アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章(1)
イラクの次はアフガニスタンだ。
「復興支援」や「平和構築」に名をかりた自衛隊のアフガニスタンにおける地上での作戦展開の開始が日程にのぼりつつある。
米国が共和党ブッシュ政権から民主党オバマ政権に変わろうとも、イラクからアフガニスタンへと対テロ戦争の主戦場をシフトすることに変わりはない。今日(11/26/2008)のニュースで、オバマはゲーツ国防長官の、少なくとも一年間の留任を決定したときいた。アフガニスタンの「復興」プロセスにおける米軍の大量部隊の投入、全面的軍事介入の開始は、党派を超えた米国の「国益」をかけた国家戦略として位置づけられているということだろう。
今まで以上の戦争分担金の負担、そして自衛隊の「貢献」をめぐる米国からの対日要求が高まることは必至である。自衛隊の海外派兵「恒久法(一般法)」制定の論議を再燃させながら、早ければ2009年中にも、イラクの時と同じように、時限立法の制定を含めた派兵に向けた具体的な動きがでてくるだろう。
日本の政治的文脈の中でアフガニスタンのことを語ろうとすると、
①、日本の「開発途上」国に対する政府としての、あるいはNGOや「市民社会」としての「国際協力」の在り方の問題(ODAの使途の問題を含む)、
②、①における自衛隊が果たす役割、
③、②との関係における憲法(九条)問題、が中心になりがちである。
けれども、ぼくらは政治家でも官僚でも自衛隊員でもないし、政府(税金)から金をもらってアフガニスタンで活動したり、アフガニスタンのことを「研究」している団体・個人でもない。また、これからもらおうとも思っていない。そういう「アフガニスタン問題」に対する利害のない人間(団体)として、アフガニスタンの「いま」と「これから」を考えるときに大切なことは何だろう?
やはりそれは、「九・一一」以降、アフガニスタンで展開されてきた「対テロ戦争」の被害者の人々の目線で、外国軍、外国政府や国際機関、あるいはこれらと一緒にやってくる国際NGOなどを「観る」ことを忘れないようにする、ということだとぼくは考えている。もちろん、ぼくらはアフガニスタン人ではない。日々消費する情報以上にアフガニスタンの日常をぼくらは知らない。だから、彼/彼女たちと同じ目線に立つことはできない。
しかし、ぼくらは国の歴史として、外国軍に占領された経験と、その占領が人々の日常や自国の政治・経済・社会・文化に何をもたらしたのかを克明に検証した、数えきれないテキストを持っている。どれでもいい、まずそれらのひとつを手にとって読んでみよう。そうすれば、当時の日本人(「右翼」であれ「左翼」であれ、「保守」であれ「リベラル」であれ)が外国勢力による占領や間接統治をどのように捉えていたか、その一端を理解することができる。あるいは、すでに公表されているイラクやアフガニスタンなどでの対テロ戦争の現地ルポルタージュでもよい。それで、想像力をたくましくし、まず自らをその場に置いてみる擬似体験を試みるべきだと思う。
ぼくはこのことを、とりわけ「日米同盟」の強化や、日本の「国際平和協力」論の観点から、米軍やNATO傘下の国々の軍隊を中心にして組織されている「国際治安維持軍」(ISAF)の「地域復興チーム」(PRT)への自衛隊の参画を主張する、たとえば、民主党やその他の人々に対して提案したい。いずれにしても、事実上の内戦と「復興支援」という名の下で外国軍・国際機関の間接統治的状況が継続するアフガニスタンのことを語る時には、少なくともそうした状況に自分が置かれた時に、「自分ならどのように行動するか/しないか」、そのことを考えた上で語るのが原則ではないか、とぼくは考えている。
ところが、いまの日本ではその「原則」が通らない。日本の「国益」や「安全保障」政策との関係でアフガニスタンへの関与を語ることが一般的だ。議会政党、マスコミ、「平和のリアリズム」的なことを論じる大学研究者の論考にしても。そこでは、総論・各論の中で、どういう「任務」を自衛隊に負わせるのであれ、自衛隊の陸上での作戦展開の実現を自己目的化したような主張がまかり通っている。対テロ戦争の現実を主体的に分析することを放棄した思考、「大国主義」で「自国中心主義的」としか言いようがないような論理・論法でアフガニスタンへの「介入」のあり方を云々する言説が支配的になっているといわなければならない。つまりは、自分たちが設定した「アジェンダ」を世に流通させるために、アフガニスタンの「状況」が政治利用されているのである。ぼくが〈問題〉にしたいことは「国際平和協力」や「平和構築」が語られる時の、そうした日本の「言論」状況についてである。
アフガニスタンのことについては、実は一年前に小さな集まりをもって話し合ったことがある。ぼくはその集まりに、伊勢崎賢治という人のとなりに座り、「コメンテータ」として参加した。「アフガニスタン問題」には、いろんな問題がからみ合っていて、とてもぼくの力では解きほぐすことはできないが、話のとっかかりとして、その集まりでぼくが話したことを紹介しておきたい。以下が、当日ぼくが出したレジュメである。
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〈NGOと社会〉第二回シンポジウム
「人道支援の今とNGOのこれから」(12/09/2007)(←詳細はタイトルをクリック)
Ⅰ アフガニスタンの国内情勢をめぐって
A)「復興支援」から内戦的状況へ
・ タリバーンの政治的復活とタリバーン支配地域の拡大(2006年)
・ 領土の半分以上が「危険地域」へ(2007年12月)⇒英文資料参照
・ プロジェクトの継続困難→国際NGOの撤退・避難
B)タリバーン・アルカーイダ再生の原因
・国家再建に向けた社会的プロジェクトよりも、対テロ戦争の軍事的勝利が「復興支援」の戦略目標になってきた点→ODA支援を数十倍上回る軍事支援(英文資料参照)
・カルザイ政権の統治における正統性の喪失(国民的支持基盤の弱体化、構造的政治腐敗)
・「外国人の侵略軍と戦うタリバーン」への民衆レベルの支持拡大
C)内戦状況から「和平合意」に向けた政治プロセスの開始をめぐって
・現行の対テロ戦争の継続からは「最悪のシナリオ」(民間人の戦争犠牲者の拡大、国内外避難民・難民の増大など)しか想定できない
・アフガニスタン国内外のNGOとして、停戦交渉の開始から和平合意の締結までを射程に入れた、具体的な「政策提言」を国際的・各国的に提起する必要があるのではないか?
