『福島と生きる』メールマガジン 特別号 No.5-1
――息長く〈福島〉とつながり続けるために――
2014年1月16日発行(不定期刊)
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インタビュー
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黒田節子さん(原発いらない福島の女たちの会)
――「しびらっこく、なィ」 福島の状況は危機的 でも決してあきらめません
※「しびらっこく」はしたたかに、粘り強く、あきらめないという意味の福島県の方言
パート1
<目次>
I 「原発いらない福島の女たちの会」の過去2年の活動を振り返って
II 福島の状況は危機的
I 「原発いらない福島の女たちの会」の過去2年の活動を振り返って
Q1 2011年秋の女たちの座り込みから2年。「原発いらない福島の女たちの会」(「女たち」
http://onna100nin.seesaa.net/)は全国的に活動を展開し、反原発運動の牽引役になりました。この2年間の成果や変化、福島県内での受け止められ方についてお聞かせください。
黒田 2011年秋に華々しく「デビュー」して、「女たち」の活動は大成功を収めました。外部から大きな期待が寄せられる半面、「女たち」のメンバーは謙遜というか、あまり自分たちの活動を誇示したくないという傾向が強いです。でも私個人は、客観的に見て「女たち」が果たすべき役割があると最初から思ってきました。県内では、県外からの熱い視線と比べると相当な温度差があるのは事実ですが、それはそれでいいかな、と思います。
嬉しいことに、これまで表立って「女たちの会」のメンバーだと名乗ってこなかった人が、最近では名乗るようになっています。期待に応えなくては、自分がやらなくては、という自覚が強まってきたということでしょうか。
「女たち」のユニークな点のひとつは、それぞれがやりたいことやできることをやっていこう、そしてそれをなるべく保証し合おうというスタンスを持っていることです。取り組むべき課題はいくつもあります。
具体的には、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島)(
http://kodomofukushima.net/)、疎開裁判(
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/)、国・東電の責任を問う告訴団(
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/)、被曝労働や福島にやってくる国際原子力機関(IAEA)、焼却炉の問題、全国各地での福島報告や抗議行動に参加など、それぞれが今できることをしています。
その上で年に数回、「女たち」の主催で何かしらのイベントや行動にとりくんでいます。今年の3・11も去年設立された東京の「スリー・ノンの女たち」という女性グループと、共同でとりくみを企画しています。
福島県内では、確かに、大多数の人が「原発はこりごりだ」と思っていますが、そこに安住しているだけでは足りません。基本的には子どもたちの命と健康問題をどうするのかという点で発言していかなくてはなりませんし、それには「女たち」の発言の場も増やしていかないといけません。
「3a(スリー・エー)郡山」(
http://aaa3a.daa.jp/)など、若いお母さんたちのグループがいくつかできています。
そんな中で「女たち」がどんな役割を果たすのか、これから大事なところになるのかなと思います。若いお母さんたちは、自分の子どもを守りたいというところからスタートしているわけですが、「女たち」は原発問題を出発点にしながら、子どもや自分の命を守るためには社会を変えなくてはいけないし、それには結局一人一人の生き方もまた問われている、ということに気付き始めたのではないでしょうか。
メンバーは皆「身体が動けるうちは、精一杯声をあげていなくちゃ」という覚悟をもっています。中には、一緒に暮らしていた孫を遠くに避難させた人もいます。その悲しい思いを活動にぶつけながらやっているんです。自主避難した人たちもいます。自主避難者がおかれた厳しい状況を考えると、それは原発問題を超えて、いまの日本が抱えるさまざまな問題に直結していると思います。
II 福島の状況は危機的
いますぐに健康対策を
黒田 2013年12月21日、白河市で開かれた「第3回放射線の健康影響に関する専門家意見交換会」(
http://www.nsra.or.jp/safe/adviser/)に参加しました。これは環境省と福島県が福島県と県内の市町村の放射線アドバイザー向けに開催しているもので、この日のテーマは甲状腺。講師は福島県立医科大学の鈴木眞一氏と、岡山大学環境生命科学研究科の津田敏秀氏でした。
講義のあとアドバイザーとの質疑応答が行われたのですが、「この数字をどう理解するか」という難しい数学のような議論が大半を占めていました。津田氏は統計学の専門家ですが、「福島はそんなことを言ってる場合じゃない。チェルノブイリの例などから、あと1年から3年で甲状腺ガンが爆発的に増えるからそれに備えるべき。どういう対策を講じるかをこの場で議論すべきだ」と強く主張していました。まったくその通りです。
ところが対策についての話は最後の3分間だけです。傍聴者から「市民の方がよく分かってるぞー!」というヤジが飛んだほどです。傍聴者は40人ほどでしたが、それでも1、2回目に比べると多い方だったそうです。
