2012年3月5日月曜日

僕が「ハシズム」と言わない理由--あるいは、「戦後官制の確立」について

僕が「ハシズム」と言わない理由--あるいは、「戦後官制の確立」について


 現実の戦争の場面では、突撃が「玉砕」になってしまうことや、援護射撃のつもりが味方を撃ち殺してしまう場合もある。悲惨だ。誰の責任だろう? それと似たようなことが、政治の場面でも起こる。 「橋下イズム」をめぐる「攻防」において、まさに今、そういう「悲惨な、汚い戦争」がたたかわれている。
 戦争がそうであるように、政治の世界でもこういう攻防の犠牲になるのは、ただの市民、民衆、「ただの大阪の人間」である。 「突撃」を命令したり、「援護射撃」をしているつもりの「連中」は、そのことがわからない。このままでは悲惨な結果に終わってしまうだけだ、ということがわからない。
 私のような「ただの大阪の人間」がすべきことは、一つしかない。「維新の会」内部、「外人・傭兵部隊」にしろ、「義勇軍」にしろ、大阪の「仁義なき戦い」に参戦している「連中」が放つ言説・政策が、どのような立ち位置から、誰の利害を代弁するものかを、しっかり見極めることである。


 橋下「改革」路線を指して、「ハシズム」と呼ぶ人々がいる。橋下市長の「強権」的な「政治手法」を批判するために、「ファッショ」的/「独裁」的という表現を使い、「ファシズム」を連想させるためだ。ここでは「ファシズム」が「橋下イズム」の隠喩となる。
 たんなる政治的風刺として使われる場合でも、「ハシズム」はよくない。なぜなら、、「ハシズム」には「ファシズム→いつか来た道→戦前への螺旋的回帰」という意味合いが込められており、実際にそのように使われているからである。 しかし、これは「橋下イズム」を分析する視点、批判する方法において誤っているだけでなく、〈問題の所在〉を隠ぺいする機能を果たす。

 「橋下イズム」を評価/批判する視点は、「大阪都構想」がほんとうに「中央からの自律としての大阪の自治」を実現しうるかどうか、にある。もっと言えば、それが「地方公共団体」としての「大阪の行政サーヴィス」にどのような変化をもたらすか、にある。


 戦後、1952年まで続いたGHQ占領統治のさなか、大阪、名古屋、横浜などの「政令指定都市」において、「分離独立運動」が起こったことを知っているだろうか。その事実を知らない人は、「戦後史」をどうかひも解いてほしい。
 この、全国の「政令指定都市」における「分離独立運動」の挫折と敗北、それが「橋下イズム」の戦後的源流である。
 
 自治労(府/市職労)や日教組(府/市教組)の〈問題〉で言えば、60年以上前の分離独立運動の敗北が、その後の自治労の「自治」の解体や「教育の自治」の解体につながってきたこと、そこからもう一度「戦後」を総括しないかぎり、組織の再生はありえない。そのことを「執行部」は知る必要があるのではないか。「橋下イズム」を「ハシズム」などと呼んで、「小さな既得権」防衛に走っている場合ではない。

 では、なぜ戦後「分離独立運動」が挫折し、敗北したのか? その理由はただ一つ、「戦後官制」の確立にある。


 ここで、もう一度、「行政改革会議」の「最終報告」を読んでみたい。
 「行政改革会議」の「最終報告」は、歴史的文書であると同時に、日本の官僚機構の特質および「戦後官制」の確立、さらにはその一般的傾向をとてもよく捉えている。
 たとえば、「Ⅰ行政改革の理念と目標~なぜ今われわれは行政改革に取り組まなければならないのか~」の
「2 「この国のかたち」の再構築を図るため、まず何よりも、肥大化し硬直化した政府組織を改革し、重要な国家機能を有効に遂行するにふさわしく、簡素・効率的・透明な政府を実現する」では次のようなことが書かれている。
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 限られた資源のなかで、国家として多様な価値を追求せざるを得ない状況下においては、もはや、価値選択のない「理念なき配分」や行政各部への包括的な政策委任では、内外環境に即応した政策展開は期待し得ず、旧来型行政は、縦割りの弊害や官僚組織の自己増殖・肥大化のなかで深刻な機能障害を来しているといっても過言ではない。
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 簡単に言えば、「官僚専制」とは、与党が「行政各部」へ「包括的な政策委任」(政策立案作業の丸投げ)をするような体制のことだ。そして、「戦後官制の確立」とは、霞が関=「東京」=中央にその権威と権限、〈権力〉が集中したことを言う。