・国内での公式の停戦交渉の開始→それと連動した国連の「アフガニスタン停戦決議」→和平合意締結・国家再建大綱の再度の取りまとめ→現有志連合軍・ISAFの撤退・改組に伴う国連停戦監視団の結成→本来の〈復興支援〉活動の開始
・以上の観点から連合軍、ISAFの作戦展開、また日本政府の「対アフガニスタン政策」(if any)を検証し、政策提言(批判)するスタンスをNGOはどこまで取れるか
Ⅱ ポスト9.11における日本の政治状況の変化とNGOの「軍民協力」への参加をめぐって
A)「平和構築」をめぐる日本の政治状況の変化
・防衛庁の省への「昇格」に伴い、「国際平和協力活動」が自衛隊の「本来任務」に
・国家安全保障の一環としての「安定化 stabilization」戦略に組み込まれた、軍を主体にした「平和構築」「紛争予防」「人間の安全保障」戦略の登場→日本の現段階は、これに向けた過渡期
・「国際貢献」の名による自衛隊派兵「恒久法」制定論の浮上⇒新聞記事参照
B)「軍民協力」とNGO
・「軍民協力」へのNGOの参加(不参加)の基準・条件は何か→原理的問題として
・自衛隊の「平和協力活動」へのNGOの参加(不参加)の条件は何か→日本的状況に照らして
・自衛隊以外の海外の軍隊(米軍やISAF指揮下の「地域復興チーム(PRT)」など)に日本のNGOが参加する基準・条件とは何か→個別的な事例に即して
・日本の国際NGOは今後の「恒久法」制定の動きに対してどのような立場を取るか→「恒久法」と「NGOの政治的中立性」
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⇒この集りの報告は、〈NGOと社会〉第3号の4頁に掲載されている報告記事を参照してほしい。
(「テロルな平和~アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章(2)」に続く)
2008年11月25日火曜日
2008年11月24日月曜日
『永遠の安保、テロルな平和』のための随想録
『永遠の安保、テロルな平和』のための随想録
Ⅰ 自衛隊と安保
(1)懲りない「憂国」の士?---田母神俊雄の狂言劇
(2)猫の首に鈴をつけるのは誰か--小沢発言の波紋
(3)「海賊対策」における憲法解釈の権力学
---海外派兵と海外派遣、武力行使と武器使用をめぐって
Ⅱ テロルな平和
(1)誰のための「平和と和解」か?
---対テロ戦争時代の国連安保理と「国際社会」の役割を再考する
(2)永遠の安保、永遠の米軍基地、そして永遠のテロル
Ⅲ オバマの対テロ戦争と日本
(1)アフガン「包括的新戦略」を検証する
(2)米軍はイラクから撤退しない
(3)アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章
Ⅳ ソマリア内戦と「海賊」問題
(1)ソマリアと「海賊」---新介入主義の破産
(2)「海賊対策」と対テロ戦争
1 佐藤正久自民党議員の重大発言
2 「海賊対策」は「海賊」対策にあらず
3 国連安保理決議と米国のソマリア介入
No.1「海賊」対策か、それとも対テロ・海賊戦争か
No.2 内戦の泥沼化と「ソマリア・コンタクト・グループ」の結成
No.3 ソマリアにおける国連PKOの行方
Ⅰ 自衛隊と安保
(1)懲りない「憂国」の士?---田母神俊雄の狂言劇
(2)猫の首に鈴をつけるのは誰か--小沢発言の波紋
(3)「海賊対策」における憲法解釈の権力学
---海外派兵と海外派遣、武力行使と武器使用をめぐって
Ⅱ テロルな平和
(1)誰のための「平和と和解」か?
---対テロ戦争時代の国連安保理と「国際社会」の役割を再考する
(2)永遠の安保、永遠の米軍基地、そして永遠のテロル
Ⅲ オバマの対テロ戦争と日本
(1)アフガン「包括的新戦略」を検証する
(2)米軍はイラクから撤退しない
(3)アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章
Ⅳ ソマリア内戦と「海賊」問題
(1)ソマリアと「海賊」---新介入主義の破産
(2)「海賊対策」と対テロ戦争
1 佐藤正久自民党議員の重大発言
2 「海賊対策」は「海賊」対策にあらず
3 国連安保理決議と米国のソマリア介入
No.1「海賊」対策か、それとも対テロ・海賊戦争か
No.2 内戦の泥沼化と「ソマリア・コンタクト・グループ」の結成
No.3 ソマリアにおける国連PKOの行方
「安保を無みし、〈平和〉を紡ぐ」
『制裁論を超えて ―朝鮮半島と日本の〈平和〉を紡ぐ』
第5章 「安保を無みし、〈平和〉を紡ぐ」
はじめに――奇妙な国、日本
一 安保と改憲――「北朝鮮バッシング」の背後に潜むもの
・安保・国防・愛国心――「日本民族主義」の逆説
・安保と「普通の国家」
・北朝鮮バッシング
二 安保と「自衛軍」
・自民党の「新憲法草案」
・平和構築・人道支援・戦争以外の軍事作戦(MOOTW)
三 二一世紀の日米同盟戦略
・「自由と繁栄の弧」と「不安定の弧」――ネオコン化する日本の安保‐外交戦略
・「アーミテージ・レポートⅡ」
・安保利権と新たな産軍学複合体の台頭
・「安保の二重性」
おわりに――安保を無みする、ひたすら無みする
第5章 「安保を無みし、〈平和〉を紡ぐ」
はじめに――奇妙な国、日本
一 安保と改憲――「北朝鮮バッシング」の背後に潜むもの
・安保・国防・愛国心――「日本民族主義」の逆説
・安保と「普通の国家」
・北朝鮮バッシング
二 安保と「自衛軍」
・自民党の「新憲法草案」
・平和構築・人道支援・戦争以外の軍事作戦(MOOTW)
三 二一世紀の日米同盟戦略
・「自由と繁栄の弧」と「不安定の弧」――ネオコン化する日本の安保‐外交戦略
・「アーミテージ・レポートⅡ」
・安保利権と新たな産軍学複合体の台頭
・「安保の二重性」
おわりに――安保を無みする、ひたすら無みする
自衛隊と安保~懲りない「憂国」の士?―田母神俊雄の狂言劇
Ⅰ 自衛隊と安保
(1) 懲りない「憂国」の士?――田母神俊雄の狂言劇
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田母神氏、核武装の必要性に言及 産経新聞で
2008年11月28日(東京新聞)
歴史認識に関する政府見解を否定する論文を発表して更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長が28日付の産経新聞のインタビューで「民主主義だったら核武装すべきだという意見もあっていい。核兵器を持たない国は核兵器を持った国に最終的には従属させられることになりかねない」と述べ、日本の核武装の必要性に言及した。
日本は唯一の被爆国として非核3原則を堅持しているだけに、前空自トップが核武装を求めたとも取れる発言をしたことは、近隣諸国に懸念を与えかねないほか、文民統制(シビリアンコントロール)の問題もあらためて問われそうだ。これに関し河村建夫官房長官は同日午前の記者会見で「退職した人の発言にコメントする立場にない。それぞれ言論の自由は保障されている」と述べるにとどめた。
