「抑止力」は「方便」以外の何なのか?---戦後政治と戦後外交の欺瞞と虚構から目覚める時
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鳩山前首相が去年、在沖米軍が「抑止力」として重要と言ったのは「方便」だったと本音をもらし、この発言に対し社民党党首が「私は方便でクビになったのか」と言い、さらに防衛大臣が「衝撃」を受けたという。何という茶番の連鎖だろう。
毎度の事とはいえ、もういい加減に日本の政治家は、こういう低次元のアレヤコレヤによって私たちの貴重な時間を潰し、税金を浪費し、ウンザリした気分にさせるのはやめてもらいたいものだ。もっと、子どもたちの想像力を豊かにし、少しでも私たちの知性を刺激するようなパフォーマンスができないものか。読者はそう思わないだろうか。
在沖米軍を「抑止力」とすることが単なる「方便」に過ぎないのは、みんな見抜いている。海兵隊や在沖米軍のみではない。在日米軍全体がそうであり、在韓米軍もそうである。しかし、その「方便」を永遠にくり返さなければ、在日米軍を永遠に駐留させておく口実がつくれない。「日米同盟という欺瞞」や「日米安保という虚構」は、米軍が外部(どこ?)から日本が武力攻撃を受けないようにするための「抑止力」という、ただその一点のみにおいて成り立っているのだから。
だから、これを「方便」と言ってしまえば、すべてが崩壊してしまう。けれども、そんなことは子どもだって知っている。産経・読売新聞の論説委員を始め、いまどき「右翼」だって米軍が「抑止力」だなんて本気で考えている者はいないだろう。
一度、日米の「2+2」に在日米軍司令官、自衛隊統合幕僚長を加え、在日米軍が何に対する「抑止力」として存在するのか、全世界に公開されたパブリック・フォーラムを開催すべきである。日本の政治家が何を言った/言わないなどアレコレ問題にしても、まったく意味がない。ただ時間と税金を無駄にするだけである。
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「北方領土」問題にしても、「尖閣諸島」を含めた琉球問題にしても、私たちが相手にしている国はすべて国連安保理常任理事国である。朝鮮民主主義人民共和国も国連加盟国だ。いったいどこの国が日本に核攻撃や武力攻撃をしかけるというのか。
思い起こして欲しい。去年の「北の脅威」論の根拠とされたアレヤコレヤは、いったいどうなったのか。去年と同じように、これまでも安保を無期限延長し、在日米軍を無期限駐留させるために「北の脅威」や「中国の脅威」が扇動されてきた。いつになったら私たちはそのことに気づくのか。
「日米関係を重視する」と言うのはよい。しかしそれを言うにしても、いったん安保をいつかは解消する、米軍をいつかは撤退させる、そのケリをつけてからのことだ。
戦勝国というのは、一度侵略し、軍事基地を作り、駐兵した国からは、絶対に無条件では撤退しない。このことを大前提にして、米国という国、在沖・在日米軍のことを考える必要がある。それは「北方領土」を「実効支配」してきたロシアについても言えることだ。
米国はロシアが「北方領土」を「実効支配」することを容認し、ロシアは米国が沖縄を「軍事植民地」化し、日本・韓国に基地を持ち、駐留することを容認してきた。中国についても然り。そしてこれら三国は、「国際の平和と安全」を「維持」する国連の最高権力機関たる安保理の常任理事国なのだ。国連に常任理事国体制が続く限り、これら三国は永遠に非公式で密約を交わしながら平和共存し、「国際の平和と安全」のために「協調」し続けるのである。
さらに残りの常任理事国たる英国にフランスは、日本政府が最大の「脅威」と言う北朝鮮と国交があり、外交関係も持っている。ドイツはと言えば、日本が国交断絶し、経済制裁を強化するなか、北朝鮮に対する「経済協力」を強化してきた。外務省の無策ぶりと対比するなら、北朝鮮の外務省の方がよほど国際法の限界、国連加盟国としての制約をわきまえつつ、しかし体制の生き残りをかけて戦略的外交を最大限に展開してきた、と言えるだろう。
これに対し、日本という国の政権与党・自民党、外務省という官僚機構、未解体の財閥は、戦後の世界秩序形成の中で日本の針路をめぐる「国政の主権者」の意思を顧みず、「ヌエ」のようにただ「パックス・アメリカーナ」に寄生し、国際社会の中で「経済大国」としての地歩を築くことしか考えてこなかった。
