

7)地元の病院には、甲状腺の専門家や甲状腺の超音波検査に習熟した技師がいない。そこで、地元の病院の院長が、他県の専門機関の協力を得て、小児の甲状腺がんの健診体制を整えようとした。講演会や人事交流が進められようとしていた矢先、専門機関に対し山下俊一氏と相談するよう圧力がかかり、共同作業が不可能になった。関係者はこれまでの経緯から、福島県が横やりを入れたと推測した。
8)福島県立医大は、学長名で、被災者を対象とした調査・研究を個別に実施してはならないという文書を各所属長宛てに出した。行政主導で行うからそれに従えとの指示である。
9)福島県・福島県立医大は、住民の生活上の問題や不安に向き合おうとしてこなかった。福島県の健康調査について、住民は、実験動物として扱われていると感じ始めている。
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 一つ一つに関し、その真偽のほどは私にはわからない。また、単に県と県立医大のみの問題とも思えない。
 しかし、去年の12月そして今回と、私は福島で「仮にすべてそうであったとしても不思議ではない」と思わせるに十分な「証言」の数々を得た。 その中には福島で、とある診療所を開いている人から直接聞いた「証言」もある。
 これをどのように考えるべきか? たとえば、福井県で、あるいは北海道、青森、宮城、茨城、新潟、石川、静岡、島根、山口、愛媛、佐賀、鹿児島で福島と同規模の原発「事故」が起きた時に、いったい私たちはどうなるのか?
 各自治体の「地域医療」、国立大学や公立・私立大学の「医学部」は、ほんとうに私たちを守り、治療し、ケアするかどうか・・・。 福島県と県立医大、また各自治体の医師会が福島県民に対して行ったことは、私たち自身に対しても行われたであろうことだと理解すべきではないのか?
 「テーブルトーク」の場で、参加者を前に、実情を訴えかけるように説明しながら突然泣き出した、ある母親の話に耳を傾けながら、私はそんなことを考えていた。 他人事ではないのだと。

⇒「「原子力緊急事態」: 国と自治体の責任を問う、ふたたび」につづく

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「福島県民の被ばく、回避を」  現地に測定所開設 北杜の岩田さん 身体、食品の線量も検査 (山梨日日)
福島避難母子の会in関東事務所
東京都品川区戸越5-14-17ドゥエル藤博202(※階段を上って2階)
(東急大井町線戸越公園駅徒歩5分/東急池上線荏原中延駅徒歩5分/都営浅草線戸越駅徒歩7分)
お問い合わせはhinanboshi@yahoo.co.jpまで

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福島の教訓生かせず 斜面の全13原発、安全確認できず(産経)

大飯原発、活断層連動でも安全維持 関電、保安院は追加データ要請
 経済産業省原子力安全・保安院は12日、若狭湾周辺などの活断層の連動性について専門家による意見聴取会を開いて審議した。福井県の大飯原発周辺の活断層をめぐり関西電力は連動を考慮する必要はないとあらためて説明する一方、仮に連動した場合でも、ストレステスト1次評価で安全性が保たれるとした基準地震動の1・8倍は下回るとした。保安院は根拠となるデータの追加提出を求め、28日開かれる意見聴取会で見解を出す方針。
 大飯原発周辺には、熊川断層と二つの海底断層がある。前回会合では委員が連動を否定するにはデータ不足と指摘し、再度説明を求めていた。 今回、関電は新たなデータを示し、連動は考えにくいと再説明。ただ、委員は断層同士の間に変動地形があると指摘し、連動を考慮しておくべきだとの意見が相次いだ。 関電は、念のため連動した場合の検討結果も説明。地震動を算定し基準地震動と比較しても1・8倍を下回り「連動地震が発生しても問題がないことを確認した」とした。
 委員からは「暫定的な結論としてはありえる」との意見も出たが、保安院は評価があいまいな点があるなどして追加データの提出を要請。地震動の専門家から意見を聞くなどして28日に最終判断する方針を示した。(福井新聞)

大飯3、4号再稼働なら積極対応を 嶺南議員、県会特別委で意見
 福井県議会は12日、原発・防災対策特別委員会を開いた。全国の原発でストレステスト(安全評価)の手続きが最も進んでいる関西電力大飯原発3、4号機をめぐり、嶺南選出の議員から「再稼働するのなら夏場に間に合うようにしてほしい」(吉田伊三郎委員=自民党県政会)などと県の積極的な対応を求める声が上がった。一方で、中川平一委員長が「百パーセントの安全はない。慎重の上にも慎重に対応を」と指摘するなど、安全性を厳格に見極めるべきだとの意見も出た。
 敦賀市の石川与三吉委員(自民党県政会)は、原発の長期停止による地域経済の悪化などを挙げ「(再稼働に向けた)福井県の思いを伝え、国にイエスかノーかを迫るべきだ」と主張。若狭町の吉田委員は、東京電力福島第1原発事故の知見を反映した暫定的な安全基準が国から提示されれば県は迅速に審議を進めるよう促した。 安全基準が示された場合の対応について石塚博英安全環境部長は「(基準の)中身次第。原子力安全専門委員会や議会の意見を聴くが、期間は決めていない」と述べた。
 嶺北の議員からは「国の安全規制の体制に問題があった。4月に発足する予定の原子力規制庁で担っていけるか、県としても見極めていかないといけない」(石橋壮一郎委員=公明党)などと慎重な意見も出た。 中川委員長は、暫定的な安全基準で再稼働を判断する県の姿勢を支持した上で「どんな対策を取っても(過酷事故の)可能性はゼロではない。福島で起こった事故は(他の原発でも)起こる可能性が必ずあるということを前提に今後の原子力行政を進めてほしい」と強調。再稼働を慎重に判断するよう県に求めた。(福井新聞)
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 福島で「現に起こったこと」は原発の「安全規制」や「原子力規制庁で担っていけるか」云々のレベルの問題ではない。いわば厚生労働省の管轄事項、「所掌事務」に関する事柄である。
 より正確に言えば、原発災害時における被災・被爆者医療という観点に照らし、国に自治体側の「医療行政の不在」に対して「行政指導」を行う法的根拠および制度そのものが存在しない中で、市民の側からいかにすれば国と自治体による被災・被爆者切り捨て・遺棄の共犯関係を告発→提訴することができるか、と同時にいかにすればそうした現実を克服することができるか(そんなことが果たして可能か?)という〈問題〉として提起されているわけである。
 われわれは、ただひたすら逃げるしかない?