脱原発: 「9・19」からどこへ行くのか
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昨日、「さようなら原発5万人集会」が明治公園で開かれた。主催者発表で約6万人が参加したという。
集会の模様を詳しく伝えない新聞メディアの報道の中では、 「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんの、原発事故からの半年を振り返る発言が印象に残った。
「逃げる、逃げない。食べる、食べない。日々、いや応なしに決断を迫られた」・・・。
集会に参加し、私に写真を送ってくれた人の証言。
「明治公園が文字通り隅々まで立錐の余地なくいっぱいになった。青年館の前の高いところからやっと中の様子を垣間見れた状態だった。
公園の周りに人があふれてた。朝の満員電車のようだった。というか、駅のホームからすでに人でいっぱいで、ホームから改札を出るまで10分近くかかった。
駅から公園までの間も人でいっぱい。デモの最後尾が出るのに、ゆうに2時間以上かかったらしい。
3コースに分かれていたけど、一つのコースでもデモが途切れることなく延々続いていた。
主催者の途中発表で参加者は4万人超え。4万5千はいたのではないか。
大江健三郎は声が小さすぎて、何言ってるのか、まったく分からずじまいだった」
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私は、今、日本との時差が15時間ある中米のグァテマラという国にいる。新たな出版プロジェクトに向けたフィールドワークの第一弾として(詳細は追々)。で、先ほどメールをチェックしたときに(現地時間、19日朝)デモの写真と報告を受け取った。
「9・11」から8日目。新たな旅の準備と旅そのものに肉体と精神、時間を消耗するだけのような日々が続いた。が、書き残していること、これだけは書いておこうと思いながら書けていないことが、いろいろある。 その一つが、「9・19」以前からずっと考えてきた、「これからどうするのか?」という自己自身にも向けた問いである。
国連で日本政府として公式に「脱原発依存社会」宣言の撤回をなし、今年中に全国各地で「ストレステスト」(?)の「説明会」を8回も行う(?)という野田政権、「福島第二原発の廃炉は東電次第」(?)と言ってはばからない民主党政権を相手に、私たちは「これからどうするのか?」。
脱原発運動が「次」に進むための課題はいろいろ見えても、その具体的で現実的な展望がなかなか、というよりほとんど見えない・・・。
これが私を含む多くの人々の正直な心境なのではないか。
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かつて日本が最大の政府開発援助(ODA)の供出国だったことがあるグァテマラ。そのグァテマラと、今の日本がかかえる共通の問題がある。国家的犯罪を犯した者たちが、その責任を法的に問われ、罰せられることなく「免責」「免罪」されていることだ。 法的用語としてどのような日本語が適切なのか、私には分からないが(「不処罰」?)、英語で言うimpunityである。
グァテマラの場合は、マヤ先住民族に対するジェノサイド、国家テロに関するimpunity、日本の場合は福島第一原発「事故」に関するそれである。
「3・11」以後、 私たちに「逃げる、逃げない。食べる、食べない。日々、いや応なしに決断」を迫った事態とは、いったい「人災」なのかそれとも「天災」なのか、このことが最大の焦点になってきた。もちろん、私たちは人災だと言う。正確には、天災がその被害を拡大させた人災である、と。
しかし、ここで重要なことは、政治的にも法的にも、この問題は決着がついていない、ということだ。 決着がつかない/つけないまま、人災としての原発「事故」の本質を曖昧化し、国家としての、ということは政府・与党としての、ということは官僚機構としての、ということは「原子力ムラ」としての、ということは立地自治体としての、政治的・法的・行政的責任を無罪放免する・・・。
「3・11」から半年余りを経た今も、人災としての、ということは国家的組織犯罪としての今回の原発「事故」に関して、政治的・法的。行政的責任を負う、つまりは刑罰を受けるべき主体が誰なのか、何も明らかになっていない。この事実に、私たちはもっと驚いたり、怒ったりしてもよいのではないだろうか?
「9・19」からどこに行くにせよ、 「3・11」に関する国家的impunityに対してどのような決着をつけるのかを抜きに、日本の脱原発運動の未来は語れなくなった。そしてこのことが 「3・11」以前の日本、いや世界の脱原発運動とこれからのそれの運動の〈質〉を分かつ決定的なモメントなのである。
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「9・19」のデモのコースは3つに分かれたとのことだ。しかし、これからの「コース」は、もっともっと多くあってよいと私は思う。批判を受けることを覚悟で言えば1000万人署名に運動を「集約」することにさえ私は懐疑的だ。問われていることは、「そういうことではない」と強く考えるからである。
もっと言えば、東京中心主義的な「全国集会」の組織化は、こと脱原発運動に関するかぎり、今回を最後にすべきだろう。カンパニア的運動の組織化は、脱原発運動において、すでにその歴史的使命を終えている。私たちは、その「次」に向かわなければならない、と思う。
たとえば。社会学者の宮台真司氏は、「脱原発とは共同体的自治を実現することだ」みたいなことを語っている(ようだ)。 私自身は氏の本を読んだことがないし、その内容をよく理解しているわけではない。しかしその意味するところは、私なりに理解できる気がしている。
「共同体的自治」は、日本の統治形態のdevolutionぬきには、実現しようがない。くどいようだが、revolutionではなく、devolutionである。そしてそれは、国家(官僚機構)による統制/専制と、それへの〈依存〉によって成り立ってきた戦後日本の政治・社会構造を、ローカルなレベルで、組み換えること抜きには実現しようがない。 問題は、「9・19」が、こうした「組み換え」を思考し、志向するものであったか否か、また、「9・19」からいくつもに分かれるべきこれからの「コース」のひとつとして、そうした〈運動〉の出発点となりえるか否か、にある。
終わったばかりの「9・19」の総括が、早くも〈私たち〉に問われている。
閑話休題
① これから始まる今年度の国連の動向、そして国連や国際機関での日本政府・外務省の発言・動向に注目してほしい。
ひとつは、パレスチナの国家承認(=民族自決権の承認)問題。
もう一つは、南スーダンの国連PKOの作戦展開と、これへの自衛隊の「派遣」問題。
さらには、リビアの「支援友好国連合」への日本政府のコミットメントと国連PKOの動向。
そして、アフガニスタン。
オバマ政権が、安保理常任理事国が、安保理が、そして野田政権・外務省が何をするか/しないか、見定めてほしいと思うのだ。11月と12月、これらのテーマに関するシンポジウムの開催に向け、今、準備を進めている最中である。詳細は、決まり次第、報告したい。
② 台風15号が接近し、避難や避難勧告が拡大するさなか、現地時間の19日、グァテマラで計6回におよぶ地震があった。日本のメディアでは、まだ報道されていないようだ。インド・ネパール地震の翌日に起きた、最大でM5.8の地震である。報道では、これまでに死者3人が確認されている。
地震国日本から、1976年の大地震の爪痕が今も残るグァテマラへ。まさかこちらに来てまで地震に悩まされるとは思わなかった。グァテマラには(まだ)原発は存在しない。それがせめても救いだと考えたい。
日本で言う家屋の設計上の「耐震基準」など存在しない国。被害の実態把握と救援活動が遅れている。
グアテマラに家族や知人・友人が滞在している人は、以下の記事を参照していただきたい。
⇒Guatemala earthquakes shook city in less than 90 minutes
⇒地震を報じる今日(20日)付のPrensa Libreけの一面。
怠惰なブログに懲りず、訪れてくれている人々に感謝を記して。