2014年8月16日土曜日

共犯性について グスタボ・エステバ

共犯性について
http://www.jornada.unam.mx/2014/08/04/opinion/021a2pol

グスタボ・エステバ


言葉は不十分だ。どんな言葉も、衝撃の強さと深さを伝えることはできない。
言霊には、ガザで起きていることに形を与える準備ができていない。

私たちは、事の本質を掴まねばならない。
たしかに心が病んだ暴君は存在するが、何でもそのせいにするのは安易すぎる。
イスラエル人の75%がガザで行われたことを支持している、という
最近の世論調査は正しいかもしれないし、そうでないかもしれない。
だが、かなりの数にのぼるイスラエル人が、今日、私たちの忍耐の限度を
越えてしまったイスラエル政府の政策を支持していることは疑いようもない。

私たちは罪ではなく、責任について語っている。
それは、戦後ドイツの新世代が受け入れねばならなかった責任のことだ。
ドイツ人は、親や祖父母の世代が行ったことの罪を負ったわけではない。
彼/彼女らは、責任を負っているのである。
であるなら、事はイスラエルの問題だけでは終わらない・・・。
さらに政府のみならず、国民の責任をも考えるとなると、米国やその同盟国
の問題のみでも終わらない。私たちすべてが関係しているのである。
事は、私たちの共犯性の探究へと発展する。

私たちは、イスラエルの犯罪にどの程度われわれが関与しているか、
勇気をもって向き合わねばならない。
今、ガザで起きていることは、われわれがどっぷりと浸かっているところの、
常軌を逸した、野蛮な状況の一つの現れである。
この状況に私たち自身がどの程度関与しているか、自問しなければならない。

多かれ少なかれ一般に受け入れられている、行動提起がある。
私たちは、イスラエルやその同盟国の商品を買うべきか?
イスラエルに投資すべきか?
ガザの現状によって儲けている企業は明らかに存在するので、
[南アフリカの]アパルトヘイト時代に使われた手段は魅力的だ。
ウィキペディアで十分に説明されているキャンペーン、イスラエルからの
資本引き上げに通じるボイコット運動がそれである。
私たちは、イスラエル商品を買うことを避け、イスラエルへの投資と戦うために、
このキャンペーンに参加することができる。

これらは、正しい方向に導くステップではある。
しかし、何かが足りないのは明らかである。
テルアビブやサン・クリストバル*で、抗議行動のために街頭にくりだすのもいい。
あるいは、リオ・グランデ**からパタゴニア(アルゼンチン)にかけて昨日行われた
「ラティーノの行進」に合流することもできる。
こうした行動は、[ガザから]一線を画し、距離を置き、弾劾することである。
しかし、これでもまだ不十分だ。

異常なるガザを生み出している状況は、私たちが生きている政治・経済体制
を包みこんでいる。無責任な企業と、同じくらい無責任な政府が結びつき、
その政府はと言えば、有権者の意思を蔑にし、本来やるべきことをやろうともしない。
連中の無責任で破壊的な欲望は、自然ともども人間を征服しようとする。
安全保障とは、残忍な武力行使と政府の権力濫用の口実に過ぎないものだが、
しかしその安全保障そのものが国民=国家体制下の政府と、国際機関の失敗を
最も如実に物語っているのである。各国政府も国際機関も、
その第一義的な義務というべき、自らの役割をきちんと果たすことができないのである。

私たちが権力問題を語っているのは、間違いない。
しかし、権力がモノではないことを考慮に入れておかねばならない。
権力とは、一部の者たちが所有し、それ以外は持たないといった性格のものではない。
どこか私たちの上方に存在し、集中し、それゆえその「モノ」、すなわち権力を所有しない
者たちを「エンパワー」するために分散させたり、分配しうるような代物ではない。
権力とは関係性である。私たちはみな、権力構造に関与している。
権力構造の一角を、われわれ自身が占めている。
特定の権力関係を維持するかどうか、現状を続けるかどうかは私たち次第なのだ。

今日、サン・ミゲル・デ・アジェンデ***で、グローバル・ジャスティス・センターが主催した、
「資本主義を超えて」の集会****の中で何千回と議論されたように、
私たちをあくなき反資本主義者にするために、悪いのは資本主義だと主張するだけでは
十分ではない。もっと深く、本質に迫ることが必要である。

ガザの恐怖、子どもの移民[問題]*****、あるいはメキシコの公権力のあらゆる類の
横暴の背後、資本主義や形式的「民主主義」の背後、
そして近代とポストモダンなど、すべての事物の背後に存在するのは、
父権制のメンタリティとその実践である。
すべては、父権制と名づけられたものに発する、男女の区別なき、私たちの思考、
行動、存在のあり方の現れなのである。父権制の制は、統制、支配、権力を意味し、
それらは「男らしさ」の伝統において行使されるのである。

父権制の破壊衝動は、その崩壊の瞬間において究極の姿をみせる。
もしそうであるなら、私たちすべてが共犯者である。
汚れた手を洗い清めることも、責任逃れをすることもできない。
今こそ、世界各地の、あまりにも多くの男女に影響を与えている父権制のメンタリティと
行動の様式を断ち切るべきときである。
それによってのみ私たちは真剣に、忌むべき全構造の解体に乗り出すことができるだろう。
ところで、
サパティスタ*****がめざしているのは、まさしくそのことなのである。

gustavoesteva@gmail.com
http://gustavo-esteva.blogspot.com/

*    メキシコ南部、チアパス州の街。
**   メキシコ南部、オアハカ州の街。
***  メキシコ中部、グァナファト州の街。
**** http://www.globaljusticecenter.org/encuentro_2014
***** 2014年春から夏にかけ、グァテマラ、ホンジュラス、エルサルバドルなど、
中米の国々からメキシコを経由し米国をめざす、数万人にのぼる子どもの移民
問題が、米国をはじめ中米各国で大きな社会問題となった。「不法移民」の
強制送還問題と併せ、子どもたちの処遇をめぐるオバマ政権の対応が厳しく
批判された。 
****** 1994年の年頭、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効に反対し、
マヤをはじめとするメキシコの先住民族の自己決定と自治を求め武装蜂起した
サパティスタ民族解放軍(EZLN)。

【関連サイト】
・メキシコ先住民運動連帯関西グループ
http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/
・現代企画室
http://www.jca.apc.org/gendai/

(仮訳=なかの・けんじ)