 与党が官僚機構に政策立案を「委任」しているのであるから、必然的に与党は官僚機構の「手の平」に乗ることになる。官僚は「行政サービスの充実」の名のもとに自らの身分・待遇の改善・向上、影響力の拡大をはかる「政策」を「立案」し、内閣を通じて立法化する。その結果、「官僚組織の自己増殖・肥大化」が起こる。 中央においても、「自治」をはく奪され、霞が関への「隷属」状態に置かれた地方(大阪、名古屋、横浜、札幌、仙台、京都、神戸・・・・)においても。

 この「隷属」状態において、「ふるさとを捨てた/売った連中」のconversionが起こる。精神/アイデンティティが「根こぎ」にされてゆく者たち。「戦後的市民」の誕生? たたかわない/たたかえない自治労に日教組。そして(国立)大学・・・。リストははてしなく続く。「裏切りの精神現象学」。
 ジリ貧的に後退戦を強いられ、「大衆」からの離反をきたし、「組織率」の低迷と「既得権」の防衛戦に走る/走らざるを得なくという「悪魔のサイクル」・・・。
 関係者の誰もが「慙愧にたえない」「じくじたる思い」を内面化してきたと思うのだが、これが「戦後官制」がもたらした2012的現実である。


 『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』は、安保問題において、この「戦後官制」がもたらした現実=「永遠の安保、永遠の米軍基地」の政治的・法的根拠を解明しようとした。この書に、「安保問題」を論じる他の書にない「価値」があるとしたら、その一点のみである。そしてそのことが一番重要であり、決定的なことだと私は考えている。

 この書の「まえがき」に、「戦後行政学」の古典的テキスト、辻清明(東大法学部教授)が書いた『日本官僚制の研究』の「戦後の統治構造と官僚制」の一節が引用されている。

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 終戦以後、わが国の国会や政党は、果して、官僚の機構に対して、どれだけの努力と成果を示しているであろうか。この点に関するかぎり、見るべき成果をほとんど挙げていないといっても、決して誇張の言ではない。現に、かれらが、選挙の際に仰々しく並べ立てる公約には、常に美辞麗句に充ちた政策内容が盛りこまれているが、それを何人がいかなる方法で実現してゆくかという肝腎の政策遂行の過程の問題になると、ほとんど口を緘して触れようとしない。

 占領期間中、なんらかの意味で、官僚制の民主化を匂わせてくれた政策は、地方自治であれ警察であれ、公務員制であれ、ことごとく、占領軍当局のイニシアチーブに基づいていた。党の化石化した命脈と硬化した中枢を、絶えず隠退高級官僚の多年にわたる専門能力と職権網によって輸血し、頻繁な更迭を通じて、無冠の陣笠議員に大臣や次官の栄職を大量に分配して、かれらの官尊意識を充たしながら、既成の官僚機構と密着している自由党や自民党の保守政党ならいざ知らず、進歩政党を標榜して政権を獲得した片山内閣ですら、当時の西尾官房長官の告白によれば、戦前の官吏制度に対する改革は、なにひとつ考慮に上っていなかったという不甲斐ない状態であった……。

