日米安保と琉球の自治
「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」を主宰する松島泰勝(まつしま・やすかつ)さんが、ブログで拙著を紹介してくださった。
松島さんには、私が編集に携わった『グローバル時代の先住民族--「先住民族の10年」とは何だったか」(2004、法律文化社)に「太平洋諸島・先住民族の自決・自治・自律の試み」という論文を寄せていただいたことがある。そして現在構想中の本にも、エッセイを寄せていただく計画がある。
今回の『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の中でも、もちろん沖縄のことは触れている。しかし、独立した章や節で取り上げることはできなかった。それは松島さんをはじめとして、沖縄・琉球問題については実の多くの人々が論じており、私などが改めて論じることはない、という思いがあったからだが、普天間問題をはじめ、日米安保に関するこの一年の本土、「ヤマト」のメディアの扱い方をみるにつけ、いくつかの点をはっきりさせておく必要がある、と思わざるをえなくなる。
しかしその前に、まずは「ゆいまーる琉球の自治」にしっかり目を通しておくことにしよう。
〈で、私たちは、永遠の安保と米軍基地をどうするのか?〉
民主、国民新、社民三党は、14日(2010年12月)、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に関する予算計上や、法人税減税で折り合わず、合意取りまとめを断念した、という。
これに先立ち、仙谷由人官房長官が、13日、移設を「日米同盟の深化と日韓連携の強化という観点から、誠に申し訳ないが甘受していただくというか、お願いしたい」と述べ、これに対し、仲井真沖縄県知事から「他人に言われる筋合いはない」と反発されるや発言を「撤回」した。仙谷は、「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない。沖縄の皆さんに(基地受け入れを)お願いしなければならないという趣旨で述べた」と釈明したという(東京新聞)。仙谷は発言を何も「撤回」など、していない。
その一方で、菅政権は、14日、来年度以降の在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)の総額について、今後五年間にわたり現行水準を維持することで、米国側と正式に合意したという。その理由を、同じく東京新聞の記者は、「朝鮮半島情勢の緊迫化の中、米軍普天間飛行場問題をめぐり傷ついた日米同盟関係を修復するためには米側に配慮せざるを得ないとの判断があった」と解説している。
「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」・・・。 『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の中にも登場してもらった仙谷由人、われらが内閣官房長官は、米国政府・在日米軍のスポースクマンなのだろうか?
沖縄に、全国各地に「戦後」65年にもわたり、外国の軍隊たる米軍が駐留している。65年。日本が「主権」を回復し、「独立」し、沖縄を切り捨てた「サンフランシスコ条約」の締結から来年60年周年を迎えるが、この国の政府は「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」とずっと繰り返し、米軍の無期限駐留を容認し続けてきたのである。
これまで日本政府は、米軍をいつか「全面的に撤退」させる交渉を米国政府としたことが一度でもあっただろうか? ない。そして今後もその意思などないのに、仙谷は「直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」と言う。
「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」。で、民主党は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?
一方、無方針の民主党に対し、社民党は普天間基地の辺野古への移設に関する予算計上阻止に「全力を尽くす」と言ってきた。しかし社民党は、これでその展望を喪失することになった。で、社民党は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?
「沖縄の人々に土下座をしても、米軍再編の理解を請え」と菅民主党にプレシャをかけ続けてきた自民と公明、「安保廃棄」「基地撤去」を唱え続けてきた共産党、「民・自大連立」を「政権末期現象」と揶揄することしかできない「みんなの党」は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?
北朝鮮と中国、ロシアの「脅威」、「日本をとりまく安全保障環境の不安定」をキャンペーンしてきたマスメディアは、安保条約と米軍基地の無期限状態、戦後65年以上にも及ぶ沖縄への基地の押し付け、沖縄の切捨てをどうするのか? 具体的提案、論評として何を主張するのか? 「朝鮮半島情勢の緊迫化の中、米軍普天間飛行場問題をめぐり傷ついた日米同盟関係を修復するためには米側に配慮せざるを得ない」などとくり返す以上に?
で、私たちは、永遠の安保と米軍基地の無期限状態をどうするのか?
「ヤマト問題」としての「琉球問題」をどうするのか?
〈民主党政権による新たな「琉球処分」を許さないために---あるいは、〈歴史〉を消去されないために〉
1990年代の最後の数年間、つまり第二期クリントン(民主党)政権の途中から、ブッシュとゴアの大統領選の予備選が本格化しようとしていた頃まで、理由があって私はワシントンD.C.南の「黒人居留区」に引きこもっていたことがある。 その時に知った、二人とも外科医、女性の方は脳外科医のあるカップルの話である。
二人は、「売れっ子」の超多忙な医者である。
私がびっくり仰天したのは、その二人が当時の米大統領、自分の国の大統領、クリントンの名前を知らなかった/言えなかったことである。当然、「コソボ紛争」に対する米国の介入、NATOの空爆のことも知らない。自分の国が戦争状態にあること、いや世界で何が問題になっているのかはもとより、共和党と民主党との間で何が次の大統領選に向けた攻防のアジェンダとなり、米国社会の主なイシューとなっているのかなど、何も知らなかったのである。
さらに彼と彼女は、選挙登録はしていても30代の頃から大統領選や中間選挙はもちろん、およそ選挙に行って投票したことがない。こうしたことを、二人は笑いながら話していた。「こういう人たちがいるんだ!」と、呆れるというより私は深く感嘆し、二人の超過労状況を逆に気の毒に思ったことを覚えている。
専門の仕事や研究に忙殺され、労働以外の自分の「余暇」もその専門に関わることに追われ、しかも日常生活で会話をする相手も同じ専門同士の、同じような労働・生活環境に置かれた者たちであるなら、程度の差こそあれ、私たちも実はこの二人と同じような存在であることは、自覚しておく必要がある。
自分の国の大統領の名前を知らない超多忙の米国人外科医の話をしたのは、それを思い出させた人(たち)と、一昨日、私が忘年会をしたからだ。
その人は、首都圏のとある大学の薬学部を卒業し、とある企業で働く「アラフォー」の人である。
もちろん、その人は、今現在の日本の内閣総理大臣が誰であるかは知っている。しかし、その人は「サンフランシスコ平和条約」が何年に締結されたか、今の安保条約が「改定」される前に「旧い安保条約」があり、それが「平和条約」と一緒に結ばれたこと、また日本が国連にいつ加盟したのか、さらに昔、中華民国(台湾)が安保理常任理事国であったこと、それがいつ中華人民共和国(中国)に代わったのか、自分が生まれた頃に「日中国交回復」がなされたこと、等々等々を知らなかったのである。
