2011年1月3日月曜日

2011年の始まりに---「戦後」批判の精神を継承する

2011年の始まりに---「戦後」批判の精神を継承する

 去年以上に慌しくなりそうな年が始まった。多忙な中、わざわざブログを訪問して下さったみなさんに、新年の挨拶を送りたい。


 年賀状の中に、一通の封書がまぎれていた。『日米同盟の正体 迷走する安全保障』(講談社現代新書)の著者、孫崎享さんからの手紙だった。
 孫崎さんは、拙著『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』を「労作」と評価し、出版を祝してくださった。そして、拙著で示した論点や「データ」などを「多くの人々に紹介し」、日米同盟や安保について人々が「正しい認識が持てるように努力したい」とまで書いてくださっていた。とても、ありがたいことである。

 孫崎さんも天木さんも、ともに外務省出身である。もちろん考え方に違いはあるだろうが、両氏に共通しているのは、小泉政権の時代に「世界の中の日米同盟」路線の下で進展した日米安保体制の再編に対する批判である。その両氏と私は、政府がとるべき安保・外交・防衛政策に関する見解や、考え方そのものに大きな違いがある。だからこそ私は、両氏から拙著に対する多大な評価をいただいたことを、とても嬉しく思うのである。
 と同時に、孫崎さんの手紙を読みながら私は、「現役の外務・防衛官僚(や国会議員)がこの本を読んだとしたら、どんな印象を持つだろう?」と、ちょっと考え込んでしまった。安保・外交を専門とする元官僚の人々が、それなりの論を提出していると評価する本を、現役の外務・防衛官僚ならどのように読むだろうか、そんな好奇心が湧いたのである。

 定年退官しても、中途で辞めたとしても、孫崎・天木両氏のように既存の政府批判を主張する、それができる元官僚は稀である。もっとも、現官僚の立場から言えば、組織を離れてしまった者が、組織の外部から何を言おうと、いちいち取り合っている精神的・時間的・立場的余裕など無いのは一般企業や政党組織と同じ、ということになるのだろう。 とりわけ官僚機構の場合には、いくら過去の政策や現在の政策が誤っていると批判され、そこに理を認めたとしても、一般企業や政党組織などより、組織全体の中に「官僚の無謬性神話」によって武装された/自縄自縛状態になった「前例主義」が「慣性の法則」となって強烈に作用しているのであるから、個人が個人としてなしうることにも限界があるだろう。まして、その組織の中で生き延びてゆくことを考える人々にとっては、なおさらのことだ。しかし個人としての限界があるとしても、何もできないということはないはずである。

 この正月、菅政権は「日米同盟の深化」なるものを巡り、三月にオバマ政権と「共同声明」を発表することを明らかにし、前原外相は「日韓同盟」云々を語り始めた。だから私は、孫崎・天木両氏のような元官僚の人々には、現役の官僚が官僚機構内部で、「世界の中の日米同盟」路線の下で進展した日米安保体制の再編、その政策的誤り(「政策」と呼べるものの不在)から何をどう総括し、個人として何をどうすべきなのか、そのことを積極的に発言していただきたい、と思っている。私としては、これからの両氏の発言に注目しながらも、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』を出発点とし、現政権の諸策に対する私なりの主張、批判を述べてゆきたいと考えている。

 知人の、とある大学教授は「文部官僚にとって、一介の大学教授など鼻クソのような存在に過ぎない」と、右手の親指と人差し指で輪を作り、「ピン!」とはじく仕草までして語ったことがあるが、大学教授が鼻クソに過ぎないなら、私などはさしずめ、ハウスダストのような存在に過ぎないことになる。サイバー空間に浮遊する、しかしモノを言う「ハウスダスト」ならぬ「サイバーダスト」として、今年もここから発信してゆくつもりである。
 

「戦後」批判の精神を継承する、ということ

 安部公房と並んで、私の好きな小説家に高橋たか子という作家がいる。
 正確な表現は忘れたが、その高橋たか子が昔、内容としては「戦後文学を継承する」という意味のことを言ったことがある。私が理解していた彼女の作風や文体からは、とても意外な表現に思えたので記憶に強く残っているのだと思う。

 高橋たか子は、1932年生まれである。だから、戦争体験や戦後体験を作品化した「戦後文学」の第一世代とは、一世代以上年が離れている。その彼女が、「戦後文学を継承する」と言うその意味が、私にはよくわからなかったし今でもわかったとは言えない。それでも、わずかながら自分が書いたものを世に問うてきた人間として、「もしかしたら、こういうことなのではないか」と思うことがある。
 自分が不特定多数の「読者」を想定しながら、ものを書き、発言しようとするとき、私の中にはすでに何人かの人々が存在し、その人々のことをどこかしら自分が意識していることに気づくことがある。とは言っても、私が意識するのは特定の世代の人々や特定の思想ではない。彼/彼女らが「戦後」という時代に向き合ってきたその精神、「戦後」を批判的に論じたり、表現しようとしたその精神に感応するのだ。私は「昭和30年代生まれ」の一人として、未完の「戦後」批判の精神を継承するのである。2011/1/4

