2013年1月11日金曜日

国民投票制度の導入と住民投票制度の拡充の議論の深化のために

 
国民投票制度の導入と住民投票制度の拡充の議論の深化のために

 安倍内閣の元で、改憲→国民投票制度の導入に向けた議論が一気に加速化する可能性がある。
 私は、改憲の最大の抵抗勢力、つまり日本の最強の「護憲勢力」とは実は官僚機構だと考えている。改憲は、改正/改悪された、あるいは新たに憲法に追加される諸条文・条項と既存の下位の国内法体系との整合化作業を必然的に伴うものとなり、それには官僚機構による莫大な作業を必要とする。だから日本の官僚は、憲法そのものは改変せずに、一般法や関係諸法、特別立法、省令や政令などの制定によって、いわゆる「解釈改憲」=実質的改憲を行ってきたのである。

 その意味で、すでにその兆候が明確になりつつあるが、安倍内閣も再び日本の官僚機構に取り込まれ、官僚の手のひらに乗ることが必然的だと私は考えている。

 しかし、そのことは改憲が不可能、あるいは遠い未来の話になる、ということではない。
 自公政権が来年の参議院選においても大勝し、長期安定政権になりうる可能的根拠を示し、さらに世論の絶対的多数派が改憲に傾斜してゆくならば、官僚機構も改憲に向けた調整活動に具体的にはいってゆくだろう。(ただしその場合でも、今後二年や三年で改憲手続きが進展し、改憲が実現されるかのように扇動したり、あるいはその逆に危機意識を煽ることも間違っていると私は考えているが。)

 重要なのは、改憲議論の内容とその動向を安倍内閣によってリード、支配されないこと、「市民」サイドからリードし、内閣や既成政党の改憲論議を逆規定できるような議論を深めること、ではないか。
 言うまでもなく、このような主張に対しては「護憲派」の政党や市民運動派の人々から相当の批判が向けられるだろう。 しかし、現状から言えば、単なる「改憲反対」をこれまで通りに繰り返すのは、むしろ最も非生産的な行為であり、未来に禍根を残すことになりはしないか。私たちは遅かれ早かれ、「どのような憲法を私たちが望むのか」という議論に移行せざるえない状況の中に、すでに置かれていると考えるからである。
 もっと言えば、護憲論議を「市民/住民主権」に定位した改憲論議と格闘させることが問われている。そのためには、改憲論議を閉じてしまうのではなく、開放/解放することが重要である。

 そうした議論を深める一助になることを願い、以下、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の「あとがき」より転載したい。
 私はこの文章を「安保条約の期限化を問う国民投票制の導入」との関係で書いたが、原発の廃炉→廃止など、あらゆる国策に対する市民/住民の意思決定権の行使の文脈に照らして読んでいただきたい。

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 本書に収め切れず、幻となった二つの章がある。
 一つは、外交・安保を「国家の専権事項」とする主張を問うもの、もう一つは、「国政の主権者」の総意思を外交・安保における国家の意思とする「戦略」を考えようとするものである。
 これら二つの章を六章と終章との間に挿入する計画であったが、本書とは別に独立した形で読者に問う方が、本書の構成にとっても好ましいと考え直した。最後に、収録できなかったこの二つの章の問題意識を披瀝しておきたい。

 日本国憲法は、外交に関して内閣が強大な権力を行使する余地を残している。安保条約は国会で「承認」され批准されたが、内閣は条約の調印にあたり、事前の国会承認はもちろん、審議することさえ義務づけられてはいない。官僚サイドから言えば、これは憲法第七三条二項が規定する「内閣の事務」の中の「外交関係を処理すること」の範疇で処理されることになる。

 また、内閣総理大臣は、「外交関係について国会に報告」することを「職務」とするが(憲法第七二条)、事前にその概要を国会に報告しなければならない、という規定はない。
 つまり、「日米同盟」なるものを政権が変わるたびに日本政府が宣言し、準条約的な法的性格を持つ「日米共同声明」を連発できるのも、この第七二条にある内閣総理大臣の「職務」規定に基づいた行為の一つ、とみなせることになる。

 「一見、きわめて明白」な憲法違反が確認できないかぎり(それを解釈するのも官僚だが)、この国の内閣および内閣総理大臣(内閣付きの官僚たち)は、私たちの生活を根本から変えうる外国との条約や協定をフリーハンドで結び、さらにそれら条約や協定の実質的改定となる首脳間の「共同声明」を意のままに発することができるわけである。

 一般に、外交や安全保障で「国家の専権事項」と言うときには、この「フリーハンド」をさしている。
そしてこの「フリーハンド」は、政治家や官僚が「国政の主権者」の意思を顧みず、独断専行的な政策で居直るときに用いられる。新旧安保条約の調印、一九七〇年六月以降の安保の永続的「自動延長」はその典型だ。最近で言えば、普天間問題に関する民主党政権の閣議決定や「日米合意」などもそれに含まれるだろう。

