2013年7月17日水曜日

「子ども・被災者支援法」制定一年 動かない支援策 (吉野裕之さんインタビュー)

「子ども・被災者支援法」制定一年 動かない支援策
吉野裕之さん子どもたちを放射能から守る福島ネットワークインタビュー

『福島と生きる』メールマガジン特別号 No.2-1
(2013年7月17日発行)

<目次>
パート1
 帰還する人々の不安/ あらためて放射線量の測定が必要/ 自分たちで動いて防護を
パート2
 「子ども・被災者支援法」――方針策定に当事者の声は反映されるのか?/
 国主導の検診制度と住宅延長・住み替え支援を/ 支援策が動いていないのはなぜか

I  帰還する人々の不安

Q1   原発事故から2年と3カ月が経過しましたが、いま福島に住んでいる人の間で避難や保養について、また逆に避難していた人の帰還について最近新しい変化や傾向はありますか?
 また、子どもたちの今後の育ちにとって一番重要となる課題は何か、それを実現するためにいまどんな状況にあって、何をやっていかなければならないかをお聞かせ下さい。

吉野  最近とくに新しいと思われる動きは、帰還する人が増えていることです。今年4月から、特に山形県から戻ってくる人が目立っている。山形県にはもともと避難している人も多かったので、戻ってくる人の中でも比率が高いのだと思います。また、近距離ゆえに帰還するかしないかの間で揺れているのかもしれません。遠方まで避難した方々とは別の気持の動きがあるのだと思います。

 ただ、戻ってきたからといって安心ではない。期待しているほど線量は低くないので、戻ってきたもののやはり不安だ、戻ってくるべきではなかったと後悔をしつつ、生活環境上戻ってこなくてはならなかったという事情がある。そこで戻ってきたお母さんたちがいま、新しく自分たちで「アットホーム・ママーズ」というメーリングリストを回し始めています。そういう活動を支援している地元のNPOもあります。

Q2  戻ってくる人たちの事情はいろいろだと思いますが、どういう特徴がありますか。

吉野  やはりお父さんがつらくなっているみたいです。「そろそろいいんじゃないの」と。福島県内は除染も行なわれているし、頑張って復興していこうという風潮が強く、それを見ているとお父さんも「なんかもう、大丈夫みたいだ」という気持ちになってしまう。離れているのもつらいので「そろそろ戻ってこい」という話になる。小学校から中学校へ上がる、中学校から高校へ上がる、小学校に入学するというタイミングで戻ってくる例が多いようです。

 原発事故子ども被災者支援法(支援法)(※1)が動いていない状況で、いまは2014年3月までは借り上げ住宅の支援があり、たぶん2015年まで延長される。その節目までに自分の子の進級を考えると「この4月でなきゃ」と考えるようになる。お父さんからの「戻ってこい」コールと、タイミングが合うという事情があります。

 一方、福島県内は除染もやってはいるが、遅々として進んでいないし、一回やったからといって毎時0・23マイクロシーベルトという環境省の除染目標を下回るところはあまりないと思う。私たちの測り方では0・23を超えているけど、業者さんが測るとき、とくに地表を測るときは、鉛で遮蔽し周辺環境からの影響をなくしてその部分だけの線量を測っている。

 だから、普通に測ったときの値の半分から3分の1ぐらい。それでやると0・23を下回っている。でも子どもたちは遮蔽された鎧を着て生活しているわけじゃない。だから、周辺環境の影響を受ける中で測らないと、子どもたちの受ける被曝量は真実通りには把握できません。

 モニタリングポストは周辺を掃除した上で立てているので、そこの測定値は低く出ています。一般的にテレビや新聞で発表されるのはモニタリングポストの測定値です。除染が終わった場所の公表数値も実際よりも低い。つまり生活を反映して測定されたのではないデータが世の中に出ています。それを見てお父さんは判断しているのです。

