2014年7月21日月曜日

『福島と生きる』メールマガジン特別号 No.7

『福島と生きる』メールマガジン特別号 No.7
――息長く〈福島〉とつながり続けるために――

2014年7月20日発行(不定期刊)
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インタビュー
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谷山由子さん(日本国際ボランティアセンター[JVC] 震災支援担当)
http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/touhoku/

――いま南相馬を見ておかないと損!

<目次>
I コミュニティ放送局への移行をめぐる課題
 ラジオ局はやはり必要
 復興FMの必要性
 JVCの果たしてきた役割
II 被災3年半後の課題と困難
 「心のケア」の連携の必要性
 「避難か帰還か」ではなく――地に足の着いた活動とつながること
 「分断」という言葉が断ち切るもの
III いま南相馬を見ておかないと損!
 「支援者」じゃない 自分も主体


南相馬と東京の落差――いま南相馬を見ておかないと損!

I コミュニティ放送局への移行をめぐる課題
Q JVCは2011年4月、原発事故後の避難の中、基本的な情報伝達でさえ困難を極めていた南相馬市で災害FMラジオ局の支援を開始し、その後仮設住宅の交流サロン、三春町の農家との交流などを続けて来られました。
 まず、「南相馬ひばりFM」(http://hibarifm.wix.com/870mhz)の現状について教えてください。

谷山 南相馬ひばりFMは、南相馬市原町区の栄町商店街振興組合が運営する公設民営の臨時災害ラジオ局として開局しました。1年目は出版社に勤めていた経験をもつJVCのスタッフを派遣して、より聴きやすいラジオ放送にするための土台づくりを支援しました。
 

 南相馬の状況や復興のとりくみを海外に発信していくために英語の番組作りを提案したり、コミュニティFMへの移行をにらんで、ラジオ局の今後を話し合う住民参加型ワークショップの開催を支援したりしてきました。2年目以降、放送そのものについて外部の支援は不要になっています。
 南相馬市は2015年度までは放送を続けてほしいという意向をもっていて、2014年度から最低限放送が続けられるだけの予算を組んでいます。

ラジオ局はやはり必要
Q 市が予算化して支援しているということは、ラジオ局の意義を理解してもらえているということですね? リスナーからはどんな反応があるのでしょうか?

谷山 市の理解が高まったきっかけの一つが、市議会で議員がラジオ局免許の更新問題を取り上げて、ラジオ局をサポートすべきだと訴えてくれたことでした。市が運営している「みなみそうまチャンネル」テレビで十分ではないかとの意見もあった中で、農作業中は地震や津波が襲ってきたらと思うと怖いのでラジオを携帯している、屋外で仕事をしている人はラジオが頼りだ、とラジオのニーズを訴えてくれたのです。

 リスナーからのお便りも増えているようですし、ツイッターなどでの反応もあるようです。サイマルラジオ(インターネットを通して聴ける)を通して市外で聴いている人もいます。JVCが今年行った仮設住宅の交流サロン利用者を対象にしたアンケートを見ると、ラジオを聴いている人が半数近くいました。

 当初は、臨時災害FM局からコミュニティFM局への移行をめざしていましたが、長期的な資金確保の目途が立たないため、とん挫しています。スタッフが献身的に頑張って初めて成り立っているような状態です。

復興FMの必要性
谷山 市民活動を担う団体のスタッフなど、ラジオ局の意義を理解していて残したいと考えている人たちはかなりいます。本来なら、臨時災害FMでもなく従来のコミュニティFMでもなく、災害後の復興プロセスを担う「復興FM」という位置づけのラジオ局が必要だと思います。

 臨時災害FMは災害直後の臨時的なものに限定されていますが、かといって、コミュニティ放送局
として免許を取得するには、5年間事業を続けられる資金的裏付けが必要で、ハードルが高い。
 いま本当に必要なのは、中央からの放送では分からない、地元で起きていること、地元の人たちがどういうとりくみをしているかという情報です。それを伝えるメディアが地元にあれば、「自分がやりたいと思っていることはあそこに相談すればできる」といった情報を市民が得ることができます。

 JVCは「復興FM」化をめざして政策提言をしようと、阪神淡路大震災後に生まれた神戸のFMわぃわぃの人を招いて、各地の災害FM局の人たちが参加するワークショップを提案し、実施しました。ところが、たとえば行政の支援を受けられるからその必要性を感じないという局もあるなど各地の状況が異なっており、政策提言を行っていこうという合意に至りませんでした。

 しかし、JVCがFMわぃわぃの協力を得て始めたことが、いま、ひばりFM自身の手で引き継がれています。今年3月、ひばりFMが主催して、現在の復興においてラジオ局がどういう役割を果たしているのかを話し合うシンポジウムが行われたのです。JVCとしてはひばりFMを他のラジオ局につなぐ役割を果たせたのではないかと思います。

JVCの果たしてきた役割
Q さまざまな団体とつなぐという役割はJVCが外部の団体だからこそできたと思いますか?

