2014年8月23日土曜日

『福島と生きる』メールマガジン特別号 No.8-1

『福島と生きる』メールマガジン特別号 No.8-1
――息長く〈福島〉とつながり続けるために――
2014年8月23日発行(不定期刊)
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インタビュー
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竹内 俊之さん・藤岡恵美子さん(ふくしま地球市民発伝所 http://fukushimabeacon.net/
――「福島の教訓」を伝え、地球規模の世直し運動へ・パート1

<目次>
パート1
I 支援のあり方をめぐる教訓
 支援者の姿勢と被災地のニーズ
 支援活動が及ぼす負の影響
 日本の南北問題構造を変えていくために
 「地域開発」型の支援を超えて

パート2
II 福伝がめざすもの
 世界に伝えたい「福島の教訓」
 世界防災会議に向けて
 社会のあり方を問う


I 支援のあり方をめぐる教訓
Q お二人は震災後に設立された国際協力NGOセンター(JANIC)震災タスクフォースの福島駐在事務所で2014年3月まで活動されていました。JANICは「NGOを支援するNGO」です。福島では、被災地で活動する県内外の団体が必要とする人材・資金・情報を得られるように情報システムを整備したり、海外の資金援助団体と県内外の団体をつなぐ活動をされてきました。今年4月以降は、JANICの活動を引き継ぐ形で、新たに「ふくしま地球市民発伝所[略称・福伝]」(福島市)を設立されました。
 まず、JANICの活動の中で一番苦労した点、今後の災害支援活動に生かせる教訓についてお聞かせください。

支援者の姿勢と被災地のニーズ

竹内 援助や支援を行う際に必要な人々に必要な援助が偏りなく行き渡ることが重要だと言われてきました。そのため外部者が活動を行う際には、現地の事情に通じている人を媒介して情報を得たり支援先を決めることが一般的です。
 今回の震災においても同様で多くの外部支援者はそのような被災地のリソースパーソンに頼りました。外部から入った援助団体はそのようなリソースパーソンを県や地域、市町村で見つける必要がありました。情報を持った有能な人物に仕事が集まるのは世の常です。結果として、被災者でありながら自らも支援者として活動することになります。

 特に福島では、子育て世代の社会の中堅どころが県外に避難したこともあり、特定の人々に集中しました。被災地で様々な問題を抱えながらも、まったく新しい仕事に忙殺され、大きなストレスを受け疲弊しました。中には心身の健康を害した方もいらっしゃいました。

 我々外部からの支援者はそのような状況に効果的に対応できたとは言えません。むしろ原因を作り出した加害者として自らを総括すべきかも知れません。想定されている大規模災害でもきっと同じことが起こります。「支援者のための心のケア」という対処療法に向かうより、原因を取り除くことを考えるべきです。どのような仕組みや制度を作るかが今後の課題だと思っています。

 また、県外や海外の団体が求める「成果」が団体によって異なるため、その見極めに苦労しました。海外の援助団体(ドナー)の中には、国際協力活動の実績をもつ団体に対して求めるのと同じレベルの「成果」や報告を、そのような実績を持たない地元の団体に対して求めるところがありました。
 たとえば数百万円の支援を受けて放射能測定器を購入したものの上手く使えず、次々と新しい課題に直面して対応を迫られる中で、結果的にその機器が使われないまま放置された例がありました。厳しいドナーなら、資金の返還を求めたかもしれませんが、そのドナーは現地の事情を理解して柔軟に対応してくれました。でも、結果的に資金が活かされなかった。ドナーと現場のニーズをつなぐ役割を担った私たちが、支援対象の団体のそのような事情をドナーに理解してもらう努力がもっと必要だったと思います。
 被災地の市民団体の多くは、海外ドナーの求めるレベルの活動報告や資金管理などのスキルは持ち合わせていません。こういう事態は被災地だけでなく、途上国の国際協力活動の現場でもしょっちゅう起きることで、その意味で普遍的問題と言えます。

 それとは対照的に「いまの時点で被災者の人たちが元気になればいいんです」という考え方の団体もありました。このアプローチがどういう影響を及ぼすかは、時間が経たないと分かりません。たとえば、コミュニティ再建のために何か起業したらそれを支援する、というものがあります。
 でも、支援がなければ起業できないのであれば、将来の成功は望めないではないか。本当は成功のハードルが高いにもかかわらず、被災地だからという理由で支援するのは安易ではないでしょうか。いまの時点で被災者の人々を元気にしたいという善意からの支援なのでしょう。私もそうした起業の成功を願っていますが、持続可能性についてとても心配しています。