 明治以来のわが国統治構造の中枢は、占領政策の唯一の代行機関となることによって補強され、あたかも利用されたかのごとき外観の下に、逆に一切の政治勢力を利用できたのである。戦前と同じく、戦後の国会も政党も、華々しい衣裳は纏っていても、けっきょく精緻な官僚機構の舞台で、踊っていたといえるであろう。
 まことに、わが国の官僚機構は、強靭な粘着力の所有者であった。(二八〇〜二八一頁)
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 辻がこの論文を書いた一九四九年の大晦日、連合国軍総司令部(GHQ)はPolitical Reorientation of Japan(日本の政治的再方向づけ)と題された「戦後改革」に関する総括文書を発表している。
 『〈官制〉の形成』(日本評論社、一九九一)の著者、赤木須留喜によれば、総括文書は、
「封建的・全体主義的日本のとりでのなかで、官僚制は無傷のまま存続している。この官僚制は、しっかりと占領期を生きぬいていくことであろう。そして日本の将来の形成にさいして決定的な役割を果すであろう」
と述べ、さらに、
官僚制構造には改革の兆しは見られない」「現存する官僚制がその制度を改革しようとすることはないし、また、改革する能力もない」と戦後四年を経た官僚制国家日本の「診断」をしていたという(四八四頁)。

 辻の「戦後の統治構造と官僚制」とGHQの総括文書がともに、サンフランシスコ平和条約と旧安保条約(「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」)の締結(一九五一年九月八日)の二年前に書かれ、しかもいずれの文書も、戦前の日本の統治構造を支え、担った「官制」が戦後においてもGHQの「民主化」に抗し、延命したと指摘していることに着目したい。
 赤木の『〈官制〉の形成』によれば、その最大の根拠は「各省庁設置法が、国会制定法という形をとって、行政官庁ごとにその縄張りを固守してきた法令の枠組を承継・承認する形を守りきったこと」により、各省庁が「旧制度の系譜のうえに自らの再生と拡大の道を探りあてた」ことにあった(四八三〜四八四頁)。
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 霞が関の「各省庁が「旧制度の系譜のうえに自らの再生と拡大の道を探りあてた」こと、それを許してしまったことが、日本各地の「自治」が霞が関=「東京」に奪われ、壊されてきた根本要因である。 この意味でも、「橋下イズム」の「根」は、とても深いのである。 「ハシズム」などと言って、政治的遊戯をしている場合ではない。

 「橋下イズム」については、いまはまだ「評価」が下せる段階ではない。評価のための「結果」が、何も出ていないからだ。 しかし、霞が関による「取り込み」はすでに始まっている。それが「橋下イズム」をみる、私個人の分析の視点である。
 「まことに、強靭な粘着力の所有者」、霞が関を甘くみてはいけない。

「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「廃墟なった大学
⇒「廃墟となった大阪」?
⇒「壊疽化する社会--橋下流?

【参考文献】
●『琉球独立への道-- 植民地主義に抗う琉球ナショナリズム 』(松島泰勝、法律文化社)
●『アイヌ民族の復権-- 先住民族と築く新たな社会』(貝澤耕一他、法律文化社)

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●橋下市長
 「僕が強い批判をしている相手は、具体策を出さない人達に対してです。そして公のメディアを用いて、そのような具体策のない批判をしてくる人達。僕もメディアで仕事をしていましたけど、メディアを介して発言する人は、ある種準公人です。メディアはもの凄く影響力が大きい」
 「やっぱ『批評家』って最悪。批評家でありがちなのは、(1)自分が成果出してないのに他人を批判する、(2)批判するだけで具体的な提案がない、(3)批判するくせに自分は大志をもっていない。こんなヒトは百害あって一利なし」

 元府知事、現大阪市長、政党の人格的代表という立場をわきまえず、ツイッタ―で問題・差別発言を乱発する橋下氏は大阪弁で言う「アホ」である。だから私の「大阪の友人・知人」のほぼすべては橋下氏を生理的に受け付けない。しかしそこに「橋下人気」の源泉があり、そこだけを攻めても「玉砕」するだけだということを知らねばならないだろう。と同時に、ここで彼が言っていることが基本的に正しいことを「私たち」は、まず認める必要がある。

●「援護射撃」をしているつもりで、実は「大阪の自治」をさらに破壊し、「大阪の人間」を「殺して」(friendly fire)いる「連中」
 3月2日付の朝日新聞朝刊(大阪本社版)の「『ハシズム』人気のわけは? 口撃受けた4氏が分析」という記事。
 「記事には、橋下市長から「口撃を受けた」北海道大大学院の山口二郎教授(政治学)ら4人が、橋下市長の「人気の理由」を分析し、取材記者も感想を署名入りで書いている。

