2011年9月26日月曜日

自衛隊は何をしに南スーダンに行くのか?

自衛隊は何をしに南スーダンに行くのか?


 自衛隊が南スーダンに行く。南スーダン南部に位置する「比較的治安が安全な」首都ジュバを拠点にしながら、道路整備や新生南スーダンのインフラ建設に貢献するために行くらしい。

  野田首相は、国連本部で現地時間の21日夕、潘基文国連事務総長と会談し、南スーダンPKO参加に向け、「日本の得意分野で新しい貢献をしていきたい」と述べた上で、国連南スーダン派遣団(UNMISS)がジュバに設置した司令部に陸自から要員2人を送る方針を表明した。
 これを受け、一川防衛相が統合・陸海空幕僚長に司令部要員の派遣準備を指示する一方、防衛省・外務省・内閣府から計30人が派遣に先立つ調査と称して現地入りした。来月には、南スーダンばかりでなく周辺諸国の「調査」のため、第二陣の調査団が組織されるという。

 ところが。日本が日本としてどのような政治目的の下で、何を具体的な目標にして自衛隊を南スーダンに「派遣」するのかがわからない。
 報道によれば、当初の計画を前倒しして、早ければ来月にも「先遣隊」を送り込みながら、来年初頭までには300人の陸上自衛隊員を「派遣」するというが、「調査」の結果が報告される前に、なぜ派遣規模を決めることができるのか? この点ひとつをとってみても、今回の「派遣」が/も、先に「派遣ありき」の実にいい加減な代物であることがわかるはずだ。

 2011年9月現在の南スーダンは、きわめて不安定かつ不透明な政治的状況に直面している。9月25日付のSouth Sudan News Agencyのこの記事、New Rebel Movement Emerges in South Sudan; Calls For The Overthrow Of The Government(「南スーダンに新たな反政府武装勢力登場~現政権打倒を呼びかける」)を読んでほしい。
 ここで「新たな」というのは、先月の独立国家宣言式典直前に、現政権との停戦に合意した南スーダン解放戦線とは別に、という意味であるが、武装闘争路線を支持する/しないとは別の問題として(私は支持しない)、少なくとも記事にあるマニフェストを読むかぎり、その主張:
1. Rampant Corruption(現政権にはびこる腐敗)、
2. Insecurity、
3. Tribalism and Nepotism(種族主義と同族登用)、
4. Treatment of Foreigners in Juba、
5. The Spiralling Inflationの内容は、かなり正当なもののように見受けられる。
 この新たに登場した南スーダン民主戦線が、解放軍(と一般民衆)に対し、武装解除し国軍に統合されるのではなく、現政権打倒に向け統一戦線を組もう、と呼びかけているわけである。

 ともあれ。現政権は政権内の腐敗一掃に向け、具体的措置を取ると約束してはいるが、現政権の腐敗は万人が認めるところであり、問題は、そうした政権を米英仏を中心とする国連が軍事的・政治的・経済的にバックアップするという構図が、独立以前から出来上がってしまっていることだ。

 独立はした。しかし国内の恒久的な和平が実現したとは、とてもじゃないが言いがたい。これが南スーダンの現実である。で。国連は何をするのか、日本は何をするのか? 自衛隊は何をしに行くのか? 日本が新生国家建設に「貢献」していることを国際的に「アピール」するために? ただの存在証明として?、それとも石油・威厳の確保?

 いや、そもそも自衛隊を出す前に、国連PKOの存在以前に、国連も日本政府も、もっとやるべきことがあるのではないのか。イラク、アフガニスタン、ソマリアへの国際的介入の破綻を、私たちは再び南スーダンにおいて繰り返すのだろうか。国連はまたしても一国の内戦的事態に対して介入し、自らが紛争の当事者となってしまうのだろうか?・・・・・・

 書き出せば、切りがない。この問題についてはもっと議論しなければならないことがあるので、今後、折に触れて書き足してゆくことにしたい。


 今日、紹介したいのは、一見、自衛隊「派遣」問題とは無関係に思いがちな、しかし実は根っこのところで関係している、南スーダンを始めとするアフリカ諸国のLand Grabbingについての情報である。
*Land Grabbing-日本語では「大規模な土地強奪」とでも訳せばよいだろうか。ただの土地強奪ではない。きわめて大規模な土地強奪のことを言う。アフリカ大陸全域では、すでにフランス一国の国土に匹敵する土地が強奪された、と言われている。

 誰に? 多国籍企業? もちろん、それも含まれる。しかし、そればかりではない。ハーバードを筆頭とする米国の「有名大学」である。その事実を商業紙として報じたのがガーディアン紙の記事、US universities in Africa 'land grab'である。(同様の記事は、BBCでも報じられた。いずれも記事の主なソースは、Oakland Institute である。)非常に興味深い記事なので、まずは目を通してほしい。
 南スーダンに触れているところを引用するなら次の通りである。

 The largest land deal in South Sudan, where as much as 9% of the land is said by Norwegian analysts to have been bought in the last few years, was negotiated between a Texas-based firm, Nile Trading and Development and a local co-operative run by absent chiefs. 

