アフガニスタン: 「復興支援」の欺瞞1
八月のアフガニスタンの大統領選挙を前に、「治安回復」の名の下に、アフガニスタンとパキスタン両国にまたがるタリバーン掃討戦が激化している。すでにパキスタンでは軍の公式発表で1600人にのぼるタリバーンや武装勢力が殺され、250万人ともいわれる難民がでている。
このさなか、日本の「文民チーム」がアフガニスタンの地方復興チーム(PRT)の活動に本格的に乗り出した。けれども、全面的な内戦状況を呈するアフガニスタンにおける「復興支援」とは、いったい何のか。
そもそも、「文民チーム」とは何か。「武装」をしなければ外務省に出向した自衛隊員も「文民チーム」に入ることになるが、「文民チーム」の定義、実態があまりに不透明だ。
「文民チーム」と自衛隊との関係はどうなっているのか。いずれは武装した自衛隊のPRTへの派兵が目論まれており、「文民チーム」派遣はその布石にすぎないが、総選挙、イラン、北朝鮮報道にかき消され、このことがはらんでいる問題性は何も報道されていない。
内戦、つまり戦争をやりながら「復興」する?
いろんな嘘、欺瞞、ペテンがある。情報操作と意識操作がある。
まずは、読売新聞の下の記事を読んで考えてほしい。
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アフガニスタン、日本文民チームが復興支援開始
(2009年6月26日 読売新聞)
アフガニスタンで、地方復興の一翼を担う日本チームの活動が始まった。これまで外国の援助が行き渡らなかったアフガン中西部に、日本の文民4人が派遣された。
日本人がアフガンでの地方復興チーム(PRT)に入り、支援に参加するのは、これが初めて。国際社会貢献の新たな形となる。
◆「村の悲願」◆
褐色の丘陵に囲まれた山道を、機関銃を備えた装甲車を先頭とした6両が土煙を舞い上げて走る。泥造りの民家が並ぶ集落で停車すると、この地域で治安維持にあたるリトアニア軍の兵士7人が車外に飛び出し、警戒態勢に入った。
「OK」 停車から1分後、外に出た兵士の合図で、ワイシャツ姿の官沢(かんざわ)治郎さん(35)と、頭にスカーフを巻いた石崎妃早子(ひさこ)さん(31)が降り立った。ゴール州の州都チャグチャランから約25キロ・メートル離れたマデラサ村。日本がPRT参加で初の事業として手がける女子小中学校の建設予定地だ。2人は、外務省職員として派遣された。
村には「青空教室」しかなく、「女の子だけでも屋根の下で授業を受けさせたい」と8年前から州政府に陳情していた。これを知った日本チームは予算を検討、日本政府の承認を経て地元の民間活動団体(NGO)に建設を依頼する。
迷彩服の兵士が銃を携える姿に、官沢さんは「兵士と行動することが、住民への圧迫になっていないかという心配はある」と話すが、村の期待は大きい。村民の多くは日本を「裕福な国」として知っていたが、日本人を見るのは初めてという。村民のザイ・フセインさん(45)は「学校建設は村の悲願。日本人が来てやっとかなえてもらえる」と言う。石崎さんは「秋までに医療所建設など3か所の支援を実施したい」と意欲を語る。
◆兵士と寝食ともに◆
視察を終えた2人の帰路、車列がとまる度に子供らが集まってきた。兵士が配る菓子目当てで、奪い合いも起きた。官沢さんは「子供が単純に喜ぶものではなく、絵本を配布するなど別の方法で住民に近づきたい」と話した。
石崎さんらは、高さ約10メートルの土のうに囲まれる基地で、リトアニア軍の指揮下に入り、兵士約200人と寝食をともにする。食事などは軍が提供し、日本は文民1人当たり1日約50ドルをリトアニアに支払う。兵士は2人部屋だが、文民には1人1部屋が与えられる。トイレ、シャワーなどは共用だ。石崎さんらは、ここで約2年間にわたって、このような活動を繰り返す。
日米など7か国の国旗や国際治安支援部隊(ISAF)の旗が基地にはためいていた。ISAF兵らの死亡を意味する「半旗」だった。比較的安定しているゴール州だが、住民の襲撃事件や路上爆弾で軍車両が破壊される事件も起きている。日の丸を見上げ、官沢さんは「旗が普通に揚がったのは1日しかありません」とつぶやいた。(アフガン中西部ゴール州チャグチャランで、酒井圭吾)