インタビューで田母神氏は「北朝鮮が核兵器を持ちたがる理由は1発でも米国に届く核ミサイルを持てば、武力制圧が絶対できなくなるから」と指摘。その上で「核兵器の基本が日本では議論されたことがない。核兵器を持つ意思を示すだけで核抑止力はぐんと向上する」と強調している。(共同)
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田母神の『日本は侵略国家であったのか』が少し前に話題になった。読んでみて、いろんな感想をもったが、『永遠の安保、テロルな平和』との関連で二、三のことを思いつくままメモしておこうと思う。
ぼくは、自衛隊の合憲・違憲性の議論を改めてしたり、自衛隊をどうするのかを考える前に、安保をどうするのか、日本がいつ安保を解消するのか、どうすれば解消できるのかを議論する方が先決ではないか、とずっと考えてきた。田母神論文を読んだ最初の印象は、やはりそうすべきだ、ということである。
「戦前」の歴史認識以前の問題としての、田母神論文の論文としての水準、国際法(規)の理解度の低さ、きわめて意図的な史実の歪曲、あるいは無理解などは、ここでの関心事ではない。もっといえば、彼の個人的な「戦前」の歴史認識などはどうだってよい。ぼくがどうしても気になるのは、この人をはじめとした自衛隊の制服組や隊員、防衛省の内局、背広組、研究者を含めた職員の「戦後」の歴史認識である。
田母神に関していえば、とくにその何ともいえない卑屈で歪んだ対米認識や安保認識が論文の中に散見されるが、ぼくらはそれがなぜなのかを、一度じっくり考えてみる必要があると思う。たとえば、次のような田母神の主張をどう考えるべきか。
「現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。」
「自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。
私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。」
このような田母神は主張は、実は自衛隊をも含めて、安保条約と安保体制をどうするのか、さらには安保の自動延長以降、安保が永久化していることを日本という国が国をあげて放置してきたことが、その根本にある。田母神は、おそらくはそのことを自覚している。しかしそれにはまったく触れず、「私は日米同盟を否定しているわけではない」と逃げてしまうのである。
「戦後」の「反米・保守」や「右翼」や「民族主義」者と呼ばれてきた者達や政治勢力は、安保の解消と米軍の撤退を政治的アジェンダとするのではなく、社共や日教組、「反戦・平和」運動に対する攻撃を第一義的な目的としてきた。そしてそれとの関係で「自虐史観」や「東京裁判史観」を云々してきた。けれどもその反面というか、だからこそというか、米国や米軍に対して、非常に屈折した精神構造を形成してきたのではないだろうか。米国や米軍を相手にすることより、社共や日教組を叩く方が何と簡単なことか。田母神もまたその典型的人格であるように思う。
安保抜きに、米軍抜きに、日本がいったいどのような「安全保障」戦略を構想しえるのか。また自衛隊が自衛隊として存在しえるのか。いまの自衛隊員は、米国の「対テロ戦争」と日本が戦略的同一化をはかり、前線に送られ、「テロリスト」を殺し、殺されてもよいと本当に考えているのだろうか。いや、戦争を知らない自衛隊に、日本のどの社会セクターよりももっとも自殺率が高い自衛隊に、本当に海兵隊がイラクやアフガニスタンでやってきたような集団虐殺に手を染めることができるのだろうか? 国家として「テロとの戦い」をするということは、そういうことなのである。
自ら「戦争を知らない子供たち」の一人として田母神自身が、すべての自衛隊員、そして「国民」に本当に問題提起しなければならなかったことは、こうした問いかけではなかったのか。
なぜ、「戦後」の「反米・保守」や「右翼」や「民族主義」者と呼ばれてきた者達や政治勢力は、一九七〇年代以降、急激に「親米・安保堅持・日米同盟」派となってしまったのか? これが、田母神論文がぼくらに突きつけている、もうひとつの問題である。ぼくは2008年8月に出版した⇒『制裁論を超えて』の中の⇒「安保を無みし、〈平和〉を紡ぐ」という論文の中で、この問題に少し触れている。しかし、これについては日をおいてまた書くことにしたい。
(2)
自衛隊と安保のことを考えることは、自衛隊と米軍の関係を考えることである。
田母神は、米軍基地が首都圏に存在することを問題視しているが、「これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない」と、あっさりと言い流してしまう。日本が基地返還を要求しても、「そう簡単には返ってこない」のはなぜなのか、その状況を自衛隊のトップとしてどう考えるのか、そういう次元で問題を捉え返そうとする姿勢が田母神にはない。
一方で「反米・愛国」的な、日本の文化・社会のアメリカナイゼーションに対して批判めいたことを書き立てながら、他方で「日米同盟」についてはあっさり容認してしまう。その結果、米軍の存在や基地問題についてそれ以上言及することが論理的にできなくなってしまうのだ。
一九九○年代半ば以降の安保の再定義や米軍再編の本格化の中で、「近未来的には米軍は日本から完全撤退するはずだ」という楽観的予測や分析の下で、多くの人が安保のことを語ってきた。しかし、現実には米軍駐留と基地・施設利用は無期限化しようとしている。文末の新聞記事によれば、ただ沖縄に駐留している海兵隊の部隊移転をするだけでも「一〇年程度」かかるという。こういう状況であれば、今後二〇年、三○年の間に米軍撤退と基地の全面返還が実現しそうにないことは明らかではないか。
これまで、返還された米軍基地の自衛隊の使用、米軍基地の「軍民共用」化、自衛隊基地や民間空港・港湾の米軍による使用化が進行してきたわけだが、これらの事態に田母神をはじめとした「日本の自立」や「国家主権」に「愛国」を語る者たちが目をつむってきたのはなぜだろう。改憲による憲法九条第二項の改廃によって、仮に自衛隊が「国軍」として憲法上位置づけられたとしても、安保がある限り、「有事」(もしもそんなことがあればの話であるが)の際の自衛隊の戦闘行動の最終指揮権を米軍が掌握している現実が変わるわけではない。田母神は自衛隊のトップとして、なぜそのことを一度として問題にしてこなかったのか。
1、安保とは日本を守るのではなく米国の「平和と安全」を守る装置であること、
2、自衛隊は安保(旧安保条約)なくして存在しえなかったこと、またこれからもそうであること、つまり、
3、安保がある限り、自衛隊は永遠に米国の(国際)「安全保障」戦略の中に組み込まれ、自律的な「暴力装置」たりえないこと、
4、これらの事実を自民党・公明党をはじめ外務・防衛官僚や、自衛隊自体が隠ぺいし続けてきたこと、
以上の真実を問わずに、「国防」や「国際平和協力」を語ることは自己欺瞞の上塗りにしかならないことを、田母神のみではなく、この国の「主権者」としてのぼくら自身の問題として、もう一度考え直す必要があると思うのである。
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来月合同即応訓練/嘉手納基地拠点に/岩国から海兵隊700人