 南スーダンの国土の9%が、テキサスの企業、Nile Trading and Development によって強奪されている。Nile Trading and Developmentは、南スーダンの他にも各地で「土地強奪」を行っているのだが、こうして土地がある日突然強奪されることによって、もともとその土地に住んでいた人々、農民、先住民族が土地を追われ、強制移住させられる。それによって土地をめぐる「紛争」が、当然、起こる。
 私が今いるグァテマラも、まさにその渦中にある国のひとつなのだが、南スーダン(とスーダン)も同じなのだということを、ここで押さえておこう。(国連スーダンミッションは何のために存在し、自衛隊は何のために、何をしに行くのだろう?)

 しかし、上の記事(つまり、元々のレポート)が興味深いのは、こうした多国籍企業やヘッジファンド(あるいは中国、韓国、サウジアラビア等々・・・のように国家そのもの)のみならず、というかその背後に、25%という莫大なハイリターンを求め、自己資金を拡大をめざした米国の「有名」大学の投機的行為がある、ということを暴露している点である。記事の核心部分。

The new report on land acquisitions in seven African countries suggests that Harvard, Vanderbilt and many other US colleges with large endowment funds have invested heavily in African land in the past few years. (つまり、リーマン・ショック以降ということ)

Much of the money is said to be channelled through London-based Emergent asset management, which runs one of Africa's largest land acquisition funds, run by former JP Morgan and Goldman Sachs currency dealers.(つまり、米国の多くの大学が、リーマン・ショックに責任を負いながら、(いつも)米国政府によって訴追を免れるウォール・ストリートの「罪人」たちが拠点をロンドンに移し設立した土地強奪会社に資金を流し、ボロ儲けをしてきた、ということ)

 アフリカ大陸をはじめ世界的規模で展開されてきたこの土地強奪に、日本のヘッジファンド、多国籍企業に老舗の商社、政府・自治体、そして大学がどの程度関与しているのか?
 誰か、調べてみてはどうだろう。

 なお、land grabbingに関する日本語の翻訳・情報サイトとしては、「農地は誰のものか? 」を薦めたい。

・・・
11月
PKO決定の南スーダン 治安、病気との闘
 国連平和維持活動(PKO)で、陸上自衛隊の施設部隊を派遣することが一日に閣議決定された南スーダン。七月九日にアフリカ五十四番目の国家としてスーダンから独立し四カ月近くが経過した。だが、今も反政府武装勢力による襲撃が続き、陸自部隊が活動する首都ジュバから離れた地域では治安情勢に大きな不安もある。
 二〇〇五年まで二十年以上続いた内戦は、南スーダンを疲弊させ道路や電気などのインフラ整備は遅れたままだ。日本政府は内戦終結後、無償資金協力でジュバ周辺のインフラ整備を進めてきたが、本格的な整備は今後の課題になる。
 陸自派遣で懸念されるのは、まず南スーダンの治安問題。北部の国境に近いユニティ州マヨムでは先月二十九日、反政府武装勢力と政府軍の戦闘が起き、市民十五人を含む約七十五人が死亡したとされる。ジュバ北方約百二十キロにあるジョングレイ州では八月、家畜の盗難をめぐって二つの部族間の衝突があり約六百人が死亡したと伝えられ、その後も衝突が発生している。

 治安が安定しているジュバでも国連南スーダン派遣団(UNMISS)幹部が滞在先ホテルで警官に暴行される事件があった。
 南スーダンはUNMISSの仲介などで反政府武装勢力と和解を進める。だが、スーダンとの国境にある産油地帯アビエイ周辺には複数の武装勢力が残存、政府軍との交戦が絶えない。産油地帯の国境画定が未解決なため、原油利権をめぐるスーダンとの関係悪化も懸念材料といえる。 また、熱帯特有のマラリアに感染するケースも多く、十分な医療体制が整っていないジュバでの活動は病気との闘いでもある。
 南スーダンのキール大統領は先月九日、スーダンのバシル大統領と共同会見を開き「われわれが内戦に戻ることはない」と強調。しかし、両国とも、国境付近を拠点とする反政府武装勢力を支援していると非難し合っており、治安安定までには時間がかかりそうだ。 【東京新聞・ロンドン=小杉敏之】

