2010年11月2日火曜日

続・大学を解体せよ--人間の未来を奪われないために

続・大学を解体せよ--人間の未来を奪われないために

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 三年前に『大学を解体せよ』(現代書館)を出版した。この本にも関連する、とても気になる新聞報道が昨日、今日(2010年11月1日、2日)と二つあった。いずれも朝日新聞の記事である。
 一つは、国立大学協会(会長=浜田純一・東大総長)が、11月1日、高知市内で総会を開き、2011年度の予算編成で削減のおそれがある運営費交付金などを確保するよう、政府に要望する決議をまとめたことだ。

 運営費交付金は、国立大学の予算の半分以上を占める大学がほとんどで、しかも近年金額が減少傾向にある。医学部や理工系大学院のない大学は、とくに厳しい財政状況に直面している。来年度の予算編成では、1兆円超の特別枠を各省庁が競うため、さらに減額される可能性がある、ということで国立大学の経営陣が危機感を強めたのだ。朝日新聞によれば、国大協の決議には予算削減によって「我が国の高等教育・研究の基盤は根底から崩壊する」「国際的な競争力を失わせ、国力を衰微させていく」などと書かれているという。

 もう一つは、今日付けの記事、「国立研究機関構想に蓮舫氏「焼け太り」 文科省を批判」である。
 朝日新聞によると、「研究開発の独立行政法人(独法)を統合する「国立研究開発機関」構想に、蓮舫行政刷新相が「待った」をかけている」という。

 なぜか? この「構想」が「省庁の縦割りを廃し、効率的な研究を可能にすることを理由に文部科学省などが検討している」からであるが、「独法の人員や予算などを見直す基準を策定中の行政刷新会議はこれを「文科省の焼け太り作戦だ」と反発している」のである。

 「国立研究開発機関構想」とは、「理化学研究所や宇宙航空研究開発機構など38法人を再編し、新組織へ移行させるというもの」。「関係する9府省の副大臣らでつくる「研究開発に関する検討チーム」が4月に策定した中間報告に盛り込まれた。海江田万里・科学技術政策相も設置法案を来年の通常国会に提出する考えを示している」。

 周知のように、行政刷新会議は、4月と5月に研究開発関連の独法などを対象とした「事業仕分け第2弾」を実施した。そして、「年度内に独法全体の体制を見直す基準を策定する予定」になっている。だから同会議関係者は、上の「構想」が「独法改革のプロセスを無視している」と批判しているのである。
 なぜか? 「研究開発に関する検討チーム」が策定した「中間報告」が「資金の繰り越しなど予算執行を柔軟にする」としたことについて、「38法人の業務内容や人件費の総額を減らす指摘もなく、青天井の予算獲得を狙っているのではないか」と行政刷新会議は警戒しているのである。

 朝日新聞は、10月24日に首相公邸であった閣僚勉強会の席上、蓮舫氏が「科学技術予算の効率的な戦略が必要だ。文科省ではなく、総理を長とした内閣で予算編成を行うべきだ」と提案し、「文科省主導の流れを牽制」したことを伝えている。そして、2日夕に開かれた検討チームの会合に、「仕分け人でもある寺田学首相補佐官を送り込み、設置法案の提出阻止を狙っている」という。

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 まず、前者の問題、国立大学の運営費交付金の増額問題について言えば、これを増額したところで今の日本の大学、もっと言えば大学を頂点とする教育制度がかかえる問題群の何らの解決にもつながらない。
 にもかかわらず、国立大学の経営陣が、増額しなければ「我が国の高等教育・研究の基盤は根底から崩壊する」「国際的な競争力を失わせ、国力を衰微させていく」などという論理をもってそれを正当化していることが、問題の本質を見えなくさせているのである。

 また、後者の問題については、「構想」が「独法改革のプロセスを無視している」という分析や「構想」に対する批判は正しい。しかし、蓮舫氏の敗北は目に見えている。民主党には「総理を長とした内閣で予算編成を行う」能力も度量もないからだ。
 民主党によるこの一年間の政権運営をみてはっきりしたことは、「官僚主導から政治主導へ」をスローガンにしてきた民主党は、官僚機構のサボタージュ・巻き返しによって、再び自公政権時と変わらぬ「官僚主導」の政権運営に舞い戻ってしまったことである。
 その根拠はとても単純なことで、もしも民主党が「総理を長とした内閣で予算編成を行う」ことを本気で追求するのであれば、財務省の抜本的構造・機構改革を含む、現官僚機構に与えている法的権限を法改正を通じて解体するのでなければ不可能であり、民主党はそこまで踏み込むことを放棄してしまったからである。

 国立大学の運営費交付金問題、また日本の科学技術政策と大学制度との関係の問題は、先にも述べたように『大学を解体せよ』(現代書館)のメインテーマだったと言ってよい問題である。『大学を解体せよ』は、文部科学省の支配/統治からの自治と自律を戦略的に思考しない日本の大学経営・運営のあり方やその制度的欠陥を、大学教育「サーヴィス」に税金を払っている納税者、子どもを大学に進学させている「保護者」、つまりは「消費者」の視点から考えようとするものだった。けれども、出版から四年近くを経て、事態はさらに悪化しているようにみえる。

 ところで、拙著の中で予想した通り『大学を解体せよ』は大学研究者・教育者の中で黙殺されてきた。この書を評価していただいたのは、『週刊読書人」(2007年4月27日号)に「画期的な大学論--「自律的な社会の構築」に向けて」を書いていただいた桑田禮彰さんほか、ごく限られた人々しかいない。また最近、とある大学の法学部の教授から、拙著を評価する手紙をいただいたが、現在の日本のアカデミズムの世界では大学の「制度改革」さえ死語と化し、大学のみならずそれを支える大学人もサバイバル・ゲームにやっきになっている観がある。

 私自身、大学を職場とする友人・知人が多い。だから、「大学解体」を主張することは、決して心地よいことではない。しかし、いったいどのようにすれば、現代教育の歪みと矛盾の象徴たる既存の大学制度を解体することができるのか・・・。これを構想することは、戦後の官僚制国家日本からの「市民社会」の自律(オートノミー)を考える上でも、避けて通ることのできない重大問題である。
 未だに旧帝大七大学と旧国立「一期」大学、そして早慶をはじめとする一部私立大学を中軸に改革さえ放棄した再編成が進行する大学制度を放置して、国立大学への血税の配分を今より大きくしたところで、これまでがそうであったように、その恩恵を受けるのはごく一部の偏差値上位大学のみである。

参考サイト 
・「運営費交付金から見る国立大学ランキング」(国立大学職員日記より)
・国公私立大学を通じた大学教育改革の支援

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自治なき大学は自壊する 

 はるか昔、私が都内のとある国立大学の学生だった頃、とても驚いたことがある。それは一言で言えば、国立大学はもとより、日本の大学にはおよそ「自治」や「学問の自由 アカデミック・フリーダム」など存在しない、ということだった。
 国立大学は、当時の文部省という行政組織の「延長」組織として位置付けられ、学部学科新設・学生定員・施設建設など、大学運営の根幹に関わるすべてのことが文部省「大学局」の「指導」を仰がなければ何も決定できなかったからである。逆に、文部省が大学運営上の「方針」として決定したことを、大学の教授会で覆すなどということは、ありえないことと考えられていた。

 このことは、国立大学の総長・学長以下、教授・助教授・講師などの教員や職員は国家公務員(公立大学は地方公務員)と事実上、同じであるということを意味し、事実、私が学生証を持っていた大学の教授たちも--今と比較すれば、「自由度」はかなりあったとは思うが--そのような意識を持っていた。日本の学者の多くから「インテリゲンチャ」と言うよりは、公務員・サラリーマンと言った印象を受けるのも、ここに原因があるのではないかと私は考えていたほどである。
 私立大学の教員・職員の場合は、学校法人という組織を媒介して政府・文部省との関係性が規定されることになるが、学校法人が文部省の管轄下に置かれ、その「指導」の下で運営されていたのであるから、間接的な形態にはなるが、自治など存在しないことは国公立大学と同様である。

 もちろんタテマエとしては、大学には「自治」があり、「学問の自由」も「保障」されている、ということになっていた。しかし、予算をはじめとする大学運営に関して文部省に最終的な「承認」を得る/文部省が最終的な「決定権」を握っている、という状況において、タテマエとしての「大学の自治」など見かけ倒しもはなはだしい。 言うまでもなく、そんな日本の大学に「学生の自治」などあろうはずもない。〈私たち〉はいったい何をやっていたのだろう?、と今更ながらに「忸怩たる思い」がする。

 ともあれ〈私たち〉は、ある研究棟の新設問題に端を発した問題を通して、こうした「国立大学」とその教授たちの意識のあり方の実態を知ることになるのだが、当時も今も、この構造は何も変わっていない。いや、大学人自身が何も変えようとしてこなかった結果が、六年前の国立大学の「法人化」以降に噴出してきた、この間の「大学問題」と言われているものとして現象しているに過ぎないのである。
 だから、国立大学の「法人化」とその前後に行われた公立大学の再編・統合・「法人化」、さらには私立大学の「制度改革」から5年、6年を経た今日、大学関係者はこの間の「法人化」とそれと平行して行われた「制度改革」とは何だったのか、その総括を学生・「保護者」・納税者の前にまず明らかにすることが先決ではないか、と私自身は考えている。

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 私は、大学の財政事情がどこも「火の車」であることを知っているし、一般論としては、知人の中にもその唱道者がいる「大学教育の無償化」論に反対しない。しかし、大学とは何の関係もない市民一般、納税者の観点から言えば、現行の大学制度を温存させたまま、一握りの偏差値上位大学に血税の配当を増額させたところで、先述したように今日の日本の大学制度が抱え込んでしまった「病」が改善する展望は見えてこない。

 おそらく、その「展望」は、近視眼的に、「さしあたっての大学の財政危機をどう打開するか」といった「策」を練ることからは開けてこないだろう。「大学の危機」が、旧文部省から文科省へと継承された六〇有余年にわたる「戦後教育」と一体となった「大学行政」なるものの必然的帰結であってみれば、その「戦後教育」と「大学行政」の矛盾がどこにあったのかを解明し、今後数十年をかけてそこからの転換めぐる社会的な認識の共有をはかるという遠大な作業が不可欠であるからだ。

 その長期にわたる作業の中では、現代日本の社会的実情にマッチしない、いま私たちが「大学」と呼んでいる社会的組織体の再定義、またその機構的あり方や機能の解体的再構築をめぐる議論が欠かすことのできないアジェンダとなるはずである。国立大学協会の「提言」や「国立研究開発機関構想」がそうした「議論」を一般市民に何も提起するものになっていないことが問題なのである。

 第一の「アジェンダ」として設定されるべきは、政府-文部科学省が設定する国家戦略(国策)からの大学研究と教育と〈自律化〉である。
 私は『大学を解体せよ』の中で、橋本行政改革⇒「中央省庁改革」を通じ、旧科学技術庁と旧文部省が統合しできあがった文科省による「科学技術」偏重主義と、それと一体化した大学「研究」への「能力主義・効率主義」を導入した大学行政、さらにその「司令塔」たる内閣府に設置された総合科学技術会議がとりまとめる、5年サイクルの「科学技術基本計画」に沿った「大学再編」の実態を分析した。

 そこでのキーワードこそ、日本の経済戦略を大学教育・研究が積極的に担い、促進するための「産官学連携」と「知的財産」(の開発と蓄積)、そしてそれを可能にするための国公立大学の「法人化」と私大「改革」であった。表現をかえると、
①「科学」が「科学技術」と等値され、その「科学技術」がさらに「産業技術」に等値され、
②「大学の社会貢献」の名の下に、「産官学連携」による「産業技術」の「研究開発」と「国際競争力に打ち勝つ日本経済の再生」に貢献する「人材」の形成を通じた、
③〈大学の自己資金の拡大〉が大学(院)研究と教育の基本理念とされるにいたったのだ。

 私のようなまったくの素人の目にも、こうした政府の大学政策の一大転換がもたらす矛盾は明らかに思えた。しかし調べてみて分かったことは、大学研究者内部からこの問題を真正面に据えて分析し、批判的に論じた文献が一つとして見当たらない、ということだった。
 「国立大学協会」を始めとする大学関係者は、まずこの「路線」が、
①人文教育・研究の破壊と学部教育の空洞化、
②国家行政からの大学の自律性の一層の弱体化をもたらし、
③〈大学運営における行政に対する依存性と従属性をさらに強める〉という、最悪の結果を招いたことを真剣に総括すべきではないだろうか。

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 総合科学技術会議とは、経済財政諮問会議と同様に、内閣府設置法(1999年)の第 18 条によって設置されたものだ。その「所掌事務」と組織形態を同法(第 26 条から第 36 条)が規定しているが、その役割とは「科学技術基本計画」の策定と、これに関連する「省庁間の調整」ということになっている。国立大学の「法人化」を強行した小泉(自公)政権は、この総合科学技術会議-文科省体制によって戦後大学制度の最後的解体に乗り出したのである。

 「小泉革命」によって戦後日本の大学制度は最後的に解体=死んだ。「脳死」したのにまだ身体(機構)は「生きている」と「大学」という名前をかたり、大学ボッタクリシステムを温存させ、血税と「国民」の所得を貪っている。国立大学を始めとした大学経営者たちは、そんな死んだ大学の延命と自己保身にヤッキとなり、さらに血税を貪り尽くそうというのだから、それならばいっそのこと擬制の大学システム全体を文字通り創造的かつ社会的に解体したほうが、よほど「公共の利益」になるではないか。そうして出来上がったのが、『大学を解体せよ』だったのである。

 問題の根源は、「戦略的先端科学技術」フィールド中心主義・人文フィールド解体主義の「小泉大学革命」路線が、総合科学技術会議を「司令塔」としながらも、国策としての科学技術政策の遂行においては文部科学省を筆頭に、官僚機構総体に多大の権限と役割を付与したまま、官製版大学解体策に乗り出してしまったことにある。

 『大学を解体せよ』の中でも指摘した通り、文科省設置法第4条は、「科学技術に関する基本的な政策の企画および立案並びに推進に関すること」、「科学技術に関する研究および開発に関する計画の作成および推進」、「科学技術に関する関係行政機関の事務の調整に関すること」を同省の「所掌事務」として規定している。
 また、同省内に設置された「科学技術・学術審議会」の「所掌事務」は、「科学技術の総合的な振興に関する重要事項」の調査審議となっており、これでは内閣府に設置された「司令塔」としての総合科学技術会議は、内閣府付きの文部官僚・科学技術政策部門の統括官が、同省の省益と戦略に基づいて巧みに操作できることになる。
 さらに、日本には総合科学技術会議とは別に、日本学術会議という御用「学術」組織も存在し、ここにも血税が流用されるシステムになっている。つまり、
1、総合科学技術会議、
2、日本学術会議、
3、科学技術庁時代の「所掌事務」を丸ごと抱え込み、旧文部省と合体した文部科学省、さらには、
4、独自にそれぞれの「研究開発」を行うその他省庁、最後に、
5、文科省を筆頭とする省庁の直接的な延長組織としての独立行政法人系「研究機関」といったように、
「科学技術の魑魅魍魎」が犇く「知の伏魔殿」ともいうべき構造が、日本の官僚機構とその延長組織を支配しているのである。日本の大学制度とは、まさにその「構造」の行政的延長制度なのだ。

 では、こうした「科学技術の魑魅魍魎」が犇く「知の伏魔殿」、国家行政機構からの大学の自立性/自律性を少しでも確保するためには、何をどうすればよいのか?
 その中心に据えられるべきは、総合科学技術会議の解体・改組、そして文科省の「所掌事務」の抜本的再検討⇒文科省の「聖域なき構造改革」⇒解体的行財政改革、そして「省庁縦割り」の「科学技術研究」の全面的「事業仕分け」である。大学人が、

1、そのための「戦略」を練り、「戦略」に基づく「提言」を「市民社会」=納税者に提示し、
2、「提言」を実現すべく、大学人自らが活動家となって運動を展開しつつ、その一方で、
3、官僚機構⇒大学(理事会・事務局)⇒独立行政法人系研究機構の「持続可能な循環型天下りシステム」を解体し、
4、総長・学長・理事以下の教職員が、既得権防衛主義の自己保身を排し、学生と「保護者」第一主義に則り、公務員労働者が直面している以上の給与カットと特権の廃絶に踏み込む意思があるなら、
①学費値上げをすることも、
②増税をすることもなく、
③「大学教育の無償化」さえ実現し、さらには
④今よりはるかにまっとうな大学経営と運営がまちがいなくできるはずである。
 大学人自身による、これらを実現するための「議論」とその公開こそが、今、求められている。

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米国の軍産学複合体と日本の産官学連携

 最初に、『大学を解体せよ--人間の未来を奪われないために』の目次を紹介しておこう。

はじめに――大学のない社会を構想する力
子どもを自立させない社会、社会を自立させない国家/浄化と隔離、セーフティネットの教育学/子どもも社会も自立させない知識偏重教育

Ⅰ 知識社会と大学

第一章 知識社会の教育社会学 
大学の不経済学/知識社会のサバイバル/大学教育の過剰投資/社会的コスト回避の思想
第二章 大学革命?
It’s a revolution, baby!/大学のサービス産業化/国家戦略を担う大学
第三章 先端産業技術と大学
小泉革命と大学革命/文部科学省って何?/総合科学技術会議って何?/総合科学技術会議の政治学

Ⅱ グローバリゼーションと大学

第四章 大学の国際戦略
進出、それとも侵略?/海外拠点・留学生・eラーニング――戦略的頭脳流入のためのグローバル戦略/大学植民地主義
第五章 世界貿易機関(WTO)と大学自由化
国境を越える大学――トランスバーシティ(transversity)の時代/IMF‐WTO体制――GATSと教育自由化交渉
第六章 大学資本論
帝国主義としての大学/『科学革命と大学』/大学の魂と資本の魂

Ⅲ 大学を社会に解体する

第七章 大学解体要綱
大学解体のためのシナリオ  
一、バベルの塔を象牙の塔に
二、研究と教育の分離、そして教育の社会化
三、カリキュラムとシラバスのオープンソース化
四、大学教育と教授の質とは何か
五、大学知を社会に還す

エピローグ――ヒューマノイドは着歌の「君が代」を斉唱するか
ロボット科学と対テロ戦争/ロボット倫理と大学倫理
おわりに
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 目次を一瞥して理解してもらえるように、要するにこの書は、例えば今夏出版された『アカデミック・キャピタリズムを超えて―アメリカの大学と科学研究の現在』(上山隆大著、エヌティティ出版)のような書の対極に位置するところから「法人化」の二年後に書かれ、三年前に出版された本である。

 東大教授、植田和男(経済学)によれば、上山の書は「自然科学分野を中心に」「強い米国経済、政治外交の源」たる「米国の大学の底力」、「強さの秘密」を解明するものであるらしい。そして、「カーネギーやロックフェラーだったり、政府の軍事研究資金、また、最近では多様な私企業からの寄付」を受け、「発見者が自らの貢献を明らかにするために特許を取ることが増えた。それにつれて、研究成果が有用なものであるほど莫大(ばくだい)な富を発見者にもたらし、公的な支援をも受けている大学のあり方として適切かどうかが問われている」、その米国の大学の現状に問題ありとするかのような振りをしながら、結局は「よし」とし、しかもその「将来に楽観的」であるらしい。

 植田はそんな書を「良書」だと批評する。そして米国の大学に比して、「政府からの資金に厚く守られてきて、急に外部資金も自己調達するようにと宣言され、あたふたしている日本の大学との差にはため息が出るばかりである」と言う。これが、日本の大学で最も「政府からの資金に厚く守られてき」た東京旧帝国大学の教授、今「あたふたしている」大学教授の「知」の現実であるらしい。「ため息」をつかねばならないのは、いったい誰なのか?