つまり、「戦後」日本(「戦前」は言わずもがな)の「正史」、自分が生まれた時の時代状況、自分が生きてきた歴史について、知らないことがあまりに多いのだ。まして、現行の安保条約が、日本政府にその意思さえあれば、いつでも米国に対し、一方的に「終了」通告ができる国際条約であることなど、知るよしもない。岸内閣や佐藤内閣の時代に、いったいどんな「核密約」「沖縄密約」が交わされていたかなど、自分が生き、働くにあたって、関心の領域外である。「そんなこと」より、自分には知っておかねばならないこと、フォロー・アップしておかねばならない、山のような専門領域の知識・情報がゴマンとあるからだ。自分の「精神衛生」を保つための「趣味」の時間も取っておかねばならない。とてもこうした事柄をフォローする、そのためにその筋の「専門」の本を読む時間なんて実際問題としてない、ということだろう。
私は、先日更新した「最近、考えさせられたこと」の中で、「知識障害者」という表現をした。私たちは、ある分野の知識はものすごくあるが、別の分野のことは何も知らない/知ろうとしない/知らなくて何の不自由もないし、そのことを何とも思わない人間として私たちが在ること、これがどの専門分野であれ避けられないような働くマシーンになっていることを自覚する必要がある。脳から〈歴史〉や何かを消去された働くマシーン、「ヒューマノイド」のような存在に。
脳から〈歴史〉が消去されると、私たちは自分が何者であるかを同定できず、他者に対するエンパシーという、人間が人間であるために最も重要と思える能力が欠如した「人間もどき」の存在になる。私自身、そのことを『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の構想、下調べ、執筆過程において痛感させられた。
私は、「戦後」日本(「戦前」は言わずもがな)の「正史」、自分が生まれた時の時代状況、自分が生きてきた歴史について知らないことがあまりに多い。つくづくそのことを思い知らされたのである。
問題は、「義務教育」以降の今の教育制度のサバイバーとして、私たちが「知識障害者」であることの自覚症状がどの程度あるか、そして「いったい誰が、私たちの脳から〈歴史〉を消去しているのか?」というところにある。
〈「戦後」の「琉球処分」と「普天間問題」〉
「日中国交回復」が自分が生まれた頃になされたことを知らなかったその人は、「沖縄返還」のことは知っていた。しかし、「沖縄返還」の「正史」には「外史」があり、その「外史」には日本への「復帰」に反対し、「琉球独立」を主張していた人々の存在が含まれることは知らなかった。
しかしこれは、何もその人に限ったことではない。むしろ問題は、「復帰」後の38年間を通じ、さらには民主連立政権への政権交代を通じ、「日本=ヤマトへの「復帰」は、本当に正しい選択だったのだろうか?」と公言するようになった人々、公言はしないがそう考えるようになった人々が増えていることを、私たちの多くが知らない/知ろうとしないところにあるように思う。そして私たちは、その事実や「沖縄密約」の史実を知りながら、しかし38年前に遡って「どうすべきだったのか/これからどうすべきなのか」を考え、それを視聴者や読者に問題提起しようとしない巨大メディアの沖縄「報道」もまた、私たちから〈歴史〉を消去するエージェントとなっていることを知っておくべきだと思うのである。
今日、県知事と会談し、「移設」への「理解」を要請した菅首相、民主党、日本政府に対する沖縄の多くの人々の怒り、怒りを通り越した白けきった反応を理解するためには、前々世紀に遡る「琉球処分」以後の琉球の歴史、せめてその大まかな流れくらいは押さえておかねばならないだろう。「普天間」がどうしたこうした、そういう問題だけで済まされることではないからだ。
このような「琉球の今」を知る手がかりとして、読者に「薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会」のサイトに掲載されている記事や文章を、まず読んでみることを推奨したい。
もちろん、基地問題をはじめ沖縄/琉球に関する専門・参考文献は限りない。しかし、この「問う会」の「呼びかけ人」に名を連ねている人々(そこには拙著をブログで紹介していただいた松島泰勝さんもいる)を見れば、いかに広範な人々がヤマトによる「琉球支配」の歴史を、いま問うているか、そしてそれが政権交代後のこの一年余りを経て、沖縄の若い世代、一般の人々の間にも広がってきていることは、容易に想像できることだと思う。
「問う会」の運動を報じたメディア、また報じなかったメディアが、「普天間問題」の今後を行方をどのように「報道」し、どのような内容を発信してゆくか。そのことをも含めて私たちは注目し、金をばら撒くことしか知らない菅政権の「琉球政策」「基地対策」が、二一世紀の第一次「琉球処分」としてあることを見抜いておかねばならないと思う。
消去して/されてしまった〈歴史〉を、自分の脳に埋め込む作業を怠らないなら、決して困難なことではないはずである。
2011/4/12
・深夜・早朝騒音5.7倍 普天間合意きょう15年
米軍普天間飛行場の全面返還に日米両政府が合意してから12日で15年を迎えた。当初は7年以内の返還を目指したが、県内移設条件が付く日米と沖縄間の協議は曲折を重ねた。県内移設を拒む沖縄の民意が高まり、実現のめどは立っていない。騒音などの被害は深刻化。宜野湾市によると、午後10時から翌午前7時までの深夜・早朝の騒音発生回数は、上大謝名で1997年度の177回と比べ、2010年度(2月現在速報値)は1001回と5・7倍に。97年度から増加し02年度は約6倍の1047回。減少傾向にあったが10年度に再び増えた。
2010年10月31日日曜日
2010年10月28日木曜日
「保護する責任」にNO!という責任---人道的介入と「人道的帝国主義」
「保護する責任」にNO!という責任--人道的介入と「人道的帝国主義」
「「保護する責任」(Responsibility to Protect)にNO!という責任」について考えてみたい。
『日米同盟と欺瞞、日米安保という虚構』を上梓したばかりで、一見、日米安保とは何の関係もなさそうに思えるこれをなぜ問題にするかに関しても、追々明らかにするつもりだ。国際政治や国際法、国連学や平和学に関心のある人もそうでない人も、ぜひ一緒に考えてもらいたい。
まず、「保護する責任」とは何かを簡単に説明しておこう。
Ⅰ 「保護する責任」とは何か
「保護する責任」とは、
1、「個別の国家が、ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪からその国の人々を保護する責任を負う」
2、国際社会は、個別の国家の「この責任の実行と、保護する能力の構築において、国家を支援する」責任を負う、
3、「国家が、これら具体的に記された四つの犯罪および違反から人々を保護することに、「あきらかに失敗している」場合には、国際社会が、安全保障理事会を通じて、また国際連合憲章に従って、「適切な時期に断固とした方法」によって、集団的な行動を取る」責任を負う、という三つの「責任」によって構成される概念である。(詳しくは「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」の内容を参照。)
この「報告書」に沿って言えば、「保護する責任」は、
・第一の柱 国家による保護の責任
・第二の柱 国際的な援助と能力構築
・第三の柱 適切な時期と断固とした対応(注・武力行使のこと)
を三つの「柱」とする、いわば国連体制の下で「国際の平和と安全」を「維持」するための新しい国際(法)的規範としてある。現在、国連においてはこの規範を現実の政策に移すための議論が行われている。つまり、「保護する責任」は、その理念をめぐる審議の段階は基本的に終了し、「履行」=実行段階に入ったものとして理解されているわけである。
では、なぜ武力行使を最終的手段とする「保護する責任」が重要なのか。「報告書」によれば、それは、