2011/1/8

 未完の「戦後」批判の精神を継承する、とはどういうことか。
 私は「日米同盟という欺瞞」や「日米安保という虚構」を既定の事実のように語り、流布する政治的言説のすべてに冷たい敵意のようなものを感じてきた。しかし敵意や憎悪という否定的情念だけでは一冊の本を書ききろうとするまでの原動力にはなりえない。私を執筆に駆り立てたのは、私がものを書き、発言しようとするときに私の中に存在する者たちがその「欺瞞」や「虚構」を捉えきっていないと思え、そのことを伝えなければならないと考えたからである。

 ここで言う「人々」の中には、たとえば作家/評論家で言えば大江健三郎や故江藤淳、加藤典洋という人もいる。丸山真男や吉本隆明という名前をあげてもよい。護憲論者もいれば改憲論者もいるし、「論憲・加憲」論者もいる。政党で言えば、日本共産党や旧日本社会党、さらには新左翼の党派を代表していた論客もいるだろう。
 およそこれらの人々は、特定の世代や思想の下に括ることは不可能な人々だ。私はこれらの人々が書いてきたものや発言に、意識する・しないにかかわらず強い影響を受けてきた。しかし、私にとっての問題は、これらの人々による「戦後」批判がきわめて不十分なものに終わっているか、誤っているということにある。そのことを日米同盟論や日米安保論に引き付けて示そうとしたのが『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』だったのである。

 特定の誰か、特定の政治組織を批判することは私の問題意識にはない。自分が生きてきた「戦後」という時代への批判に対する批判的検証を通じ、「戦後」批判を試みようとした者たちの精神を継承すると同時に、未完の「戦後」批判を継続してゆかねばならないと考えている。サンフランシスコ平和条約と旧安保条約の締結から60周年を迎える今年、今まで以上にそのことを意識化しなければならない、そう思っているのである。


 サンフランシスコ-安保体制を問う、ということ

 未完の「戦後」批判を継続する、とはどういうことか。それはたとえば、次のようなことである。
 琉球新報は、1月8日付の電子版、「講和条約説明を是正 歴史民俗博物館」という記事の中で、国立歴史民俗博物館(歴博、佐倉市、平川南館長)が、現代展のパネル展示「米軍基地と戦後沖縄」の中の、サンフランシスコ講和(平和)条約の解説文を是正し、5日からその公開を始めたことを報じている。

 これは、元の解説文では「沖縄の占領継続は日米両国の政治的外交過程を経てサンフランシスコ講和条約第3条によって決定された」となっていたのを、同条約で予定された国連の信託統治を米国が提案せぬまま、軍事占領を続けたとする解説文に改めたというものである。琉球大学の高嶋伸欣名誉教授らが「基本的事実に反した説明」と、昨年4月に是正を求める要望を提出し、それに歴博が対応したという。

 言うまでもないことだが、沖縄の占領継続を「サンフランシスコ講和条約第3条によって決定された」とする歴史認識は、「同条約で予定された国連の信託統治を米国が提案せぬまま、軍事占領を続けた」とする歴史的事実を歪曲し、沖縄の占領継続が何かしら国際条約的に正当化されたものであったかのような誤った歴史観を植えつけてしまう。
 つまり、この条約によって敗戦後の占領統治を終了し、「主権」と「独立」を回復したとされてきた「戦後」に関する誤った歴史認識のみならず、「軍事占領を続けた」米国という国家とそれを容認/黙認した日本という国家の両方に対する誤った認識を正当化し、固定化してしまうのだ。

 琉球新報によれば、高嶋名誉教授は次のように語っている。
 「この提案が実行されていれば、米国は国連憲章や世界人権宣言下で沖縄の人々を虫けら扱いできなかった。しかし、72年の施政権返還まで米軍は沖縄で人権侵害の限りを尽くしてきた」・・・。
 「3条後半の、提案が可決されるまでの軍事占領を認めるとした暫定措置の規定を米国が悪用したばかりか、国連への提案期限が明示されていない異例の条約だった」・・・。

 日本政府はこの条約の締結を正当化するために、条約と史実に基づかない誤った条約観を戦後教育において流布し、私たちはそれを学んできた。だから私たちは、もう一度「講和」条約の内容とその解釈に立ち返り、「「戦後」を考え直す」という作業がここでも問われていることになる。
 一方、この「講和」条約を、たとえば旧社会党や丸山真男などの戦後知識人がどのように捉え、どのように賛成/反対し、その後の「反戦・平和」運動にどのような思想上の遺恨をもたらしたのか。そのことの批判的検討を含む〈総括〉が、今を生きる私たち自身にも突きつけられている。

 右翼/左翼、保守/革新、改憲/護憲の立場から「戦後」を批判してきた者たちと、その彼/彼女らの言説に埋め込まれていた誤謬。誤謬はあまりに多く、その根はあまりに深い。
 たとえば、「講和」条約に対して、「全面講和か、それとも片面講和か」といった観点から議論を立てたヤマトの右翼/左翼、保守/革新、改憲/護憲論者の言説には、琉球に対する米国の占領継続、「北方領土」に対する旧ソ連の実効支配、要するにヤマトの「辺境」-先住・少数民族問題を切り捨てた、という共通の陥穽がある。それはヤマト/倭人の知識人が戦前からそっくりそのまま引き継いだ陥穽だった。

 私は自分が生きてきた時代について知らないことがあまりに多い。未完の「戦後」批判を継続することは、そのような戦後知識人の「陥穽」から決して自由ではない自分の「戦後」認識を洗いなおす作業にもなるはずだ。