2012年8月20日月曜日

米中両政府は「尖閣諸島」の領有権に関する公式見解を国際社会に明らかにすべきである

米中両政府は「尖閣諸島」の領有権に関する公式見解を国際社会に明らかにすべきである

Ⅰ 日本共産党はどこへゆく?


 戦後における日本政府の「尖閣諸島」をめぐる「領有権」主張の根拠は、とても単純なものだ。
1、「尖閣諸島」は、サンフランシスコ「平和」条約の第3条にいう「日本に主権が残される地域」に含まれる、
2、1972年の「沖縄返還協定」に基づき、「尖閣諸島」は米国から日本に返還された、
3、1945年以降1970年まで、中国は全く領有主張もせず、何ら有効な抗議もしてこなかった。ゆえに、中国は返還された台湾及び澎湖島に「尖閣諸島」が含まれていないことを認めていたと解釈できる。

 この日本政府・外務省の主張を追認する見解を、日本共産党が打ち出した。「尖閣問題 いま必要なことは 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当 ――日本共産党の見解」がそれである。

 ほんのちょっとだけだが、驚いた。 他人事ながら、「日本共産党は、ここから、さらに、どこへゆこうとしているのか?」と思ってしまった。
 「マルクス主義」や「左翼」を自認する勢力や個人が、「愛国」や「民族主義」に傾斜するようになると、それでなくても矛盾に満ちた世界に、さらに「きな臭い空気」が漂うようになる。日本共産党の指導部は、そうした血塗られた歴史の教訓を忘れてしまったらしい。


 今から書くことを、日本共産党の支持者、とりわけ民主青年同盟の「会員」になっている学生や若い世代の人びと、党員や同盟員ではないが日本共産党の支持者の人びとにささげたい。

 「尖閣諸島」をめぐる日本共産党の見解は、1971年に中国(共産党)が「尖閣諸島」の「領有権」を主張し始めて以降、私の言う外務省の「外交の不在」を指摘している、という一点のみにおいては正しい。
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「・・・問題は、歴代の日本政府の態度に、1972年の日中国交正常化以来、本腰を入れて日本の領有の正当性を中国側に対して主張してこなかった弱点があることです。
 領土画定の好機だった1978年の日中平和友好条約締結の際には、中国の鄧小平副首相が尖閣領有問題の「一時棚上げ」を唱えたのに対し、日本側は領有権を明確な形では主張しませんでした・・・」
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 日韓もそうだが、日中においても「領土問題」の二国間条約における「棚上げ」と、その後の両政府による不毛な「固有の領土」論合戦がここまで問題をこじらせてしまったことは、私自身すでに書いてきた通りである。ここではくり返さない。
 問題の一つは、「棚上げ」されてきたことには、それなりの国際法上および外交上の理由があることを日本共産党が理解しようとしない/できないことにある。そして、日本の「国民政党」として日本政府・外務省の立場と同様の、「尖閣諸島は日本固有の領土」論を、また展開していることにある。

 日本共産党にも「戦後史」を総括する時間は十分にあったはずだ。
 けれども「パルタイ(党)」は、今回もまたそれを放棄してしまったのである。

8/22
Ⅱ 「サンフランシスコ-日米安保体制」を再考する視点


 日本共産党は「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」という。しかし、中国と台湾は、そうではないと言ってきたし、今後もそう主張続けるだろう。
つまり、日本がどれだけ「尖閣諸島は日本固有の領土」論を展開しようが、客観的事実としてそれと同じ主張する国家が二つ(中国の立場では一つ)存在するということだ。

 この現実を前に、共産党は日本が領有権を持つという立場から、「日中とも冷静な対応」と言う。しかし、これでは何も言っていないに等しい。なぜなら、「固有の領土論」を40年以上にわたって国際的に主張している中国が「冷静な対応」を取れるとしたら、日本が「実効支配」を進めないことにおいてでしかありえないからである。
 