「20世紀はホロコースト、カンボジアのキリング・フィールド、ルワンダのジェノサイド、スレブレニッツァの大量殺戮などが汚点となった。これらのうち、ルワンダとスレブレニッツァについては、安全保障理会と国際連合の平和維持軍が監視する中で行われた。
ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪―20世紀の残酷な遺産は最も基本的かつ実行すべき責任に従って行動しなかった個別国家の重大な失敗と、国際的な制度の集団としての不十分さを、辛辣にまた鮮明に語る」からである。
私は、「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪」が「20世紀の残酷な遺産」であることに異論はない。またそれが、これらを引き起こした「個別国家の重大な失敗」に起因することもその通りだと考えている。
問題は、「報告書」が「国際的な制度の集団としての不十分さ」と言うときの「不十分さ」に関する認識にある。国際社会が国連安保理の決議の下で、集団的な武力行使に踏み切らなかったことが「残虐な遺産」を残してしまった原因なのだろうか。そうだとは思えない。また、最終的な手段としての武力行使が担保されれば、問題解決の道が開けるのだろうか。これもそうとは考えない。
「保護する責任」は、「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪」を国家が犯さず、これらから人々を「保護」する「責任」のみならず、それが守られない(と安保理が判断する)場合に、最後の手段としての〈武力行使を容認するパッケージとしての政策概念〉であるが故に重大な問題をはらんでいるのである。
「保護する責任」論が登場し、本格的に議論されてきたこの10年ほどの間に、これに異議を唱えた国際的議論を掘り起こし、日本においても「保護する責任」に異議を唱える責任について、もっと広範に議論されて然るべきだ。しかし、日本の国連研究、あるいは国際法研究などといった分野は、全体として、国連に対する批判精神を持たないきわめて現状追認・現状肯定主義的な傾向が強い。そのため、学者が書いた論文を読んだ結果、批判的精神を養うどころか逆に誤った認識を植えつけられ、影響を受けてしまうといったこともよくある話である。
その一例が『新たな地球規範と国連』の巻頭論文、「保護する責任と国連」と題された松隈潤(東京外国語大学 総合国際学研究院教授)の論文である。
松隈論文の問題点は多々あるが、さしあたりここでは「保護する責任」を一から考えるにあたって、次の点を指摘するにとどめておきたい。その問題点とは、2001年の『ICISS報告書』からの5年後には、これが世界サミット成果文書に明記され、「10年を経ずしてこれに関する集中的な国連総会審議が開催されるという異例のスピードを伴った展開」になったこと、そのことに関する松隈自身の見解や価値判断を何も明らかにせぬまま、「保護する責任」の「政治的な重要性については認めざるを得ない」としていることである。
つまり、カナダ政府の肝いりで、米国やフランス政府の支持をも取り付けながらまとめられ、しかも国連機関の報告書でも何でもない『ICISS報告書』が、なぜ5年後には世界サミット成果文書に明記されるにいたったのか、さらにその報告書をベースにしながら、二代にわたる国連事務総長の実権と影響力を介して、この概念をめぐる「集中審議」が国連総会において行われるようになったのか、その「異例のスピード」に関する分析や松隈自身の評価がまったく欠落しているのである。
その分析や評価を欠落させたまま、松隈は、「保護する責任」の「政治的な重要性」を「認めざるを得ない」という。しかし、そこには「保護する責任」の「政治的な重要性」を積極的に承認する松隈自身の政治的立場からこの論文が書かれていることを読者の目から隠蔽する作為がある。一般読者、学生が松隈論文を読んで受ける印象は、「保護する責任にはいろいろ問題はあるのかも知れないが、全体としては「政治的に重要」=肯定的に評価できる概念らしい」となるからである。
一事が万事であるが、このような「保護する責任」概念の日本のアカデミズム、そして日本社会への「輸入」のあり方自体を問わねばならない、と私は考えている(後述するが、前世紀末期からの「人間の安全保障」概念の日本への「輸入」のあり方についても、これとまったく同じことが指摘できる)。
「保護する責任」が「異例のスピード」によって国連政治の既定のディスコースとして定着化してしまったこと、そこにどのような〈政治〉が介在していたのかを批判的に分析することは、この概念の評価にとって不可欠の要素である。そして、そうしたクリティカルな眼を持ち、「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」を読み、そこから「世界サミット成果文書」を分析し、さらには『ICISS報告書』へと遡行してゆく作業が必要である。
しかし悪いことに、こうした作業を深めようとするのではなく、「保護する責任」を既定の方針として推進する国家や巨大なグローバル財団からの資金援助を受けて、これをNGOとして促進する欧米を拠点とする巨大人権NGOの動きもある(これについても後述する)。
新たなテーマとして私がこれを取りあげる理由は、こうした「保護する責任」をめぐる問題性について、少しでも情報と認識を共有し、それらを広げる必要性を痛感するようになったからである。すでにネット上でいくつかの日本語の論文も公開されているので、「保護する責任 人道的介入」と入力し、それらに目を通し、「保護する責任」に関する予備知識を深めていただきたい。
以下、最も基本的な情報を得るためのサイトをいくつか紹介しておくことにする。
参考資料及びサイト
・アナン元国連事務総長報告
「より大きな自由を求めて:すべての人のための開発、安全保障および人権」(2005)
・2005年サミット(国連首脳会合)成果文書(外務省)
・2005年 平和及び安全保障に関する協力のための日加計画
・『新たな地球規範と国連』(国連研究 第11号)
・INTERNATIONAL COALITION FOR THE RESPONSIBILITY TO PROTECT (ICRtoP)
・Report of the International Commission on Intervention and State Sovereignty
Ⅱ なぜ、「保護する責任」にNO!と言うのか
2008年のダボス会議。そこで「保護する責任:人間の安全保障と国際社会の行動」と題した非公開セッションが行われた。自公政権時代の福田元首相は、その冒頭挨拶で次のように語った。
「我が国は、「保護する責任」が問われるような紛争下の事態に対して、武力をもって介入することは国家の政策として行っておりません。これまで人道支援や復興支援に力を注いできた国であります」「私は、平和のために前線で活躍する人道・復興要員の安全確保の重要性を忘れてはならないと思います」。
日本という国が、「「保護する責任」が問われるような「紛争下の事態」に対して、武力をもって介入することは国家の政策として行って」いないという、この福田発言はとても重大である。
私は、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の第五章「憲法九条の死文化のメカニズム」の中で、日本政府がタテマエとしての「紛争解決における武力行使の否認」を、集団的自衛権の行使をめぐる政府見解の解釈変更と、自衛隊の武器使用の「規制緩和」の積み上げによって有名無実化してきた実態を明らかにしているが、今そのことは横に置いたとしても、ここでまず問われるべきは、
「日本が国の政策として行わない/行ってはならないと、まがりなりにもこの国の内閣総理大臣経験者が語ったことを、国連の政策としては行ってもよい/行うべき、とするのか?」
ということである。このことを「保護する責任」を肯定的に評価する国際法・国際政治・平和学専攻の研究者や、巨大な国際人権・開発NGOの日本支部の事務局や会員の人々は、一度真剣に考え、そこからこの概念に対する再評価を行うべきではないだろうか?