南スーダンPKO、陸自部隊派遣を政府が決定
 政府は(11月)1日午前、南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊の施設部隊を派遣する方針を正式決定した。藤村官房長官が閣議で派遣方針を表明し、一川防衛相ら関係閣僚に準備に入るように求めた。 派遣規模は約300人で、部隊は「国連南スーダン派遣団(UNMISS)」の要員として、同国の首都ジュバを拠点に道路や空港の補修などのインフラ整備を担う。 民主党政権下でのPKOへの陸自部隊派遣は、2010年2月のハイチ復興支援以来、2回目。
 政府は今後、PKO協力法に基づく実施計画と関係政令を策定し、年内に閣議決定する。年明けの1月にも第1次要員約200人を派遣し、来春までに順次、「300人態勢」に近づける。(読売)

10月
戦闘で80人死亡=武装集団が町を襲撃-南スーダン
 日本政府が陸上自衛隊施設部隊の派遣を検討中の南スーダンで29日、大規模な戦闘が発生、現地からの報道によると、約80人が死亡した。戦闘があったのは北部のユニティ州で、自衛隊派遣が検討されている南部の首都ジュバとは数百キロ離れている。しかし、不安定な国情が浮き彫りになった形で、検討作業にも微妙な影響を与えそうだ。
 AFP通信によると、同州北部の町マヨムを29日早朝、武装集団が襲撃した。南スーダン政府は「逃げる住民を撃ち殺した」と非難する一方、「民兵60人以上を殺害した」と発表し、市民の犠牲者は15人にとどまったと強調した。また「事態を掌握しており、反乱兵を追跡中だ」とも主張している。
 武装集団は、7月に悲願の独立を果たしたばかりの南スーダンで、主流派となったスーダン人民解放軍(SPLA)の分派「南スーダン解放軍(SSLA)」とみられている。SSLAは28日、国連や援助団体に対しユニティ州から撤退するよう通告。さらに、ロイター通信によると、29日には戦闘後に声明を出し、隣接するワラプ州にも戦闘を拡大すると警告した。【ロンドン時事】(2011/10/30)

南スーダン:武装組織が町襲撃75人が死亡
 南スーダン北部マヨムで(10月)29日、反政府武装組織が町を襲撃し、政府軍と交戦。武装組織60人、市民ら15人が死亡した。ロイター通信などが伝えた。 黒人で伝統宗教やキリスト教の信者が主体の南スーダンは7月、アラブ系のイスラム教徒が主体のスーダンから分離独立したばかり。国内には、北部のスーダンとの内戦を率いてきた現与党「スーダン人民解放運動」への反発があるほか、民族対立も抱えており、様々な武装組織と政府軍の対立が散発的に起きている。
 日本政府は、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)としてインフラ整備にあたる陸上自衛隊施設部隊約300人を現地に派遣する方針を固めている。【毎日・服部正法】

9月
南スーダンPKO、政府調査団30人出発 首都での活動、日中韓争奪戦
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)への陸上自衛隊施設部隊派遣で、日本政府が中韓両国と活動地域をめぐる争奪戦を繰り広げていることが(9月)24日、分かった。石油など資源獲得への思惑から派遣に積極的な中韓両国を抑えて、治安が比較的安定しアピール度の高い首都・ジュバで活動するには早期の派遣決断が不可欠として、部隊派遣表明を来月前半に前倒しすることも視野に入れている。
 陸自施設部隊の派遣に向け、政府は24日夕、現地調査団を出発させた。外務、防衛両省と陸自、内閣府国際平和協力本部事務局の約30人で、25日にスーダン入りし、1週間でジュバなど2カ所で治安情勢やインフラ整備のニーズ、燃料の補給ルートなどを調べる。

 首相がニューヨークで国連の潘基文(パンギムン)事務総長に施設部隊派遣の意欲を示したのは日本時間22日。2日後に調査団を出発させたのは、派遣の政治決断が遅れればジュバより治安の悪い地域に回されかねないからだ。
 国連は7月、南スーダン派遣団(UNMISS)の展開を決め、道路の整備などにあたる施設部隊について日本や中韓など9カ国に派遣を打診した。300人規模の部隊を3地域に展開させる計画で、治安情勢とアピール度からジュバが最善の活動地域だとされる。