谷山 外部者であることは大きな意味があると思います。でも、それだけでなく、地域での関係づくりについてJVCがこれまでの活動で培ってきた経験を生かすことができたのではないか思います。
 もちろん、上手くいかなかったことも多々あります。たとえばコミュニティラジオ局化を目指してNPO法人設立を急がなくてはならないという重要なタイミングで、ひばりFMと他の関係者の話し合いを進めようとしたときも、JVCが余計なことをしている、と見られたこともありました。

 結局、臨時災害FMの必要性を理解している桜井市長が再選され、免許を更新できることになり、存続できることになったのですが、事態の推移によっては、存続が危ぶまれる状況になっていたかもしれません。
 いずれにせよ、ここ1~2年がラジオ局存続にとって勝負です。スタッフは本当に懸命にやっていますが、無理がたたって身体を壊しかねない状態です。それはラジオ局だけでなく、他の市民活動団体に関わっている人たちにも言えます。


II 被災3年半後の課題と困難

「こころのケア」の連携の必要性

Q 外から見ると南相馬では復興に向けた市民の活動も活発ですし、一見上手く行っているように見えます。被災から3年半経って、市民がおかれた状況は改善しているのでしょうか?

谷山 南相馬は原発事故の影響で外から支援があまり入って来なかった分、なにもかも自力でやらなければならない状態でした。だから、去年(2013年)ぐらいまでは勢いがありました。しかし、ここにきて活動に携わっている人たちに疲労が出てきているようです。また活動が継続できなくなる団体も出はじめています。震災後に急きょ作った団体は持続が難しいかもしれません。

 いまJVCが気にかけているのは、交流サロンがなかったり、自治会がうまく機能していなかったりする仮設住宅で、孤独死や自殺の例が見え始めていることです。そうした例を防ぐために、医療機関や保健師、牛乳配達員や新聞配達員などが見守り活動を行っているのですが、相互の横の連携が十分ではありません。横の連携を進めるため、現場の状況についての情報交換が必要だと痛感しました。そこで今年の春、医療関係者が中心となっている地元のNPOと「こころのケア連絡会」を発足させ、JVCも共催団体の一つとして役割を担っています。

 ただ、仮設住宅や帰還先でのサロン活動などじっくりと腰を据えた支援活動を目指しているパートナー団体は「連絡会」の必要性は認めているものの、自分たちがやろうとしている、こととは異なるものと感じているようです。でもJVCとしては、ともかくいろいろな人を巻き込んで連携を進めて行かないと、この先セーフティネットとなる仕組みも作れず大変なことになると思っているので、パー
トナー団体や関係団体の人たちとの対話を続けていきたいと思っています。

「避難か帰還か」ではなく――地に足の着いた活動とつながること
Q 南相馬市は「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」および無指定の4つの区域に区分されて市内でも「分断」されてきました。
 市は2016年4月に、市内の小高区を含む原発20キロ圏の避難指示解除を目指しています。避難指示解除と住民帰還をめぐっては、放射線量への懸念から帰還に慎重ないし反対の意見もあります。そのような中で住民の支援活動を行うことが、帰還を促進することになるという批判もあります。JVCはこの問題をどう考えていますか?

谷山 JVCは「避難か帰還か」という問題については中立の立場をとろうと決めています。避難を選択する人、残る/帰ることを選択する人、そのどちらの声にも耳を傾けたいと思っています。
 最近、首都圏に避難している人たちが集う交流サロンに出掛けて行って話を聴くことを始めました。避難する人、帰還を選択する人の双方が、つながるところまで行かなくとも、それぞれの声が聴ける場を作りたいと思っています。そのためにラジオ局が役割を果たせるのではないかと、ひばりFMのスタッフも考えています。
 中立の立場をとることについて、団体内に異論がないわけではありません。そこにとどまっている人たちを支援することが、結果的に帰還を促進し避難をしにくくする可能性があるからです。

 ただ、私たちは地に足の着いた活動とつながることが絶対に必要だと思っています。JVCのパートナーは小高区(注-大半が原発から20km圏内で、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に指定されている)での長期的な復興活動に腰を据えてとりくもうとしています。
 帰還を推進するような活動にJVCが関わることはできないと思いますが、実際に現地で起きていることを肌感覚で理解するためには、そのような地に足の着いた活動をする人たちとつながっていることがとても大事だと思っています。