 一方、読売新聞の書評欄に掲載された科学哲学者の野家啓一の批評は、能天気な植田の批評とは一線を画している。野家の批評のタイトルが、「進む「大学の商業化」」になっていること、またその結語を「研究資金の確保のみならず、「新たな知識生産への刺激」を受けるためにも社会全体に広くパトロンを求めることを提言」する上山の書を、「大学改革のあり方に一石を投じる問題提起の書」という表現で締め括っていることにも明らかなように、その評価は抑制的である。

 『大学を解体せよ』のテーマとの関連において、上の書評からうかがえる産官学連携・知財開発-特許化推進のエージェント、上山の本の問題点を考えてみよう。

 まず、米国の大学の「産官学連携」ならぬ「軍産学複合体」の現実を知るためには、私が『大学を解体せよ』を出版した年の夏、米国で出版されたヘンリー・ジルーのThe University in Chains: Confronting the Military-Industrial-Academic Complex (『鎖につながれた大学--軍産学複合体に抗して』)を読むべきである。この書のバックグラウンドを理解するために、Military-Industrial Complex や The New Military Industrial Congress Complex もお薦めである。

 ネット上で公開されている、あまたの上山の書の書評を読む限り、上山は、大学研究・教育に携わる者として、戦後米国の「自然科学分野」の大学(院)研究が、文字通り、軍産複合体増殖の「知の供給源」としてMilitary-Industrial-Academic Complexを形成し、発展してきたことの問題性を捉えきれていない、と言わざるをえない。上山の書を肯定的に評価する者たちも同様である。野家の批評が幾分抑制的であるのは、そこに関係があるのだろう。

 上山は、税金と「受益者」負担に依存する日本の大学の「資金」構造をいかに変革するか、つまり、大学と大学研究者(研究室)の「自己資金」=利益=儲けを得るルートをいかに多様化し、拡大するのかという課題意識の下で、シリコンバレーなどの米国のMilitary-Industrial-Academic Complexの「フィールドワーク」を行う。
 そして、トランスナショナル企業や巨大財団はもちろん、ペンタゴンやグローバル軍事産業からの委託研究、共同研究、寄付であったとしても、そのようにして獲得された米国の主要大学の「自己資金」構造の「多様性」の中に米国の大学の「強み」を見、そこに産官学連携路線の下での日本の「研究型大学(院)」の未来のモデルを思い描くのである。
 米国の大学や「自然科学分野」の研究者は、「自らの貢献を明らかにするために特許を取る」のではなく、「研究成果が有用なものであるほど莫大(ばくだい)な富を発見者(と大学)にもたら」すから特許を取ることを十分過ぎるほど知りながら・・・。

 しかし上のことは、大学「経営学=マネジメント」論から産官学連携路線=「大学研究の市場化」を推進する上山の専門から言えば、ごく自然な発想である。上山の課題意識の中では、例えば、軍産学複合体の下で開発された軍事技術が新兵器や大量破壊兵器の生産に「応用」され、それで武装した米軍が世界中で何をしているのか、米国の大学研究者がそのことに加担している云々などという問題は、「政治的」で「イデオロギー」的な問題であって価値判断の対象から除外されてしまうのだ。上山は、上山がいう「コントロール」=規制がきかないところで米国の軍産学複合体が成立していることに、どうも無自覚であるらしい。おそらくここに「アカデミック・キャピタリズム」を「超えて」という、聞こえの良いタイトルを冠しながら、決して「超える」ことのできないこの書の限界がある、と言ってよいだろう。

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 強調しておかねばならないのは、軍産学複合体は先端科学技術分野のみではなく、人文・社会科学分野でも米国のアカデミズムを蝕んできたことだ。対テロ戦争の勃発以降、とりわけ問題になってきたのは、米軍のHuman Terrain System(HTS)に対する人文・社会科学者たちの主体的・能動的・積極的な貢献である。(その一例としては、ダートマス大のThe Laboratory for Human Terrain がある)

 説明は後回しにして、私がこの問題を初めて知った"Army Enlists Anthropology in War Zones" (「戦場に徴用される文化人類学」)と題されたNYTimesの2007年の記事を紹介しておこう。アフガニスタンの対テロ戦争に徴用され、米軍の作戦展開に奉仕する米国の文化人類学者や社会科学者たちの様子を取材したものだ。

 このHTS戦略下の軍産学複合体に対し、ZERO ANTHROPOLOGY のマキシミリアン・フォルテは、Mapping the Terrain of War Corporatism: The Human Terrain System within the Military-Industrial-Academic Complex という論文を書いている。

 国家(官僚機構)、産業(資本)、大学(知)のトライアングルの関係から言えば、資本主義体制下の大学が、官僚機構による大学行政を通じて国家戦略と産業戦略に奉仕すべく位置づけられてしまうのは必然であり、それが大学の宿命でもあるだろう。だから大学研究や教育の、ある要素/側面が国家戦略や産業戦略と一体化すること、そのことのみをもって「大学無用」論や「大学解体」論を主張しても意味がないし、虚しいだけである。
 しかし、上のトライアングルが「鉄のトライアングル」と化し、そのことに対する批判をいろんな「大学利権」に既得権、自らの職業・立場の安定と安全を考慮するあまりに、大学研究・教育者がしない/できない状況になっているとしたら、どうだろう? 

 大学(院)研究と軍産複合体の研究開発の「利益相反」は、後に述べるように、軍事に転用されるテクノロジーと産業部門の「イノベーション」に転用されるテクノロジーの境界線が「融合」しているところで派生する。
 現在の大学院の「最先端融合科学」研究が、軍事と産業の「両用技術」開発を担っている/担わされてきたところに根本的な問題があるのだ。この傾向は、いわゆる「武器輸出(禁止)三原則」の「規制緩和」⇒撤廃に向けた動きと連動し、今後さらに進展するだろう。具体例を列挙すれば、このようなことだ。

 WIRED VISIONは、米国の軍産学複合体の「最先端融合科学」研究による、さまざまな新兵器開発をスクープしてきた。今年に入ってから、しかもその中のごく一部を取りあげるだけでも、以下のようなものがある。
・ネバダ核地域を警備する自律型ロボット
・超音波で脳を制御:米軍の研究
・米軍の外骨格スーツ『HULC』
・「瞬かない目」:サッカー場大の軍用飛行船、建造中 
・ゴキブリを軍事利用:米軍の計画
・嘘を見抜く「直観」を利用するシステム:米情報機関が開発へ

 こうした「研究開発」が、・米国の「全世界即時攻撃」計画と、「核戦争の危険性」の下で行われ、実際にそれが対テロ戦争に実戦利用された場合には、・米国無人機の空爆は戦争犯罪か:議会公聴会の議論 という国際法上の問題を生み出してきた(いる)のである。

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 断言してもよいが、産官学連携路線は、必ずや日本における軍産学複合体へと「発展」する。理・工・医の「融合先端科学技術」分野に先導されるかたちで、人文・社会科学系が続くのである。戦前の日本の(旧帝国)大学制度は、戦後の米国の軍産学複合体のミニチュア版のような日本型「軍産学複合体」の「頭脳」を担っていたのであるから、それは「発展」というより退行である。その退行は、かなりの速度ですでに進行しているのである。 

 占領統治終了後の大学制度は、「戦犯」追放と「民主化」が定着する間もなく、「赤狩り」の嵐が吹き荒れ、結局は官僚機構がそうであったように戦前の旧帝大体制を実態的に支え、生き残った「中堅」どころの学者連中がそっくりそのまま古巣に戻ってくるという体制から出発する。そしてすぐに日本は、「民主化」の「逆コース」(本来のコース?)の再軍備を開始する。1951年には旧安保条約を、1954年には日米相互防衛援助協定を結び、その次には自衛隊ができ、戦前の核兵器開発研究の蓄積をベースに原子力開発を開始し、1960年に安保を「改定」する。

 東大で行った「自主講座」を基にして1970年代半ばに出版された、宇井純と生越忠による『大学解体論』(亜紀書房、1975)。この書は、1960年代までの日米安保体制の下で、慶応、東大、京大の医学部、そしてその他の大学が米軍からの資金援助を受けた研究プロジェクトを行っていたことを暴き、旧帝国大学を中軸とする大学制度の解体を主張した。
 しかし、「公害原論」を自主講座で行った宇井の主張は、「大学解体論」もろとも、アカデミズム主流からは完全に黙殺された。当時、とある公立高校の理数科の生徒だった〈私たち〉が「自主講座」に熱い視線を注いでいたことを思い出すが、このブログの読者で『大学解体論』を知らない人は、街や大学の図書館で借り出し、ぜひ読んでみてほしい。実にリベラルかつモデレートで、まっとうな正論を述べていたことがわかるはずだ。

 あるいは、中山茂の名前をここで挙げてもよい。中山の一連の科学/科学技術批判論も、戦前の天皇制国家主導の上からの「軍産学複合体」の現実とその末路を自ら体験したが故に、大学研究において「アカデミック・フリーダム」の理念を守るというパトスに立脚した仕事だったのかもしれない。その中山の「弟子」として、『テクノトピアをこえて 科学技術立国批判』(1982、社会評論社)、『科学文明の暴走過程』(1991、 海鳴社)等々を著した吉岡斉なども、中山と同じく「軍事と産業からのアカデミズムの自律/自立」というモメントは立論の前提としてあったのではなかったろうか。さらには、高木仁三郎等々の仕事を指摘することもできるだろう。

 詳しくは立ち入ることができないが、大学研究・教育(サービス)のグローバル化と自由化という「縦軸」と、「安保の再定義」の再定義⇒対テロ戦争⇒「世界の中の日米同盟」路線⇒日米共同研究の新段階への突入という「横軸」が交差する歴史過程と軌を一にして起こった「法人化」⇒産官学連携路線の下で、「学問のための学問」論の幻想を暴く「学問」ばかりでなく、今大学で行われている「学問」そのものを根本的に問う「学問」までもが大学の現場から姿を消そうとしているのかもしれない。
 
 早い話、日本版「鎖につながれた大学――軍産学複合体に抗して」が、なぜ今、日本のアカデミズムの内部から出てこないのか? このことが日本の大学研究のリアリティを何よりも物語っている、と言えるのかもしれない。
 「象牙の塔」ならぬバベル(混乱)の塔の中で起こっている事態は、普通の市民・納税者・「保護者」が想像する以上に深刻そうである。

参考サイト
イノベーション創出に向けた新たな科学技術基本計画の策定を求める ((社)日本経済団体連合会 2010年10月19日)
新たな防衛計画の大綱に向けた提言 (同上、2010年7月20日)
国家戦略としての宇宙開発利用の推進に向けた提言 (同上、2010年4月12日)
わが国の防衛産業政策の確立に向けた提言(同上、2009年7月14日)
弾道ミサイル防衛技術に関する日米技術協力 (2009年11月10日 pdf)

「批評する工房のパレット」内関連ページ
⇒「大学とNGOの「社会ダーウィニズム」について」
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2010年10月31日日曜日

日米安保と琉球の自治

日米安保と琉球の自治

 「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」を主宰する松島泰勝(まつしま・やすかつ)さんが、ブログで拙著を紹介してくださった。
 松島さんには、私が編集に携わった『グローバル時代の先住民族--「先住民族の10年」とは何だったか」(2004、法律文化社)に「太平洋諸島・先住民族の自決・自治・自律の試み」という論文を寄せていただいたことがある。そして現在構想中の本にも、エッセイを寄せていただく計画がある。

 今回の『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の中でも、もちろん沖縄のことは触れている。しかし、独立した章や節で取り上げることはできなかった。それは松島さんをはじめとして、沖縄・琉球問題については実の多くの人々が論じており、私などが改めて論じることはない、という思いがあったからだが、普天間問題をはじめ、日米安保に関するこの一年の本土、「ヤマト」のメディアの扱い方をみるにつけ、いくつかの点をはっきりさせておく必要がある、と思わざるをえなくなる。
 しかしその前に、まずは「ゆいまーる琉球の自治」にしっかり目を通しておくことにしよう。

〈で、私たちは、永遠の安保と米軍基地をどうするのか?〉
 民主、国民新、社民三党は、14日(2010年12月)、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に関する予算計上や、法人税減税で折り合わず、合意取りまとめを断念した、という。
 これに先立ち、仙谷由人官房長官が、13日、移設を「日米同盟の深化と日韓連携の強化という観点から、誠に申し訳ないが甘受していただくというか、お願いしたい」と述べ、これに対し、仲井真沖縄県知事から「他人に言われる筋合いはない」と反発されるや発言を「撤回」した。仙谷は、「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない。沖縄の皆さんに(基地受け入れを)お願いしなければならないという趣旨で述べた」と釈明したという(東京新聞)。仙谷は発言を何も「撤回」など、していない。

 その一方で、菅政権は、14日、来年度以降の在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)の総額について、今後五年間にわたり現行水準を維持することで、米国側と正式に合意したという。その理由を、同じく東京新聞の記者は、「朝鮮半島情勢の緊迫化の中、米軍普天間飛行場問題をめぐり傷ついた日米同盟関係を修復するためには米側に配慮せざるを得ないとの判断があった」と解説している。

 「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」・・・。 『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の中にも登場してもらった仙谷由人、われらが内閣官房長官は、米国政府・在日米軍のスポースクマンなのだろうか?
 沖縄に、全国各地に「戦後」65年にもわたり、外国の軍隊たる米軍が駐留している。65年。日本が「主権」を回復し、「独立」し、沖縄を切り捨てた「サンフランシスコ条約」の締結から来年60年周年を迎えるが、この国の政府は「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」とずっと繰り返し、米軍の無期限駐留を容認し続けてきたのである。
 これまで日本政府は、米軍をいつか「全面的に撤退」させる交渉を米国政府としたことが一度でもあっただろうか? ない。そして今後もその意思などないのに、仙谷は「直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」と言う。 

 「基地を直ちに全面的に撤退するわけにはいかない」。で、民主党は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?
 一方、無方針の民主党に対し、社民党は普天間基地の辺野古への移設に関する予算計上阻止に「全力を尽くす」と言ってきた。しかし社民党は、これでその展望を喪失することになった。で、社民党は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?

 「沖縄の人々に土下座をしても、米軍再編の理解を請え」と菅民主党にプレシャをかけ続けてきた自民と公明、「安保廃棄」「基地撤去」を唱え続けてきた共産党、「民・自大連立」を「政権末期現象」と揶揄することしかできない「みんなの党」は、永遠の安保と米軍基地をどうするのか? 沖縄を、岩国を、横須賀を、厚木・・・・をどうするのか?
 北朝鮮と中国、ロシアの「脅威」、「日本をとりまく安全保障環境の不安定」をキャンペーンしてきたマスメディアは、安保条約と米軍基地の無期限状態、戦後65年以上にも及ぶ沖縄への基地の押し付け、沖縄の切捨てをどうするのか? 具体的提案、論評として何を主張するのか? 「朝鮮半島情勢の緊迫化の中、米軍普天間飛行場問題をめぐり傷ついた日米同盟関係を修復するためには米側に配慮せざるを得ない」などとくり返す以上に? 

 で、私たちは、永遠の安保と米軍基地の無期限状態をどうするのか?
 「ヤマト問題」としての「琉球問題」をどうするのか?

