エジプトからパレスチナへ、そして・・・
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ムバラクが辞任した。
この18日間を「革命」と民衆は呼んでいる。この間もそうだったが、これからのことについても軍の動きが非常に気になっている。だから、考え込んでしまうところがどうしても残ってしまうのだが、アルジャジーラのインタビューに応えていた若い人々の話を聞いて、そういう感じ方はやはり間違っているのだな、と思った。
ある女性はこのように話していた。とにかく今夜は祝うのだと。一晩明けて、明日からどうするか、帰るか残るかを考える。軍との関係についても、私たちが何を要求としてまとめ、それに軍がどう返答するかによって決めるのだと。何もかもが、ムバラクが辞めてから始まるのだと。
その通りなのだろう、と思った。すべてが「ありえない」とそれまでは思っていたことから始まり、「ありえない」と思っていたことがたった18日間で実現したのである。
「革命」という政治的定義があらかじめあるのではない。すべての定義は起こったことの事後解釈にすぎないものだ。そういう定義や「理論」、解釈に沿って進む/進まないによってアレコレ評価したり、否定的に考えることは、はやり今回の出来事がいかに革命的なことであるかを理解できない外部の人間の思い込みや杞憂にすぎない、ということだろう。「ナルホドナ」と思った。
エジプトの「民衆のパワー」。連帯感、結束力、そのエネルギー。そして自分たちがここで死んだとしても、何が何でもムバラクはもう認めない。何があっても権力の座から引き摺り下ろすまでたたかう。その気迫。「民族的」決意。圧倒的だった。
1980年代後半から90年代始めの旧ソ連・東欧圏の崩壊と「民主化」以来の体験だ。「9.11」以後この10年、対テロ戦争という「戦争」が自分の思考を深く規定してきたことに気づかされた。対テロ戦争を乗り越え、国家と社会を根本から変えうる民衆のパワーとエネルギーに、どこか懐疑的になっていた自分を思い知らされた気がした。
米国が、オバマがどう出るか、軍がどう出るかを事態の帰趨の決定要因であるかのようにどこかで考えていた自分がいた。ずっとどこか懐疑的で、醒めた目でみていた自分がいた。「ありえない」と思っていたことが、エジプトで現実に「ありえた」ことの意味、そもそもの始まりの革命性を最初から私は理解できていなかったのかもしれない。
「事態は流動的」と書いた。しかし流動的でない事態、歴史などない。何でも起こりうる。歴史を生きるとはそういうことであり、歴史とは解釈するものではなく、つくるものなのだ。まざまざと見せつけられた気がした。
2
次に進む前に、拙著『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の書評を紹介させていただきたい。 一昨日、卞宰洙さんが書かれ、朝鮮新報に掲載されたものである。ロシア文学、朝鮮文学・詩の研究者である卞宰洙さんに書評を書いていただいたこと、そのこと自体をとても光栄に思う。
「民衆のパワー」は宗教・民族・国境を、いずれは越えるものであることを信じたい。それは時の権力者や軍が押さえ込もうとしても、いずれは解き放たれる。「エジプト革命」はそのことを教えてくれた。2011年2月11日は、チュニジアとエジプトで解き放たれた「民衆のパワー」が「新しい中東」をつくり、それが「新しいシルクロード」をつくり、新しいアジア、中国、朝鮮半島をつくる歴史的転換点となるかもしれない。そしてその「新しい朝鮮半島」のためには「日米同盟という欺瞞」と「日米安保という虚構」に目覚めた「新しい日本」の出現が欠かせない。
「道は長く険しい ここから見れば なだらかな坂みたいだが---」
ロシアの詩人、マヤコフスキーの詩の一節であったと記憶するが、「道」はそれでも続いている。楽観は禁物かもしれない。が、悲観することもない。
3
The Electronic Intifada (EI)。私が最も信頼している、英語で読めるパレスチナの情報サイトである。
このEIに、先月27日、Palestinian students claim right "to participate in shaping of our destiny" が掲載された。パレスチナ学生総連合が、ロンドンのPLOの事務所前で座り込みをし、来年1月に「パレスチナ国民会議」の「直接選挙」を行うことを要求したのである。
この間のパレスチナ情勢については、ネット上でもさまざまな情報を得ることができるので、それらを参照してほしい。ここで問題にしたいのは、これからのパレスチナ/イスラエル問題の行方を大きく左右するであろう学生・青年たちの運動についてである。
上の要望文において、ハマス・ファタ・自治政府指導部間の「内ゲバ」にウンザリしきっている学生たちは、分裂を超えて統一したプラットフォームと「戦略」を確定する、難民、移民、亡命者、留学生などをも含めた民主的総選挙の実施を要求している。チュニジアでもエジプトでも「革命」の主役を果したのは青年・学生たちだった。そしてパレスチナでも、それが始まろうとしている。
イスラエルは、これまでのような暴力的占領政策や入植活動を継続することはできなくなるにちがいない。「ありえない」と思っていたことが、パレスチナでもイスラエルでも本当に起きるかもしれない。
革命は、静かにではあるが確実に、もう始まっているようだ。時代は変わっている。
People Get Ready---Ziggy Marley
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4月
・エジプト軍批判のブロガーに有罪 禁錮3年、軍事法廷
エジプトの軍事法廷は10日、インターネット上でエジプト軍を侮辱したとして、ブロガーの男性に対し、禁錮3年の有罪判決を言い渡した。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)が11日明らかにした。弁護士は付かなかったという。 2月11日のムバラク政権崩壊後、暫定統治に当たる軍は国民の信頼を得ているが、RSFは表現の自由を規制する動きだと批判している。
AP通信によると、この男性は「人々と軍は一致協力などしていなかった」と題するブログを開き、旧ムバラク政権を長年支えてきた軍の姿勢を疑問視。また交流サイト「フェイスブック」にも軍の権力乱用ぶりを伝える内容を掲載するなどしたとして、3月28日に拘束された。 軍幹部は地元テレビで「意見表明には敬意が必要で、侮辱や中傷があってはならない」と主張した。【カイロ共同】
・エジプト軍がデモ隊強制排除、2人死亡 異例の実力行使
エジプト軍は9日未明、カイロ中心部のタハリール広場に集まっていたデモ隊を強制排除した。ロイター通信は病院関係者の情報として、2人が死亡したと伝えた。軍が実力行使に出るのは異例で、2月のムバラク政権崩壊後、全権を握った軍最高評議会と市民の間で緊張が高まる可能性がある。 広場では8日、ムバラク前大統領と一族の訴追を求める大規模なデモがあった。同通信などによると、9日午前3時ごろ、約300人の兵士が広場を囲み、威嚇射撃などで残っていたデモ参加者の排除に乗り出した。軍側は同通信に対し、実弾の使用を否定している。(朝日・カイロ=松井健)