2013年8月15日木曜日

現代の戦争と蘇る『知識人の裏切り』  (Ⅱ)

現代の戦争と蘇る『知識人の裏切り』 (Ⅱ)


 戦争と平和の言説と「知識人の裏切り」

 現代の戦争のロジックは、人間が一度は歴史の屑かごに捨てたはずの、しかし実際には捨てずにずっと隠し持っていた、廃れた論理の埃を払い、都合よく現代風に仕立て直したような代物に過ぎない。 『知識人の裏切り』を読むと、そのことがよくわかる。

 その意味では、「平和の大義」をめぐり「知識人」が編み出す言説は進歩するどころか、くり返されてきた戦争の回数と犠牲者の数に見合う進化をしていない分だけ、退化していると言える。
 検証のため、『知識人の裏切り』の世界に分け入って行こう。


 溢れかえる戦争の言説

 ジュリアン・バンダは、世界が再びの全面戦争に向かおうとしていた当時のフランスやヨーロッパの「帝国」を席巻していた思潮を「国家的情熱」という言葉で一括している。周辺諸国の「脅威」を互いにやたらに煽る、どこかの国々の現在の思潮とそっくりである。
 この「国家的情熱」の思想的源泉、それをバンダは「政治的現実主義」と定義する。

 「あらゆる征服の企てを正当化するためだけに都合よく解釈され」た戦争の言説が、政治的「リアリズム」を偽装しながらヨーロッパ大陸を支配していた。
 アジア大陸でもそうだった。それらは現代人にも、とても馴染みの深い言説である。

● 共通の利益や公共の平和を守る (強調は執筆者)
● 不当に奪われたものの奪回、反乱者の鎮圧、無実の人々の保護 (上に同じ) 
● 侵略に対する防衛
国権[国家の主権]の行使に反する障害物除去のため (強調はバンダ)

 「平和」のために戦争をする」という論理が、「共通の利益」や「公共」の名において正当化される。
 「無実の人々の保護」は、実は「反乱者の鎮圧」という戦争の政治目的を押し隠す無花果の葉だったかもしれない。今でも。

 「この現実主義、現代知識人はこれをたんに国民だけでなく、階級にも説いた。労働者階級にも、ブルジョア階級にも、彼らはこう言った。団結して、最強者になり、権力を奪取するか、またはすでに権力を有するなら、これを守るべく努めよ」と。

 バンダが言いたいのはこういうことだ。
 「平和と民主主義」を掲げ、世界の平和勢力を束ねようとしたマルクス主義者の中には、「ロシア革命の父」レーニンの登場を待って「革命的祖国敗北主義」と「内乱から革命へ」を語りだし、権力奪取後はその権力を帝国主義の侵略(後にファシズムが加わる)から守るための防衛戦争を「階級に説いた」者たちがいた。

 つまり、当時の「現代知識人」が、「帝国主義の侵略」戦争を「国民だけでなく、階級」に説く勢力と、それとの「防衛戦争」を説く勢力に分かれながらも、そのいずれもが戦争を説いていた点では同じだった、ということである。
 それを「政治的現実主義」の現れとしてバンダは捉え、ここで批判しているのである。

 かくして、「現代知識人」(聖職者、科学者、哲学者、文学者、学者、リベラル、保守、マルキスト・・・)は「国民だけでなく」「階級」をも「裏切」り、そうすることで人間を「裏切」った。
 事実、人間はこの書の発刊後、わずか一〇年余りで七〇〇〇万人を殺した戦争への坂を転げ落ちながら、登りつめて行くことになる。
 少なくとも、責任の何たるかを知る「知識人」は戦後、口をつむぐしかなかっただろう。


 溢れかえる平和の言説

 公正をきすために言えば、「現代知識人」が平和を説かなかったわけではない。
 むしろ戦間期の時代は、戦争の言説と同じくらい平和の言説に溢れかえっていた。
 「政治的現実主義」の戦争の言説を無力化することができず、「平和の大義を、少なくとも真摯な人々に弱めるという重大な結果」をもたらした、溢れかえる平和の言説たち。
 バンダによれば、そこには四つの類型が確認できる。