 ここで重要なのは、「尖閣諸島は日本固有の領土論」を確認することではない。3国(2国)間に「領土問題」が存在することをまず認め、それをどのように解決するのか、という具体案、外交政策論の次元に議論を押し上げることにある。「建設的野党」を標榜する日本共産党に求められているのは、抽象的で、誰にでも言える「冷静な対応」ではなく、そうした具体的な政策論、「実効支配の強化」に代わる対案なのだ。共産党の党員、支持者は、党中央に対し、まさにそのような「対案を出せ」と要求すべきだと思うのだが、どうだろうか。

 好むと好まざるとに拘わらず、「尖閣諸島問題」と「竹島問題」は、ともに「冷静な対応」「対話による解決」を一般的・抽象的に語るだけでは、「紛争当事国」のどちらか一方による「実効支配」が進展し、その結果、二国間の緊張関係のみが高まる段階に移行してしまったのである。「日米動的防衛協力」の名の下にで「尖閣諸島」周辺海域のいっそうの軍事化を推し進めることは、日中間の領土問題解決の先延ばしをはかることに他ならない

 こうした認識に立った上で、余命いくばくもない野田政権と外務省による暴走を食い止めること。日本共産党にもそいう「たたかい」を展開してほしいと思うのだが、この声は党員や支持者の人たちに届くだろうか。


⇒「「竹島・尖閣・北方領土問題」における米国の〈戦後責任〉を問う」へ

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「慰霊祭利用された」 遺族会、署名を拒否 尖閣上陸」(琉球新報)
「・・・尖閣列島戦時遭難者遺族会の慶田城用武会長(69)は20日、琉球新報の取材に応じ「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の山谷えり子会長(自民党参院議員)から洋上慰霊祭を目的とした上陸許可申請に署名を求められ、拒否したことを明かした。慶田城会長は「遺族会の気持ちを踏みにじり、慰霊祭を利用して上陸したとしか思えない」と話し、議連の洋上慰霊祭や地方議員らの魚釣島上陸を厳しく批判した・・・」

島嶼防衛で日米初の共同訓練、協力促進アピール(読売)
「・・・陸上自衛隊は21日、島嶼防衛能力を向上させるため、西太平洋にある米領のグアム島や北マリアナ諸島のテニアン島などの離島を使用する、初めての日米共同訓練を開始。・・・・ 訓練は、日本の南西諸島防衛を担う陸自西部方面隊の約40人が、沖縄に駐留する米海兵隊の第3海兵遠征軍(3MEF)と、9月下旬まで・・・。中国の海洋進出などを念頭に、日米間で構築を目指す「動的防衛協力」の促進をアピールし、中国をけん制する狙いもある・・・」
・・・
【参考資料】
「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」(1972年3月8日)
國場幸昌(自民党・福田派、沖縄出身)
 国連におけるところの中国代表、尖閣列島はまさしく中国のものであるというようなことで、あの国際連合の公の場においてこれを主張しておるのは御案内のとおりでございます。私は、こういうような国際連合においても、いまだに中国のほうでは領有権を主張しておるということを考えました場合に、この問題に対しては大陸だなの定義問題もありますし、日本は大陸だな国際条約には加盟してないということも承っておりますが、大陸だなの定義というのもよく存じておるわけでございます。
 あの大陸だなは、二百メートルの深度までにおいては大陸だなの属するところの権利がある。ところが二百メートルの水深以上にしましてでも、資源開発のために可能なる地域に対してはその主権を持つというようなことがあるようでございます。

 参考までに相手の国際連合の場においての主張を読み上げてみますので、御参考にしていただきたいと思います。
 「中国は三日の国連海底平和利用委員会で、日米両国は共謀して釣魚島などの島々(尖閣列島)を日本領にしようとしていると激しい語調で非難した。中国の非難は米国の「台湾占領」にも向けられ、ニクソン訪中がもたらした米中共存ムードも中国の台湾、沖繩問題への態度にはまったく影響を与えていないことを示した。

 三日の海底平和利用委員会は初参加の中国が海洋問題でどういう態度を打ち出すかが注目されていたが、一般演説に立った安致遠代表は「超大国」が領海の幅や海洋法を決める独断的な力を発揮していると攻撃し「中国は、領海二百カイリを主張して、米帝国主義の海洋支配と対決しているラテン・アメリカ諸国の闘争を力強く支持する」と公約した。