数字をめぐってああだこうだと専門的な議論をするだけで、国や県は私たちの不安に何も応えていません。アドバイザーの7、8割は放射能のせいでこうなったことを言いたくないと思っているようでした。傍聴者の市民には発言権がありません。せいぜいヤジを飛ばすぐらいです。住民の不安に応えるというより、まったくアリバイ的なものだと感じました。本当に危機的です。
Q 政府の方針では、今後、福島にとどまっている人、帰還した人に個人用線量計バッジを着けさせることになっています。
黒田 すでに子どもが線量計バッジを付けていますが、着け忘れがあったりして正確に測れないことが指摘されています。個人線量計を着けさせるのは、あからさまな個人への責任転嫁です。数年後には、健康被害を訴える人の数が爆発的に増えるでしょう。それに対する対策は、すでにもう遅いのですが、とにかくすぐに立てることが必要です。
あまりにたくさんのことが必要なので「これだけやっていればいい」というこことではありませんが、やはり、移住者にも支援を行うことを謳った「子ども・被災者支援法」(注1)を、骨抜きではなく本来の中身をつけて早急に実施させることが大事です。
※注1: 支援法の内容、最近の動きなどは以下を参照。
http://shiminkaigi.jimdo.com/
情けない議会と市町村の対応――自主避難をめぐって
Q 国が去年12月に打ち出した「福島再生加速化」指針は、
①移住支援の対象は原則として帰還困難区域の住民(自主避難者は対象外)、
②避難指示解除直後の早期帰還者に賠償上乗せ、という帰還促進を基調とするものでした。
黒田 すでに自主避難した人たちと、避難したいのにいろいろな事情から避難できない人たちへの方策が、まったくありません。せっかく「子ども・被災者支援法」ができたのに、なおざりにされ、骨抜きにされています。「女たち」でも自分の住む市町村に対して、支援法の実施を求める意見書を出すように請願してきました。
でも、市町村の対応は情けないです。郡山市議会では2票差で否決されて意見書提出にいたりませんでした。議会では市民派の議員は少数派ですし、野党も含めた既成政党は本当に情けないです。社民党も共産党も「避難」の「ひ」の字も口にしません。多くの市民は避難について「そこまではちょっと・・・」という感覚をもっています。そこで避難を主張すると浮いた存在になる、つまり次の選挙に差し障ると考えているのだと思います。
だからこそ、国が率先して「国が支援するから避難したい人は避難してください」と言わないと、市議会からそういう動きが出る状況にはないのです。地方議会では、よほどのことでない限り、国に逆らってまで意見を言うことはありません。そこが情けないです。
市町村が住民を避難させたくないことを示すエピソードがあります。住民票を郡山市においたまま母子で避難している人たちが、避難先の自治体で子どもを保育園に入るために必要な書類に郡山市のハンコが必要なのに、市の方で押してくれない、というケースが複数ありました。
それを聞いた「女たち」のメンバーが一緒に市役所の窓口に行って交渉した結果(議員の後押しも加わり)、ようやくハンコを押させました。それくらい、住民が外に出るのを渋るんです。
こういうことが国策の下、行われているのです。一人一人の職員はいい人でしょうし、若い職員は自分でも子どもを抱えて不安に思ってはずなのに、立場上そうするしかないと思っているのでしょう。
Q 自主避難者が、たとえば仕事が見つかったので職場の近くに引っ越したい場合、住宅の借り換え支援は認められていません。新規の避難者に対する住宅支援はもう打ち切られてしまいました。こうした自主避難者が抱える住宅の問題について、たとえば郡山市議会が何らかの形で動いたことはあるのですか?
黒田 いいえ、聞いたことがありません。自主避難した人たちは少数派ですから、とにかく一生懸命せっつかないと議員はなかなか動いてくれません。
Q 早稲田大学の辻内琢也氏によれば、避難者の中でも「帰れない」と予測し、「帰らない」と考えている人々の精神的ストレス度が最も高いと考えられるとのことです(注2)。だからこそ「帰還する権利」とともに「移住する権利」を認めるように法的整備をする必要があると述べています。
※注2: 「深刻さつづく原発被災者の精神的苦痛――帰還をめぐる苦悩とストレス」『世界』臨時増刊号第852号(2014年1月)
黒田 確かに、県外の見知らぬ土地に突然移り住むことになれば、仕事にしろ、近所付き合いにしろ、県内に住むよりもずっと大変だと思います。福島にいるときは活躍していたのに、移住した後ふさいでいる人もいると聞いています。私の元同僚に母子で遠方に避難した人がいますが、精神的にひどく参っていました。また、お母さんのそういう姿を見て、小学生の子どもが泣くのだそうです。だからせめて生活基盤を整える支援と、「お元気?」とちょっとでも声を掛けてくれるような人的支援が必要なんです。
(パート2につづく)
(2013年12月23日のインタビューをもとに構成。
インタビュアー/文責:『福島と生きるメールマガジン』)
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『福島と生きる』 メールマガジン特別号 No.5-1
(2014年1月16日発行)
※『福島と生きる』メールマガジンは、『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』の共同執筆者の団体や活動の関連情報を発信していきます。
発行人=中野憲志・藤岡美恵子 (『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』共編者)