(⇒沖縄タイムス2008年11月26日【朝刊】)
【嘉手納】米軍嘉手納基地報道部は二十五日、同基地の第一八航空団と米海兵隊合同の即応訓練を十二月一日から五日までの日程で実施する、と発表した。海兵隊は岩国基地(山口県)所属のFA18戦闘攻撃機とAV8ハリアー垂直離着陸攻撃機など約三十五機と人員約七百人が参加する。嘉手納基地を拠点に、空軍と海兵隊が合同で大規模な即応訓練を実施するのは昨年十二月に続き、二度目。
同報道部によると訓練に伴い、来月二日ごろからサイレン音や拡声器放送、模擬爆発音、発煙筒を使用するという。第一八航空団はF15戦闘機を含むすべての部隊が参加する。FA18やハリアーは、嘉手納基地に加え、普天間飛行場も使用する。海兵隊は即応訓練終了後も十一日まで、嘉手納基地を拠点に訓練を行うという。
嘉手納基地は訓練に参加する海兵隊の航空機や人員の一部が二十五日までに到着していることを明らかにしたが、訓練の詳細については「特定のシナリオについては公開しない」としている。嘉手納基地を拠点とした空軍と海兵隊の合同即応訓練は昨年十二月に初めて実施された。前回は海兵隊からはFA18約三十機と人員約六百人が参加。サイレン音や拡声器放送、航空機の離着陸に伴う騒音で、嘉手納町などには住民からの苦情が相次いだ。
県基地対策課の又吉進課長は二十五日、嘉手納基地渉外部と沖縄防衛局連絡調整室に対し「周辺住民に影響を及ぼさないよう十分配慮してほしい」と申し入れた。
米軍機、石垣空港使用へ/地元関係者招待で県に届け出
米海軍第七艦隊所属の第七六機動部隊は二十五日、強襲揚陸艦エセックス(四〇、六五〇トン)の艦載ヘリMH60二機が石垣空港を二十八日に使用する、と県空港課に届け出た。米海軍と在沖米国総領事館は地元石垣島関係者約十五人を、同島沖に停泊するエセックスに招待する艦内ツアーを企画しており、招待者の送迎が目的。県は同日、米軍に対し、使用自粛を要請した。
県は上原昭知事公室長名で、「民間航空機の円滑で安全な運航を確保する観点から、緊急ややむを得ない場合を除いて、米軍機の使用は自粛するべきだというのが県の一貫した考え」として、在沖米海軍艦隊活動司令部司令官のマイケル・ビズカラ大佐に対し、使用自粛を求めた。米軍の空港使用届け出書などによると、エセックスを飛び立つヘリは、招待客を迎えるため石垣空港を午前十時から同三十分まで使用。着艦して視察後、送迎のため午後三時から同十五分まで使用する。
県によると、米軍機の石垣空港使用は、二〇〇六年二月二十四日、ビーチクラフト連絡機が緊急着陸した以来となる。八重山防衛協会の三木巖会長は「二十一日に(領事館から)正式に招待状が届いた。今まで石垣から飛び立った米軍ヘリで揚陸艦に着艦するといった話は、八重山では聞いたことがない。『来てください』ということなので参加するだけ」と話した。
一方、大浜長照石垣市長は「緊急性もなく、目的もはっきりしない。不要不急だ。日米地位協定を自分勝手に解釈し、思うままに恣意的に空港を使おうとしている。地元住民や観光客が不安になるようなことはやめてもらいたい」と不満をあらわにした。
沖縄米軍の再編「10年程度必要」2008年11月10日(朝日新聞)
沖縄の米海兵隊普天間飛行場の代替施設建設と、それに伴い海兵隊戦闘部隊をグアムに移転する再編計画について、米太平洋軍のキーティング司令官が、06年の日米合意通りに14年までに実施するのは困難な状況で「場合によっては15年までも難しく、履行には今後10年程度を要するだろう」との見通しを示していたことが7日明らかになった。
ニューヨークで5日に開いた会見で発言していた。沖縄で普天間移設問題をめぐり膠着状態が続く中、スケジュール通りに実施することは難しいと指摘する声は以前からあったが、米政府の当局者が公式に認めたのは初めて。
(1) 懲りない「憂国」の士?――田母神俊雄の狂言劇
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田母神氏、核武装の必要性に言及 産経新聞で
2008年11月28日(東京新聞)
歴史認識に関する政府見解を否定する論文を発表して更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長が28日付の産経新聞のインタビューで「民主主義だったら核武装すべきだという意見もあっていい。核兵器を持たない国は核兵器を持った国に最終的には従属させられることになりかねない」と述べ、日本の核武装の必要性に言及した。
日本は唯一の被爆国として非核3原則を堅持しているだけに、前空自トップが核武装を求めたとも取れる発言をしたことは、近隣諸国に懸念を与えかねないほか、文民統制(シビリアンコントロール)の問題もあらためて問われそうだ。これに関し河村建夫官房長官は同日午前の記者会見で「退職した人の発言にコメントする立場にない。それぞれ言論の自由は保障されている」と述べるにとどめた。
インタビューで田母神氏は「北朝鮮が核兵器を持ちたがる理由は1発でも米国に届く核ミサイルを持てば、武力制圧が絶対できなくなるから」と指摘。その上で「核兵器の基本が日本では議論されたことがない。核兵器を持つ意思を示すだけで核抑止力はぐんと向上する」と強調している。(共同)
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田母神の『日本は侵略国家であったのか』が少し前に話題になった。読んでみて、いろんな感想をもったが、『永遠の安保、テロルな平和』との関連で二、三のことを思いつくままメモしておこうと思う。
ぼくは、自衛隊の合憲・違憲性の議論を改めてしたり、自衛隊をどうするのかを考える前に、安保をどうするのか、日本がいつ安保を解消するのか、どうすれば解消できるのかを議論する方が先決ではないか、とずっと考えてきた。田母神論文を読んだ最初の印象は、やはりそうすべきだ、ということである。
「戦前」の歴史認識以前の問題としての、田母神論文の論文としての水準、国際法(規)の理解度の低さ、きわめて意図的な史実の歪曲、あるいは無理解などは、ここでの関心事ではない。もっといえば、彼の個人的な「戦前」の歴史認識などはどうだってよい。ぼくがどうしても気になるのは、この人をはじめとした自衛隊の制服組や隊員、防衛省の内局、背広組、研究者を含めた職員の「戦後」の歴史認識である。
田母神に関していえば、とくにその何ともいえない卑屈で歪んだ対米認識や安保認識が論文の中に散見されるが、ぼくらはそれがなぜなのかを、一度じっくり考えてみる必要があると思う。たとえば、次のような田母神の主張をどう考えるべきか。
「現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。」
「自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。
私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。」