支援活動が及ぼす負の影響

Q JANICの福島支援活動報告書(『放射能と闘う人々と共に――JANIC福島事務所活動の記録 2011-2014』2014年3月、以下「報告書」)には、支援活動自体が福島での軋轢や「分断」を悪化させたと例もあると書かれています。

竹内 とくに放射能の影響を小さくするための保養活動について言えることです。当初、県外で保養活動を進める団体は「逃げて下さい。逃げてくれば支援します」というスタンスでした。しかし、3年以上が経過して県内の雰囲気も変わり、さまざまな事情で避難先から福島に帰らなくてはならない人たちも出てきています。保養支援活動を熱心に進めてきた人々には、避難先に移住してきてほしいと考え、そのために避難先の行政の支援も取り付けてきた人も多い。その人たちは「なのに、帰ってしまうのですか」と、そのことを「敗北」のように受け止めているのではないでしょうか。

 国際協力NGOはその立場に立ってはならないと考えます。たとえば私が1980年代にカンボジア難民の支援を行っていたときに、ポルポトによる虐殺・抑圧が続く国内でも支援すべきか、国境を越えて難民となった人だけを支援すべきかが議論になりましたが、それと少し似ています。当時私たちは国内であれ国外であれ、支援を必要とする人々を支援すべきだと考えました。

 福島の経験を通じて分かったのは、福島への帰還を促すか、避難を促すか、どちらの立場に立っている団体がほとんどだということです。さまざまな事情から福島に帰らざるを得ない人たちが「帰るな」「帰るなんて考えられない」といった反応を耳にすれば、自己否定されて傷つきます。そういう例は枚挙に暇がないと思います。中にはそういうことを敏感に感じ、自らの立ち位置を意識している団体もあります。しかし、熱意が先行する団体も多いです。

Q 福島に留まるか、避難/帰還するかをめぐる葛藤によって、多くの人が苦しんできました。どちらになるにせよ、その選択を尊重し必要な支援を行うことが大切だ――それが福島支援活動の重要な教訓ではないかと思いますが、その認識が共有されていないということでしょうか?

竹内 一般に「子ども・被災者支援法」(注――福島にとどまる、避難・移住する、帰還する、いずれの選択をした場合も必要な支援を行うことを趣旨とする)の理念は高く評価されていますが、その理念が支援者の中に浸透し血肉になっているのか、という疑問はあります。言葉と行動が乖離している気がします。

Q その他に外部の支援団体が教訓とすべき点にはどんなものがありますか?

藤岡 海外のドナーからの支援金の使い方をめぐって考えさせられることがありました。たとえば外部の支援団体が福島にやってきて、地元の団体と一緒に食事をします。私たちの日頃の感覚でその食事代は個人が自己負担すべきと思い、そのように話したところ、地元の団体の人たちから「交際費として資金からの支出が認められないのは厳しい」と苦言を呈されました。

 「言いたくはないけれど自分たちも被災者。中には家族を避難させて二重生活をしていて経済的に大変な人もいる。支援に来ていただくのはありがたいが我々はいつもホストする側。外から団体が来ればお茶だって出すし、食事にも行くことになる。あなたたちは難民キャンプに行ったときに『お茶を出せ』というのですか?」と言われて、痛いところをつかれたと思いました。知らず知らずのうちに地元の人に負担をかけていたことに気づかされました。同じことは、以前私がシャプラニールの駐在員としてバングラデシュにいたときにもありました。

 逆に国際協力NGOとしての経験が活かせた例もあります。たとえばシャプラニールは、いわき市で自分たちが運営する交流サロンの他に、街中の既存のお店を交流サロンにする「まざり~な」という活動を行っています。いわき市は津波と地震の被害に遭いながら、同時に相双地区から多くの原発被災者を受け入れており、避難者と地元住民の間の軋轢が報道されたこともあります。

 企画したスタッフに直接聞いた訳ではありませんが、「まざり~な」のヒントはバングラデシュでのストリートチルドレンの支援活動の経験にあると見ています。ダッカでストリートチルドレンのドロップインセンターを作ろうとしたら、初めは周辺住民の大反対にあいました。それを10年かけて、住民自身がお金を集めてセンターに食料を届け、運営を担うまでに粘り強く働きかけた。外から来た人たちを地元住民が支えて行く仕組み作りの経験が、いわきでの活動に活きているのだと思います。