● 科学万能論的主張をする平和主義
● 通俗的平和主義 
 (「殺す人間」を弾劾し、愛国主義の偏見を冷笑することしかできないもの)
● 神がかり的平和主義 
 (盲目的な戦争憎悪しか知らず、戦争当事者が攻撃しているのか守っているのか、またそれを望んだのか受け身でやっているのか考えようとしないもの)
● 愛国的主張の平和主義 
 (人道主義を称揚し、軍国精神や国家的情熱の緩和を説く一方、国益を害さず、外国に対する抵抗力を失わないよう主張するもの)

 最初の「科学万能論的主張をする平和主義」の要約を原典に見つけることはできないが、科学の進歩を平和と結び付ける言説と理解すればよいだろう。
 「戦後」の日本では聞き慣れた、「科学技術を軍事に転用し、仮想敵との間の軍事バランスと脅威に対する抑止をはかる」といった、日米安保とセットで米国から輸入された軍事リアリスト的言説もその亜種の一つである。

 ところで、こうして溢れかえる戦争の言説と平和の言説を並べてみると、両者に奇妙な対応関係や微妙な共犯関係があることが見えてくる。
 たとえば、「愛国的主張の平和主義」は、「国」を「愛」するあまり、いつでも外部からの「侵略に対する防衛」や国家の領土保全・主権行使論などに回収され、「武力による平和」=「平和のための戦争」論に化けてしまう。 これが「平和のリアリズム」が行きつく果てだろうか? 

 「現代知識人にあって、愛国心が帯びる性格のもう一つの特色に触れておきたい」。
 バンダは続ける。

  「つまり、攘夷性である。これは、「外部の人間」(le horsain よそ者)に対する人々の憎悪、「身内で」ない者に対する追放と侮辱である。こうした傾向は民衆のなかにはつねにあり、またおそらくその生存に必要なものであろうが、これが現代では、いわゆる思想家に採用されている。(中略)。
 知識人がこの愛国主義を採用して、世俗人の情熱をいかに煽ったか、言う必要があるだろうか? (一五五頁)」

 反省することを知らない「人間」が、あまりに多いため、何度でも「言う必要」はありそうだ。
 戦争の言説が平和の衣を纏い、「国家的情熱」を鼓舞し、「外部の人間」に対する憎悪を煽りながら人間を戦争に駆り立ててゆく。
 その一方で、必ずしも意図的に戦争の言説に与するわけではない「通俗的平和主義」や「神がかり的平和主義」は、民族/人種主義と一体化した国家主義を鼓舞し、憎悪を煽る「愛国的平和主義」の情熱の前では、あまりに頼りなげにみえる。

 だから、口では平和を語る政党や宗教組織が「愛国」や「民族」を語りだすと、時代は戦争=平和、平和=戦争に通じる怪しい迷路の罠にはまり、そこからの出口を見失ってしまう。
 おそらくそれは、昔も今も変わらない。


 帝国の秩序と「知識人の裏切り」

 いったい、〈問題〉はどこにあったのか?
 「問題は、知識人の職責が帝国の支配を支えることにあるのかどうかにある」。
 これがバンダの見解である。

 『知識人の裏切り』の中に書かれている「国家」とは、すべて「帝国」を意味している。
 そこでの「帝国」とは、主に一八七五年のベルリン会議以後、「アフリカの分割」に乗り出し、以降、没落するものと興隆するものに分かれながら第一次大戦にのめり込んで行った西洋の帝国をさしている。

(ただし、大戦の戦争特需によって「黄金の二〇年代」に狂乱していた西半球の帝国や、「大正デモクラシー」の終息を迎え、普通選挙法と治安維持法を同じ年(一九二五年)に制定した東洋の帝国は、さほどバンダの視野には入っていない。)

 第二次大戦後の一九四六年版「序文」の冒頭において、「知識人が当時、せっせと裏切り続けていたのは、すべて国家のためだった」とバンダが回想するくだりは、「帝国の支配を支えるためだった」と読み替えると、より理解しやすくなる。