 しかし、これには重大かつ深刻な問題がある。
 その一つは、ただの市民/住民にとっては政府や官僚の横暴としか映らないそうした独断専行的な政策決定が、はたして日本国憲法の規定に従った行為と言えるのかどうか、もう一つは、市民/住民生活の根幹に関わる事柄が、当事者としての当該市民/住民の意思をバイパスし、日本政府と外国政府の「合意」のみによって決定されてしまってもよいのかどうか、という問題である。

 前者は、「内閣の事務」や「内閣総理大臣の職務」をめぐる憲法解釈、あるいは「三権分立」や「議院内閣制」など日本の「国のかたち」のあり方の根幹に関わる事柄であり、後者は、市民/住民主権の法的根拠の拡充、言葉を換えるなら、憲法が定める間接(代表)民主制の限界を乗り越える(あるいは補完する)直接民主制の諸制度の導入に関わる事柄である。

 前者の問題を考究するにあたっては、日本国憲法は外交や安全保障が「国家の専権事項」であるとは何も言明していない事実を立脚点として、政府による憲法の拡大解釈を批判するという視点が重要である。
 政治家や官僚は憲法が明文的に否認していないことをもって「憲法上許される」と強弁し、憲法解釈の国家権力を行使するが、そうした解釈の余地を憲法が残していることと、それをもって「国政の主権者」の意思に反した権力の濫用や横暴を合憲化することは、まったく次元の異なる問題である。

 この認識を共有できるなら、議論はさらに「内閣の意思決定過程の透明性をいかにすれば実現できるか」という問題にも発展するだろう。そのためには有名無実化している内閣に対する国会のチェック機能の確立や情報公開制度のさらなる拡充などをめぐる議論も欠かせない。

 しかし、詰まるところ議論は、「国政の主権者」の意思が、政策という形で押し出されてくる国家の意思を逆規定し、場合によってはその変更をも強制できるような「仕組み」はいかにすれば作れるか、ここに行く着くことになる。内閣の意思決定過程に対する「国政の主権者」の直接介入の「仕組み」。これが右に述べた、後者の「事柄」である。

 あらゆる政治の意思の源泉は「国政の主権者」の総意思にある。間接(代表)民主制の原理を基礎とする憲法理念から言えば、安保の再期限化の議論のイニシアティブは議会政党がとるべきである。日本国憲法は、その前文において、
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し… ここに主権が国民に存することを宣言」し、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と定めている。
 

 しかし現状では、既成政党にそのイニシアティブを期待することには無理がある。社共以外のすべての政党が日米同盟・安保堅持を掲げており、その社共両党にしても、安保の期限化をマニフェストに掲げ「国民運動」を組織するような気配は今のところ見られないからである。

 この現状を打開するためには、二つのアプローチが考えられる。
 一つは、間接民主制(代議制民主主義)の論理に従い、既成政党に対してあくまで安保政策の見直しを求め続けるという形で、既成政党への関与を強めることである。どの政党(党員・支持者)も、在日米軍の駐留が無期限に続くことを容認することはないだろう。
 とすれば、政党の責任問題として、安保と米軍駐留の期限化をいずれは論じなければならなくなる。そのプロセスを促進するために既成政党の内外から関与を強める、というのがこのアプローチである。

 もう一つは、主権者の意思を必ずしも反映しない間接民主制の限界を、直接民主制の導入によって乗り越えることである。「安保を国民投票にかけよ」という議論はこのアプローチに基づくものだが、これは古く「六〇年安保」の時代から憲法学者や国会議員らによって幾度となく唱導されてきた主張である。

 たとえば、岸内閣が改定安保条約を強行採決するほぼ一カ月前、一九六〇年五月一七日の「安保国会」において、椎熊三郎(自民党)は「学識経験のあるりっぱな方々の意見を案件判断の参考」(椎熊)とすべく、その前々日に大阪で行われた公聴会で当時の立命館大学総長、末川博が述べた次のような見解を紹介している。
「安保改定は国の運命を決する大問題であるから慎重に審議を尽くし、場合によっては国会を解散し、または国民投票をして国民の総意を問うべきである」。

 あるいは、一九六八年八月の参院外務委員会において、森元治郎(社会党)は次のように述べ、佐藤内閣に議論を仕掛けている。
「衆議院、参議院の国会の選挙を通じて、安保条約に対して国民はわが自民党を支持しているなどと佐藤.栄作.さんはよく言うけれども、これは雲をつかむような話です。
 そうではなくて、具体的に一つの案件を取り上げて、そして国民の一人一人が、外交問題でもあるいは財政問題でもいい、それに国民の意思を投じて、国政に直接参加する道という意味で国民投票制度というのがあればいい」。

