政治改革の終焉---また再びのデジャブ
1
国連総会での野田首相と新政権のお披露目も終わり、首相帰国後の争点は増税問題に移った観がある。
この秋から冬にかけての政局を通して、議論は増税するかしないか、消費税を導入するかしないかではなく、どの程度増税をし、いつからどの程度段階的に消費税を引き上げるか、といった内容へと変わっていくだろう。東日本大震災と福島原発大災害が起ころうが起こるまいが、消費税増額はかねてよりの財務省の方針なのだ。
野田政権の使命は、①それに道筋をつけると同時に、②原発再稼動→推進と、③武力によって「介入する責任」を果たそうとする米英仏、NATOの作戦展開への「後方支援」を既成事実化することにある。この政治的に文脈に沿って、「日米合意」に基づく普天間問題の「決着」が付けられようとしているわけである。
民主党の保守勢力を牽引する野田政権は、結局何をしたいのかさっぱり分からなかった鳩山・菅政権時代の「ブレ」を正し、官僚機構が自公政権末期までに積み上げていた政策構想を実地に移そうとする、少なくともその地ならしをしようとする政権である。
だから、上にあげた①から③が、いずれも有権者、「国民」、原発立地・周辺住民、沖縄の意思を反映しておらず、民主党の支持率が10%台で低迷している、という根本的な問題を除くなら、野田政権は「安定」政権になるだろう。選挙をしたくない/たたかいようがない民主党と、野田政権を通して規定の方針を通そうとする自公との閣外政策協定・協力が進む中で、余程の不祥事がない限り、2年程度(もしかしたらそれ以上?)続くかもしれない。
憲法上、また法令上、それを阻む、阻みうる根拠、手段はない。「3ヶ月以上、支持率が10%台の政党を与党する政権は、国民の信を問うために解散しなければならない」と憲法に明記するために改憲するか、そういう一般法を制定しないかぎりにおいて。 私たちは、これからしばらく、相当ウンザリするような日々が続くことを、今から覚悟しておいた方がよさそうだ。
そして誰も責任を取らない、何も変わらない日本型「民主主義」が続く。 いつかみたシーン。何度もみたシーン。この既知感覚はなんだろう。また再びのデジャブを、今私たちは体験している。
2
野田首相は国連で、日本の原発を世界で「最高水準」のものにする、「原子力協定」を締結している諸国へ原発輸出を進める、そのために来年2月には停止中原発の再稼動をなし、さらにそのために未だに科学的定義がさっぱり分からない「冷温停止」を「前倒し」すると語った。幸いなるかな、福島第一原発は野田政権の呪文で「冷温停止」するらしい。
しかし、まさに首相がそう語っていたその時、福島第一原発では、1号機の格納容器と配管から「予想を超える濃度」の水素が発見され、2、3号機の原子炉からは放射性蒸気、「湯気」が立ち上がり、「サリー」は故障寸前で、地下から放射性汚染水があふれ出ていた。24日に公開された5、6号機の写真では、タービン建屋地下の配管がちぎれ、屋外の点検用クレーンが倒れた様子が写っていたといたという。
この事実は、野田首相、野田政権の言う「冷温停止」の「前倒し」なるものが、何らの物理的・科学的根拠の裏付けも持たないこと、単なる政治宣言に過ぎないことを示している。原発災害の直接的被害者には怒り心頭に違いないこの政府のデタラメ、ペテンに対し、私たちは政治的になす術を持たないし、既成メディアは総じて寛容にみえる。ひとつだけはっきりしていることは、どれだけ有権者の多数派の意思を無視していようが、首相の国連演説によって、日本の脱「脱原発依存社会」宣言は、国際的に「規定の方針」として確定してしまったことである。
閑話休題
ルーマニアで収集した伝統音楽やロマのCDをゆっくり聴く間もなくこちらにやってきた。
8月から9月にかけて、2008年に展開された全ヨーロッパを舞台とする「ロマ・キャラバン」の延長なのか、ブカレストとシビウでロマの大コンサートがあった。ただし、これらはルーマニア政府公認のコンサートで、だから演目もそれに沿ったものになっていて、ちょっと私の好みとはズレるものだった。私が惹かれるのは、各国・各地域の伝統音楽を、崩しに崩したような、茶化しに茶化したような、哀しいくらいjazzyにした、そんなフレイバーが漂うロマの音楽である。
ロマの音楽については、私などおよびもつかないハード・コアなファン層が日本にもいるのだが、ジプシー・キング以外は聴いたことがない、という人も多いだろうから、まずはキャラバンのプロモーション・ビデオを紹介しておこう。雰囲気だけは十分に味わっていただけるだろう。
2008年のキャラバンを契機に、ロマは「全欧ロマ党」(Partida Romilor Pro Europa)の結成に向け、活動を展開してきた。ロマに対する人種差別を廃絶し、ロマがロマとして生きる政治・社会・文化的権利をたたかいとる、というのがその目的だ。
まったく偶然なのだが、そのキャンペーンの模様を、ブカレスト滞在中にTVでみた。その中で、ルーマニア語ができない私にも、理解できることがあった。それは、ルーマニア政府が公表しているロマの人口が、あまりに少なく国内のロマの実態をまったく捉え切れていない、ということである。
つまり、このキャラバンは、欧州各国のロマに関する実態を調査・把握し、これまでの各国政府の統計を書き換えると同時に、国ごとに分断されたロマの「全欧ロマ党」運動への参加の促進を通じ、全欧的なロマの政治的・文化的意識の覚醒をめざそうとするものなのだ。歴史的にロマに対する根深い社会的差別が存在するルーマニアや東欧諸国ばかりではない。人種・宗教的差別、排外主義的傾向がここ数年強まっているフランス、イギリスなどにおいても。
ロマ音楽をこよなく愛する人々も、こうしたロマのたたかいを日本に紹介する取り組みを、ぜひ行っていただきたいと思う。ロマの今を、その音楽の紹介をも含めて伝えるような文献が期待される。