「廃墟となった大阪」?
「橋下イズム」が暴走を始めた。私にはそう見える。
「こうなんのんと、ちゃうか?」と思ってはいたが、想定外の早さと速さだ。
誰かが止めな、アカン。だけど、止めれるのは「大阪の人間」だけである。
これから何度か「橋下イズム」について書くことになるかもしれない。その最初に書いておきたいこと、それがこの 「橋下イズムを止めれるのは「大阪の人間」だけだ」ということである。
できるだけ、「大阪の人間」以外の人にもわかるように書くように努めたい。
「「首都圏の「ホットスポット」の近隣に住む、とある自治会の役員」という「肩書」とは別に、「私は、一九六〇年代を[大阪の]小学生として過ごした世代の人間」という「経歴」を持っている。(『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の「あとがき」より)。「だから」、私は「「六〇年安保」の記憶はカケラもなく、「七〇年安保」についても、生まれ、育った大阪の街を労働者や学生たちが「安保粉砕」「安保廃棄」を掲げてデモ行進していた風景がかすかに記憶に残っている程度である。
これはちょうど、今、二〇歳前後の人々が、「冷戦崩壊の記憶のカケラもなく、九・一一 の映像が記憶にかすかに残っている程度」というのに似ている」・・・、と「あとがき」は続くのだが、ここでは大阪で生まれ、育った人間の一人として、「橋下イズム」について考えてみたい。
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大阪に住んでいない、そんな「大阪の人間」が、「橋本イズム」を支える「大阪の人間」たちと共有できる思いがある。
①「なんで大阪はこうなってしまったんや。こんなはずやなかったやろ?」(大阪の「地盤沈下」)という思いと、
②「なんでもかんでも「東京」が大阪から持って行きよった。なんでやねん!」(東京への「一極集中」)という思いである。
このような「大阪の人間」の深層心理に深く刻み込まれた「思い」が、歴史的に蓄積されてきたものであることを、大阪以外の人たちは知っておく必要がある。「近年」で言えば、徳川幕藩体制の確立以降、「明治維新」以降、そして「戦後」を三つの節目とする。「大阪/大坂の「自治」」は、これらの「節目」ごとに江戸/東京に奪われてきたからだ。
この「東京」=「国家権力」=霞が関に対する怨念にも近い「大阪の人間の思い」に内在しない、大阪以外の地域や「大阪の人間」以外の人(政治家であれ学者であれ)の「橋下バッシング」は、その意図とは裏腹に、「大阪の人間」の反感を買うだけである。逆効果なのだ。 去年の選挙を総括しよう。「愚民」という言葉は、絶対に使ってはいけない言葉である。どこの人々に対してもそうだが、とりわけ「大阪の人間」には。
「大阪の人間」は、自分は変わらず人を変えようとする。食、言葉、「お笑い」など、「文化」の領域においてそれは最も顕著である。 〈他者〉を受け入れているようでいて、〈他者〉を同化しようとする。自分は、「郷に入って、郷に従う」ことなく〈他者〉に従わせる。これについてゆけなくなった人々は、大阪を「大阪の人間」もろとも嫌いになる。
どこの地方にも、こういう傾向は多かれ少なかれ、ある。間違いなく、ある。私は昨日と今日、所用で(南)房総に行ってきたが、「地域の誇り」はどこも強烈である。(これについては機会のあるときに、また触れたい。)
しかし、大阪のそれはきわめて特殊であり、〈他者〉にとって強烈すぎるほど強烈である。
〈他者〉に嫌われようがどうしようが、「大阪の人間」は意に介さない。自分たちを「地方」と考えておらず、言ってみれば、「自分たちは特別」と考えているからだ。 もっと極端で悪質な場合には、本気で「日本の中心」とまで考えている「連中」がいる。
「大阪の人間」は、そういう「大阪人」や「大阪の在り方」が、ここまで大阪をダメにしてしまった、ということに気づかない。
だから、「大阪問題」と「橋下イズム」の根は、とても深いのである。
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・橋下市長:小中学生に留年検討 大阪市教委に指示
大阪市の橋下徹市長が、小中学生であっても目標の学力レベルに達しない場合は留年させるべきだとして、義務教育課程での留年を検討するよう市教委に指示していたことが分かった。法的には可能だが、文部科学省は年齢に応じた進級を基本としており、実際の例はほとんどないという。