 注目すべきは、この森の質疑に対し答弁した、三木武夫(外務大臣・当時)の発言である。
「このレフェレンダム.国民投票.の制度は憲法改正を伴います。したがってやはりこれは、各国が
国民投票によってその国民の意思を聞くという制度は、民主政治のもとにおいては国民の端的な意思を聞く制度としては、非常によりよく国民の意思を聞き得る、早く短期間に正確に聞けるということで非常に検討に値する制度だと思いますけれども、憲法改正を伴いますので、これはどうでしょう与野党なんかで一緒に検討してみるのは。」

 外務大臣、しかも首相経験者がこのような発言をしたにもかかわらず、政府・自民党は安保の国民投票をまともに検討したことがない。三木発言から丸四二年を経てもなお、この実施の可能性が「与野党なんかで一緒に検討」されたことは一度もない。その責任は自民党や旧社会党のみならず、議会政党のすべてが負っているのである。

 安保の国民投票は、「一時停止」状態にある改憲手続きを促進するという、「寝た子を起こす」一面があることは否定できない。そしてそのことが議論の活性化を阻む要因にもなっている。
 その意味で安保の国民投票は慎重かつ真剣に検討されるべきだが、それでも私は「国政の重要課題」に関する国民投票は、「諮問」的なものであれ、積極的に検討され、実施されるべきだと考えている。
 なぜなら、主権者の総意が政党政治に反映されず、安保の無期限状態に関する主権者の意思が一度も問われないという状況が構造化されている現状にあっては、間接民主制の限界を補う諸制度(それには既存の住民投票制度の制度改革も含まれる)を導入する以外に方法はないからだ。

 安保の国民投票の実施は、なぜそれを問うのかという議論と不可分一体のものであって、そうした議論を広く行うプロセスそのものが、国民投票を凍結状態にしておくよりも、はるかに政治的な意義を有したものになる、と私は考えている。
 憲法体系における間接民主制と直接民主制の緊張関係を踏まえながらも、五五年体制が構造的にはらんでいた矛盾と問題を未だに引きずっている政党政治の状況から言えば、国民投票制の導入や既存の住民投票制の制度改革の推進等による政治的意思決定システムの拡大は、日本の民主政の形成のために、もはや避けられない課題になっている。

 他のあらゆる政治的・社会的問題の解決と同様、日米同盟を再考し、安保にいつか期限をつけるという課題についても、この「民主政の形成とその深化をいかに実現するか」という観点に即し、もっと広く議論されてしかるべきである。
 「日米安保五〇年」に際し、日米同盟と日米安保を根本から問い直す議論の素材の一つとして本書が活用されることがあるとすれば、著者としてこれにまさる喜びはない。読者の忌憚なき批判を仰ぎたい。

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 『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』(新評論、中野憲志著)、「あとがき」より。

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社説:視点…憲法96条見直し 「国民投票主義」の覚悟は(毎日 1/11)
「・・・自民党の改正案は国会提案に必要な各院の賛成を「総議員の過半数」に引き下げるものだ。同条項改正には日本維新の会も賛成している。国民理解が比較的得られそうな点も首相が優先する背景にはあるのだろう。
 自民案で96条改正が実現すれば改憲のハードルは確かに下がる。だが、国民投票で賛成が必要な事情は変わらない。厳密には「国民投票を実施するハードル」が下がるのである。
 たとえば、ある政権の与党が重視する課題を憲法に盛り込みたい場合、国会の通常の法律制定と同じ程度の「数」さえあれば、国民投票に持ち込める・・・。
 ・・・改憲に国民投票を必須とし、かつ提案のハードルも低くするという自民案はある意味でユニークだ。
 そう考えると、96条問題の本質は「国のかたちをどこまで直接民主制的に決めていくか」の議論ではないか。今後、いずれかの形で国民投票的手法が政治に浸透する流れは避けられないだろう。一方で、普段は自治体の住民投票ひとつにも目くじらをたてているような多くの国会議員に本当にその覚悟があるのかな、とも思う」

「維新もみんなも改憲勢力」 福島・社民党首(朝日 1/10)
「日本維新の会もみんなの党も、憲法改正の発議の要件を3分の2から過半数にすることに賛成している。安倍晋三首相は憲法改正のための勢力拡大を明確に図っている。参院選で非自民の維新とみんなが躍進したと思っていると、(結果と して)改憲勢力が増えたということもありうる。社民党は、自民党と維新・みんなが憲法改正で手をつながないよう「それは問題だ」ということを言っていきたい・・・」

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