1970年の安保の「自動延長」の時点において、読売新聞の世論調査でさえ、「国民」の過半数は「安保の段階的解消、米軍の段階的撤退」を主張していたのである。その声を封殺され、壊れたボイス・レコーダーのような政治家の口から「極東の平和と安全」「日本の平和と安全」のために安保と在日米軍が「抑止力」として欠かせない、こんなナンセンスを40年以上にわたって私たちは聞かされ続けてきたのである。
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在日米軍問題について言えば、戦勝国・米国の本音に対し、敗戦国・日本を代表する政府・外務省が、①国際条約としての安保条約の内容に即しながら、在日米軍の無期限駐留の論理的無根拠性を理路整然と米国に対置しつつ、②国連総会や安保理の場で無期限駐留の不当性を問題化しようとしてこなかったことが致命的である。そればかりか、歴史的事実が教えるのは、日本政府・外務省が、系統的・計画的、すなわち段階的な米軍の撤退をこれまで一度たりともまともに検討したことがない、ということだ。
安保条約が「自動延長」体制に突入した1970年から数年をかけて、あるいは冷戦が崩壊した1990年代初頭から数年をかけて、10年、20年という長期のスパンで外務省がそうした戦略構想をまとめ、広く議論を興そうとしたなら、こんなことにはならなかったはずである。すべてが密約で処理されてきたのである。今からでも遅くはない。その議論を始めるべきだ、というのが私の主張である。
「北方領土」問題もまったく同じである。敗戦国家としての日本が1945年以前に戦争し、侵略した国家に「戦勝国」として何を要求し、何をしてきたかを、まず想起することが重要である。「米国が沖縄を取るなら、北方領土を取る」と旧ソ連が米国の合意の下で兵を動かしたことを私たちは認識しておく必要がある。私たちは侵略し、完敗した。敗戦国が戦勝国に実効支配された領土を、「過去の国際条約違反だ。日本の固有の領土であるから返還せよ」と言ってケリがつくなら、パレスチナ問題など、イスラエルの占領政策など、とっくの昔にケリがついているではないか。
事の核心は、「四島返還か、それとも二島返還か」にあるのではない。①1960年の「安保改定」が、旧ソ連の四島全域の実効支配の口実を与えると同時に、1972年に「返還」されるその後の沖縄を切り捨てたこと、②またそれと抱き合わせとなって、米ソ間の裏取引と日米間の密約の下で「北方領土」問題がはらんでいるリアル・ポリティクスが私たちの目からそらされてきたこと、③そのことが何十年間にもわたって放置されてきたことにある。
これまで私たちは、「北方領土」の日ロ共同開発、ロシアへの経済協力を進めるという以外に、何か具体的な全面返還、あるいは二島返還⇒段階的完全返還に向けた政府・外務省、自民党・民主党の「方針」を聞いたことがあっただろうか? 国境・領土問題をいかなる意味においても「紛争」の火種にしない、そのことを日ロ間の合意として外交文書化した上で、国際法と二国間条約の歴史に基づきながら、返還の正当性を国際的にキャンペーンする日本政府・外務省、政権与党の姿を、これまで私たちは一度でも見たことがあっただろうか?
こうした政府・外務省、政権与党としての主張を交渉国に公式に突きつけた上で、①国際法を遵守し、②自国が交わした国際条約に基づいて二国間関係や領土・基地問題を解決するという国際的責任を持ち、③しかも「国際の平和と安全」に対しても責任を持つ安保理常任理事国として、米国やロシアが、さらには中国が日本、また世界に対して何をどう答えるか。すべての外交交渉は、そこから始まるのである。
日本の戦後政治と戦後外交、それを報じるメディアの言説は、私たちを愚弄する欺瞞と虚構で塗り固められてきたのである。
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どこの国でもそうだが、こうした国家間の領土問題において、もっとも忘れられ、切り捨てられてきたのがその領土に生きてきた人々(マイノリティ)であり、多くの場合、先住民族である。これらの人々の尊厳、国際法的に認められた自治や自決権。そして剥奪されたそれらの回復。
先週の「北方領土の日」にあたり、アイヌの人々が北海道や東京で集まりを持ち、そのことを告発した。また、今週の土曜には、アイヌ・琉球・在日の人々が日本における人種・民族差別の撤廃を求めて東京で集まりを持とうとしている。さらに4月には明治大学で企画が予定されている。
もういい加減、私たちは日本の戦後政治と戦後外交の欺瞞と虚構から目覚める時を迎えているのではないか。今年は、そのための絶好の機会を与えてくれそうだ。今年を、そういう年にしなければいけない。