〈民主党政権による新たな「琉球処分」を許さないために---あるいは、〈歴史〉を消去されないために〉
 1990年代の最後の数年間、つまり第二期クリントン(民主党)政権の途中から、ブッシュとゴアの大統領選の予備選が本格化しようとしていた頃まで、理由があって私はワシントンD.C.南の「黒人居留区」に引きこもっていたことがある。 その時に知った、二人とも外科医、女性の方は脳外科医のあるカップルの話である。
 二人は、「売れっ子」の超多忙な医者である。
 私がびっくり仰天したのは、その二人が当時の米大統領、自分の国の大統領、クリントンの名前を知らなかった/言えなかったことである。当然、「コソボ紛争」に対する米国の介入、NATOの空爆のことも知らない。自分の国が戦争状態にあること、いや世界で何が問題になっているのかはもとより、共和党と民主党との間で何が次の大統領選に向けた攻防のアジェンダとなり、米国社会の主なイシューとなっているのかなど、何も知らなかったのである。

 さらに彼と彼女は、選挙登録はしていても30代の頃から大統領選や中間選挙はもちろん、およそ選挙に行って投票したことがない。こうしたことを、二人は笑いながら話していた。「こういう人たちがいるんだ!」と、呆れるというより私は深く感嘆し、二人の超過労状況を逆に気の毒に思ったことを覚えている。
 専門の仕事や研究に忙殺され、労働以外の自分の「余暇」もその専門に関わることに追われ、しかも日常生活で会話をする相手も同じ専門同士の、同じような労働・生活環境に置かれた者たちであるなら、程度の差こそあれ、私たちも実はこの二人と同じような存在であることは、自覚しておく必要がある。

 自分の国の大統領の名前を知らない超多忙の米国人外科医の話をしたのは、それを思い出させた人(たち)と、一昨日、私が忘年会をしたからだ。
 その人は、首都圏のとある大学の薬学部を卒業し、とある企業で働く「アラフォー」の人である。
 もちろん、その人は、今現在の日本の内閣総理大臣が誰であるかは知っている。しかし、その人は「サンフランシスコ平和条約」が何年に締結されたか、今の安保条約が「改定」される前に「旧い安保条約」があり、それが「平和条約」と一緒に結ばれたこと、また日本が国連にいつ加盟したのか、さらに昔、中華民国(台湾)が安保理常任理事国であったこと、それがいつ中華人民共和国(中国)に代わったのか、自分が生まれた頃に「日中国交回復」がなされたこと、等々等々を知らなかったのである。

 つまり、「戦後」日本(「戦前」は言わずもがな)の「正史」、自分が生まれた時の時代状況、自分が生きてきた歴史について、知らないことがあまりに多いのだ。まして、現行の安保条約が、日本政府にその意思さえあれば、いつでも米国に対し、一方的に「終了」通告ができる国際条約であることなど、知るよしもない。岸内閣や佐藤内閣の時代に、いったいどんな「核密約」「沖縄密約」が交わされていたかなど、自分が生き、働くにあたって、関心の領域外である。「そんなこと」より、自分には知っておかねばならないこと、フォロー・アップしておかねばならない、山のような専門領域の知識・情報がゴマンとあるからだ。自分の「精神衛生」を保つための「趣味」の時間も取っておかねばならない。とてもこうした事柄をフォローする、そのためにその筋の「専門」の本を読む時間なんて実際問題としてない、ということだろう。

 私は、先日更新した「最近、考えさせられたこと」の中で、「知識障害者」という表現をした。私たちは、ある分野の知識はものすごくあるが、別の分野のことは何も知らない/知ろうとしない/知らなくて何の不自由もないし、そのことを何とも思わない人間として私たちが在ること、これがどの専門分野であれ避けられないような働くマシーンになっていることを自覚する必要がある。脳から〈歴史〉や何かを消去された働くマシーン、「ヒューマノイド」のような存在に。
 脳から〈歴史〉が消去されると、私たちは自分が何者であるかを同定できず、他者に対するエンパシーという、人間が人間であるために最も重要と思える能力が欠如した「人間もどき」の存在になる。私自身、そのことを『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の構想、下調べ、執筆過程において痛感させられた。
 私は、「戦後」日本(「戦前」は言わずもがな)の「正史」、自分が生まれた時の時代状況、自分が生きてきた歴史について知らないことがあまりに多い。つくづくそのことを思い知らされたのである。

 問題は、「義務教育」以降の今の教育制度のサバイバーとして、私たちが「知識障害者」であることの自覚症状がどの程度あるか、そして「いったい誰が、私たちの脳から〈歴史〉を消去しているのか?」というところにある。

〈「戦後」の「琉球処分」と「普天間問題」〉
 「日中国交回復」が自分が生まれた頃になされたことを知らなかったその人は、「沖縄返還」のことは知っていた。しかし、「沖縄返還」の「正史」には「外史」があり、その「外史」には日本への「復帰」に反対し、「琉球独立」を主張していた人々の存在が含まれることは知らなかった。
 しかしこれは、何もその人に限ったことではない。むしろ問題は、「復帰」後の38年間を通じ、さらには民主連立政権への政権交代を通じ、「日本=ヤマトへの「復帰」は、本当に正しい選択だったのだろうか?」と公言するようになった人々、公言はしないがそう考えるようになった人々が増えていることを、私たちの多くが知らない/知ろうとしないところにあるように思う。そして私たちは、その事実や「沖縄密約」の史実を知りながら、しかし38年前に遡って「どうすべきだったのか/これからどうすべきなのか」を考え、それを視聴者や読者に問題提起しようとしない巨大メディアの沖縄「報道」もまた、私たちから〈歴史〉を消去するエージェントとなっていることを知っておくべきだと思うのである。

 今日、県知事と会談し、「移設」への「理解」を要請した菅首相、民主党、日本政府に対する沖縄の多くの人々の怒り、怒りを通り越した白けきった反応を理解するためには、前々世紀に遡る「琉球処分」以後の琉球の歴史、せめてその大まかな流れくらいは押さえておかねばならないだろう。「普天間」がどうしたこうした、そういう問題だけで済まされることではないからだ。

 このような「琉球の今」を知る手がかりとして、読者に「薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会」のサイトに掲載されている記事や文章を、まず読んでみることを推奨したい。
 もちろん、基地問題をはじめ沖縄/琉球に関する専門・参考文献は限りない。しかし、この「問う会」の「呼びかけ人」に名を連ねている人々(そこには拙著をブログで紹介していただいた松島泰勝さんもいる)を見れば、いかに広範な人々がヤマトによる「琉球支配」の歴史を、いま問うているか、そしてそれが政権交代後のこの一年余りを経て、沖縄の若い世代、一般の人々の間にも広がってきていることは、容易に想像できることだと思う。

 「問う会」の運動を報じたメディア、また報じなかったメディアが、「普天間問題」の今後を行方をどのように「報道」し、どのような内容を発信してゆくか。そのことをも含めて私たちは注目し、金をばら撒くことしか知らない菅政権の「琉球政策」「基地対策」が、二一世紀の第一次「琉球処分」としてあることを見抜いておかねばならないと思う。
 消去して/されてしまった〈歴史〉を、自分の脳に埋め込む作業を怠らないなら、決して困難なことではないはずである。

2011/4/12
・深夜・早朝騒音5.7倍 普天間合意きょう15年
 米軍普天間飛行場の全面返還に日米両政府が合意してから12日で15年を迎えた。当初は7年以内の返還を目指したが、県内移設条件が付く日米と沖縄間の協議は曲折を重ねた。県内移設を拒む沖縄の民意が高まり、実現のめどは立っていない。騒音などの被害は深刻化。宜野湾市によると、午後10時から翌午前7時までの深夜・早朝の騒音発生回数は、上大謝名で1997年度の177回と比べ、2010年度(2月現在速報値)は1001回と5・7倍に。97年度から増加し02年度は約6倍の1047回。減少傾向にあったが10年度に再び増えた。

2010年10月28日木曜日

「保護する責任」にNO!という責任---人道的介入と「人道的帝国主義」

「保護する責任」にNO!という責任--人道的介入と「人道的帝国主義」

 「「保護する責任」(Responsibility to Protect)にNO!という責任」について考えてみたい。
 『日米同盟と欺瞞、日米安保という虚構』を上梓したばかりで、一見、日米安保とは何の関係もなさそうに思えるこれをなぜ問題にするかに関しても、追々明らかにするつもりだ。国際政治や国際法、国連学や平和学に関心のある人もそうでない人も、ぜひ一緒に考えてもらいたい。
 まず、「保護する責任」とは何かを簡単に説明しておこう。

Ⅰ 「保護する責任」とは何か

「保護する責任」とは、
1、「個別の国家が、ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪からその国の人々を保護する責任を負う」
2、国際社会は、個別の国家の「この責任の実行と、保護する能力の構築において、国家を支援する」責任を負う、
3、「国家が、これら具体的に記された四つの犯罪および違反から人々を保護することに、「あきらかに失敗している」場合には、国際社会が、安全保障理事会を通じて、また国際連合憲章に従って、「適切な時期に断固とした方法」によって、集団的な行動を取る」責任を負う、という三つの「責任」によって構成される概念である。(詳しくは「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」の内容を参照。)

この「報告書」に沿って言えば、「保護する責任」は、

・第一の柱  国家による保護の責任
・第二の柱  国際的な援助と能力構築
・第三の柱  適切な時期と断固とした対応(注・武力行使のこと)

を三つの「柱」とする、いわば国連体制の下で「国際の平和と安全」を「維持」するための新しい国際(法)的規範としてある。現在、国連においてはこの規範を現実の政策に移すための議論が行われている。つまり、「保護する責任」は、その理念をめぐる審議の段階は基本的に終了し、「履行」=実行段階に入ったものとして理解されているわけである。

 では、なぜ武力行使を最終的手段とする「保護する責任」が重要なのか。「報告書」によれば、それは、

「20世紀はホロコースト、カンボジアのキリング・フィールド、ルワンダのジェノサイド、スレブレニッツァの大量殺戮などが汚点となった。これらのうち、ルワンダとスレブレニッツァについては、安全保障理会と国際連合の平和維持軍が監視する中で行われた。

 ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪―20世紀の残酷な遺産は最も基本的かつ実行すべき責任に従って行動しなかった個別国家の重大な失敗と、国際的な制度の集団としての不十分さを、辛辣にまた鮮明に語る」からである。

 私は、「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪」が「20世紀の残酷な遺産」であることに異論はない。またそれが、これらを引き起こした「個別国家の重大な失敗」に起因することもその通りだと考えている。

 問題は、「報告書」が「国際的な制度の集団としての不十分さ」と言うときの「不十分さ」に関する認識にある。国際社会が国連安保理の決議の下で、集団的な武力行使に踏み切らなかったことが「残虐な遺産」を残してしまった原因なのだろうか。そうだとは思えない。また、最終的な手段としての武力行使が担保されれば、問題解決の道が開けるのだろうか。これもそうとは考えない。

 「保護する責任」は、「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪」を国家が犯さず、これらから人々を「保護」する「責任」のみならず、それが守られない(と安保理が判断する)場合に、最後の手段としての〈武力行使を容認するパッケージとしての政策概念〉であるが故に重大な問題をはらんでいるのである。

「保護する責任」論が登場し、本格的に議論されてきたこの10年ほどの間に、これに異議を唱えた国際的議論を掘り起こし、日本においても「保護する責任」に異議を唱える責任について、もっと広範に議論されて然るべきだ。しかし、日本の国連研究、あるいは国際法研究などといった分野は、全体として、国連に対する批判精神を持たないきわめて現状追認・現状肯定主義的な傾向が強い。そのため、学者が書いた論文を読んだ結果、批判的精神を養うどころか逆に誤った認識を植えつけられ、影響を受けてしまうといったこともよくある話である。

 その一例が『新たな地球規範と国連』の巻頭論文、「保護する責任と国連」と題された松隈潤(東京外国語大学 総合国際学研究院教授)の論文である。

 松隈論文の問題点は多々あるが、さしあたりここでは「保護する責任」を一から考えるにあたって、次の点を指摘するにとどめておきたい。その問題点とは、2001年の『ICISS報告書』からの5年後には、これが世界サミット成果文書に明記され、「10年を経ずしてこれに関する集中的な国連総会審議が開催されるという異例のスピードを伴った展開」になったこと、そのことに関する松隈自身の見解や価値判断を何も明らかにせぬまま、「保護する責任」の「政治的な重要性については認めざるを得ない」としていることである。

 つまり、カナダ政府の肝いりで、米国やフランス政府の支持をも取り付けながらまとめられ、しかも国連機関の報告書でも何でもない『ICISS報告書』が、なぜ5年後には世界サミット成果文書に明記されるにいたったのか、さらにその報告書をベースにしながら、二代にわたる国連事務総長の実権と影響力を介して、この概念をめぐる「集中審議」が国連総会において行われるようになったのか、その「異例のスピード」に関する分析や松隈自身の評価がまったく欠落しているのである。

 その分析や評価を欠落させたまま、松隈は、「保護する責任」の「政治的な重要性」を「認めざるを得ない」という。しかし、そこには「保護する責任」の「政治的な重要性」を積極的に承認する松隈自身の政治的立場からこの論文が書かれていることを読者の目から隠蔽する作為がある。一般読者、学生が松隈論文を読んで受ける印象は、「保護する責任にはいろいろ問題はあるのかも知れないが、全体としては「政治的に重要」=肯定的に評価できる概念らしい」となるからである。

 一事が万事であるが、このような「保護する責任」概念の日本のアカデミズム、そして日本社会への「輸入」のあり方自体を問わねばならない、と私は考えている(後述するが、前世紀末期からの「人間の安全保障」概念の日本への「輸入」のあり方についても、これとまったく同じことが指摘できる)。

 「保護する責任」が「異例のスピード」によって国連政治の既定のディスコースとして定着化してしまったこと、そこにどのような〈政治〉が介在していたのかを批判的に分析することは、この概念の評価にとって不可欠の要素である。そして、そうしたクリティカルな眼を持ち、「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」を読み、そこから「世界サミット成果文書」を分析し、さらには『ICISS報告書』へと遡行してゆく作業が必要である。

 しかし悪いことに、こうした作業を深めようとするのではなく、「保護する責任」を既定の方針として推進する国家や巨大なグローバル財団からの資金援助を受けて、これをNGOとして促進する欧米を拠点とする巨大人権NGOの動きもある(これについても後述する)。

 新たなテーマとして私がこれを取りあげる理由は、こうした「保護する責任」をめぐる問題性について、少しでも情報と認識を共有し、それらを広げる必要性を痛感するようになったからである。すでにネット上でいくつかの日本語の論文も公開されているので、「保護する責任 人道的介入」と入力し、それらに目を通し、「保護する責任」に関する予備知識を深めていただきたい。
 以下、最も基本的な情報を得るためのサイトをいくつか紹介しておくことにする。

参考資料及びサイト

・アナン元国連事務総長報告
「より大きな自由を求めて:すべての人のための開発、安全保障および人権」(2005)
・2005年サミット(国連首脳会合)成果文書(外務省)
・2005年 平和及び安全保障に関する協力のための日加計画
・『新たな地球規範と国連』(国連研究 第11号)
・INTERNATIONAL COALITION FOR THE RESPONSIBILITY TO PROTECT (ICRtoP)
・Report of the International Commission on Intervention and State Sovereignty

Ⅱ なぜ、「保護する責任」にNO!と言うのか

 2008年のダボス会議。そこで「保護する責任:人間の安全保障と国際社会の行動」と題した非公開セッションが行われた。自公政権時代の福田元首相は、その冒頭挨拶で次のように語った。

 「我が国は、「保護する責任」が問われるような紛争下の事態に対して、武力をもって介入することは国家の政策として行っておりません。これまで人道支援や復興支援に力を注いできた国であります」「私は、平和のために前線で活躍する人道・復興要員の安全確保の重要性を忘れてはならないと思います」。

 日本という国が、「「保護する責任」が問われるような「紛争下の事態」に対して、武力をもって介入することは国家の政策として行って」いないという、この福田発言はとても重大である。
 私は、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の第五章「憲法九条の死文化のメカニズム」の中で、日本政府がタテマエとしての「紛争解決における武力行使の否認」を、集団的自衛権の行使をめぐる政府見解の解釈変更と、自衛隊の武器使用の「規制緩和」の積み上げによって有名無実化してきた実態を明らかにしているが、今そのことは横に置いたとしても、ここでまず問われるべきは、

 「日本が国の政策として行わない/行ってはならないと、まがりなりにもこの国の内閣総理大臣経験者が語ったことを、国連の政策としては行ってもよい/行うべき、とするのか?」
ということである。このことを「保護する責任」を肯定的に評価する国際法・国際政治・平和学専攻の研究者や、巨大な国際人権・開発NGOの日本支部の事務局や会員の人々は、一度真剣に考え、そこからこの概念に対する再評価を行うべきではないだろうか? 