「保護する責任」は、「人道主義」を掲げながら、国連の名において新たな武力行使のための「規範」を導入する。それがために、「国民」を「保護」しない/できない「脆弱国家」に対する、カナダ、米国、フランス、イギリスなどの「人権軍事大国」による「最終的手段」としての「断固とした」軍事介入とレジーム・チェンジ(政権転覆)を正当化する概念ではないか、その意味でこれは「人道的帝国主義」の一形態ではないか、という国際的批判にさらされてきた。
なぜ、「保護する責任」が「人道的帝国主義」ではないか、と批判されてきたのか。その理由を順を追って考えてみたい。そうすればHuman Rights WatchやOxfamなど、国際的に名だたる人権・開発NGOが「保護する責任」の推進エージェントとなっていることの問題性も明らかになるはずである。
『人道的帝国主義』の著者、ジャン・ブリクモンは、ベルギーの理論物理学者で、日本ではアラン・ソーカルとの共著、『知の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店、2000)で知られている。
この書は、「そこまで言うか?」と私でさえ(?)ちょっと引いてしまうような言明(ステートメント)が随所にみられるが、だからこそ「人道的介入」論がはらむ問題点を端的に抉り出しているとも言える、国際政治学・国際法・国連学の研究者・学生、そして国際NGOにとって必読の書である。
なお、「保護する責任」を痛烈に批判する国連でのブリクモンの発言は、
A more just world and the responsibility to protect を、
また、チョムスキーのブリクモンの「人道的帝国主義」に関する評論は、
Humanitarian Imperialism: The New Doctrine of Imperial Right を参照してほしい。
A 最終的手段としての「断固とした集団的措置=武力行使」を容認する「保護する責任」
「保護する責任」は、それを「主権国家」が守らない場合には、最終的手段としての「断固とした集団的措置=武力行使」を容認する。
上にみた「第一の柱」たる「国家による保護の責任」と「第二の柱」たる「国際的な援助と能力構築」をもってしても、その国家が「保護する責任」を果そうとしない/果せない場合には、その国家を国連によって「主権」が守られるべき国家としては認めず、「内政不干渉」原則が適用されない例外国家として認識するという前提条件がそこでは設定されている。
この前提の上に立ち、「保護する責任」は「第三の柱」として、その国家に対する国連加盟国の連合軍による最終的な武力行使を容認する。ここにこの概念の最大の政治的な問題性がある。
ところが、「保護する責任」をプロモートする国家や国際NGOは、この事実を隠蔽しようとする。
たとえば、International Crisis Group代表のGareth Evansの次のような説明が、その一例だ。
1. Conceptual misunderstandings; it must be made clear that:
a. the term is not another name for humanitarian and military intervention;
b. R2P does not necessarily mean the use of coercive military force, even in extreme cases
1、概念的誤解。以下のことが明確にされねばならない。
a. 「保護する責任」は、人道的そして軍事的介入の別称ではない。
b. それは、極端なケースにおいてでさえ、強制的な軍事力の使用を必ずしも意味しない。
このギャレス・エバンスの「保護する責任」正当化論は、明らかにこの概念に関するエバンス自身の「概念的誤解」に基づいているか、そうでなければきわめて意図的で、悪質な詭弁である。
「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」をもう一度見てみよう。
「報告書」の「第三の柱 適切な時期と断固とした対応」=国連安保理決議に基づく軍事的及び非軍事的強制措置に関する記述は、私たちのような素人には、一読しただけではこの箇所が何を問題にしているのか、とても把握しにくい表現になっている。しかし、次のくだりを読むなら「保護する責任」が国連の名による新たな武力行使と不可分一体の概念であることが明白になる。
「急激に拡大する緊急の状態において、国際連合、地域、準地域、国家の意思決定者は、実態よりも手続を、また結果よりも過程を重んじる、任意の、連続したあるいは徐々に増加する政策の階層ではなく、「適切な時期に断固とした」行動を通じて生命を救うことに集中し続けなければならない(サミット成果文書第139項)」
これを短くすると、
「国際連合、地域、準地域、国家の意思決定者は・・・、「適切な時期に断固とした」行動を通じて生命を救うことに集中し続けなければならない」となる。
「生命を救う」「断固とした」行動とは、「保護する責任」を果たさない/果せない「主権国家」に対する軍事介入=武力行使のことだ。軍隊を持つ国家が「保護する責任」を果さず、その国家の犯罪から人々の「生命を救う」ためには、外部からの介入に対して軍を動員して抵抗しようとする国家(の軍隊)との戦闘行為=戦争が避けられない。
逆に言えば、そこまでを射程に入れた上で「第三の柱」の「戦略」を具体的に煮詰めてゆくのでなければ「第三の柱」は空論にとどまり、何らの実効性も担保できないことになる。
では、ある国家の軍隊との事実上の戦争状態を想定した上で、その国家に外部から介入し、目的を達成するためには何が必要になるか。国家犯罪を犯した政府の転覆→新政府の樹立である。つまり、「保護する責任」に国連としての軍事的強制措置を一体化させてしまえば、論理の必然的帰結として、それは政権転覆→「保護する責任を果す新政権の樹立」までを射程に入れた政治的な概念にならざるを得なくなる、ということだ。
過去の「保護する責任」をめぐる公的文書においては、「保護す責任」に基づく外部からの軍事的介入によって必然化される、このような「介入のリアリズム」は何も言及されていない。また、「保護する責任」をプロモートする論者も、この問題をいっさい語ろうとしない。そこに「保護する責任」と「保護する責任」推進論をめぐる〈問題〉がある。
