2015年8月9日日曜日

国立大学よ、どこに行く? 2015(2)

国立大学よ、どこに行く? 2015(2)


 安倍政権による国立大学に対する国家主義的統制が、「日の丸・君が代」強制の形をとりながら、本格化しようとしている。
 下の神戸新聞の記事によると、国立大学法人神戸大学が、学位授与の際の「日の丸」掲揚を決定し、その他の大学もこれに続く動きを見せているという。
 「戦後70年」。日本型軍産学複合体の台頭とあいまって、大学教育・研究の現場に「国家」と「天皇制」が浸透しはじめようとしているのである。

 「それにしても・・・」と、思わざるをえない。
 今にはじまったことではないけれども、国立大学は、日本の大学は国家の介入に対して、なぜ、かくも脆弱なのか? 
 大学の「財政危機」のみにその根拠を求めることはできないだろう。
 問題の根っこにあるのは、大学教育・研究の「グローバル化」と「民営化」が、一見したところ相矛盾するかのような大学教育・研究の国家戦略への統合策と一体となって推進されてきたこと、である。このプロセスにおいて危機に立たされてきたのは、「大学」という抽象的実体ではなく、実は〈教師〉・〈研究者〉としての全教員のモラルとヒューマニティ、いわば〈魂〉なのだと私は思う。

 「文系」も「理系」も「文理融合」もない。国立も公立も私立もない。
 いま「ストップ!」をかけなければ、本当に笑い話ではすまなくなってしまう。
 危機感のない大学人には、少しは危機意識をもつことからはじめてもらうしかないようだ。


⇒2015年6月16日 「国立大学よ、どこに行く? 2015
⇒2015年7月24日 「大学研究と軍事研究 2015 -日本型軍産学複合体の台頭


国旗掲揚、国歌斉唱の要請 大学自治に影響じわり 対応見直しの動きも
下村博文文部科学相が6月、全86校の国立大の学長らに対し、入学式や卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を実施するよう要請したことを受け、関西の国立大で対応を見直す動きが出てきた。神戸大(神戸市灘区)が、これまで屋外に置いていた国旗を学位授与する壇上に変更するほか、他大学も今後の対応を検討中。下村氏は「(各大学の)自主的な判断に委ねられている」とし、強要ではないとの姿勢だが、要請は大学の自治にじわりと影響しつつある。(上田勇紀)

「文科相の要請にはそれなりに意味があると受け止めている」
神戸大の武田廣学長は7月24日、定例会見で、要請について問われて答えた。同大は入学、卒業式を神戸・ポートアイランドのワールド記念ホールで実施。国旗は屋外に掲揚してきた。だが、6月16日の国立大学長会議での要請を受け、学内の意思決定機関で協議。今後は、国旗を学生の目につきやすい屋内の壇上へ移すことを決めた。一方、国歌は海外からの留学生が多いことを配慮し、これまで通り、斉唱はしないという。

国歌を歌っていない大阪大(大阪府吹田市)は「まだ十分な議論ができていない」。国旗掲揚、国歌斉唱のいずれも実施していない京都大(京都市)をはじめ、取材に対し多くは「検討中」と答えたが、ある大学は「要請を受けて、国歌を歌う方向で検討している」と明かす。 文科省によると86校中、今年3月の卒業式での国旗掲揚は74校、国歌斉唱は14校。 学習指導要領に規定がある小中高校とは違い、大学での実施に法令的根拠はない。憲法上の「学問の自由」に基づく「大学の自治」の侵害につながるのではないか-との批判もある。

■上脇博之・神戸学院大教授(憲法学)の話 
私立大もそうだが、国立大は特に文部科学省に予算を握られている。少子化の流れの中で交付金が削減され、改革を迫られる中での国旗国歌の要請。「言うとおりにしなければ、交付金が減らされるかもしれない」という考えが働き、大学も要請を突っぱねることができない。事実上の強制と言える。本来、各大学の自治に委ねられるべきだ。安倍政権になり、教育の中身や大学運営などについて、国の介入が激しくなっている。

【国旗国歌の要請】
4月の参院予算委員会で、安倍晋三首相が「税金によって(運営が)賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」と述べた。下村博文文部科学相は6月、東京都内で開かれた国立大学長会議で「国旗と国歌の取り扱いについて、適切にご判断いただきたい」と口頭で要請した。