 「保護する責任」は、「人道主義」を掲げながら、国連の名において新たな武力行使のための「規範」を導入する。それがために、「国民」を「保護」しない/できない「脆弱国家」に対する、カナダ、米国、フランス、イギリスなどの「人権軍事大国」による「最終的手段」としての「断固とした」軍事介入とレジーム・チェンジ(政権転覆)を正当化する概念ではないか、その意味でこれは「人道的帝国主義」の一形態ではないか、という国際的批判にさらされてきた。
 なぜ、「保護する責任」が「人道的帝国主義」ではないか、と批判されてきたのか。その理由を順を追って考えてみたい。そうすればHuman Rights WatchやOxfamなど、国際的に名だたる人権・開発NGOが「保護する責任」の推進エージェントとなっていることの問題性も明らかになるはずである。

 『人道的帝国主義』の著者、ジャン・ブリクモンは、ベルギーの理論物理学者で、日本ではアラン・ソーカルとの共著、『知の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店、2000)で知られている。
 この書は、「そこまで言うか?」と私でさえ(?)ちょっと引いてしまうような言明(ステートメント)が随所にみられるが、だからこそ「人道的介入」論がはらむ問題点を端的に抉り出しているとも言える、国際政治学・国際法・国連学の研究者・学生、そして国際NGOにとって必読の書である。
 なお、「保護する責任」を痛烈に批判する国連でのブリクモンの発言は、
A more just world and the responsibility to protect を、
また、チョムスキーのブリクモンの「人道的帝国主義」に関する評論は、
Humanitarian Imperialism: The New Doctrine of Imperial Right を参照してほしい。

A 最終的手段としての「断固とした集団的措置=武力行使」を容認する「保護する責任」

 「保護する責任」は、それを「主権国家」が守らない場合には、最終的手段としての「断固とした集団的措置=武力行使」を容認する。
 上にみた「第一の柱」たる「国家による保護の責任」と「第二の柱」たる「国際的な援助と能力構築」をもってしても、その国家が「保護する責任」を果そうとしない/果せない場合には、その国家を国連によって「主権」が守られるべき国家としては認めず、「内政不干渉」原則が適用されない例外国家として認識するという前提条件がそこでは設定されている。
 この前提の上に立ち、「保護する責任」は「第三の柱」として、その国家に対する国連加盟国の連合軍による最終的な武力行使を容認する。ここにこの概念の最大の政治的な問題性がある。

 ところが、「保護する責任」をプロモートする国家や国際NGOは、この事実を隠蔽しようとする。
 たとえば、International Crisis Group代表のGareth Evansの次のような説明が、その一例だ。

1. Conceptual misunderstandings; it must be made clear that:
a. the term is not another name for humanitarian and military intervention;
b. R2P does not necessarily mean the use of coercive military force, even in extreme cases

1、概念的誤解。以下のことが明確にされねばならない。
a. 「保護する責任」は、人道的そして軍事的介入の別称ではない。
b. それは、極端なケースにおいてでさえ、強制的な軍事力の使用を必ずしも意味しない。

 このギャレス・エバンスの「保護する責任」正当化論は、明らかにこの概念に関するエバンス自身の「概念的誤解」に基づいているか、そうでなければきわめて意図的で、悪質な詭弁である。

 「保護する責任の履行 国連事務総長報告書」をもう一度見てみよう。
 「報告書」の「第三の柱 適切な時期と断固とした対応」=国連安保理決議に基づく軍事的及び非軍事的強制措置に関する記述は、私たちのような素人には、一読しただけではこの箇所が何を問題にしているのか、とても把握しにくい表現になっている。しかし、次のくだりを読むなら「保護する責任」が国連の名による新たな武力行使と不可分一体の概念であることが明白になる。

 「急激に拡大する緊急の状態において、国際連合、地域、準地域、国家の意思決定者は、実態よりも手続を、また結果よりも過程を重んじる、任意の、連続したあるいは徐々に増加する政策の階層ではなく、「適切な時期に断固とした」行動を通じて生命を救うことに集中し続けなければならない(サミット成果文書第139項)」

 これを短くすると、
 「国際連合、地域、準地域、国家の意思決定者は・・・、「適切な時期に断固とした」行動を通じて生命を救うことに集中し続けなければならない」となる。

 「生命を救う」「断固とした」行動とは、「保護する責任」を果たさない/果せない「主権国家」に対する軍事介入=武力行使のことだ。軍隊を持つ国家が「保護する責任」を果さず、その国家の犯罪から人々の「生命を救う」ためには、外部からの介入に対して軍を動員して抵抗しようとする国家(の軍隊)との戦闘行為=戦争が避けられない。
 逆に言えば、そこまでを射程に入れた上で「第三の柱」の「戦略」を具体的に煮詰めてゆくのでなければ「第三の柱」は空論にとどまり、何らの実効性も担保できないことになる。

 では、ある国家の軍隊との事実上の戦争状態を想定した上で、その国家に外部から介入し、目的を達成するためには何が必要になるか。国家犯罪を犯した政府の転覆→新政府の樹立である。つまり、「保護する責任」に国連としての軍事的強制措置を一体化させてしまえば、論理の必然的帰結として、それは政権転覆→「保護する責任を果す新政権の樹立」までを射程に入れた政治的な概念にならざるを得なくなる、ということだ。

 過去の「保護する責任」をめぐる公的文書においては、「保護す責任」に基づく外部からの軍事的介入によって必然化される、このような「介入のリアリズム」は何も言及されていない。また、「保護する責任」をプロモートする論者も、この問題をいっさい語ろうとしない。そこに「保護する責任」と「保護する責任」推進論をめぐる〈問題〉がある。

 先述したように、私は個々の国家は「保護する責任」が言う四つの国家的犯罪からその国の人々を守る国家としての責任を断固として果さねばならない、と考えている。しかし、「保護する責任」がその「戦略目標」を果そうとすればするほど、国家に対する最終的軍事介入-武力行使を通じて、個別国家vs.国連という構図の下での事実上の戦争と外部からの強制的なレジーム・チェンジを必然化させるが故に、「NO!」と言うのである。
 
 この点をより明確にするために、「保護する責任」が登場した歴史的かつ国際法上の背景を次に簡単に押さえておこう。

B 国連の軍事的強制措置と国家の武力行使に新たな「規範」を導入することの愚かさとその危険 

 「保護する責任」が登場してきた歴史的かつ国際法上の背景を考えるにあたり、その前提として『国際法の暴力を超えて』(阿部浩己著、岩波書店)の内容を踏まえておきたい。

 阿部自身の言葉によれば、この書は「国際法のもつ社会変革機能を最大化していく」という課題意識の下に、国際法が「規範や制度の拡充を通して、グローバル化が人類の定めであるかのような心象を世界大で広め」、さらには「人権法という、人間を解放するための言説までもが不均衡な政治経済構造の維持に資する役割を演じさせられている」ことを論じている。

 国際的に「履行」段階に入ったとされる「保護する責任」という「規範」を検討する場合においても、阿部が言う「国際法の暴力」をいかにして超えるか?という視点を見失わないようにすることが肝腎である。
 なお、阿部が理事長をつとめる「ヒューマンライツ・ナウ」の「テロと人権」に関する活動報告と「ICCにおける侵略犯罪の管轄権行使に関する見解~国際刑事裁判所検討会議にあたって~」も、ぜひ参照してほしい。『抗う思想/平和を創る力』も必読だ。

 なお、リビアに対する武力攻撃後の事態を踏まえた、R2Pに関する発展的考察については、「〈リビア以後〉における「保護する責任」に関する発展的議論のために~北朝鮮における『人道に対する罪』を止める国際NGO連合」をめぐって」を参照して頂きたい。

2010年10月24日日曜日

『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』のご案内


 「安保は軍事同盟ではない」。これが日本政府の公式見解だ。だとしたら、「日米同盟」の法的根拠とは何か。あるいはその逆に、安保が軍事同盟であるなら安保条約のどこにその根拠を見出しうるのか。また、かつて吉田茂は旧安保条約を米軍の「駐兵条約」と言ったが、ではそれを改定した現安保条約は在日米軍の無期限駐留を米国に保障した条約という以上の、何か具体的な軍事的意味を持つものなのか。

 岸信介は条約改定によって米国が「対日防衛義務」を負い、それによって安保は日本の「平和と安全」を「保障」する条約になったと語った。しかし、吉田茂もまたそれと同じことを語り、旧条約の国会「承認」を強行したのである。

 安保条約第五条一項。この条項はこれまで日米の「共同作戦」を規定した条項だと解釈されてきた。本書はそのような解釈に真っ向から挑戦する。北大西洋条約を始めとした軍事同盟条約と安保条約の条文の一字一句をつぶさに対照しながら、本書は安保条約が結局のところ「改定された駐兵条約」であり、1970年代末期に登場した日米同盟論が、「在日米軍の無期限駐留のための安保条約の無期限延長」を正当化するために捏造された、条約上の根拠なき政治宣言に過ぎないことを明らかにする。

 その意味で本書は、安保を「冷戦の産物」と捉え、軍事同盟規定した旧社会党や共産党の安保=対米従属論、さらには「60年安保」後の護憲運動が「九条を守る」ことを第一義に置き、安保問題を後景化させてきたことなどをも批判的検討の俎上にのせている。「日米同盟という欺瞞」を暴き、「日米安保という虚構」の物語を解体し、在日米軍の無期限駐留を阻むためには避けて通ることができない課題としてそれはある。
 読者の忌憚無き批判を仰ぎたい。

[本書の構成]

第一章 日米同盟という欺瞞
第二章 日米安保という虚構(Ⅰ)――日米「共同防衛」の幻影
第三章 日米安保という虚構(Ⅱ)――安保=日米軍事同盟論をめぐって
第四章 憲法九条の死文化と日米安保――国家の自衛権をめぐって
第五章 憲法九条の死文化のメカニズム――「普通の国家」と霞ヶ関イリュージョン
第六章 国連憲章第五一条と「戦争と平和の同在性」
終章 日米同盟を再考し、日米安保に期限をつけるために

目次の詳細はhttp://nakano-kenji.net/book/2010.mokujiを、
「まえがき」はhttp://nakano-kenji.net/book/2010.maegakiを、
「あとがき」はhttp://nakano-kenji.net/book/2010.atogakiをご覧ください。

『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』のための、著者自身による広告

 天木直人さんが、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』を読んだそうだ、と教えてくれた人がいる。
 昨日(12/4)付の氏の「メルマガ」で、今日の「テレ朝サンデーフロントライン」に出演の後、
「なおついでにご報告させていただきますと、新幹線が遅れたおかげで車中で『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』(中野憲志著 新評論)という本を読了しました。今までにめぐり会った事のないほど共感を覚えた本でした。その読後感は機会を改めて私のメールマガジンでお伝えします」と書かれていたそうである。

 私は評論家でも作家でもないが、どのような人であれ、自分が書いた本を「今までにめぐり会った事のないほど共感を覚えた本」と評されることほど、嬉しい言葉はないのではないだろうか。それを自分より一世代上の、外交・安保問題を専門とする人から言われたことを、私は素直に喜びたいと思う。私は天木氏のメールマガジンの読者ではないが、氏が拙著の批評を公表されるのを心待ちにしたいと思う。

 天木氏から、これ以上にないと思える賛辞をいただいたと知って、はたと気づいたのは、10月にほぼ一年ぶりでこのブログを再開してから、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』に関する自分自身の文章をひとつも書いていないことだった。

 そう思ってこのページを立ち上げることにしたのだが、昨日「百年を歌う」に参加し、中山千夏さんの八丈島の民謡、アイヌの昔話と絵本『となりのイカン』の朗読やパギやん(趙博)との掛け合い、大熊ワタルとジンタらムータ、板橋文夫トリオ、朴根鐘とユッケジャン・バンド、寿[kotobuki]の歌と演奏を聴いた興奮、そしてその後に考えさせられたことから、未だ自分の思考が自由になっていない。頭の風通しがよくなるのを、もう少し待ってみたい。

 それともう一人、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の広報をしていただいた人がいる。前田朗さんだ。しかも前田さんには、一昨日、『平和力養成講座 非国民が贈る希望のインタビュー』を贈呈していただいた。ここに紹介し、氏への謝辞に代えたい。

 一冊の本が本として、とりわけ私のような者のそれが社会的に成立する、つまり本が売れない時代の、ネット消費社会の中で、売れそうもない作者による売れそうもないテーマの本が世に出て生き延びてゆくためには、出版を勧めていただいた新評論の人々はもとより、さまざまな人々の力添えぬきにはありえない、と今更のように思う。このブログの読者の中にも、力添えをしてくださっている人々がいることを私は知っている。改めて感謝を申し上げる次第である。
12/5/2010

天木直人さんの『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の書評

 天木直人さんがご自身のメルマガで、四回にわたり『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の書評を連載されていたようだ。感謝。
 有料のメルマガということだけれど、関心がある人はこちらからどうぞ。2010年12月9日(第1回)から同12日(第4回)まで。

著者割引のご案内

・本ブログをご覧頂いた方に定価3045円(税込)のところ、著者割引一冊2700円(送料無料)、二冊以上は定価の二割引+送料一律300円にてお頒けします。著者割引は書店ではお取り扱いできません。
・購入ご希望の方は①お名前、②郵便番号・ご住所・電話番号、③購入冊数、④「日米同盟著者割引希望」をご明記の上、yamada@shinhyoron.co.jp(新評論、担当山田)までお申し込み下さい。
・ご送本時に郵便振替用紙を同封致しますので到着次第ご入金をお願いします。

2010年10月4日月曜日

『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』

『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』が10月25日、新評論から配本されることが決まりました。

これに伴い、『永遠の安保、テロルな平和』は本ブログから削除することになりました。
ほぼ一年ぶりの更新となりましたが、これからも掲載情報を精選し、ブログを継続していきますので、どうかよろしくお願い致します。

「NGOと社会」(全7号)は、こちらでご覧下さい。

2009年11月25日水曜日

日本はアフガン和平貢献の中心に 各国代表らが提言

日本はアフガン和平貢献の中心に 各国代表らが提言
2009年11月25日

 アフガニスタンや周辺諸国の代表を招き、23日から都内で開かれていたアフガンの和解と平和に関する国際会議(主催・世界宗教者平和会議など)は最終日の25日、「アフガン和平構築で日本は中心的役割を果たすべきだ」などとする提言書をまとめ、岡田克也外相に手渡した。

 会議は、アフガンから反政府武装勢力タリバンとの和平交渉を担当するスタネクザイ大統領顧問らを招き、非公開で開催された。提言は、和平交渉進展に向けて、タリバンに一定の影響力があるとされるサウジアラビアのアブドラ国王らの協力を期待し、イスラム諸国の一層の関与を要求。

 タリバンメンバーが和解に応じて暴力を放棄すれば、タリバン幹部らの資産凍結を命じた国連安全保障理事会決議からメンバーの氏名を削除するよう国連に求めた。

 日本政府は既にアフガンへの50億ドル(約4500億円)規模の民生支援を表明しているが、これとは別に、提言を中長期的な和平貢献策に反映させる。(共同)

2009年11月21日土曜日

アフガン和平会議

23日からアフガン和平会議 東京で開催、貢献策を検討
2009年11月21日

アフガニスタンに和平を築く道筋を探る国際会議が23日から3日間の日程で、東京都内のホテルで開かれる。日本政府は既にアフガンへの50億ドル(約4500億円)の民生支援を表明しているが、会議の結果を日本の中長期的なアフガン和平貢献策に反映させる方針。

主催は「世界宗教者平和会議」(WCRP)などで外務省が協力。アフガン、パキスタン、サウジアラビア、イラン、欧州連合(EU)などの代表を招き、日本からは犬塚直史参院議員(民主党国際局次長)や伊勢崎賢治・東京外大大学院教授(元アフガン武装解除日本政府特別代表)らが参加する。

「参加者の安全を確保し、率直かつ自由な討議を保証するため」(WCRP)に会議は非公開だが、外交筋によると、アフガンからは反政府武装勢力タリバンとの和平交渉も担当するスタネクザイ大統領顧問らが参加する。(共同)

2009年11月2日月曜日

12/19 アフガニスタンの和平と復興を考えるトーク・イン

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12/19 アフガニスタンの和平と復興を考えるトーク・イン

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終わりなき「テロとの戦い」
破壊と混沌が広がるアフガニスタン

これまで何がまちがっていたのか
これから何をなすべきなのか
和平と荒廃からの復興のために

■2009年12月19日(土) 午後1時~3時半(開場 午後12時半)
■明治学院大学・白金キャンパス 2号館 2102教室

  東京都港区白金台1-2-37
  東京メトロ南北線/都営地下鉄三田線 「白金台」・「白金高輪駅」徒歩7分
  都営地下鉄浅草線 「高輪台」駅徒歩7分
  地図→http://www.meijigakuin.ac.jp/access/

■参加費 一般500円/明治学院大学生100円(事前予約不要)
■主催 〈NGOと社会〉の会/明治学院大学・国際平和研究所

Ⅰ部 「鳩山政権の新アフガン政策をめぐって 」
   ファシリテータ
     藤岡美恵子(〈NGOと社会〉の会)
   パネリスト
     犬塚直史(民主党参議院議員)
     服部良一(社民党衆議院議員)
     高橋清貴(日本国際ボランティアセンター[JVC])
  東澤 靖(明治学院大学・国際平和研究所)

Ⅱ部  NGOと会場参加者からのトーク・イン

●お問い合わせ
「12/19トーク・イン」と明記し、emailまたはファックスにて、下記までご連絡下さい(電話不可)。
〈NGOと社会〉の会(コーディネータ: 中野憲志)
(株)新評論編集部内 Email:yamada@shinhyoron.co.jp Fax:03-3202-5832

※〈NGOと社会〉の会とは、『国家・社会変革・NGO』(新評論)の出版を機に執筆者によって結成された有志グループです。

2009年10月11日日曜日

軍民一体の平和構築は平和を創造するか?~アフガニスタン「復興支援」を再考する~  

〈NGOと社会〉公開シンポジウム 第5回
軍民一体の平和構築は平和を創造するか?
~アフガニスタン「復興支援」を再考する~  


 2001年10月7日のアフガニスタンの空爆に始まった、対テロ戦争の勃発から丸八年。戦争は「テロ」を無くすどころか、より混沌とした世界へと私たちを引きずり込んできました。

 アフガニスタンにおいては、一度は政権を明け渡し、地下に潜ったタリバーンが徐々に勢力を回復し、首都カブールを再び制圧しかねない情勢になっています。こうした状況の中で、鳩山新政権は11月の日米首脳会談までにインド洋における給油活動に代わるアフガニスタンへの「民生支援」の具体案を取りまとめると発表しました。