先述したように、私は個々の国家は「保護する責任」が言う四つの国家的犯罪からその国の人々を守る国家としての責任を断固として果さねばならない、と考えている。しかし、「保護する責任」がその「戦略目標」を果そうとすればするほど、国家に対する最終的軍事介入-武力行使を通じて、個別国家vs.国連という構図の下での事実上の戦争と外部からの強制的なレジーム・チェンジを必然化させるが故に、「NO!」と言うのである。
この点をより明確にするために、「保護する責任」が登場した歴史的かつ国際法上の背景を次に簡単に押さえておこう。
B 国連の軍事的強制措置と国家の武力行使に新たな「規範」を導入することの愚かさとその危険
「保護する責任」が登場してきた歴史的かつ国際法上の背景を考えるにあたり、その前提として『国際法の暴力を超えて』(阿部浩己著、岩波書店)の内容を踏まえておきたい。
阿部自身の言葉によれば、この書は「国際法のもつ社会変革機能を最大化していく」という課題意識の下に、国際法が「規範や制度の拡充を通して、グローバル化が人類の定めであるかのような心象を世界大で広め」、さらには「人権法という、人間を解放するための言説までもが不均衡な政治経済構造の維持に資する役割を演じさせられている」ことを論じている。
国際的に「履行」段階に入ったとされる「保護する責任」という「規範」を検討する場合においても、阿部が言う「国際法の暴力」をいかにして超えるか?という視点を見失わないようにすることが肝腎である。
なお、阿部が理事長をつとめる「ヒューマンライツ・ナウ」の「テロと人権」に関する活動報告と「ICCにおける侵略犯罪の管轄権行使に関する見解~国際刑事裁判所検討会議にあたって~」も、ぜひ参照してほしい。『抗う思想/平和を創る力』も必読だ。
なお、リビアに対する武力攻撃後の事態を踏まえた、R2Pに関する発展的考察については、「〈リビア以後〉における「保護する責任」に関する発展的議論のために~北朝鮮における『人道に対する罪』を止める国際NGO連合」をめぐって」を参照して頂きたい。
「「保護する責任」(Responsibility to Protect)にNO!という責任」について考えてみたい。
『日米同盟と欺瞞、日米安保という虚構』を上梓したばかりで、一見、日米安保とは何の関係もなさそうに思えるこれをなぜ問題にするかに関しても、追々明らかにするつもりだ。国際政治や国際法、国連学や平和学に関心のある人もそうでない人も、ぜひ一緒に考えてもらいたい。
まず、「保護する責任」とは何かを簡単に説明しておこう。
Ⅰ 「保護する責任」とは何か
「保護する責任」とは、
1、「個別の国家が、ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪からその国の人々を保護する責任を負う」
2、国際社会は、個別の国家の「この責任の実行と、保護する能力の構築において、国家を支援する」責任を負う、
3、「国家が、これら具体的に記された四つの犯罪および違反から人々を保護することに、「あきらかに失敗している」場合には、国際社会が、安全保障理事会を通じて、また国際連合憲章に従って、「適切な時期に断固とした方法」によって、集団的な行動を取る」責任を負う、という三つの「責任」によって構成される概念である。(詳しくは「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」の内容を参照。)
この「報告書」に沿って言えば、「保護する責任」は、
・第一の柱 国家による保護の責任
・第二の柱 国際的な援助と能力構築
・第三の柱 適切な時期と断固とした対応(注・武力行使のこと)
を三つの「柱」とする、いわば国連体制の下で「国際の平和と安全」を「維持」するための新しい国際(法)的規範としてある。現在、国連においてはこの規範を現実の政策に移すための議論が行われている。つまり、「保護する責任」は、その理念をめぐる審議の段階は基本的に終了し、「履行」=実行段階に入ったものとして理解されているわけである。
では、なぜ武力行使を最終的手段とする「保護する責任」が重要なのか。「報告書」によれば、それは、
「20世紀はホロコースト、カンボジアのキリング・フィールド、ルワンダのジェノサイド、スレブレニッツァの大量殺戮などが汚点となった。これらのうち、ルワンダとスレブレニッツァについては、安全保障理会と国際連合の平和維持軍が監視する中で行われた。
ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪―20世紀の残酷な遺産は最も基本的かつ実行すべき責任に従って行動しなかった個別国家の重大な失敗と、国際的な制度の集団としての不十分さを、辛辣にまた鮮明に語る」からである。
私は、「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪」が「20世紀の残酷な遺産」であることに異論はない。またそれが、これらを引き起こした「個別国家の重大な失敗」に起因することもその通りだと考えている。
問題は、「報告書」が「国際的な制度の集団としての不十分さ」と言うときの「不十分さ」に関する認識にある。国際社会が国連安保理の決議の下で、集団的な武力行使に踏み切らなかったことが「残虐な遺産」を残してしまった原因なのだろうか。そうだとは思えない。また、最終的な手段としての武力行使が担保されれば、問題解決の道が開けるのだろうか。これもそうとは考えない。
「保護する責任」は、「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪」を国家が犯さず、これらから人々を「保護」する「責任」のみならず、それが守られない(と安保理が判断する)場合に、最後の手段としての〈武力行使を容認するパッケージとしての政策概念〉であるが故に重大な問題をはらんでいるのである。