※1 法律全文と解説は「原発事故こども・被災者支援法市民会議」のサイトを参照。http://shiminkaigi.jimdo.com/


II あらためて放射線量の測定が必要
 だから、あらためて測らないとだめだということで、特殊な装置を使って測定活動をしています。その装置の開発者さんや研究者さんがボランティアで計って下さるのです。保育園の園長さんで非常に頑張っている人たちがいて、その人たちと保育園で散歩していたコースを歩きながら測ってみた。

 すると帰ってくる道の線量が高いので、同じ道を引き返してくるしかないことや、子どもを遊ばせていた広場も一番低いところしか使えないということが、この方法だと歩くだけで分かる。測ったものをすぐに地図に表すことができ、それを印刷することもできる。先生方にも保護者にも説明しやすい。

 すると別の保育園からも「うちもやってほしい」と声がかかりました。そこから保育園同士のネットワークでどんどん測っていって、結果を保護者に説明する。専門家にも来てもらって、一から「放射線とは」という説明をしてもらう。こういう状況だから、通学のときも散歩のときも気をつけてやります、防護しながらちゃんと考えて行きますと説明すれば保護者も納得してくれるでしょう。
 そういう作業をいまあらためて始めているところです。

Q3  公立の保育園も含めてやっているのですか?

吉野  いまのところ私立の認可保育園だけです。私立の無認可保育園の先生も知っているので、そのプロジェクトが上手く行きそうなら広げていきたい。すると必ずお兄ちゃん、お姉ちゃんがいる小学校の辺りはどうなんだろうという話になる。公立の小学校や幼稚園も、きちんと測り、子どもたちの被ばくを可能な限り低減させ、生活環境を安全にした方がいいという説明をしたいと思います。

 それから測定中に幼稚園の園庭で除染漏れが見つかりました。園庭のほかの場所は0・14マイクロシーベルトなのにそこだけ10倍高かった。土を削ってみると下の方は低かったので、間違って汚染された土を上にしてしまったということです。すぐに園長先生に現場監督を呼んでもらって自分たちでもきちんと測らせ、すぐに除染してくれと言いました。

 でも作業が終わるまで一週間かかりました。汚染された土をどこに持っていくかを決めないといけないからです。こういった除染漏れも、この測定機械だと一目瞭然に分かるのです。ただ、現在私たちの手元には一台しかなく、値段は135万円もします。

 つまり、園庭の再チェックと散歩コースのチェックをして、子どもたちが受けるかもしれない線量を把握することが必要なのです。それも雨風で変化するので、少なくとも半年に一回は測定し「クール・エリア」を探していく。

 うちの子の通学路は5ルートあるが、ナンバー3のルートが低いから、若干遠回りだけどナンバー3のルートの右側を通れとか。それをするだけで、一番線量が高いところの通学路の半分で済むかもしれない。そういう防護をしながら生活するのであれば、帰還したとしても少しは対処できる。
 何の対処もせずに、のほほんと生活していると被曝を増やす可能性があります。放射線に無自覚に生活して良い環境でない事を意識し、注意し続けなければならないのです。


III 自分たちで動いて防護を

Q4  行政は帰還した人に対して防護の情報を提供していますか。防護以外に何か特別な対策を帰還者に対してしているのでしょうか。

吉野  防護情報も出していないし、特別な対策は何もありません。先日、小学生が避難している家庭に対して、教育委員会から
 「福島市も除染を頑張っている。先日行われた鼓笛パレードも昨年より1kmコースを延長した。みな元気に歩いた。六魂際[20万人以上の見物客が来る大きな祭り]に向けてさらに除染を頑張っている。復興に向けて一丸となって取り組んでいるので、早期のご帰福をお願いします」
 という趣旨の手紙が来ました。200人以上が帰福した云々と書かれている。こういうものを読むと、自分がまるで非国民のようで追い打ちをかけられます。