 しかし、対テロ戦争と一体化したこれまでの復興支援に対する総括と反省の声は、残念ながら何も聞こえてきません。内戦による荒廃と混乱からアフガニスタンの本当の平和を取りもどすために、日本政府、市民社会、そしてNGOはこれからいかなる役割を果たすべきか? アフガニスタン現地において人道・復興支援に長年取りくんできた二つのNGOが、最新の現地情勢と米国の動向の分析を交えながら、発言します。

■ 日時  2009年10月24日(土) 14~17時
■ 場所  大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス
     東京都港区麻布台1-11-5 TEL 03-3582-2922
     地下鉄日比谷線 神谷町下車(E1出口)徒歩3分・都営大江戸線 赤羽橋駅下車 徒歩8分
    (地図→http://kenshu.e-joho.com/azabudai/map.html)
■ 発言  福元 満治 (ペシャワール会・事務局長)
     「アフガン復興に必要なもの――26年間の支援活動で学んだこと
     高橋 清貴 (日本国際ボランティアセンター[JVC])
     「オバマ政権のアフガン政策を考える――NGOはどう動くべきか
■ コーディネータ  中野 憲志(先住民族・第四世界研究)
■ 参加費  500円(予約不要)
■主催  〈NGOと社会〉の会

****〈NGOと社会〉ニューズレター第5号 10月7日発行
(http://www.shinhyoron.co.jp/blog/?page_id=1697)
◇ 「戦争のテロルと平和のテロル」 中野憲志
◇ 「人災(戦乱)と天災(旱魃)の荒野で用水路を拓く」 福元満治
◇ 「日本はアフガニスタンで「平和構築」を進める資格と能力があるだろうか?」 高橋清貴
◇ 「バンドーラは悲しい味がする――占領下における開発援助の不可能性」 清末愛砂
◇ 書評・『人道的帝国主義』(ジャン・ブリクモン著) 藤岡美恵子

※シンポジウム・ニュースレターの問合せ先:
新宿区西早稲田3-16-28(株)新評論・編集部内〈NGOと社会〉の会
(TEL:03-3202-7391/FAX:03-3202-5832)

2009年9月16日水曜日

アフガニスタン: 政権交代の可能性

10%の投票所で不正発覚 カルザイ氏の過半数割れも
2009年9月16日 【カブール共同】

アフガニスタン大統領選で、不服審査委員会は15日、不正票があるとして再集計や調査の対象となっている投票所が、全投票所の約10%に当たる2516カ所に上ったことを明らかにした。同委は対象の票数を明らかにしていないが、数十万票となり、カルザイ大統領の得票が過半数を割る可能性がある。

8月20日投票の大統領選は当初、今月17日に確定結果が発表される予定だったが、選管は15日「再集計には時間がかかる。結果発表の日程を示すことはできない」としており、数週間単位で発表が遅れそうな情勢となっている。

選管はこれまでに全投票所の約92・8%(580万票)の集計を終え、現職のカルザイ大統領が再選に必要な過半数の約54・3%(約300万票)を得票している。再集計によってカルザイ氏の得票が大幅に減る可能性も否定できず、現時点の得票から約23万票減らし、過半数を割り込む事態となれば、上位2人による決選投票となる。

2位には得票率約28・1%(約156万票)で全国政党「国民戦線」のアブドラ元外相がつけている。アブドラ氏の得票も再集計の対象となる可能性がある。

大統領選は即日開票され、各開票所で集計報告を作成、首都カブールの集計所に送られてコンピューターで集約されている。不服審査委のこれまでの調査によると、集計報告では得票していないはずの候補への票が投票箱から見つかるなどした。

2009年8月16日日曜日

「国際の平和と安定」は殺戮の代名詞

「国際の平和と安定」は、殺戮の代名詞

民主党も「アフガニスタンの安定」を語り始めているが、ぼくたちが「安定」という言葉に込める意味と、国家が込める意味は違う。国連憲章や安保条約にある「国際の平和と安全」が、「国際の平和と安定」という表現に変わり、対テロ戦争やそれへの戦争協力が正当化されている。

「アフガニスタンの安定」という言葉は、「戦争継続・タリバーン殲滅」の隠喩である。「安定」のために殺されてゆく人々の死は、誰が責任を取るのか。誰が補償するのか。相手が「イスラーム原理主義者」で武装勢力であれば、何をやっても許されるのか。

対テロ戦争と一体化した「復興支援」は間違った政策である。その認識をどうやって広げてゆくか。それがぼくらに問われている。

・・・・・・・・・・・

アフガン駐留英兵死者200人に 首相「戦闘継続」
2009年8月16日 【ロンドン共同】

英国防省は15日、アフガニスタンでの戦闘で負傷、英国で入院していた英兵が死亡し、アフガンで軍事作戦を開始した2001年以降の英兵の死者が計200人になったと発表した。ブラウン首相は「極めて悲劇的な知らせ」としつつ「アフガンを一層安定させることで、英国を安全にする」と述べ、反政府武装勢力タリバンとの戦闘を続ける必要性を強調した。

英軍は米軍に次ぐ規模の約9千人を派兵。死者数も米軍(780人以上)の次に多い。アフガンでは20日に実施される大統領選を前に、選挙妨害を宣言したタリバンが攻勢に出ており、米軍とともに掃討作戦を展開する英兵の死者は急増。7月は22人と過去最悪の月間死者数となった。

首都カブールでは15日、国際治安支援部隊(ISAF)本部前で自爆テロがあり、市民ら7人が死亡、ISAF兵を含む91人が負傷した。タリバンが犯行への関与を認めている。

2009年8月10日月曜日

民主党のアフガン政策を問う

民主党のアフガン政策を問う

 選挙が近づくにつれて、民主党は外交・安保政策における「現実主義」路線への傾斜を、ますます強めるよう
になっている。その表れの一つが、対アフガン政策の転換である。

 民主党は、今年の二月、「アフガニスタン安定化策」の素案なる文書を明らかにした。⇒アフガニスタンの和平、あるいは「平和構築」?をめぐる断章 No.2を参照。

 素案の要点は、「国連にも働き掛け、アフガンに軍隊を駐留させる米国など関係国と、反政府武装勢力タリバンの双方に戦闘停止を要請。アフガンとパキスタン国境地帯から米軍、北大西洋条約機構(NATO)軍、パキスタン軍が撤退、代わりに日本を含む複数国でつくる国際停戦監視団が現地に展開する構想だ。日本政府がホスト役となり、和平実現に向けた国際会議を東京で開催することも想定している。」というものだった。

 確かに、現在展開されている戦闘の停止を実現することは、容易なことではない。しかし、それがどのような形になるにせよ、タリバーンを含むすべての武装勢力と米軍、国軍、有志連合軍間の戦闘行為の停止と和平合意を模索する方向においてでしか、アフガニスタンの人々の平和な暮らしを回復する道を切り開くことはできないだろう。

 今月二〇日の大統領選までの間に、タリバーンや反政府武装勢力を虐殺し続け、一時的に勢力を弱体化させることはできるかもしれない。けれども、その後はどうなるのか。武装勢力を一人残らず殺すまで、対テロ戦争を続けてゆくというのだろうか。

 ブッシュ政権の対テロ戦争を継承し、カルザイ政権への軍事・経済援助の増大と米軍の大量増派を両輪とするオバマ政権の対アフガニスタン「包括的新戦略」が、イラクでそうあったように、ただ戦争の長期化をもたらし、一般市民や地方部の農民たちの犠牲を拡大することになるのは明らかである。だからこそ、困難ではあっても和平の模索が、あくまでも追求されねばならないと思うのである。

 結局、民主党は、自・公政権の下で推進されてきた「復興支援」をそのまま踏襲する、と言っているに過ぎない。自衛隊の派兵を当面は見送るにせよ、「民生、復興支援」の強化や「治安が比較的安定している地域への政府職員や民間人を中心とした人的貢献の拡充」は、すでに開始されている取り組みであって、そこに何の新しさもないといわざるをえない。

 政権交代がなければ、何も変らない。しかし、政権交代しても何も変らない・・・。少なくとも、安保やアフガン情勢に関する限りは、そう言えそうである。そうはならないように、ぼくらに何ができるか、それこそが問題である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

対米外交、給油に代わり復興支援 民主党、オバマ氏に9月伝達
2009年8月9日

民主党は9日、衆院選での政権交代を前提にした対米外交の基本方針を固めた。インド洋で給油活動に当たる海上自衛隊を来年1月で撤退させる代わりに、アフガニスタン本土での民生、復興支援を強化。陸自派遣は見送り、治安が比較的安定している地域への政府職員や民間人を中心とした人的貢献の拡充を検討する。新首相就任を想定する鳩山由紀夫代表が9月の国連総会出席のための訪米時にオバマ大統領と会談し理解を求める。

民主党が掲げてきた(1)在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)削減(2)日米地位協定改定(3)米軍普天間飛行場の県外移転―の3項目についても、直ちに交渉入りは求めない。米国との「信頼関係の構築を優先」(鳩山氏)させる観点から、さらに「現実路線」へ踏み出したといえる。

直嶋正行政調会長は共同通信のインタビューで給油活動の代替策について「自衛隊をいきなり陸に上げるのは難しいが、民間を中心に民生部門で支援できることはある」と指摘。思いやり予算削減など3項目についても「いきなり交渉のテーブルに乗せて『変えてくれ』というようなやり方はとらない。まずは信頼醸成だ」と述べた。

前原誠司副代表も9日のテレビ朝日の番組で、「(米主導の)『不朽の自由作戦』(OEF)は泥沼化している。復興、民生支援に軸足を移す時に来ている」とした。

民主党は、アフガン安定化に向けて、道路、水道などのインフラ整備や、治安回復のためのアフガン国軍・警察の増強に対する人的、財政支援を検討。11月に予定されるオバマ大統領の来日時までに、給油活動の代替策としての支援メニューを詰める方針だ。(共同)

2009年7月30日木曜日

戦争のテロルと平和のテロル---アフガニスタン「復興支援」の欺瞞2

戦争のテロルと平和のテロル---アフガニスタン「復興支援」の欺瞞2

 10月に、アフガニスタンの「復興支援」と和平をもう一度考える、小さなシンポジウムを、今、準備している。ペシャワール会、日本国際ボランティアセンター(JVC)の人、そしてぼくが発言する予定になっている。そのシンポジウムに向けて、〈NGOと社会の会〉のニューズレター第5号の発刊も構想中である。

 これから、大統領選に向けた残り三週間、アフガニスタンではタリバーン掃討戦が強化され、それにともない、非戦闘員たる一般市民の犠牲がさらに広がることになるだろう。タリバーン=絶対悪=殲滅の等式が国際的に正当化され、対テロ戦争と共存した「復興支援」が、何の矛盾もないかのように行われていく。

 アフガニスタンの和平をどうするのか。「復興支援」をこのまま続けてよいのか。
 問題を整理するために、短い文章を書いた。

・・・・・・・・・・

戦争のテロルと平和のテロル

撞着語法としての平和構築

 対テロ戦争時代の平和構築は撞着語法である。戦争をしながら平和を構築することなどありえないからである。国連や日本政府がいう人間の安全保障も同じである。殺戮を容認、黙過しながら、人間の安全を保障するなんてできるはずがない。何という偽善、何という欺瞞が、平和の仮面をかむって世界を席巻していることか。

 ところが、国際法の迷宮と国際政治のアリーナに足を踏み入れると、なかなかそう正直(ナイーブ)には語れなくなる。なぜなら、国連憲章が謳う「国際の平和と安全」という大義名分があれば、国家の自衛権を発動した武力行使も、その国家を中心とした有志連合による集団的自衛権の行使も違法ではなくなってしまうからである。後になって、実は自衛権の行使が政権転覆(レジームチェンジ)を目的にしたものであったことが判明しても、それこそ後の祭りである。

 連合国の勝利宣言の場に国際社会が集い、和平が成立したということにして(誰と誰の?)、どこからか連れてきた人物に暫定政権をつくらせる。そして国際社会は、国家再建(復興)と銘打ち、対テロ戦争と一体化したその後の政治プロセスに平和構築や人間の安全保障を語りながら関与しはじめる。「国際の平和と安全」のために。それが自国の国益と安全保障にも適う、ということにして。

平和のテロル

 そこでは対テロ戦争は平和と対立するのではなく、その手段とされる。平和は多国籍軍によって強制され、維持されるものとなる。テロルを無化する何かではなく、平和そのものがテロルと化すのである。その瞬間に、国際政治の言語学では偽善や欺瞞は姿を消し、慈愛や誠実がとって代わる。世界の政治エリートが対テロ戦争を正当化、容認、黙過しながら、アフガニスタンの人々への慈愛を込め、誠実かつ真顔で平和を語りだす。その言葉に撞着語法、偽善、欺瞞はない、ということにして・・・。

 けれどもそこに生き、殺された人々、その家族にとって、テロルと化した平和ほど絶望的なものはない。たまったもんじゃない。だから、アフガニスタンに始まった対テロ戦争の勃発から丸八年目を迎えた今、戦争と同じくらい長く続いてきた平和構築・復興支援の歴史を、これからもそう呼び続けることがほんとうに妥当かどうかをも含め、検証し直したいと思うのである。

内戦から和平へ

 そのための導きの糸となる言葉は内戦である。なぜなら、もしも国際社会がアフガニスタンを内戦下の国であることを、ありのままの現実をみつめ認めたとしたら、「国家再建から経済発展へ」を合言葉にしたこれまでのいっさいの前提が崩れ、その抜本的な総括が余儀なくされるからである。そうすれば対テロ戦争と平和構築が撞着語法であるように、内戦と経済発展もそうであることがはっきりするように思えるのである。

 優先すべきは経済発展ではない。外国軍、国軍、すべての武装勢力間の戦闘行為の中止、外国軍の撤退である。そして現政権と武装勢力間の恒久的和平合意の実現、権力構造の再編、武装勢力の武装解除である。体裁を取り繕い、手続きを無理に整えるために過去に行ったことのすべてが失敗に終わったことを国際社会が実直に認める以外に、虐殺や抑圧と同時進行する平和のテロルからアフガニスタンの人々を解放する手立ては、少なくともぼくには見つけられそうにない。

 額に脂汗を滲ませながら、もう一度、一から議論し直すべき時を、今、ぼくらは迎えている。


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アフガニスタン:カルザイ政権、タリバンと戦闘激化
【マイダンシャー(アフガニスタン中部)栗田慎一】

アフガニスタンの武装勢力タリバンと米軍が激しくぶつかり合う中部マイダンワルダック州。8月20日のアフガン大統領選の妨害を宣言しているタリバンは、首都カブールの包囲網を急速に狭め、南接する同州の大半を掌握しつつある。カルザイ政権の「要所」として、戦闘を強化しながら対話による和解を探るという矛盾に直面している現場を見た。

 カブール市街から南西へ35キロの州都マイダンシャー。樹木のない丘陵地帯を武装ヘリが低空で飛び回り、地上では政府軍が通行車両を1台ずつ検査する。検査役の兵士は「タリバンの攻撃を防ぐためだ」と言った。

 タリバンは連日、州内で米軍や警察の車列を攻撃している。州警察幹部は「携帯電話を使った路上爆弾の遠隔爆破を防ぐため、外国軍は車両に電波妨害装置を備えた。するとタリバンは、地雷や有線爆破に変えた」と説明する。爆薬のほか、市販の液化ガスやガソリンも使われるという。

 州議会議員のガニ氏(54)は「2年前まで州内は平穏だったが、戦闘の激化で治安は悪化し貧困が拡大、タリバンの勢力拡大を支えた」と言う。拉致事件も増え、政府幹部の父親が拉致された事件では、幹部が高額な身代金を拒否すると切り取られた鼻や耳が送りつけられ、父親は殺された。「タリバンの狙いは恐怖支配。停戦と対話開始しか治安回復の道はない」と言い切る。

 米国は増派米兵約2000人を同州に追加配置し、住民に軍事訓練を施しタリバンと対峙(たいじ)させる民兵496人の育成を終えるなど戦闘強化を進めている。一方でフェダイ州知事(38)によると、州政府は和解担当局を新設し、宗教指導者らを通じてタリバン幹部らとの交渉に着手。選挙後の「本格対話」(カルザイ大統領)に備えている。

 知事は「二つの政策は矛盾しない。治安を乱す暴力をまず封じ込める必要がある」と強調しつつ、「州内の米軍指揮官には対話が必要だと説得し続けている」と打ち明けた。失業生活から脱するため民兵を志願したという男性(37)は、「本当は殺し合いなんかしたくない」と語り、「対話を求める候補者が当選したら、米国はどうするのだろうか」と問いかけていた。毎日新聞 2009年7月25日

2009年7月28日火曜日

民主公約---基軸は日米同盟?

民主公約---基軸は日米同盟?

 おそらく多くの人がそうであるように、政権交代が当たり前になるような政治が求められている、とぼくは考えている。実際、「ねじれ国会」の出現によって、それまでは考えられもしなかった多くのことが実現可能であることや、数多くのそれまで知らなかったこと、知らされていなかったことをぼくも学んだ人間の一人である。

 だから、今回の衆議院選でいえば、ぼくも民主党を中心とした政権ができるべきだと考えているし、それをぼくも支持したいと考えてはいるが、事が安保問題に及ぶと、民主党の安保政策はあまりに抽象的かつ矛盾に満ちていて、何ともつかみ所がない。

 「日米同盟」を「基軸」にしながら「国連を重視」するとは、具体的にどういうことか。その中身がないのが、どうにもフラストレーションをたまらせる。自・公政権の安保政策の何を変え、それによって何をめざそうとするのか。民主党に問われているのは、そのことを大胆に有権者に問うということではないか。

 社民党は民主党を「危ない」というが、これでは「大山鳴動して・・・」に終わりかねないような気がしてきたのは、ぼくだけだろうか?

