2010年12月14日火曜日

NGOのシンポジウムに自衛隊員が参加した日

NGOのシンポジウムに自衛隊員が参加した日

 「平和構築」とNGOの役割を問う、先日開催したシンポジウムに自衛隊員が参加した。そしてその人は、「国連PKOをめぐって、いったいどういう問題が起きているのか」と質問した。
 出席者名簿に「所属」を書かない人は割と多いから、断定的なことは言えないが、私たちが開催したシンポジウムに自衛隊の人が参加したのは、今回が初めてだと思う。そして、私はそのことに「時代は変わっている」という感慨を強くした。

 私たちのシンポジウムに自衛隊が参加したことを、私以外の主催者側関係者や、その他の参加者がどのように捉えたかはわからない。誰がどのように考えたのであれ、確実に言えるのは、参加した自衛隊員は、とても真面目な隊員だったということである。自分の職務に関連する「平和構築」というテーマをめぐり、公開のシンポジウムが開催される、これに参加し「平和構築」に関する理解を深めねばならない、とその自衛隊員は考えたはずだからだ。私は、すべての自衛隊員が、参加した彼のような問題意識を持つことを期待したい、と強く考えている。

 今回のシンポジウムの報告は、次号の「NGOと社会」のニューズレターで特集し、新評論のサイトやこのブログで公開する予定になっているので、詳細は少し待っていただきたい。ここでは、私個人が考えたことを書き綴ってみたい。

何も教えられていない自衛隊員---事実を隠蔽する外務・防衛官僚と自衛隊統合幕僚本部 
 なぜ、一自衛隊員が私たちのシンポジウムに参加し、「国連PKOをめぐって、いったいどういう問題が起きているのか」と質問しなければならないのか? 
 自衛隊が「国際平和協力」活動を「本体任務」とするように法の改定を行い、「国連PKO等」への「参加」を常態化してきたというのに、1990年代からこの20年近くの過程において「国連PKOが抱える問題」を日本政府・外務省、防衛省、そして自衛隊という一個の官僚機構の上層部そのものが、「派遣」されることになる当の自衛隊員に何も教育してこなかったからである。自衛隊内部、そして日本語のインターネットサイトでは十分に情報を得ることができないから、自衛隊員は私たちのシンポジウムに参加してきたのである。

 非常に小さな事例ではあるけれども、今回のシンポジウムへの自衛隊員の参加に、前線で起きている事態を何も兵士たちに明らかにせず、ただ「玉砕」を命じ、兵士たちを見殺しにし、自分たちは戦後も、のほほんと生きながらえて行った、戦前の「大本営」官僚の縮図を見たような思いがした。

 「大袈裟なことを言うヤツだ」、と読者は言うかもしれない。しかしそれがこの間、イラクやアフガン戦争に狩り出されてきた米軍兵士やその他各国の兵士たちに起こってきたことであり、今、現に起きていることなのである。戦争を前線で戦っている各国の兵士たちの現実は、実は自衛隊員の現実でもある。もちろん、日本社会全体もそうである。

 「国連PKO等」が引き起こしてきた問題は、実は『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の主要には第五章において、また第六章の中でも述べている。だから、詳しくは是非、そちらを参照していただきたいのだが、一言で言えば、それは「平和維持作戦の泥沼化」であり「内戦化」である。そして、「中立・公正」であるべき国連PKOや「平和維持」作戦を展開する多国籍軍が、イラク・アフガン対テロ戦争において明白になったように、政府側を軍事的・政治的にバックアップする形で、反政府武装勢力(「テロリスト」?)との戦闘行為を、非戦闘員(一般市民・農民)の虐殺をくり返しながら、行ってきたことである。

 つまり、「紛争当事者間の和平合意の成立」を大前提にした国連機関、国連PKO、「国際治安維持部隊」の「紛争」への「介入」の大原則が、旧ユーゴスラビアからコソボ、そしてソマリア、ルワンダなどの事態などを経て、一挙に崩れ去り、内戦のプロセスに国連機関や第三国が直接的に軍事的・政治的に介入する事態へと、変質してしまったのである。
 これにより、「停戦合意後の平和構築」から、「停戦合意を前提としない、合意以前段階からの平和構築」論が登場するようになる。いわゆる「ブラヒミ・レポート」と呼ばれる文書が、この転換を決定付けることになる。(「ブラヒミ・レポート」の説明は後日、追記。)

 このような「平和維持」作戦や「平和構築」の変貌をめぐる歴史的経緯、そしてそこにおける現場で発生してきた様々な問題や矛盾を、この国の官僚機構は自衛隊員にその任務を担うことを強制しながら、何も具体的な情報を明らかにせず、「教育」もしてこなかった、ということになる。
 いつの時代、どこの国でもそうだが、権力者や官僚機構は戦争に狩り出そうとするその国の兵士、つまりは一般市民を、ただの捨石、駒としか考えていないのである。