このような田母神は主張は、実は自衛隊をも含めて、安保条約と安保体制をどうするのか、さらには安保の自動延長以降、安保が永久化していることを日本という国が国をあげて放置してきたことが、その根本にある。田母神は、おそらくはそのことを自覚している。しかしそれにはまったく触れず、「私は日米同盟を否定しているわけではない」と逃げてしまうのである。
「戦後」の「反米・保守」や「右翼」や「民族主義」者と呼ばれてきた者達や政治勢力は、安保の解消と米軍の撤退を政治的アジェンダとするのではなく、社共や日教組、「反戦・平和」運動に対する攻撃を第一義的な目的としてきた。そしてそれとの関係で「自虐史観」や「東京裁判史観」を云々してきた。けれどもその反面というか、だからこそというか、米国や米軍に対して、非常に屈折した精神構造を形成してきたのではないだろうか。米国や米軍を相手にすることより、社共や日教組を叩く方が何と簡単なことか。田母神もまたその典型的人格であるように思う。
安保抜きに、米軍抜きに、日本がいったいどのような「安全保障」戦略を構想しえるのか。また自衛隊が自衛隊として存在しえるのか。いまの自衛隊員は、米国の「対テロ戦争」と日本が戦略的同一化をはかり、前線に送られ、「テロリスト」を殺し、殺されてもよいと本当に考えているのだろうか。いや、戦争を知らない自衛隊に、日本のどの社会セクターよりももっとも自殺率が高い自衛隊に、本当に海兵隊がイラクやアフガニスタンでやってきたような集団虐殺に手を染めることができるのだろうか? 国家として「テロとの戦い」をするということは、そういうことなのである。
自ら「戦争を知らない子供たち」の一人として田母神自身が、すべての自衛隊員、そして「国民」に本当に問題提起しなければならなかったことは、こうした問いかけではなかったのか。
なぜ、「戦後」の「反米・保守」や「右翼」や「民族主義」者と呼ばれてきた者達や政治勢力は、一九七〇年代以降、急激に「親米・安保堅持・日米同盟」派となってしまったのか? これが、田母神論文がぼくらに突きつけている、もうひとつの問題である。ぼくは2008年8月に出版した⇒『制裁論を超えて』の中の⇒「安保を無みし、〈平和〉を紡ぐ」という論文の中で、この問題に少し触れている。しかし、これについては日をおいてまた書くことにしたい。
(2)
自衛隊と安保のことを考えることは、自衛隊と米軍の関係を考えることである。
田母神は、米軍基地が首都圏に存在することを問題視しているが、「これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない」と、あっさりと言い流してしまう。日本が基地返還を要求しても、「そう簡単には返ってこない」のはなぜなのか、その状況を自衛隊のトップとしてどう考えるのか、そういう次元で問題を捉え返そうとする姿勢が田母神にはない。
一方で「反米・愛国」的な、日本の文化・社会のアメリカナイゼーションに対して批判めいたことを書き立てながら、他方で「日米同盟」についてはあっさり容認してしまう。その結果、米軍の存在や基地問題についてそれ以上言及することが論理的にできなくなってしまうのだ。
一九九○年代半ば以降の安保の再定義や米軍再編の本格化の中で、「近未来的には米軍は日本から完全撤退するはずだ」という楽観的予測や分析の下で、多くの人が安保のことを語ってきた。しかし、現実には米軍駐留と基地・施設利用は無期限化しようとしている。文末の新聞記事によれば、ただ沖縄に駐留している海兵隊の部隊移転をするだけでも「一〇年程度」かかるという。こういう状況であれば、今後二〇年、三○年の間に米軍撤退と基地の全面返還が実現しそうにないことは明らかではないか。
これまで、返還された米軍基地の自衛隊の使用、米軍基地の「軍民共用」化、自衛隊基地や民間空港・港湾の米軍による使用化が進行してきたわけだが、これらの事態に田母神をはじめとした「日本の自立」や「国家主権」に「愛国」を語る者たちが目をつむってきたのはなぜだろう。改憲による憲法九条第二項の改廃によって、仮に自衛隊が「国軍」として憲法上位置づけられたとしても、安保がある限り、「有事」(もしもそんなことがあればの話であるが)の際の自衛隊の戦闘行動の最終指揮権を米軍が掌握している現実が変わるわけではない。田母神は自衛隊のトップとして、なぜそのことを一度として問題にしてこなかったのか。
1、安保とは日本を守るのではなく米国の「平和と安全」を守る装置であること、
2、自衛隊は安保(旧安保条約)なくして存在しえなかったこと、またこれからもそうであること、つまり、
3、安保がある限り、自衛隊は永遠に米国の(国際)「安全保障」戦略の中に組み込まれ、自律的な「暴力装置」たりえないこと、
4、これらの事実を自民党・公明党をはじめ外務・防衛官僚や、自衛隊自体が隠ぺいし続けてきたこと、
以上の真実を問わずに、「国防」や「国際平和協力」を語ることは自己欺瞞の上塗りにしかならないことを、田母神のみではなく、この国の「主権者」としてのぼくら自身の問題として、もう一度考え直す必要があると思うのである。
・・・・・・・・・・・
来月合同即応訓練/嘉手納基地拠点に/岩国から海兵隊700人
(⇒沖縄タイムス2008年11月26日【朝刊】)
【嘉手納】米軍嘉手納基地報道部は二十五日、同基地の第一八航空団と米海兵隊合同の即応訓練を十二月一日から五日までの日程で実施する、と発表した。海兵隊は岩国基地(山口県)所属のFA18戦闘攻撃機とAV8ハリアー垂直離着陸攻撃機など約三十五機と人員約七百人が参加する。嘉手納基地を拠点に、空軍と海兵隊が合同で大規模な即応訓練を実施するのは昨年十二月に続き、二度目。
同報道部によると訓練に伴い、来月二日ごろからサイレン音や拡声器放送、模擬爆発音、発煙筒を使用するという。第一八航空団はF15戦闘機を含むすべての部隊が参加する。FA18やハリアーは、嘉手納基地に加え、普天間飛行場も使用する。海兵隊は即応訓練終了後も十一日まで、嘉手納基地を拠点に訓練を行うという。
嘉手納基地は訓練に参加する海兵隊の航空機や人員の一部が二十五日までに到着していることを明らかにしたが、訓練の詳細については「特定のシナリオについては公開しない」としている。嘉手納基地を拠点とした空軍と海兵隊の合同即応訓練は昨年十二月に初めて実施された。前回は海兵隊からはFA18約三十機と人員約六百人が参加。サイレン音や拡声器放送、航空機の離着陸に伴う騒音で、嘉手納町などには住民からの苦情が相次いだ。
県基地対策課の又吉進課長は二十五日、嘉手納基地渉外部と沖縄防衛局連絡調整室に対し「周辺住民に影響を及ぼさないよう十分配慮してほしい」と申し入れた。
米軍機、石垣空港使用へ/地元関係者招待で県に届け出
米海軍第七艦隊所属の第七六機動部隊は二十五日、強襲揚陸艦エセックス(四〇、六五〇トン)の艦載ヘリMH60二機が石垣空港を二十八日に使用する、と県空港課に届け出た。米海軍と在沖米国総領事館は地元石垣島関係者約十五人を、同島沖に停泊するエセックスに招待する艦内ツアーを企画しており、招待者の送迎が目的。県は同日、米軍に対し、使用自粛を要請した。