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民主公約…基軸は日米同盟、地位協定改定盛る

民主党は外交について、「5つの約束」には盛り込まなかったが、直嶋政調会長は「重要政策との位置づけに変わりはない」としている。

日米関係については「日本外交の基盤として緊密で対等な同盟関係をつくる」と明記。日米同盟を基軸とする一方で、日米地位協定について「改定を提起する」とし、米海兵隊普天間飛行場移設問題など在日米軍基地のあり方に関しても「見直しの方向で臨む」とした。ただ、中止を求めてきたインド洋での海上自衛隊の給油活動については触れず、当面継続する方針に転じた。

北朝鮮問題では「核実験とミサイル発射は、わが国および国際の平和と安定に対する明白な脅威で、断じて容認できない」と訴え、「貨物検査の実施を含め断固とした措置を取る」と強調した。

国連については「国連を重視した世界平和の構築を目指す」としたが、日本の果たす具体的な役割についての言及は避けた。

アジア重視の外交姿勢を取る「鳩山カラー」を打ち出す具体策として、〈1〉東アジア共同体の構築〈2〉北東アジア地域の非核化――などを盛り込んだ。(2009年7月27日 読売新聞)

2009年7月25日土曜日

ソマリア: PKOが内戦の当事者に---自衛隊と国連PKOの行方

ソマリア: PKOが内戦の当事者に---自衛隊と国連PKOの行方

日本のマスコミのソマリア報道は、そのほとんどが「海賊対策」と称した自衛隊の「派遣」、特に武器使用の規制(撤廃)をめぐる問題に集中している。

 そんな中、ソマリアの現政権と反政府武装勢力との戦闘行為に、アフリカ連合(AU)の平和維持軍が政府側に与し、武装勢力のアル・シャバーブと戦闘を行ったことが、二週間前の朝日新聞に掲載された。

 これをぼくらはどのように考えればよいのか。最も重要なことは、国連やAUなど地域機関のPKOの、いわゆる「政治的中立」原則が、なし崩し的破棄されてるようになっていることである。「イスラム武装勢力」や、「テロリスト」であれば、PKOが派遣先の国の内戦・紛争に、政府側に味方をして介入する、というパターンである。

 事実上の国連PKOであるアフガニスタンの「国際治安支援軍」(ISAF)が、中立的立場を踏み越えて、タリバーンとの戦闘を行ってきたことや、イラクにおける多国籍軍の役割も同じ性格の問題をはらんできたが、「PKO平和五原則」など、もはや通用しなくなっていることを、ぼくらはこうした事態の中に読み取ることができる。(ISAFは、一般に「国際治安支援部隊」と訳されるが、'force'は「部隊」ではなく「軍」と訳すほうが実態に即している。)

 下の朝日新聞の記事においても、PKOの武器使用の問題にこの問題が解消されているように読めてしまうが、そういうレベルの問題で済ましてしまって、ほんとうによいのだろうか。

 自衛隊が、国連PKOの名において、他国の内戦に直接介入する日が近づいている。

ソマリア AU平和維持部隊も交え戦闘、43人死亡
2009年7月12日【ナイロビ=古谷祐伸】asahi.com

ソマリアからの報道によると、首都モガディシオで12日、暫定政府軍とイスラム武装勢力との間で戦闘が起き、双方で少なくとも43人が死亡した。駐留するアフリカ連合(AU)の平和維持部隊も、暫定政府側に立って戦闘に加わったという。

 ロイター通信などによると、ソマリア南部を実質支配する武装勢力「シャバブ」が暫定大統領官邸から約1キロの地点まで侵攻したため、戦闘になった。暫定国会の議員によると、死者はシャバブ側が40人、暫定政府軍側が3人という。

 AP通信によると、AU部隊の戦闘参加は07年3月の駐留開始以来初めて。AU部隊は、無政府状態が続くソマリアで正式政府の樹立を目指す暫定政府を支援するため、大統領官邸の警護などに就いている。自衛にしか武力は使えず、今回は「部隊が直接の危機にさらされたため」(AU部隊報道官)としている。

2009年7月24日金曜日

民主党はどこへゆく? 民主党:日米地位協定の改定方針後退

民主党はどこへゆく? 民主党:日米地位協定の改定方針後退

 政権交代が現実性を帯びるにつれ、民主党の安保政策がブレてゆく。
 民主党は、八月末の選挙までの間に、今後さらに「現実主義」路線へと方向転換をはかるだろう。
 この国では、権力に近づけば近づくほど、強烈な安保の磁場に引き込まれ、その虜となってゆくのである。

 対米追随を批判していた民主党がどこまで対米追随路線に屈服するか。しっかり見定めたいものである。

民主党:日米地位協定の改定方針後退 「09年政策集」で

 民主党は23日、衆院選マニフェストの原案となる「09年政策集」を公表した。同党が目指す「より対等な日米同盟」の一環として主張してきた日米地位協定の改定方針を後退させ、「改定を提起する」の表現にとどめた。昨年10月に公表された政策集では「抜本的改定に着手する」としていた。

 政策集は、外務・防衛分野の冒頭で「新時代の日米同盟の確立」として「主体的な外交戦略を構築し、日本の主張を明確にする」「率直に対話を行い、対等なパートナーシップを築く」とうたった。その上で「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方等についても引き続き見直しを進める」としている。

 民主党は08年4月、沖縄で頻発した米兵による事件を受けて社民、国民新両党と共同で地位協定改定案をまとめ、政府に実現するよう申し入れた。同年7月にまとめた「党沖縄ビジョン」でも「抜本的な地位協定改定を早急に実現する」と明記していた。

 岡田克也幹事長は23日、群馬県太田市内で記者団に、日米関係について「地位協定の問題などいろいろあるが、全部机に並べてどうだということはない」と強調した。「まず鳩山(由紀夫)首相とオバマ大統領の信頼関係を作る」とも述べ、政権交代後直ちには地位協定などの具体的懸案は交渉せず、首脳同士の関係の構築を優先させる考えを示した。

 一方、政策集では沖縄県への配慮も示した。鳩山代表が最も重視する「地域主権」で打ち出した「ひも付き補助金の廃止と一括交付金化」では、「まず沖縄県をモデルとして取り組む」と明記。沖縄県に多い米軍基地がある市町村からは、基地関係に使途が決まった補助金ではなく、使途が自由な交付金を求める要望が根強く、こうした声に配慮したとみられる。【上野央絵】

◇日米地位協定
 日米安保条約に基づき在日米軍人・軍属の日本での法的な地位を定めて60年に締結された。米兵が日本国内で事件や事故を起こした場合、起訴まで日本側に身柄を引き渡さなくてもよいとするなど、日本側の捜査の障害となってきた。沖縄県で95年に起きた女児暴行事件を契機に運用での改善はあったが、改定されたことはなく、同県など基地がある自治体には抜本的な改定を求める声が根強い。毎日新聞 2009年7月23日 

2009年7月21日火曜日

日米安保50年に新文書?

日米安保50年に新文書?

 読売新聞によると、来年の日米安保50年に際し、米国は安保をめぐる新たな「文書」をまとめる意向だという。
 しかし、日米いずれかの意思次第で、安保条約は「終了」できるはずである。だから、改定安保半世紀にあたり、まず日本として検討しなければならないのは、安保条約をいつまで結び続けるのか、その「国民的議論」を起こすことではないのか。

 安保が永遠に続くはずはないし、続くてよいはずもない。だから、いまは安保を支持する人々も含め、いったいいつまで安保条約を延長するのか、その議論が必要だと思うのである。
 安保が無期限に「自動延長」されるかぎり、ぼくはこのことを問い続けたいと思う。

日米安保50年に新文書…米国務次官補が意向表明

 来日中のカート・キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は17日、都内の米大使館で記者会見し、日米安保条約締結50周年にあたる2010年に、同盟関係の深化を図るための文書を日米両政府でまとめる意向を表明した。

 キャンベル氏は、1996年の「日米安保共同宣言」に続く新たな文書をまとめるための日米協議は「次期衆院選まで待たなければならない」としたうえで、米国としては新たな文書に、〈1〉同盟が他国の平和と安定のために成し遂げた実績の確認〈2〉同盟の現状と課題の点検〈3〉気候変動問題など、同盟が対処すべき新たな課題の設定――の3点を盛り込む考えを示した。

 また、キャンベル氏は米国が日本に提供している「核の傘」に関し、日米両政府が定期的な協議開始で合意し、18日に都内で開く日米安全保障高級事務レベル協議で初めて正式な議題として取り上げる方針を示した。日本の核武装については、「日本の国益にもアジア太平洋地域の平和と安定の維持にもつながらない」と否定的な考えを示した。(2009年7月18日 読売新聞)

2009年7月16日木曜日

で、民主党は安保をどうするのか?

で、民主党は安保をどうするのか?

民主党の「政権公約」が公表された。報道されたところによると、

「外交・安全保障では日米を「対等で相互的な同盟関係」と定義し、日米地位協定の抜本的な改定を提案。
海上自衛隊のインド洋での給油活動停止は盛り込まない。日本人拉致問題は「国の責任で解決」と約束した」(共同)、ということらしい。

で、民主党は安保をどうするのか。安保の無期限自動延長をどうするのか。安保が無期限に延長されて、「対等で相互的な同盟関係」がつくれるのか、日米関係を「同盟」と定義する根拠は何か。

 一方、自・公政権は、まもなく政権交代する可能性があるというのに、「新日米安保共同宣言」を政権末期のドサクサに紛れて強行しようとしている。これを野党、民主党はどうするのか。

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日米「新安保共同宣言」に向け協議へ 
2009年7月16日

日米両政府はテロなど世界規模の課題に対応するため、新たな「日米安保共同宣言」に向け協議する方針を固めた。16日に来日するキャンベル米国務次官補らと協議を始める。米国の「核の傘」から地球温暖化対策を含む広範な分野で日米同盟の拡大・強化を図るもので、日米同盟を「礎石」とするオバマ米政権の東アジア戦略を具体化するものとなる。

協議では、米国が核抑止戦略を説明。テロ対策、ミサイル防衛(MD)での日米協力や、日本の新たな「防衛計画の大綱」の検討作業、米国の国防戦略見直し(QDR)、米軍再編も議題となる見通し。北朝鮮など地域情勢でも意見交換する。

オバマ政権になって米国が地球温暖化対策で積極方針に転じたことから、この問題でも連携の強化を模索する。

新宣言は、現行の日米安全保障条約が締結されて50周年を迎える2010年にまとめる方針。現在の日米安保共同宣言が合意された1996年以降に生じた「テロとの戦い」など、新たな安全保障環境に対応した日米安保の再定義を目指す。外務省幹部は「最初の協議なので、テーマや枠組みなど協議の前提について意見交換する」と話している。

オバマ大統領は今年2月のワシントンでの日米首脳会談で、日米同盟は「東アジアの安全保障の礎石だ」と指摘。クリントン政権下で現在の共同宣言をまとめたキャンベル氏を、東アジア・太平洋担当の国務次官補に指名していた。

日米安保共同宣言 1996年4月に当時の橋本龍太郎首相、クリントン米大統領の首脳会談で発表された、冷戦後における日米安保を再定義した文書。日米安保は21世紀に向けたアジア・太平洋地域における安定の基礎と位置付けている。日本周辺事態での日米協力の研究を促進することを定め、これを基に99年に周辺事態法が制定された。(中日新聞)

2009年7月2日木曜日

自衛隊が「国連待機制度」(UNSAS)に参加--- 「PKO参加五原則」の終わりの始まり

自衛隊が「国連待機制度」(UNSAS)に参加 
「PKO参加五原則」の終わりの始まり


麻生首相:「国連待機制度」参加を初表明 潘国連総長に

潘基文国連事務総長(左)との共同記者発表を行う麻生太郎首相=首相官邸で2009年7月1日午後7時54分、梅村直承撮影 麻生太郎首相は1日夜、来日中の国連の潘基文(バン・ギムン)事務総長と首相官邸で会談した。2回目の核実験を強行した北朝鮮について、北朝鮮の核保有を認めず、追加制裁を盛り込んだ国連安保理決議1874の着実な実施が重要との認識で一致した。

 首相は、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)に関し「PKOにより積極的にかかわる」ため、「国連待機制度」(UNSAS)に参加する考えを初めて表明した。PKOの機動性を高めるため加盟国が事前に派遣可能な要員規模などを登録しておく制度で、日本は未参加だった。医療や輸送、通信など後方支援6分野で登録・活動する。

 会談後の共同会見で潘氏は、日本の地球温暖化対策の取り組みについて「12月の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)の合意は、日本の支援なしでは考えられない。大胆で積極的な役割を期待している」と要望した。【中澤雄大】毎日新聞 2009年7月1日 

2009年6月28日日曜日

麻生首相、「強固な日米同盟」へ決意?

 麻生首相が「強固な日米同盟」に向けた「決意」を示す「演説」を行うという。
 有権者の八割近くが支持をしておらず、解散権のみを印籠に権力の座にしがみつく人間が何を言っても誰も聞く耳を持たないだろう。
 しかもその「演説」とやらは、予め内容が透けて見えるような代物だ。虚しい思いを通り越して、「痛い」感じがする。

首相が30日に外交演説 強固な日米同盟へ決意
2009年6月27日

麻生太郎首相は30日に都内で行う外交政策演説で、不安定な東アジア情勢に対処するため強固な日米同盟を構築する必要性を訴え、日米韓3カ国の緊密な連携により北朝鮮の核・ミサイル、拉致問題の早期解決を目指す決意を表明する。

当初は持論の「自由と繁栄の弧」構想に基づく中央アジア各国への支援強化を演説の柱に据える予定だったが、早期の衆院解散・総選挙をにらみ内容を変更、自民党と民主党の安保政策の違いを前面に打ち出す考えだ。

民主党の政権公約(マニフェスト)に日米地位協定の見直しやアジア重視が盛り込まれる見通しとなったのを受け、「民主党では北朝鮮の核・ミサイル、国際テロといった脅威から日本を守れないと訴える方が得策」(官邸筋)と判断したようだ。地球温暖化対策や核軍縮など国際的課題で日本が主導権を発揮していく決意も示す。

首相は演説で、民主党の小沢一郎代表代行(前代表)が「米国の極東におけるプレゼンス(存在)は第7艦隊だけで十分」と発言したことをあらためて批判し、日米同盟をより高いレベルに引き上げる必要があると強調する。(共同)

2009年6月26日金曜日

アフガニスタン: 「復興支援」の欺瞞1

アフガニスタン: 「復興支援」の欺瞞1

 八月のアフガニスタンの大統領選挙を前に、「治安回復」の名の下に、アフガニスタンとパキスタン両国にまたがるタリバーン掃討戦が激化している。すでにパキスタンでは軍の公式発表で1600人にのぼるタリバーンや武装勢力が殺され、250万人ともいわれる難民がでている。

 このさなか、日本の「文民チーム」がアフガニスタンの地方復興チーム(PRT)の活動に本格的に乗り出した。けれども、全面的な内戦状況を呈するアフガニスタンにおける「復興支援」とは、いったい何のか。

 そもそも、「文民チーム」とは何か。「武装」をしなければ外務省に出向した自衛隊員も「文民チーム」に入ることになるが、「文民チーム」の定義、実態があまりに不透明だ。

 「文民チーム」と自衛隊との関係はどうなっているのか。いずれは武装した自衛隊のPRTへの派兵が目論まれており、「文民チーム」派遣はその布石にすぎないが、総選挙、イラン、北朝鮮報道にかき消され、このことがはらんでいる問題性は何も報道されていない。

 内戦、つまり戦争をやりながら「復興」する?
 いろんな嘘、欺瞞、ペテンがある。情報操作と意識操作がある。
 まずは、読売新聞の下の記事を読んで考えてほしい。  

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アフガニスタン、日本文民チームが復興支援開始
(2009年6月26日 読売新聞)

アフガニスタンで、地方復興の一翼を担う日本チームの活動が始まった。これまで外国の援助が行き渡らなかったアフガン中西部に、日本の文民4人が派遣された。

日本人がアフガンでの地方復興チーム(PRT)に入り、支援に参加するのは、これが初めて。国際社会貢献の新たな形となる。

◆「村の悲願」◆

褐色の丘陵に囲まれた山道を、機関銃を備えた装甲車を先頭とした6両が土煙を舞い上げて走る。泥造りの民家が並ぶ集落で停車すると、この地域で治安維持にあたるリトアニア軍の兵士7人が車外に飛び出し、警戒態勢に入った。

「OK」 停車から1分後、外に出た兵士の合図で、ワイシャツ姿の官沢(かんざわ)治郎さん(35)と、頭にスカーフを巻いた石崎妃早子(ひさこ)さん(31)が降り立った。ゴール州の州都チャグチャランから約25キロ・メートル離れたマデラサ村。日本がPRT参加で初の事業として手がける女子小中学校の建設予定地だ。2人は、外務省職員として派遣された。

村には「青空教室」しかなく、「女の子だけでも屋根の下で授業を受けさせたい」と8年前から州政府に陳情していた。これを知った日本チームは予算を検討、日本政府の承認を経て地元の民間活動団体(NGO)に建設を依頼する。

