2012年3月16日金曜日

「原子力緊急事態」: 国と自治体の責任を問う、ふたたび

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 14日の福島県議会において、国と福島県は、昨年の3・11直後から開かれていた「原子力災害合同対策協議会」に協議会構成員たる浜通りの6自治体(広野、楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江6町)に会議への出席を呼びかけていなかったことが明らかになった。

 6町の関係者は、「協議会の全体会議が開かれていたことすら知らなかった」(??)という。
 こんな「ありえない」としか思えないことが、本当にありえるのだろうか?

 福島県は、国に6町の会議出席を求めた、と弁明している。これに対し、国は「事故発生直後は、各町とも出席できる状況になかった。その後は、必要な情報は随時提供している」と答えているが、6町が言っていることと矛盾している。さらに問題なのは、国ばかりか県も、6町に対して参加を独自に働きかけなかったことである。

 「原子力緊急事態」の発生時、住民が被曝することなく避難するための最も重要な「初動期」において、現実には原発立地自治体や周辺自治体が「かやの外」に置かれ、切り捨てられてしまう、しかも、そこには国と県の共犯的関係がある・・・。
 何か氷のような冷たい恐怖感が全身を走るというか、思わず身震いしてしまうような、とても信じられない「事態」だ。 原発立地自治体や周辺自治体の責任者が「合同対策協議会」に参加せずして、いったい誰が、どのように住民の避難に責任を取ると言うのだろう。

 問題は、これにとどまらない。実は、昨年3月12日から14日までの「合同対策協議会」の全体会義4回分の議事録が残されていない(!)ことも明らかになった。政府と東電の「統合対策本部」の議事録も残されていないとされているが(→私は信じない)、まさに政治的・行政的責任を事後的に追及されることを恐れた、情報隠ぺい・証拠隠滅の、何とも形容のしようがない「事態」だと言うしかない。(福島民報「国、周辺6町抜きで会議 原発事故後の合同対策協」を参照)

 福島県議会は、この問題の「調査委員会」を設置し、真相を究明すべきではないか。そうでなければ、今回の原発大惨事の犠牲となったすべての人びとの怒り・苦悩・苦闘は、決して報われないだろう。 追い詰められ自殺した者たち、「事故」現場で死んだ者たちの霊を慰めることさえできないのではないだろうか。


 まだある。保安院が「原発防災指針改訂」に、地元住民や「国民」の「混乱を惹起する」という理由で「抵抗」していたという事実も明らかになった。 原子力安全委員会が6年前に国際基準見直しに合わせて改訂しようとしたが、保安院が「強硬に反対」したというのである。朝日新聞によれば、改訂は「防災域の拡大や重大事故に即時対応するための区域の新設をする内容」。

・ 安全委は2006年3月、国際原子力機関(IAEA)が加盟国に示した基準の見直し(07年に最終確定)に合わせて防災指針を改訂しようと作業部会を設置。
①原発から半径8~10キロ圏内の防災対策重点地域(EPZ)を廃止し、半径30キロ圏内の緊急時防護措置準備区域(UPZ)に拡大することが課題に。
半径約5キロ圏に、電力会社が重大事故を通報すると同時に住民が「即時避難」する予防的防護措置準備区域(PAZ)を設置することも検討項目に。

③公開文書によると、保安院から安全委に同年4月下旬、「社会的な混乱を惹起(じゃっき)し、ひいては原子力安全に対する国民不安を増大するおそれがあるため、検討を凍結していただきたい」と申し入れる文書が届いた。財政的支援が増大するという懸念も挙げられていた。

 「財政的支援が増大するという懸念」・・・・。
 「国民の生命・財産」よりも銭勘定を優先させる官僚制の本質?

 上の①と②は、今回の事態を受けて、安全委が再度国に「助言」してきた内容であり、情報としては何も新しいものはない。

 しかし、野田政権が、相変わらず停止中原発の再稼働ばかりか建設中止中原発の工事再開も口にしている以上、私たちはこの国の政府・自治体に原発を持つだけの「ガバナンス」力が本当にあるかどうか、真剣に再考すべき/せざるをえない、と私は強く思う。

 菅内閣の責任を問うのはよい。しかしそれだけはどうしようもない。
 戦後官制と既存の政党・政治家総体の「ガバナビリティ」を私たちがどう査定するかが問われているのである。


 「脱原発と「人間のための医療」」の中で、
 「各自治体の「地域医療」、国立大学や公立・私立大学の「医学部」は、[原発大惨事が起こった時に]ほんとうに私たちを守り、治療し、ケアするかどうか・・・。 福島県と県立医大、また各自治体の医師会が福島県民に対して行ったことは、私たち自身に対しても行われたであろうことだと理解すべきではないのか?」と書いた。