県は上原昭知事公室長名で、「民間航空機の円滑で安全な運航を確保する観点から、緊急ややむを得ない場合を除いて、米軍機の使用は自粛するべきだというのが県の一貫した考え」として、在沖米海軍艦隊活動司令部司令官のマイケル・ビズカラ大佐に対し、使用自粛を求めた。米軍の空港使用届け出書などによると、エセックスを飛び立つヘリは、招待客を迎えるため石垣空港を午前十時から同三十分まで使用。着艦して視察後、送迎のため午後三時から同十五分まで使用する。
県によると、米軍機の石垣空港使用は、二〇〇六年二月二十四日、ビーチクラフト連絡機が緊急着陸した以来となる。八重山防衛協会の三木巖会長は「二十一日に(領事館から)正式に招待状が届いた。今まで石垣から飛び立った米軍ヘリで揚陸艦に着艦するといった話は、八重山では聞いたことがない。『来てください』ということなので参加するだけ」と話した。
一方、大浜長照石垣市長は「緊急性もなく、目的もはっきりしない。不要不急だ。日米地位協定を自分勝手に解釈し、思うままに恣意的に空港を使おうとしている。地元住民や観光客が不安になるようなことはやめてもらいたい」と不満をあらわにした。
沖縄米軍の再編「10年程度必要」2008年11月10日(朝日新聞)
沖縄の米海兵隊普天間飛行場の代替施設建設と、それに伴い海兵隊戦闘部隊をグアムに移転する再編計画について、米太平洋軍のキーティング司令官が、06年の日米合意通りに14年までに実施するのは困難な状況で「場合によっては15年までも難しく、履行には今後10年程度を要するだろう」との見通しを示していたことが7日明らかになった。
ニューヨークで5日に開いた会見で発言していた。沖縄で普天間移設問題をめぐり膠着状態が続く中、スケジュール通りに実施することは難しいと指摘する声は以前からあったが、米政府の当局者が公式に認めたのは初めて。
2008年11月21日金曜日
おわりに――民主政の原理と安保
おわりに――民主政の原理と安保
以上みてきた安保の永続化は、いまある日本の政治制度に原因がある。より正確にいえば、「あってはならないこと」が法的に正当化され、制度化されていることに原因がある。ここでは二つのことを指摘しておきたい。いずれも日本国憲法がいう「国民主権」の制限/限界性にかかわる問題である。
その一つは、日本国憲法が「国権の最高機関」たる国会よりも内閣(および内閣総理大臣)の側に圧倒的な外交権限を与えていることである。
たとえば、安保条約は国会で「承認」され批准されたが、内閣は国の安保政策に関わる外国との交換文書を国会承認はもちろん、事前審議も抜きに自由に交わすことができる。これらは憲法第七三条二項が規定する「内閣の事務」の中の「外交関係を処理すること」の範疇で処理されている。また、内閣総理大臣は「外交関係について国会に報告」することを「職務」とするが(第七二条)、これについてもそれ以上の「職務」規定はない。明らかな憲法違反にならない限り、内閣および内閣総理大臣はフリーハンドで(誰にも邪魔されず、好き勝手に)「安全保障」政策を決定できる仕組みになっている。
一般に、外交や安全保障が「国の専権事項」といわれているのは、右の憲法第七三条二項を根拠とする、この「フリ-ハンド」を意味している。その結果、政府与党およびこれと癒着した外務官僚(どちらがどちらに癒着しているのかは定かではないが)による独断専行的な「外交・安全保障」政策がまかり通ることになる。まさにその典型的事例が安保の永続的「自動延長」なのであるが、皮肉なことに日本国憲法がそれを許しているのである。
ただし、ここで注意しなければならないことがある。それは、たしかに憲法には右に示した条文があるにはあるが、国の「安全保障」の「処理」権限がどこに存在するのかは何も定めていないことだ。なぜなら、憲法は日本が「戦争放棄」し、「武力行使」をしない国家であることを定めており、日本の国家および「国民」の「安全」を外交以外の手段によって「保障」することを想定していないからである。
内閣と官僚が「専権」とすべきは外交・安全保障政策に関連する行政(事務)であり、憲法は外交や安全保障が「国の専権事項」とする政治家や官僚がよく口にする主張を何も根拠づけてはいないのである。安保の永続化を断ち切るためには、国と自治体、与党と野党、国会と内閣、政府と主権者のそれぞれの次元において、外交と安全保障が「国の専権事項」だとするデマゴギーと不断にたたかい続けることが欠かせない。
安保を継続するか否かの国家の意思の源泉は、「国民」の意思にある。であるなら日本政府は安保の「自動延長」に関する主権者の意思を一度は問うべきである。それは必然的に安保に期限をつけるか否かの判断を自治体、すべての政党、マスコミ、主権者それぞれに迫り、さらには安保終了の判断基準をめぐる論議をそれぞれのレベルでおこさずにはいないだろう。そのためにはまず、政府としてその判断基準を一度は示し、主権者にその信と総意を問うべきなのでる。この四○年近く、日本政府はそれを検討することさえなく、安保の「自動延長」を続けてきた。その長い過程を経て、今日の安保体制は安保条約の規定からも逸脱し、自立化を遂げているのである。
政党の意思と主権者の意思
代表(間接)民主制の原理を基礎とする憲法理念からいえば、右にみた安保再期限化の議論のイニシアティブは議会政党がとるべきである。日本国憲法は、その前文において次のように言明している。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・、ここに主権が国民に存することを宣言」する。そして「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と。
けれども現状では、既成政党にそのイニシアティブを期待することには無理がありそうだ。長年連立政権を組んできた自民党と公明党はその意思を持たないからこそ安保を自動延長してきたのだし、先述したように民主、共産、社民党などの主要野党も選挙で安保を問うことをしなくなったからである。
ここでぼくらはもう一つの問題に突き当たる。すなわち、安保の永続化をめぐる主権者の意思と政党の意思との間に横たわるズレと緊張関係の問題である。現実政治の下では、主権者の意思が政府の意思を突き動かすためには、政党の意思を突き動かさねばならない。そのために何ができるかという問題である。
これには二つのアプローチがある。一つは、間接民主制(代議制民主主義)の論理に従い、既成政党の対米・安保政策の見直しを求めて関与を強めることである。どの政党(党員・支持者)も、安保が永遠に続くことを認めることはないだろう。いずれは既成政党も党の内と外からの世論に押されて安保の再期限化を選挙のマニフェストに記すときがくるはずである。けれども、政党が綱領を変更するにはかなりの時間を要することになる。それをただ待っているわけにはいかない。
そこで考えられうるもう一つのアプローチは、主権者の意思を必ずしも反映しない間接民主制の限界を直接民主制の導入によって乗り越えることである。たとえば、「安保を国民投票にかけよ」という古くからある議論は、このアプローチに基づく主張である。事実、この主張は一九六〇年に頂点を迎えた「安保闘争」の時代から憲法学者や国会議員らによって、度々なされてきた。
たとえば、岸内閣が安保条約を強行採決するほぼ一カ月前、一九六〇年五月一七日の衆議院・日米安全保障条約等特別委員会において、椎熊三郎(自民党)は当時立命館大学総長だった末川博の次のような見解を紹介している。