 複数の政府高官によると、中韓も活動地域の調整に入っているが、国連は実績に評価の高い陸自への期待感が強い。陸自は正当防衛や緊急避難時に限るという武器使用権限の制約を抱え、ジュバでなければ派遣しにくいという日本の事情にも理解を示している。
 8月に潘氏が来日し菅直人首相(当時)らに派遣を要請する前から、国連側は「早期の意思表明」をジュバ割り当ての条件として提示していた。調査団派遣はそれに応じたもので、潘氏の出身国で10月に調査団派遣を検討している韓国に先んじて調整を進める。
 中国は、新スーダン軍と南スーダン系武装勢力などとの戦闘が激化している国境地帯が担当地域に決まっても部隊を派遣する方針だという。旧スーダン産出原油の過半を輸入してきた中国だけに、油田の8割が集中する南スーダンに地歩を築く狙いがあるためだ。

【用語解説】日中韓3国のPKOへの貢献度
 6月末のまとめで、日本は4件のPKOに260人(世界50位)を派遣しているが、11件に2041人派遣(同15位)の中国、9件に639人派遣(同33位)の韓国に水をあけられている。自衛隊の施設部隊派遣は平成4年からのカンボジア、14年からの東ティモール、22年からのハイチがある。(産経新聞 9月25日)

PKO武器使用の緩和、前原氏「与野党協議を」
 民主党の前原誠司政調会長は25日、国連平和維持活動(PKO)における自衛隊の武器使用基準を緩和することについて「法改正が必要なので与野党で議論していただくことが大事だ」と述べ、与野党協議を呼びかけた。南スーダンへのPKO派遣が検討される中、自民党は前向きだが公明党には慎重論が強く、協議の行方は不透明だ。
 PKO協力法は、武器使用を要員防護のための必要最小限に限定している。前原氏は25日のNHK番組で「他国の軍隊に守られながら自衛隊は(他国部隊を)守れない。現場に相当フラストレーション(不満)がたまっている」と指摘した。  そのうえで前原氏は武器使用基準の緩和について「党内でも政府内でもかなり煮詰まった議論までいっている」と述べ、早急な見直し議論が必要との認識を示した。自民党の石破茂政調会長も同じ番組で「極めて正しい。武器の使用権限は本当に今のままでいいのか。きちんと議論して結論を出したい」と同調した。 (朝日新聞)

2011年9月25日日曜日

政治改革の終焉---また再びのデジャブ

政治改革の終焉---また再びのデジャブ


 国連総会での野田首相と新政権のお披露目も終わり、首相帰国後の争点は増税問題に移った観がある。
 この秋から冬にかけての政局を通して、議論は増税するかしないか、消費税を導入するかしないかではなく、どの程度増税をし、いつからどの程度段階的に消費税を引き上げるか、といった内容へと変わっていくだろう。東日本大震災と福島原発大災害が起ころうが起こるまいが、消費税増額はかねてよりの財務省の方針なのだ。

 野田政権の使命は、①それに道筋をつけると同時に、②原発再稼動→推進と、③武力によって「介入する責任」を果たそうとする米英仏、NATOの作戦展開への「後方支援」を既成事実化することにある。この政治的に文脈に沿って、「日米合意」に基づく普天間問題の「決着」が付けられようとしているわけである。

 民主党の保守勢力を牽引する野田政権は、結局何をしたいのかさっぱり分からなかった鳩山・菅政権時代の「ブレ」を正し、官僚機構が自公政権末期までに積み上げていた政策構想を実地に移そうとする、少なくともその地ならしをしようとする政権である。

 だから、上にあげた①から③が、いずれも有権者、「国民」、原発立地・周辺住民、沖縄の意思を反映しておらず、民主党の支持率が10%台で低迷している、という根本的な問題を除くなら、野田政権は「安定」政権になるだろう。選挙をしたくない/たたかいようがない民主党と、野田政権を通して規定の方針を通そうとする自公との閣外政策協定・協力が進む中で、余程の不祥事がない限り、2年程度(もしかしたらそれ以上?)続くかもしれない。

 憲法上、また法令上、それを阻む、阻みうる根拠、手段はない。「3ヶ月以上、支持率が10%台の政党を与党する政権は、国民の信を問うために解散しなければならない」と憲法に明記するために改憲するか、そういう一般法を制定しないかぎりにおいて。 私たちは、これからしばらく、相当ウンザリするような日々が続くことを、今から覚悟しておいた方がよさそうだ。

 そして誰も責任を取らない、何も変わらない日本型「民主主義」が続く。 いつかみたシーン。何度もみたシーン。この既知感覚はなんだろう。また再びのデジャブを、今私たちは体験している。


 野田首相は国連で、日本の原発を世界で「最高水準」のものにする、「原子力協定」を締結している諸国へ原発輸出を進める、そのために来年2月には停止中原発の再稼動をなし、さらにそのために未だに科学的定義がさっぱり分からない「冷温停止」を「前倒し」すると語った。幸いなるかな、福島第一原発は野田政権の呪文で「冷温停止」するらしい。