「保護する責任」論が登場し、本格的に議論されてきたこの10年ほどの間に、これに異議を唱えた国際的議論を掘り起こし、日本においても「保護する責任」に異議を唱える責任について、もっと広範に議論されて然るべきだ。しかし、日本の国連研究、あるいは国際法研究などといった分野は、全体として、国連に対する批判精神を持たないきわめて現状追認・現状肯定主義的な傾向が強い。そのため、学者が書いた論文を読んだ結果、批判的精神を養うどころか逆に誤った認識を植えつけられ、影響を受けてしまうといったこともよくある話である。
その一例が『新たな地球規範と国連』の巻頭論文、「保護する責任と国連」と題された松隈潤(東京外国語大学 総合国際学研究院教授)の論文である。
松隈論文の問題点は多々あるが、さしあたりここでは「保護する責任」を一から考えるにあたって、次の点を指摘するにとどめておきたい。その問題点とは、2001年の『ICISS報告書』からの5年後には、これが世界サミット成果文書に明記され、「10年を経ずしてこれに関する集中的な国連総会審議が開催されるという異例のスピードを伴った展開」になったこと、そのことに関する松隈自身の見解や価値判断を何も明らかにせぬまま、「保護する責任」の「政治的な重要性については認めざるを得ない」としていることである。
つまり、カナダ政府の肝いりで、米国やフランス政府の支持をも取り付けながらまとめられ、しかも国連機関の報告書でも何でもない『ICISS報告書』が、なぜ5年後には世界サミット成果文書に明記されるにいたったのか、さらにその報告書をベースにしながら、二代にわたる国連事務総長の実権と影響力を介して、この概念をめぐる「集中審議」が国連総会において行われるようになったのか、その「異例のスピード」に関する分析や松隈自身の評価がまったく欠落しているのである。
その分析や評価を欠落させたまま、松隈は、「保護する責任」の「政治的な重要性」を「認めざるを得ない」という。しかし、そこには「保護する責任」の「政治的な重要性」を積極的に承認する松隈自身の政治的立場からこの論文が書かれていることを読者の目から隠蔽する作為がある。一般読者、学生が松隈論文を読んで受ける印象は、「保護する責任にはいろいろ問題はあるのかも知れないが、全体としては「政治的に重要」=肯定的に評価できる概念らしい」となるからである。
一事が万事であるが、このような「保護する責任」概念の日本のアカデミズム、そして日本社会への「輸入」のあり方自体を問わねばならない、と私は考えている(後述するが、前世紀末期からの「人間の安全保障」概念の日本への「輸入」のあり方についても、これとまったく同じことが指摘できる)。
「保護する責任」が「異例のスピード」によって国連政治の既定のディスコースとして定着化してしまったこと、そこにどのような〈政治〉が介在していたのかを批判的に分析することは、この概念の評価にとって不可欠の要素である。そして、そうしたクリティカルな眼を持ち、「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」を読み、そこから「世界サミット成果文書」を分析し、さらには『ICISS報告書』へと遡行してゆく作業が必要である。
しかし悪いことに、こうした作業を深めようとするのではなく、「保護する責任」を既定の方針として推進する国家や巨大なグローバル財団からの資金援助を受けて、これをNGOとして促進する欧米を拠点とする巨大人権NGOの動きもある(これについても後述する)。
新たなテーマとして私がこれを取りあげる理由は、こうした「保護する責任」をめぐる問題性について、少しでも情報と認識を共有し、それらを広げる必要性を痛感するようになったからである。すでにネット上でいくつかの日本語の論文も公開されているので、「保護する責任 人道的介入」と入力し、それらに目を通し、「保護する責任」に関する予備知識を深めていただきたい。
以下、最も基本的な情報を得るためのサイトをいくつか紹介しておくことにする。
参考資料及びサイト
・アナン元国連事務総長報告
「より大きな自由を求めて:すべての人のための開発、安全保障および人権」(2005)
・2005年サミット(国連首脳会合)成果文書(外務省)
・2005年 平和及び安全保障に関する協力のための日加計画
・『新たな地球規範と国連』(国連研究 第11号)
・INTERNATIONAL COALITION FOR THE RESPONSIBILITY TO PROTECT (ICRtoP)
・Report of the International Commission on Intervention and State Sovereignty
Ⅱ なぜ、「保護する責任」にNO!と言うのか
2008年のダボス会議。そこで「保護する責任:人間の安全保障と国際社会の行動」と題した非公開セッションが行われた。自公政権時代の福田元首相は、その冒頭挨拶で次のように語った。
「我が国は、「保護する責任」が問われるような紛争下の事態に対して、武力をもって介入することは国家の政策として行っておりません。これまで人道支援や復興支援に力を注いできた国であります」「私は、平和のために前線で活躍する人道・復興要員の安全確保の重要性を忘れてはならないと思います」。
日本という国が、「「保護する責任」が問われるような「紛争下の事態」に対して、武力をもって介入することは国家の政策として行って」いないという、この福田発言はとても重大である。
私は、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の第五章「憲法九条の死文化のメカニズム」の中で、日本政府がタテマエとしての「紛争解決における武力行使の否認」を、集団的自衛権の行使をめぐる政府見解の解釈変更と、自衛隊の武器使用の「規制緩和」の積み上げによって有名無実化してきた実態を明らかにしているが、今そのことは横に置いたとしても、ここでまず問われるべきは、
「日本が国の政策として行わない/行ってはならないと、まがりなりにもこの国の内閣総理大臣経験者が語ったことを、国連の政策としては行ってもよい/行うべき、とするのか?」
ということである。このことを「保護する責任」を肯定的に評価する国際法・国際政治・平和学専攻の研究者や、巨大な国際人権・開発NGOの日本支部の事務局や会員の人々は、一度真剣に考え、そこからこの概念に対する再評価を行うべきではないだろうか?
