2012年1月6日金曜日

シンポジウム「パレスチナと沖縄を結ぶ──民族自決権と開発」報告

シンポジウム「パレスチナと沖縄を結ぶ──民族自決権と開発」報告

 2011年12月3日、『脱「国際協力」 ― 開発と平和構築を超えて』(新評論)の出版記念イベントとして、上記タイトルのシンポジウムが京都・龍谷大学深草キャンパスにて行われた。
 内容は、パレスチナ問題を扱った第一部と沖縄問題を扱った第二部とに分かれ、第一部では、私が「パレスチナ/イスラエルの脱植民地化と日本:アパルトヘイト政策と開発政策の共謀」と題した報告を行い、続いてガザ出身のパレスチナ人で、長年、国際援助機関で働かれた経験をもつイヤース・サリーム氏から「イスラーム社会における市民運動:その特徴とパレスチナ問題への影響」と題した報告を行った。
 第二部では、龍谷大学教員の松島泰勝氏から「琉球の自己決定権──開発による米軍基地押し付け政策からの解放を目指して」との報告があった。

 私の報告は、西岸地区の開発計画、とりわけヨルダン渓谷地域で日本が進める「平和と繁栄の回廊」構想がイスラエルの占領政策を補完する役割を担ってしまっているという点について指摘し、そうした「上からの開発」に対するオルタナティヴとして、現地NGOによる、小規模ながらも住民参加にもとづいた開発プロジェクトが行われている状況を紹介した。
 現在、ヨルダン渓谷では、パレスチナ人のベドウィンや農民が日々土地を奪われ、追い立てられている。「回廊構想」はこうした現実を黙認しつ、自然と共存してきた彼らの生活スタイルとは全く別の経済モデル――輸出指向型大規模農業――をこの地域に導入しようしている。イスラエルがこの構想を承認したのは、この開発モデルが彼らの占領政策と両立すると考えたからに他ならない。
 報告の後半では、むしろ、渓谷で活動するヨルダン渓谷連帯委員会などの草の根NGOが非暴力直接行動を通じ、果敢に実践している、住民のニーズに即した――ということは、イスラエルの軍令に違反する――学校や水道などの基本インフラ整備の取組にこそ、「持続可能な開発モデル」を見出せるのではないかということを強調した。

 続くサリーム氏は、1週間前にトルコとガザにおけるフィールド調査から帰ってきたばかりということもあり、その報告を中心に話をされた。
 彼は、現在ガザで人道支援活動を行っているIHHというトルコの人道支援団体の取組とその意義について語った。2010年5月に起きたイスラエルによるガザ支援船襲撃事件で9名の犠牲者を出したIHHは、ガザ地区で大きな共感を集めた。その後、IHHをはじめ、いくつものトルコのNGOがガザで活動するようになったという。また、トルコにおいても、この事件を契機にパレスチナに対する関心が非常に高まっているという。
 トルコでは、イスラームの価値にもとづく人道支援活動が非常に活発になっており、パレスチナのみならず、アジア・アフリカに活動範囲が拡がっている。サリーム氏は、こうした新しい展開の背景には、イスラームの価値観の中で受け継がれてきた市民活動や慈善事業の歴史があることを指摘された。
 エジプト革命に示された、この地域の民衆の力の根底には、アラブやイスラームといった国家の垣根を越えた重層的なアイデンティティと人の交流のあり方があるということを強く意識させられた、当事者ならではの報告であった。

 第二部の松島氏は、琉球(松島氏は、沖縄「本島」だけでない島嶼全体を視野に入れることの重要性を強調した表現として琉球という言葉を選ばれている)における開発プロジェクトの問題性について、脱植民地化という観点から論じられた。
 まず、日本の官庁主導の開発計画が、これまで琉球の地域経済を疲弊させ、環境破壊を進めるなど、地元のニーズに反するかたちで進められてきことを指摘され、さらに、そうして育成されてきた観光産業やIT産業が、地元産業ではなく日本側の資本の利益に貢献するというかたちで植民地経済が形成されてきたと論じられた。 特に、1995年の沖縄少女暴行事件があった後、開発計画が米軍基地の押し付けと表裏一体のかたちで進められてきたことについて厳しく批判された。
 また、松島氏が、地域の文化の重要性を強調され、人々が自分の住む地域に魅力を感じることができなければ、仮に基地がなくなったとしても地域経済は立ち行かないという趣旨の発言をされていたことも印象に残った。地域の人々と協働しながら、実践と研究を進めてこられた松島氏ならではの言葉だと感じた。

 第一部・第二部を通して強く感じたことは、漠然と思っていた以上に、沖縄とパレスチナが経験してきた植民地化の歴史と現在抱える問題には、多くの共通点があるということである。いずれの地域も、現実として自決権を奪われた植民地であるにも関わらず、占領者である日本、あるいはイスラエル側からは植民地として認識されていないという点、また、そのいずれもがアメリカの軍事戦略のなかで翻弄されてきたという点において共通している。そして、そうした不当性を覆い隠す手段として開発プロジェクトが実行されてきたものの、それらは、当該地域住民の自決権を無視した、押し付けの開発にならざるを得ないために必然的に失敗してきたという点でも共通している。
 さらに、そうした現実に対し、沖縄でもパレスチナでも、草の根の地域づくり、そして反基地・反占領の非暴力直接行動が実践されているという点においてもまた、共通している。このような共通性は、単なる偶然ではなく、沖縄とパレスチナが過去100年以上にわたって経験してきた植民地主義の歴史がもつグローバルな性格に根ざしたものだと考えられる。
 現在、日本政府が沖縄の自決権を踏みにじりながら、その一方で、パレスチナにおけるアパルトヘイト政策を容認する姿勢を取り続けているという事実も、そうした植民地主義的グローバリズムの一端を示しているのだと考えられる。

 司会・コーディネーターの中野憲志氏は、こうした植民地主義と開発政策とが結びついた状況が、中南米においても共通して見られてきたことが指摘され、第二次大戦後の新たな植民地主義のあり方として広範に見ることができることを指摘された。かつては、そうした状況を指す言葉として新植民地主義という言葉が用いられたこともあったが、最近ではほとんど使われなくなった。そうした事実の中にも、現在、パレスチナと沖縄において同時代的に見られるある種の政治的経済的な行き詰まり状況が表現されているように思われる。
 おそらく、この局面を民衆の側から打破するためには、それぞれの地域においてグローバルな視野と連帯をもって、草の根の実践を広げていくこと、その中から新しい共生の論理や文明観を形成することが求められているのだと思われる。その実践例が、今回の3つの報告それぞれにおいて示されていたように思う。
 日本においては、そうした脱植民地化のための具体的実践に学びながら、まずは、自分達自身の生活や文明観の中に内在する植民地主義を問い直すことから始めなければならないとあらためて感じた。

役重善洋(パレスチナの平和を考える会

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