橋下市長は、市教委幹部へのメールで「義務教育で本当に必要なのは、きちんと目標レベルに達するまで面倒を見ること」「留年は子供のため」などと指摘。留年について弾力的に考えるよう伝えた。
文科省によると、学校教育法施行規則は、各学年の修了や卒業は児童生徒の平素の成績を評価して認定するよう定めており、校長の判断次第では留年も可能。外国籍の生徒で保護者が強く望んだ場合などに検討されることがあるという。
市教委も「学校長の判断で原級留置(留年)できる」としているが、実際は病気などで出席日数がゼロでも進級させているという。担当者は「昔は長期の病気欠席などでごくまれにあったと聞いているが、子供への精神的影響も大きい」と話している。 橋下市長は22日に予定されている教育委員との懇談で義務教育課程での留年について提案、意見を求める予定という。【毎日、林由紀子】
・大阪府の職員基本条例と教育基本条例成立へ 府議会開会(朝日)
・橋下市長のメール調査「幹部150人名指しで」(読売)
・大阪市:職員のメール調査 通知せず2万3400人分(毎日)
・大阪市アンケート「違法のおそれ」 府労働委が勧告書(朝日)
【補足】
① 「廃墟となった大学」との関連で言えば、大阪が「地盤沈下」「液状化」「下流社会」「超格差/貧困社会」をさらに超えて、本当に「廃墟」になってしまうかどうかは、「大阪の大学」がこれから何をするか、何とたたかおうとしているのかが、その鍵を握っているという言い方もできる。
大阪市大と府大の「統合」問題については、第一回目の「検討協議会」が今月初旬行われた。
大阪市大当局は、「検討協議会」設立に先立ち、「統合」に関する声明を昨年末発表している。
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2.法人統合の意義
◦法人統合により公立大学として最大規模の2大学を擁する大きな法人が誕生し、効率的な運営が図られます。
◦また、公立大学は、国立大学と異なり独自の法を整備されておらず、地方独立行政法人法において借入金ができないなど様々な制約があり自律した運営を妨げていますが、統合を機に、今後の公立大学法人制度の改革へ向け大きな役割を果たしていきたいと考えております。
◦一方、教育や研究に関わっても、これまで本学が重点的に取組んでおります「分野の垣根を越えた複合的な教育研究」について、府立大が身近となり、本学に無い分野の研究者交流も活発になることなどにより、一層発展できるのではないかと考えております。また、単位互換制度の充実や、両大学の学生交流事業等の充実、産学連携やシンポジウムなど合同イベントの開催などを、法人として一元化して取り組むことが可能となります。
◦このように法人統合には、様々な効果が考えられ有効な手法であると考えております。
3.新たな市立大学像
◦本学は、「グローバルな都市研究の創造拠点」として都市の多面的な課題に先端的研究で取り組み、医学部を擁する総合力の高いコンパクトユニバーシティであり、また少人数教育、都市研究拠点といった伝統・特徴があります。こういった特徴を活かして、視野の広い専門人材など社会が求める人材の育成や、多面的な都市研究への迅速な対応といった使命があると考えています。
◦両大学とも、社会が求める人材を育成し、大阪、関西の発展に貢献していきたい強い思いは同じであります。法人統合により、それぞれの大学の強みをさらに強化し、弱みを強みに変えることも可能になると考えています。
◦両大学が、密接な連携とともにそれぞれの伝統や個性を活かしながら切磋琢磨する法人が設立されれば、大阪・関西にとって大きな知的拠点となりその発展に貢献できることとなります。本学としましても、これを機に本学がめざす方向性に沿い、府立大とともにアジアの先端をゆく大学として新たな姿を示していきたいと考えております。
◦なお、今回進めていく方針は、本学の教育研究の更なる発展をめざした経営主体の一元化であり、来年度の本学の入試や教育内容等には何ら影響はありません。
大阪市立大学長 西澤 良記
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そういう問題、だろうか?
ここには、「(行政)権力からの大学の自治・自律」という言葉が、空虚/虚空に響く大阪市大の痛々しい姿がある。
「大学としての生き残り」しか頭になく、「〈権力〉とたたかえない大学」の姿がある。それは、これまで一度も〈社会〉にオープンでなかった「大学」の歴史的帰結でもあるのだろう。
それにしても。一般企業でさえ「ありえない」と広く考えられている「相対評価」が「統合」した大学の「現場」に持ち込まれたら、「現場」はどうなるのか?