「保護する責任」は、「人道主義」を掲げながら、国連の名において新たな武力行使のための「規範」を導入する。それがために、「国民」を「保護」しない/できない「脆弱国家」に対する、カナダ、米国、フランス、イギリスなどの「人権軍事大国」による「最終的手段」としての「断固とした」軍事介入とレジーム・チェンジ(政権転覆)を正当化する概念ではないか、その意味でこれは「人道的帝国主義」の一形態ではないか、という国際的批判にさらされてきた。
なぜ、「保護する責任」が「人道的帝国主義」ではないか、と批判されてきたのか。その理由を順を追って考えてみたい。そうすればHuman Rights WatchやOxfamなど、国際的に名だたる人権・開発NGOが「保護する責任」の推進エージェントとなっていることの問題性も明らかになるはずである。
『人道的帝国主義』の著者、ジャン・ブリクモンは、ベルギーの理論物理学者で、日本ではアラン・ソーカルとの共著、『知の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店、2000)で知られている。
この書は、「そこまで言うか?」と私でさえ(?)ちょっと引いてしまうような言明(ステートメント)が随所にみられるが、だからこそ「人道的介入」論がはらむ問題点を端的に抉り出しているとも言える、国際政治学・国際法・国連学の研究者・学生、そして国際NGOにとって必読の書である。
なお、「保護する責任」を痛烈に批判する国連でのブリクモンの発言は、
A more just world and the responsibility to protect を、
また、チョムスキーのブリクモンの「人道的帝国主義」に関する評論は、
Humanitarian Imperialism: The New Doctrine of Imperial Right を参照してほしい。
A 最終的手段としての「断固とした集団的措置=武力行使」を容認する「保護する責任」
「保護する責任」は、それを「主権国家」が守らない場合には、最終的手段としての「断固とした集団的措置=武力行使」を容認する。
上にみた「第一の柱」たる「国家による保護の責任」と「第二の柱」たる「国際的な援助と能力構築」をもってしても、その国家が「保護する責任」を果そうとしない/果せない場合には、その国家を国連によって「主権」が守られるべき国家としては認めず、「内政不干渉」原則が適用されない例外国家として認識するという前提条件がそこでは設定されている。
この前提の上に立ち、「保護する責任」は「第三の柱」として、その国家に対する国連加盟国の連合軍による最終的な武力行使を容認する。ここにこの概念の最大の政治的な問題性がある。
ところが、「保護する責任」をプロモートする国家や国際NGOは、この事実を隠蔽しようとする。
たとえば、International Crisis Group代表のGareth Evansの次のような説明が、その一例だ。
1. Conceptual misunderstandings; it must be made clear that:
a. the term is not another name for humanitarian and military intervention;
b. R2P does not necessarily mean the use of coercive military force, even in extreme cases
1、概念的誤解。以下のことが明確にされねばならない。
a. 「保護する責任」は、人道的そして軍事的介入の別称ではない。
b. それは、極端なケースにおいてでさえ、強制的な軍事力の使用を必ずしも意味しない。
このギャレス・エバンスの「保護する責任」正当化論は、明らかにこの概念に関するエバンス自身の「概念的誤解」に基づいているか、そうでなければきわめて意図的で、悪質な詭弁である。
「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」をもう一度見てみよう。
「報告書」の「第三の柱 適切な時期と断固とした対応」=国連安保理決議に基づく軍事的及び非軍事的強制措置に関する記述は、私たちのような素人には、一読しただけではこの箇所が何を問題にしているのか、とても把握しにくい表現になっている。しかし、次のくだりを読むなら「保護する責任」が国連の名による新たな武力行使と不可分一体の概念であることが明白になる。
「急激に拡大する緊急の状態において、国際連合、地域、準地域、国家の意思決定者は、実態よりも手続を、また結果よりも過程を重んじる、任意の、連続したあるいは徐々に増加する政策の階層ではなく、「適切な時期に断固とした」行動を通じて生命を救うことに集中し続けなければならない(サミット成果文書第139項)」
これを短くすると、
「国際連合、地域、準地域、国家の意思決定者は・・・、「適切な時期に断固とした」行動を通じて生命を救うことに集中し続けなければならない」となる。
「生命を救う」「断固とした」行動とは、「保護する責任」を果たさない/果せない「主権国家」に対する軍事介入=武力行使のことだ。軍隊を持つ国家が「保護する責任」を果さず、その国家の犯罪から人々の「生命を救う」ためには、外部からの介入に対して軍を動員して抵抗しようとする国家(の軍隊)との戦闘行為=戦争が避けられない。
逆に言えば、そこまでを射程に入れた上で「第三の柱」の「戦略」を具体的に煮詰めてゆくのでなければ「第三の柱」は空論にとどまり、何らの実効性も担保できないことになる。
では、ある国家の軍隊との事実上の戦争状態を想定した上で、その国家に外部から介入し、目的を達成するためには何が必要になるか。国家犯罪を犯した政府の転覆→新政府の樹立である。つまり、「保護する責任」に国連としての軍事的強制措置を一体化させてしまえば、論理の必然的帰結として、それは政権転覆→「保護する責任を果す新政権の樹立」までを射程に入れた政治的な概念にならざるを得なくなる、ということだ。
過去の「保護する責任」をめぐる公的文書においては、「保護す責任」に基づく外部からの軍事的介入によって必然化される、このような「介入のリアリズム」は何も言及されていない。また、「保護する責任」をプロモートする論者も、この問題をいっさい語ろうとしない。そこに「保護する責任」と「保護する責任」推進論をめぐる〈問題〉がある。
先述したように、私は個々の国家は「保護する責任」が言う四つの国家的犯罪からその国の人々を守る国家としての責任を断固として果さねばならない、と考えている。しかし、「保護する責任」がその「戦略目標」を果そうとすればするほど、国家に対する最終的軍事介入-武力行使を通じて、個別国家vs.国連という構図の下での事実上の戦争と外部からの強制的なレジーム・チェンジを必然化させるが故に、「NO!」と言うのである。
この点をより明確にするために、「保護する責任」が登場した歴史的かつ国際法上の背景を次に簡単に押さえておこう。
B 国連の軍事的強制措置と国家の武力行使に新たな「規範」を導入することの愚かさとその危険
「保護する責任」が登場してきた歴史的かつ国際法上の背景を考えるにあたり、その前提として『国際法の暴力を超えて』(阿部浩己著、岩波書店)の内容を踏まえておきたい。
阿部自身の言葉によれば、この書は「国際法のもつ社会変革機能を最大化していく」という課題意識の下に、国際法が「規範や制度の拡充を通して、グローバル化が人類の定めであるかのような心象を世界大で広め」、さらには「人権法という、人間を解放するための言説までもが不均衡な政治経済構造の維持に資する役割を演じさせられている」ことを論じている。
国際的に「履行」段階に入ったとされる「保護する責任」という「規範」を検討する場合においても、阿部が言う「国際法の暴力」をいかにして超えるか?という視点を見失わないようにすることが肝腎である。
なお、阿部が理事長をつとめる「ヒューマンライツ・ナウ」の「テロと人権」に関する活動報告と「ICCにおける侵略犯罪の管轄権行使に関する見解~国際刑事裁判所検討会議にあたって~」も、ぜひ参照してほしい。『抗う思想/平和を創る力』も必読だ。