 安代表はつぎに台湾、沖繩問題にふれ、米国は今日にいたるまで中国の一省である台湾を力ずくで占領しており、最近では日本の反動派と結んで「沖繩返還」という詐欺行為を行なった。この沖繩返還の詐欺は、台湾に属する釣魚島などの島々(尖閣列島)を日本領にしようというねらいがある。米国はまたこの数年日本や蒋介石一味と協力して、中国の沿海、海底資源を略奪するための大規模な海底資源調査をしばしば行なっているが、台湾と釣魚島は中国の神聖な領土の一部である――と主張した。

 これに対し、日本の小木曽大使は答弁権を行使して反ばくに立ち、沖繩返還という日本国民永年の願望を詐欺行為だというような中国の中傷は、日本国民の怒りを招くだろう。尖閣列島に対しては、日本以外のどの国も領有権は主張できない。東シナ海の大陸ダナ、海底資源の一部には日本も専有権をもっている――と述べ、とくに沖繩返還では机をたたいて激しく反論した。
 中国のこういう出方は米国にとってはやや意外だったようで、米国のスチーブンソン代表は、中国やラテン・アメリカ諸国から向けられた対米非難を「いっさい拒否する」と答えただけで、答弁権行使は次回に持ち越した。」 こういうことが書いてあります。

 そこで、これは中国毛沢東政権のみならず、台湾においても、台湾の宜蘭県に行政区域を定め、三月にはこの尖閣列島に対するいわゆる事務所を設置する、こういうようなこともまた言われておるわけであります。いまさきの立法院議長のお話にもありましたように、固有の日本領土というようなことでございまして、琉球新報の報ずるまた何から見ますと、明治二十八年一月十四日の閣議決定、沖繩に所属するという閣議決定がされまして、明治二十九年三月五日、勅令十三号、国際法上の無主地占領、歴史的にも一貫して日本の領土だったなどの点をあげている。

 明治二十七、八年の日清戦争の時期、その後においての講和条約によってこれがなされたものであるか、あるいはまた、その以前においての尖閣列島に対しての歴史がどういうような流れを踏んできておるものであるか。記録によりますと、明治十八年に石垣登野城の古賀商店の主人公がそこへ行って伐採をしたというようなこともあるようでございますが、このたびの第二次大戦において、平和条約によっていわゆる台湾の帰属の権利を日本は放棄したわけでございますが、問題になるのは、台湾と尖閣列島が一つであって、それで明治の日本の侵略戦争によって取られたものが、第二次大戦においてこれが返還されたのであるから、それをひとつ、これは台湾が切り離されたのであれば、やはり尖閣列島もそれについて戻されるという見解があるのではないかということが考えられるわけでございます・・・。

「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」(1970年12月8日)
愛知揆一(外務大臣)
 私の尖閣列島に対する見解は、前々からいつも述べているとおりでございまして、貴重な時間をこれ以上費やす必要もないかと思いますけれども、私の申しておりますのは、どこかが日本の固有の領土に対して何か言っておりましても、一々それに対して両国間の話し合いとかなんとかに応ずるというような、そういう態度は私は日本国としてとるべきでない。これはあるいは次元が違うかもしれませんけれども、私はこの意見を変えるつもりは毛頭ございません。(中略)

 ・・・明治二十九年には古賀辰四郎という人が日本政府から四つのこの中の島を三十年間無償で供与されたという事実もございます。それから昭和七年には辰四郎の息子古賀善次がこの四つの島の払い下げを受けて今日に至っておることも事実でございます・・・。
 ・・・こういったような事実関係はきわめて明らかであり、政府がこれをあらためて確認をして、日本の国内でも申しておることでございますから、これ以上にあるいは国民政府に対してあるいは中華人民共和国政府に対してこの領有権について相談をしてもらうなどという、そういう態度を私は、日本政府は絶対にとるべきでない。これはお断わりいたしましたように、御見解が違うとすれば申しわけございませんが、政府はこの態度を変えるつもりはございません