 福島の実情、現実を知らない人は、「言い過ぎではないか?」と思ったかも知れない。私にしても、言い過ぎになるかも知れない、と考えてきたからここまでは書かなかった。しかし、
①国はもとより、県や市町村の自治体も、「事故」直後から昨春を通して、空間線量の正確な情報を隠ぺいし続けていたこと(→私が直接聞いた話の中では郡山市当局が一番ひどい印象を受けた)、
②実際の数値を隠ぺいしながら、「健康に影響はない」を繰り返していたこと、
③高レベルの放射線量が確認されているにもかかわらず、父兄や子どもたちへの被ばく防護の指導もせずに、卒業式や入学式その他の学校行事を繰り返していたこと、
④「データ」を取る内部被ばくの「検査」をしても、県民に対する医療の説明責任を果たさなかったこと(まるで、医療現場末端にまで「緘口令」が敷かれていたのではないかという疑念を、県民に抱かせてしまったこと)、

 等々の現実を知れば知るほど、子どもを持つ親たちの多くは、せめて子どもと母親だけは県内外に「自主避難」させる以外にない苦渋の選択を迫られたわけである。
 そして、避難しない/できない、こうした現実を知る県民の多くも、もはや県も「ミスター・100ミリシーベルト」が副学長をつとめる県立医大も信用できなくなり、検査やカウンセリングを「放射線防護」のために新たに設立された市民組織に、あるいは「代替医療」機関に頼るようになったのである。
 一般の福島県民がいかに県や自治体を信用していない/しないようになったか。福島以外の人間には想像を超えるものがある。


 「3・11」以後の、福島の「地域医療」がかかえる問題に関し、たとえば「医療ガバナンス学会」のメールマガジンや『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート(上昌広)』(JAPAN MAIL MEDIA)などを通して私たちは情報を得てきた。これらに掲載されている論考は、現場を知る専門家によるものだけに、私のような素人には、むしろ学ぶべきところが多いことは事実である。とくに国や県、県立医大などの被災地医療の問題点を指摘し、対案や提言が提出されている場合には、納得させられる場合がほとんどかもしれない。「餅は餅屋」と言うべきか。

 餅屋は、たしかに美味な餅を作ることを常に考えているだろうし、そのための努力は惜しまないだろう。そういう餅屋が少なくなったがゆえに、プロとしての職人意識を持つ餅屋はとても貴重な存在である。けれども、餅屋はいまなぜ餅を作り続けるのか、自分が作る餅そのものを問うことはしない。
 ポスト「3・11」の日本社会は、もはや「餅屋の餅」ではない何か、従来通りの「餅屋」ではない誰かを求めているのかもしれないのである。 餅屋は、欲していない餅を食わされる人間の立場から餅を見ることはできない。

 そうしたことを考えながら、私はいま、これらの論考の「立ち位置」を検証するために、読み直す作業を進めている。「餅屋の中の餅屋」に敬意を払いながら。

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原発事故直後の放射線予測、福島県は消していた
 東京電力福島第一原発事故で、福島県が国からメールで送られた放射性物質の拡散予測「SPEEDI(スピーディ)」のデータのうち、事故当日の昨年3月11日から同15日までの分を消去していたことが21日、わかった。 県は「当時は次々とメールを受信しており、容量を確保するため消してしまったのではないか」(???)としている。
 SPEEDIは、文部科学省の委託を受け、原子力安全技術センター(東京)が運用。同センターは昨年3月11日夕から試算を開始し、1時間ごとの拡散予測のデータを文科省や経済産業省原子力安全・保安院に送った。県にも依頼を受け、送ろうとしたが震災で専用回線が使えず同日深夜に県原子力センターに、12日深夜からは県災害対策本部の指定されたメールアドレスに送信したという。(読売)
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 この話は、私が知っている福島の人たちは、すでに知っている話である。真剣な話、国のみならず、3・11直後の県および市町村レベルの行政がとった対応を再検証するために、「真相究明委員会」が設置されるべきだと私は思う。

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放射線、事故後に認識32% 福島の小中学生調査
 東京電力福島第1原発事故で避難し、福島県内にとどまる小学5年と中学2年への共同通信アンケートで、回答した225人のうち72人(32%)が「事故後初めて放射線を気にしながら生活している」ことが18日、分かった。
 「事故前から気になっていた」のは3人(1%)。一方で、今でも放射線を「気にしていない」のは138人(61%)に上り、大人の世代によってつくられた「安全神話」の中で、原発が身近な子どもの複雑な心中が浮き彫りになった。  県外避難への思いとして「仕方がない」(34%)、「戻ってきてほしい」(31%)がほぼ同じ。(共同)