なお、リビアに対する武力攻撃後の事態を踏まえた、R2Pに関する発展的考察については、「〈リビア以後〉における「保護する責任」に関する発展的議論のために~北朝鮮における『人道に対する罪』を止める国際NGO連合」をめぐって」を参照して頂きたい。
2010年10月24日日曜日
『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』のご案内
「安保は軍事同盟ではない」。これが日本政府の公式見解だ。だとしたら、「日米同盟」の法的根拠とは何か。あるいはその逆に、安保が軍事同盟であるなら安保条約のどこにその根拠を見出しうるのか。また、かつて吉田茂は旧安保条約を米軍の「駐兵条約」と言ったが、ではそれを改定した現安保条約は在日米軍の無期限駐留を米国に保障した条約という以上の、何か具体的な軍事的意味を持つものなのか。
岸信介は条約改定によって米国が「対日防衛義務」を負い、それによって安保は日本の「平和と安全」を「保障」する条約になったと語った。しかし、吉田茂もまたそれと同じことを語り、旧条約の国会「承認」を強行したのである。
安保条約第五条一項。この条項はこれまで日米の「共同作戦」を規定した条項だと解釈されてきた。本書はそのような解釈に真っ向から挑戦する。北大西洋条約を始めとした軍事同盟条約と安保条約の条文の一字一句をつぶさに対照しながら、本書は安保条約が結局のところ「改定された駐兵条約」であり、1970年代末期に登場した日米同盟論が、「在日米軍の無期限駐留のための安保条約の無期限延長」を正当化するために捏造された、条約上の根拠なき政治宣言に過ぎないことを明らかにする。
その意味で本書は、安保を「冷戦の産物」と捉え、軍事同盟規定した旧社会党や共産党の安保=対米従属論、さらには「60年安保」後の護憲運動が「九条を守る」ことを第一義に置き、安保問題を後景化させてきたことなどをも批判的検討の俎上にのせている。「日米同盟という欺瞞」を暴き、「日米安保という虚構」の物語を解体し、在日米軍の無期限駐留を阻むためには避けて通ることができない課題としてそれはある。
読者の忌憚無き批判を仰ぎたい。
[本書の構成]
第一章 日米同盟という欺瞞
第二章 日米安保という虚構(Ⅰ)――日米「共同防衛」の幻影
第三章 日米安保という虚構(Ⅱ)――安保=日米軍事同盟論をめぐって
第四章 憲法九条の死文化と日米安保――国家の自衛権をめぐって
第五章 憲法九条の死文化のメカニズム――「普通の国家」と霞ヶ関イリュージョン
第六章 国連憲章第五一条と「戦争と平和の同在性」
終章 日米同盟を再考し、日米安保に期限をつけるために
目次の詳細はhttp://nakano-kenji.net/book/2010.mokujiを、
「まえがき」はhttp://nakano-kenji.net/book/2010.maegakiを、
「あとがき」はhttp://nakano-kenji.net/book/2010.atogakiをご覧ください。
『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』のための、著者自身による広告
天木直人さんが、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』を読んだそうだ、と教えてくれた人がいる。
昨日(12/4)付の氏の「メルマガ」で、今日の「テレ朝サンデーフロントライン」に出演の後、
「なおついでにご報告させていただきますと、新幹線が遅れたおかげで車中で『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』(中野憲志著 新評論)という本を読了しました。今までにめぐり会った事のないほど共感を覚えた本でした。その読後感は機会を改めて私のメールマガジンでお伝えします」と書かれていたそうである。
私は評論家でも作家でもないが、どのような人であれ、自分が書いた本を「今までにめぐり会った事のないほど共感を覚えた本」と評されることほど、嬉しい言葉はないのではないだろうか。それを自分より一世代上の、外交・安保問題を専門とする人から言われたことを、私は素直に喜びたいと思う。私は天木氏のメールマガジンの読者ではないが、氏が拙著の批評を公表されるのを心待ちにしたいと思う。
天木氏から、これ以上にないと思える賛辞をいただいたと知って、はたと気づいたのは、10月にほぼ一年ぶりでこのブログを再開してから、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』に関する自分自身の文章をひとつも書いていないことだった。
そう思ってこのページを立ち上げることにしたのだが、昨日「百年を歌う」に参加し、中山千夏さんの八丈島の民謡、アイヌの昔話と絵本『となりのイカン』の朗読やパギやん(趙博)との掛け合い、大熊ワタルとジンタらムータ、板橋文夫トリオ、朴根鐘とユッケジャン・バンド、寿[kotobuki]の歌と演奏を聴いた興奮、そしてその後に考えさせられたことから、未だ自分の思考が自由になっていない。頭の風通しがよくなるのを、もう少し待ってみたい。
それともう一人、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の広報をしていただいた人がいる。前田朗さんだ。しかも前田さんには、一昨日、『平和力養成講座 非国民が贈る希望のインタビュー』を贈呈していただいた。ここに紹介し、氏への謝辞に代えたい。
一冊の本が本として、とりわけ私のような者のそれが社会的に成立する、つまり本が売れない時代の、ネット消費社会の中で、売れそうもない作者による売れそうもないテーマの本が世に出て生き延びてゆくためには、出版を勧めていただいた新評論の人々はもとより、さまざまな人々の力添えぬきにはありえない、と今更のように思う。このブログの読者の中にも、力添えをしてくださっている人々がいることを私は知っている。改めて感謝を申し上げる次第である。
12/5/2010
天木直人さんの『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の書評
天木直人さんがご自身のメルマガで、四回にわたり『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の書評を連載されていたようだ。感謝。
有料のメルマガということだけれど、関心がある人はこちらからどうぞ。2010年12月9日(第1回)から同12日(第4回)まで。
著者割引のご案内
・本ブログをご覧頂いた方に定価3045円(税込)のところ、著者割引一冊2700円(送料無料)、二冊以上は定価の二割引+送料一律300円にてお頒けします。著者割引は書店ではお取り扱いできません。
・購入ご希望の方は①お名前、②郵便番号・ご住所・電話番号、③購入冊数、④「日米同盟著者割引希望」をご明記の上、yamada@shinhyoron.co.jp(新評論、担当山田)までお申し込み下さい。
・ご送本時に郵便振替用紙を同封致しますので到着次第ご入金をお願いします。
2010年10月4日月曜日
『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』
『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』が10月25日、新評論から配本されることが決まりました。
これに伴い、『永遠の安保、テロルな平和』は本ブログから削除することになりました。
ほぼ一年ぶりの更新となりましたが、これからも掲載情報を精選し、ブログを継続していきますので、どうかよろしくお願い致します。
「NGOと社会」(全7号)は、こちらでご覧下さい。
これに伴い、『永遠の安保、テロルな平和』は本ブログから削除することになりました。
ほぼ一年ぶりの更新となりましたが、これからも掲載情報を精選し、ブログを継続していきますので、どうかよろしくお願い致します。
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