日本の南北問題構造を変えていくために

竹内 緊急支援の段階を過ぎて復興の段階に入ってくると、上に述べたような市民団体の力の不十分さや産業を起こすことが難しい条件など、もともとあった問題が浮かび上がってきます。日本国内の都市と地方の関係は国際的な南北問題と構造が似ています。こうした構造的問題を具体的にどう変えて行くのかは難しい問題ですが、いまとは違う世の中をつくるきっかけになる可能性
のある活動を広くアンテナを張ってキャッチし、福島に伝えて行きたいと思います。

 たとえば、原発事故後、福島県有機農業ネットワーク(有機ネット)は、それまで有機農産物を買っていた消費者が放射能を恐れて離れて行ってしまい、大打撃を受けました。自分たちが信じていた消費者と生産者の絆は不十分だった、自分たちの努力が不足していたのだと反省し、それを再び築こうとしています。そういうとりくみの中に手掛かりがあるのではないかと私は考えています。

 茨城大学の中島紀一さんは、福島の農業は大きな打撃を受けたものの、少量多品種の小規模な自給的な家族農業が多い福島だからこそ、影響は比較的小さくて済んだ、これが工業的な大規模農業だったらもっと大きな影響が出ていただろうと書いています。国連食糧農業機関(FAO)と国連貿易開発会議(UNCTAD)も最近、大規模農業ではなく小規模の家族経営農業の方が効率がいいという結論に達し、途上国で家族経営農業を推進する方向に一大パラダイム転換をしたそうです。有機ネットの方にそれを伝えたら、自分たちの経験から漠然と知っていたことが裏付けられたようで勇気づけられたと言っていました。

 農産物だけでなくエネルギーも含めた地産地消を福島で広めて行きたい。いま福島で行われているメガソーラーは、電力を電力会社に売っているだけで地産地消ではありません。これまでの原発が太陽光発電に変わっただけで、エネルギーの生産・消費の構造自体は変わっていません。ソーラー発電推進のための集まりに参加したことがありますが、「売電価格は下がりつつあります。今年が最後のチャンスです!」と盛んにアピールしていました。投資セミナーを彷彿とさせます。そこからは新しい世の中は生まれないと感じます。

「地域開発」型の支援を超えて

Q 子ども被災者支援法などについて、県外から支援に来ている団体がもっと声を上げて、福島の現状を伝えていく活動が必要だったのでないか、という反省の声も上がっています(「報告書」p.45)。この点についてどう思いますか?

竹内 国際協力NGOはこれまで外務省との協議しかしてこなかったので、国内の政策に働きかける活動がほとんどできませんでした。
藤岡 政策提言的活動がまったくなかったわけではありません。JANIC本部として政策提言的な文書を出したほか、JANICの人的つながりを生かして、復興に関わる国会議員と福島県内のNPOの非公式な対話の場を設定しました。そこで復興局の担当者と保養活動をしている人たちの対話が始まり、福島の声を政策に一定程度反映させるきっかけとなったようです。

Q 日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)の佐藤真紀さんは「国際協力NGOの福島支援は地域開発的なレベルにとどま」っていたが、「国際協力NGOは内部者が声を上げにくい問題について国際社会から代弁する役割を果たすことができる」と述べています(「報告書」p.17)。また、竹内さんは『福島と生きる』で、国際協力NGOは原発災害も人権や社会正義の問題として捉え、地球規模の世直し運動に向かうべきだと書いています。福島支援をきっかけに日本の国際協力NGOがその方向に向かう兆しはあるのでしょうか?

竹内 もともと人権の視点を持って活動していた団体は別として、地域開発を主眼に行ってきた国際協力NGOが福島を契機にして変わったかどうかは分かりません。

Q なぜそう思うのですか?

