大飯原発3、4号機「安全基準におおむね適合」?
1
野田政権は、昨日(4月9日)、大飯原発の再稼働問題を協議する4回目の関係閣僚会議を開き、関西電力が提出した「安全対策」の「工程表」なるものを国が決めた「安全基準」に「おおむね適合している」という「政治判断」を下した。そして、第五回目の会議によって「最終判断」をなし、今週中にも枝野経産大臣を「地元」(どこ?)に派遣し、再稼働の「要請」を行うという。
しかし、「安全基準」も「政治判断」もクソもない。すべては経産官僚が書いた筋書き通りの、まさに何度目かの政治的茶番劇と言うべきである。
ほんの一週間前の4月3日には、大阪、京都、滋賀など関西広域連合傘下の自治体の再稼働への反発が根強く、国は福井県やおおい町だけでなく「周辺自治体」の「同意」の動向を「慎重に見極める」ことを余儀なくされ、その結果、当初めざしていた4月中の再稼働が厳しくなった、という報道が流れていた矢先のこのような政治的茶番はもう懲り懲りである。
「地元」とはどこか、「地元」の「同意」と「理解」の違いは何か、これらをめぐり国会で答弁したことを、舌の根の乾かぬうちに翻す野田政権の関係閣僚。その豹変ぶりに、東京のマスコミや「地元」のメディアが翻弄され、さらにはそのメディアの「報道」に「再稼働近し。再稼働阻止!」と私たちも煽られてしまう。
これまで何度も述べてきた通り、私は再稼働に反対である。しかし今は、どう考えても論理的な整合性を保てるとは思えない再稼働をめぐる「政治判断」なるものを、野田政権が最終的にどのような論理をもって正当化するのか、そちらの方に関心が傾いている。
国は最後の方便として関西における夏の「電力不足」をあげているが、再稼働正当化の論理としてそれはすでに破綻している。橋下大阪市長は野田政権が再稼働にゴーサインを出せば「大変なことになる」と語ったが、この点に関しては、私もまったく市長と同意見である。
工学的に言えば、最低でも「第二の3・11」を想定した地震・津波の複合的惨事に耐える「安全基準」の策定とその実施および検証、また政治的に言えば、最低でも関西広域連合の関係自治体の承認をえること抜きに、再稼働なんてありえない。ありえないことを強行すれば、「大変なことになる」。どうもそれを理解できないのは、原発推進政権としての野田内閣と原子力ムラの面々だけのようである。
2
当初、野田政権が「地元」に示す「暫定的な安全基準」とは、原子力安全・保安院がまとめた「30項目の安全対策」に基づき、原発の「耐震性向上」や冷却設備の強化や分散配置など、30項目の中から10項目程度を特定したものになる、と言われていた。ところが、野田政権は 「暫定的」という表現ではマズイと思ったのか、これを「新しい安全基準」と言い換えてしまう。
その内容は、毎日新聞によれば、以下のようなものだ。(「大飯原発:再稼働の安全基準を了承 津波対策など3本柱」(4月5日)を参照)
◇政府が了承した、原発再稼働に向けた判断基準の骨子
◆全電源喪失防止のための以下の安全対策の実施
(1)発電所内電源設備対策
(2)冷却・注水設備対策
(3)格納容器破損対策
(4)管理・計装設備対策
◆東京電力福島第1原発事故級の地震・津波が来ても、炉心や使用済み燃料プールの冷却を継続し、燃料損傷に至らないことを国が確認
◆事業者が以下の安全対策に関する実施計画を明示していること
(1)原子力安全・保安院によるストレステスト(1次評価)で求められた事項
(2)福島第1原発事故を受けた30項目の安全対策
一方、読売新聞は「新たな安全基準」を、野田政権による再稼働の「条件」としての「新たな判断基準」とさらに言い換えた。
読売新聞の意図がどこにあるのであれ、この「判断基準」という表現は、的を得た表現である。野田政権は、夏までに関電が実施できないものについてはそれで良しとし、その結果、上に示した「安全対策」の実態は、昨年3月末に経産官僚がまとめた「緊急対策」の域をまったく出るものではなく、ただ国が再稼働を強行するためにアリバイ的に出された、政治的「判断基準」でしかないからだ。
毎日新聞が報じた内容を読売新聞的に言い直せば次のようになる。
(1)深刻な事故を防ぐための緊急対策(「3・11」後に菅政権下の安全・保安院が打ち出した内容。具体的には、毎日新聞が言う上の「全電源喪失防止のための以下の安全対策の実施」の4項目を指す。)
(2)ストレステスト(耐性検査)の確認――と、「中長期的な安全向上策の2段階」構成。(ここで読売新聞が、「緊急対策」と「ストレステスト」(一次評価)の「確認」だけでは「中長期的な安全向上策」とは言えないにもかかわらず、そうなるかのように報じていることに注意したい。)