迷彩服の兵士が銃を携える姿に、官沢さんは「兵士と行動することが、住民への圧迫になっていないかという心配はある」と話すが、村の期待は大きい。村民の多くは日本を「裕福な国」として知っていたが、日本人を見るのは初めてという。村民のザイ・フセインさん(45)は「学校建設は村の悲願。日本人が来てやっとかなえてもらえる」と言う。石崎さんは「秋までに医療所建設など3か所の支援を実施したい」と意欲を語る。

◆兵士と寝食ともに◆

視察を終えた2人の帰路、車列がとまる度に子供らが集まってきた。兵士が配る菓子目当てで、奪い合いも起きた。官沢さんは「子供が単純に喜ぶものではなく、絵本を配布するなど別の方法で住民に近づきたい」と話した。

石崎さんらは、高さ約10メートルの土のうに囲まれる基地で、リトアニア軍の指揮下に入り、兵士約200人と寝食をともにする。食事などは軍が提供し、日本は文民1人当たり1日約50ドルをリトアニアに支払う。兵士は2人部屋だが、文民には1人1部屋が与えられる。トイレ、シャワーなどは共用だ。石崎さんらは、ここで約2年間にわたって、このような活動を繰り返す。

日米など7か国の国旗や国際治安支援部隊(ISAF)の旗が基地にはためいていた。ISAF兵らの死亡を意味する「半旗」だった。比較的安定しているゴール州だが、住民の襲撃事件や路上爆弾で軍車両が破壊される事件も起きている。日の丸を見上げ、官沢さんは「旗が普通に揚がったのは1日しかありません」とつぶやいた。(アフガン中西部ゴール州チャグチャランで、酒井圭吾)

民主党と安保---民主党は米軍再編を阻止できるか

米軍再編巡り激論 民主・岡田幹事長と米国防次官

民主党の岡田克也幹事長は25日午前、党本部で米国のフロノイ国防次官と会い、在沖縄米海兵隊のグアム移転や米軍普天間飛行場の移設などを巡って激しく応酬した。

会談は米側が申し入れた。同飛行場の沖縄県外移転など民主党の主張を念頭にフロノイ氏が「米軍再編を進めることは日米両国の合意だ」とクギを刺すと、岡田氏は「日米関係は64年前の過去を引きずっている」と反論。日米地位協定を巡っても「公平ではない。日米関係を長期的に安定させるために改善しなければいけない」と譲らなかった。 (日本経済新聞)

参考ブログ
⇒マスコミはなぜ野党に対してフェアーな報道をしないのか

⇒猫の首に鈴をつけるのは誰か---小沢発言の波紋

⇒資料ブログ 小沢発言の波紋

2009年6月25日木曜日

アフガン米基地で虐待

「今更かよ」という感は否めないが・・・

アフガン米基地で虐待とBBC 拘束のタリバンメンバーら
【イスラマバード25日共同】

英BBC放送は24日、アフガニスタンのバグラム米空軍基地で拘束された経験のある反政府武装勢力タリバンなどのメンバー27人にインタビューした結果、同基地で殴打や睡眠妨害、犬をけしかけるなど拘束者への虐待が行われている疑いがあると報じた。

証言が事実ならば、オバマ米政権はキューバのグアンタナモ米海軍基地のテロ容疑者収容施設閉鎖を決め、過酷な尋問を禁じているだけに、処遇改善を迫られそうだ。米国防総省はBBCに対し虐待疑惑を否定した。

インタビューでは、2002年から08年に同基地で拘束された27人に同じ質問をした。窮屈な姿勢を強制されたり、水責めを受けたり、女性兵士の前で服を脱がされるなどの虐待行為を受けたことが共通していた。1人は「冬には冷水を、夏には熱湯を掛けられ、銃を頭に突き付けられて脅された」と証言。「動物にさえしないようなことを、彼らは人間に対して行った」と述べた。

2009年6月22日月曜日

ソマリア 非常事態宣言!

ソマリア:暫定政府が非常事態宣言 反政府勢力と戦闘激化
【カイロ和田浩明】東京新聞

ソマリアで暫定政府軍と急進的イスラム組織「アルシャバブ」など反政府勢力の戦闘が激化し、ロイター通信によると暫定政府は20日に非常事態を宣言、国会議長はエチオピアなど周辺国に支援の軍隊急派を要請する異例の声明を出した。AFP通信によると、首都モガディシオでは大統領宮殿の3キロまで反政府勢力が接近、戦闘を避けて数千人の住民が脱出した。

ソマリアでは5月初旬から、南部を拠点とするアルシャバブなどが暫定政府軍への攻勢を強めており、民間人を含む約300人が死亡し、12万5000人が避難民となった。18日には中部ベレドウェインでアデン治安相が自爆テロで殺害され、19日にもモガディシオ北部で国会議員が銃撃され死亡するなど、政府幹部にも犠牲が相次いでいる。ヌール国会議長は20日の声明で、周辺国に24時間以内の軍隊派遣を要請。パキスタンなど外国人勢力がアルシャバブに加わっており、周辺国の軍事支援がなければ「地域全体の問題になる」と警告した。

ソマリアには06年から今年1月まで暫定政府支援のためエチオピア軍が駐留していたが、エチオピア政府は「国際的承認が必要」(政府報道官)と慎重姿勢を見せている。しかし、エチオピア国境に近いベレドウェイン近郊の住民らはAFP通信などに「エチオピア軍部隊が近くまで来ている」と語っている。

ロイター通信によると、ケニア政府は事態を座視できないとの姿勢だが、実際に部隊を派遣するかどうかは不透明だ。ソマリア国内にはアフリカ連合(AU)の平和維持部隊約4300人が駐留しているが、政府機関や要人の警護などが主任務。毎日新聞 2009年6月21日 

海賊対処、洋上給油…増える活動 護衛艦8隻 海外へ
2009年6月21日

ソマリア沖の海賊対処、インド洋での洋上補給など、海上自衛隊の海外活動が目立っている。艦艇の交代時期となる七月には、八隻の護衛艦が海外に派遣される。有事に活動できる護衛艦の半数に当たり、本来任務の「国防」への影響を心配する声も出ている。

「護衛艦不足」の影響は既に表れており、毎年六月、米国での訓練に派遣する護衛艦は、例年の二隻から初めて一隻に減らされた。海外に出た艦艇の穴を埋める国内部隊の負担は大きい。海外活動中の護衛艦は、海賊対処二隻のほか、洋上補給、遠洋航海、派米訓練で各一隻の計五隻。海賊対処と洋上補給に当たる艦艇の交代がある七月には、重複派遣となり、八隻の護衛艦が日本周辺から離れる。

海上自衛隊は計五十二隻の護衛艦を保有している。修理、錬成、任務のローテーションが確立しているため、直接の任務に当たるのは三分の一だ。国防に不可欠な隻数のはずだが、次々に海外に送り出されている。

海外派遣の影響は、インド洋の洋上補給が始まった二〇〇一年から目立つようになった。〇二年以降、米海軍が主催する環太平洋合同演習(リムパック)に参加する護衛艦は、それまでの八隻から四隻に半減。さらにイージス艦情報の漏えい事件や「あたご」の衝突事故などの不祥事が相次いだ。

海自は昨年十二月、抜本的な改革案をまとめ、問題の背景にある「多すぎる任務と人不足」の解消を打ち出したが、その直後からソマリア沖の海賊対処が始まった。赤星慶治海上幕僚長は「海外任務は間違いなく増えている。(国防のための)国内態勢を整えていきたい」としている。北朝鮮の核実験をめぐる国連決議を受けた船舶検査でも、自民党からは「護衛艦を活用すべきだ」との意見が出ている。海自の「自転車操業」状態は続きそうだ。

2009年6月20日土曜日

ソマリア沖 活動終了見えぬまま 海賊対処法成立

ソマリア沖 活動終了見えぬまま 海賊対処法成立 第2陣に準備命令
2009年6月20日 東京新聞


自衛隊による海賊対策を随時可能とする海賊対処法が十九日成立したことを受け、浜田靖一防衛相は同日午後、アフリカ東部ソマリア沖アデン湾で活動中の海上自衛隊護衛艦と交代する第二陣部隊の派遣準備を自衛隊に発令した。同法成立で自衛隊による海賊対策は法的根拠が整ったが、活動終了の「出口」が見えないままの船出を余儀なくされる。

海賊を取り締まるべきソマリアは国家崩壊状態。今年のソマリア沖での被害はすでに昨年を上回るなど、活動は収まる兆しがない。国連などによる復興支援も進んでおらず、外務省幹部は「ソマリアが復興しない限り、派遣はいつまでも続くが、日本が復興を支援しようにも手が出せない状態」と話す。

さらに海賊対処法では、自衛隊法の海上警備行動では認められていない日本に無関係の外国船も護衛対象。武器使用基準を一部緩和し、警告射撃にもかかわらず民間船に接近する海賊船への船体射撃も認められる。麻生首相は「戦闘に巻き込まれる可能性はなきにしもあらず」と述べており、海賊との交戦の可能性をはらんだ派遣となる。 (三浦耕喜)

2009年6月19日金曜日

内戦的様相深めるソマリア情勢

自爆テロで閣僚ら25人死亡 ソマリア、急進組織の犯行
2009年6月19日

【カイロ18日共同】ロイター通信などによると、ソマリア中部ベレドウェインのホテルで18日、自動車を使った自爆テロがあり、アデン治安相を含む25人が死亡した。ソマリアでのテロとしては最悪の規模という。

ソマリアでは南部を中心とした地域を支配する急進的イスラム組織アッシャバーブと、暫定政府軍の激しい戦闘が続いており、今回のテロについてアッシャバーブ報道官が地元ラジオに犯行を認めた。アッシャバーブは国際テロ組織アルカイダとの関係が指摘され、暫定政府のアハメド大統領の打倒を呼び掛けている。

アハメド大統領はテロを厳しく非難。戦闘の指揮を執っていた治安相が死亡したことは暫定政府に打撃となりそうだ。ソマリアからの報道では、治安相は地元長老らとの会談を終え、ホテルを出るところで、同行していた暫定政府の前駐エチオピア大使も死亡した。

海賊対処法案が成立へ 年金、税制法案も
2009年6月19日

ソマリア沖などの海賊対策で自衛隊の随時派遣を可能にする海賊対処法案が19日午後の衆院本会議で、自民、公明両党など出席議員の3分の2以上の賛成多数で再可決、成立する。この後、国民年金法改正案と2009年度補正予算関連の税制改正法案も同本会議で再可決、成立。

政府、与党は、北朝鮮を出入りする船舶の貨物検査を可能にする新法成立にも意欲を見せるが、衆院解散のタイミングを控え情勢は不透明。延長国会の焦点は解散のタイミングに移る。3法案はこれに先立ち、参院本会議で野党の反対多数で否決。参院で否決された法案が衆院の再可決で成立するのは、3月の09年度予算関連4法以来で、今国会では計8本となる。

政府、与党が成立を目指す補正予算関連法案のうち日本学術振興会法改正案も19日の参院本会議で成立。改正商工組合中央金庫法は成立しており、残る日本政策投資銀行法改正案など2法案も26日成立の見通しだ。

海賊対処法案は護衛対象を日本に関係のない外国船にまで拡大し、武器使用基準も一部緩和する。成立で、政府は自衛隊法に基づきソマリア沖に派遣している海上自衛隊護衛艦などの法的根拠を切り替える方針。

国民年金法改正案は、基礎年金の国庫負担割合を現行の3分の1強から2分の1に引き上げる。09、10両年度の財源を財政投融資特別会計の「埋蔵金」で賄う。税制改正法案は、住宅投資資金を対象に10年末まで贈与税の非課税枠を500万円上乗せする。(共同)

⇒海賊対策法根拠に7月下旬始動 自衛隊2次隊(朝日新聞)

2009年6月12日金曜日

アフガン、攻撃過去最悪に 米軍増派でさらに激化へ

アフガン、攻撃過去最悪に 米軍増派でさらに激化へ
【ワシントン11日共同】

ペトレアス米中央軍司令官は11日、ワシントンで講演し、アフガニスタンでの武装勢力による攻撃が過去1週間で400件を超え、2001年に米軍などの攻撃でタリバン政権が崩壊して以来、最悪のレベルに達したことを明らかにした。

司令官は、米軍の増派が進み、反政府武装勢力タリバンなどの掃討作戦が拡大するにつれ、戦闘が激しくなると予測し「厳しい時期が待ち受けている」と述べた。

ロイター通信はアフガンに駐留する国際治安支援部隊(ISAF)の報告書の内容として、今年1月から5月までの攻撃件数が5222件で、昨年同期の3283件から59%増加したと伝えた。

司令官によると、アフガニスタンに駐留する米軍は昨年末の3万2千人から、既に5万6千人に増強された。秋までに6万8千人になる見通しという。

2009年5月22日金曜日

パキスタンにおける人道危機

グテーレス、パキスタンにおける人道危機を警告
-避難民の数が90万人を超える


UNHCRイスラマバード、パキスタン(15日)発:
パキスタン北西部で行われている紛争による避難民が100万人目前となったことを受けて、グテーレス国連難民高等弁務官は15日、訪問先のイスラマバードで、国際社会の迅速かつ大規模な人道的対応が求められるとの意向を示した。

「UNHCRは、パートナーたちと拡大する人道的ニーズに対応すべく、出来る限りのことを行っている。しかしながら、5月2日以降、避難民は100万人近くも増え、私たちが直面する課題は山積みだ」とグテーレス高等弁務官は述べた。

このような大規模な避難民の発生は、パキスタンの不安定化につながるのではないかという記者の質問に対し、グテーレス高等弁務官は「この地域は、地政学的見地をないがしろにできる地域ではない」「短期間に非常に多くの避難民が発生した。現在、その多くは避難民キャンプではなく、親戚や知人を頼りに避難し、社会的、経済的プレッシャーが双方に立ちふさがっている。今後、避難民や、受け入れてくれている双方が、速やかに国際的支援を受けることができなければ、その時は、さらなる治安の不安定化が現実のものとなる可能性が高まる」と答えた。

UNHCRはこのパキスタン北西部における人道危機において、シェルターや救援物資を速やかに配布するなど、国連合同の取組みの中で対応してきた。

12日には、蚊帳1万張、緊急シェルター用ビニールシート14,000枚、壁や間仕切りとなるビニールロール1,500個、組み立て式倉庫2基など、120トンの緊急支援物資をドバイから追加的に空輸した。

2009年5月20日水曜日

難民200万人! 殺戮と「人道支援」

米がパキスタンに96億円支援 北西部避難民対策で
2009年5月20日【ワシントン19日共同】

クリントン米国務長官は19日、ホワイトハウスで記者会見し、イスラム武装勢力との戦闘が続くパキスタン北西辺境州スワト地区の避難民対策として、約1億ドル(約96億円)の人道支援を行うと表明した。

長官は同日、ワシントンの外国人記者センターでも記者会見し「国際社会が手を差し伸べれば、パキスタンは必ず(人道的な)難題を乗り越えられる」と支援の重要さを強調。米国が求め続けてきた掃討作戦の結果、パキスタンが不安定化することは避けたいとの考えをにじませた。

パキスタン政府は、スワト地区の武装勢力と2月に結んだ和平合意を今月7日に破棄し、アフガニスタン旧政権タリバンに近い武装勢力の掃討作戦を本格化。クリントン長官によると戦闘を逃れるため避難生活を送る住民は約200万人に上っており、避難民キャンプの収容能力が追いついていない状況が続いている。

ホワイトハウスによると、食料やテントなど約1億ドル分の支援を国務省が担い、国防総省が給水車の提供などで約1000万ドルを支援する。

⇒アフガニスタンの和平と対テロ戦争 資料2へ

2009年5月13日水曜日

パキスタンの避難民130万人!!