 取材記者は、「『既得権益』があると見なした人を『敵』に仕立て、時に口汚いと思えるほどの言葉も使いながら徹底的にやりこめる。橋下氏お得意の手法には、違和感を持っていた」と冒頭で指摘し、最後の段落は、
「4氏に共通していたのは、そんな攻撃的な手法をとる政治家が全国的に受け入れられる現状への危機感だった。中島(岳志・北大大学院准教授)氏は『行政サービスを受けている以上、あらゆる国民が既得権益者』と指摘した。橋下氏に拍手喝采を送っている人が、ある日突然、『敵』にされるかもしれない」と締めくくっている。
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 なんで二人とも「北大の人間」やねん? 国立大学の研究者は、自分の足元を顧みず、いったい何をしているのか?
 北大や北海道の学者は、「アイヌの〈独立〉を含めた北海道の自治」のためにこそ、たたかうべきではないのか?

「朝日新聞・橋下番」ツイッターに載った「太田(同志社大)教授の話」
 『労使関係は互いの信頼の上に成り立っており(!)、橋下市長のように一方的に敵視して強引に進める手法は健全でない。業務用メールを極秘に調査したことも含めて、違法ではないということと、組織マネジメントとして適切かは別だ』」
 『今回の調査は短期的な組織の引き締めにはなるかもしれないが、長期的には職員のモチベーション低下や人材流出などの弊害を招きかねない。職員のやる気を引き出し、住民サービスの向上につながるかは疑問だ』
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 まったく、「的外れ」の「話」である。「橋下流大阪の行財政「改革」」についての分析をする際に、触れたいと思う。(以上、J-CASTニュース「橋下市長ツイッター・ウォッチ」より)

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<AIJ問題>旧社保庁OB600人天下り 厚生年金基金に
 投資顧問会社「AIJ投資顧問」の企業年金消失問題に絡み、旧社会保険庁(現日本年金機構)幹部23人の厚生年金基金への再就職が判明したが、ノンキャリアを含めると05年当時、全国約500の厚生年金基金に600人以上の同庁OBが天下っていたことが、毎日新聞の入手した資料で分かった。その約7割は資産運用の責任者を務める常務理事だった。AIJは同庁OBのネットワークを営業に利用したとされ、小宮山洋子厚生労働相は実態を調査する方針を示しているが、その大枠が判明した。 社保庁OBらでつくる親睦団体が05年12月に作成した内部資料を毎日新聞が入手した。
 05年度末時点で厚生年金基金は全国に687あったが、内部資料によると、このうち約500の基金に旧社保庁職員600人以上が再就職。その約7割が、通常は基金の運用責任者を務める常務理事、約2割は事務長や事務局長で、複数のOBが同じ基金に再就職していたケースもあった。 厚労省は、天下りの社保庁職員が退任した後は公募に切り替えるよう厚生年金基金に指導しているが、強制力はなく、現在も相当数のOB職員が在籍しているとみられる。
 AIJの企業年金消失問題では、10年度末時点で同社に運用委託をした企業年金84基金のうち74基金が厚生年金基金だった。また、99~10年に旧社保庁幹部23人が全国の厚生年金基金の常務理事などに就いていたことが明らかになっている。 旧社保庁職員は資産運用経験がない場合がほとんどとされるが、中小の同業者でつくる「総合型」の基金では年金の実務や制度に詳しい人材が必要になるため、運用経験が乏しくても旧社保庁OBに頼らざるを得ない面もあったとみられる。【毎日、石川隆宣、松田真】
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柏市周辺の子どもから末梢血リンパ球異常
 2012年3月4日、「放射能健康相談.com」にて、千葉県柏市周辺(柏市、三郷市、東葛地域周辺)の乳幼児から大人までの血液検査の結果が発表された。その結果、乳幼児から小学生までの17人中8人に「末梢血リンパ球異常」が発見されたと公表している。比較対象のため調査された他の地域では「末梢血リンパ球異常」の発見はゼロである・・・。(ベスト&ワーストへ)
 「国からも行政からも見捨てられている東京近郊の高汚染地域に住み続ける子供たちから、将来健康被害が高率に出る事を心配しています。親に意見を求められた時には、避難を進[勧]めています」