「安保改定は国の運命を決する大問題であるから慎重に審議を尽くし、場合によっては国会を解散し、または国民投票をして国民の総意を問うべきである」。この末川発言は「学識経験のあるりっぱな方々の意見を案件判断の参考」(椎熊)とすべく、その前々日に大阪で行われた公聴会でのものである。
あるいは、一九六八年八月の参議院・外務委員会での議論を取り出すこともできる。この委員会において森元治郎(社会党・当時)は、「衆議院、参議院の国会の選挙を通じて、安保条約に対して国民はわが自民党を支持しているなどと佐藤[首相]さんはよく言うけれども、これは雲をつかむような話です。そうではなくて、具体的に一つの案件を取り上げて、そして国民の一人一人が、外交問題でもあるいは財政問題でもいい、それに国民の意思を投じて、国政に直接参加する道という意味で国民投票制度というのがあればいい」と述べ、政府を問いただしている。
これに対し、三木武夫(外務大臣・当時)はこう答弁した。
「このレフェレンダムの制度は憲法改正を伴います。憲法改正を伴う。したがってやはりこれは、各国が国民投票によってその国民の意思を聞くという制度は、民主政治のもとにおいては国民の端的な意思を聞く制度としては、非常によりよく国民の意思を聞き得る、早く短期間に正確に聞けるということで非常に検討に値いする制度だと思いますけれども、憲法改正を伴いますので、これはどうでしょう、与野党なんかで一緒に検討してみるのは」。
自民党内部から、しかも首相経験者がこのような発言をしたにもかかわらず、日本政府も自民党も安保の国民投票をまともに検討したことがない。三木発言から四〇年以上を経てもなお、この実施の可能性が「与野党なんかで一緒に検討」されたことは一度もなかった。その責任は自民党のみならず、旧日本社会党その他の議会政党も同様に負っているといえるだろう。
安保の国民投票の可能性は真剣に検討されるべき事柄である。また、安保を含む「国政の重要課題」をめぐる国民投票は、政府与党の政策決定に対する規定力においてどれだけ制限が課せられようとも、積極的に実施されるべきだとも考えている。なぜなら、主権者の総意が政治が反映しない状況が構造化されている現状にあっては、「直接民主制」を保障する諸制度が「間接民主制」の限界を補うようにする以外、方法はないからである。
もっと具体的にいえば、自民党や民主党をはじめ既成政党やその支持者が「国民投票法に安保も入れよ」と要求し、全国運動を展開すれば可能性はかなりの程度高まるだろうし、そうでなければ無党派市民組織がイニシアティブを取ってもよいだろう。現にそのような機運も少しずつではあれ、高まりつつある。
ただ、ぼくはここで「安保の国民投票」を結語としたいのではない。未だ実現されていないそれを、むしろ安保再期限化と解消論の出発点にしたいと考えている。なぜなら、民主政の基本原理に何ら抵触しない国民投票をはじめとする「直接民主制」の導入は、主権者が「正当に選挙された国会における代表者を通じて」(日本国憲法前文)安保に対する意思表明ができず、その結果「国政」に対して「厳粛な信託」を賦与することができず、その「行使」する「権力」に対しても納得できないとき、自らの「主権」を行使する有効な政治的手段の一つであることはまちがいないからである。
けれども、なぜ安保がこれまで主権者の主体的な意思と選択を介さずに永続化されてきたのか、そしてなぜ日本国憲法下の「戦後政治」と「戦後民主主義」によってそれが可能となったのか、その歴史的経緯や根拠を押さえないまま、ただ国民投票を主張したとしても、それを否定する勢力に包囲され、挫かれてしまうだろう。
ぼくらが対峙しなければならないのは、「国の専権事項」に対する主権者の直接介入に対する政・官一体となった抵抗ばかりではない。党の意思を主権者の意思が乗り越えて流動化することを恐れ、主権者を党の票田として囲い込もうとする政党の自己保身、政財界に巣くう安保利権など、六○年近くにわたり「既得権」という名の利害によって築き上げられてきた〈安保の壁〉である。
この〈壁〉に触れるとき、ぼくらは、現実にはそうではないにもかかわらず、安保が何か条約以上のものでもあるかのような幻惑に襲われることになる。そしてこの日本の中で、安保がまるで日本国憲法や天皇制のように、ほんとうに永遠に続くかのような〈体制〉と化していることに気付くのである。
(未完)
以上みてきた安保の永続化は、いまある日本の政治制度に原因がある。より正確にいえば、「あってはならないこと」が法的に正当化され、制度化されていることに原因がある。ここでは二つのことを指摘しておきたい。いずれも日本国憲法がいう「国民主権」の制限/限界性にかかわる問題である。
その一つは、日本国憲法が「国権の最高機関」たる国会よりも内閣(および内閣総理大臣)の側に圧倒的な外交権限を与えていることである。
たとえば、安保条約は国会で「承認」され批准されたが、内閣は国の安保政策に関わる外国との交換文書を国会承認はもちろん、事前審議も抜きに自由に交わすことができる。これらは憲法第七三条二項が規定する「内閣の事務」の中の「外交関係を処理すること」の範疇で処理されている。また、内閣総理大臣は「外交関係について国会に報告」することを「職務」とするが(第七二条)、これについてもそれ以上の「職務」規定はない。明らかな憲法違反にならない限り、内閣および内閣総理大臣はフリーハンドで(誰にも邪魔されず、好き勝手に)「安全保障」政策を決定できる仕組みになっている。
一般に、外交や安全保障が「国の専権事項」といわれているのは、右の憲法第七三条二項を根拠とする、この「フリ-ハンド」を意味している。その結果、政府与党およびこれと癒着した外務官僚(どちらがどちらに癒着しているのかは定かではないが)による独断専行的な「外交・安全保障」政策がまかり通ることになる。まさにその典型的事例が安保の永続的「自動延長」なのであるが、皮肉なことに日本国憲法がそれを許しているのである。
ただし、ここで注意しなければならないことがある。それは、たしかに憲法には右に示した条文があるにはあるが、国の「安全保障」の「処理」権限がどこに存在するのかは何も定めていないことだ。なぜなら、憲法は日本が「戦争放棄」し、「武力行使」をしない国家であることを定めており、日本の国家および「国民」の「安全」を外交以外の手段によって「保障」することを想定していないからである。
内閣と官僚が「専権」とすべきは外交・安全保障政策に関連する行政(事務)であり、憲法は外交や安全保障が「国の専権事項」とする政治家や官僚がよく口にする主張を何も根拠づけてはいないのである。安保の永続化を断ち切るためには、国と自治体、与党と野党、国会と内閣、政府と主権者のそれぞれの次元において、外交と安全保障が「国の専権事項」だとするデマゴギーと不断にたたかい続けることが欠かせない。