 しかし、まさに首相がそう語っていたその時、福島第一原発では、1号機の格納容器と配管から「予想を超える濃度」の水素が発見され、2、3号機の原子炉からは放射性蒸気、「湯気」が立ち上がり、「サリー」は故障寸前で、地下から放射性汚染水があふれ出ていた。24日に公開された5、6号機の写真では、タービン建屋地下の配管がちぎれ、屋外の点検用クレーンが倒れた様子が写っていたといたという。

 この事実は、野田首相、野田政権の言う「冷温停止」の「前倒し」なるものが、何らの物理的・科学的根拠の裏付けも持たないこと、単なる政治宣言に過ぎないことを示している。原発災害の直接的被害者には怒り心頭に違いないこの政府のデタラメ、ペテンに対し、私たちは政治的になす術を持たないし、既成メディアは総じて寛容にみえる。ひとつだけはっきりしていることは、どれだけ有権者の多数派の意思を無視していようが、首相の国連演説によって、日本の脱「脱原発依存社会」宣言は、国際的に「規定の方針」として確定してしまったことである。

閑話休題
 ルーマニアで収集した伝統音楽やロマのCDをゆっくり聴く間もなくこちらにやってきた。
 8月から9月にかけて、2008年に展開された全ヨーロッパを舞台とする「ロマ・キャラバン」の延長なのか、ブカレストとシビウでロマの大コンサートがあった。ただし、これらはルーマニア政府公認のコンサートで、だから演目もそれに沿ったものになっていて、ちょっと私の好みとはズレるものだった。私が惹かれるのは、各国・各地域の伝統音楽を、崩しに崩したような、茶化しに茶化したような、哀しいくらいjazzyにした、そんなフレイバーが漂うロマの音楽である。

 ロマの音楽については、私などおよびもつかないハード・コアなファン層が日本にもいるのだが、ジプシー・キング以外は聴いたことがない、という人も多いだろうから、まずはキャラバンのプロモーション・ビデオを紹介しておこう。雰囲気だけは十分に味わっていただけるだろう

 2008年のキャラバンを契機に、ロマは「全欧ロマ党」(Partida Romilor Pro Europa)の結成に向け、活動を展開してきた。ロマに対する人種差別を廃絶し、ロマがロマとして生きる政治・社会・文化的権利をたたかいとる、というのがその目的だ。
 まったく偶然なのだが、そのキャンペーンの模様を、ブカレスト滞在中にTVでみた。その中で、ルーマニア語ができない私にも、理解できることがあった。それは、ルーマニア政府が公表しているロマの人口が、あまりに少なく国内のロマの実態をまったく捉え切れていない、ということである。

 つまり、このキャラバンは、欧州各国のロマに関する実態を調査・把握し、これまでの各国政府の統計を書き換えると同時に、国ごとに分断されたロマの「全欧ロマ党」運動への参加の促進を通じ、全欧的なロマの政治的・文化的意識の覚醒をめざそうとするものなのだ。歴史的にロマに対する根深い社会的差別が存在するルーマニアや東欧諸国ばかりではない。人種・宗教的差別、排外主義的傾向がここ数年強まっているフランス、イギリスなどにおいても。
 ロマ音楽をこよなく愛する人々も、こうしたロマのたたかいを日本に紹介する取り組みを、ぜひ行っていただきたいと思う。ロマの今を、その音楽の紹介をも含めて伝えるような文献が期待される。 

2011年9月20日火曜日

脱原発: 「9・19」からどこへ行くのか

 脱原発: 「9・19」からどこへ行くのか


 昨日、「さようなら原発5万人集会」が明治公園で開かれた。主催者発表で約6万人が参加したという。
 集会の模様を詳しく伝えない新聞メディアの報道の中では、 「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんの、原発事故からの半年を振り返る発言が印象に残った。
 「逃げる、逃げない。食べる、食べない。日々、いや応なしに決断を迫られた」・・・。

 集会に参加し、私に写真を送ってくれた人の証言。
 「明治公園が文字通り隅々まで立錐の余地なくいっぱいになった。青年館の前の高いところからやっと中の様子を垣間見れた状態だった。
 公園の周りに人があふれてた。朝の満員電車のようだった。というか、駅のホームからすでに人でいっぱいで、ホームから改札を出るまで10分近くかかった。

 駅から公園までの間も人でいっぱい。デモの最後尾が出るのに、ゆうに2時間以上かかったらしい。
 3コースに分かれていたけど、一つのコースでもデモが途切れることなく延々続いていた。
 主催者の途中発表で参加者は4万人超え。4万5千はいたのではないか。
 大江健三郎は声が小さすぎて、何言ってるのか、まったく分からずじまいだった」