 除染や祭りに関わる業者さんとして働いている家庭はたくさんあるし、仕事がなくなっている人たちもたくさんいるのですが、被曝から子どもを守る措置が十分でないのは確か。でも子どもが戻ってきてくれないと市の先行きも怪しい・・・。

 でも実際に測ってみるとこういう実態です。学校の前だって0・8マイクロシーベルトあります。通学路も総延長何百キロのうちの何キロはやっているという話で、未だ手つかずの部分の方が多い。国道4号線という幹線道路のうち、六魂際の会場となった部分はアスファルトを張り替え、歩道を高圧洗浄機で削ったのでそこはきれいになっているはずです。

 住民は、お祭りに来る人のためならそれだけ徹底的にやるのか、私たちはずっとここにいたのにお祭りが来なかったら除染してもらえなかったということか、という風に思う。そこで一部の住民から批判が上がりました。

 福島市のホームページに除染状況が公表されていますが(※2)、そこまで見る人はいません。活動している人か「エキスパートお母さん」ぐらいしか見ません。ホームページを見るほど気をつけたい人はすでに避難しています。

Q5   問題は、圧倒的多数のとどまっている人たちとどうつながれるかですね。保育園のネットワークはそのきっかけの一つということですね。

吉野  そうです。そういう活動を通じて、ちゃんと考えて意識的に生活していけば(被曝を)下げられます。苦肉の策だけれどそれをやる必要があります。また保養プログラムに参加して子どもを思い切り遊ばせることができる機会を自分からも作っていく必要があります。その際もお客さんとしてではなく、自分も保護者として役割を担えるように積極的に関わっていかなければ続かない。

 「やってもらって当たり前」ではだめだと気づいてほしいと思います。たとえば引率や名簿作りも自分たちでできるし、参加する子どものお母さんたちが自分たちでミーティングをやるぐらいにならないといけない。また、お母さん同士がママ友になって、次回に向けて一緒に準備する、そういうチームをいくつも作っていく。

 県がやっている「福島っ子事業」なども、5人以上のグループでプランを作り旅行会社を通じて申し込めば助成金をもらえるのですが、それにもスキルが要求されるので実現は大変です。しかし保養に参加するような意識のあるお母さんなら仲間を集めればできます。県内のグループは自分たちでプログラムを作って行くぐらいであってほしいと思います。

Q6  そういう問題意識をもって活動している個人や団体はどのくらいあるのですか?

吉野  私たちは福島市ですが、郡山には3a!(スリー・エー)郡山というグループがあります。会津にもいわきにも二本松にもあります。それに加えて、帰還したお母さんたちも、今度は保養でないとリフレッシュに出られなくなっているので、彼女たちが一番動いてくれるのではないかと思います。自分で解決しなくてはと思っている人たちですから。その人たちにつられるように、ずっと福島にいて、これまであまり動いてこなかったお母さんたちが参加していくという、お母さん同士のネットワークの方がいいのではないかと思います。

Q7  それこそまさに住民が、自分たちで主体となってやっていくということですね。

吉野  そうです。こちらに声をかけてくれればサポートできます。そのうち「自分たちだけで個別の保養ばかりやっていては不公平になるから、移動教室について教育委員会に相談しなければだめだよね」という話になっていくかもしれません。
 地元ではそういう活動をやりつつ、「支援法」をちゃんと動かしていくように、国会議員や関係者とディスカッションを続けていくことが必要です。

※2 福島市除染予定および進捗状況 
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/soshiki/76/houtai12083101.html

パート2に続く
(文責: 『福島と生きるメールマガジン』 インタビュー日: 2013年6月15日)

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『福島と生きる』メールマガジン特別号No.2-1(2013年7月17日発行)
 『福島と生きる』メールマガジンは、『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』の共同執筆者の団体や活動の関連情報を発信していきます。

発行人=中野憲志・藤岡美恵子 (『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』共編者)


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