どのマスコミも、野田政権の4閣僚がこの数日中に「再稼働妥当」と「判断」すれば、枝野大臣を通して「地元」に再稼働を「要請」すると報じている。また、脱原発運動の一部にも、一部野田政権が5月の泊原発の全号機稼働停止→日本の全原発停止までに大飯原発の再稼働を強行するという憶測が広がっている。
しかし、私には「地元合意」を含め、事がそんな簡単に進むとは、どうしても思えない。ここでもそれを理解」しないのは国と地方の原子力ムラと、原発推進に利権と生活がかかった人々だけであるようだ。
3
この一年、私たちは、「「3・11」の大惨事を前にすれば、もはや日本が原発を保有し続けることには無理があり過ぎるのではないか?」という国民世論を省みない、菅・野田と続いた民主党(連立)政権の原発推進・再稼働強行政策に振り回されてきた。
すべての問題の根っこには、民主党政権の「政治主導」の欠如がある。民主党政権は、国として原発をどうするか、その方針を確定する前に、また専門家が指摘する新たな地震・津波の複合災害に対する「万全の備え」(もしも、それが可能だとしたらの話だが)が整う前に、唯一「経済成長と電力の供給危機」を楯に、再稼働を正当化しようとしているのだが、結局、それによって自ら原子力ムラの一角を占めているその姿を露わにし、政権への支持を一層失う事態を招いてきた。
もちろん、野田政権の「政治主導の不在」とその無責任振りを批判するからと言って、それは決して原発推進・再稼働に走るその他の原子力ムラの構成主体や、一部の立地自治体の責任を免罪するということではない。しかし、原発再稼働の第一義的責任を負うべき政府・与党という観点から言えば、内閣を構成する民主党国会議員の無責任振りは目を覆うものがある。
原発の稼働停止の維持をめぐる「政治主導」とは、本来、「科学的知見」とは次元の異なるところで下されるからこそ「政治的」なのであり、実はそれは福島第一原発の「事故調査」の結果を待たず下されて然るべきものであり、下せる性格のものであるからだ。
4
野田政権は、仮に再稼働に踏み切ったとしても、あるいは逆に再稼働を当面延期したとしても、どっちにころんでも政権基盤の弱体化に拍車をかけることになる、ということに気づかない。どちらに進むにせよ、自ら語ってきたことと論理矛盾をきたすからであり、政権の誰が何を語ってもその嘘っぽさが子どもにだって透けて見えるからだ。
全原発稼働停止状態のまま、この夏を乗り切ってしまえば、「原発がなくても日本はやっていける」ことが明らかになり、再稼働の「チャンス」を逃してしまう。だから関電などの電力企業は、何が何でも「秋になる前」の、できるだけ早い段階で再稼働に踏み込みたいという思惑がある。その意を汲んで、野田政権も動こうする。
当面の再稼働時期の目安は、5月初旬に泊原発の全号機が停止状態になる前に、ということになっている。
だが、ほんとうにそう言えるのだろうか。
再稼働の想定時期について、二月初旬の「原発再稼働における「政治主導」とは何か」の中で、私は次のように書いた。
「野田政権としては、できうれば、「3・11一周年」から4月、安全・保安院に「間借り」する「原子力規制庁」が発足する直後くらいには[福島第一原発の緊急事態]「解除宣言」を出し、政府「事故調」の最終報告と「新エネルギー基本計画」が策定される夏頃を目安に、「野田降ろし」→解散→選挙をめぐる政局の動向、世論と脱原発運動の広がりを値踏みしつつ(=「総合的な政治判断」)、再稼働第一弾に踏み切りたい、という思惑を持っているのではないか。「甘い!」という批判もあるかもしれないが、これが現時点での私の予測である」
あれから二か月余りが過ぎた。私の「予測」は今も変わっていない。
「できるだけ早い段階で再稼働に踏み込みたい」という願望を野田政権が持っていることは確かだろう。もしかしたら、「安全基準におおむね適合」論をもって「安全基準に適合」論を今週末までに打ち出すかもしれない。
しかし、だからといって「地元」の「同意」(「一定の理解」?)が確約されているわけではない。
福井県のみならず関西広域連合の存在もあるし、世論もある。要は、「私たち」次第なのだ。
どっちに転んでも、民主党には「地獄」への道が待っている。
私に関して言えば、これ以上民主党政権に振り回されるのは御免蒙りたい。
それだけは、はっきり断言できる。
・・・
・大飯原発 大阪府市、再稼働に8条件 100キロ圏との協定など要求(東京新聞)
・福井・大飯原発:再稼働反対、50人ハンストへ−−関電本店前
・放射性セシウム:気仙沼、南三陸の原木シイタケで基準超え(毎日新聞)
先々週の週末、福島の農の再生を掲げたシンポジウムに参加し、それから二泊三日で岩手、宮城の被災地の視察に行った。
報告しなければならないことが山のようにある。
けれども、この二週間、動きの取れない日々が続いた。
これから少しずつ、報告したい。
いつもこのブログを訪れてくれている人々に、陳謝と深謝を込めて。
(写真は宮城県・気仙沼。2012年3月25日)