2009年4月4日土曜日

オバマの対テロ戦争と日本---アフガン「包括的新戦略」を検証する No.2

オバマの対テロ戦争と日本---アフガン「包括的新戦略」を検証する No.2

3 試される日本の開発戦略と開発「援助」

 昨日のニューヨークタイムズの記事によると、米国はオバマの「包括的新戦略」に基づき、パキスタンに対する向こう五年間にわたり三〇億ドル、ざっと三〇〇〇億円の軍事援助を計画しているとのことである。パキスタン国内のアルカーイダとタリバーンの本格的な掃討戦に向け、パキスタン軍と警察をメイドイン・アメリカの武器で武装させ、米軍が訓練するのだという。

 すでに米軍は、アフガニスタンと国境を接するパキスタンの領土において、タリバーンの拠点(と米軍が判断する)地域に対し、無人(無線による遠隔誘導)爆撃機による空爆をくり返している。
 米国のパキスタンに対する本格的な軍事介入、つまりは「包括的新戦略」の直接的目的は、イラク戦争と同様に、アフガニスタンとパキスタン両国の軍隊と警察の「アメリカナイゼーション」にある。その背後には、石油・天然ガス・鉱物資源開発問題や、アフガニスタンからパキスタンを経てインドに通じるパイプラインや道路網の建設などのインフラ整備と開発問題がある。アフガニスタンには、旧ソ連による占領期からタリバーン政権の時代にわたって開発計画中だったものが内戦によって実施されず、未開発のままになっているプロジェクトが数多く存在するのである(⇒この問題については別の機会に改めて述べることにしたい)。

 ソマリアの首都モガディシュ(モガディシオ)からイラクのバグダッド、パキスタンのイスラマバードを経て、アフガニスタンのカブールを線でつなぎ、この地域の歴史を数世紀さかのぼり、長いスパンで捉えてみる。すると、そこから浮かび上げってくるのは、かつてイギリスを中心にしたヨーロッパ列強が植民地支配し、その後「独立」した国々を、第二次世界大戦に一人勝ちした米国が、徐々に徐々に、今度はかつての植民地宗主国を従え、自らの手で実態的な「再植民地化」を果たしてきたという、そんな構図である。

 もちろん、戦後の米ソ「冷戦」体制の下で、これらの地域に旧ソ連が入ってきた時期もあった。しかしそのソ連も崩壊し、旧ソ連から独立した諸国と自国の「イスラム原理主義」から激しい抵抗を受けている。中国もしかり。チベットのみならず東トルキスタン(新疆ウイグル)問題をかかえている。もはや、国連加盟国の中で米国の対テロ戦争の遂行に歯止めをかける国家は存在しない。現代世界でそれと対峙している最も強力な政治勢力とは、他でもないイスラム武装勢力なのである。

 だからといって、ぼくはイスラム武装勢力を支持しているわけでも賛美しているわけでもない。彼/彼女らの思考と思想は、その教義とともにぼくの理解力を超えている。ただし、ぼくは彼/彼女たちの政治的主張と戦いには、否定しがたい正当な根拠があるとは考えている。とりわけ、自分たちの国、領土が米軍や外国軍によって支配されていることや、トランスナショナルなメジャー資本によって天然資源が略奪されているという主張は、ぼくにも理解することができる。
 また、西洋版「自由と民主主義」イデオロギーと統治制度を人類普遍的な「価値」とし、米国がその絶対的な軍事力を背景に、これを外部から移植しよとすることに対し、彼/彼女らが強烈な拒否反応を示していることも理解できるような気がする。どれだけ彼/彼女らの宗教的教義や行為に同意できないものがあるにしても、そのことが彼/彼女らを抹殺する理由には到底なりえないし、彼/彼女らの政治的主張の根本には、「テロ集団」と一言で断罪し、切り捨てることはできない一片の真実と正論が含まれている、少なくともぼくはそのように考えている。

 実は、このような徹底抗戦派のイスラム武装勢力と和解し、和平合意をまず結ばなければならないのは、アフガニスタンのカルザイ政権でもソマリアの暫定連邦政府でもない。誰を置いても、まず米国である。米国と、米国が「テロ集団」規定する武装勢力の両方を、その和平交渉のテーブルに引きずり出す力と意思を国連が持たない/持てないことが、ブッシュが始めたグローバル対テロ戦争を永続化させ、世界各地のテロルな「国際の平和と安定」を永続化させる根拠になっているのである。

 ぼくらはこのような観点から、今一度、対テロ戦争時代における日本の安保・外交戦略と開発戦略、とりわけアフガニスタンに対する「復興支援」「開発援助」のあり方と、これらに対する日本のマスメディアの「言論」のあり方、さらには国際NGOを含む「市民社会」が果たしている役割を捉え返す必要があると思うのである。