 「帝国の支配」とは「帝国の統治」のことであり、「帝国の統治」とは「帝国の秩序」のことだ。
 これにフランス帝国をはじめ、ヨーロッパ各帝国の「現代知識人」はひれ伏した。
 だからバンダは、「序文」の第一節を、「A. 知識人が「秩序」の名においてその職責を裏切る。その反民主主義の意味」としたのである。

 バンダによれば、「秩序の観念は戦争の観念、民衆の貧困の観念につながる」。
 「秩序とは本質的に実際的な価値である。これを崇める知識人は厳密な意味でその職責を裏切っている」。
 このくだりも「秩序」を「帝国の秩序」にすれば、その意味をより明確に理解することができる。

 「帝国」とは、他の国、人種、民族を征服し、それによって作られた秩序を守りつつ、さらに自己の勢力圏を拡げようとする政体である。だからその秩序の維持と拡大は、必然的に他の帝国や小国、他人種・民族との戦争、戦争による民衆の貧困を伴うものになる。

 しかし、ここで注目したいのはそのことではない。むしろ、バンダがこのような「帝国の秩序の観念」――小国や他人種・他民族の人間をも自己の勢力圏に置かなければ気がすまない人間の観念――は、決して人間が普遍的に持つ観念ではない、と断言していることに目を配りたいと思う。

 「帝国の秩序の観念」は、近代西洋の各帝国の成立以後、国家や「現代知識人」によって広められたものだとバンダは言う。
 人間は「正義、自由、科学、芸術、慈悲、平和の像は立てたが、秩序の像はけっして立てなかった」のである。
 さらに言えば、人間は「「秩序の維持」にあまり共感を示さなかった」。
 なぜなら、それが「暴力の観念につながる」からである。なぜか?
 人間(「民衆」)は、それが「騎兵隊の突撃、無防備の人々に向けられた弾丸、女性と子供の死体を意味する」ことを「本能的に理解」していたからである。

 現代に生きる人間も、その多くは「秩序の維持」に「あまり共感を示」してはいないだろう。
 しかし「秩序の観念」が「暴力の観念につながること」を認識している人は、とても少ないのではないだろうか。

 バンダ流に言えば、おそらく現代の「知識人」にとっての問題は、現代の帝国の秩序を支えることを自らの「職責」とするか否かにあるのだろうが、それは「知識人」それぞれが、その秩序の形成をどこまで「民衆」が受ける暴力につなげて思索できるかにかかってくる。

 実に多様なアイデンティティを持ち、それぞれに分かれた民衆(peoples)の小さな秩序と、現代の帝国の巨大な秩序。
 前者が後者に暴力的に統合されるのでなければ、両者の像は決して均質化されることはない。
 民衆の小さな秩序が他者との交流により変容することはあっても、それぞれがそれぞれの固有性を保つことはできるはずである。

 現代の人間は、現代の帝国の秩序形成に向けた統合、その軋みで生じる暴力の意味を「本能的に理解」できる人間の像を、どこまで取り戻すことができるか?
 「価値観の修正」の実現可能性はすべてそれ次第、ということになりそうである。

2013, 8/15 中野憲志

⇒「現代の戦争と蘇る『知識人の裏切り』」へ


「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「「戦後」の未総括」という不都合な真実」(2012, 8/16)

・・・
「アジアへの反省」触れず=戦没者追悼式で首相式辞―68回目の終戦記念日
 「68回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。・・・。
 ・・・安倍首相は式辞で、近年の歴代首相が表明していたアジア諸国に対する損害や反省などに言及しなかった
  式典は正午前に開始。式辞で安倍首相は、2007年に自身も使った「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与え、深い反省と哀悼の意を表する」という表現を用いなかった。
 近年の首相が使っていた「不戦の誓い」にも触れなかった

  近隣諸国に対しては1993年、細川護煕首相(当時)が初めて式辞で哀悼の意を表明して以来、歴代首相が「損害と苦痛」や「深い反省」に言及してきた。
  安倍首相は一方で、「わが国は世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に支援の手を差し伸べてきた」と述べ、「世界の恒久平和に、あたう限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くす」と訴えた・・・・。」(時事通信より)