 私は、今、日本との時差が15時間ある中米のグァテマラという国にいる。新たな出版プロジェクトに向けたフィールドワークの第一弾として(詳細は追々)。で、先ほどメールをチェックしたときに(現地時間、19日朝)デモの写真と報告を受け取った。

 「9・11」から8日目。新たな旅の準備と旅そのものに肉体と精神、時間を消耗するだけのような日々が続いた。が、書き残していること、これだけは書いておこうと思いながら書けていないことが、いろいろある。 その一つが、「9・19」以前からずっと考えてきた、「これからどうするのか?」という自己自身にも向けた問いである。

 国連で日本政府として公式に「脱原発依存社会」宣言の撤回をなし、今年中に全国各地で「ストレステスト」(?)の「説明会」を8回も行う(?)という野田政権、「福島第二原発の廃炉は東電次第」(?)と言ってはばからない民主党政権を相手に、私たちは「これからどうするのか?」。
 脱原発運動が「次」に進むための課題はいろいろ見えても、その具体的で現実的な展望がなかなか、というよりほとんど見えない・・・。
 これが私を含む多くの人々の正直な心境なのではないか。
 

 かつて日本が最大の政府開発援助(ODA)の供出国だったことがあるグァテマラ。そのグァテマラと、今の日本がかかえる共通の問題がある。国家的犯罪を犯した者たちが、その責任を法的に問われ、罰せられることなく「免責」「免罪」されていることだ。 法的用語としてどのような日本語が適切なのか、私には分からないが(「不処罰」?)、英語で言うimpunityである。
 グァテマラの場合は、マヤ先住民族に対するジェノサイド、国家テロに関するimpunity、日本の場合は福島第一原発「事故」に関するそれである。

 「3・11」以後、 私たちに「逃げる、逃げない。食べる、食べない。日々、いや応なしに決断」を迫った事態とは、いったい「人災」なのかそれとも「天災」なのか、このことが最大の焦点になってきた。もちろん、私たちは人災だと言う。正確には、天災がその被害を拡大させた人災である、と。

 しかし、ここで重要なことは、政治的にも法的にも、この問題は決着がついていない、ということだ。 決着がつかない/つけないまま、人災としての原発「事故」の本質を曖昧化し、国家としての、ということは政府・与党としての、ということは官僚機構としての、ということは「原子力ムラ」としての、ということは立地自治体としての、政治的・法的・行政的責任を無罪放免する・・・。

 「3・11」から半年余りを経た今も、人災としての、ということは国家的組織犯罪としての今回の原発「事故」に関して、政治的・法的。行政的責任を負う、つまりは刑罰を受けるべき主体が誰なのか、何も明らかになっていない。この事実に、私たちはもっと驚いたり、怒ったりしてもよいのではないだろうか?

 「9・19」からどこに行くにせよ、 「3・11」に関する国家的impunityに対してどのような決着をつけるのかを抜きに、日本の脱原発運動の未来は語れなくなった。そしてこのことが 「3・11」以前の日本、いや世界の脱原発運動とこれからのそれの運動の〈質〉を分かつ決定的なモメントなのである。 


 「9・19」のデモのコースは3つに分かれたとのことだ。しかし、これからの「コース」は、もっともっと多くあってよいと私は思う。批判を受けることを覚悟で言えば1000万人署名に運動を「集約」することにさえ私は懐疑的だ。問われていることは、「そういうことではない」と強く考えるからである。
 もっと言えば、東京中心主義的な「全国集会」の組織化は、こと脱原発運動に関するかぎり、今回を最後にすべきだろう。カンパニア的運動の組織化は、脱原発運動において、すでにその歴史的使命を終えている。私たちは、その「次」に向かわなければならない、と思う。 

 たとえば。社会学者の宮台真司氏は、「脱原発とは共同体的自治を実現することだ」みたいなことを語っている(ようだ)。 私自身は氏の本を読んだことがないし、その内容をよく理解しているわけではない。しかしその意味するところは、私なりに理解できる気がしている。

 「共同体的自治」は、日本の統治形態のdevolutionぬきには、実現しようがない。くどいようだが、revolutionではなく、devolutionである。そしてそれは、国家(官僚機構)による統制/専制と、それへの〈依存〉によって成り立ってきた戦後日本の政治・社会構造を、ローカルなレベルで、組み換えること抜きには実現しようがない。 問題は、「9・19」が、こうした「組み換え」を思考し、志向するものであったか否か、また、「9・19」からいくつもに分かれるべきこれからの「コース」のひとつとして、そうした〈運動〉の出発点となりえるか否か、にある。

