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今日は、1951年9月8日に、サンフランシスコ対日「講和」条約と旧安保条約が調印されてから60年目にあたる日だ。その日をなぜか私は、ルーマニアのシビウという街で迎えることになった。
8月末、モスクワ経由でブカレストに入った。あわただしい旅の準備のさなかに、前回のブログの文章を書いて、アエロフロートに飛び乗った。
ブカレストから、世界遺産の修道院が点在するスチェヴァ、スチャヴァからモルドヴァとの国境が近い大学街のヤシを訪れた。 ヤシから国内線で向かったのは、1989年の「ルーマニア革命」の発祥地のティミショアラである。そして昨日、ティミショアラから「ルーマニアで中で最も美しい街」とタクシーの運転手が誇らしげに語る、ここシビウに来た。
ルーマニアに来た直接的な目的は、「ジプシー」という呼称で一般的に知られるロマの民族音楽とルーマニアの民族音楽とjの関係を調べるために、ネットでは手に入れることのできないCDやカセットテープ、その他の資料を収集することにある。
今から20年程前、テキサスの片田舎に引きこもっていた頃、私は米国国内を年中車で移動しながら暮らしている「トラベリング・ピープル」、つまり米国のロマの存在を初めて知った。
以降、ロマの文化と音楽に魅了されてきた一人なのだが、ルーマニアを欠かしてロマのこと、殊に音楽のことは語れない、みたいなところがあるわけである。
しかし、ロマやルーマニアのことより野田新政権と日米安保60年のことの方が、今は、重要だ。この10日近くの間に考えたことを交えながら記しておこう。(右写真は、街の中心にある福音教会の塔から写したシビウの街並。たしかに、タクシー・ドライバーが自慢したように、「ルーマニアで最も美しい街」なのかも知れない、と思えた。)
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9/10
一昨日の9月8日、メールをチェックしたときに目に飛び込んできたニュースがいくつかある。
その一つは、国連PKO参加に伴う、自衛隊の海外での「武器使用」の規制緩和に言及した民主党の前原議員の発言だった。前原議員は、他国の軍隊が武力攻撃された場合に、自衛隊が他国の軍隊を「防衛」できるよう、自衛隊のPKO参加原則の見直しをはかるべきだと言ったのである。
「国際紛争の武力による解決」を禁じた憲法9条体制の下で、「国際の平和と安全の維持」を目的とし、武力行使を前提とする国連PKOへの自衛隊の参加が、この20年間もくろまれてきた。ブログの読者には「耳にタコができた」とお叱りを受けるかもしれないが、「憲法9条を守れ!」というだけでは、「国際の平和と安全の維持」の名による 「国際紛争の武力による解決」に自衛隊が多国籍軍と共同して乗り出すことに歯止めをかけることはできないのである。
前原議員、というより外務・防衛官僚や、「原子力村」ならぬ「日米安保村」が想定しているのは、南スーダンやリビア、さらにはソマリアなどの国連PKOへの自衛隊の部隊派遣などである。この問題は、新刊の『脱「国際協力」 ~開発と平和構築を超えて』 に収録された拙稿、「「保護する責任」にNO!という責任 ―国際人権・開発NGOの役割の再考」にも深く関わる問題でもあるので、旅すがら、少しずつでも書き記しておこうと思う。