2009年3月17日火曜日

「海賊対策」における憲法解釈の権力学---海外派兵と海外派遣、武力行使と武器使用をめぐって(2)

「海賊対策」における憲法解釈の権力学---海外派兵と海外派遣、武力行使と武器使用をめぐって(2)

1 「海賊新法」が憲法違反にならない理由

 「海賊新法」(案)が憲法違反だと主張したとしても、政府がそう解釈していない以上、議論は平行線をたどるだけである。ぼくらは「戦後」の長い間、安保条約や自衛隊をめぐり、あるいは日米安保ガイドライン、周辺事態法、武力攻撃事態法をめぐり、さらには国際平和協力法、イラク特措法、対テロ特措法などをめぐって、そんな虚しい議論を幾度となく、くり返してきた。
 けれども、政府が新しい口実をみつけては安保を強化し、自衛隊を海外に出そうとするたびに「憲法違反だ、いやそうではない」といった議論から、もういい加減、卒業すべきだとぼくは考えている。

 もちろん、改憲がなされていない以上、個々の政策が違憲行為であると判断できる場合に、違憲訴訟その他の活動を通じ、政府に政策の中止や変更を求めることは主権者としての当然の権利である。がしかし、そうした訴訟や活動なるものは、実際には「憲法九条を守る」ものではなく、自公政権による個別的な「外交・安全保障」政策を問う活動になる。だから、護憲派の人々をも含めぼくらにとっていま重要なことは、憲法九条が政府の政策規範として死文化している現実をはっきりさせることであり、「海賊新法」を憲法違反と主張することよりもむしろ「政府解釈によれば、なぜこれが憲法違反にならないか」を学習することではないかと思うのだる。

 なぜ、「海賊新法」が憲法違反にならないのか?
 日本政府が、憲法九条の規範原理を換骨奪胎する、憲法学説的にもきわめて異端的な九条解釈を政府解釈とし、しかもそれを上に列挙したような個別法の制定によって合法化し、「合憲」化してきたからである。
 憲法九条の死文化については、すでに述べているので、ここでは日本政府(内閣法制局)が編み出し公明党も踏襲している、
①自衛隊の海外派兵を「海外派遣」と言い換え、同時に
②武力行使を「武器使用」と言い換える、世界にも例をみない、ほとんど「天才的」ともいえる稀代の「霞ヶ関文学」の詭弁法について学習を深めることにしたい。

 学習の目的は「海賊新法」と、自衛隊の「武器使用」制限の「緩和」措置を通じ、改憲以前の段階において海外における自衛隊の武力行使を可能にすることを目論む「国際平和協力一般法」との関係性を見定めることにある。
⇒「「オバマの戦争」と「新日米安保宣言」」に続く