 終わったばかりの「9・19」の総括が、早くも〈私たち〉に問われている。

閑話休題
① これから始まる今年度の国連の動向、そして国連や国際機関での日本政府・外務省の発言・動向に注目してほしい。
 ひとつは、パレスチナの国家承認(=民族自決権の承認)問題。
 もう一つは、南スーダンの国連PKOの作戦展開と、これへの自衛隊の「派遣」問題。
 さらには、リビアの「支援友好国連合」への日本政府のコミットメントと国連PKOの動向。
 そして、アフガニスタン。

 オバマ政権が、安保理常任理事国が、安保理が、そして野田政権・外務省が何をするか/しないか、見定めてほしいと思うのだ。11月と12月、これらのテーマに関するシンポジウムの開催に向け、今、準備を進めている最中である。詳細は、決まり次第、報告したい。

② 台風15号が接近し、避難や避難勧告が拡大するさなか、現地時間の19日、グァテマラで計6回におよぶ地震があった。日本のメディアでは、まだ報道されていないようだ。インド・ネパール地震の翌日に起きた、最大でM5.8の地震である。報道では、これまでに死者3人が確認されている。
 地震国日本から、1976年の大地震の爪痕が今も残るグァテマラへ。まさかこちらに来てまで地震に悩まされるとは思わなかった。グァテマラには(まだ)原発は存在しない。それがせめても救いだと考えたい。

 日本で言う家屋の設計上の「耐震基準」など存在しない国。被害の実態把握と救援活動が遅れている。
 グアテマラに家族や知人・友人が滞在している人は、以下の記事を参照していただきたい。
Guatemala earthquakes shook city in less than 90 minutes
地震を報じる今日(20日)付のPrensa Libreけの一面。 

 怠惰なブログに懲りず、訪れてくれている人々に感謝を記して。 

2011年9月10日土曜日

RevolutionとDevolution

 1、野田民主党政権の支持率は、菅政権初期の水準にほぼ持ち返したようだ。メディアによって数値のバラツキはあるが5割から6割台を維持している。

 民主党の支持率も3割前後にまで回復した。自民党や小政党、一部無党派の支持率が流れた格好になっている。

 しかし、誤解のないようにしたいと思うのだが、野田政権は、菅前首相の「脱原発依存社会」(減原発?)宣言の幕引き政権である。もっと言えば、「脱官僚・政治主導」「脱自民」を掲げ、二年前に始まった民主党の自作自演の舞台劇の幕引き政権でもある。

 このことを忘れてしまうと、原発・安保問題にせよ何にせよ、私たちは新政権との距離のとり方を誤ることになるだろう。

2、シビウの国立劇場横の壁に面白い落書きがあった。いや、「落書き」というには洗練された、しかし「アート」というのは、少し素人臭さが漂う、そんな作品である。

 Revolutionをonにするか、それともoffにするか? どちらに「スイッチ」を入れるかは「人民」、つまりは「あなた」次第、と上の落書きは訴えているように私には読めた。

 22年前に、「共産主義」の仮面をかむった独裁者を処刑し、その一族を政治権力の座から追放したルーマニア。しかし、「革命」の後の「民主化」のプロセスは遅々として進まない。

 「共産主義」の次にやってきたのは、新自由主義とEU統合。問題なのは、「共産主義」の過去はもちろん、「資本主義」の現在と未来、わけても共産主義と決別した社会民主主義にも、ルーマニアの中産階級や労働者の多くが希望を持てなくなっている、というところにある。

 国によって事情は違うし、今どういう暮らしをしているかによって、人の意見もさまざまだろう。けれども、「何かが変わるかも、変えられるかもしれない」と思えた過去には戻れず、「やっぱり何も変わらなかった、政治とはそういうもの」という思いが社会に蔓延しているという意味では、ルーマニアをはじめとした旧東欧諸国の人々と私たちとの間に、大きな違いがあるとも思えない。

 「革命」などとはとてもいえない、単なる政権交代に過ぎなかったわけだけれども、二年前に自ら語った「改革」路線さえoffにしようという民主党野田政権。
 変革をonの状態にし続けるのもしないのも、結局は、私たち次第なのだ。

3、変革の道筋は、revolutionではなく、devolution.  一般に「分権」という日本語で訳される。
 が、私自身は、政治権力の(暴力的)奪取を通じ、中央集権化された国家体制が構築されてきた近代の歴史過程を、逆の方向に向かってやり直すこと、つまりは近代国家の権力的解体⇒地域的な「民衆の権力」を創造するためのインスピレーションを受ける語として、devolutionを捉えている。

devolution とdiversity(多様性)