大阪がまだ「廃墟」でないとしても、「たたかい」を捨てた「現場」から「廃墟」となってゆくことだけは確かだろう。
●「大阪府立大学問題を考えるシンポジウム」
② 「行政改革会議」の「最終報告」(1997年12月)は、「橋本イズム」の「そもそもの始まり」を知るにあたっても、貴重な資料の一つである。
下にある「中央省庁の在り方」は、そっくりそのまま「自治体行政の在り方」や「大学という官僚機構の在り方」についても言えることを念頭に置きながら読んでいただきたい。
問題は、この15年の間に、いったい「中央省庁の在り方」「自治体行政の在り方」「大学という官僚機構の在り方」に、何か「改善」の兆候が確認できるかどうか、にある。読者の「評価」はどうだろう。
引き続き、検討を加えてゆくことにしたい。
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Ⅲ 新たな中央省庁の在り方
1 基本的な考え方
中央省庁の再編を中心とする今回の行政改革の基本的な目的は、制度疲労に陥りつつある戦後型行政システムから、21世紀にふさわしい新たな行政システムへ転換していくことにある。
欧米先進国へのキャッチアップを課題とした時期に形作られた現行制度は、今日にあっては、その総合性、機動性、効率性、透明性、国際性等の各側面において様々な機能不全を生じている。
その背景には、各種の社会経済的要因が複合的に存在していることは言うまでもないが、改革を進めるに当たっては、
○ 行政の責任領域の肥大化と重点領域への取組みの遅れ、
○ 政策の企画と事業の実施の渾然一体化に起因する企画・実施双方の機能の硬直化、
○ 客観的政策評価機能の欠如
といった問題点の解決が焦点とならなければならない。
(1) 国の果たすべき役割の見直し
① 21世紀の日本にふさわしい行政組織を構築するには、まず、国家行政の機能とその責任領域を徹底的に見直すことが前提となる。「官から民へ」、「国から地方へ」という原則がその基本とならねばならない。規制緩和や地方分権、官民の役割分担を徹底し、民間や地方にゆだねられるものは可能な限りこれにゆだね、行政のスリム化・重点化を積極的に進める必要がある。
今日、公共性の空間は、もはや中央の官の独占物ではなく、地域社会や市場も含め、広く社会全体がその機能を分担していくとの価値観への転換が求められている。
② 具体的には、国の行政の果たすべき役割を、以下のような観点で見直す必要がある。(詳細は後掲「Ⅳ 行政機能の減量(アウトソーシング)、効率化等」参照)
ア 官民の役割分担
国の事務・事業は、官民の役割分担の適正化の観点から、行政改革委員会の「行政関与の在り方に関する基準」を基本とし、民間でできるものは民間にゆだねる、市場原理と自己責任原則にのっとり、民間活動の補完に徹する、との基本的な考え方をとるべきである。
具体的には、社会情勢変化などにより存続意義の失われた事務・事業からの撤退、自立的精神と自己責任の原則の下での過度な行政の関与の廃止、特定産業の保護・育成行政からの撤退、所得再配分事業の限定などに努めなければならない。
イ 国と地方の役割分担
国と地方の役割分担の観点から、地方分権を推進し、国の事務・事業は、国家の存立に直接かかわる事務、全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、真に全国的規模・視点で行われることが必要な施策・事業に純化すべきであり、地域行政は、基本的に地方公共団体の手にゆだねられるべきである。
具体的には、機関委任事務の廃止、国から地方への権限委譲、国の関与や必置規制の廃止・縮小、補助金の整理・縮小、地方財政の自立性の強化などに努めなければならない。
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言うまでもなく、ここには「官僚制批判」と、後に「市場原理主義」と批判される理念が混在している。後者を合理化するために前者が持ち出されている、という分析も成り立つだろう。
しかし、注意しなければならないのは、後者を強調するあまりに前者が相対化され、後退してはならないということだ。「橋下イズム」を批判する場合でも、この点を見失ってしまうと、どのような立ち位置で何を問題にしているのか、論点が混乱し、錯綜するだけである。
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・アフガン:米軍がコーラン焼却、全土で抗議デモ
アフガニスタンの首都カブール北方にあるバグラム米空軍基地で20日、イスラム教聖典コーランなどが大量に焼却されたとして、アフガン人2000人以上が抗議デモを実施。デモは22日、アフガン全土に拡大し、ロイター通信によると、暴徒化したデモ参加者とアフガン警察との衝突で住民計3人が死亡、治安部隊と住民数十人が負傷した。
パネッタ米国防長官は21日、聖典焼却の事実を認めて謝罪したが、かえって住民の怒りを増幅した模様だ。カブールでは、抗議デモ参加者が「米国に死を」「カルザイ(大統領)に死を」などと連呼。参加者は、外国人が利用している宿泊所に放火し、カブールの米国大使館職員は施設内に閉じこもった状態という。
一方、中部パルワン州では住民が政府庁舎などを襲撃し、警察の発砲で2人が死亡。デモは東部ジャララバードや西部ヘラートでも起きたという。【毎日、ニューデリー杉尾直哉】
・米国が対シリア政策を転換か、反体制派に武器供与の可能性示唆
米ホワイトハウスと国務省の報道官は21日、反対派への弾圧が続くシリア情勢について、政治的に解決できない場合は他の選択肢も検討するとし、反体制派への武器供与の可能性を示唆した。ホワイトハウスのカーニー報道官は「現在でも政治的に解決されるべきだと考えている。シリアのさらなる軍事化につながるような措置は避けたい」としながらも、「追加措置を排除しない」と語った。また、国務省のヌランド報道官は、反体制派への武器供与について米国が方針を変えたのかとの質問に対して、「(シリアの)アサド大統領がわれわれの圧力に屈しないなら、追加措置を検討する必要があるかもしれない」と述べた。
これまで米国は反体制派への武器供与は行わない方針を強調し、他の選択肢についてもほとんど言及していなかったが、各報道官によるこのような発言は対シリア政策の転換を示唆するものとみられる。
一方、クリントン国務長官は24日、チュニジアの首都チュニスで開催される、関係国による連絡グループ「シリアの友人」の初会合に参加し、約70カ国の代表者らと今後の対シリア対策を協議する。[ワシントン/アンマン 22日 ロイター]
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