安保を継続するか否かの国家の意思の源泉は、「国民」の意思にある。であるなら日本政府は安保の「自動延長」に関する主権者の意思を一度は問うべきである。それは必然的に安保に期限をつけるか否かの判断を自治体、すべての政党、マスコミ、主権者それぞれに迫り、さらには安保終了の判断基準をめぐる論議をそれぞれのレベルでおこさずにはいないだろう。そのためにはまず、政府としてその判断基準を一度は示し、主権者にその信と総意を問うべきなのでる。この四○年近く、日本政府はそれを検討することさえなく、安保の「自動延長」を続けてきた。その長い過程を経て、今日の安保体制は安保条約の規定からも逸脱し、自立化を遂げているのである。
政党の意思と主権者の意思
代表(間接)民主制の原理を基礎とする憲法理念からいえば、右にみた安保再期限化の議論のイニシアティブは議会政党がとるべきである。日本国憲法は、その前文において次のように言明している。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・、ここに主権が国民に存することを宣言」する。そして「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と。
けれども現状では、既成政党にそのイニシアティブを期待することには無理がありそうだ。長年連立政権を組んできた自民党と公明党はその意思を持たないからこそ安保を自動延長してきたのだし、先述したように民主、共産、社民党などの主要野党も選挙で安保を問うことをしなくなったからである。
ここでぼくらはもう一つの問題に突き当たる。すなわち、安保の永続化をめぐる主権者の意思と政党の意思との間に横たわるズレと緊張関係の問題である。現実政治の下では、主権者の意思が政府の意思を突き動かすためには、政党の意思を突き動かさねばならない。そのために何ができるかという問題である。
これには二つのアプローチがある。一つは、間接民主制(代議制民主主義)の論理に従い、既成政党の対米・安保政策の見直しを求めて関与を強めることである。どの政党(党員・支持者)も、安保が永遠に続くことを認めることはないだろう。いずれは既成政党も党の内と外からの世論に押されて安保の再期限化を選挙のマニフェストに記すときがくるはずである。けれども、政党が綱領を変更するにはかなりの時間を要することになる。それをただ待っているわけにはいかない。
そこで考えられうるもう一つのアプローチは、主権者の意思を必ずしも反映しない間接民主制の限界を直接民主制の導入によって乗り越えることである。たとえば、「安保を国民投票にかけよ」という古くからある議論は、このアプローチに基づく主張である。事実、この主張は一九六〇年に頂点を迎えた「安保闘争」の時代から憲法学者や国会議員らによって、度々なされてきた。
たとえば、岸内閣が安保条約を強行採決するほぼ一カ月前、一九六〇年五月一七日の衆議院・日米安全保障条約等特別委員会において、椎熊三郎(自民党)は当時立命館大学総長だった末川博の次のような見解を紹介している。
「安保改定は国の運命を決する大問題であるから慎重に審議を尽くし、場合によっては国会を解散し、または国民投票をして国民の総意を問うべきである」。この末川発言は「学識経験のあるりっぱな方々の意見を案件判断の参考」(椎熊)とすべく、その前々日に大阪で行われた公聴会でのものである。
あるいは、一九六八年八月の参議院・外務委員会での議論を取り出すこともできる。この委員会において森元治郎(社会党・当時)は、「衆議院、参議院の国会の選挙を通じて、安保条約に対して国民はわが自民党を支持しているなどと佐藤[首相]さんはよく言うけれども、これは雲をつかむような話です。そうではなくて、具体的に一つの案件を取り上げて、そして国民の一人一人が、外交問題でもあるいは財政問題でもいい、それに国民の意思を投じて、国政に直接参加する道という意味で国民投票制度というのがあればいい」と述べ、政府を問いただしている。
これに対し、三木武夫(外務大臣・当時)はこう答弁した。
「このレフェレンダムの制度は憲法改正を伴います。憲法改正を伴う。したがってやはりこれは、各国が国民投票によってその国民の意思を聞くという制度は、民主政治のもとにおいては国民の端的な意思を聞く制度としては、非常によりよく国民の意思を聞き得る、早く短期間に正確に聞けるということで非常に検討に値いする制度だと思いますけれども、憲法改正を伴いますので、これはどうでしょう、与野党なんかで一緒に検討してみるのは」。
自民党内部から、しかも首相経験者がこのような発言をしたにもかかわらず、日本政府も自民党も安保の国民投票をまともに検討したことがない。三木発言から四〇年以上を経てもなお、この実施の可能性が「与野党なんかで一緒に検討」されたことは一度もなかった。その責任は自民党のみならず、旧日本社会党その他の議会政党も同様に負っているといえるだろう。
安保の国民投票の可能性は真剣に検討されるべき事柄である。また、安保を含む「国政の重要課題」をめぐる国民投票は、政府与党の政策決定に対する規定力においてどれだけ制限が課せられようとも、積極的に実施されるべきだとも考えている。なぜなら、主権者の総意が政治が反映しない状況が構造化されている現状にあっては、「直接民主制」を保障する諸制度が「間接民主制」の限界を補うようにする以外、方法はないからである。
もっと具体的にいえば、自民党や民主党をはじめ既成政党やその支持者が「国民投票法に安保も入れよ」と要求し、全国運動を展開すれば可能性はかなりの程度高まるだろうし、そうでなければ無党派市民組織がイニシアティブを取ってもよいだろう。現にそのような機運も少しずつではあれ、高まりつつある。
ただ、ぼくはここで「安保の国民投票」を結語としたいのではない。未だ実現されていないそれを、むしろ安保再期限化と解消論の出発点にしたいと考えている。なぜなら、民主政の基本原理に何ら抵触しない国民投票をはじめとする「直接民主制」の導入は、主権者が「正当に選挙された国会における代表者を通じて」(日本国憲法前文)安保に対する意思表明ができず、その結果「国政」に対して「厳粛な信託」を賦与することができず、その「行使」する「権力」に対しても納得できないとき、自らの「主権」を行使する有効な政治的手段の一つであることはまちがいないからである。
けれども、なぜ安保がこれまで主権者の主体的な意思と選択を介さずに永続化されてきたのか、そしてなぜ日本国憲法下の「戦後政治」と「戦後民主主義」によってそれが可能となったのか、その歴史的経緯や根拠を押さえないまま、ただ国民投票を主張したとしても、それを否定する勢力に包囲され、挫かれてしまうだろう。
ぼくらが対峙しなければならないのは、「国の専権事項」に対する主権者の直接介入に対する政・官一体となった抵抗ばかりではない。党の意思を主権者の意思が乗り越えて流動化することを恐れ、主権者を党の票田として囲い込もうとする政党の自己保身、政財界に巣くう安保利権など、六○年近くにわたり「既得権」という名の利害によって築き上げられてきた〈安保の壁〉である。
この〈壁〉に触れるとき、ぼくらは、現実にはそうではないにもかかわらず、安保が何か条約以上のものでもあるかのような幻惑に襲われることになる。そしてこの日本の中で、安保がまるで日本国憲法や天皇制のように、ほんとうに永遠に続くかのような〈体制〉と化していることに気付くのである。
(未完)
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