 「こころのケア連絡会」のような専門家の横の連携も、地に足の着いた活動にとりくむ人たちとつながっていないとだめだと思います。ですから「連絡会」はたんに会合を行う場ではなく、いろいろな人たちのところに積極的に出掛けて行って話を聴くようなものにしていきたいと思います。
 仮設住宅の入居者だけでなく、将来、帰還した人たちを孤立させないことも考えていかなくてはならない。だから、「こころのケア連絡会」を立ち上げて終わり、ではなく、3年ぐらいかけてじっくりと連携のための土台を作っていきたいと思っています。

「分断」という言葉が断ち切るもの
Q 「分断」という言葉を使うことで分断が生まれ、固定化されるという意見も最近はよく耳にします。

谷山 その通りだと思います。外の人が「分断」「分断」と言うから、つながりが断たれていくのかもしれません。本来なら、つながる余地があったのに「分断」という言葉を使ったとたんに切れてしまう。つながれる選択肢を模索するのを止めてしまう。「だってあの人は補償金をもらっている。私はもらっていないもの」と言ってしまえば、そこで相手とのつながりの可能性が断たれてしまう。

 市内全仮設住宅の自治会長さんを招待して(実際には代理で参加した仮設住宅住民の方が大半でした)慰安のための日帰り温泉ツアーをやったときのエピソードですが、小高区以外の地区の人たちから「小高の人たちは補償金をもらっていいよね」という声が上がったそうです。すると小高区の人たちがそれに言い返した。一瞬、険悪な雰囲気になったのですが、その後、温泉という場の雰囲気もあって段々打ち解けて行って和やかになったというのです。みなさん、ふだんはそういうことを口に出さないようにしているのですが、むしろ言い合ったことが良かったのかもしれません。

 また、情報交換のために訪問した地元のNPOで、除染活動をしているある人に「避難者と残っている人たちが互いに話をしないことが溝を深めているのではないか」と問いかけてみました。すると「避難している人が避難先で幸せだったら自分も嬉しい。でも、もしも苦しんでいるのなら、帰っておいで、と言ってあげたい」という返事が返ってきました。除染だけでなく、エコ・エネルギーにもと
りくんでいて、帰って来られるような町をめざしているので「帰っておいで」と言ってあげたい、と。

 いまは、そんなふうに、思っていることを話せるような場もありません。面と向かって話せば「あのとき逃げただろう」という言葉も出てくるかもしれません。でも、話を聞かせてくれたその人は、「いつか、「お前逃げただろう」とこちらも言えるし、相手も「いやあ、逃げちゃってさ」と言えるような関係になれたらいいなと思う」と言っていました。
 なによりも、誰もが言いたいことがものすごく溜まっているので、他者との話の前にまず自分の思いを聴いてもらえる環境が必要です。

Q そこにおいて外からやってくる人たちはどんな支援ができるでしょうか?

谷山 もちろんいろいろとあると思いますが、例えば傾聴ボランティアがいれば話を聞いてもらえる、ということもあるかもしれません。ですが、実際には、さんざん話を聴いてもらったが、何の問題も解決していない、という不満の声もあります。それが逆にストレスになる場合もあります。話を聴いてもらえる環境を作ること自体はとても重要なことですが、ただ聴けばいいというのではないよ
うです。話を聴いたら問題解決に向けて次につなげていけるようにしていかないといけません。そこが、いま課題となっています。


III いま南相馬を見ておかないと損!

「支援者」じゃない 自分も主体

Q JVCのこれまでの経験に照らして、福島支援活動と海外での活動は本質的に同じだと思いますか?

谷山 地域の人たちの主体性をいかに尊重していくか、引き出していくか、という課題は同じです。でも、南相馬での活動はいろいろな意味で「しんどい」です。なぜかというと「自分も一緒に抱え込んでしまっている」と感じるからです。海外での支援活動では現地の人たちに「これはみなさんのコミュニティが決めていくことです」と最終の決定権を渡せるのですが、南相馬では自分もその活
動の主体の一部なのです。逃げられない(笑)。

 実は最近、自分の中で変化が起きているんです。以前は、南相馬で自分の意見をあまり言わないようにしていたのですが、最近はガンガン言うようになってきました(笑)。自分が南相馬の方に近くなっているのかなと感じます。

 最近、周囲の人に「南相馬を忘れないで、と言うのは止めよう」と言って回っています。なぜなら、南相馬でいま起きているのと同じことが、将来、どこで起きるか分からない。だから、いま南相馬で人々がどんな経験をしているのか、どんな活動をしているのかを見ておいた方がいいと思うのです。「南相馬を忘れないで」ではなく「南相馬を見ておかないと損するよ」と言いたいのです。

 南相馬の人たちはかなり悲惨な経験をしました。避難するかとどまるかという究極の選択を迫られて「ここで生きる」と決意した若者たちのエネルギーはすごいです。そこに立ち会わないでどうする、と言いたいですね。

Q その心境の変化はどこから来るのですか?