 ⇒TVで放送されていたルーマニアの民族音楽のコンサートの模様。ギターを持つ女性の弾き方に注目。

 シビウで撮った上の「落書き」の中に、「多様性」を意味するdiversitateという言葉がある。
 revolutionではなく、devolutionによって国家の中央官僚機構から政治権力を地方/地域へと「分権」し、地方/地域の「自治」と「主権」を国家が承認すること、させること。

 それはつまり、近代国民=国家内部に存在する政治・経済・社会・文化的な〈多様性〉を国家が、政府・中央官僚機構や議会政党が承認することを意味することになる。

 だから、実はdevolutionは、多様性や多元性(多元主義)の受容と一体となった政治的概念なのである。

 民族・文化的に多様な国家、ルーマニアという国家において多様性を考える場合に避けて通れないのが、ロマの存在、その政治的・文化的権利の国民=国家としての承認なのだ。短いルーマニア滞在中にも、私は何度もロマに対する差別的言辞を耳にしたが、それほどまでにこの国、ひいてはヨーロッパ社会においてロマに対する差別と社会的排除は激しく、厳しいものがある、ということである。

 このdevolution。くどいようだが、revolutionではなく、devolutionが、脱原発運動が志向すべき最も重要な政治的概念ではないか、と私個人は考えている。ぜひ、一緒に考えていただきたい。

2011年9月8日木曜日

日米安保60周年の日に


 今日は、1951年9月8日に、サンフランシスコ対日「講和」条約と旧安保条約が調印されてから60年目にあたる日だ。その日をなぜか私は、ルーマニアのシビウという街で迎えることになった。

  8月末、モスクワ経由でブカレストに入った。あわただしい旅の準備のさなかに、前回のブログの文章を書いて、アエロフロートに飛び乗った。

 ブカレストから、世界遺産の修道院が点在するスチェヴァ、スチャヴァからモルドヴァとの国境が近い大学街のヤシを訪れた。 ヤシから国内線で向かったのは、1989年の「ルーマニア革命」の発祥地のティミショアラである。そして昨日、ティミショアラから「ルーマニアで中で最も美しい街」とタクシーの運転手が誇らしげに語る、ここシビウに来た。

 ルーマニアに来た直接的な目的は、「ジプシー」という呼称で一般的に知られるロマの民族音楽とルーマニアの民族音楽とjの関係を調べるために、ネットでは手に入れることのできないCDやカセットテープ、その他の資料を収集することにある。
 
 今から20年程前、テキサスの片田舎に引きこもっていた頃、私は米国国内を年中車で移動しながら暮らしている「トラベリング・ピープル」、つまり米国のロマの存在を初めて知った。

 以降、ロマの文化と音楽に魅了されてきた一人なのだが、ルーマニアを欠かしてロマのこと、殊に音楽のことは語れない、みたいなところがあるわけである。

 しかし、ロマやルーマニアのことより野田新政権と日米安保60年のことの方が、今は、重要だ。この10日近くの間に考えたことを交えながら記しておこう。(右写真は、街の中心にある福音教会の塔から写したシビウの街並。たしかに、タクシー・ドライバーが自慢したように、「ルーマニアで最も美しい街」なのかも知れない、と思えた。)


9/10
 一昨日の9月8日、メールをチェックしたときに目に飛び込んできたニュースがいくつかある。
 その一つは、国連PKO参加に伴う、自衛隊の海外での「武器使用」の規制緩和に言及した民主党の前原議員の発言だった。前原議員は、他国の軍隊が武力攻撃された場合に、自衛隊が他国の軍隊を「防衛」できるよう、自衛隊のPKO参加原則の見直しをはかるべきだと言ったのである。

 「国際紛争の武力による解決」を禁じた憲法9条体制の下で、「国際の平和と安全の維持」を目的とし、武力行使を前提とする国連PKOへの自衛隊の参加が、この20年間もくろまれてきた。ブログの読者には「耳にタコができた」とお叱りを受けるかもしれないが、「憲法9条を守れ!」というだけでは、「国際の平和と安全の維持」の名による 「国際紛争の武力による解決」に自衛隊が多国籍軍と共同して乗り出すことに歯止めをかけることはできないのである。

 前原議員、というより外務・防衛官僚や、「原子力村」ならぬ「日米安保村」が想定しているのは、南スーダンやリビア、さらにはソマリアなどの国連PKOへの自衛隊の部隊派遣などである。この問題は、新刊の『脱「国際協力」 ~開発と平和構築を超えて』 に収録された拙稿、「「保護する責任」にNO!という責任 ―国際人権・開発NGOの役割の再考」にも深く関わる問題でもあるので、旅すがら、少しずつでも書き記しておこうと思う。