パキスタンの避難民130万人に 
イスラム武装勢力掃討作戦で

【2009年5月12日 イスラマバード12日共同】

パキスタン軍は12日、同国北西辺境州スワト地区や周辺でのイスラム武装勢力掃討作戦で、昨年8月から現在までに避難民となった住民が約130万人に上ったと発表した。

今回の作戦を開始した4月末以降、武装勢力751人を殺害、兵士29人が死亡したという。軍報道官のアバス少将は会見で、避難できずにいる住民が10万-20万人いると指摘。トラックを用意して救出を進めているとしている。

スワト地区では昨年6月、政府が米国の圧力で掃討作戦を開始。報復の自爆テロや学校爆破が相次ぎ、今年2月に和平合意した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も100万人以上が避難民になっていると発表している。

2009年4月30日木曜日

中央即応連隊と集団的自衛権の行使

中央即応連隊と集団的自衛権の行使

中央即応連隊を派遣 ソマリア
陸自 哨戒機警護40人、編成後初の任務

2009年4月24日 東京新聞

ソマリア沖の海賊対策に関連して、アフリカのジブチに派遣される陸上自衛隊の部隊は海外活動を専門とする中央即応集団直轄の中央即応連隊(宇都宮駐屯地)となることが二十三日、分かった。二〇〇八年三月に新規編成されて以来、中央即応連隊が実任務に就くのは初めて。

五月にジブチ空港に派遣され、アデン湾の洋上監視を開始するP3C哨戒機二機の機体を警備する。派遣されるのは中央即応連隊の一個小隊(約四十人)。〇七年十二月、自衛隊の海外活動が本来任務に格上げされたのを受けて、優秀な隊員ばかりを集めた「オールスター派遣」(陸自幹部)をやめ、常設部隊を送り込むことになった。

持参する武器は駐屯地警備で使用するのと同じ小銃、拳銃のほか、機関銃も検討。「正当防衛・緊急避難」を根拠に武器使用し、P3C哨戒機を防護する際の発砲は、自衛隊法九五条の「武器等を防護するための武器使用」を適用する。

ジブチ空港には米軍のほか、フランス、ドイツ、スペイン軍の哨戒機も置かれているが、自前で機体警備を行わない軍もある。火箱芳文陸上幕僚長は二十三日、「陸上自衛隊には海外活動の知見があり、海上自衛隊を補完できる」と派遣の意義を強調した。

中央即応連隊はテロ・ゲリラに対応する中央即応集団の直轄部隊として〇八年三月、宇都宮駐屯地に編成された。隊員は約七百人。本部管理中隊のほか、三個中隊がある。隊員は格闘術や体力に優れた精鋭を集めた。
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麻生首相 集団的自衛権行使の解釈変更を本格検討へ
4月24日産経新聞

麻生太郎首相は23日、安倍晋三首相(当時)の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)で座長を務めた柳井俊二元駐米大使と首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使を違憲とする現行の政府解釈について意見を聞いた。北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射や、海上自衛隊による海賊対策の本格化を受け、集団的自衛権を行使できるように解釈変更が必要な状況が差し迫っていると判断したとみられる。首相が解釈変更に踏み切れば、日米同盟の強化や国際貢献に向け、大きな一歩を踏み出すことになる。

会談には、柳沢協二官房副長官補(安全保障担当)も同席した。柳井氏は安保法制懇の議論の経緯をたどりながら、解釈変更が喫緊のテーマであることを説明したという。会談後、首相は記者団に対して、「安保法制懇の話がそのままになっているので話を聞いた。長い文章なので勉強しなければならないと思っている」と解釈変更に前向きな姿勢を示した。再議論の必要性については、安保法制懇が平成20年6月に報告書を福田康夫首相(当時)に提出していることを踏まえ、「きちんとした答えは作られており、内容もまとまったものがある」と述べた。

安保法制懇の報告書は、
(1)公海における米軍艦艇の防護
(2)米国を狙った弾道ミサイルの迎撃
(3)国際的な平和活動における武器使用
(4)国連平和維持活動(PKO)での他国部隊の後方支援-の4類型について、集団的自衛権の行使を認めるなど政府解釈を変更すれば、現憲法のまま実施できると結論づけた。

しかし、福田首相(当時)は記者団に「(解釈を)変える話などしたことはない。報告は終わったわけだから完結した」と語り、解釈変更を否定。安保法制懇の報告書は封印されたままとなっていた。

一方、麻生首相は首相就任直後の平成20年9月26日、米ニューヨークで「基本的に解釈を変えるべきものだと言ってきた。大事な問題だ」と述べ、いったんは解釈変更に前向きな考えを表明したが、10月3日の参院本会議では「解釈について十分な議論が行われるべきだ」と答弁し、早急な変更には慎重な姿勢を示した。

現行の集団的自衛権に関する政府解釈は、昭和47年10月の田中角栄内閣で「わが国は集団的自衛権を有しているとしても国権の発動としてこれを行使することは許されない」という政府見解で示された。

■集団的自衛権 同盟国など密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていなくても、自国への攻撃だとみなして実力で阻止する権利。国連憲章51条で、主権国家の「固有の権利」と規定され、国際法上の権利として広く認められている。
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容認論が再浮上 集団的自衛権行使
2009年4月30日 東京新聞朝刊

政府・自民党内で、憲法解釈で禁じられた集団的自衛権行使を認めるべきだとの議論が再浮上している。党内のタカ派議員が北朝鮮の弾道ミサイル発射を機に仕掛けたもので福田政権以降“お蔵入り”になっている解釈改憲を再燃させたい思惑が見え隠れする。

仕掛け人は、首相在任中に集団的自衛権行使問題に取り組んだ安倍晋三元首相。安倍首相時代に設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で座長だった柳井俊二元駐米大使が二十三日、「憲法九条は集団的自衛権行使を禁ずるものではないと解釈すべきもの」とした懇談会の結論を麻生太郎首相に説明。同日夜には安倍氏自らが首相に対し、憲法解釈を変えることを自民党マニフェストに盛り込むよう進言した。

集団的自衛権とは、同盟国などへの武力攻撃があった場合、自国が直接攻撃を受けていなくても、その攻撃を実力で阻止する権利。政府は国際法上、権利は持っているが、憲法解釈上、行使は許されないとしている。米国を狙った弾道ミサイルの迎撃も違憲とされ、自民党の国防族議員を中心に集団的自衛権の行使を認め、日米が連携して「北の脅威」に対抗すべきだとの意見が出ている。

ただ、麻生政権がこの問題に本腰を入れれば、近隣諸国の反発は確実で、北朝鮮問題での中韓両国との連携にはマイナス。党内には保守色の強い政策を前面に出し、負けた二〇〇七年参院選の記憶も残る。首相も「よく勉強させていただきます」と述べるにとどめている。 (荘加卓嗣)
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参考ブログ⇒「憲法九条の死文化と安保---国家と「自衛権」をめぐって」

『永遠の安保、テロルな平和』の目次へ

2009年4月23日木曜日

再び、「海賊対策」は「海賊」対策にあらず

再び、「海賊対策」は「海賊」対策にあらず

 「海賊新法」の衆議院通過が決定的になった今日、「海賊対策」と称した陸上自衛隊の「中央即応連隊」の「派遣」方針が明らかにされた。

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ソマリア沖海賊:「中央即応連隊」派遣へ 会見で陸幕長毎日新聞 2009年4月23日
 陸上幕僚監部の火箱芳文・陸上幕僚長は23日の記者会見で、東アフリカ・ソマリア沖の海賊対策で、派遣予定の海上自衛隊のP3C哨戒機の警備や拠点施設の管理のため、緊急事態や国際平和維持活動(PKO)に対応する精鋭部隊「中央即応連隊」(宇都宮市)を派遣する方針を明らかにした。同部隊の海外派遣は初めて。
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 日本政府、麻生自公政権は、ソマリアの「海賊」問題を最大限に政治利用し、一方で改憲論議を回避しつつ憲法九条体制を「守り」ながら、他方で憲法九条の規範原理の最終的解体に向けた動きを加速している。航空自衛隊による空爆や海上自衛隊による砲撃の前段階として、自衛隊の海外における武力行使の実戦部隊が「中央即応連隊」であるからだ。

 今回、陸上幕僚長は「中央即応連隊」の派兵理由を「海上自衛隊のP3C哨戒機の警備や拠点施設の管理」としているが、ゲリラ戦や対テロ戦に備えて特殊訓練を積み重ねてきたこの連隊を、なぜあえて出動させる必要があるというのか。明らかにこれは、アフガニスタンの「軍民協力」部隊=PRT(地域復興チーム)、国連スーダンミッション(PKO)、あるいは今年中にも組織される可能性がある再度の「国連ソマリアPKO」など、陸上における「治安維持」部隊への自衛隊の「派遣」を念頭に置いた動きとしてみるべきである。

 ぼくは、二〇〇六年の年末に出版した『国家・社会変革・NGO』の中の「人間安全保障・植民地主義・NGO」と題した論文において、ブッシュ-小泉政権による安保体制の再編の本質が「対テロ日米共同作戦態勢の構築」にあると述べたが、麻生自公政権の下の「新日米安保宣言」構想において、これがいま「海賊対策」という大義名分によって実戦化されようとしているのである。

 「海賊新法」をめぐる国会論議や新聞ジャーナリズムの「社説」において決定的に欠如しているものこそ、主権者の意思を問うことなく「永遠の安保」の下で着々と進むこうした「安保のグローバル化」の実態なのである。

2009年4月17日金曜日

「オバマの戦争」と「新日米安保宣言」

「オバマの戦争」と「新日米安保宣言」

 いよいよ、自衛隊の海外派兵一般法制定の動きが具体化してきたようだ。

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防衛相、新日米安保宣言を提案 自衛隊派遣一般法へ布石
2009年4月17日

浜田靖一防衛相が2月に訪日したクリントン米国務長官と会談した際、対テロなど世界規模の課題や台頭する中国に対する日米協力強化を念頭に、新たな日米安保共同宣言の策定に向けた協議を提案していたことが分かった。複数の政府関係者が16日、明らかにした。米側は回答を保留した。防衛省は日米安保条約改定50年に当たる来年の発表を模索している。

関係者によると、新安保宣言は国際平和協力活動などで自衛隊の海外派遣を随時可能にする一般法(恒久法)制定に向けた布石とも位置付けられる。自衛隊の随時派遣が可能となった場合、米軍とどのような協力が可能かを調整し、世界規模での日米協力を打ち出したい考えだ。具体的にはテロ、海賊など新たな脅威に加え、台湾海峡有事も視野に入れた対中国戦略も検討されそうだ。

浜田氏はクリントン氏との会談で「アジアの安定と世界規模の課題への対処に向け、自衛隊と米軍の協力強化と役割分担の明確化を図りたい」と新安保宣言を提案。クリントン氏は「アジアの平和と安定に強固な日米同盟は重要だ」と述べたが、新宣言に関しては返答しなかった。(共同)
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マスコミはなぜ野党に対してフェアーな報道をしないのか

マスコミはなぜ野党に対してフェアーな報道をしないのか

 最近、どうしても見逃せない新聞記事があった。民主党に関する読売新聞の社説である。
 その社説とは、四月十六日の「海兵隊移転協定 民主党は「反米」志向なのか」である。この社説は、
①「在沖縄米海兵隊のグアム移転に関する日米協定承認案の衆院採決で民主党が反対した」こと、
②「インド洋での海上自衛隊の給油活動の中止や、在日米軍の思いやり予算の見直しも唱えている」こと、そして
③小沢代表が「在日米軍は第7艦隊で十分」と発言したことなどを指摘しながら、次のようにいう。

「これでは、日米同盟を重視するどころか、「反米」志向と受け止められても仕方あるまい。米国に注文すること自体は悪くない。だが、民主党の重大な欠陥は、要求するだけで、同盟強化のため自らどんな負担をするのか、何も具体的に語らないことだ。」

 ぼくは無党派で、民主党の支持者ではないばかりか、民主党の安保・外交政策に対して少なからず疑念を持っている人間であるが、そういう立場からみたとしてもこの社説は「議会制民主主義」の基本原則をわきまえない、あるいはその原則を意図的に歪曲して論じているという意味において、大きな問題をはらんでいる。

 読売新聞が社としてブッシュ・小泉政権が打ち出した「世界の中の日米同盟」路線を支持し、その実効的な推進のために憲法九条第二項が障害になっていると判断し、改憲=九条改廃を主張することは、自由である。
 しかし、そうした社としての方針に基づきながら、民主党が自公政権の安保・外交政策の見直しをはからんとしていることに対し、「反米」志向というレッテルを貼ることは、第一に政治的に偏向しすぎているし、第二に政権政党の政策を批判する立場にある野党の正当な役割を踏まえていない愚挙である。むしろ、読売新聞が社説を通じて与党の立場にたった「世論形成」をはかろうとする意図が透けてみえてしまう。要するに、読売新聞は社説を政治的プロパガンダ機関に自ら堕落せしめているのである。

 なぜ、読売新聞はそこまで「親米」志向になるのか? なぜ、日米「同盟強化」が既定の方針になり、そのために自社の論陣を張ろうとするのか? 問いは、読売新聞に対してこそ向けられるべきではないか。

 もしも政権交代が実現されるなら、新政権が旧政権が行ってきた安保・外交政策全般の見直しをはかり、それによって予算配分をも見直すことは、当然のことである。民主党は、無前提的に日米「同盟」を「強化」するとはいってはいないのである。この点において、読売の社説は明らかに客観性を喪失しており、フェアーではない。

 また、民主党に限らず、野党は一般的に選挙前に「包括的な政策をきちんと明示すべき」といえないし、それが「政権交代を目指す政党として最低限の責任」でもない。むしろ、「ネジレ国会」の出現によって、上の①から③のような、自公政権の安保政策に代わる個々の対案が野党サイドから出るようになってきたことが、大局的には日本の「議会制民主主義」の一歩前進とみるべきなのである。少なくとも、公的言論機関としての新聞ジャーナリズムがそこを評価せずして「ネジレ国会」の何を評価するというのだろうか。

 ぼく自身は、安保条約に基づく日米関係は「同盟」関係とはいえないこと、にもかかわらず日米首脳会談、安保協議(2+2)などで、主権者を意思を無視した恣意的な「同盟」宣言がなされ、そのことが米国の対テロ戦争に日本政府が「主体的に」引きずり込まれる状況を生み出してきたと考えている。米国の世界戦略を「後方支援」したり、あるいは側面から補完したりする形での外交・ODAの「バラまき政治」が行われてきた根拠もそこにある、と。

 いまぼくたちが直面しているのは、ブッシュ政権八年のアフガニスタン・イラク戦争を中心とした対テロ戦争を抜本的な見直し、再検討抜きに、アフガニスタン、イラクからさらに戦場をパキスタン、ソマリアへと拡大してよいのか、対テロ戦争をこのまま継続してよいのか、という問いである。それが日本や「国際の平和と安定」を本当にもたらすのか、という問いである。

 読売新聞をはじめとした新聞ジャーナリズムの社説にも、同じことが問われている。各紙はまず、この八年間、アフガニスタンやイラク戦争に対して、破産したブッシュ政権の対テロ戦争に対して自社がどのような論陣を張ってきたのか、その内省をすべきだろう。そしてそうした主体的な内省に基づき、これからもアフガニスタンやパキスタンにおいて対テロ戦争を激化させようとしているオバマ路線とこれに追随する麻生政権に対して、ジャーナリズムがジャーナリズムとして、いかに自律的な立場に立った論陣を張れるか、論説委員と記者ひとりひとりが考え直してみるべきだと思うのである。

(⇒参考ブログ。「「日米同盟」の呪縛――「日米同盟」とマスコミ」)

2009年4月16日木曜日

「海賊対策」の戦争化は事態を悪化させるだけである No.1

「海賊対策」の戦争化は事態を悪化させるだけである No.1

 先週から米国では、「マースク・アラバマ号」事件を契機に、ソマリア沖の「海賊」問題が、またにわかにマスコミの脚光を浴びている。いわゆるオルタナティブ・メディアでは、三大ネットワークをはじめとした巨大メディアが報道しない論点を整理しながら、客観的かつ問題の本質に迫るような記事がいくつか発表されている。

 たとえば、AlterNetは、四月十四日、カナダに難民として移住したソマリア人アーティスト、K'Naanの"Why We Don't Condemn Our Pirates in Somalia"(なぜぼくらはソマリアの海賊を非難しないのか)という記事を転載している。要するに彼がこの記事で書いていることは、三月にぼくが「ソマリアと「海賊」---新介入主義の破産」の中で書いたようなことである。すなわち、

「ソマリアの海岸(近海ではない。海岸である)へのドラム缶にコンクリ詰にされた核廃棄物や産業廃棄物の直接投棄、またそれらのソマリア沖への海洋投棄、そしてグリーン・ピースいうところのpirate fishingがソマリア近海でくり返されてきたことについては、少しずつではあるが情報は広まりつつある。犯人は誰か。「海賊」撲滅のために艦隊を派遣した国連安保理常任理事国を中心とする国々である」(引用、終わり)。

 だから、K'Naanは、まずEUや米国などのグローバル水産業がソマリア沖での不法操業を停止し、それと同時に産業・核廃棄物の不法投棄をやめるのことが先決ではないか、という。ぼくもまったく同感である。(⇒K'Naanのオフィシャルサイト)

 ところが、NHKから民放、新聞ジャーナリズムでは、「海賊」問題の背景にあるこうした現実に目が向けられる気配が一向にみられない。さらに悪いことには、先述した「マースク・アラバマ号」事件をめぐる「報道」では、米国政府が発表した内容を、何らの検証も批判的吟味もなく、ただそのまま垂れ流し的に翻訳しているだけなのだ。

 AlertNetが配信した別の記事に、四月九日付のJeremy Scahillの"'Pirates' Strike a U.S. Ship Owned by a Pentagon Contractor, But Is the Media Telling the Whole Story?"がある。「「海賊」がペンタゴンとの契約関係にある軍事企業所有の船舶を攻撃」、しかしメディアは真相を報道しているのか?」という記事である。

 「マースク・アラバマ号」事件では、米国人船長が人質に取られ、ペンタゴンは四月十二日に船長を「無事救出」と発表したが、その際、米海軍特殊部隊「SEALS」が「海賊」を「急襲」した。そして海賊四人のうち三人を射殺、残る一人を拘束したとされている。
 日本の新聞各紙では攻撃を先に仕掛けたのは「海賊」の方で、海軍の特殊部隊は船長の身に危険が迫ったから「急襲」したと報道された。それも米国政府が発表した内容をそっくりそのまま引用したものであるが、果たして本当にそれが真相なのか、乗組員のインタビューを詳細に分析するなら事実関係に不明な点が多い、と筆者は問うているのである。

 ともあれ、この事件を節目として、ソマリアの「海賊」問題をめぐる事態は急変してしまった。一言で言えば、「海賊対策」の戦争化である。「海賊」側は報復宣言を発した後に、実際に米国の船舶への攻撃をしかけ、さらには「アラビア半島のアルカーイダ」を名乗る武装勢力も報復戦を扇動しはじめた。一方、これに対し米国政府は「海賊対策コンタクト・グループ」による国際会議を呼びかけ、「海賊」に対する非和解的・非妥協的な姿勢を貫くことを表明するに至っている(詳細は資料ブログを参照)。

 こうして折りしも、日本の国会で「海賊新法」の審議が本格的に始まったまさにその時、ぼくが当初より予想したように「海賊対策」はアルカーイダやソマリアのイスラーム武装勢力をも巻き込んだ、対テロ=「海賊」戦争へと変質してしまったのである。