谷山 南相馬に通い始めて2年、3年と経つと、東京に帰ってくるとぐったり疲れるようになりました。あまりにも震災や原発災害のことが忘れられていくからです。南相馬にいるときの方が、頑張っている人たちが周りにいるので「一緒に生きている」という感じを抱き、元気になれる。でも東京は無機質で、震災・原発災害のことはあたかもなかったかのようです。それで体調を崩してしまいました。

 その時期を過ぎてからでしょうか。心境の変化が起きたのは。ある有機農家の方が南相馬を「再生可能エネルギーでエネルギーを賄い、野菜もおいしくて、魅力的な町だ」と思ってもらえるような町にしたいと言うのを聞いて、その通りだと思ったのです。

Q 谷山さん自身が、自分を南相馬の人たちと一緒にやっていく主体なのだと感じるようになったということでしょうか?

谷山 そうかもしれません。だから「こころのケア連絡会」も3年かけて作ろう、なんて言ってしまいました!(笑)もちろん、どこかの時点で現地にバトンタッチするのですが。
 JVCとしては少なくとも2015年度までは支援を行うことは決まっています。その後についてはまだ決まっていませんが、個人的には10年はかかると思ってます。10年単位で考えないと物事が進みません。阪神淡路大震災のときも、仮設住宅がなくなったのは10年後でした。

南相馬と東京の落差――いま南相馬を見ておかないと損!
Q 10年はかかるという状況の中で、福島支援という点について言うと安倍政権の政策やいまの社会的状況をどう思いますか?

谷山 「原発をすぐに止めるのは現実的ではない」とか「復興のためにはお金がかかるので経済活動が大切」という意見は福島県内にもあります。だから南相馬でもそういう話をするときは慎重にならざるを得ないのですが、実際は復興の約束も果たしていない。みな「景気」という言葉に惑わされています。いまは一見、景気がいいように見えるので、次の政権で経済状況が悪くなれば「安倍政権はよかった」ということにすらなりかねません。とても怖いです。

 これだけの原発災害が起きているのに、また以前のエネルギー大量消費の社会に戻ろうとしています。東京では節電なんてどこへやら。そんな東京に戻ってくると、元気がなくなるのです。いまとなっては体調を崩した理由も分かります。

Q ではJVCとしては今後、積極的に「南相馬を見ておかないと損!」というメッセージを発信していくのですか?

谷山 もちろん、現地の人たちが発信していかないと仕方がないのですが、JVCとしてはアジア太平洋資料センター(PARC)の発行する『オル』の「南相馬通信」という連載など、いろいろな媒体を通じて発信していきたいと思います。私自身、伝えたいことが本当にたくさんあるのです。
 現地へのスタディツアーも始めて、仲間を増やしていきたいと思います。

(2014年6月23日のインタビューをもとに構成。
インタビュアー/文責:『福島と生きるメールマガジン』)

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新聞記事から
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福島第1原発事故:がれき撤去で放射性物質飛び水田汚染か
毎日新聞 2014年07月14日 http://mainichi.jp/select/news/20140714k0000e040228000c.html
 東京電力が昨年8月に福島第1原発で行った大型がれきの撤去作業中に、放射性物質が飛散して20キロ以上離れた福島県南相馬市の水田を汚染した可能性があるとして、農林水産省が今年3月、東電に対して再発防止策を要請していたことが分かった。(以下略)


『福島と生きる』関連サイト一覧
低線量被曝から子供たちを守るために 
 http://blog.canpan.info/miharu1126/
まつもとこども留学 
 http://www.kodomoryugaku-matsumoto.net/
原発いらない福島の女たち 
 http://onna100nin.seesaa.net/
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 
 http://kodomofukushima.net/
福島県有機農業ネットワーク 
 http://fukushima-yuuki.net/
農家娘の日々。--福島の大地にきぼうのたねをまく--
 http://ameblo.jp/yunosato-farm/
国際環境NGO FoE Japan
 http://www.foejapan.org/energy/news/index.html
シャプラニール=市民による海外協力の会
 http://www.shaplaneer.org/support/jishin_japan.php
日本国際ボランティアセンター(JVC) 
 http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/touhoku/
ふくしま地球市民発伝所 
 http://fukushimabeacon.net/
新評論 
 http://www.shinhyoron.co.jp/

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※『福島と生きる』メールマガジンは、『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦の共同執筆者の団体や活動の関連情報を発信していきます。
発行人=中野憲志・藤岡美恵子(『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』共編者)