竹内 福島に常駐する職員を配置して活動した国際協力NGOで原発に対して明確に立場を明らかにしたのは、JANICと日本国際ボランティアセンター(JVC)だけかと思います(「原発問題と持続可能な社会に関するJANICの考え方」2011年8月4日、「【ポジションペーパー】福島第一原発事故に関するJVCの考え方をまとめました」2012年6月8日)。
 各団体内では会員有志によって非公式に勉強会などが行われた例もあったようですが、福島での活動にからめて対外的に見解や方針が明らかにされたことはなかったと記憶しています。ただ、それは活動の形態や組織の役割の違いによるものが大きいといえます。

 JANICは基本的にプログラム実施団体というよりも中間支援団体です。少数者の人権に配慮して情報発信をしていると、多くの場合、現地や、時には日本の政府ともある意味緊張関係が生じます。現地での活動を継続することが前提にある場合は、当然この点で慎重にならざるを得ません。福島でも政府や県の行政とも連携しながら活動を行う場合、こういった緊張を嫌う傾向があります。特に発災後の一定期間は目の前のニーズに対応するのが精一杯で、衣食住という、よ
り原初的な人権が優先されます。この点では政府もNGOも意見は一致します。 

 しかし、福島の題は原発事故の放射能被害という、原発を進めてきた国の政策がもたらしたものです。しかも事故後の一時期は別にして、現在は国内的にも原発は取り敢えず再稼働させて、海外にもどんどん売っていこうということになっています。そのような政策のなかで、軽視され、無視され、見捨てられるのは、今回の事故で根底から人生を破壊され、長期に渡って自身や家族の健康に不安を持って生きなければならなくなった人々です。

 このような状況のなかで、単に復興すればいいというのはあまりにも能天気です。これまで福島に関わった国際協力NGOが権利ベースの活動をしていると言いつつ、この点をスルーしてしまうならば、ご都合主義のそしりは免れないと思います。 しかし、事故後すでに3年が経過して支援のフェーズも変わってきました。直接的支援からオーナーシップを地元のNPOなどこれまでのカウンターパートに移して間接的な支援に移行し、自らのプレゼンスを徐々に希薄なものにしつつあります。今後の福島との関わりの本気度、それを見極めるのはこれからだと思います。

 もしかしたら一番変わったのはJANIC自身かもしれません。震災がなければ、国際協力NGOのネットワーク組織として、加盟団体のニーズに応じて動くだけの団体に留まっていたかもしれません。しかし、大橋理事長のリーダーシップがあったこと、私のように日本の国際協力NGOの黎明期に活動していた、青臭さの抜けない者が福島支援に携わったことが影響したのかもしれません。
 福伝のような小さな団体は何万人もの人を対象にした大規模プロジェクトはできませんが、社会にインパクトを与えるような発信の仕方ができるはずです。JIM-NETの佐藤さんはまさにそういう活動をしています。

藤岡 問題がまだ顕在化していない、伝わっていないうちに、いち早く問題を伝えるという役割もあります。先に述べたシャプラニールやJVCは、海外での経験を生かしながら福島で活動していますが、それにとどまらずタイやバングラデシュやイラクなど、それぞれが活動してきた国・地域と福島との交流を始めています。これらは国際協力NGOならではの活動です。

竹内 国際協力NGOは外に向かって発信していくという活動を前面に打ち出しては来ませんでしたが、その必要を痛感しています。国際協力NGOの枠組みの中から、人権をベースにした考え方に立ってアドボカシー(提言活動)をしていきたいと思っています。国際協力NGOは「これだけやっていればいい」と自己規定する必要はありません。海外の多くのNGOはアドボカシーをやらなけれ
ば逆に味がないと考えています。そこは日本の弱いところです。

(パート2に続く)

(2014年7月16日のインタビューをもとに構成。インタビュアー/文責:
『福島と生きるメールマガジン』)

★『福島と生きる』関連サイト一覧★
低線量被曝から子供たちを守るために 
 http://blog.canpan.info/miharu1126/
まつもとこども留学 
 http://www.kodomoryugaku-matsumoto.net/
原発いらない福島の女たち 
 http://onna100nin.seesaa.net/
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 
 http://kodomofukushima.net/
福島県有機農業ネットワーク 
 http://fukushima-yuuki.net/
農家娘の日々。--福島の大地にきぼうのたねをまく--
 http://ameblo.jp/yunosato-farm/
国際環境NGO FoE Japan
 http://www.foejapan.org/energy/news/index.html
シャプラニール=市民による海外協力の会
 http://www.shaplaneer.org/support/jishin_japan.php
日本国際ボランティアセンター(JVC) 
 http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/touhoku/
ふくしま地球市民発伝所 
 http://fukushimabeacon.net/
新評論 
 http://www.shinhyoron.co.jp/

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『福島と生きる』メールマガジン特別号 No.8-1(2014年8月23日発行)
※『福島と生きる』メールマガジンは、『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦の共同執筆者の団体や活動の関連情報を発信していきます。

発行人=中野憲志・藤岡美恵子(『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』共編者)