①「復興支援」という表現の問題性

 さて、報道されているところによると、米国は今年の年末までに、アフガニスタンに駐留する米軍の規模を現在の三万八〇〇〇人から六万八〇〇〇人へと増強する計画を明らかにしている。イラク戦争のせいで米軍がイラクに集中し、その結果タリバーンの復活を許してしまった、だから再度米軍と「文民」部隊を大量に投入し、アフガニスタンとパキスタンの二正面作戦でアルカーイダとタリバーン「強硬派」を殲滅するという戦略である。一言で言えば、「アフガニスタンのイラク化」である。

 イラク戦争がイラクの人々にどのような凄惨な戦禍を残したかは、ここでは触れない。「国際社会」はすでにそのことを忘却しかけているが、ここでの問題は、今後、このような状況の中でアフガニスタンにおいて取り組まれる「プロジェクト」を「復興支援」プロジェクトと呼ぶことが適切かどうか、ということである。

 アフガニスタンにおける対テロ戦争への日本の「後方支援」は、米軍とイギリス軍を中心とした「有志連合」による空爆の開始から始まった。タリーバン政権の転覆後、直ちに旧テロ特措法を制定し、アフガン「復興支援」の国際会議の主催国にもなった。また政府と国際NGOの「パートナーシップ」の名の下に、ジャパン・プラットフォームも結成され、「官民共同」の「復興支援」プロジェクトの体制も構築された。

 しかし、二〇〇二年春から本格的に始まる「復興支援」とは、タリバーンが政治勢力としては解体した、という前提の上に立っていた。「有志連合」による対テロ戦争は、ごく一部のタリバーン「残党」に対するもので、それもいずれ近いうちに終わると想定されていたのである。
 また、NATO軍の国際治安支援軍(ISAF)の投入は、タリバーン掃討戦の勝利を前提に、アフガニスタン軍の再建と警察を支援しながら、国連の活動が円滑に進むように「治安維持」にあたるものと位置づけられていた。そして、国連のミッションも、タリバーンやアルカーイダの復活などはまったく想定していない、対テロ戦争とは一線を画した「非軍事」の一年間のミッションとして、あくまで「復興」のための「緊急」かつ「人道」的な支援として構想されていたのである。

 もっとも重要なことは、国連としてのアフガニスタン「介入」には、「内戦状態ではない」という大前提があったことだ。それは、日本政府やジャパン・プラットフォームにしても同じである。
 しかし、その大前提は根底から崩れ去ってしまった。当初の「復興支援」の構想は、タリバーンの頑強な抵抗が続き、挙句の果てに全土に復活するという事態に直面し、破綻する。「有志連合」、ISAF、国連、いずれのレベルにおいても、二〇〇五年あたりからその矛盾が露わになってくる。米軍は空爆を激化させ、「治安維持」のためのISAFはタリバーンとの地上戦を戦うようになる。「復興支援」「治安維持」活動は、一般市民、農民を巻き込んだ再度の内戦状態へと舞い戻っていったのである。

 これに輪をかけたのが、絶えることのない腐敗と汚職にまみれたカルザイ政権に対する民衆の不信の高まりだった。政権は軍閥政治の延長で、米国とEUに操られたカイライ政権に過ぎないと多くの人が見るようになった。こうしてタリバーンを当初批判していた人々や、タリバーンから一度は離脱した人々の中にも、米軍と外国軍の存在自体が内戦を泥沼化させ、一般市民の犠牲を激しくしている最大の理由だという認識が広まり、タリバーンへの再転向への動きが加速化していったのである。けれども、米国はいうまでもなく、イギリスもドイツも、カナダも日本も、「国際社会」=国連全体がこの事実を黙殺し続けてきた。内戦状態にあることを正式に認めてしまえば「復興支援」といい続けてきた矛盾が露わになってしまうからである。

 内戦状態へと舞い戻った時期を、早くも二〇〇二、三年とする専門家もいるが、どんなに遅く判断しても⇒「アフガニスタン・コンパクト」と呼ばれる現在の「国際社会」のコミットメントが決定された二〇〇六年にはそうなっていたといえるだろう。日本を含む「国連アフガニスタンミッション」に関与してきたどの国家も、事実を事実として、現実を現実として受け止めようとせず、カルザイ政権とタリバーンとの和平交渉を真剣に仲介する意思を持とうとしてこなかったことが、内戦の激化と一般の人々の犠牲をここまで悪化させてきた最大の理由なのである。

 無益な内戦によって殺されてしまった人々、その遺族の立場に立つなら、総括なきアフガニスタンへの介入を続けてきた「国際社会」の犯罪的責任性は、いっそう明白になるのではないだろうか。